1. いとうゆうこの楽しく起業🌟お仕事ラジオ
  2. 何でそのビジネスやってるの?..
2024-11-06 25:09

何でそのビジネスやってるの?過去の深掘りでビジョンを探る

いつも聴いていただきありがとうございます!過去の深掘りは痛みもあるよねー💦心がたくさん動いております🫣

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いとうゆうこです。このチャンネルは企業や副業を頑張りたい女性を応援するチャンネルです。
激に来てくださりありがとうございます。 本題に入る前に気づいている方もいらっしゃるかと思うんですが、私のこのチャンネルのチャンネル名を変更しました。
昨日の夜にね、そっと変えましたよ。 タイトルは、
いとうゆうこの楽しく起業お仕事ラジオということでね。 配信内容は変わらないんですよ。お仕事頑張っている人、企業副業興味ある人とかね
フリーランスの方とかそういう人に向けて一緒に頑張っていこうよみたいな、そんなね応援のチャンネルなんだけれども、ずっと居場所づくりラジオっていう風にしてたんですよね。
私はもともとこの自分ビジネスをやる一番最初の時は、何か一人一人が自分が心地よいと思えるような居場所がね、あったらいいなって思ってたんですよね。
それが私の中ではぼんやりとしていて、その居場所が空間なのか出来事なのか関係性なのかっていうのがなかなか言語化できてなかったんですよね。
でも自分自身が企業という道を選んで、まだまだね、あの志半ばではあるけれども、ちょっとずつやっぱり私はこんな風にやっていきたいっていうのが見えてきた時に、
あーなんか私にとっての居場所づくりっていうのは、こう生き方というかな、自分でお仕事頑張るとか、フリーランス、企業するみたいな、そういうことだったんだなっていうのが、自分の中でやっぱりね納得いくところがあって。
以前ね、朝昼さんっていう方にコンサルをしてもらった時に、このラジオのチャンネル名をこんな風に考えてくださった経緯もあってね。
なんかちょっと私の今の気持ちにちょうどタイミングが来たなっていうところで、今回ちょっとこんなタイトルに変えてみました。いかがですか?皆さん。
あんまりそんなね、人のチャンネル名なんて気にならないかもしれませんが、もしね、なんかコメントあればメッセージ送ってください。
このチャンネルでまた今日も頑張って配信していこうかと思いますので、ぜひね最後まで聞いていただければと思います。
で、ちょっとぽーっと長くなってしまいましたが、今日のテーマは、課題に対してどこから見るかっていうので、だいぶ解釈が違くなるんだなぁ。
で、私どうしたいんだろう?っていうね、そんなテーマで話そうかなと思います。
これを話そうと思ったきっかけはね、私は今お仕事のこと、これからどうしようか、来年度に向けていろいろと考えてるんですけど、その中でやっぱり自分のビジョンとかっていうのを捉えるときにね、
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なんでそもそも私こういうことやってるんだろう?っていうYの部分を今めっちゃくちゃ考えていて、それこそあのメンターさんのような存在もいてね、いろいろと助けてくださっているんだけれども、その中でやっぱり無視できない自分の現体験が出てきたんですよ。
で、それをある方はAという捉え方をして、ある方はBという捉え方をしたっていう時に、自分の中で沸き起こる感情っていうのが全く違っていてね、なんか面白いなって思った、そんな出来事を今日はシェアしてみようかなと思います。
自分ビジネス頑張るときに、やっぱりビジョンっていうところをね、考える。なぜ私はこのお仕事をしようと思っているのかっていうそのYの部分、そういうのに今一生懸命考えている方、そしてまだうまく言語化できてない方はぜひ最後まで聞いていただければと思います。
ということでね、もう早速本題なんだけれども、私は現体験でやっぱりね、幼少期、自分の親との関わりっていうのは大きく影響しているなっていうのに改めて思ったんですよね。
特に母親の部分ですね。私の母親は結構、先回りして私をケアしてくれるようなタイプだったんですよね。
何かがあったとしても、やる前に、「それは危ないからやめなさい。」とか、「こういうふうにした方がいい場よ。」とかね。
子供を育てている方とかは、これがいいこともあるけど、子供の自主性を奪ってしまうという面もあるからね。
なんか賛否両論あるような関わり方だとは思うんですよね。
でも、母としては多分、私がすごく早生まれで、3月末生まれなのでね、すごく体も小さくて、体調も崩しがち。
勉強もついていけない。1年生の頃とかね、やっぱりなかなか理解力も乏しかったみたいで、不安だったんじゃないんでしょうかね。
だからこう、私がこの子をサポートしなきゃとか、いろいろ思うところがあったのかな、結構先回りに手を出すっていうようなタイプでした。
で、これはね、今振り返ると、父も結構そういうようなタイプだった気がします。
で、今覚えているエピソードとしてはね、中学校に入る前に、
まあ、いや中学校で何の部活に入ろうかなっていうふうに考えているときに、
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自分の中でも言語ができてないけど、吹奏楽部っていうのに若干憧れがあったんですよね。
っていうのは、その中学校では吹奏楽部っていうのは、なんかみんなの憧れの的で、文化祭で最後の鳥にね、
ドゥワーって演奏するんです。それが毎回大好評みたいな話があって、なんか面白そうだなーっていうのは思ってたんですよね。
で、自分が何部に入ろうかなっていう前に、私は母からね、
吹奏楽部には入らないでね、吹奏楽の練習は本当に大変だから、あなたついていけないわよっていうふうに言われたんですよ。
で、私はその時に、本当にね、あ、そうなんだ、じゃあ止めようと思って止めて、止めてしまったんですよね。
まあそもそもそんなに絶対やりたいって思ってたわけじゃないし、そんなに大変な練習だったらやりたい、
怖、なんていうの?ついていくの大変だったらやりたくない、怖いみたいな、なんかそんな感じだったんだけれども、
なんかこう、どんなことに関しても振り返ると結構、母が言う通りに動いていた。
で、そこに対してそんなに特に疑問も抱かずに、うーん、なんて言うだろう、
まあ、母が言う通りにやっていればうまくいくだろうし、そんなに自分もこれやりたいみたいな強い思いもなかったから、
ぼーっと生きてきてたんですよね。
でももちろん、いいことばかりじゃなくて、もう一つ覚えているエピソードは、これは小学生の時だったんだけれども、
とある洋服を着たんですよ、朝ね。で、結構お気に入りだったんですよね。
でもそれを見た母が、え、それ着ていくの?こっちの方がいいんじゃない?って別の洋服を出したんですよ。
でもその時私は、小学校高学年だったと思うんだけど、少し自分の中の意思があったから、
え、私はこれを着たいからこれを着ると思って、その時は自分でこの服を着るの方を優先にしたんですよね。
で、その時に母が、もうまあそれ着るんだったらもういいんじゃない?って言いながら、
すごく不満そうな顔とともに、私は勝手に子供ながらね、
この服を選んだあなたダサいわよ、みたいに母が思っているというふうに感じ取ってしまって、
それが事実かどうかはわかんないですよ、母に聞いたわけじゃないからね。
でも私は勝手に、あ、お母さん私のことダサいって思ってる、この服って思って、なんかね、もやったんですよね、子供ながらに。
でも私はそこに対して、そんなに母に、え、そういうこと言わないでよ、いいじゃん。
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いや言ったかな?文句言ったと思うけどね。
覚えてないけど。
うーん、でもその服を着るっていう選択をしたから、そこは反抗心を持ってたとは思うんだけれどもね。
っていうように、内容によってはやっぱり、なんかちょっとそういうこと言われたくないなとか、反発する気持ちだったり、
時に自分で自分の選択を選んだりとかもしてたと思うんですよ。
でもどちらかというと、母が言う通りにするっていうような道を選んでいた方が割合としては多かったと思います。
で、その結果、結構私は大人になっても、
自分で決めるというよりは、誰かが決めた方が、
その人が喜んでくれるんじゃないかとかっていう感じで、なんか結構人の顔色を見たりとか、
何か自分で意思を決定するときに、これを選んだらこの人本当にいいのかな?
この人嫌な気持ちにならないかな?とかっていうふうに、必要以上にね、かんぐってしまうような自分に成長していたんですよね。
で、その話をとある人にしたときにね、仮にAさんだとすると、Aさんはまぁちょっと表現を、あのひどい言い方をすると、
なんて言われたんだっけな?
親に操作されてるねって言われたんですよね。
ちょっと表現違ったかもしれないけれども、
要は、親が思う通りに親が子供を動かしてるみたいな。
で、でも確かにそうですよね。
これって別に私の親に限らず、子育ての本とかさ、あの子育てのお悩み相談室とかでも、なんかこういうケースって結構効くんじゃないかなと思っていて、
あの良かれと思ってみたいな親の思いが、実は子供の自主性を奪っているみたいなね。
それこそ子供が失敗したっていいじゃない。子供がうまくいかなくったって、やり直せばいいんだから、親は黙ってそばに見守るみたいなのがベスト。
って言われるんだけれども、実際は、自分が望む通りに子供が動いてほしいっていうような関わりをしている。
それをAさんは、操作されてるみたいな表現をされたんですよね。
で、それを聞いた時に私は、いや本当そうだなーっては確かに思ったんですよね。
で、そこに課題も感じたし、
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言いなりになっている自分が、ちょっと恥ずかしいと思ったんですよね。
なんでもっと自分の意思を持って動けなかったんだろうとか、
意志を持って動けない自分って、なんて他人軸なんだろうみたいな。
その時、他人軸みたいな表現では心の中では思ってないけれども、今思うと、なんかそんな感じで、
その人に対して、なんかひどいこと言うとか、そういうふうなことは一切思わないけど、
そういう生き方をしている自分を恥じた。
そして同時に、でも愛情があるからこそ、そういうことを悪気なくやってしまっていた、
母や父もね、ある種あったのかもしれない、そういう親の愛に対して、
なんか悪く言われたような気がして、
いや、うちの親も一生懸命子育てしてくれたのにな、みたいな、何かしらのモヤモヤした感情が生まれたんですよね。
だからしばらく少し私は落ち込むまではいかないけど、テンションが下がってしまって、
同時に、これが自分の現体験、こういうことがあったんですよね、その前にさ。
そういう自分で自分の人生を決めれない、みたいな生き方をしてたからこそ、コーチングっていうのに出会って、
コーチングってさ、ただ単純に人の話を聞く、そのスキルを磨く、ではなくて、
根本的に人を信じるというか、その人一人一人には必ず自分の人生を切り開いていく力があるっていうのを、
私はコーチングを通して教えてもらったんですよね。
だからそこに、私の中のある種、自分の人生は親に決めてもらうじゃないけどね、
人に委ねる、みたいなところから、自分で決めていいんだ、自分にはそんな風に人生を切り開く力があるんだっていうのを、
本当に腹の中、腹の底から納得して、そうだね、わかったよ、じゃあ私自由だわって、自由になれたんですよ、コーチングを通して。
だからこそ、やっぱりみんなにもう縛られている人がいたら自由になってほしい、手段としてそういうのね、私助けることできるからさ、
みたいな思いでお仕事を頑張りたいって思ってるんだけど、
それをやりたいために、私のこの原体験をみんなに伝えるのが嫌だなってちょっと思ったんですよね。
自分の人生を一瞬恥じてしまっているし、そういう子供に対しての関わり方をした親、でもその根底には愛があるっていうところを否定してしまっているような気がして、
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なんかそういうのを人に伝えないと私の事業っていうのは理解してもらえないのかって思ったら、
ちょっとこう、殻に閉じこもってしまいそうになってしまったんですよね。
そんな嫌な思いをしてまで、なんで自分の事業を理解してもらわないといけないんだろう、みたいな。
でも、この話をね、我が夫にしたんですよ。
この夫だけBさんって言わなかったね。まあ要はうちの夫に話をしたんですよね。
で、私は原体験としてこういうふうに親の言ってる通りに、人生の選択をするっていうような瞬間が多かったんだよね、みたいな。
で、その後でね、私って不幸だと思う?って聞いたんですよ。
で、そしたらまあ夫はね、もちろんびっくりして、不幸なんて全然思わないよ、みたいなことを言ったんですよね。
で、私はAさんに言われた時の心のもやりとか、なんかそういうふうに、親に操作されているよね、みたいなことを言われた時に自分の人生を恥じたんだよね、とか、
それでも親に対して少し批判されたような気持ちになって、もやった、みたいなことを言ったら、すごく共感してくれて。
夫は、夫の考えとしては、全然不幸じゃないじゃんって。
誰かに虐待をね、受けたわけではない、命がなくなりそうなくらい気持ち良い思いとか、本当に身体的に苦しいような生き方を知ってたわけじゃない。
親の愛でしょ?みたいなことを言ってくれて。
そこ、そういう考えもあるんだなって思ったんですよね。
Aさんは、このエピソードを通して操作されているというふうに考えたし、うちの夫は、それは別に操作ではなく、お互いに愛情があったからこそ、そんな風になったんじゃないの?ぐらいの捉え方をしていたんですよ。
これは別に、どちらも間違いではないし、それぞれ見ているところが違う、そして感想として出した表現が違うことだけであって、それぞれに良さもあるし、足りなさもあると思うんですよね。
操作されている、みたいな言い方をするのは、すごく、例えばそれがビジネス展開とか、何か社会課題みたいな時に、課題が浮き彫りになりやすいなとは思うんですよ。
やっぱり、うーん、なんて言うんだろうな、そんなつもりはなかったっていう悪っていうのかな。
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愛情っていうのに、かくれみのにして、子供の自由を奪うような関わりっていうのは、やっぱりできればしない方がいいだろうしね。
そういうのを一つの問題点として捉えるためには、Aさんみたいな言い方をすると、これは良くないよねとか、事実としてこれは改善すべきだよねっていうのを浮き彫りにするためには、とても良い表現なんじゃないかなって思うんですよ。
で、でも夫みたいな考えっていうのは、それも含めて、もっと広い深い心でさ、でも人としてそこに愛情があるんだからさ、みたいな前提として、ぐるっと大きな愛情で包むみたいな感じが、なんかある種良さだなと思っていて。
で、私はね、どっちがいいんだろうって思った時に、悩んだんですよね。私はこれからお仕事を頑張りたいと思っているし、自分のお仕事のなぜ、why の部分を言うときに、やはりこう、課題としてね、こういうのは良くないよねっていうのをきちんと言葉で表現していきたいと思っている。
だからこそAさんみたいな表現が私には必要なんだろうなって思いながら、単純に私は夫の考えが好き、単純に好みなんですよね。
ある人が見たら、私の生き方は親が敷いたレールで生きてきたかもしれない。でも私は、そこに存在する親が子供に対して抱いている深い愛情を、そして子供も親の顔色を見ながら、親が喜ぶような行為をするっていうのはやっぱり親が好きなのよね。
という子供から向けられた親への深い深い愛っていうその部分をフォーカスするっていうかな、そういう人でありたいなって思ったんですよ。今回ね、改めて。
だから、まあね、これをビジネスとかって考えたときに、もしかしたら私は甘い考えだし、そういう感じってなんかもしかしたら具体的ではない、なんて言うんだろうな、刺さらないみたいな、弱いよねって思ったりもするんだけど、
でも、じゃあ私がビジネスをやる意味って考えたときに、やっぱり私はこういう根底の愛みたいなところを伝えるっていう立ち位置でお仕事をやるでもいいのかなって、それが私らしさかななんて思いました。
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えー、なんかね、こんなことをダラダラとまた20分も話しております。結論はどこに落ち着いたんでしょうかね。皆さん聞いててわかりました?
なんかこれもね、また相変わらず夜中に撮ってるからさ、なんかよくだんだんわかんなくなっちゃったけど、まあ私としてはね、あの気持ちがまた落ち着いて自分の立ち位置に戻ってきたんですよ。
でもまたこっからさ、考えていかなきゃいけないからね。本当にもう、本当にこのビジョンを考えるっていうのは難しいですね。
今ね、その社会、社会起業家し、もうなんだっけ、社会起業家育成プログラムみたいなの参加しているっていうところもあって、あのビジョン、ビジョン、ビジョンってね一生懸命考えてるんですよ。
先日勉強会っていうのをさせていただいた時も、ビジョンっていうの言語化が本当に難しいっていうのを何人かの方に書いてらしてね。
まあちょっとまた別撮りでビジョン考える時にちょっとしたコツみたいなのを配信しようかなと思ってるんだけど、いやでも正直ね、コツなんてさ、ないかもしれない。本当に。
とにかく、あの一人じゃ無理だからね、誰かに壁打ちしてもらいながら、あの現体験を振り返って時にね、
なんか子供の頃の出来事とかをさ、今大人になって振り返る時にさ、いい気持ちだけじゃない場合もあると思うんですよね。
そういう意味でも、なんかちょっとしんどかったりもするんだけど、でももう突き詰めて、突き詰めて、突き詰めて、見えてきたものがあるからこそ、納得のいくビジネスがやれるんでしょうね、きっとね。
今本当に頑張っている最中なんですけど、とりあえずは今、私の現体験、今日ね、いろいろ話をさせていただいたんだけれども、
うん、なんか改めてね、私はこういうスタンスっていうのが見えてきたので、まあ良かったかなと思います。
はい、ということで今日も相変わらず抽象度の高いお話になってしまいましたが、
あの自分ビジネス頑張ろうと思っていてね、ビジョンとかどうしようかな、話題の部分の言語が難しいなぁと思っている人、
まずね、過去、出来事、事実を振り返ってみて、そこから自分が当時どういうふうに感じてきたか、そして大人になった今、私はどう感じるのかっていうのを振り返りつつ、
いろんな人の意見聞いてみるのはね、やっぱり大事。
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ぜひいろんな人に壁打ちしてもらってね、話聞いてみてもらってください。
で、その時にいろんな人がフィードバックで、私はこう思うよって言ってくれると思うんですよ。
それに対して自分はどう心が動くか。
いやそうだよね、めっちゃ共感してもらえた。
そう、私やっぱそうなんだって思うか、なんかどうしても納得いかないこの人のね意見は、頭ではわかるけど心がついていけないってなった時に、
それはあなたの思いがちゃんとあるっていうところだからね。
どこを大事にするかっていうところで、ぜひ悩んで、悩んでいきましょうっていうようなお話です。
長い、今日は25分になってしまった。
最後まで聞いてくださった方、もしいらっしゃったらね、本当にありがとうございます。
終わり間際ですけど、倍速で聞いていただければ幸いです。
はい、ということで今日も聞いてくださった方、本当にありがとうございました。
それではまたお会いしましょう。
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