そうですね、めっちゃ見ましたね。
なんか僕らのゼミもさ、そのガチガチの文法に行く人と、そのライトなテーマに行く人で結構いたじゃん。
そうだね、ディズニーの英語で、例えばその方言がどういうふうに使われているかとか。
そんなポップなことをやってる人も語学流の中にはいらっしゃったんですね。
いました、いました。
いたよね。
なんか洋学の歌詞とかね、あとポケモンの英語名とかね、研究をしていましたね。
そんな可愛らしいテーマの中、お三方は分厚い文法書を片手に。
そう、かじりついて、で、私は結局言語学の先生と一緒に書いたんで、当時のゼミの先生からは、一番最後の最後で裏切ったのよって言われてるんですけど。
そうね、なんかさも同じゼミみたいな顔してるけど違うから。
ここの二人は同じゼミだったんですけど、私は最終的にゼミ違うところに入って、言語学で論文を書いたっていう感じだったんですけど、
二人、卒論の話何で書いたんだっけ?
じゃあ僕はですね、likeっていう動詞があるじゃないですか、前置詞もありますけど、
あれの新しい使い方、語用の変化についてやりまして、ここまでだったらまだスラング的な話。
だから、ちょっとlikeの話なのかと思うかもしれないんですけど、
最終的にそれが品詞変換の話ね、持ってきまして、
どういう風に品詞というのが増えていくのかみたいな、ちょっとそういう話に。
そのヒストリカルのところの視点からってことだよね。
そうですね、なので結構やってることとしては文法ガチガチ。
私はですね、官僚系についてやってましたね。
ハブプラスPPが現在官僚系、過去官僚系、言わないけど未来のハブプラスPP。
あれはあたかも全部海外で使うからねみたいな感じで高校で習うけれども、
自分海外行った経験があった時に、ハブプラスPPは言葉でも言うけれども、
これ全然見たことないよ、なんでこんなの本当に使ってるの?って思って、
それが本当に使われてるのかだったりとか、
それこそ文法の文法書でどうやってこういう学校が採用されてるのかとか、
あとそれこそコーパスを調べて本当に使われてるかを調べてたっていう形でしたね。
なるほどね、こんな感じの人たちと一緒に私も彼らのゼミの先生と一緒に英文法研究グループなるものを結成して、
勝手に立ち上げてね。
勝手に立ち上げてね、勝手に巻き込んでね、3人でわしゅわしゅやってたね。
あいつらマジ何やってんだろうっていう変なものを見る目で見られなかった。
そう、当時図書館に学生が借りられる会議室みたいな小さいスペースがあって、
そこを借りて週に1回集まって、じゃあ今日進行形やります、今日完了形やりますとか言って、
いろんな文法書を漁ってきて、それこそ我々のバイブルが2つあったじゃないですか。
1つがランドルフ・カークとバイバーのコンプレヘンシブグラマーオブイングリッシュかな。
ともう1つがロングマンのこれがまた面白くてね。
実用というかどういう風に英語が使われているかっていうことをベースに書いたロングマンの文法書と、
いわゆる規範文法、英語の文法はこうじゃなきゃいけないんだっていう体系立てで書いたカークのね、
本当にこんな分厚いやつね、何センチくらい。
カークさんのバイバーもバイブルだからねあれは。
そうそうそう。
あれさえ見てれば何とかなる。
我々のね、そこから私は離れてもうちょっとディスクリプティブグラマーに行ったわけですけど、
そんなのを持ち寄ってみんなで輪読会して、これどうやって教えたらいいんだとか、
これどうやって説明したらいい、理解したらいいんだみたいな話をやっていたのが大学時代っていう。
うちらの大学はさ4年からゼミじゃないですか実質的に。
まあまあそうだね。
だけど3年のね、もう秋くらいから勝手にゼミですよみたいな顔しながらね。
そうそうそう。勝手に巻き込んでね。
でもその時は彼らのゼミの先生の授業が本当に面白くて、
英語史、英語の歴史を研究されている先生だったんですけど、
本当にその先生がいい先生でね。
素晴らしい。というか僕が英語の道に持ってこられたのは彼女のせいなので、
元々僕社会科教員志望ですからね。
なんで英語の方に来ようと思ったの?
でも本当に日本史と世界史がすごい好きで得意で、
教員になりたいっていう思いもあったから、
もちろん教職を取って、歴史の教員になろうと思っていたんですけど、
我々の大学、結構いろんなジャンルを学べたじゃないですか。
だからそういう中で教員も深めながらやろうかなと思ったら、
見事にその歴史のピンポイントその教授たちの話がおもろくない。
ディスを投げるわけではないんですけど、僕とは少なくとも会わなかった。
それでどうしようこれと思って。
なんなら2年の時は絶望しすぎて、
4月とかは他の大学潜りに行ったりしたんですよ。
友人に声かけて東大の授業を聞いたりとか、平穏の授業を聞いたりとか、
そういうさすらい生活をしたこともあるんだけど、
そんなことやってても自分の道開けないなと思って。
しゃあないから自分の大学で面白い授業を探そうって言って、
自分のジャンルじゃないものも探す中で出会ったのがあれですよ。
なるほど、英語史の授業だったわけですね。
英文法のね、一番
既存の授業だったわけですね。
そこでの彼女の話がおもろすぎて、
なんじゃこりゃってなって、大学2年から転校ですよ。
いい話だなあ。いい話だなあそれ。
この話聞かせてあげたいですね。このままね。
ちなみに高尾は英語的な背景というか何ですか?
高尾 いやもうこれはですね、本当に不純というわけではないんですけれども、
私はもともと、ちょっとだけ経歴話すと中学3年間を海外でインターナショナルスクールで過ごして、
高校は日本で過ごして、なんじゃこの英語の授業は、なんでこんな英文法なんやってなって、
もうこんな意味ないわ日本語で英語を習うんだって思って、
大学入って、本当は心理学と生物系を学びたかったわけですよ、私は最初入ったとき。
で、一年生の終わりくらいから、なんか卒業単位足りなくねって思って、
全然受けてはいたんですけど、足りないなと思って、
でなんか蓋を開けてみたら教職っていうものがあって、これは単位数も稼げるし、
で、一応自分は英語しかないから、やっぱり英語ずっと習ってきたし、
じゃあ英語を習おうかって言ったら、先ほどのヒューガー先生と一緒で、
もう面白すぎるこの授業は、ってなって、
じゃあもうここでもうやっぱり卒論書こうってなって、っていう形でございます。
なるほどね。
はいじゃあちょっと時間もいい感じということで、
ビールも来たのでちょっと皆さんで乾杯しましょう。
乾杯!
始まったね。
これは始まったよ。
飲みやすすぎる。
飲みながら文法の話をするっていうやべえ集団だったんですよ。
そう、その話を俺もしようと思った。
世の中の人そっとおっしゃる。
何をやってるんやこの人たちは。
そうそうね。
多分けいが話し始めると思うけど、
その文法の話が盛り上がりすぎて終わらなくて、
よしバーに行こうって言って、
バーでウイスキーを飲みながら2時間文法の話だけで酒を飲んでた。
俺がいかに学生の時にやばい奴だったかっていう話でしかないと思うんですけど、
ぜひ聞かせてください。
あれはね、それこそ大学の3年の終わりぐらいだったと思うんだけど、
文法の研究会とかやってた頃ですよ。
僕とタカがカフェベリアみたいなスペースが大学にあって、
そこで飯とか軽く食いながらだったか覚えてないけど、
ちょっと普通に雑談してたんだよね。
そうだね。文法とか関係なくね。
関係なくサークルの話とか授業の話とか普通にしてるところに
けいが近づいてきて、
すごい勢いで近づいてくるなって思ったら、
やばいんだよ否定がさあって言っていきなり。
ノートノートの違いがあっていきなり言い始めて、
それが大成立からね。
何のアイスブレイクもなく、
お疲れみたいなもなく最初の大成立それ。
あれはね、もうセンセーショナルだったよね。
あれはすごかったね。けいはおそらくね、
もう俺たちにしか言う相手があんまりいなかったんじゃないかという。
それはね、それは間違いなくそう。
その時3年の冬くらいだったから、
俺が博士課程でお世話になった先生が、
たまたまうちの大学で教えてくれた時期だったんだよね。
意味論の授業をやってて、
それでちょうどノートをどういう風に否定語をね、
どういう風に形式意味論の世界で扱えばいいかっていうのが、
もう美しすぎて。
これすごいよ、美しいよって思っちゃって。
その授業に感銘を受けてるから、
誰かに話したいわけですよ。
カフェテリアに授業終わって向かって行ったらさ、
ちょうどいるわけ。
お集い向きの人たちがさ、
そこで雑談しててさ、
こんなもん話すしかないでしょみたいな。
ちょうど2人でいるしね。
スカスカスカスカって言って。
すごい勢いだったもんね。
そう、もう俺さ、
それこそ彼女できたぜ!みたいな感じで、
来てなんかあるかなって思ったら、
否定語さ!って言うから、えぇ!?みたいな。
そうそうそう。
でもヒューガーのタカはすごくいい人たちだったから、
普通にさ、それで来たら結構引くじゃん。
どうしたっていうね。
お疲れとかもなくて。
引くと思うんだけど、いい人たちだから、
話聞いてくれて、
ヒューガーもね、
もうここまでリスナーの皆さんも聞いてきてるからわかると思うんですけど、
こういうタイプの人間なんで、
それちょっと面白いんじゃない?みたいな話になって、
そっからもうカフェが閉まる時間だったから、
我々移動しまして、最寄駅のね、
最寄駅のバーまで移動しまして、
みんなでウイスキーを飲みながら。
酒の魚が否定の話だったってことですよね。
そう、酒の魚が否定の話だった。
あの日本当に一切他の話題もなかったもんね。
しかもその日のね、俺の授業の内容はノットの話だったわけよ。
だから俺はもうノットの話で精一杯なわけ。
部分否定のノットがメインだったんだけど、
一通り話し終わったときで、
それノットエフェリーどうすんの?みたいな話始めて、
待ってそれはまだ習ってないからわかんないみたいな。
やっぱりね、ノットの話はね、結構奥深いからね。
部分否定のところがね。
部分否定と全否定はね、めちゃくちゃデカい問題で。
面白いんだけど難しいんだよね。
これが本当にいつかのトークテーマに使ってほしいから、
今日はそんなになんだけど、
最近教え子に、まさにそのノットエフェリー問題を突っ込まれまして、
普段は僕はそんなに、これはこういうもんだから覚えろってマジで言わないようにしてる。
言わないようにしてるんだけど、言わざるを得なかった。
瞬間があるんで、ちょっとこれはいつか聞いてほしいなと思って。
ぜひぜひ。またこれ、どうせまたやるからきっと。
どうせまたやるから。
その時に持ってきてください。
また酒飲みながらね、こうやってね、これを語ってるわけですわ。
まあね、そんなヤベェ人たちだったわけですよ。
散々さ、英語化教職やってる人たちの中でヤベェ奴らだったよね、みたいな話は出てたわけですけど、
このくらいヤバい奴だったということが、もつ子さんとリスナーに伝わったらいいなっていうエピソードでございました。
本当にカフェテリアのところで教職やってる人にもしその人がいたら就職どうするみたいな話ですよね。
教育実習があって就活できないどうするのところでこの話ですから、私たちは。
ガツガツ文法の話しかしてなかった。
クレイジーだったね。
さすがにこの話はいろんなことやってきて、それこそ会議室取って文法研究とかもしてたけど、
僕らの中でもやっぱあれが一番先生的な、一番ショッキングな出来事として。
刻まれてたから、卒業の時にみんなで英語科の教職の免許をもらって、神が来るじゃないですか。
それをみんなで集合写真撮ってのがそのカフェテリアの机だったね。
思い出のある机のところでみんなで写真撮って。
まあここやろってなって。
ここしかないわなって。
みたいなことはありましたね。懐かしいですね。
そんなような3人組でお送りしております。