1. 今日も帰れない気がする
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#001|あの頃の編集プロダクション
2026-05-05 31:44

#001|あの頃の編集プロダクション

「今日も帰れない気がする」——2000年代前半、渋谷区の編集プロダクション「マガジントップ」で共に働いた4人が、当時の記憶を掘り起こすポッドキャスト、始まります。

ワープロと感熱紙と煙草の煙、入社初日にいきなり電話番号一覧を渡されて「テレアポ会社かと思った」、同じ宿に午前と午後で別の雑誌の編集者として電話をかけた話、送別会で同じピンクのTシャツを着てきた2人……。

今はもうない会社の、今だから笑えるあの頃の話。

:自己紹介と、マガジントップという会社の話

:旅のガイドブックのパイオニア?

:同期おそろいピンク色のTシャツ

:出版事業開始から廃業へ

:みんな社長面接でいろいろあった

:え?給料アップしたの?

:我々はワープロでムックを作っていた

:同じ宿に掲載依頼の電話

:編集ライターなのにテレアポの仕事?

:編集スキルの基礎を学んだ会社

:お尻から納豆が糸引いてる!

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サマリー

このポッドキャストは、2000年代前半に編集プロダクション「マガジントップ」で共に働いた4人が、当時の仕事や思い出を語るシリーズの第1回です。まず、4人の自己紹介と、編集プロダクションの役割について説明されます。マガジントップは1977年に広告制作会社として設立され、後に編集プロダクションとなりました。特に旅行ガイドブックの制作に強みを持ち、その後のガイドブックの原型を作ったとも言われています。 当時の入社事情や給与、社内の文化についても語られます。ワープロや感熱紙が使われ、喫煙が許されていた時代背景が伺えます。また、編集ライターとしての仕事だけでなく、テレアポのような業務もあったこと、そして情報収集が現在と比べて困難だったことなどが明かされます。同じ宿に異なる雑誌の編集者として電話をかけたエピソードや、同期入社で同じピンクのTシャツを着て送別会に臨んだ話など、ユーモラスな思い出も披露されます。 マガジントップは2001年に出版事業も開始し、日帰り温泉ガイドなどのムックを制作しましたが、2018年に廃業しました。4人は、厳しい環境ながらも編集者としての基礎を学んだ大切な場所であったと振り返り、その経験が現在の仕事にも活きていると語っています。番組では、今後も当時のエピソードを掘り下げていく予定です。

自己紹介と編集プロダクションの説明
スピーカー 1
どうもみなさんお疲れ様です。 お疲れ様です。
スピーカー 2
今日も帰れない気がする。この番組は、2000年代から編集者として活動してきた4人が、過去の編集の仕事や出来事を振り返りつつ、最近気になっていることなどを語っていく番組です。
ということで、今回が第1回なので、簡単に自己紹介をしていきたいと思います。 まずは自分からですね。
紙は一体の編集から入りまして、今はウェブコンテンツの編集に移っていて、ビールライターとしても活動しているトミエヒロユキです。よろしくお願いします。
スピーカー 1
出版社で植物の雑誌を作ってますオーツカです。よろしくお願いします。
小さなですね、編集プロダクション兼出版社で編集者、ライターとして活動しているノグチです。よろしくお願いします。
はい、私は出版業界にいたんですけれども、ブラックな環境に耐えきれず、今は一般企業で働いているミズシマです。
スピーカー 2
はい、我々4人はですね、2000年代前半にとある編集プロダクションで一緒に働いてまして、なかなか濃い時間を共有していた仲間なんですけれども、
たまに再会して飲むことがあったりして、その時に昔話に花が咲いたりするわけですけど、そういった話とかをね、ポッドキャストで配信してみたいと思ってお届けしております。
スピーカー 1
まずですね、我々がどんな仕事をしてきたかということについて共有できたらと思うんですが、今回のテーマは編集プロダクションということでお話ししていきたいなと思っています。
編集プロダクションというのは出版社から仕事を受けて雑誌や書籍などを制作する会社ですね。
出版社はどんな本を作るかを企画を考えて本を売る会社なんですけど、編集プロダクションは本を作る会社です。
どういうことの違いがあるかというと、出版社の人は基本本を作る上での手は動かさないで、進行管理とか本のチェックをするというのが仕事です。
編集プロダクションは具体的な本の企画とか記事を書いたりデザインをしたり、実際のページを作っていくのが編集プロダクションです。
スピーカー 2
そうなんですよね。一般的に編集者というと出版社にいるようなイメージを持たれているかなと思うんですけど、結構編集プロダクションで仕事をしている編集者って多いだろうなと思っていて、
実際に本当に手を動かしているのは編集プロダクションだったりすることが多いんですよね。
そんな編集プロダクションで我々4人は同時期に仕事をしていたという感じなんですけど、
今回はその時にどんな仕事をしていたのかということを話していきたいと思っています。
我々が所属していた編集プロダクションというのが渋谷区にあったマガジントップという会社なんですけど、
この会社がどんな会社かということをちょっと説明していきたいなと思います。
スピーカー 1
まずマガジントップの歴史を簡単に紹介したいと思います。
マガジントップが設立したのは1977年。一応広告制作会社として開業しています。
とはいえ当初から本の制作はやっています。
特に強いジャンルが旅のガイドブックですね。
これは聞いた話なんですけど、リュエルというタイトルのガイドブックを作っておりまして、
マガジントップの歴史と入社事情
スピーカー 1
それはマップルとかルルブといったガイドブックの原型になった本だと社長がおっしゃっていました。
本当かどうかはよく分かりません。
スピーカー 2
でもこれちょっとね、自分も聞いたことがあって、何度も何度も聞かされてて、
今ガイドブックって、例えば特定の地域とか都市とかそういったところを紹介するときに、
泊まるとか食べるとか遊ぶとか、そういうのでカテゴライズされて紹介してるって感じなんだけど、
それをなんか初めにやったのが俺だみたいな、というふうに社長が言ってて、
というのが何度も何度も聞かされたっていうのはありますね。
だから多分そうなんだろうなと思うんだけど、調べようがないんだけどね。
スピーカー 1
そうですね。
その後ですね、1993年に編集プロダクションになってますね。
なってますというよりは、そのときにマガジントップという、社名もこのときに会社がマガジントップになりました。
その背景にはですね、広告制作部門と編集プロダクション部門が分裂したというような話を聞いてます。
その後、4人が入社したのは2000年前後です。
1年ずつずれていて、入社順はミズシマ、オーツカ・トミエ、ここは同期ですね。
その後ノグチが入社するという順番です。
スピーカー 2
これオーツカ君とトミエが同日に入社してるんだけど、これちょっとうろ覚えなんだけど、
俺とオーツカ君って同じ日に辞めてない?
スピーカー 1
同じお別れ会を、2人のお別れ会をやってるよね。
スピーカー 2
そのときに覚えてるのが、オーツカ君とお別れ会の前に2人で買い物に行って、服を買おうと。
スピーカー 1
覚えてる。覚えてる。覚えてる。
スピーカー 2
で、お別れ会、送別会で2人が急にちょっと暑いねみたいな感じで上着を脱いだら、2人とも同じ服を着ているっていう。
そういうことをやろうみたいな話をしてて。
服を買いに行ったときに派手なタンクトップにしようかみたいな話をオーツカ君はしてたんだけど、
ちょっとさすがにひよって、いや俺はそれは嫌だって言って、やめた覚えがあるんだけど。
スピーカー 1
え、でもピンク色のTシャツだったよね。
スピーカー 2
あ、そうだっけ。これ全然覚えてなくて。
確か。
そういう企画をしたなとは覚えてるんだけど。
スピーカー 1
ピンク色のTシャツに、胸にアプリケをつけたのよ。
俺はタケシのTをつけて、編み物コーナーでTのワッペンを買ってきて、自分で縫った記憶がある。
スピーカー 2
じゃあ俺もそれやったのかな。
スピーカー 1
多分やったと思うよ。俺、ちゃんと事前に口裏合わせるっていうか、相談してやったと思うよ。
スピーカー 2
やったよね。
そういう感じで、トミエ・オーツカはずっと入社も一緒だし、辞める時期もほぼ一緒だしっていう感じで仲良くやってたんだけど、
その前後にミズシマさんとノグチくんがいて、楽しくやってたなっていう印象ですね。
スピーカー 1
今わかったんですけど、水嶋さんと野口はたぶん被ってないと思うんですよね。
たぶん2001年10月くらいで、その前にミズシマさん辞めてるので、ミズシマさんはフリーのライターとしてデイリーして、そこでたぶん一緒にお仕事したりとかはしてると思うんですよね。
その後ですね、マガジントップの歴史の続きなんですけど、2001年に出版事業もスタートしてます。
これちょっとあれなんですけど、編集プロダクションってさっき紹介したんですけど、出版事業もやってるんで両方の仕事をやってますね、マガジントップ。
ちなみに最初に作ったのが、確か日帰り温泉全1000軒というですね、ひたすら日帰り温泉を紹介し続けていくっていう、
しかもそれを地図にプロットっていうんですけど落としていくっていう、死ぬような作業をみんなでやったっていう記憶が非常に残ってますね。
スピーカー 2
やったね、思い出してきたわ。
スピーカー 1
その後ですね、事務所は何年かおきに渋谷区の中で点々としていきます。
神宮前、神南、明治通り、新線という形で移転していって、最後2018年にマガジントップ廃業となってますね。
だから今はなくなっている会社です。こんな歴史でした。
スピーカー 2
そうですね、この歴史を今聞いてて、すごいどんどんいろいろ思い出してきたんですけど、そういうエピソードなんかをね、今後話していければと思ったりしています。
入社時の面接と給与事情
スピーカー 2
それぞれがどんな仕事をしているのかというのは、おいおい次回以降の回でも話していきたいと思ってるんですけど、
最初はね、その入社した時の話とか入社前の話とか、そういったところのエピソードについてちょっと話していきたいなと思ったりしてるんですけど、
ノグチくんどうですかね、その入社のところ。
スピーカー 1
ちょっとね、その入社する前にバックパッカーをやっていたりしたんですね、大学時代に。
卒業して就職そろそろしないといけないなと思って、いくつか出版社とか受けて、この時期就職氷河期でなかなか厳しい時期で途中で嫌になってしまって、
なぜか映画を撮り始めたんですよね。
それを半年くらいやっていて、ちょっとそろそろやっぱり本格的に就職活動しないといけないなと思ってた時に、
Beingという当時だった就職雑誌があって、そこにガニトップが載っていました。
その中にガイドブックを作っているというのが入っていて、そこで履歴書と作文ですね、自分についてのPRだったと思うんですけど、それを送りました。
面接、当日行ったらいきなり社長面接ですよね。
そこで、「お前、出版社とヘンプロの違いわかるか?」と言われて、「わかりません。」と僕は答えましたね。
さっき偉そうに説明したんですけど、普通だったら落とされると思うんですけど、なぜか採用されて、いまだに編集の道でやっているという感じなんですけど。
皆さんどうだったんですか、当時の。
そもそもトミエ君も社長面接だったの?
スピーカー 2
たぶんその1回で終わりだったと思う。
スピーカー 1
じゃあみんなそうなんだ。
たぶんね。
スピーカー 2
俺もノグチ君と同じで、Beingじゃないんだけど、
アルバイトニュース。
あれで載ってたので応募したんだよね、確か。
これで応募したら作文化化されて、社長面接やって入ったっていう感じなんだけど、
その時に給料いくら欲しいとかって言われて、
なんて答えたらいいかわからないけど、とりあえず20万ぐらいは欲しいかなと思いますって言ったら、
20万は高いな、15万ぐらいから始めろみたいなこと言われて、
だったら聞く必要ないんじゃないのって思ったんで、
そんな感じで入社しましたね。
当時の給料が15万だったかどうかは正確には覚えてないんだけど、
まあ安めだったなという感じですね。
スピーカー 1
僕の記録では最初の年の手取りは16万2703円ですね。
スピーカー 2
記録してた。
スピーカー 1
なんかそんなもんだったよね。
チャットGPTの評価では当時の製作会社としては、
高くはないけど低くもない、標準的なとこなんじゃないかっていう評価はしてました。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
ちなみにその後1年で1万円ずつぐらい上がってきてますね、給料がね。
スピーカー 2
給料アップした?
スピーカー 1
最初の給料がってことだよね。
スピーカー 2
最初の給料から自分が処分していた間に給料上がった覚えがないんだけど。
スピーカー 1
たぶん入るときの給料が1万円ずつ上がったって意味じゃない?
その人は上がんないんじゃない?
16万で入った人は16万のままじゃない。
スピーカー 2
じゃあ後から入ってきた人のほうが単純に給料高かった。
スピーカー 1
逆転現象が起こってる可能性があるよ。
僕は毎年1万円ずつ上がってるんですよね。
スピーカー 2
え、そうなの?
スピーカー 1
2001年から2003年、2004年で1万円ずつ上がってて、
最後は19万2500円。
スピーカー 2
よく記録してるな、そんな。
スピーカー 1
20万円だったら額面だと20万円ぐらいになってるんですけど、
ただしここにボーナスは含まれてないんですよね。
スピーカー 2
ボーナスなんてなかったでしょ。
スピーカー 1
ボーナスなかったけど、
ただね、ある年だけ寸死っていうのが出て、
その時は10万円ぐらいもらったような記憶があった。
それは1回ぐらいでしかなかったかもしれないですね。
なんか知りたくなかったかも。
スピーカー 2
あれだよね、この4人の中でもノグチくんは比較的ずっと長く勤めてたじゃない?
トミエ・オーツカは2年ぐらいで辞めてんのよ。
一番多分2年ぐらい。
スピーカー 1
1年半ぐらいかな。
スピーカー 2
ノグチくんもっとやってるでしょ?
スピーカー 1
4年半ぐらいやってますね。
この時期はわかんないですけど、
みんな個人の評価というよりは全体が同じように上がっていると思いますよ。
業績が良かったんだ。
スピーカー 2
良かったのかな。
スピーカー 1
インテリアの本とかはすごく売れてたりとか、
稼ぎ頭の本はありましたね、受けてる仕事で。
だけど出版事業もやってたんで、
そんなに財政的には潤ってたかというと難しい。
まともな会社になろうとしてたのかもしれないね、ノグチくんの頃は。
意外とこの3人が知らない世界をノグチくんだけ見てるようなところがあるよね。
私の時なんて煙草を吸ってたし、みんなフロアの中で。
女性が必ず電話に出るっていうね、そういう文化だったから。
ノグチくんときは、たぶん私がフリーでいたときはそんなことはなかったから、
だんだんまともにはなってたんじゃないかなって気がする。
スピーカー 2
時代に吠えて合わせてたのか。
ワープロと情報収集の時代
スピーカー 1
入ったばっかりのときはまず喫煙でしたね。
みなさん煙草を吸ってモクモクだったんですけど、
途中で禁煙になりました、2年目ぐらいに。
電話は最初から普通に出ましたね、男女関係なく。
めちゃくちゃ電話いっぱいになるからね、大変だったよ。
スピーカー 2
そうだよね。
変わってった話の流れでちょっと自分の話したいんだけど、
自分が辞めた後どう変わったのかっていうのを知りたいなっていう意味でお話しすると、
自分が入社したときに結構衝撃だったのが、
ワープの渡されたんだよね。
普通というかその時代でも、
家には普通にパソコンがあった時代だし、
インターネットもやっていた時代なんだけど、
それなのに会社で渡されるのが、
ワープロ。
ワープロってもう若い人絶対分からないと思うんだよね、今の20代とか。
スピーカー 2
ワープロってなんだ、なんて言ったらいいんだろう、あれ。
文字を打つのに特化した機械みたいな。
スピーカー 1
プロピーで保存みたいな。
ノートパソコンがちょっとゴテゴテした感じですよね。
スピーカー 2
そうだよね。
それで企画書とか原稿とか作って、できたら間列紙でプリントして、
この間列紙、社内で見る分にはまだいいんだけど、
出版社とかに出すときは間列紙はまずいから、
コピーで取ってそれを提出したりとか、
よくやってたなと今思えば。
スピーカー 1
ある意味プリンターもセットで付いてるから、
性能的には結構高機能っていうのは高機能かもしれないですよね。
スピーカー 2
文字を打つのに特化したっていう意味ではそうなのかもしれないけど、
ただその時に、編集者が使えるパソコンって1台だけだったと思うんだよね。
で、それしかなくて、
よく我々本作れてたなと思って。
スピーカー 1
しかも情報押したしね。
スピーカー 2
ネットで情報とか調べられなくて。
スピーカー 1
だからいつも同じさ、宿の情報パックに載せてたんじゃない?
スピーカー 2
そう、そうだよね。
スピーカー 1
同じとここすってわかりやすい。
スピーカー 2
我々が作ってた本、どういう本なのかっていうのをちょっと紹介しておくと、
ムックとかですよね。
ムックってどういう雑誌なのかっていうと、
雑誌と書籍、つまりマガジンとブックを組み合わせた雑誌でムックって言ってるんだけど、
定材としては雑誌っぽいけれども、雑誌コードが取れない本なので、
まあ書籍と同じような感じで書店に売られているっていうような感じの本なんですよね。
その中でもマガジントップが作ったものって、旅行とかアウトドアみたいなのが多くて、
マガジントップのトップってTOPなんですけど、
トラベルアウトドアプレイングの頭文字を取ったっていう会社名なので、
それに準じたムックとかを作っていた。
さっき出版事業で最初に作ったのが、
日刈り温泉全戦犬っていうようなムックだったっていう話なんですけど、
そういうものをたくさん作っていたと。
そういう旅行ガイドブックとかムックとかを作っているときに、
同じ宿ばっかり紹介してるっていう話ですよね。
本当確かに同じような宿ばっかりだったと思ってる。
スピーカー 1
覚えちゃったもんね。
スピーカー 2
あ、これなんか具体的に今言っちゃまずいなと思うんで今ちょっと手前で止めたんだけど。
今でも覚えてる宿とかあるね。
スピーカー 1
俺一回2冊同時進行で進めていて、
午前中に宿に電話するでしょ?
で、午後別の雑誌の編集者として同じ宿に電話したことあるよ。
一回で終わらせればいいのにね。
そうだけどそれはルール違反だから。
別のオーツカな感じ。
別の雑誌のオーツカですね。
スピーカー 2
やっぱり編集プロダクションだからだよね。
編集プロダクションって異なる出版社の仕事を受けたりするから、
こういうふうに違う雑誌、違う雑誌とかで同じことをやるっていうことが。
スピーカー 1
でも俺その時に午前の雑誌よりも午後の雑誌の方が人気の高い雑誌で、
午後に電話した時の方が受け答えがとっても良かったよ。
嫌だ。
全然違った、本当に。
部数も全然違う、知名度も全然違う雑誌だったからっていうのもあるんだけど、
受け答えは違ったよ。
人って怖いなと思った。
じゃあ同じオーツカだとはバレなかったね。
多分向こうは気づいてなかったかも。
スピーカー 2
そうなんだよね。
編集ライターの仕事と当時の業務
スピーカー 2
さっきの日刈り温泉全選権とかでも、
日刈り温泉施設にひたすら電話しまくったっていうようなことあったけど。
スピーカー 1
私が入社初日にすごいびっくりしたのが、
編集ライターっていう業種で入ったのに、
入ったらいきなりホテルとか観光協会の電話番号一覧渡されて、
上から全部電話をかけろって言われて、
テレアポの会社なんじゃないかっていうぐらいね、
こんな仕事だったっけと思って、すごいびっくりしましたよ。
そうだよな。
一日中さ、
想像もつかなかったよね。
そう、昼間電話する、そして夜に原稿を書くみたいなんじゃなかった?
スピーカー 2
うん、それはあった、確かに。
ね。
スピーカー 1
で、入る前は基本的に取材をして原稿を書くものと思ったけれども、
なんかね、ファックスの文字を見ながら原稿を書いてることの方が多かったよな。
いろんなとこ行けるのかと思った。
スピーカー 2
あんま行かなかったね。
スピーカー 1
全然行ってないよね。
なんか紙書きのね、写真を送ってもらって。
スピーカー 2
そうだよね。
今だったらメールでやり取りして、写真とかもデータで送ってもらったり。
あ、そうか、そうか。
やっぱりその当時は電話で依頼して、受けてくれるっていうんだったら、
ファックスで取材依頼書を送って、
インフォで写真を送ってもらってっていうようなことをずっと繰り返してたなっていう感じだよね。
スピーカー 1
うん。
まあね、昔だよね、そう考えると。
20年、20年経過ってるからだいぶ世の中が変わっちゃってるよね。
ね、時間も手間もね、全然違うよね。
なんかすごい夜遅くまで原稿書いたりしてたから、もう夜中の作業がほんと多かったよね。
スピーカー 2
まあだいたいね、18時とかからがスタートみたいな。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
スピーカー 2
で、電話とかもやっぱり向こうが、相手がちゃんと受け答えできるような時間じゃなきゃいけなかったし。
スピーカー 1
ね。
そうだよね。
うんうん。
まあ、そうね。
なんか今思うと随分、随分なんか昔の時代に仕事をしてたなって感じちゃうよね。
スピーカー 2
うん。
編集者としての基礎と会社への思い
スピーカー 1
観熱誌って今ないじゃない?
スピーカー 2
まあ見ないよね。
スピーカー 1
見ないよね、まあワープロも見ないんだけど、
まあ喫煙、社内で喫煙できる会社も見ないでしょ?
当時はなんかそれが当たり前としてずっと働いてたけど、
なんか今考えると随分なんか昔の会社で働いてたなって思っちゃうね。
スピーカー 2
まあ我々はそんな感じで、4人大変ながらも楽しく働いてたわけですけど、
今で言ったらブラック企業みたいな会社だったなと思って、
本当そう。
それもなんかね、全面的に肯定するわけではないんだけど、
でもまあ自分にとっては編集の基礎を学んだ、
結構編集者人生としてはやっぱり大事な場所だったなと思ってますね。
皆さんどうですか?
スピーカー 1
そうですね、マガジントップは半分学校で半分社会を学ぶ場みたいな、
僕は最初の会社だったので、そういう場所でしたね。
本当にここで仕事の基礎が養われたなという気はするんですけど、
ただね、やっぱり辞めたときはちょっと燃え尽きた、燃え尽き諸行軍じゃないですけど、
編集の仕方もういいかなって思っちゃったのも正直なところありましたね。
逆にそのときフリーでやってたイラストレーターさんとかインテリアコーディネーターとか、
そっちのほうがすごい眩しく見えちゃって、
そういうフリーのほうがいいかなと思って、
ちょっと別の道に行こうかなと思ったんですけど、
結構辞めた後また最終的には編集の道に戻ってきて、
今もずっとやっている感じですね。
タイミングとしては今AIとかも出てきて、
編集とか台座の仕事が今後どうなるのかなっていうタイミングなので、
僕はこういうタイミングでまた原点に戻って、
いろいろ話せたのがすごいいい機会だったなと思います。
そうですね、編集の仕事短い期間だったけど、
いろんなジャンルのことをいちから調べて、
それを情報としてまとめてみんなに分かるように見せるっていうのは、
結構なかなか一般企業では身につかない能力なので、
一般企業に行っても、
例えばプレゼンとかセミナーの資料とか報告書とか、
そういうことできる人あんまりいないので、
編集で培った力っていうのは、
どこでも情報されるかなというふうに思って、
あの時頑張ってよかったなというふうに思ってます。
スピーカー 2
結構ね、例えばスケジュール管理とか、
意外と編集者って普通にやったりするけど、
結構特殊能力みたいに思われるときはあるんだよね、これがね。
スピーカー 1
特殊能力って言われる今の会社でも。
スピーカー 2
編集者じゃなくてもちゃんとできる人はいるとは思うんだけど、
編集者ってそのあたりの管理スキルって、
結構意外とできるんじゃないかなっていう感じは。
なので、この会社、マガジントップ、もうなくなっちゃってますけど、
ここでこの4人、この4人だけじゃなくて、
何百人も排出したっていう会社なんで、
結構マガジントップって、
もう廃棄をしちゃってるけど意義はあった会社だったんじゃないかなというふうに思っています。
オーツカ君なんかあります?
スピーカー 1
僕はみんなそれぞれ卒業していって、
チリジリになっていろんな仕事になってるけど、
僕はその後出版社に勤めているんだけど、
出版社であることは事実なんだけど、
僕が勤めてる出版社って、
極めてヘンプロに近い仕事で、近い出版社で、
僕だけ同じような仕事をずっとやってるような気がしているんだけど、
その基礎になっている会社なので、
大変なことはたくさんあったけど、
それはなんというか、
基礎を築けた場所だよね、と思います。
で、覚えてますかね、
先輩からの指導とユニークなエピソード
スピーカー 1
原稿を先輩がチェックする風習ってあったじゃん。
スピーカー 2
あったあった。
スピーカー 1
その人の横に置いてあるゴミ箱に腰掛けて、
先輩が教える。
あれってなくない?他の会社では、あの風習って。
ない、そこまでチェックね。
あれはありがたかったなと思うね。
ほんとそう。
ちょっと思い出しちゃって、どうしても言わないと気が済まないんだけど、
言わせてもらいたいんだけど、
トミエ君が新入社員の人に原稿を教えてたのね。
原稿をチェックして、ここはこうした方が良いと。
ゴミ箱に腰掛けてたの。
で、そのゴミ箱、結構溜まってたのね。
スピーカー 2
で、誰かがお昼ご飯に納豆を食べたらしくって、
スピーカー 1
トミエ君が教え終わった後に立ったら、
トミエ君のお尻に納豆がついてて、
立った瞬間に、トミエ君のお尻から納豆が糸引いて落ちてたの。
スピーカー 2
全然覚えてない、これ。そんなことあった?
スピーカー 1
トミエ君のお尻から納豆出てるって、それを見て言った人がいたっていうね。
でもあの時代のあの会社って、ちょっとゆったりしたところもあったなぁなんて、
今話しながら思い出してたんです。
スピーカー 2
そうですよね。
まあそういうエピソードはまた次回以降お話しできればと思っています。
ということで、今回はそろそろ終わりなんですけれども、
今日も帰れない気がするでは、ご感想などのお便りを受け付けております。
概要欄に記載の方から感想などお寄せください。
ということで、今回は以上になります。
お疲れ様でした。
スピーカー 1
お疲れ様でした。
31:44

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