1. Cra出しRADIO 工芸とカルチャー
  2. S2 ep16 工芸とポップ ポスト..
2023-03-14 56:35

S2 ep16 工芸とポップ ポスト・ウォーホル時代におけるポップとは?

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引き続きアンディ・ウォーホルの話題を引き継いで「ポップ」というキーワードを軸にあっちこっちにとっ散らかった話題を展開しています。工芸がテーマのポッドキャストでなぜしつこくこの話題を取り上げるのか?
アンディ・ウォーホル編は今週まで。来週からは再びゲストをお招きしてお送りします。


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【今回の話題の関連リンク】

アンディ・ウォーホル・キョウト

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パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

00:01
クラ出しRADIOは、使わなくなった大切なものを、様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ、コンクラのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
コンクラのしほです。
ゆわたです。
うみです。
ちょっと今、すっごいくしゃみしたいの我慢してるんですけど。
してくださいよ。
なんかでも、そう言ったら消えた。
イケシマンとか言ったらどうしよう。
プレッシャーで消えるものなんですね。
もう分かんないけど。
はい、すみません。
いえいえ、そんなわけで。ウォーホル回続いておりますけども。
なんかまとまったのか、まとまってないのか、ちょっとよく分からないですけど。
東方カトリックとゲイの内包する事故矛盾に始まり、
ウォーホルというのは京都からのラブコールなのかもしれない、
京都とウォーホルの関係であったりとか、前回いろいろと、
東方カトリックのイコンとアイコンとして扱われるウォーホルについて。
あれですよね。後ろに京都って付けちゃってもOKなところと、
AIで合成しちゃってもOKっていうところが、アンディウォーホル。
いやー、めっちゃ分かるな。それ言われた瞬間に分かった。
OKなのかな。なんかそのAIアンディはOKなのかどうかっていうのは。
OKなのかどうかっていうのが、かなりなんかやっぱり微妙だとは思うんですよ。
一人の亡くなった人の個人的な書かれてた日記を映像作品にするっていう時の手法として。
別にでも、2話しか見てないし、その作品についてどうこうっていうのはあんまり言えないんですけど、
なんかあるとは思うんですよね。
とはいえ、ちゃんとアンディウォーホルに向き合って作ってる、
制作者側の考えみたいなことは、なんか無邪気にそんなことはやらないような気はするんですよね。
なんか核心版的な、核心版集がしますし。
AIで歌わせるとかで言うと、たぶんBPMも決まってるし尺も上がってるけど、
03:04
どんぐらい喋るスピードとか、
例えば僕をAIで再生するとしたらどんだけ止まらせるのかとか、
なんかどういう感じなんでしょうね。
なんか作り方としては声優が喋ってる素材に、
ウォーホルの声質みたいなものを組み合わせてみたいな作り方をしてるっぽいので、
あんまりAIで合成しましたって感じの聞こえ方ではないんですけど。
例えばまだご存知ですけど、森本レオさんとかが亡くなった時に、
森本レオ風のナレーションって言ったら絶対イメージできるトーンがありますよね。
スピードもトーンも。ウォーホルはないなと思って、
どういう感じなんだろうっていうのは、やっぱりナレーターの方がおられるってことですね。
そうみたいですよ。
おもろうでも。
あんまりちゃんと知らないですけど。
前回の終わりの話を引き継ぐと、僕ちょっとポップアートっていうものが気になってて、
あまりよく知らないからなんですけど、ウォーホルにてこういうことをやった人ですよねっていう、
僕が思ってた話っていうのは前回言った通りなんですけど、
それってイコールポップアートっていうジャンルそのものがやったことなのかなっていう風な認識があって、
つまり20世紀以降のいろんなものが大量生産が可能になった社会をどう切り取るかみたいなところのアートの潮流みたいなイメージがあるんですけど、そんな感じ。
だからイコンとアイコンの話とかで引き継ぐと、コカ・コーラって言ったら例えばアメリカとか世界のどの人でもどのことを言ってるのかっていうのが分かる時代の話ってことでしょうね。
多分その共通言語がないと逆にポップアートって発生するのかせんのかっていう、そんな話のようにも思いますけどね。
つまりほぼ20世紀の中盤ぐらいの段階でグローバル化が完了してたから生まれたみたいな。
だから大量生産、大量消費が前提にあるような話のような気がしますけど、僕もいい加減なことを言えんなと思いながらポップアートって今ググってみました。
06:08
そもそもそのポップアートって言葉はその当時にもすでにあったのかっていうのがありますよね。
後から付けられたのか、それともポップアートだっていう風にアーティストがちゃんと言って、
バイオアートって何ですかって言っても自分でバイオアートって言ったことで後付けで説明していくみたいな感じになるみたいな。
あとビデオアートの場合はビデオアートですとは言ってなかったけど後からビデオアートって言われたとか。
そういう種類あるし、ポップミュージックはあったわけですよね。ジャンルとしては。
何が僕気になってるかっていうとポップなんですよ。ポップって何?みたいなことなんですけど。
来ましたね。ほぼコンクラにおける格論と言ってもいいワードですね。ポップ。
そうなんですか?
僕にとっては結構そうですね。
そうなんだ。
だってコンクラって自分のストーリー、ざっくり言うと深掘りする話。
物と自分だけとの関係性を深掘る話なんで、基本的には誰とも共有できない話だと思ってるんですよね。
それを周りのナコーダーとか作り手がどう解釈して作る、一緒に輪に入っていくかっていうところで言うと、
一人しかわからないものってポップの真逆だと思うんですよね。
ちなみにポップってポピュラーの短くしたやつって言う?
だと思いますけど、確かそうだったと思う。
大衆的みたいなことですよね。
そうですね。
そうですね。ごくごく個人的ですよね。コンクラで扱う。
そもそもだとしたらポピュラーミュージックってどういうことなんだろうって今聞いてて疑問が。
ポピュラーミュージック、そうなんですよ。
言葉通りのポピュラーっていうことで言ったら、
ポピュラーっていう英語のニュアンスが僕はわかんないですけど、
クラダシラジオ的には、柳宗義のナムアミダブツっていう本の話をしたときに、
09:05
鎌倉仏教のポップカルチャー性みたいなところに柳宗義が惹かれたんじゃないかみたいな話をして、
適当な仮説でしたんですよね。
そこで僕が言わんとしてたのは、一言で言うと大衆性みたいなことなんですけど、
でも大衆性っていうことで例えば日本だったらお祭りに関連するような民謡とかっていうものがあるじゃないですか。
でもそれポピュラー音楽って言わないですよね。あんまり。
言うのかな。
コウブシがポピュラーミュージックかどうかってことですか。
今ちょっと気になったからポップを調べたら、やっぱりポピュラーの略で、
1960年代にアメリカ、イギリスを中心に支持された全員的な美術様式。
それは?
コンフリクトしてる。
それは?ポップアート?
ポピュラー、ポップって調べたら、
ファッションではコントラストのはっきりした配色や合成繊維などを用いた現代的なスタイルを指し、
軽い気取らないごちゃ混ぜ感覚などを意味する。
近年様々なサブカルチャーを背景に常識に縛られていない日本のストリートファッションが最もポップと評価されている。
これが朝日新聞社2007年。
え、むずいな。それってあれですよね。
なんかポップな曲調とかポップな柄とかそういう使い方のポップ。
意味合いで使われてて。
そうなんだよね。
でもこれ全員的な美術様式とか言ってるけど、
ポピュラーってさっき言ってたその大衆的なって言ってるから、あれ?とか思って、
ん?この説明変じゃない?と思って。
現世と大衆性がごちゃっとなってるような?
軽い気取らないごちゃ混ぜ感覚の。
あと他にも調べると、
時代に合っていて洒落てる様、大衆向きであるっていうのがポップ。
だとしたら、語源としてはポピュラーを縮めたっていうことだったとしても、
やっぱりアンディ・オーホールとかがビジュアルとして打ち出した原色っぽい感じとか、
ベタっとした塗りの感じとかが、そのままポップっていう言葉の使われ方に
なんか、沿用されてる感じもしなくもないですよね。
12:02
そうですね。
だから、あるメディアを仮定として、それがどのくらいの範囲とか広さとかで共有されてるかっていうことよりはっていう、
内容についての話なのかなっていう感じなんですね。
実際さ、でもオーホルの使ってた色って、
リファレンスがあったのかな。これがポピュラーな感じだぞみたいなのってあったのかな。
例えばファッションだと1960年、マリー・クワントっていう人がイギリスだったかなにいて、
その時ミニスカートとか流行って、ツイギーとかが流行って、
メイクを結構すごい、アイラインとかすごいビシーンって描くみたいな。
その時に流行ったのが合成繊維ってさっき言ってた通り、プラスチックっぽい素材。
フューチャリスティックな感覚っていうので流行ったんですよ。
マリー・クワントがすごく有名でした。やっぱり色のビビッドさとか、素材のフューチャリスティックさとかだったから、
その時代が一緒だって言うんだったら、どっちがどっちなんだろうみたいな思ったりもして、今聞いてて思ったし。
あと、リキテンシュタインがだいたい同世代でしたって言うんであれば、
リキテンシュタインの色って実はくすんでいる色使ってないかなと思ってて、
ポップに見えても原色っぽく見えても、実は混ざってないですかみたいな。
黄色がちょっと山吹き色っぽい、それとも私が見た作品が古いから色あせちゃって見えてるのかもしれない。
一見ポップそうな色だけど、そうかと思ってて、どっちかってレトロフューチャーっぽい感じがイメージするんですよ、色彩的には。
どっちかって言うとモンドリアンみたいな感じに近い。
それを同じ横に並べちゃって大体いいのかしらとか思い始めて、話してるうちに。
ポップアートの話なのか、ポップの話かでちょっとまた変わりそうな気はするんですけど、
ポップって言うとちょっと形容詞っぽい話もあるんで、ポップアートはある特定の時代の芸術運動を指すかなと思っているので、
15:00
例えば今めちゃめちゃ多いと思うんですけど、アニメチックな画風の絵とかって、
芸大とか美大の卒典行ったら1作品とか2作品は絶対ある傾向ですけど、それは多分ポップアートともはや言わないと思うんですよ。
時代が100週くらいしてるんですよ、それも。
なんでやっぱポップアートってある期間を指すような気はするんですよね。
それで言うと、調べたらちょっと分からない。
僕はどうせ美大の人とかも、現代美術師概論とか授業寝てるんで、何か本とか読んだほうがいいと思うんですけど、
最近読んだ山本博紀さんという人の現代美術師とかの新書を読んでたんですけど、すごくわかりやすく、俯瞰的に現代美術が書かれてるんですけど、
そこにはエドワールド・パオロッツィというイタリア系のイギリス人の人がポップアート運動の先駆けという風に書いてあるんですね。
どんな作品なんだ?
新聞の切り抜きとかコラージュとかなんですよね。
1個言えるのは、ショウさんが言ってた、すでにその時にポップアートっていう言葉があったかどうかっていうのは、
さておき、広く人に物を知らしめる印刷技術をリミックスしてるっていう、やっぱり大量生産、大量消費的なところの非表性っていうところが、
おそらくそうなんじゃないかなっていうような感じですね。
それ言うとさ、ドゥシャンなんかさ、じゃあどうなんだろうってやっぱなんか疑問になってきて、
トイレとかまさに大量生産、大量消費のアイテムにサインして、
レディメイドって概念作って、レディメイドだからそのものじゃないですか、大量生産。
でもなんかポップかーって言われると、ん?って思うんですね。
特定の期間を指す芸術運動っていうのは、
ディシャンが多分ポップアートの系列ではないんだろうっていうところが多分その理由だと思うんですけど、
パオロッツィーの場合は彼だけじゃなくて周辺にいたシュルレアリストとかそういう人たちも含めてポップアートって呼ばれてるので、
なんかムーブメントってやっぱ一人と言うよりはそれに続く誰々とか誰々とかそういう括りで多分指すんじゃないかなというところなんじゃなかろうかと。
で岩田さんの、生アミダブツってすごい、要はむちゃむちゃ普及した単語だと思うんですよね。
18:10
民芸界の。
あれはポップアートかポップかの話はさっきお聞き、そういう意味で言うとすごいポピュラーだなと思うんですよね。
どう考えても。
今だんだん聞いててなんとなくわかってきた気がしたんだけど、
結局その引用と反復って言われてるじゃないですか。
そういうポップアートとかのドゥシャンも引用と反復だし、アンディウォーホンも引用してるし反復をするっていう。
なんかそこは共通なんだけど、そのなんか生アミダブツも引用と反復ですよね。
そこの辺がなんかこう、そこの違い。でも引用と反復してるけど、例えばアンディウォーホンさんと森村さんの名前。
森村康政ですよね。
そうですそうです。その方と何がアイコニックな何かをやってるには、作家自身がそれを演じるっていうところで何が違うんだとか。
あとシンディシャーマンっていう人がいるんですけど、アメリカの女性で。
彼女も自分をある映画のありそうなシーンに自分をメイクとかに特殊メイクとかして演じたりとか。
あと柳見和さんだったかな。
こういう職業の女性いるかもみたいなのに紛争して写真を自分でコラージュする。
これ全部引用と反復共通してるんですけど。
ポップ、普通にポップって言ったらやっぱりアンディウォーホルが一番なんかこう、何ていうのかな。
なんか違うよなってやっぱ思っちゃうっていうのは何だったんだろうっていうところが、なんかそのポップアートの謎を作ってる気がして。
確かに今聞いて思ったのは、鳥取の美術館でパオロッチの新聞の切り抜きの作品を5億円で買いましたって言ったら、そうなんですかって話で終わりそうな気もするんですよ。
言ったらニュースにすらならないと思うんですよ。
ウォーホルだからニュースになるような気もしてるっていうか。
そもそも3億円使ったってことだけで問題になったんじゃなかったのそれは。
21:05
いろんな理由があると思うんですけど、こういうのって地方の美術館が何億円か出して絵を買うと今に始まったことじゃなくて。
ちなみに今のお話は鳥取でウォーホルの。
キャンベル館かな。
違う、ブリオとかなんかその箱、洗剤の箱だっけ。
あ、そうだ。
なんかこう四角い箱、ただの四角い箱にその洗剤のっぽい絵を描いて積み上げたってやつですよね。
鳥取美術館でそれを約3億円で、県のお金で買ったというのが、県民からなんで5箱も買ったみたいな。
だから5箱じゃないと意味ない。1箱でも作品にならないからですよ。
でもこれやっぱ面白い現象だなと思って。
おかしくないかちょっと。
めちゃめちゃ面白いですよ。
つっかみたいわ。
じゃあ何億、1個何千万円とかで売れたら怒らないのかとか。
これだって草場の賭けでウォーホルざまみろって絶対思ってるですよね。
洗剤の箱じゃなくて別の殴り書きみたいな絵が3億だったらそういう風にならんかったかもしれないじゃないですか。
数百円も出せば買えるような洗剤の箱に批判する人は、こんな大量生産品の複製に3億なんかっていう気持ちもあったんじゃないかなって気もするんですけどね。
あの人ストリートでスプレーでこうな。
グラフィティーみたいな名前出てこないな。
バンクシーですか?
バンクシー。
例えばバンクシーのどっかのロンドンの道端で描いた絵をそのまま壁を切り取って、3億円ですかって言ったらみんな怒るのかどうかっていうのに近い話。
まあそうですね。しかもバンクシーが描いたって誰も保証がないのにこれはバンクシーであろうという風に何か危機として語るただの落書きに対して歓喜する某自治体の知事とかもいますからね。
なんかおもろい現象だなと思いますよねそういうのは確かに。
でもそれをさなんかやっぱりよくわかっててバンクシーあのオークションの時にこうさ買った瞬間にさシュレッダーになる絵出してたじゃん。
24:06
絵がこうボタンを押したら額縁の下からその絵がもう切り刻まれてシューって出てみんなうわーっとなっとって。
そのシュレッダーのなんかクズみたいなのがさらにその時の落札額より上回ってるっていう今のことを考えるとまたざまあみろな話ですよねこれ。
バンクシーにとって。であのあれですよね岩手さんすいませんポップとは何ぞやと。
だからなんかね正直ねブリオの箱がその5箱なのか1箱なのか3億なのかそのバンクシーのあのシュレッダーでかけた奴が何億なのかっていう話は個人的にはあんまりなんか興味がないというかあの心踊られる話では全然ないんですけど。
あの今ねそのポップワードっていうキーワードにこうフォーカスしちゃうとちょっとそのどうしてもあの1960年代とかっていう時代性に固定されちゃってる気がするのであのムーブメントなのでその後別の名前に変わったり別のも動く流れに派生したりしているのであんまりそこ深掘りするのはちょっと難しいのかなと思うんですけど
その例えば今使っている使い方で言うとポップカルチャーっていう言い方をするとあのいろんなもの内包するじゃないですか音楽映画アニメーションまあなんだろうなえっとスポーツでも漫画でもなんかいろんなものがポップカルチャーっていう言い方ができてで僕らその工芸っていうテーマであのポッドキャストをやってるんですけど工芸がポップキャルチャーって呼ばれる感じはしないんですよね
おもろい視点またいただきましたありがとうございます
いやいやいやでそのやっぱポップこういうふうに僕らみたいにその diy でポッドキャストを始める人って今多分すぐめちゃくちゃ多いと思うんですよ
あのでそのでそれの多分多くのものがじゃあそこで取り扱ってるテーマってまあいろんなパターンがあると思うんですけどあのポップカルチャーの話ししたくてポッドキャスト始めてるパターンで多分すごい多いと思うんですよね
あのこの間見た映画の話とかあの新しく出た音楽の話とかっていうことをなんかワイワイしゃべるみたいな
まあそういうものを自分も聞いたりもしますけど
あのでそこで何か共通し共通してるとこが何かっていうとそのあのショーさんがあの言った引用と反復っていうことを
27:02
引用と反復でしたっけ
引用と反復
っていうことをそのメディアによってそのかなりその広範囲にできているもの
つまりその音声データにしろあの動画のデータにしろもうあの見ようと思ったらすぐに見れるし映画館でかかっているものはじゃあ見に行こうって見に行けるし
あのそういうその言ったら大量にあのまあただに近いあのお金でルフしててみんながキャッチできてそれをまあ同じ話題で話せるみたいなものが何か今ポップカルチャーっていう風に言われているものだなーっていうところでいくと
まあ僕らポッドキャストの題材としてはなんかあのニッチなとこやってんだって話なんですけど
あの音楽のイメージがあるんですよなんかポップカルチャーのなんか今ポップカルチャーで何思いつくって言われるとなんかポップミュージックって結局何なんだろうって私分かってないけど
でもなんかこうまだあるじゃないですかポップミュージックっていうの60年代で終わってないっていうか
終わってないですねうん
とりあえずすごい長く続いているのって音楽かなってふと思ってて
ただ面白いのがその音楽って切り張りもなんかそのできるメディア切り張りしやすい
何て言うんだっけと編集したりとかあとはなんだろう
ヒップホップみたいにだいたいヒップホップってポップも似てるようで似てないのか知らないんですけど
まあどっちにしてもやっぱり引用と反復すごいするじゃないですか
引用と反復ですよね
DJカルチャーとかも
サンプリングとか
でその中でやっぱりなんかこう際立つ個性っていうのを打ち出さないといけないですよね
その音楽ってしかもビジュアルでもないか音とかの細かいところでなんか
それはなんか工芸にもしもポップさが近いのあるとしたら
なんかそことか思ってちょっとうまく説明できてないんですけど
そのこうどうやって出す
同じ手法しかないのにこうどうやって出していくんだみたいなところが
今のポップミュージックとかがいろいろたくさん悪いっぱい作品ある中での個性を出していくところ
30:02
それはねなんかでも面白いと思うんですけど
職人かアーティストかみたいな話でやると
特に職人の人なんかは
そのマインドからいってですね個性を出そうとしてるかもしれないですけど
基本的には用途があるものを作ってるから
主役はその使われている道具なり何なりの現場が主役というか
あんまり工芸とかってある種実用ということを前提に考えた時に
あんまり作り手が前に出ないものというか
そういうのはありますよね
工芸で作り手が前に出てるのと出てないのって2つ種類あるなと思ってるけど
民芸が誰かわかんないけどみたいになってるじゃないですか
むしろそっちが実はポップなんじゃないかって
だからそれが柳宗吉の言い方を変える
柳宗吉が作り出した民芸という概念と
その人が書いた生網打物っていう本で生網打物について
特に一辺の思想について言ってることって
イコールで結ばれているので
だから無名で大衆に留守して
誰でも引用と反復ができるもの
イコール生網打物でありイコール民芸であるという風な式になってるんですよね多分
それだとさっきの話戻しちゃうと
AIでアンディ・ウォーホルがめちゃくちゃ引用反復され尽くしたのが
アーティフェッシャルインテリジェンスっていう反復じゃないっぽさを出してくるわけですよね
インテリジェンス持ってるから自立しているみたいな
それがアンディ・ウォーホルだからOKっていう風に言われてしまうのは
そのポップがそうさせているからなのか
例えばですけど他になんかAI系の
あれなんだっけ
ボヘミアン・ラプソディとかが例えば
亡くなったフレディ・マーキュリーさんを
真似して演じてるじゃないですか
本人じゃないしちょっとそんなにあんまり似てないなって思ったけど
33:02
そんなに歯出てない
そこまでじゃなくて
でもまあそれでも一応みんな批判
どれだけ批判されたかわからないけど
でもそこじゃなかったじゃないですか
似てる似てないが重要だったわけではないみたいな
そこを見てないですよね
だからアンディ・ウォーホルに
なんでそのAIじゃなくて
別になんか普通にアンディ・ウォーホルっぽい
喋り方をする人間がやっても良かったのに
わざわざインテリジェンス
アーティフェチュアルのインテリジェンスってやる理由
AI会社がアンディだったらOKだからやろうって
言ってるような気がしてならない
初音ミクじゃないけど
反復と再生産をしまくっていい
フォーマットっていう認知が
ウォーホルの場合成り立っているんじゃないかっていう
それ結構危険だなと思ってて
なんでかって言うとこのAIをOKとしてしまうとね
なんだったら我々ポッドキャストやらなくていいんだよ
岩田さんみたいに喋るAIと
海君みたいにどもるAIと
私みたいにすぐ名前忘れたらくしゃみ出ますとか
なんかいつもダラダラ喋るみたいな
喋らせていいわけじゃないですか
3人でAIで
ちなみにドモリの伊藤阿佐さんでしたっけ
ちょっとその岩田さんの問いで読み進めると
反復は新しさの拒絶ぐらいのことを書いてありましたね
古いことをひたすら繰り返すのがドモリであり
リズムであるっていうことを書いてありましたね
おもろと思いましたね
その視点はなかったなと思って
反復と再生産とドモリの話ですけどね
AIの脅威とか言って
脅威は人間の仕事を取るとか言っちゃったけど
そっちはよりもそれはあんまり問題ないというか
絶対その人間がこうやってる方が面白いっていうのは
その人が面白さだからこそであって
だけどセキュリティとかで音声とかで
今取ってるんですよね
このユーザーが使ってるなとか
それAIやられちゃうと
もう音声でのセキュリティとかはできなくなっちゃうし
36:00
あと言ってないのに言ったとか
ディープフェイクが今映像ですごい問題になってるじゃないですか
まさにAI
アンディ・ウォーフのディープフェイクですよね
だからそっちの方が怖いなと思って
ギリギリの線やなと思うのは
まさにディープフェイク的にもう受け取れるんですよね
アンディ・ウォーフォール・ダイアリーズっていう作品を
ああいうそのAI生成の音声で出すっていうこと自体は
ただこれも最後まで見ずに
どこまで言えるのかって話ではあるんですけど
とにかく誰にとっても実体が見えない存在であったアンディ・ウォーフォールが
実は残してた日記を
彼の肉性から生成した言葉で語らせることで
彼の実体がだんだん見えてくるっていうものではあるんですよ
だからその実体がないから
素材としてフリー素材でもどんどん使っていいみたいな
扱いだったアンディ・ウォーフォールにちゃんと人間性を取り戻すみたいな
作品とも取れる気がするんですよね
でもそのやり方としてAIの合成音声を使うっていうことは
かなりセンシティブな気はする
上等手段なんですよ
だいたい新しい技術が発達して
さっきのAIとかで勝手に亡くなった人のことをやっていいのかとか
リスペクトあるのかって前のエピソードで話しましたけど
そういう倫理問題を軽やかに社会に受け止めさせるのは
文化を通すっていう上等手段があるんですよ
だからテクノロジーっていつもポピュラーカルチャーとかを使うし
慣れさせるんですよ
見慣れさせて
これこそ本当に反復です
反復で見慣れさせて
この技術は最初怖いと思ってたけど
こんなに自分の身の回りに当たり前にある
そして別にアートに使われてていいじゃないかっていう風に思われて
受け入れられていくっていうのを結構使うんですよ
技術とか新しい技術を語る研究者とかアーティストとか
技術の開発しているところとかは
それはテクニックとして使っていると私は個人的な意見ですけど
思ってるんですけど
だから危険だなと思って
39:01
逆に誰でも使うようになったり
コモディティ化した瞬間に
テクノロジーはインフラって名前に変わるじゃないですか
基本的には
ニューノーマルって呼んでるんですよ
私たちそれを
テクノロジーがノーマルになるっていう
もともとテクノロジーって言葉ってことは
当たり前に使われるっていうことが前提に入っていますよね
使われなかったら淘汰されて消えていっちゃうから
やっぱり残るためにその技術が技術って
みんなに認識される
テクノロジーって言葉に入るには
たくさん使ってもらえるっていう条件がやっぱり必要になっちゃうんですよね
一人だけが使ってたら
テクノロジーって呼ばないじゃないですか
そういうことは工芸かもしれないし
他の工芸ってその工の方
工学みたいなのと工の工芸のその工っていうのに近くて
でも技術ってその技ってなるっていうことは
みんながこう使える状態になってますと
それにやっぱり行くのに
ニューノーマルに行くには最初は
なんか新しいね
新しいニューテクノロジーだねってなって
それがもう使われてて
例えば携帯なんてそうじゃないですか
最初出た時はニューテクノロジーだねって騒がれて
でも今は当たり前ですよね
インターネットもそうだし
インターネット出た時はニューテクノロジーだった
今インターネットのことニューテクノロジーっていう人いないと思うんですよ
インフラになっちゃったから
だからインフラになるとテクノロジーというふうに呼ばれなくなっていったりするし
そこには絶対ニューノーマルにならないといけない
新しいノーマルにならないとインフラにならないから
だからAIは今それに向かってるんじゃないかなって思います
ちょっと前になんかその
ウォーホルの話というか
ニソラヒバリの再現がありました
あれすごい不評だった記憶が
そうそうそれを思い出して
あれはまだ技術的な進歩なんかが
すごい反発があったなと思ったんですよ
あれ私安心したなんか
逆に下手くそだからこその
なんかアーティスティック性を感じる
なんて言いたいんだ
あれが完璧にすごい本物すぎて見分けつきませんって言ったら
アート性はなんか感じない
そういう意味で言うと
全然違うんですけど
こないだちょっと所要で
多摩美術大学っていうところの
42:02
学内の卒業政策展に行って
今ちょうど思い出したんですけど
なんか版画家っていう家があるんですよね
多摩美は
版画だけやってる家ですよ
多分そんな世界で見て
版画やってる人はないですけど
版画家としてはないですよ多分
聞いたことないですからね
僕そこに岩田さんと行きたいと思ったんですよ
結構もう版画ってつまり印刷技術のことなんですけど
もはや
印刷技術のミックス大会なんですよ
シルクスクリーンプラスリトグラフプラス
インクジェットプリントとかも
むちゃくちゃなんですよね
もはや
そこに網店とかの発想も僕もないもんですから
何とも言えないんですよね
もはやAIが描いた絵のようにも
ミッドチャーリーが描いた絵のようにも見えるし
もはやそこに何の作品性があるのかな
みたいなところも含めて面白かったので
岩田さんと
インクジェットもオフセットも
印刷技術で言ったらみんなが使える
反復と繰り返しと同じだな
再生産の技術を
そこをミックスしてオリジナリティを浸され出しているかという
競争なのでざっくり言っちゃうと
それと今のウォーホルの話は
僕の中で急に頭につながってきて面白いなと思いましたね
そこにミッドチャーリーが登場したことで
余計面白くなっているというのもあるんですけど
そういえば
ちょうどたまびの卒業制作展の公開公表という
イベントのゲストで呼ばれている
だから一個一個作品を見た学生の説明も受けて
公表してたんですけど
一個ミッドチャーリーに使った作品があって
過去の
ミッドチャーリーについて軽く説明をお願いします
ミッドチャーリーというのは
まさにAIで
イラストを生成するんですね
それはキーワードを入れるんですよ
例えば
アンディ・ウォーホルみたいな絵とかやると
45:02
何でもアンディ・ウォーホルみたいな風に描いてくれたりとか
アンディ・ウォーホルみたいなバナナの
何とか入れるとパパーって作ってくれるんですよね
なんで絵心がなくても
キーワードの思いつきが絶妙にできる人は
オリジナリティ溢れる
AIの絵が描けますみたいな
最近動画の方もミッドチャーリーじゃないけど
動画バージョンとかもそういうのも出てきていて
それが今問題になっているのが
誰が描いたかわかんないぞってなっちゃってて
やっぱりコピーライトとかもわかんないし
そういう今これをどう受け入れていけばいいかっていうので
困っている人たちもいるわけですよね
例えば今コロナでオンラインで
やってた京都の美大なんかは
もうAI使用禁止って書くかどうかって悩んでます
キャラクターとかの学校コースとかだったら
さらにその辺はちょっとすごくセンシティブだと思うんですよね
自分のオリジナルで考えたキャラクターがどうかわからないみたいになっちゃうと
ただじゃあAIを使っちゃいけないっていうのもなんでだろうってなるので
そこが難しいなっていうのが
ミッドチャーリーが突きつけた問題なんですよ
学生がやっぱり現代の今の話題だったり問題点を
彼はミッドチャーリー使って
今までかつてずっとたまびで
制作されてきた卒業作品のタイトルを
ミッドジャーニーのAIに入れて
書かせたイラストをひたすら発表してたわけですよ
今年だから多分彼はOKだったんですけど
来年とか再来年だったら多分
みんなが同じ手法をしたら誰もが同じ作品になっちゃうんで
どうなんだろうねっていうことをちょっと思ったんですけど
今はだからその登場期やからそこに批判性みたいなものが
評価というか見方としてはあり得るけど
それが一般化してしまえば別に何の批判性もなくなるってことですよね
特にやっぱり卒業制作って
その人のそれまでやってきたことの集大成なので
48:01
一作品としてやることは全然問題ないけど
それで卒業できるかどうかっていう判断は
今後もちょっとなかなか議論が必要になるなーなんて思って
ちょっと切りどころわかんないですけど
ポップと工芸の話
話がどんどん戻り
でも確かに難しいな
あれなんですよ
僕のアンディ・オブ・ホールのことを考えて
ポップアートって何ポップってなんだっけみたいなところの流れから
ぼんやり考えたことと
なんだかんだこう
3人でポッドキャストをなかなか根気よく続けてると思うんですけど
いろんな人に聞いてもらいたいなと思いつつ
めちゃくちゃアテンション集めてリスナーを増やそうみたいなことは
全然そういう考え方はしてないにしろ
でも自己的にこの番組に出会ってしまうみたいな人が
もうちょっと行ったら面白いよなって思った時に
やっぱりそれのめっちゃ悪い言い方すると
だしに使うものとしては
やっぱりそのポップカルチャー的なもの
つまりいろんな人がリーチしやすくて話題にしやすいものを
テーマに喋ってた方が
工芸のことずっと喋ってるよりも多分リーチする人が多いみたいな
だから我々の
ごめんなさい
一番我々がポップに接近したのはたぶん犬王界ですよね
犬王界に最接近
別にそれをすごい意識してやろうとも思わないし
でも今アンディ・ウォーホルの話をしてたりするのも
その一つではあったりもするっていう目じれがあるんですけど
ウォーホルいじり倒しやすい問題ですよね
なんか提供したよね
やっぱりアンディ・ウォーホルって我々にネタを
そういう意味では
我々って私たちだけでなくて
現代のみんなに
アンディ・ウォーホル以降の世界が
そういう意味では結構偉大な仕事をしたなって言ってもいいかなって
思ってるっていう
いじれる問題を多数残したということですね
51:01
そんな感じでいじり倒してアンディ・ウォーホル界2回ということで
この辺で終わりましょうか
言いたいことはありますか
なんですか
これ最後にするんですけど
有名であること自体をなめんなよって言ってたアイコンと
それこそ工芸の接点ってあるのかなって言ってて
石川県で岩田さんが突然出会ったカムイ伝の話
カムイ伝こそ逆に有名とは逆の無名性で展開する話なので
そこの対局の話も振り返って聞いてて面白かったなと思うんですけど
ポップもいいし無名性みたいな話も
すごく工芸とカルチャーのお題にしているコンクラとしては
今後もちょっと面白いネタが掘れそうだなと思ってます
っていう感想です
多分私無名に最近すごい惹かれてきちゃっているのは
なんでだろうって思った
大丈夫ですか?
TikTokとかで有名になりたいとか
みんな無謀なことして命落としたりする子もいたりしたじゃない
むちゃくちゃ系のゲイ風の人
私も年取ったななんてこんなこと言いながら思うんですが
子どもに危険を及ぼすようなメディアを大人が作っているのは
どういうことなんだろうって気になっていて
当時のテレビ見るとバカになるよとか言われていた時代だと思うんです
アンディがいた頃って
60年代とかってあんまりテレビの真似ばっかりするんじゃないよって
親に怒られましたとか言う人聞くから
それにまた今戻ってきてからこそ
大局の無名を見るっていうのって
何か私たちに重要な学びあるんじゃないかろうかと思ったりします
無名性
そう思いました
この間話終わらないんですけど
たまたまNHKで見てたアメリカ市の
1920年代でラジオが登場した時に
人々の情報の受け取り方が変わったっていう
禁止法と大恐怖になる直前とかですけど
みんなが同じ時間に同じものを共有し始めたので
みんながラジオの前について
その時のトンデモニュースで
井戸に落ちた娘が2日間発見されなかったっていう偽話を言ってたんですよね
54:05
それは有名というか
ラジオにかじりつきすぎててっていう
ちょっと今とは
ちょっと違うタイプの過激さがあったなっていう風にはちょっと思ったんですよ
確かに
だから有名なものの共有っていうのはやっぱり過激さが伴うなと
TikTokの話も聞いて思ったんですけど
アメリカのケネディが撃たれた時ってさ
初めてテレビがライブで見せつけた時だったんだけど
ライブ放送
放送?
これ掘ります?これ
ちょっともう終わっておきましょう
終わんないか
終わりましょう
はい
すみませんポップの話でした
はい
グラダーシュラジオは毎週火曜に配信してますので
ぜひ来週もお聞きください
だんだんメディア論みたいになってきてしまって
やっぱり自分で
講義の話よりメディア論のほうが
スラスラ喋れてしまうんですけれども
メディア論の話も聞きたいぞという方は
ハッシュタグCONCRAもしくはフォームでご意見ください
コンクラコレクティブもやっております
うちにあるこのものが何か
工芸家の手によって変わらないかなと思ったら
ご相談ください
メディア論って言うと
もう終わらながら言ってる
マーシャル・マクルー・ハン好きなんですよね
わかります
マクルー・ハンは好きなんですよね
わかります
マクルー・ハン回ありますかね
マクルー
というのもちょっと投げておこうと
そうなんですよ
ビットジャーニー界も行ってもいいんですけど
テレビのやつもまさにその話が出そうと思ってたんで
ちょっと別途ですね
マクルー・ハン回やりましょう
というわけで長くなりました
また
よろしくお願いします
56:35

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