1. Chikaraのチカラチャージ💪ラジオ
  2. 【みやけんさん前編】 出会い..
2024-05-24 55:04

【みやけんさん前編】 出会い〜ガードレールショックとNFT立ち上げ

今日のチャモリゲストは、スタ友でMy Cool HEROESのNFTコレクション運営メンバーのみやけんさんがゲストです。

今日の出会いと歴史(前編)は、
あのコミュニティのガードレール話から、My Cool HEROES第一弾のNFTコレクションを出した1stフェーズまでを振り返ってみました。

後編は、明日土曜日に公開します。ぜひお楽しみに!

また、みやけんさんのさらに前の歴史を紐解いた、キャンディとみやけんさんのコラボを聞いてから、ぜひこのチャモリ回もお楽しみください

▼キャンディとみやけんさんのコラボ▼
【ゲスト・みやけんさん】キャ(ン)ディ柳徹子の部屋
https://stand.fm/episodes/66473d8aac511ca08cbb8241

▼みやけんさんのスタエフはこちら▼
薩摩訛りの耳毒ラジオ
https://stand.fm/channels/63a663a47655e00c1cbda4e9

◾️タイムスタンプ

1番最初に出会ったのはチムニータウンDAO
〜みやけんさんが西野サロンに入った経緯は?

Chikaraが西野サロンに入ったきっかけはカジサック
〜みやけんさんがサロンに入った目的

チムニータウンDAOへの参加
〜ガードレールショック
〜X2E-DAOへの参加
〜My Cool HEROESの立ち上げ

NFT冬の時代
〜My Cool HEROES第一弾フレア発売(1stフェーズ)
〜後編へ続く

▼▼ 過去のチャモリ回はこちらから ▼▼
 #チャモリのテレフォンショッキング
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[BGM: MusMus]

#NFT
#毎日配信
#コラボ収録

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stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/63804647b4418c968d353e65
00:06
チカラチャージ💪ラジオ〜
おはようございます。
茶森です。
今日は金曜日ですので、
茶森のテレフォンショッキングの日になります。
今日はゴールデンウィーク明け、
久しぶりの第一発目、
ついにスタトモ仲間、
そしてマイクールヒーローズのNFTコレクション仲間の
あの方の登場です。
みやけんさんの登場です。
どうぞ〜。
さつまチャージ💪
で、おなじみのみやけんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
すいません、途中で、
間に耐えられずに笑い声を入れてしまいました。
よろしくお願いします。
今日はね、みやけんさん、
僕の茶森の少し間が空いた第一回目なんですよ。
ゴールデンウィーク挟んでちょっとね、
お休みいただいちゃったんだけども、
ようこそお越しいただきましてありがとうございます。
今日はね、普段みやけんさんとは
毎週火曜日の1時半から
ライブでコラボをずっとやってて、
普段話はね、よくやらせてはいただいてるんですけど、
茶森ということで、
今日は普段なかなか2人でも話をしないような、
みやけんさんと僕の出会いの振り返りみたいなところから、
少しそんなお話をできればなと思っております。
そうですね。
なかなかだって、今スタイフ聞いていただけてる方って、
NFTとかWeb3とかあんまり関わってない方とかもいたり、
当初のチムニタウン・ザオとかで関わってた方じゃない方のほうが、
最近増えてきてるから、
多分僕とみやけんさんがどうしてこんなに一緒に活動を始めてるのかとか、
あんまりちゃんと知らない方とかも多いような気がするので。
そうですよね。きっと興味津々だと。
無理にそんな興味を引っ張ろうとしなくていいんですよ。
すみません。
でも本当に普段よく毎週しゃべってるし、
近いんだろうなというのは思ってるけど、
そこの流れっていうのを改めて振り返るということで。
ちょうどあとはあれでしょ。
この僕の茶盛り収録会の前の週だと思うけど、
キャンディさんとのキャンディ柳徹子の部屋にもみやけんさん出られたってことで。
03:04
そうですそうです。
チャンですね。と喋らせていただきましたよ。
そっちでも結構みやけんさん、ご本人の歴史の振り返りをやられてるようなので、
ぜひそちらは、まずそちらを聞いていただいてから、
茶盛りに来ていただいた方がいいかもしれないですよね。
そうですね。よくわかんないけどよろしくお願いします。
お願いします。
実際だからキャンディ柳徹子の部屋とこの茶盛りのみやけんさん会は、
どちらもみやけんさん会なので、
同じ日にこの放送を公開するという予定になっているので、
ぜひまだキャンディ柳さん聞いてない方は、
このコメント欄に放送リンクを貼っておこうと思うので、
そちらも聞いていただければと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
早速なんですけど、僕とみやけんさんの出会いの振り返りをしたいなと思うんですけど、
一番最初の出会いはチムニタウンダオっていうね、
西野明洋さんのサロンで立ち上げたダオが最初のきっかけだったんですけど、
あそこって、もともとみやけんさんってチムニタウンダオに入ってきたきっかけというか、
その前の西野サロンに入ったきっかけになるかもしれないですけど、
そのへんのきっかけってどんなことがきっかけで入られてたんですか?
2002年前でしたっけ?2022年。
2022年ですね。
だからその前だと思うね。2021年からサロンに入ってたと思うんですけどね。
でもこれがね、なんで西野サロンに入ったのか全然思い出せないんですよね。
まじですか?なんかあった匂いが。
何があったんだろう。何故か全然思い出せなくて。
いつからあれサロンって。そもそもフェイスブックじゃないですか、あれって。
そうです。
フェイスブックなんてほとんど見てなかったというか。
気づいたら西野明洋サロンのやつだけフェイスブックでは見てるみたいな感じだったんですよね。
じゃあ本当に西野サロンに入るためだけにフェイスブックを使ってたぐらい、何かがあったんじゃないですか。
いや全く覚えてない。
珍しいですね。だってあれ無料じゃないからね。
そうですね。僕も時々思い出そうとするんだけど、
そもそもあれ何で入ったんだっけ。ボイシーが先かな。
06:02
西野さんの?
サロン自体に入るのはたぶんボイシーが先だと思うんですよね。
そうなんですね。
でもそもそも西野明洋をビジネス系インフルエンサーとして認識して聞き始めたっていうところのきっかけは全く思い出せなくて。
おおーなるほど。そうなんだ。
もしかしたら大高知先生のボイシーとかからかもしれないな。
あ、そうなんだ。
ちょっと思い出してきた。YouTube好きだったんで、僕YouTubeすごい見てたんですよね。
YouTubeでお金の勉強とか、歴史の勉強とか見てたから、もしかしたら思い出せないけど、
大高知先生のYouTubeにたどり着いて、そっからボイシーに入って、
ボイシーへ西野明洋に行ったのかもしれないですね。
じゃあ何かしらのビジネスをやるとか、お金をどういうふうに運用するみたいな、
そっち系からビジネス系からたどり着いていったって感じですかね。
そうですね。やっぱり仕事を、バスの運転手を辞めて、独立して何しようかっていうところで、
YouTubeを最初動画したいなと思ってたんで。
あ、何か言ってましたよね。YouTubeもやられてたって言ってましたっけ。
そうそう。だからYouTubeの勉強として見てたりしてて、
あとはビジネス系とか、お金関係とかも見てて。
たぶん思い出せないけど、つながるとしたらそこからかなって気がしますね。
あ、そうなんですね。
それで西野サロンにたどり着いて聞き始めて、
2021年というとちょうど映画を立ち上げるぞー!ぐらいの頃ですかね。
そうですね。だから年末のプペルのときは追ってはいたんだけど、
まだそのときはサロンに入ってないんですよね。
表に出てくる情報だけを触ってるみたいな。
触ってたんでしょうね、きっと。ちょっとうろ覚えですけど。
でもサロンに入ってからはもうガッツリ。
そしてすぐにダオとかの話、NFTの話。
ああ、そっか。そうだった。
映画がたしか1月ぐらいの公開で、その年の3月ぐらいですよね、ダオって言ってたのね。
映画が12月にスナックでしたもんね。
ああ、そっかそっか。
見に行ったりもしたんですよね。
あの頃だったんだ、ニュースに入ったの。
そうなんですね。
いやでも僕はね、僕ははっきり覚えてるんですよ。サロンになんで入ったかって。
09:03
僕はきっかけはね、最初はカジサックだったの。
カジサックのほうね。
うん。そのカジサックを見始めた理由も僕はっきり覚えてて。
あれ、エンタメとして見てたんじゃなくて。
僕ね、実はあんまりこれ喋ってないんだけど、
当時、会社でかなり精神的に参ってたんですよ。
初めてだと思う、仕事で精神的に参ったのが、あの時。
上司が小さい会社、小さめの10人ぐらいの会社の社長だったんだけど、
ものすごいマイクロマネジメントをしてくる人で、
もう10箱の炭の炭の炭の炭をつつくような。
ああ、元祖10箱の炭つつき。
ものすごかったんですよ。
社内の10人ぐらいしかいない会社なんだけど、
全員に、全ての10人のメールは全て全員をCCに入れろっていう指示があって。
要は全員が何をやってるのかを、全ての従業員は見なさいっていう方針で、
毎日300件ぐらいのメールが来るんですよ。
ちょっと待ってください。
全員で共有しなさいまでは、いいじゃないですかって思ってたけど、
300件はやばいな。
毎日ですよ。毎日。
で、それをなぜあなたは見てないんですかを、毎日つつかれるんです。
それメールだけを見てればいいよ。気づくよ。
でもこっちはさらに、9時から18時、6時までは全部打ち合わせにお客さんとかが入ってるから、
僕が帰ってくるときにやっとメールを見始めるんですよ。6時ぐらい。
そこからだから夜中12時まで、仕事をした上でメールを300件とか見るわけですよ。
夜中かけてね。そんなのは無理でしょ。
読むだけでも。
無理だよ。
で、さらに自分宛もあれば、自分宛じゃないのもあれば、
自分宛じゃないものも含めて、部下の分も含めて、ツッコミが入ってくるっていうね。
いやー、その社長、とんでもないバイタリティーですね。
うん。だって社長はそれをチェックすることが仕事みたいな感じだったと思うから、たぶんね。
もちろん全体を見てる上でだけど、だからそれは全体も把握できてるし、
気になったところをチェックできるけど。そういう状況だったんですよ。
そのときに僕はもう初めて精神的に病んだんじゃないかって自分で思ったんです。
病院は行ってないけどね。
で、ちょうどカジサックさんが、しくじり先生で逃亡した、精神的に病んでいなくなったときのことをやってた。
それを見たのが最初だった。
それ僕も見ましたよ。
見ました?あれ面白くて。
あの辺はやっぱり見てましたね。
くじり先生は面白かったです。
面白かった。
テレビでやってたときのね。
すごい面白かった。
で、だから僕あれにも入りました。ニコ動じゃなくて何だっけ。何かで見れたじゃないですか。
12:02
TVerじゃなくて。アーカイブが見れたやつがあって。
でもカジサックがスタートして、3か月目ぐらいでもう見てたんですよね。
あ、カジサック。すごいですね。早いですね。
だからYouTubeずっと見てたんで。
あ、そうなんだ。すごい。
だから中田のカジサックが11月ぐらいに、
1年で100枚いかなかったら辞めるってのを始めて。
言ってましたよね、当時ね。
で、僕たぶんその年の3月ぐらいにカジサック見始めて。
早い。じゃあ一人にカウントされてるじゃないですか、三宅さん。
入ってます入ってます。
すごい。すごいですね。
で、5月ぐらいにあっちゃんが始まったんですよね。
あ、そうでしたか。そんな早かったんだ。
あ、だからそっちからかな。わかんないけど。
ああ、そうなのかな。
僕その時はもう全然興味ゼロだったんですよ。
だから見もしなかった。
だってSNSとかそういうのあんまり全然触ってなかった人ですもんね。
全く触ってなかったから。
で、YouTubeも全然僕の領域外だと思ってたし、
100万人行くかどうか知ったこっちゃないと思ってたから。
それは僕も知ったこっちゃない。
それで言うとね。
僕が精神的に落ちたときに同じような恐怖に感じたんですよ、
カジサックさんの当時の話を聞いたとき。
それでカジサックさんに興味を持ち始めて、
それから動画を見始めたんだけど、YouTubeカジサックを。
何を見たかって、芸人さんとのコラボをずっと見漁ったんですよ。
そうそう。ずっとやってたもんね。
やってた。
あの頃は僕も面白くて。
面白かったでしょ。
しかもあのとき、さらにカジサックさんが、
カジサックさんって言ってるのかな?
カジサックが。まあどっちでもいいけど。
当時いろいろ何かが苦労された芸人さんとの対談をよくやられてたように思って。
確かに。
ご自身の経験も含めてなんだろうけど、
そういうところがすっごく面白くて。
山本さんとかも出てたし、いろいろやってたでしょ。
結構僕も近い気持ちで見てたかも。
やっぱり自分も負け組みたいな。
なんかあったでしょ。
あ、この人本当はこんな面白いんだっていうのを、
すっごくカジサックのあれで感じたのを覚えてる。
なんかね、だからそれで僕が入り始めて、
うわ面白いし、僕にも勇気もらえるなと思いながら、
そこでたまたま西野さんとの対談をさらに遡ったんかな。
なんかあれ、二人で話したYouTube。
あったあった。
そう、何人記念、50万撮って。
あ、そうかな。
なんかね、当時のことを振り返るみたいに、
あの時お前がいなくなった時どうのこうのみたいな、
二人の話をその順番で見たんですよ、僕。
15:00
あれ僕ももしかしたらそこかな。
西野さんに。
入ったきっかけ。
興味持ったきっかけは。
僕はまさにあの動画をその順番で見て、
あ、西野さんっていろいろ考えてる人なんだ、
すげえなって思ったのがきっかけだったの。
じゃあサロンってお金払ってもいいから一回入ってみるかって、
僕はそこだったんですよ。
いや、もしかしたら遠いかもしれない、僕も。
あ、近いとこあるかも。
近いかもしれない。
だから今思い出せないんだけど、
どこで西野秀夫って言ったのか思い出せないけど、
でもその流れでいくと、
確かにカジサックは始まって3ヶ月後ぐらいに見てたから、
そうかもしれない。
じゃあそっか、ちゃんと始まった順番で西野さんとの対談も目にしてはいるでしょうからね。
そしたらやっぱり興味持ちましたもんね。
ね、持ちましたよ、あれ、あのときに。
あ、お笑いやってるだけの人とかじゃないんだなって思ったから、あのとき。
そっから絵本とかプペの映画とか。
そうそうそうそう。
あったかもしれないですね。
ちょうどそれで見てて、僕はだからちょっと早かったと思う。
三宅園さんより西野サロンに入ったの。
もう半年かちょっと前だったと思う。
サロンはずっと粘ったんで。
ずっとボイシーだった気がするんですよね、情報。
先にボイシーだったんだ。そっか。
僕逆にボイシーは聞いてなくて、YouTubeとサロンだったかな。
あ、違うわ。僕ボイシーじゃなくて、
ボイシーをYouTubeで最初西野さんがやってて、そっちで聞いてたんだ。
そうなんだ。それを最初と言ってる時点で、やっぱり僕かなり前からボイシー聞いてますね。
そうだと思う。だからボイシーってよくわかんないし。
だから僕当時はYouTubeとか新しいテクノロジー的なのは一切もう僕の範疇じゃないと思ってたから。
なるほど。意外とそうなんですね。
全然僕の仕事にも関係ないと思ってたし。
そういうのをやってる人はやってればっていう感じの人だったんで、最初。
だからそれでYouTubeを見始めたのも、
カジサックがYouTubeのきっかけぐらいに僕はYouTubeを見てなかったし。
だからツイッターも当時使ってないし、
Facebookなんかは登録はしてたけどほっといてたって感じだし。
僕はボイシーで西野さんと鴨頭さん。
鴨頭さんはYouTubeでも急激にバーンって出てきたから。
じゃあ早いタイミングでいろいろ聞かれてたんですね。
そうですね。
で、池早さんはどこから聞き始めたのかな。
YouTubeで見てた方も結構いましたけど、僕は全然知らなかった。
池早さんはYouTubeで見てたときに、
YouTubeに目についたときに、こいつ好かんなって思ってたんで。
18:04
もう当時から?YouTubeの頃から?
当時からって言うとまたちょっとごめん。
最初ね。最初YouTubeでもインフルエンサーとして結構出てたんで。
そうなんですね。もともともそのくらい知名度あったんだ。
で、2、3回見たところで、こいつ喋り方好かんなと思ってたんだけど、見た目とね。
でもボイシーで聞いたときにはそれが変わったんですよね。
あれ、この人声だけ聞くと別に耐えられるなみたいな。
あ、印象がやっぱり違うんですかね。
で、言ってることが面白かったっていうか、
NFTに僕も興味を持ち始めてたときに、NFT発祥はとにかくガンガンしてたから。
それで、だいたい僕ボイシーは西野、鴨ヶ島、池早ってこの3つ聞いてました。
あと大幸治さんが。
あーもう早いですね。
この4つをずっと聞いてましたもんね。
それ西野サロンに入る前から?
前です。
すいぶん早いじゃないですか。そうなんだ。
たぶんそれが2020年とかだと思うんですけどね。
えー早い。早いですねそれ。
そう、2020年だ。1年ぐらいずっとボイシー生活でしたもんね。
えーそれはすごいですね。
当時からNFTの話とかは聞こえ始めてたんですか?池早さんとか。
池早さんはいつ聞き始めたかはちょっと覚えてないんだけど、
それがNFTの話をしてるのを聞き始めてますね。
あーそうなんだ。早いですね。
それでやっぱりコミュニティが大事だっていうことがだんだんだんだんわかってきて。
西野さんとかの話で。
あー言ってましたもんね。
コミュニティ活動しようと思ってサロンだ。
あーそっか。当時まだDAOっていうのはあんまりだったもんね。
鹿児島でも西野サロンってあんのかなみたいなので調べて、
そっからあるじゃんって言ってちょっとコメントとかしたら全然反応がなくて。
あれ鹿児島のサロン死んでるじゃんとか思って。
まあでも誰かしらはいるは言いそうですけどね。
そのときにサロンに入ったりは入ったりして。
今はちょっとつながりあるんですよ。
あ、そうなんですか。それはすごいですね。
その後ですね。
そっか。コミュニティっていうのを何か活動しようっていうのでサロンだったのか。
うん。サロンにとりあえず入ってみて。
でも意外と動いてねえなっていうのを思いながらずっと。
でもDAOが始まったから、じゃあDAOだって言ってきたんですよ。
あーそっか。
鹿児島サロンって動いてねえなと思ったところにDAOなんですよ。
じゃあ目的はちょっと戻るかもしれないけど、
21:01
コミュニティに何かしら手を広げていかないとって思ったきっかけは何だったんですか。
その空田は完全に西野さんのボイスをずっと聞いてて、
コミュニティの力だ、これからはコミュニティの力だみたいなのを洗脳されていって、
自分も何かコミュニティに入ろうっていうわけですね。
でもあれでしょ。コミュニティに入ろうっていうのは流行りのような感じもあるけど、
でも目的はあったわけでしょ。
そのコミュニティに入って広げて何かをしたりとか、こういうことを悩みを解消したりとかわからないけど。
それか、とにかくどういうものかっていう。
とにかく仲間というか、サークル的なグループに入らないと、
入ったほうが勉強とかいろいろできるし、
だろうなーっていうのをだんだん思い始めて、
でも何でもいいからと思って、サロンやったらサロン越えってなって、
もう他に探しようもなくて、自分の身の回りではね。
そしたらDAOが始まったから、もうDAOにのめり込んだって感じですね。
その時はもう独立されてたんでしょ?
はい、もうしてますね。
もうフリーランスとして活動をしていったって感じですか?
していったんですね。
その当時はNFTにはもう興味持ってたっておっしゃってましたっけ?
そう、NFTはね、興味持ってましたよね。
あれ、いつだろうな、NFT知ったのは。
とにかくNFTアートという言葉がね、やっぱり耳に入ってきたから。
でも最新のアートの情報だったら、僕は知っておかないといけないだろうっていうのがあったので。
でもそこの情報の取り入れるところが、だからイキハヤさんしかなかったのかな。
ああ、当時はね。
そこに西野さんがNFTやろう、DAOやろうみたいな。
ああ、そっか。そこで繋がってるんだ。
コミュニティとしてサロンに入って、そして自分がコミュニティに入らないとっていうのとキャッチしたから。
すぐですもんね、そっか。
そうそう、タイミングがポンポンポーンときたんで。
西野さんのDAOに入ったときはまだ西野さんはあんまり喋ってなかったと思うけど、NFTはね。
でもその後すぐに。
だいぶ放置されてましたからね。
だから映画が落ち着いたからっていうのもあるのかもしれないけど、すぐにDAOっていう話に出ましたもんね、急にね。
24:01
3月ぐらいだったと思うけど。
ああ、でしたね。そうですね。
ああ、そっか。
だからそれでチューニータウンDAO作るよーってなったときに、すぐに反応した。
ちょっと難しいなとは思ったから。
どんなところが難しいっていうの?
どんなところが難しいって、もう今更わかんないけど。
参加することが難しいのか、何かを自分がやるのが難しいのか。
やっぱりFacebookが難しかったんですよ。
あー、そろそろ。
よくわからなかったんですよ。入ろうと思ってもこれどうするんだみたいな。
で、一応コメントとか入れてみて、
DAOにもし入る人はこうしてみたいなのを、
そのこうしてかよくわかんないな、これFacebookのどこのどれを操作するんだとか思いながら、
めちゃくちゃやってたら、締め切りましたーとかなって。
あれー、僕申し込みしようと思ってたけどできなかったとかをサロンでつぶやいてたら、
実はできてたっていうね。
あ、そうなんだ。そっかそっか。
一番最初のDAOへの申し込みは自己申告制でしたもんね。
入りたいって言わなきゃダメだっていう感じだったもんね。
なんかGoogleフォームみたいなやつを入れないといけなかったっていうのがあって。
なんかありましたありました。そうだそうだ。
で、それ記憶がないなと思ったから入れませんで、もう次を期待しますとか言ってたら、
全然記憶はないけどちゃんと書いてたらしくて。
すごいじゃん。
ちゃんと入れてたらしくて。
あーよかったですよ、それ。
それ出たから第一期で入れたんですよ。
あーよかった。
それ、もしその時本当にミスってたら、僕と三宅さんたぶんこういう出会いの展開してなかったでしょうね、たぶんね。
あーですね。二期のたぶん入りになるから。
二期だいぶ遅かったですもんね。
3、4ヶ月空いてましたもんね。
うん。
で、結局だって二期で入ってくる方たちが来たタイミングって、
もうだいぶ一期で来て楽しんでた人たちは密接に仲良くなった後だったもんね、たしかね。
そう。だから二期とかを迎えるための準備を一期がしてましたもんね。
そうそうそうそう。
だから青々さんとかさ。
そう、加田さんとかね。一緒にやってましたよ。
本をページを作ったりとか。
そうそうそうそう。
で、後にガードレール作れないやつらって言われた。
いや作りましたけどって思ったやつね。
どんだけ頑張ったと思ってんだよ。放置された仲間になりけんけんガクガク言いながら。
けんけんガクガクでもないわ。喧嘩もしてないからね。
そうそう。きれいに。
きれいに。みんなすっげえ優秀な人たちで感動してましたからね。
やっぱりそうでしょ。
27:02
すっごく建設的で、優しく優しくお互いの意見を尊重し合いながら作り上げるなんて優秀な人がいるんだ世の中にはと思って。
鹿児島なんてパチンコと酒と煙草の話しかしないようなおじさんたちしかいないから。
客の愚痴とかしかしない。
やめるやめる言って全然やめないやつとかばっかりだから。
なんて素晴らしいんだって感動して見てたのに、ガードレールも作れないすぐ喧嘩し始めるとか、ちゃんと見てから言えよって。
そういう意味だと愚痴なんか出たことはあるかもしれないけど、そういう方たちは逆に抜けていったような気がする。
記憶にないな本当に。
ないですよね。
本当に変な人って見なかった気がする。
そもそも西野サロンに入ってた人ばっかりで、そこからさらに宣伝されてるから。
だからちょっと経路が違った感じもしましたけど、まとまりがありましたよね当時ね。
まとまりあったし、建設的だったし。
前向きにどうしようって本気で考えたもんだって。
本気で考えたし、本当に意見が確かにそうだって思うような反対意見みたいなやつも、すごく別に変なこと言ってるやつ以外いるじゃなくて。
検討して取り込んでとかね、中間点探したりとかみんなやってましたよね。
すごいしてた。
それでいてめっちゃチムニタウンにも気を使ってたし。
そうそうそうそう。絶対やっちゃダメな部分って言われてたから、最初に一つだけ言ってたじゃない。
キャラクターを作ったりとかイラストを外部に出すっていう、ブランディングを壊すようなことは絶対にダメっていう。
唯一それが言われたガードレールだったでしょ。
そうでしたね最初でね。でもそれをもうみんな分かってたからね。確かにねみたいな。
絶対にそこは犯さないって分かってた。まあサロンメンバーだったっていうのもあるからね。
だから誰一人間違ってもおまんじゅうくんを作ろうぜみたいな。一人もいなかったんだけど。
いなかった。いなかったのになんでか2期の方とか入ってきたあたりで、あれガードレール作れない奴らっていう感じになって。
アイデア出せない奴らみたいな感じになって。
やっぱり喧嘩ばっかりしてるとか、おまんじゅうくん作ろうとしてるとか、誰がそれ言ってんのっていう。
まあ一部いたのかもしれないけどね。当初やってた本人からは、いや真逆だと思うんだけどなっていう違和感はどうしても感じてたよね。
あれもありましたね、あの事件。
そうそう、まあ事件というかね。
クラウス間の中では大事件。
大事件。
おいおいおいおいって。
でもね、おいおいって言う場所もなく言うのもちょっと気が引けるというかね。そういうつもりじゃなかったしっていうのがあって、残念な気持ちにはなったけど。
30:04
残念でしたね、あれは残念でしたね。あんたのために僕なんかどん引きしましたか?
まあね、ストレートに言うとどん引きかな。
どん引きしましたかね。
まあオブラートに包むとまあ、そうかっていう。
苗々の苗場スキー場。
出た。あれ青山さん言った記憶がないって言ってたよね。酔っ払いのターボスダーツっていう。
あれは覚えてる感じはないけど。
苗々の苗場スキー場はついこの間の名言ですよね。
そうそう。チムニタウンダウンの話も。ちょうど今出たけど、それをきっかけに当時第一期として中に行って、やりたいことすべてはできない。
特にイラストを描くっていうことを本業にされてる方って何もやれることがなさそうって、僕も実はイラストレーターじゃない僕から見るとそれを実は感じてたんですよ、当時。
その中で三宅さんもいたし、しるさんもイラストレーターさんとしていたし、ひろゆきさんっていう方もいたりとか。
僕から見てもったいないなって思うイラストレーターさんが何人かやっぱりいたから。
それで僕当時、事件をきっかけに違うダオを見ていこうと思って僕動き出してたときに、
Xトゥイダオっていうところが、何でもウェルカムみたいな新しいことやりたい人集まってみたいな真逆のダオに見えたんで、
そっちだといろんなやりたいことある方やれるんじゃないかと思って、いろいろお声掛けして、興味ある方一緒にできるかもしれないからこっちどうですかって声かけた記憶があるんですよ、Xトゥイダオね。
それで三宅さんも確かね、なんかあるならって言って顔出していただいたみたいな、そんな感じだった気がするけど。
そうですね、当時はですね。
ね。またあれだけど。だから当時ね、歴史として順次に。
歴史としていくとね。
そんな感じよね。
もうXトゥイダオは素晴らしいなっていうね。
メジャーなダオはもうその当時、だから僕らでいうチムニダオの一期性的にもうコアメンバーみたいな人がだいぶ固まっちゃってたような気がして、
後から新参者が入る余地って少ないなと思ってた中で、
Xトゥイダオは新しい人なんかやりたいならやってみたいなことをしてくれてたから、当時は。
でしたね。それでガンガン入ってくる人も盛り上がって。
そうそうそうそう。
だからそれで言うと完全にニンジャダオとかがもう出来上がってて。
完全にね。
ディスコード開いても部屋が多すぎて、どこにも組みすることができないっていう状態だった。僕はそう感じたんですよね。少ないと。
33:07
僕もね、それ感じたんです。いろいろ顔は出してはみたけど、チャンスを取れるかっていうと、既にいる人にチャンスをあげてるフェーズだったように見えたから。
それでですよ。それこそちょっと思い出したんですけど、
戸松さんも言ってますけど、ルーキーズみたいなCNPルーキーズみたいなのがあって、
それは名前からしても、新しく入る人を受け入れる雰囲気があったから、振れ込み的にはね。
僕もCNPルーキーズに入りたいって言ってたんですけど、カタさんとかもでしたよね。
カタさんはめちゃくちゃ面白いのが、申し込みとかをして、しばらくしてからやっと受付みたいになったときに、
ルーキーズであるための条件を、そのわずか2,3週間の間にカタさんは乗り越えちゃって。
ルーキーじゃなくなったんだけど。
ルーキーじゃなくなった。だって自分でNFT出したりしてたから。
ああ、そうだそうだ。一気にね。早かったもんね、あの頃、カタさんで。
だからルーキーズはこういう人たちを募集してますっていう条件があったんだよ。
それをその2,3週間の間に越えてしまうって。
自ら乗り越えちゃった。
自ら乗り越えて、気づいたらルーキーズじゃなくなってて、カタさん入れなかったんだよ。
そうだそうだ。やってること時期的にも変わらないはずなのにね。先を行っちゃったんだよね、カタさんの実力が。
実力がね。
そうだそうだ。
あれめっちゃ面白かったんだけど。
で、僕はそのNINJAを全然入ってないくせに、もうファンアート一発でルーキーズに入れるあれを条件やして。
ああ、そっかそっか。
何も活動してないのね。
僕もあれ初代には入れたんですよね。
ルーキーズ僕も初代に入ってたんですよ。
入りましたよ、僕も。2枚ぐらいもらったかな。
トマトゥさんもルーキーズに入ってましたよね。
そうですよね。
トマトゥさんはそのままCNNPルーキーズの中での活動をしてたって話をしたけど、
僕なんかは同時期にこのエックスツイーダーを行ってたもんなから。
そうそう、そうだ。僕もそうだった。思い出した。
やっぱりNINJADAはディスコード自体が入りにくい。
結局僕も初代のあれをもらったりしたけど、全然しなかったんですよね。
確かにそうだ。
当時もエックスツイーダーのほうの活動がいろいろできることが多かったから。
だからそっちのほうにやっぱり基準を置いてた記憶が戻ってきましたね。
ちょうどその頃じゃない?マイクロヒーローズを始めると。
まあスピードと勢いがすごかったんで、その時のエックスツイーダーは。
36:01
ですよね。だからやっぱり僕もちぐみタウンダウンに当初入って、
何をやるって目的はなかったけど、
だからYouTubeも見てないし、Twitterなんかも見てない人だったから僕。
だから何も目的なかったけど、エックスツイーダーを探しに行く頃には
もうやっぱり何か自分でNFTやりたいなと思ってた時期だったし、
でも僕が自分で絵を描けるわけじゃないから、
誰かと一緒にできればっていう、やっぱり当時思ってた時に、
やっぱり三宅さんの絵を見て、すげえなと思って、
ぜひ三宅さん一緒にチームに入りませんか?みたいに思った記憶がありましたね。
そうですね。誘ってもらいましたね。
こっちだったらいろいろ…
できそうだよって。
絵を描いてNFTを販売とかできそうですよみたいな感じで。
確かそうですよね。
そうそう。だからそれで言うと、
チムニタウンダオとかになんかコミュニティに入らないとと思ってチムニタウンダオに入って、
僕はやっぱりそこでイラストレーターとしてのポジションを取りたいなっていうのがやっぱりあったんですよね。
やっぱりそうですよね。そのコミュニケーション。
コミュニティの中でそういうことだろうとは思ってましたね。
そうそうそうだね。だからポジションをやっぱり取りたいなっていうのはあったから、
ファンアート祭りのところから表に出始めたんですよ。
結構潜ってたんですよ、そこまでは。
そうだ。そうだった。
初期で入ったけど、ファンアート祭りとかのスタンプを作ろうぜとか言い始めるまでは潜ってたんだけど、
それが始まったから、それなら僕が活躍できるかもと思って。
あれチムニタウンダオで楽しかったですもんね、ファンアート祭りね。
そう。やっぱりなんやかんや言ってみんなNFT、そしてやっぱりイラストっていう意識があったから。
だからそれもめっちゃ気を使いながら、IPは使えないけど、使えないけどなんとかできるとすれば、
じゃあ身内のファンアート祭りとかができるんじゃない?っていうので。
そうね。外に出さないで、内々で。
あとは、名前出てこない?カンボジアかどっかの。
あ、あの人。
あー、どう忘れした。
あら、フィリピンのCNPフィリピンの立ち上げたあの方。
すっげえどう忘れした。
ヤローヤローはダオヤローの人。
そうそう、ヤローヤローはダオヤローの。
明日ヤローはバカヤロー、ヤローヤローはダオヤローだ。
あの人はスタンプをね、とにかく作ろう作ろうって言って。
そうだそうだ。
スタンプならいいかもねって言うんで、いろいろね、投票っていうかね、
39:02
名前はどんなスタンプ作る?集めたりとか。
あ、なんかダオっぽいことしてるなーって。
そうそう、中で使えるものだったらね。
そうそう、中で使えるものだったらいいでしょっていうね。
じゃあ誰が書く?ってなった時に手を挙げて。
そうでしたね、そうでしたね。
だからもしかしたら聞いてる人でね、
CTDでスタンプ使ってる人いるかもしれませんけど。
あ、まだそうか。残ってるかも。
僕が書いたスタンプもあるし、片さんが書いたスタンプもあるしね。
そうですね、そうですね。
ありますからね。
そうそう。いやー懐かしいなー。
ただやっぱりそれがどうしてももう内側でしかできないっていうのがあって。
そうですね。
その上にガードレール作りましょうで、
素人がのやつじゃねーみたいな。
公開処刑ですよ、僕が言うには。ボイシー公開処刑。
そう、イラストとかもそうだけど、
片さんとかみんなが作ったホームページとかに対しても、
同じように素人が作ったんじゃないかみたいに言われて。
これがXTDだったらちゃんとできるぞみたいな感じで言ったのよね。
そう、当時ね。
ここに来てみんなでNFTプロジェクト初心者だけのやろうぜっていうのもあったから、
めっちゃ盛り上がったっていう。
そうなんですよ。その鬱憤を発散できたような気がするっていうかね。
今思うとね、その当時は。
ネガティブな鬱憤ではなかったし、
やれる範囲でできることをやろうって当時すごい思い出になってるけど、
それができなかったことをさらにXTDで爆発させるみたいな感じになっていったのがその頃ですよね。
XTDのファンアート祭りは賞金が出たんですね。
そうそう、当時ね。それもまた楽しかったですよね。
賞金が出るぞこっちはみたいな。
良い差もらえたから楽しかったですよ。すっごい楽しかったですね。
だからやっぱDAOって当時は、そういう経済圏としても新しい働き方としてみたいなふれこみもあったじゃないですか。
ありましたありました。
だからXTDは完全にそれはないなっていう感じだったのに対して、
XTDはほら稼ごうぜみたいなのもコンセプトだったから。
もともとのDAOがそういう感じの始まりだったのかな。
みんなで稼ごうぜみたいな感じだったから、やっぱりこっちいいなってなったんですよね。
実際ブログ書いてブログコンテストで賞金出るとか。
そうそう、ありましたよね。
だから自分の実力を上げれば上げるほど活躍もできて目立てるし、
実際に良い差で賞金ももらえるみたいな可能性もあったしね。
42:04
だから広がりがありそうというか夢がありそうな気がしましたよね。
当時のウェルスリーダーみたいな気分がね。
もうね、すべて過去形になってるところがパッと。
まあでも実際これが2年くらい前になっちゃうのかな。
だから本当当時楽しかったっていうね。
そうそう。当時の振り返りとして。
振り返りともNFT楽しいって感じだったんですよね。
楽しかったですよ。
実際に自分たちのコレクションとかNFTも立ち上げていいよって言われたから当時ね。
そのエクストリーダー王の方で。
よし、これで何か実現できる可能性、夢が広がるぞーみたいな。
そんな気分でやっていった感じでしたよね。
力さんも力さんでイラストを描き始めればすごい勢いで上手くなっていくわ。
プログラミングとかあっちもどんどん吸収していくわって。
何なんだこの人っていう。
当時ね、やろうとしてましたもんね。
スポンジ力がすごすぎるぞって。
プログラムはもうでも僕途中でやっぱりダメだと思って辞めちゃったけどね。
でもブログもやりましたよね。
ブログもやったし、ウェブのページ作るのも僕やったし。
初めてやったことばっかりでした。
何なんだこの人って思って。
楽しかったですよね。
一番楽しい時期をやっぱり共に過ごしたっていうところがね。
本当にそうですよね。
いろいろ自分も成長しながら変わっていきながら、
周りも変わっていく時代を一緒に来たみたいな感じがしますよね。
離れていく人もいろいろいた中で、
名前も忘れちゃったなとか言っている中で、
なんやかんやでね。ずっと残ってるって感じですね。
年もたまたま同い年っていうのもあったし、
なんかあるかもしれないですけどね。
どうぞどうぞ。
年でいうと若干僕らって上じゃないですか。
周りの方たちと。そうかそうか。
スタイフだと結構近い人がむしろ多いかもしれない。
そうですね。
本当あのダオとか言ってるときは、
案外やっぱりちょっと上っていうところがある中で、
あ、内川さん一緒なんだみたいなので、
僕はすごくそういう意味でも違うなっていうのは思いましたけどね。
本当ですか。それは良かったですね。
たまたまだけどね。
親父早生まれだったしね。この間しゃべったけど。
そうですね。親父早生まれっていうね。
早生まれあるあるというか、苦労した経験も同じ感覚だったんですよね。
45:02
小学校の頃とかに。
あんまりそういう人もいなくてね、今までは。
同じ劣等感は早生まれのせいだったっていうね。
この前ライブで話したけど。
まあいろいろ共通点があるかもしれないね。
そうそう。だから結局でマイクルヒーローズを立ち上げるぞって言って、
第1弾のフレアを出すっていうところまではやり切ったタイミングで、
マイクルヒーローズも一旦経路を変えていくフェーズが、
時代が来るという歴史で。
だから当時はNFTワーって盛り上がるぞ、何でもできるぞ、夢が広がるぞって言っていたのが、
急にトーンダウンし始めたんですよね、途中で。
そうですね。
年末ぐらい。
夏から秋にかけて最高潮に僕らの中では盛り上がってた。
NFT業界自体も冬に向けてどんどんいろいろと上がっていってね、価格が。
盛り上がったのが、1月、2月ぐらいから急激に。
急に落ち込んでいったっていうね。
だからあの頃は、僕たちはまだコレクションを立ち上げるって言っていたけど、
表には出せてなかった状態だったから、
周りが落ち込んできてるな、雰囲気変わってきたなっていうのは感じてはいたけど、
何かしらのアウトプットっていうのは、成果物は出すところまでは絶対に行きたいと僕はあの時思ってて。
そうですね。だから基本的にはこの盛り上がりに乗って儲けてやろうぜみたいなスタンスじゃなくて、
自分たちが何回やったっていう、やる過程を経験したいっていうのがメインだったから。
そうですよね。
だから盛り下がったから、もう売れないからやられたっていうのではなかったんですよね。
うん、確かに確かに。
自分たちのために経験としても。
売れないな、もうこれは売れないな、儲けないなって分かってても、別にやめる気はなかったんですよね。
経験としてやってるからっていうのがあったから。
タイミングとしてはでもね、今思えば年末ぐらいにポンと出せたら、もっと値段もついたかもしれないし。
ボロ儲けっすよな。
ボロ儲けは分かんないけどね。
もしかしたらもっと数も出せたりとかあったかもしれないなとは思うけど、
でもやれる中ではまあやり切ったなと思ったのがフェーズ1とか。
そうですね、なんとかね、そういう意味での目標は達成できたところでありますよね。
48:04
でもそっからだから一旦そのフェーズを切って、チーム再編成みたいな感じになるんだけど。
その時の話もまだあんまり表では言ってないけど、ちょっと触れますかね、その時の話。
聞いてる方は興味あるかな。
どうなんだろう。
力さんがしたければしましょう。
僕があの時にどう感じて、どういう心境の変化もあったかっていうのは、いいタイミングだから宮城さんとも話できればと思うんだけど。
分かりました。
少しだけね。
あの頃NFTっていうのは、そうは言っても絶対に必要なメンバーが、僕から見ると大きく二人いるんですよ。
一つはNFTというものを作り上げるためのプログラムをかける人。これがないとNFT自体を作れないからね。
もう一つはそのNFT、今で言うとNFTアートっていうのかな。
要は皆さんに提供できるその絵を描ける人。この二人がいないとNFTはもう作れないわけです。
その時にその二人を一緒に動きながらスケジュールを決めて表に出していくっていうのが、当時はそれが主流だったから。
事前にアナウンスをして、あとはその日程に向かってNFTを出していくっていうやり方しか見てなかったんで。
その時までは僕はフェーズ1を終わった後も含めて、じゃあ次のスケジュールを決めて、またやりましょうっていう気持ちではいたっていうのは当時だったんだけど。
いやちょっと待てよっていう感じになったわけですよ。スケジュールがうまく動かないなと。
チームの中でも不穏な空気が流れた感じが実際あって。
スケジュール間の問題。
そうそうスケジュール間の問題ね。やっぱり遅くてもいいから、いつって公言してみんなの注目をきちんと集めてやりきった方がいいだろうっていう感じもあったり。
僕はどっちかというとそっち寄りだったけど、なかなかスケジュールが前に動かないぞっていう方が一人いたわけですよ。
ここまで言うとね、重要な2人って言ってる上でこの話するともう誰かってわかるんだけど。
プログラマーは最後にスケジュール決まったタイミングでドンとプログラム作ってくれればいいっていう立場だったんで。
その前段階の準備って全て誰に依存するかってもちろんイラストレーターなわけですよ。
51:05
でも僕の大きな勘違いがあったんです、その時。
だからそっちから先に言うけど。
要はみんなこのNFTを作るっていうことは言ってしまえば遊びでやってるわけですよ。
本業を持った上で生活も持った上で空き時間でやっていて。
僕もそうだったのは自分の忙しい仕事の時間とか他にやる家族の時間とかを少しでも詰めながら遊ぶ時間を確保してやっている。
休みも潰してやっているみたいな立場で僕は自分を置いてたんだけど、その時。
その視点から見るとなぜイラストが最重要でスケジュールを前に動かすにはイラストが出来上がらないと何も出来ないのに
宮剣さんはイラストを描いてくれないんだっていう気持ちが僕のほぼ99%。
名前出ちゃった?
当時の天才イラストレーターはなぜ描いてくれないんだっていうね。
だけどスタイフはやってるじゃん。
喋る時間だったら右手を動かしてほしいって僕の思いは99.9%そっちだったんですよ。
でも実際だからあの時に宮剣さんがDMをくれて、ある出来事があった時に
いやこれちょっと力さん一回電話しませんかって言ってくれたんだよね。
僕はダオ活動とか今までずっとテキストでやってたけど、
いやマジで僕本当にあの時腹立っちゃってたから。
もう言うと。なんだっけな。
いい加減にしろと。
ダオでテキストでやり取りしてた時に
宮剣さんがやる気なさそうなテキストの文字の雰囲気に見えた発言があったのか。
いやこれはもうダメだ。本気でやる気ないんじゃないですか。
みたいな感じになったんだよね僕は確かね。
なんかそう言ってましたね。
その時に僕はもうこのテキストのままでやめようかってこのプロジェクト全部って思ったんだけど、
宮剣さんがDMくれてちょっと電話で話しましょうって言ってくれて、
僕からの視点ねその時。
でも僕は本気でこの僕あんまり温度上がらないと思うんだけど、
温度もうほぼ上がりきってた時に電話くださいって言ってくれて、
これちょっと本当にでもマジで電話しようと思って電話した時に、
僕の中では目から鱗の発見というか気づきだったんですよ。
はい、ということで今日の前編はここまでとなります。
54:01
実際にこの僕がどんな目から鱗の気づきがあったのか。
この続きはぜひ明日の後編、残り30分ちょっとぐらいの中でお話を宮剣さんとさせていただいておりますので、
明日の後編をぜひお楽しみにお待ちください。
それでは今日も聞いていただきありがとうございました。前編ありがとうございました。
あとぜひキャンディーさんのチャンネルでも、
宮剣さんのこれまでの歴史の長い振り返りも同じ日に今日公開されておりますので、
そちらもぜひ概要欄のリンクから飛んでみてください。
テレテレーテレテレーテレテーテー
55:04

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