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こんにちは、ブルッセルからHazeです。
このチャンネルでは、ベルギーの大学院に留学中、私、Hazeの日常をお届けしております。
今回は前回の続きで、私の生い立ちについて話をしてみたいと思います。
先ほど、転校することになりました。転校しましたっていうところまで話しました。
板橋から、東京の板橋から、北海道の札幌に転校することになりました。
自分で聞いてみると、熱量がすごくて、スピードも速くて、テンション上がっていると、私、結構速くなっちゃうし、
普段聞いているものを1.5倍速とか2倍速で聞いていると、どうしてもそのスピードでしゃべることに慣れてしまって、速くなっちゃうなって思いました。
そういうわけで、札幌に転校した私たち、私たちなんですけど、札幌の転校した地域は、とっても良い地域でした。
新学校、新学地域で、多分みんな住みたいと思うようなエリアだったと思いますね。
そこの小学校が、まあ何よりでかいですね。
一学年が4クラスありました。板橋は1クラスでしたから、4クラスかって思ったんですけど、
クラスによって帽子の色、体育の時の帽子の色とか違うんですよね。
一番驚いたのが、運動会の時に、架けっ子と競争を板橋では2人で走ってたんですよ。
それが札幌は6人なんですね。4人ですらない、6人なんですよ。
それに私は一番驚きました。
そこは、良い地域っていうのもあって、転校生って毎年普通にいるっていう環境だったんですよね。
なんだよって言われました。
それで思い出してみると、板橋にも年に1人ぐらいは来てたなっていう感じがするんですけど、
そんな札幌の大きい学校に行きまして、小学生からするとですね、もうなんか全部違うんですよね。
ルールが板橋の方がちゃんとあったのに、札幌は上書き自由とか、ランドセルじゃなくてもいいとか、その辺からまず違うし、
通学路守らなくても誰も何も言わんみたいな、そういうところとかもありました。
あとはね、やっぱその、なんていうのかな、地方の差みたいのがあるので、見てるテレビが違うとか、
アニメとか一緒ですよ。全国のやつは一緒なんだけど、それ以外が全然違ってて、
大泉よって誰やねんみたいな、その辺から始まるんですよね、札幌にいきなり行くと。
そういう差とかがあったんですけど、そこ行ってですね、
私は、話した通り転校したくて来たわけじゃなかったので、前の学校ではこうだったよっていうのを毎日言ってましたね。
無敵のまんまの小学生だったから、毎日言ってました。
別にこんなとこにいたくないって思ってたし、
アクティブに嫌ってたわけじゃなかったけど、前の学校ではこうだったのになっていうのが常にありましたね。
そんな中で、別に学校生活は問題もなく、友達もできたりとかしてっていう感じだったんですけど、
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思い返すですね、うちのクラスの先生が悪かったですね。
高学年を持つのはちょっと適してないねっていう判断が私たちの後でされたみたいで、
以降持たせてもらってないというのをどこかの噂で聞きました。
子どもたちは別に悪くなくて、他のクラスと何の変わりもなかったと思うんですけど、
不安でしたね。
なんかそれが地方だから、都心とか中心部に対する嫉妬っていうか、コンプレックスみたいなものでそうなってるのか、狭いからなのか全然わかんないんですけど、
正直板橋の子たちの方が野暮ったいですよ、見た目とか。
でも板橋は東京だし、守られてる感がある感じだったんですけど、
札幌はね、なんかそれがちょっとないっていうのと、新学地域なので、中学受験する子とかがいて、
それは板橋に向いたと思うんですけど、
なんかそれがすごく出てくる、ストレスとか不安を思春期に入って抱え出す頃、子どもたちが。
なんかそれに対する対処が先生はできてなかったなっていう感じが私はします。
そんな中で、私ほんと野生児だったので、体育できなかったけど、全然女の子っぽくはないっていう、男の子に間違われる、むしろそれで嬉しいっていう感じの子どもで、
弟がいるからっていうわけじゃないんですけど、なんか遊ぶのも男の子の遊びみたいのが多かったし、多かったっていうかほとんどそれだったしっていう子どもだったんですけど、
思春期に入って、不安を子どもたちが持ち出すわけで、これもノートに書いたんですけど、すごく私の中でめちゃくちゃ影を落としたっていうか、すごく影響が強かった出来事が起こるんですけど、
転校して、なんか今までと全然違う世界に来てしまったっていうのがまずあるわけですね。
東京と札幌って飛行機で1時間半で乗ってしまえばすぐなんですけど、日帰りもできるんですけど、子どもとしてはすごく遠い。
当時はインターネットが復旧し始めたぐらいで、うちにパソコンが板橋にいる時にあったかなっていうぐらいの時代で、
FacebookもなければZoomもないので、当時の連絡手段って本当電話と手紙しかないんですよね。
たまに板橋の友達に電話したりとか、手紙が来たりとか、転校した後に何度か会ってはいるんですね。今も連絡を取れる子とかはいるんですけど、
まあ遠いですよね。本当に別の世界に来てしまったっていう感がありまして、そこでまず不可抗力でっていうのが大きいですね。
私は何もしてないのに、私のせいじゃないのに、すごい違う世界に連れて来られてしまったっていうのがまずすごく息ずってというか、私の中で根幹にあるんですけど。
もう一つはですね、思春期に子どもたちの不安に当たられてしまうことが続きまして、そのクラスから結局不登校が何人も出ちゃったんですよね。
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思い返してみても別にいじめがあったわけじゃなくて、それぞれやっぱり不安が強い子だったりとか、受験のストレスみたいので一時的にちょっと学校行かなくなっちゃったみたいな子たちだったなって思うんですよね。
だから悪い子がいたわけじゃなかったんだけど、なんかちょっとそういう土壌があったっていうのがありまして。
3つですね。私はある日クラス中の女の子たちに囲まれて、教室の隅に囲まれて男好きって言われたっていうやつがあって、
なんかそれも詳しくはノートに書いたのでそちらをという感じなんですけど、なんかものすごく衝撃でしたね。
なんか全然そんな人とかなくて、私そもそも思春期来るの遅かったタイプだし、別に男だからとか思ってたわけじゃなくて、みんなで遊びたいって思って遊んでただけなのに、
なんかなんでそんな風に見られなきゃいけないんだろうってすごい思いましたね。
その時に本当は怒るべきだったんですけど、なんか怒りを出せなかったっていうのがとても、そうですね、後で向き合うことになったことですね。
で、それと同時期に食べ方が変っていうのと歩き方が変っていうのを言われたんですよね。
で、私は別に変でいいじゃんって思ってるんですよ。変わってた方がいいじゃん。普通ってつまんないじゃんってもともと思ってるんですけど、
なんかそれによってすごくこう、なんていうのかな、自分そのものを否定されたような感じがすごくしましたし、
私が悪気がなくても周りが傷つくかもしれないっていうのを考えなきゃいけないんだなって思うようになったんですよね。
それからすごく自分を出せなくなったし、とても不安になったし、
友達は変わらず、友達でしたけど、友達もその、肖成術というか、
自分がどう思ってるか関係なく、とりあえずいいねって言っとくとか、かわいいよねって言われたらかわいいねって言っとくっていう感じだったので、
なんかそれを身につけるようになったんですよね。
で、この時期は本当に、本当に自信をなくしたんですよね。
なんか、とにかく自分じゃダメだっていうのを、当時の私の解釈だったので、
だから小学校休みはしなかったけど、
学校行きたくないって言ったらどうするっていう話はして、母は別にいいよっていう感じではあったんですが、
もう本当、毎日下向いて学校行ってましたし、
クラスについても仲良い友達が遅く来る子だったので、
その子が来るまでの時間は、なんか一人でクラスにこう、ちょっといるの、
気持ち悪くて、なんかちょっと行きたくないんだけどトイレ行ってみたりとかしてるみたいな、
結構そんな感じでしたね。
小学校の最後の2年間はそんなんで、
なんか全然小学校楽しくなかったですみたいな作文を書いて、
なんか先生にこれ楽しくなさそうに見えるんだけどとかって言われたことありましたね。
それが本心なんですけどみたいな、ありましたね。
それで、当時の家庭環境なんですけど、
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なんか小学校でショックなこととかあっても、
家族がちゃんとサポートしてくれていれば、そうでもなかったりすると思うんですけど、
うちはですね、両方とも働きだったっていうのとかもあるんですけど、
何て言ったらいいのかな、
過干渉な親って結構いるっていうか話聞くと思うんですよ、
家保護とか心配症とかって。
で、うちは厳しかったけど、なんか文言とか厳しかったんだけど、
なんか放任っていうか、むしろ心理的ネグレクト系だったんですよね。
で、父親は板橋の時からそうなんですけど、
夕ご飯を一緒に食べることは基本的になかったですね、平日は。
帰ってくるのがそれより遅かったから。
で、週末は別に家にいるっていう人だし、料理とかもするっていう人なんですけど、
で、母はね、残業とかはなかったけど、
人を褒めないんですよね。
多分自分のこともそうなんだと思うんですけど、
子供たち、私だけじゃなくて弟のことも褒めないし、
なんか感情に対処するのがすごく苦手な人で、
それはまあ母の老いたちなんだろうなって思うんですけど、
理由があるんだろうなって思うんですけど、
なので、私が好きなこととか得意なこととか、もちろん逆もそうなんですけど、
あと泣くとか怒るとかっていうことに対して、
きちんと対処してもらえない、助けてもらえないみたいな環境だったので、
すごく辛かったですね。
普通に言って、だって11歳とか12歳ですからね、私。
その時はね、小学校にカウンセラーいなかったんですよね。
中学にはいるんですよ。中学では一回相談に行くんですけど、
それもそれで、資格持ってたのかわからんけど、
ちょっとそんなのに対処してくれるようなカウンセラーではなかったりとかしてですね、
先生もそんなんでしょ。
転校生だから、前の担任の先生とかもいないじゃないですか。
だから、結構何かどこにも頼れない、辛い子供でしたよね。
思い返してみると。
はい、まあ学校はいけてたしね、別に何か問題があったとかっていうわけじゃないし、
勉強は引き続きできたし、ピアノも弾けたしっていう感じではあったんですけどね。
はい、長くなったので、札幌の小学校の話でこのエピソードは終えたいと思いますが、
続きは次回お話しします。
それでは次回お会いしましょう。
平地でした。