はい、今日も始まりました電波惹句ということで、ゲストが来てくれています。ご紹介をお願いします。
トウソクジンと申します。よろしくお願いいたします。 初めまして、トウソクジンさん。
初めまして。かなり初めましてな感じで。 かなり初めましてですね。
ちょっとね、X状でお話をさせていただいたことはあるんですけれども。
はいはい、そうですよね。僕のことどれくらい知ってますか?
しにょくさんから、なすびさんという方から、お話のそういうのがあるよっていうのを伺って、その前後でね、電波惹句さんという方からフォローいただいたのは確認していたので、
ちょっと前から存じていたんですけど、そこから電波惹句いくつか視聴させていただいたりとかして、そこから知りました。ほとんど初対面感じではあるんですけれども、
ぜひ今回は決めたなものなので、相変わらずよろしくお願いいたします。
いえいえ、あんな綺麗な批評書いてるのに。逆にそう、自分の方は、自分もしにょくさんとかいとととさんとか、現代4コマ界隈の人なんだなっていうのをうすらしていて。
そうですね。そうだと思います。
で、結構批評チックなことを書いてる人なのかなと思ってて。で、直近の原音通信が、この電波惹句の大特集をしてもらってて。
はい、そうです。
っていうやつがあるんですけど、その前のやつだったかな。なんかあの、東則人さんがプラリネさんの間に合わせれっていうコマの批評を書いてて、あれを読んで、
あ、すごいめっちゃ面白いこの人の文章と思って。
ありがとうございます。
そっからすごい気になりだしたんですよね、東則人さん。
ありがとうございます。確かにその時にリプをいただいたんですよね。
そうです、そうです。
質問をいただいて、それでちょっとお答えしたことがありました。
いや、あれめっちゃ良かったですよね。
ありがとうございます。
で、なんかその、氏名の漢字がすごい綺麗で、
うんうん。
それ規定にして考えたんですか?みたいなのをリプで質問したら、
あれ最後に思いついたんですよって言ってて、あ、そんな書き方してんのやと思って、びっくりして。
結構ね、あれ、あの、しるくさんにその、何か批評してくれないかって言われて、そこから、
えー、まあ、何批評すればいいかって聞いて、じゃあちょっとプラリネさんのいくつか、
あのなんか提示していただいて、そっから確か選択したんですよ。
はいはいはい。
なんか、いけそうだなと思って、
あの、依頼いただいた日の夜中に書き始めて、
はい。
あの深夜帯、たぶんしるくさんが寝てる時間帯に書きあげて、
えー。
本当にポンって送ったんですよね。
すごい。
で、その間の、その間に何があったかっていうと、
はい。
あの、まあ、かなり見切り発車で、
はい。
書き始めてるので、
まあ本当に、
えー。
何でしょう。あの、結構、最初こう、確かちょっと記憶はないんですけど、
構成は、
はい。
順番とは結構違ったんですよね。
えー。
で、最後の方で、
はい。
その間に合わせるってタイトルと絡め、
関連させるっていうのを思いついて、
ちょっと構成を変えたので、
実は、個人的には構成がちょっと甘いんですよね。
あの4つに段落に分かれてるんですけど、
はい。
4コマに絡めて、私は毎回原音通信で引き寄せさせていただくときは、
あの、段落4つに分かれてるんですよ。
はいはいはいはい。あー、なるほど。
で、最後のだけ、
はい。
2つトピックが入ってるんですよね。
無理やり詰めちゃったんですよ。
あはははは。
あ、なるほどね。
そう。
そうそう。
へー。
あの、ないないとタイトルについてみたいな、そういう書き方になってるはずなんですけど、
それでちょっとね、あの、結構本当に、
私自身も間に合わせてる、本当になんか、
あはははは。
間に合っちゃってるんですよね。
あはははは。
で、結構その後5時とか見つけて、
はいはいはい。
あの、会社に出勤してる間の通勤時のディスコを見返して、
マジで落ちたんですから、
あの、原稿確認しましたっていう連絡も来てないのに、
あ、ここの修正、ちょっと、
へへへ。
あはははは。
まさにバタバタな、あの、記事でした。
あの、すごいね、本当に間に合わせた感じでした。
はい。
へー、いろいろ間に合わせてるんですね、この。
そうなんです。
いや、確かに最後二段落なってるわ。
そうなんですよ。
2つトピックがあって、
あの、本当に最後の最後に付け足して、
それに合わせて、
はいはいはい。
前のほうの段落の構成とかも変えてるので、
ちょっとなんか、
私の中ではもうちょっとつぶられたかもしれないなとは思うんですけど、
はいはいはい。
できる限りのところで、
うん、作り上げたみたいな感じになってますね。
えー、なるほど。
じゃあこれ、その、
前、しおくさんって言っとったさんと喋った時に、
ひょって、
どういう書き方するんやろうねみたいな話をしてて、
なんかその、
あ、解決しました。
あ、ありがとうございます。
なんか普段思ってることがあって、
それを論理立ててとか、
装飾をして読ませる形にしてるのか、
なんかそれとも、
なんか独自性のあることないかなって探してて、
あ、これやったらいけるんじゃないかって、
その、無理矢理探しにって書くのかとか、
どっちなんだろうって考えてたんですけど、
今回で言うとじゃあ、
お題を提示されてるんで、
本当にその、書きにいったって感じなんですね。
そうですね。
なんかその場で構成した感じだと思います。
すごい。
うーん。
まああの、そもそもなんですけど、
原音通信で批評を書かせていただいたこと、
3回くらいあるんですね。
あ、逆に3回くらいなんですね。
なんかもっと書きまくってるイメージでしたけど。
あ、そうなんですそうです。
自分から依頼、
あの、こちらからなんかやらせてくれというより、
マイケル・しろくさんに依頼いただいてやってるので、
あの、
あ、しろくさんに言われたらやらせていただきますっていう感じで、
あの、書きにいってる感じです。
あの、自分のところではあんまりなんでしょうね、
ノートとかは書くことあるんですけど、
でも、批評っぽい批評は、
少なくとも最近はあんまりやってなくて、
なんかしろくさんにご依頼いただいて、
ありがたくやらせていただいてという感じです。
え、でもあの憲法のやつとか、
まあ批評っぽいっちゃっぽいですよね。
で、批評ではないのかなぁ。
あれ、ジャンルが見えないですか?
ちょっとね、難しいんですよね。
説明っぽさもあるけど。
批評性がどこに帯びるかみたいな話、
この前上がってた気がするんですけど、
それって本当に難しくて、
どっからどこまで批評っていうのか、
言語的になんか批評性を帯びるというか、
批評っぽければ批評って言っていいのか、
それとも、なんでしょうね、
他の身体的な行動とかも含めて批評って言えるのかどうかとか、
考え始めると自分でもよく分かんなくなってくるんですけど、
憲法のやつは自分では批評のつもりではあんまり書いてないです。
何でしょう。
なんかとりあえず思いついたものを書いたみたいな感じ。
あれは、あの多分、
憲法学者とかに見られたらバチクソに怒られると思うんですけど。
まあそれはちょっと分かんないですけどね、確かに。
ちょっとね、ちょっとかなり解釈学よりというか、
私は哲学とか思想とかそういうの面白くて、
ちょっと勉強してたりとかしてるので、
そういうのと付き合わせて憲法について考えてみたときに、
果たしてなんか今までの通説みたいなものが浸透しているように思えるけれども、
私ちょっと一応辞任仏教徒なんですね。
辞任?
辞任仏教徒。
あれ辞任以外で決められることあるんですか?
いやわかんない。
多分宗派とかによっては、キリスト教だったら洗礼の儀式みたいなのがあると思うので。
確かに認められないとのパターンはある。
仏教でいわゆる受戒っていう何でしょう?戒を受けるみたいなことをしてないので、
そういうことをしてないという意味では、
厳密な手続きとかはやってないけれどもってことですね。
そうそう、自称仏教徒みたいな、超アプリマイナー立場で、
仏教の禅ですね、禅宗、禅の勉強してたら、
いろんな人が禅の人っぽく見えてきちゃったんですよ。
あんまり良くないんですけど。
すごい適当な括りで。
そしたら名沢屋のイエスも、この人、
禅っぽいなーと思って。
書いた記事があれです。
禅の話出てきたんで、あれですけど、
糸突さんが、とうそくじんさんを紹介するときに、
あの人は、おじいちゃんと禅をしてる人ですみたいなことを言ってて、
何者?みたいな。
なんかちょっと、全くエゴサとかしないじゃないかみたいな、
甘いもん、飛躍しすぎたイメージを作られそうなので、
今のうちに訂正しておきたいんですけど、
私も多少エゴサみたいなことをすることはあります。
属性を超越はしていませんよ。
これは明確に否定をしておきます。
全然属性を超越していません。
ガッチガチに俗物でございますから。
自認俗物仏教徒でございます。
これは逆に言わないと、こいつは誰だって思われちゃうんで。
笑いましてよ。
確かにそっか。
自分は当俗人さんだと全く知らんから、
全然、本当に世間興味ないですみたいな人の可能性もあるなと思ってたんで、
違和感なかったんですけど、
もしそれを自分が言われてるかもってなると、笑っちゃいますよね。
伊藤さんには実際そういうお話はしてたので、
何回かお目にかかったこともあるし、
その会で言及させたように、
週に一回くらい、
禅の集会というか座禅ですね。
座禅をしに行ってるんですよ。
先週行けなかったんですけど、体調悪くて。
週に一回、日曜日朝7時から、
近所のお寺で座禅会が開かれてて、
そこに参加することがあるんですね。
座禅ってね、何がいいかって言われると、
何がいいのか自分のよく分かんないんですよ。
なんでやりに行ってんのかとか、
本当に分かんない。
でもやりに行ってる。
きっかけは何なんですか?
きっかけはですね、
そこで去年の11月かな、
祖父の参加行きを取り行ったんですよ。
その時に祖父がそこの座禅会に参加してたことがあるっていう、
話をね、伺いまして。
もともと禅には興味があったし、参加してみるかと。
もともとあったんです。
もともとと言ってもそんなに長くなくて、
去年の6月、7月くらい間なんですけど、
仏教を勉強し始めたのは。
そういう折にあって、
ちょっと興味が出てきたところに、
知識だけじゃあかんと、
実践してみなきゃあかんと思ってやったんですけど、
まあ座ってる間ね、
実践しても煩悩を払えるわけでは全くないです。
早く終わんねえかなと思いながらやってる時もある。
多分20分くらいなんですけど、
時計持ってってないから分かんないんですけど、
多分20分くらいでパーンって鳴らされるんですね。
これを心待ちにしてるんですよ、ずっと座ってる間。
早くなんねえかな、早くなって。
なんか超長くねえかなみたいなこと、
あと外の音聞こえたりとか。
全然煩悩って取り払えないんですよ。
だからもう本当に全然、
俗史を超越してるとか、
埋没してると思いますよ。
でもそれ、経験してみないと分かるとして、
1回行ったら十分だと思うんですけど、
それをもう習慣にしてるってことですよね。
そうですね、本当は毎週来るんですけど、
可能な限りという意味でも一応習慣化しております。
これはですね、何でしょう。
意識をするというか、
もう意識を超えないといかんなという思いがありまして、
その前週というか、
総統州の解説の道元という方の、
あれなんですけども、
何で座禅をするかっていう問いを彼は、
昔立てたと言うんですね。
その当時、鎌倉の時代とかは、
もう人間生まれてまま仏であるみたいな、
そういう説が流行してたらしいんですよ。
じゃあなぜ我々はわざわざ修行する必要があるのか、
という問いを持ったらしいんですね。
確かに言われてみれば、
それは論理的には正しいような気がするんですけど。
物理しなくてもいいのに、なぜするのか。
実際当時、腐敗をしてたって言われてるわけですよ。
当時の仏教のあれはね。
あんまり修行しない僧侶とかもいて、
じゃあなんで仏であるのに修行しなきゃいけないのかっていうのを、
陶芸が考えた時に至った答えの一つが、
仏であればこそ修行しなければならないっていう考え方なんですね。
修行と悟り、その明かし立ては一つのものである。
だから修行がそのまま悟りであると。
仏であるということを示すという意味で、
悟り続けるというか、その明かし立てをし続ける。
その座禅とか日々の修行という行為と悟りというものは切り離せないから、
その修行し続ける行為というか、その実践そのものが悟りであるみたいな、
そういう考え方を提示したんです。
それに即して考えれば、
一回こっきりとか、あるいは時々刻々と移り変わっていく、
矢のように過ぎ去っていく時間の一点だけに、
悟りの支点みたいなのを設けることはできない。
って考えると、無意のない範囲でもね、
日々もう本当に立ち振る舞いの一つとして、
座禅を組み込んでおくほうが良かろうと思って、
思ってたがそんなに、これ完全に後付けですけどね、
こんな深いことを考えてないですけど。
後付けなんや。
そういうことを言えるのではないかと今思いました。
正直まさに全問答に聞こえましたけど。
そうですよね。
自分でもどれだけ理解してるかっていうのは、
非常にあやふやで申し訳ないんですけども、
全然全然。
考えて動くとかいうより、動きながら考えるというか、
行為と思考も多分分離できないところもあると思うので。
思考合一みたいなことですね。
そうそうそうですね。
まさにそういう考え方に基づくと、
やっぱり行為と思考を切り離さない。
やっぱりね、その実践としての座禅は、
無殻の土地に至るのが一番良いんでしょうけど、
早く終わんねえかなって思いながらでも、
それも一つの主要だと思ってやっております。
全然つまんないわけでもないのでね。
ご住職からお話があったりとか、
そういう交流会も含めての座禅会なので、
勉強させに行っておりますという感じでございます。
ひわかしじゃなくて、ガチで目指しているというか、
本当に宗派の教えを全うしようと思っているってことですよね。
そうですね。
それをなるべく全範囲に広げたいみたいな考え方なので、
さっきの憲法の記事の話にも結びつくんですけど、
そこでも実践みたいなことに最終的に結びつけてるんですけど、
考えて理論を構築するだけとか、
あるいは本当に何も考えずに動くとか、
そういう両極端なふうに考えるんじゃなくて、
四五五一のもとで日々動いていきましょうと。
そうであればこそ、権利の上に眠る権利が発生すると。
権利の上に眠る権利、
権利の上に眠るっていう行為は、
あんまりそういう社会契約的な観念上、
あんまり良くないこととしてこらえられがちなんですけど、
与えられている、持っている権利をただ眠って使ってないっていう意味で
とらえられがちなんですけど、
その権利が与えられているとすれば、
その上に眠る権利もあるだろうと。
ただそれをただ貪っているのか、
あるいはそれを理解した上で眠るのか、
ということが重要だと思ってますね。
そういう意味で、眠ることも実践であると。
そういうふうに考えております。
むずい。むずいっすね。
なんか本当にありますよ。
だいぶ脳筋なんですよね。
こういう理論出してるけど、
普段あんまり物を考えてないので。
いや、そんなことないでしょ。さすがに。
仏教的には、
分別をつけるのが迷いのもととされてますからね。
そうか、むしろ考えないほうが。
無我の境地を目指してるんですけど、
なかなかそうもいかないっていう。
確かにだって、
人間である限り煩悩がね。
考えたいことがやる人ですもんね、いろいろ。
そうそうそう。
すごいジレンマにさいながら。
確かにだって憲法のやつも、
憲法っていうのが、
今動いてるシステムとしての憲法と、
過去の人たちが、
熱望してきた憲法の2種類がある。
考え散らかしてる人じゃないと、
思いつかない発想ですもんね。
いや、そうなんですよ。
あれね、思いついた時は、
自分でも思ったんですけど、
よくよく考えてみればたぶんね、
だいぶ意味の病というか、
読み込みすぎなんですよね。
そんなこと考えてる人たぶんいないから。
いないっすね、たぶん。
でも、なんか面白かったですけどね。
ありがとうございます。
なるほどね、みたいな。
そういう読み方できるのか、みたいな。
そうそうそうなんですよ。
前途は逆な気がしますけど。
そうなんですよ。
前途は全く逆です。
全く逆です。
憲法の記事で一番強調したのは、
信託っていう概念だったんですね。
そのまま読み下して、
信じ託すことって、
読んでもいいと思うんですけども。
信託って言葉は憲法に2回出てくるんですね。
憲法の全文に、
国政、国の政治、政治が回す、
つまり政治をする他権力は、
国民の厳粛な信託によるものであるって書いてあるんですね。
国民が支持しないと、
今の権力構造は崩れるみたいなことを示唆しているんですけども、
同時に憲法97条に、
多年にわたる人類の努力の成果によって、
国民に信託されたものとして、
基本的人権というものが取り上げられてるんです。
つまり、我々が持っている人権も、
国家の権力も、
共に相互に信託されてるものなんですね。
どっちかが最初からあって、
兄弟であるというふうに考えるよりは、
両方が同時に憲法とともに生まれたって考えるほうが、
私は妥当だと思ってるんです。
よくある憲法の通説として、
権力を制限するための装置だというのがあるんですけども、
そういうよりは、
その信託っていう原理によって、
我々の権利も国家の権力も相互に発生して、
3権分立ほど組み上がった理論ではないですけども、
もうちょっと細かいレベルにおいて、
相互に分立して均衡してるんじゃないかというふうに思うんですね。
それなかなかない視点ですよね。
イメージ的には、理論としては、
社会契約説的な国民が信託してます。
実質は、そうは言っても結局国の方が強いやんけ、
そういうイメージはありましたけど、
憲法に書いてるやんて、
学者が言ったら嫌やどうこうっていうのは分かんないですけど、
この話を読んだら、確かにそう読めるかもみたいな書き方してましたよね。
我々の権利までも信託されてるって考えると、
ずいぶん自分の権利とか義務とかに対する考え方が変わるなって思うんですよ。
最初から与えられた自然権みたいなものだと、
考えすぎるとそれを抱える方面に行っちゃう気がするんですよね。
既得権益を守るみたいな。
そうです。
それがちょっと怖い。
個人的に怖いかなと思ってて。
こういうふうに考えるのではなくて、
いつ失えるとも分からないものというのは、
それはもちろん国家権力もそうですけども、
自分の権利でさえもそうだと思って過ごしていた方がいいのではないかなと思って、
あれを書きました。
これって普段から憲法を読み込んでないと出てこない気がするんですけど。
そうですね。
憲法を勉強し始めたのも、そんなに前のことじゃないんですよね。
私すごい飽き性で、読むものをしらほら変えてるんですよ。
最近ちょっと憲法熱くなってきたかなくらいな感じですね。
最近熱いですね。
キリスト教扱った時期の最後っぱいみたいな感じで出たのが、
さっき言及していただいたキリスト教のウンタラの記事です。
今はそこからずいぶん思考が離れちゃって、
憲法とかそういうことを考えるようになってますね。
本当に飽き性なんですよね。
そうですね。
そういう固いのばっかり書いてるのかと思いきや、
現代4コマとかも作ったりしてますもんね。
今はどうかわかんないですけど。
そうなんです。
あんまり最近作れてなくて、本当に書いてるだけの人になっちゃってるんですけど。
でも、あれ読みましたよ。
ここは共和国。
ありがとうございます。
正直全く意味わかんなかったですけど。
エッセイが載ってる回ですか?
4コマに文字がブワーって書いてるやつ見ました。
北極星がどうのこうのみたいなの書いてた気がするな。
第何回だっけかな。
割と多分最近のやつだった気がします。
最近ですね。
4コマ誌っていうジャンルなんですかね。
あれはね、ここは共和国さんが今の形態になったときに。
昔は期間だったらしいですね。
季節に1回出てたらしいんですけど。
今は月間誌になってるんですけど。
月間誌となったときに、2020年くらいかな。
その中に確立したジャンルっぽくて。
現代4コマより実はちょっと歴史が長いんですよ。
現代4コマのほうは4コマ誌ってものが発達を見せていたときに
とある人が既にこれものがあったって教えてくれて。
これはすごいぞと同時にやばいぞっていう。
思いが出てきたんです。
もともとあったんだ。何か言われたりとかしないかなと思って。
糸突さんとお話したんですよ。
糸突さんと連絡してみてくださいよって言われて。
連絡したらフォーマットポンってもらっちゃって。
やってみっかなみたいなノリで始めたんですよね。
今は事情があってここは急かになっちゃってるんですけど。
僕が読んだのが2026年2月号。
だから割と最近のやつ。
たぶんそれが今最後なんですよ。
そうなんや。最新刊なんや。
なんか読んでて4コマ誌を。
いがらしみきおさんのやつが先に出てきて。
コマの中に詩を書くのね。なるほどねと思って。
次とうそくじんさんのやつ見たら何これみたいな。
そうなんですよ。
糸突さんにも言われちゃってるんですけど。
だから私のがちょっと多分異質ではあると思います。
だいぶ異彩を放ってますよね。
文字を入れるだけじゃない洗礼は私の前にもあるんですけど。
だいぶその辺はこう言っちゃうんですけど。
書き回してしまったので。
本当にいろいろやらかしました。
やりたい放題してますよね。
もうやりたい放題してます。
その読んでいただいた回は4コマ横向きに使ってますからね。
そうそう。
これ窓に見えるんじゃねと思って横向きにして使ってるんですよ。
やりたい放題やらせていただいて。
マジでやりたい放題ですよねこれ。
その回は。
極星が退場した空にってやつですね。
恥ずかしいなこれ。
あったけえな。
これあれですね。
解説しちゃうと一つ目が夜明けですね。
日が昇り始めたわけですね。
これね多分解説入れないとあれなんですけど。
全てに方角が入ってるんですよ全ての。
最初北っていうのが入ってて。
確かに確かに。
ここ北の空を表してるわけですよ。
次に篠の上に染まるどん調。
これ東の空です。
どんどん太陽が天を西に沈んでいく様子をこれ描いてるんですよ。
で南の空で一部に来て西部をさらば。
日がおいたタイミングでまた空が暗くなってきてるみたいな様子を表してるんですねこれ。
これ全部でもう一塊なんですね。
そうなんですそうなんです。
一つ一つに四駒子を一つ一つの作品として作ってる人もいらっしゃるんですけど。
私は結構こうやって連結させちゃって。
なるほどね。
一つの物語風に仕立てることが多いです。
これでもそのここは共和国普通の刺繍として思って呼んだ人はドギも抜かれますよね。
急にこれ出てきたら。
いやそうなんですよ。
断せてないかなっていうような不安があります。
良くも悪くも私に言及されることってあんまりないので皆さんがどう思ってらっしゃるのか全然わかんないんですよ。
確かに言及の仕様も難しいですよね。
何これと思えなかったですもん。
私含め四駒子に対する感想っていうものがネットに上がってること全然なくて。
皆さんがどう思ってらっしゃるか全くわかんないんですけど。
私はもうなんかありがたなく好きだってやつ。
もう2024年の12月号から26年2月号までから26、27回くらい連続に載せていただいてたんですけど。
もうまあその間やっぱりスランプとかもありましたけど。
まあひねりで知って何とか続けて。
だからたまに打卓が入ってますね。
振り返るとこれダメだったなみたいなのがたまに混じってます。
その時は全力で考えてるんですけどね。
本当に何も思いつかなくてひねり出したんだなみたいなのが後から見るとわかるやつがあります。
これ苦戦してるなっていうのが。
まあでもそれも後で振り返ったら歴史になって面白いですよね。
この時ちょっと無理したなとか。
結構ね月一でこれ提出って難しいんですよ。
月一は確かにね期限して待ってたら結構きついところがありますよね。
なかなか作家さんってすごいなと思って。
本当にね。
きれいに縛られるのってこんな感じなんだなって。
見開きのこれだけでもこんなに大変なので連載持ってる人とかどうなんだろうって。
やばいですよね。
いやすごい本当にすごいと思いますよ。
そりゃクオリティにムラつきもあるわなって感じですよね。
自分でねマイナーにもライターみたいな立ち位置に立って初めてその作家さん方のクオリティってものがわかりましたね。
はいはいはい確かにやってみないとわからないですよね。