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あの徳川の大軍を二度も翻弄して、大阪の陣で家康を本陣まで追い詰めた、戦国最高の天才軍師って言えば、真田幸村ですよね。
ええ、日本一の兵ともじゃばれた、まさに戦国ヒーローの代名詞ですね。
でもあの、彼が、琉茎地の和歌山県の久戸山から、故郷のお兄さんにあてて書いた手紙って読んだことありますか?
あー、あれですね。すごく人間臭い、あの手紙。
そうなんですよ。何て書いてあったかというと、借金を何とかしてほしいとか、焼酎を送ってほしいとか。
あとすっかり歯も抜けてしまって、ヒゲも白くなったみたいに、老いを嘆くようなことも書いてありましたね。
ええ、本当に生々しいですよね。いつも知識のアップデートを楽しんでいるあなたも、この花々しいヒーロー像と、あまりに泥臭い現実のギャップに、ちょっと驚かれたんじゃないでしょうか。
そうですね。ドラマチックな物語とは違う、生身の人間の苦悩が見えてきます。
はい、ということで今回の深掘りは、私たちが親しんでいるエンタメとしての真田と、一時資料が語る泥臭いサバイバルの真田、この強烈なギャップに迫っていきます。
非常にワクワクするテーマですね。
今回は大量の歴史資料とか、書上の解読録、それから日本中を熱狂させた2つの名作ドラマ、1985年の真田太平紀と、2016年の真田丸ですね。
この2つの作品の違いを比較しながら、真田家があの過酷な戦国時代をどう生き抜いたのか、その真実の生存戦略を解き明かしていきたいと思います。
はい、2つのドラマの演出を比べることで、後世の私たちがどう歴史を消費して楽しんできたかっていう側面を見えてきますからね。
早速紐解いていきましょう。まずはですね、提供された資料にあるこの2つのドラマの作風とかキャスティングの繋がりから深掘りさせてください。
同じ真田家を描きながら全くアプローチが違って面白いですよね。
そうそう、全然違うんですよ。真田丸の方は三谷光輝さんの脚本で、何というかちょっと現代的でユーモラスなホームドラマの色合いが強かったじゃないですか。
はい、癖の強い家族が一部屋に集まって、あーだこーだカンカンガクガクの議論をして危機を乗り越えていくという。
まさにそれです。なんだか戦国時代のスタートアップ企業みたいですごく面白かったですよね。
スタートアップ企業、的確な例えですね。対照的に池上翔太郎さん原作の真田大輝の方はもっとシリアス路線を貫いています。
雷雲の中で激輪が交わされるようなあの重厚感ですね。
ええ、さらに特徴的なのが、尾江とか嗣谷松五郎といったいわゆる草の者、つまり忍者たちの暗躍をすごく詳細に描いている点なんです。
ああ、単なる武将同士の合戦だけじゃないと。
そうなんです。情報戦とか暗殺が入り乱れるスパイ小説的な重厚感を持たせているのが真田大輝の大きな魅力なんですよね。
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なんかプロフェッショナルな情報機関の働きを見ているようで、あのヒリヒリする緊張感はたまらないです。
で、歴史ドラマ2の視点からどうしても外せないのが、この二作品をまたぐキャスティングの妙なんですよ。
草刈り正男さんのことですね。
はい。85年の真田大輝で、あの傑気盛んな若武者の真田幸村を演じた草刈りさんが、31年後の真田丸では、あの老快なお父さん正幸を演じているんです。
これ、長年のファンにはたまらない演出でした。
かつて丹波哲郎さんが演じられていた、あのそこ知れぬ謀略家であるお父さんの魂を、若武者だった草刈りさんが現実の31年という時間を経て受け継いだという胸熱な講じですよね。
本当に胸熱です。役者さん自身の人材と役柄がリンクしているというか。
ええ。資料によれば、草刈りさんご自身も真田丸のクランクイン当初、丹波さんがスタジオに降りてこられて、しっかりやれよと言われている気がしたと語っていたそうですよ。
へえ。ご本人もプレッシャーとリスペクトを感じてらっしゃるんですね。あ、あともう一つ憎い演出があって。
何でしょうか。
真田大輝でゆきむらに激しく嫉妬して対立したライバル、樋口拓平を演じた榎木拓明さんがいるじゃないですか。
はいはい。いらっしゃいましたね。
彼が真田丸では武田家の獣神の穴山上哲として亀代的に登場したシーンがあったんです。草刈りさん演じる正幸が、穴山殿って声をかけるのに、榎木さん演じる上哲が冷たく無視して通り過ぎるっていう。
ああ、かつての因縁を知っている視聴者にだけ伝わる素晴らしい遊び心ですね。作り手の深いリスペクトが感じられます。
そうなんですよ。歴史ドラマの醍醐味ですよね。さて、そういう作風の違いが一番如実に現れていて、かつ真田家の運命を決定づけた最大のクライマックスに話題を進めたいと思います。
1600年下野国で起きた犬淵の別れですね。
はい。お父さんの正幸と弟の真生賀が西軍の石田三成に、お兄さんの死ぬ幸が東軍の徳川入康に就くことを決めたあの有名なシーンです。父子3人が戒の別れとなる歴史的なターニングポイントですよね。
このシーンの演出の対比は本当に見事です。真田太平家では激しい雷鳴がともらくお堂の中で、戦乱に生じて天下を狙おうとする野心に満ちた正幸と天下太平を願う死ぬ幸が激突します。
豊臣への忠義かこれからの天下のためかというイデオロギーのぶつかり合いですね。すごくドラマチックでした。
一方で真田丸の方はもちろん葛藤は描かれるんですが、最終的にはなんだか断章に近い形でドライに決断が下されるんですよね。
そうそう。東が勝っても西が勝ってもどちらかに味方している者が生き残れば真田の家は存続するっていう結論で、最初見た時はえ?そんなあっさり決めるの?って驚いたんですけど。
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無理もないですね。でも資料を読み解いていくとここで重要な疑問が浮かびます。なぜこの決断が必要だったのかということです。
と言いますと。
彼らの婚姻関係を整理すると恐ろしいほどの全方位外交が見えてくるんです。まず正幸の先出、つまり兄弟のお母さんですが、諸説あるものの歌よりただの娘という説があって、そうであれば石田三成と延伸関係になります。
西軍の中心人物とつながっているわけですね。
はい。そしてお兄さんの死ぬよきの性質は徳川る最中心である本田忠勝の娘、小松姫です。
徳川のトップクラス、徳川の住院ですね。
さらに弟の新馬群の性質は豊臣方の住賃である大谷義輔の娘なんですよ。
ちょっと待ってください。三成、徳川、豊臣、御子の住賃、見事に当時の三大勢力全てにパイプを持っているじゃないですか。
ええ、まるで激動の市場で生き残るために全ての競合プラットフォームに投資をしているようなものですね。
まさに戦略的投資ですね。
真田家のような国衆と呼ばれる小規模な領主は、上杉や北条、徳川といった巨大企業に囲まれた中小企業のような存在でした。
生き残るためには武力以上に決略を通じた外交ネットワートが命綱だったんです。
なるほど。だからこそあの犬節の別れは悲劇的な決裂というよりは、既に討ってやった綿密な布石をいざ発動させた瞬間だったって言えるわけですね。
その通りです。だから真田丸のあのドライな演出は、真田の置かれていた状況としては非常に理にかなっているんですよね。
いやー納得です。でも、そこまで冷徹に計算された関係性だったとすると、どうしても一つ疑問が湧いてくるんですよ。
何でしょうか。
あの有名な小松姫の門前払いのエピソードです。
ああ、沼田城のシーンですね。
はい。東軍に就いた小松姫がお留守番をするしている沼田城に、西軍に就いた叔父さんの正幸が孫の顔が見たいって立ち寄るじゃないですか。
ええ、ドラマチックな見せ場ですね。
そこで小松姫が甲冑姿で武装して、たとえ叔父さんであっても敵となっている以上は城には入れませんって追い返すあのシーン、あれも計算だったんですか。
実はですね、最新の研究資料をもとにすると、そのシーン自体が後世の創作である可能性が高いんです。
え、創作ですか。本当は沼田城で追い返してないんですか。
はい。新バグナの叔父さんにあたる大谷義輔が残した諸情などから、その頃諸大名の知事たちは人質として大阪に集められていたことがわかっています。
つまり小松姫も大阪の大谷屋敷で保護されていたんです。
うそ、物理的に沼田城にいなかったってことですか。完全に信じて感動してましたよ。
そうなんですよ。なぜそんなエピソードが作られたかというと、小松姫の徳川の娘としての忠義とか気高さを強調するためですね。
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ああ、なるほど。
あとは真田家が本当に東西で分裂して本気で敵対していたんだって世間にアピールするためのポーズとしての物語が必要だったんでしょうね。
幕府に対する高度なPR活動だったわけですね。いや面白いなあ。
ついでに言うと大谷吉津家に関してもドラマだとよく白いトキンで顔を覆ったハンセン病の姿で描かれますが、あれも近代以降の創作なんです。
え、そうなんですか。
当時の資料から推測されるのは柔度のシフ病や癌病であったことです。最新研究でフィクションのベールを剥がしていくとエンタメの定説とは違うリアルな姿が見えてきますよね。
創作を剥がしてもつまらなくなるどころか、むしろ当時の切実な政治的アピールが見えてきてワクワクしますね。
さて話を1600年に戻しますが。
はい、イヌブシの別れの後ですね。
西軍に就いたマサユキとシンバルは上田城に攻城して、そこへ向かってきた徳川秀忠の38000の大軍を足止めしました。第二次上田合戦ですね。
少数で大軍を翻弄した有名な戦いです。
これで秀忠をカセキガハラの決戦に遅刻させたんですよね。これぞまさに石田三成から表裏非公の者、つまり老戒でずる賢いと絶賛されたマサユキの天才的軍略だと思うんですが。
もちろんマサユキの戦術は見事でしたが、ここでも全体像を見てみましょう。近年の研究資料からは、秀忠が遅刻した決定的な要因として別の視点が提示されているんです。
え、軍略の凄さだけじゃなかったってことですか。
実際には上田城周辺で大規模な戦闘があったわけではなくて、こけり合いが中心だったようです。
へー、そうなんですね。
秀忠が遅れた最大の理由は、家康からの上田城を諦めてすぐにセキガハラへ迎えという指示の伝達が遅れたこと、それから悪天候による川の増水などで軍が物理的に進めなかったことが大きかったと指摘されています。
悪天候と情報伝達のミスですか。なんか急に清々しい現実の話になりましたね。
そうなんですよね。
でもだとしたらですよ、なんで厚生の歴史書ではあそこまで正幸の軍略ばかりが強調されてきたんでしょうか。徳川側の記録ならむしろ真田を過小評価しそうなものじゃないですか。
そこが歴史の意図的な書き換え、物語化は面白いところです。秀忠を凡庸に描いて、彼が遅れたのは正幸の凄まじい軍略のせいだったとすることで、誰が得をするか考えてみてください。
ああ、ちょっと待って、秀忠が遅れたのに勝った家康への偉大さが強調されるし、徳川の大軍が手こずるほど真田は恐ろしい敵だったっていう言い訳にもなるわけですか。
その通りです。家康の偉大さと正幸の凄さを同時に引き上げることで、秀忠個人の凡庸さを生贄にして、徳川の面目を保つストーリーラインが作られたわけです。
一体化な逆転劇の裏にそんな高度な情報操作があったとは。
史実とドラマ的解釈を照らし合わせると、本当に興味深いですよね。
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しかし現実として関ヶ原で西軍は負けてしまって、正幸と新晴は機内区、今の和歌山県にある駆土山に留在になってしまいます。
ええ、花々しい戦いから一転して、ここから14年にも及ぶ隠世生活のリアルが始まります。
リスナーの皆さんもご存知かもしれませんが、駆土山には現在も彼らが暮らした真田庵とか、大阪城に繋がっていたっていう伝説の抜け穴、真田古墳なんかがあって、聖地巡礼スポットになってますよね。
はい、歴史ファンがよく訪れる場所ですね。
なんか14年も時間があったら、抜け穴を使ってこっそり大阪の陣に向けた軍略を練ってたんじゃないかって、ロマンあふれる推測をしちゃうんですけど。
そういうロマンも楽しいんですが、冒頭でご紹介した手紙などの資料からは、全く違う厳しい現実が突きつけられます。
あの、焼酎を送ってくれってやつですよね。
ええ、彼らは留在の身でありながら、約50人の住者を養わなければなりませんでした。当然十分な収入なんてありませんから、生活は根気を極めます。
50人をゼロ収入で養うって、現代の中小企業の社長なら胃に穴が空きますよ。
新資源がお兄さんの信行や、家臣にあてた手紙には、借金の無心とか、衣服の援助を頼み込む言葉が並んでいるんです。
それはつらいですね。
しかも、武士にとって仕事がない、戦場がないというのは最大の苦痛です。歯も抜け、ひげも白くなった、と老いを嘆く新資源の姿は、伝説の軍師ではなく、極限の貧困と孤独に苦しむ一人の人間でした。
お父さんの正幸も、大阪の陣を待たずに九度山で亡くなっています。
だからこそ、大阪方から莫大な支度金を積まれた時、新資源はあの九度山を出て大阪の陣に向かわざるを得なかったんですね。
豊臣への忠義というより、経済的な限界と、最後に武士として仕事がしたいという切実な欲求だったと。
ええ。この生々しい人間ドラマがあったからこそ、大阪の陣でのあのすまじい戦いぶりが生まれたんでしょうね。
いや、本当に見方が変わりました。あなたにとって、ドラマが描く情熱的な家族の物語も間違いなく魅力的だと思いますが。
もちろん、それも歴史の一つの楽しみ方です。
でも、一時資料が語る過酷な状況で全方位に血族を配置して、借金に苦しみながらもしたたかに生き抜いたリアルな真田家の姿も、また違った面白さがありますよね。
全く同感です。
では最後に、あなたに一つの試行実験を投げかけて終わりにしたいと思います。
弟の新資源は夏の陣で花々しく散って伝説のヒーローになりました。
はい、日本一の兵ですね。
しかし、独川の漢詩と縦圧に耐え続け、93歳まで生き抜き、13万世紀の末代版として真田の六門船を幕末まで存続させたのは、あの冷静なお兄さん、信之です。
エンターテイメントとしては、翼村が主人公になりがちですが。
果たして真田家の本当の勝者は誰だったのでしょうか。あなたはどう思いますか。
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それではまた次回の深掘りでお会いしましょう。