自己開示とリスナーへの感謝
おはようございます。 エピソード320…322。
過去の歴史を遡ると点が千人! ということで、今朝はお話をしたいと思います。
ということで、あのー、今日はブログの記事を朝書いていて、
書いていたりとか、あとまぁそう、 結構日々動いていると、なんか自分の脳内で、
脳内で考えて、 脳内で考えていることをこうやって朝ちょっとこうやって話すことで、私の中では最近の
あるあるなんだけれども、脳内で考えていることを朝こうやって話すことで、 ちょっと満足しちゃって、アウトプットすること、満足しちゃって、
あの、それ以上ブログとか、あのー、 ホームページとかの記事に出さないで終わっちゃうみたいなのがまあまあ起こっていて、
でもここに来てくれくださっている、この私の音声ライブを聞いてくださっている人って、 超マイノリティだと思うわけ。
私のことを気がついてくれる人たちって、あのー、 もう本当に、私のソリューシが飛んでる人たちじゃなから、
なんか間違いなくマイノリティ、ちょっと苦節用で、ちょっとなんか、 ちょっと世間のマスメディアで流行ったりすると、ちょっと興味がなくなって
しまいますよねとか、あのー、 そう、いつ始まるか、いつ終わるのかわからんトークを聞きそう。
まさにそれじゃん。私の気まぐれで一応8時とか言いながらさ、 8時10分の時もあればさ、8時20分ぐらいの時もあればさ、
なんかいろいろさ、 あの、あるところでさ、なんだりかんだりさ、あのー、
来てくださる方って、 確実にマイノリティだと思うんですよね。
そう、マジョリティに物足りなさを感じている人たち。 いや、そうだと思うんだよ。そうだと思うんですよ。
だからめちゃくちゃこれは、私自身にとってもありがたくて、 私は決して、決してね、
マジョリティになりたいと思って、 チョコレコを始めたわけだ、わけではないんです。
変わり者だと言われてきました。そうですか。 そんな人ばっかりですよ、ここは。
勝手に断定してしまいますけど、ここに来て私の話聞ける人って、 あんまりマジョリティじゃない気がします。
え?え?ノーマルですけど?
いやー、文具さんはテレビとかメディアにガンガン出てる方ですけれども、 メディアに出てる方っていうのは特に、あのちょっと、あの普通の人はメディアに出られないんですよ。
チョコレコの始まり:カナダでの体験と創業
ちょっと変わった人しか出られないんですよ。 そんな、そんなマツコの知らない世界とか普通の人は出られないんですよ。
本当にどんな口がおっしゃってるんでしょうかね。
そう、それでね、だから一番最初にね、私はこのチョコレコを始めようって思った時に、そもそも
2005年にカナダに行った時に、このローチョコレートっていうものを食べて、 え?ローチョコレートって普通のチョコ?
チョコレートなんですね。チョコレートってこういうものっていう。 こうさ、私の中のさ、常識がさ、崩れたって話は何回もさ、
何回も話をしてるじゃないですか。 で、それを日本に戻ってから、ないから、
自分が食べたい一心で始まりましたと。 だから一番最初はこれをみんなに広げたいって最初から思って始まったわけではないんですよ。
単に自分の食欲から始まってるわけですよ。 私が食べたい!
わざわざカナダにまた戻ったりとか、他の国に行って、行かないと食べれないなんて嫌だ、みたいな。
自分の食欲から始まって、 始まってきて、で、でもなんか、周りの子でもこうやってね、
私に触れている当時の人たちにさ、 こんなのあってさ、って言って、食べたい!ってなって、
じゃあちょっと私素人だけど、ちょっと作ったの食べる?みたいな感じで始まって、
え、美味しいじゃん!からワークショップが始まって、みたいな。 ワークショップ、なんか最初から30人ぐらい来ちゃいましたねってところからさ、
なんかそれが3、4年続いて続いちゃって、 で、
そこからやっぱり物販、物販してくださいっていうので、もうじゃあ、 子供が生まれたのをきっかけにね、
あのワークショップ、ワークショップはさ、やります!って言って、 あの子供が病気です!とかって言って、
あの急にリスケとかできないじゃん。30人とかになってんのにね。
だからそういう迷惑をかけるのが嫌なので、 じゃあオンラインショップだったら、
オンラインショップだったら、自分のペースで発送ができたりとか、 子供が感染症です!とかってなってたら、その期間は発送できません!とかっていう風に言えば、
なんとかなるなっていうのがあって、 3、1、1の後に、
意を消して、チョコレコは、あの開業届を出したわけですよ。
そう。 そんな流れがあってさ。で、あの、
東京チョコレートサロンへの初出展(2013年)
ね、今回、 今年のね、10月に出展する東京チョコレートサロンですよ。
で、そのね、その、 えっと、記事を書こうと思って、書こうと思って、そういえば私、
過去に、 その2013年だったり、
これ、この、私が参加したのは、過去に参加したのは、 2013年と2014年の2年間だけなんですよ。
その間、その後は、あの、間が空いてるわけ。
で、東京チョコレートサロン自体も、しばらく間が空いて、 数年前から復活してるわけよ。
数年前、コロナの後かなんかから、 復活してるのかな、そう。
で、あの、 そのコロナの後から復活した時とかもちろん最初に声かけられたりとかしたけど、
あの、 出展しなかったわけ。
そう、なんかそんな出展する気持ちじゃなかったから、 出展しなかったわけですよ。
そう、で、でも今回は出展する、 するっていう風になって、
あ、じゃあ、ここの編成、ここの空間、 時間は流れてるわけじゃん、13年って。
13年、2013年からすると13年。
14年からすると12年。 じゃない?
時間流れてるわけで、で、その時間が流れてる間に、 チョコレコとしてどういう風に歩んできたかとか、
まぁなんか、結局私も今回なんでここにイベント出展するのかなとかっていうのも、
あの、お気持ち表明をするべきだなと思ったわけですよ。
そう、で、過去にどんな気持ちでそれに出展してたのかなっていうのって、
あの、今の記憶って、 今の私の記憶に塗り替わっちゃってるから、
薄まってるんだよね。 当時の感情とかそういうのとかってちょっと臨場感持って、
できるかって言ったら、やっぱ当時の文章だったりとか、 当時のなんか映像とか写真とか、
やっぱそういうものが欲しいなとかっていう風に思ってね。
思って、で、ちょっと朝探してたわけですよ。
そう、探してたの。
創業当時の苦労と協力者
そしたらどうやら私があのホームページで封印してしまったタコのログみたいなところに、
溜まってた、溜まってるっぽい。
そう、だから後から、私は引き出せるから、後からちょっとそこを引き出そうかなっていう風に思ってるんだけども、
写真はね、出てきたんだよね。13年前の写真。
で、でも今でもすごい覚えてるわけ。
もう娘が3歳でさ、もうさ、そのさ、長期の1日フルイベントっていうのってまあまあさ、
もう3歳とかなって集中力が切れちゃうわけじゃん。
そんなにずっとさ、店のところでウロチョロなんてできないし、ウロチョロしてたら販売なんてできないし、
じゃあどうする?とかっていう風になって、当時はもう、あの、
その後ね、今もお付き合いがあるお花の先生だったりとか、お料理の自然食品とかそういうのを使った、
薬膳とかの先生でもあるゆうこさんっていう方がいらっしゃって、
それこそリアルのチョコレートのクラスを久しぶりに復活させるとかってなった時に、
ゆうこ先生を、私より12歳も年上の、ゆうこ先生をアシスタントに使うっていう贅沢使いを私は一昨年ぐらいしたんだけど、
そのゆうこさんにベビーシッターをしてもらったんだよね。
もうそこがもうゆうこさんとの、
あの、その年ぐらい、その前ぐらいからだけど、
そう、始まりぐらいな感じなわけよ。
そう、だから私はなんか一回この人って思ったりすると、
この人大好きとかこの人すげーとかって思ったりすると、付き合いが長いのよ。
もう、なんか薄く広くっていうよりかは、もうこの人の人間性がすごいとかって思うと、
なんか、何回要所要所で高かろうが何だろうが、その人に頼むってことを結構してきてて。
そう、で、まあまあ、このゆうこさんとの付き合いもここが2011年ぐらいから、
開業当初から始まって、12年ぐらいからかな。始まってんだよね。
そう、始まってて。
そう、で、まあ、あの、3歳の娘をね、彼女に託して、
あちこち遊びに連れてってもらってたわけですよ、イベントの時にね。
クラフトチョコレートムーブメントとイベントの背景
そう、だし、まああと、その最初にその声をかけられた、
今でも今回のイベントも主催してる、立花商店さんっていうね、
カカオのトレーディングカンパニーなわけですよ。
日本にカカオの豆を輸入してる会社?輸入してる会社なんですよ。
だから基本B2Bだから、こう、通信向けのイベントとかっていうのは全然やってなくて、
ただ、あの、ちょうど2013年とかって、世界でクラフトチョコレートムーブメントみたいなものが起こって、
起こって、あの、なんだっけ、アメリカのサンフランシスコとかでも、
あのそういうクラフトコーヒーみたいな感じで、クラフトチョコレートが、こう、大量生産しないチョコレート?
あの、一つの企業で、えっと、大きな生産ラインを持たないで、
コーヒー屋さんみたいなところでも、焙煎機があれば焙煎して、そこから、
あのカカオのコーヒー豆焙煎するみたいにカカオの豆を焙煎させて、で、そこから皮剥いて、
チョコレートまで仕立てるみたいな動きが流行ったわけですよ。そう、だから最初の走りとすると、コーヒー焙煎をしてるお店から
が多かったんだよね。結構ね、クラフトチョコレートのメーカーでね。
そう、で、そこから始まってってなって、で、まぁ2013年は日本でもそういうところがポチポチ、
あの、出てきたから、じゃあこういうのをやろうみたいな感じで、イベントを橘さんがやって、で、当時、
えっと、学生だったね。あの、
学生がいたわけですよ。ちょっとガーナに行って、で、ガーナのカカオを使ったチョコレートを作ろうっていうプロジェクトを、
当時学生だった方が、で、今も立場の商店の社員になっている方がいて、その方とかも入って、えっと、
その、カカオ豆からチョコレートになるまで、みたいなことを、あの、若い学生たちも啓蒙活動に入って、その若い学生たちが、
まあ立場の商店っていう企業の後ろ盾があるけど、学生たちが結構メインで頑張るぞ、みたいな、
縦付けでね。やったんですよ。
イベントへの参加と当時の熱意
そう、で、そこで、あの、まあ、
ローチョコレートの中だとビーントゥバーチョコレートをいち早く始めたのがチョコレコだったから、チョコレコにも声がかかって、
で、もう忘れもしないよね。初めて私ね、そうやって夜、娘を置いて、
ビジネスミーティングみたいな感じに、夜行ったのは、あのね、その時が多分初めてだったんじゃないかなと思うの。
このイベントを赤レンガ倉庫、横浜のね、赤レンガ倉庫でやるのに、
あの、最初のキックオフみたいな、もう赤レンガ倉庫もまだ場所も決まってない時じゃないかな。
で、こういうのやりたいと思ってるんですって。で、今日本国内でそういうことをやってる人は、この、あの、
10人ぐらいです、みたいな感じで、あの、声かけられて、で、そこで言って、
それこそ、今、あのビーントゥバーのチョコレートだともう日本の代表格みたいになってるミニマルさんっていると思うんだけど、
ミニマルさんの、えっと、もうその味、味のこう決め手とかとなる、
あの、その、味を作るプロフェッショナルみたいなところで、朝日さんっていう方がいるんだけど、ディレクターみたいな形で今ね。
朝日さんが、あの、そのミニマルの山下さんに声をかけられてミニマルを立ち上げる前だよね。
朝日さんがコーヒー屋さんをやっていて、それでコーヒー焙煎機でチョコレートも作っててっていうタイミングだったから、
朝日さんの当時のお店で集まって、で、こういうイベントをやろうと思ってると。
で、一家制のブームに終わらせないで、そのイベントというのは継続してやりたいと。
で、あの、日本でもしっかりそのクラフトチョコレートっていうのを根付かせていきたいよっていう熱い思いを持った人たちが集まったみたい。
そう、ね、集まったんだよ。で、そこで、いや、頑張ろうみたいな感じだけど、もうみんなちっちゃいから、みんなちっちゃいからね。
結局、その後、タイガーから黒船みたいな感じで、ダンデライオンチョコレートさんみたいなところが来たわけですよ。
そう、来たわけですよ。もう、そっからまた先の話もいろいろあるけど。
夜明け前の時代とコアファン
まあ今日は、その、夜明け前みたいな、そう、夜明け前みたいな時代に、が2013年だったわけ、最初に。
だからこの最初の2013年のイベントに、こんなね、あの、イベント、チョコレート単体のイベントに、
どのぐらいの人が集まるんだろうって、会場費だけでも赤レンガって高いんだけど大丈夫かなみたいなところから、
でも、この熱い思いを届けたいっていうので、もう手作り感満載で、やったー!
最初があって、そこに集まる人たちって本当にチョコレートのコアなファンじゃないですか。
本当にそれでも最初のそこの場所に居合わせたい、みたいな人たちが、もう2013年はめちゃくちゃ集まったわけですよ。
そう、ここに、ここに来てくださってる人たちみたいな感じですよ。もう世間的にはめっちゃマイノリティ、
だけど志はもうある、高い、そういう感度がめっちゃいいっていう人たちね。
そう、だから、なんか、この自分がそういう思いを持ってて、そういう思いを持ってるメーカーさんの祭りに乗りたいっていう人たちだからさ、
もうなんかめちゃくちゃ熱かったわけですよ。で、私、チョコレコとしてもめちゃくちゃ尖ってる。
尖ってるっていうかさ、今考えるとさ、もう本当にさ、あのー、そう、よくやったなと思うわけ。
あの、アウェーの中で、他のメーカーさんと日本でやってる数、10社弱と、
あと海外のハワイのビーンツーバーチョコレートのマノアチョコレートさんだって今もあるね。
いくつかそういう、あの、すでに海外でビーンツーバーチョコレートそれなりの規模感でやってるところみたいなのを輸入してるメーカーさんとかって合わさってやったっていうイベントだったんだよね。
そう、だからそんな中でさ、もうめっちゃ手作りでさ、
本当に豆からっていうのをさ、一生懸命やってさ、いやもうテンパリングがうまくいかないとかっていうのありながらもさ、
必死でさ、その間に合わせるまでやってさ、それこそ、あの、もうイベント当日とかも徹夜してさ、子供も連れてさ、みんなでさ、車でみたいな。
超必死だった記憶しかないな。
そう、なんか、ね、徹夜で子連れでみたいなさ、本当。
13年後の現在と変わらない根っこ
でもあの時から、じゃあ今がそんなに変わってるかって言ったら、どうなんだろうみたいな、意外とずっと変わってないっていうか、
意外、意外と根っこの部分ってあんまり変わってないんだよな、みたいなのをちょっと気づきましたよね。
そう、根っこの部分は全然変わってなくて、ただなんかできることは増えたし、
できることは増えたけど、まだまだだなっていうところもたくさんいっぱいちょっと気が付いたっていうところと、
まぁちょっとなんかそういうね、ちょっと長くなっちゃったからもう終わりにするね。
あの、その、夜明け前みたいな、そういう志を持って、じゃあ今13年経ちましたと。
2013年からね、13年経ってどれだけのメーカーが今も残っているかっていうところだよね。
だからだいたいさ、あの企業とかでもさ、立ち上がるは立ち上がるけど3年後がいないとか、3年後とか5年後とか10年後とか、
10年生存率とかって言ったらスーパー生徒みたいな形になっていくと思うわけなんだけれども、
まぁでもいろんな意味で、なんかここはまた違う感覚でイベントに参加、
全く違う感覚で今回のイベントに参加するんだなっていうのを改めて今朝思ったので、
それをちょっとこれからブログとかホームページとかここでも語っていきたいなっていう風に改めて思いました。
はい、だから今日をみんなに伝えたかったのは、あの…
今もまあまあ尖ってる。
まぁそうだよね、変わってるよね、ちょっとね。
あの根っこの部分は変わんない、そうだよね、大抵はそうだよね。
うーん、その時期は必死だった。
いやー今も結構必死のパチですけど、必死はさらに違う意味での必死だよね。
経験から語れる言葉と挑戦
違う、なんかその時々の必死さってあるけど、
うーん、経験がない分必死の度合いもまた違う感じだよね。
そう、だけどやっぱりその時にあのこういう風になりたいとか、
なんかこの思いを世界に届けたいとか広げたいとかさ、
そのローチョコレートっていう狭い枠だけじゃなくて、
ローチョコレートからするとビントゥーバーチョコレートの方があの少し枠が大きいわけ。
チョコレート全体で言ったらもう10%以下みたいな。
チョコレートっていう枠で言ったらビントゥーバーチョコレートももう、日の日ですよ。
今でこそ普通の大手さんも、あのね、大手さんも格安でそういうビントゥーバーチョコレートとかもやるようになってるけど、
もうその時代はなかったから、なかったからね。
そう、だから、あの、
それを、だから大事なのはその時の生き承認じゃないけどさ、
その時経験してる人しか語れない言葉っていうのがあるわけじゃない?
そう、じゃあどうやって10年間続けてきたんですかとか、
10年続けてない人にとってはどうやってって思ったりするわけじゃない?続けたいとかって思ったらね。
そう、だけど、あの、その歴史に対してもそうだし、その最初の点だったりとかも、
なんか今今日話したりとかするのにさ、久しぶりに思い出したわけ。
あの時震える気持ちでサンプルを持って行って、
そのクラフトチョコレートってかビントゥーバーの人たちに食べてもらってどんな評価されるんだろうって。
ローチョコレートの業界の中の人たちの中では美味しいって言われても、
その枠が広がった中ではどういう評価があるんだろうとかさ、
いやこの、私はいいと思ってるけど、なんかね、いろんな感覚がある中で、
えっと、いろいろね、誹謗中傷とかされた時に私はメンタル耐えられるのかなとかさ、
もちろん本当にいろんなこと言われたわけ。その枠が大きいところにローチョコレートのビントゥーバーをちょこっと出した時にね。
いやーやっぱ焙煎してないから香りがないねーとかさ、いろんな言い方されたわけよ。
なんか酸が強すぎてきつくて食べられないとかさ、
もう本当いろんなことを言われたんだよね。
うん。だけど、もうさ、それもさ個人差あって、私はそれでいいと思ったから。
それが美味しいと思ったから別にいいじゃん。
で、私が美味しいと思っていることに対して、少人数だろうが美味しいと思っている人がいるんだったら、
そこに存在意義があるからいいじゃんっていう風に思ったんだよ。
そう思って、思ってその気持ちはずっと今もあるっていう感じ。
そう、なんかそれがもうね、いやーって。
存在意義と今後の活動
もう美味しいと思う人一人しかいませんねってなっちゃったらもう商売にならないから、
もうちょっと廃業ですっていう風になっちゃうと思いますっていうところで。
そう、というところで、今ここに来て、やっぱりその広げるっていう活動をあんまりやるでやってないから、
もうちょっとそこに、そこをもう一回やろうっていう風に思っての今回ですということでございます。
はい、ということで、あのちょっと、あのこの歴史についても改めて忘れちゃうからね。
どんどん塗り替わっちゃうからね。話していきたいなと思って今日はこんな話をさせていただきました。
今朝もご視聴いただきましてありがとうございました。