冒頭の挨拶とイベント告知
小さな手が 導いてくれた
こんにちは、いとうゆうこです。いとうゆうこのちょっと深くてテキトウなラジオ。 遊びに来てくださり、ありがとうございます。
前回の配信から少し時間が経ってしまいましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。 前回の配信はね、これまで本当に仲良くさせていただいた
コミュニティのメンバーの皆さんとか、たくさん聞きに来てくださって大盛り上がり。 私の中でね、本当に心温かくなるような配信で、改めてありがとうございますという感じなんですが、
今日はですね、また届けたい人がいるので、その方に向けてですが、それ以外にもこれまで出会ってきたクライアントさんとか、同じようにね、今頑張っている人に向けて
思いが届いたらいいなという感じで、ちょっと話してみようかなと思います。 ぜひあの
悲しみを抱えている人は、ぜひ最後まで聞いていただければと思います。 本題に入る前に一つが知らせです。10月8日の木曜日
この宮城県仙台市っていうところに私住んでいるんですけど、そこのね泉畑っていう
なんかこう山、山があるんだよ。山っていうかね。そこですごく素敵な施設がありまして、
ペンションっていうのかな、コテージがあるとこなんだけど、そこをですね、日帰りで借りまして、ワンデイワーケーション体験会みたいなのをね、やろうかなと思います。
これ夏にですね、実は1回開催して、あのすごく参加してくださった方にも大好評で、主催が私と福本春さんという方のね、共同主催だったんだけど、私たちもね非常に有意義な時間を過ごさせていただきました。
その第2弾、秋バージョンでございます。 前回夏の時は雨が降っててね、またすごくね素敵な雰囲気だったんだけど、
今回は秋ということでね、どんな雰囲気なんだろう? 私は秋の花粉症なんだけど大丈夫なのかな?今ふと思った。
大丈夫かな?まあでもね、あの皆さん福本春さんという方、ご存知な方もいると思うんだけれども、
まあ不動産営業女子としてね、もうバリバリ、バリキャリーっていうのかな。 ご自身でも一般社団法人ウマズアカデミーっていうね、女性の自立、大人の女子校みたいな形で、
コミュニティーも運営されている方です。 私は同じ宮城県でね、春さんと同じ地域に住んでいるっていうところもあるし、
ウマザカデミーのメンバーっていうところもあるけど、あの春さんっていう人柄がね、すごく好きで応援させていただいているしね、
おこがましいけども、大好きな方で、その方と一緒にバーケーションをやるんですよ。
で、今春さんね、ものすごい勢い、いつも勢いすごいんだけど、営業道場っていうコミュニティー、無料のねコミュニティーもさらに立ち上げて、
そこがもう100名を超えたということでね、ウマザカデミーのメンバーよりも人数多いんじゃないかっていう感じなんだけど、
それぐらいやっぱりゴリゴリに営業について話を聞きたいっていう人はいっぱいいるわけですよね。
そんな人とのバーケーション、バーケーションっていうのはお仕事、ワークとバケーションがくっついているものなんだけど、
怖くない?大丈夫?春さん。で、そんな春さんの裏の顔っていうか、表裏ない人なんだけど、
またちょっとねゴリゴリの営業っていうモードではない、軸の部分というかね、
巣の部分がものすごくたっぷり味わえる時間じゃないかなと思います。 私自身もリアルでしか感じられない、私がいつも大事にしているコミュニケーション、
非言語の部分ね、そういうところも皆さんにお伝えできるんじゃないかなと思うのでね、
ぜひ、ただ何もしないともにゆったりと会話したり、ご飯食べたり、散策とかね、自由に過ごせるこの素敵な時間、皆さん。
特にね、毎日忙しい、でも頑張りたいっていう人には来てほしいです。
絶対損はしないと思うので、はい。ということで、現在数名、3名くらいかな、まだ募集しておりますので、ぜひ参加してみてください。
この放送の概要欄にリンクを貼り付けておきます。
ということで、冒頭4分も喋ってしまった。
過去の人間関係での辛い経験
本題でございます。
昔の出来事をちょっとね、話してみようと思うんだけど、
私、昔、とある地域に住んでいて、地元からね、とある地域っていうかさ、新潟に引っ越したんだけど、そこで働いたんですよ。
で、そこの働いた先で、最初ね、ちょっと人間関係がうまくいかなかったんだよね。
なぜか、ある一人と。
ある一人にすごく嫌われたっていうか、なぜか攻撃的な態度を取られてしまって、
で、私も初めて行った場所で、全然知らないのになぜかこの人が私にはすごい態度を取ってくる。なんだろう。
私はそこに対して、この野郎って思う怒りよりも怖いって思ってしまって、
結構会社に行くのが憂鬱だったり、その人が朝からいるとすごくこう気持ちが落ち込んで、
今日もなんか変なこと言われたら嫌だなとか、電票とか投げられたりしたからさ、なんか物投げられたらどうしようとか、すごいビクビクするような毎日を過ごしてたんですよね。
そんな中、ある事件が起こります。
まあその方が、私に対してあることを言ったんだよね。
それがすごく傷ついたんですよ、私は。
で、まあ多分それまでの積み重なりもあったと思うんだけど、もうこれはもう無理だと思って、
で、上司に事情を話して早退したんです。
私はもう逃げ返ったの、もう辞めるみたいな感じでね。
で、それまでにもその上司には、あの今すごくしんどい思いとかちょっとこういうふうに感じてるみたいなのは相談してたので、
で、上司もわかっていたのでね。
あの、いや逆に申し訳なかった、ここまで我慢させて、もっとね、会社として何かできることがあったはずだってね、すごくいい上司の方でさ、言ってくださって。
で、まあいろいろと会社でもさすがにね、いよいよって思ったんでしょう。
いろいろ動きまして、私も移動が決まって、
で、もう会社の社長から直々に呼び出しをいただいて、
いやこの度はね、うちの会社の社員の出来事だから、僕の責任だから本当につらいものをさせて申し訳なかったって謝ってくださったんですよ。
素晴らしいですよね、素晴らしい社長だなと思ったんですよ。
でも、ここで私はまた傷つくことになったんですよね。
で、それが何かっていうと、でも伊藤さん、本当申し訳ないけどわかってほしい。
あの子にもあの子の事情があったんだよ。
で、まあ当時ね、その方妊婦さんだったんだよね。
だから妊娠、妊婦さんって体がしんどいから、まあちょっとひどいことを言ったりすることもあると思うんだよね。
伊藤さんも子供ができたらわかるよ、その気持ち。
っていう風に言われたんですよね。
当時私は、私も結婚していて、子供がなかなかできなくてね、ゆるやかに妊活とかもしている状況っていうのもあったし、
何よりも、その相手のこともわかってあげてっていうその発言にものすごく私は当時傷ついたんですよね。
で、なんで傷ついたかっていうと、私はね、一言もその相手に対する文句も言ってないし、
その相手の上司に対しての文句とかも言ってないわけ。
ただ、痛いって言っただけなの。
すごく傷つく言葉を言われていて、いてててって体をうずめている状態。
ただ傷ついている状態だったわけ。
でも周りはその先のことを考えて、
こう傷ついた伊藤さんが怒って、
例えばその言った相手に対して攻撃して、
もしその攻撃された大元の人が今度は傷ついてもう大揉めになったらどうしようとかさ、
わかんないけどね、いろいろ考えたと思うんだよ。
で、それに対して先回りして、
あなたが傷ついたのかもしれないけどわかってほしいみたいな。
そうするとさ、私としてはよ、まだ傷ついている最中だったの。
でもその傷ついている最中っていうのを無視されて、
なかったことにされようっていう感じ。
まあ、なかったことにしようとしているわけではないんだよ。
だけどその扱いが私にとっては存在だったわけね。
その傷ついた状態が軽く見られている感じとかも裸で悲しかったし、
なんかこう、私は傷ついちゃいけないんだとか、
この悲しかった出来事っていうのは私が悪かったんだとかさ、
やっぱ自分に矢印を向けてしまって、
だいぶ深く傷つきましたね。
そしてその社長とかその会社に対しても、
ある一定期間ものすごく壁というかね、心の壁をドーンと立てて、
もうそういう人たちなのね、わかったよっていう。
殻に閉じこもるような、ちょっと暗黒期をね、数年過ごすことになりました。
傷ついた感情の無視と自己否定
今思えばよ、もう何年前?もう10…
20年近く前?そんなにならないか。そんなにならないけど、
もう10年以上前だよね。
でもそんなに経ったからこそ、今だったら言える、
まあ確かにその相手の方は妊婦さんだったから、
しんどかったんだろうなとか、
私は心残者でそこの会社に入ってきて、
チヤホヤされるわけですよ。
男の子、若い男の子とかもさ、
まだ私も当時若かったからさ、
伊藤さん、伊藤さんってさ、
私も人当たりしさ、人気者になっちゃったわけ。
自分で言うのもなんですけど、
そういうのも嫌だったんだろうね。
だからちょっと攻撃的だったりとか、
まあ少し精神的にもね、元気じゃなかったんでしょう。
だから今ならわかるよ。
今なら、もっと私も当時、
もう少し配慮できるような態度ができ、
やってもいいのかもしれないなとか、
もう少し私もこういうふうにしてもよかったのかなとかっていうのは、
今なら考えられる、心が動かずにね。
でも当時、痛い痛いって言って、
うずくまっている状態の私に、
それを強いるのは酷だと思うんだよね。
これは今でも変わらない。
別にさ、あの人、会社から辞めさせてよって、
そんな理不尽なことを言っているわけでもないじゃん。
ただ痛いって言っているだけの人に対してさ、
誰一人として、大丈夫っていう声をかけなかったわけ。
痛かったよねとか、今苦しいんだよね、怖かったよね。
一旦、安全なところに行こう。
ただそれだけでよかったわけよ。
それがないっていうのは、一番しんどい状況でしたね。
本当のご自愛とは感情の受容
もちろん、うちの夫とかね、すごく味方になってくれたから、
だからこそ、今も腹が立つことがあっても、
あの時、優しくしてくれたしなみたいな、
心の信頼関係とかはあるんだけどね。
まぁちょっと話ずれちゃったけどさ。
今日ね、私がこの話をして、何が言いたいかっていうと、
あの、誰一人としてさ、やっぱりさ、傷ついた状態っていうのは、
あの、事実だってね。
それが、周りから見るとさ、あんなことに傷ついてんの?
弱いなぁとかさ、もっと大人なんだし、しっかりしなよ。
社会はもっと厳しいんだよっていう考えがいたとしても、
本人にとっては事実なわけ。
本人にとっては、確かに胸が苦しくて涙が出て、
悲しくて寂しくてさ、孤独でさ、嫌なもんしてるわけよ。
その大切な大切な感情を、無視するっていうことはあってはならない。
これは、理想はね、周りが気づいてほしい。
当時だったら、もう少し社長も、
大変だったよねーとか、しんどいよねーとかさ、
なんかもう少し当事者の痛い痛いって言ってるゆう子さんに、
かける言葉はあったと思うんだよ。
だけど、まあ、現実ね、難しい場合もあるわけですよ。
みんなそれぞれいろんな事情があるからね。
でも、せめて自分、自分は悲しんでいいんだよとかさ、
いっぱい泣いていいんだよ、いっぱい一緒に悪口言おうみたいな、
社長ムカつくって言おうよ、みたいな、
自分に対して自分は味方であってほしいし、
一人か二人、ご家族とか、
私はコーチ業なんてやってるからさ、
もしコーチとかをね、取ってる人だったら、
コーチなんて絶対的に味方だからさ、
コーチの前ではたくさん泣いて、
たくさん悲しんでもいいよって言ってもらえるような環境をね、
手に入れてほしいなって思います。
よくさ、ご自愛くださいって言うじゃん。
ご自愛タイムとかってさ、インスタとかでもさ、
美味しいコーヒーとか飲んでるのとか見てさ、
私もほっこり素敵だなって思うんだけど、
そういうわかりやすいものだけがご自愛じゃないと思うんだよね。
一番のご自愛、自分を愛する、自分を慈しむことって、
自分に生まれる感情を否定しないことだと思ってる。
まあちょっと苦しいこともあると思うけどね、
落ち込んで落ち込みすぎてさ、
もう私このまま浮上しなかったらどうしようって苦しい。
苦しいけど、どこかで、
今でも私今苦しい状態もありだよなとか、
すごく悲しい時、
まあ私だったら当時のね、悲しんでいる過去の自分に対しても、
いやーそらー泣くよねとか、そらーむかつくよねっていう、
最大の自分に対する愛をね、
持っていてほしい。
それが一番大切なご自愛だと思うんですよ。
で、
悲しみと共に前に進む力
そうするとさ、ちょっとねこう、
怖くなる時もあるんだよね。
例えば私もさ、なんか落ち込んでたりするとさ、
このまま落ち込んだらさ、もうずっと
敗人みたいになるんじゃないかなみたいな。
まあもちろんね、落ち込むとかだと、
少しこう病気とかさ、心に風邪を敷いてしまうとか、
必要な医療的処置とかが必要な場合もあるから、
そこは判断はあれ必要になってくると思うけど、
そうじゃない部分で、
なんかこう、いつまでも悲しんでたらダメだなとかっていうのって、
信じてほしい。難しいかもしれないけど、
絶対自分はそこから前に進めるって。
現に私も当時すごく傷ついたし、
いっぱい泣いたしね、
ほんと会社嫌だとか、
ほんと新潟大嫌いって思ってた時期もあったけど、
十何年に経って新潟から引っ越す時に、
ものすごい泣いたからね、寂しくて。
この新潟から離れるなって、みたいな、
その当時クソムカつくって思った会社に対しても、
辞める時、最後の挨拶でめっちゃ泣いたしね。
そんなもんなのよ。
時はかかるけどね、
それぞれどのぐらいかかるっていうのは分かんないよ。
私は十何年かかったけどね。
それは一人一人あると思うし、
例えば、
なんだろうね、
私今脱毛症っていう病気抱えてるけど、
その脱毛症の病気の悲しみが消えたかっていうと、
それは消えないわけよね。
これはちょっとこの病気が治らない限りは、
意思を抱えていくんだろうなと思うと、
悲しみと共に生きるっていうのはあるよね。
だから、
いつまでも悲しんじゃう恐怖とか、
そこから元気にならなきゃいけないって思う時もあるかもしれないけど、
まずは信じてほしい。
元気になる。絶対に。大丈夫。
あとは、完全に元気になるとは違うフェーズになる場合もある。
共に生きていこう、みたいな。
その悲しみに対して寄り添えるというかね。
私もこういう悲しみを抱えながら生きている、
なんか、なんていうの、
奥深い人間になったな、みたいになるのよ。
だんだん死中も後半になるとさ、
それも味だわ、なんて思える日が来るから、
自分のね、生きてきた素敵な素敵な悲しみも含めてね、
素敵な人生の一つのピースとして、
思える日はね、必ず来るから。
大丈夫。絶対に大丈夫。
なので、
だんだん何を言いたいかわからなくなってきたんですけど、
悲しみを今も抱えている人とか、
もうそろそろ元気にならなきゃいけないって思う人に対して、
元気じゃなくてもいいんだよっていう場を
持っててほしいなと思うね。
それが自分自身でご自愛でもいいだろうし、
ご家族、この旦那だけは、
奥さんだけはわかってくれるっていう存在でもいいし、
また第三者として、
コーチだったらとかね、カウンセラーだったらとか、
このお友達だったら、そういうので、
何かこう自分の、
そういう柔らかく繊細な部分を大切に扱う場、
人、時間を持っててほしいなと思います。
そうすることで、
それと共に生きるとか、
それが薄くなっていくとか、
何かしらの形で前に進むっていうのが、
人間にはあるんでございますよ。
これはコーチである私が言うので間違いありません。
人には力があるので。
ということで、今日はね、
ちょっと長くなってしまいましたが、
悲しみを抱えながら生きるってどういうことかっていう感じになったかな?
タイトルどうしよう、まだ考えてないけど。
はい、そんな感じでお話しさせていただきました。
これを聞いている人の心にね、
何か残るものがあればいいなと思っております。
応援しております。
大丈夫。
エンディング
ということで、今日も聞いていただきありがとうございました。
それではまたお会いしましょう。