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子供を産んだ時の気づきと感覚を、今でも鮮明に覚えています。
それは、もう降りられない特別な電車に乗ったような感覚です。
この子が自立するまでは、もうこの電車からは降りられない。
ずっとそばにいなきゃいけない。自分が守り続けなければならない。
子供を産んだ直後じゃないんですけど、子育てしながら、どこかのタイミングでふっとそんな感覚になったんですよね。
自分の自由が薄れて、責任が重くのしかかってきたような感覚。
私の人生、この子たちが主役で、私は脇役なんだな、みたいな感覚。
当時は言語化できてなかったんですけど。
脇役と言ってもいいし、黒子に徹するようなイメージですかね。
自分を犠牲にして、自分の人生をすべて捧げるような。
この子たちのために、私は我慢しなきゃいけない。
自分を抑えなきゃいけないんだ、みたいな感覚かもしれません。
すごく重く捉えてるんですけど、それだけ必死だったし、真剣だったんでしょうね。
でもね、そういう理想の母親像みたいなのを、自分の中で強いれば強いるほど、
しんどくなってて、子育て楽しくないな、子育て楽しめない私って、
人として欠陥があるのかなってずっと思い続けてきたんですよ。
例えば、ご飯が一番温かくて美味しい状態の時に、
自分のペースで食べられないってことが、とんでもなく苦痛に感じたりとか、
支援センターとか、子育てサロンっていうコミュニティみたいなところに行っても、
みんなすごく涼しい顔して、ニコニコして、自分の子供と楽しそうに接してて、
みんなだって結構必死だったりして、外だけの姿かもしれないのに、
それがみんなの全てだって私は思っちゃってたんですよね。
冒頭にもちょっと触れましたけど、人生の主役の座を奪われるみたいな、
違和感が私の中にはあったのかもしれないです。
そうやって子育てしてる自分に対するネガティブな気持ちとか、
ふっと奈落に落ちていくような、塞ぎ込んだ気持ちとか、
時折感じてはいたんだけれど、見て見ぬフリをしてきたんですよね。
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それを直視しなきゃいけなくなったのが、コロナ禍だったんですよ。
緊急事態宣言の時ね、2月の下旬から6月の上旬とかでしたよね。
そのタイミングで私は臨済が終わって、小学校でのお手伝いの仕事、
私費のパートだったんですよ。
だから、6月からスタートしたって感じだったんですけど、
そのだから、3、4、5、約3ヶ月ぐらいが本当に本当に辛くって、
子供2人抱えて家の中にいるって状態が本当に辛くって、
私、育児好きじゃないんだなっていう、子育て苦手なんだなっていう事実を突きつけられて、
認めざるを得ないっていう心境になったんですよ。
それと同時に、家の中でのコーデ撮影、服の爆買いなんかも以前に話してるんですけど、
自分の校で起きて撮影するっていう習慣が生まれ始めて、
で、束の間にどっか出た時、緊急事態宣言の谷間っていうのかな、あるじゃないですか。
宣言っていうか、ピークの間みたいなのってあったじゃない?
ああいうタイミングの時に、外に出た時に、すごいなんか、子供の写真ももちろん大事なんだけど、
自分も校で撮りたいなとか、自分の表現みたいなのを写真にも残しておきたいな、みたいな感覚が芽生え始めたんですよ。
それまでインスタって、もともとプライベートのアカウントを持ってたんですけど、
やっぱり子供とか家族写真っていうのが中心で上げてたんだけれども、
どうしても自分だけの写真もインスタに上げたいなって思うようになって、
ちょっとそっちのプライベートアカウントに上げてたんだけれども、
やっぱり家族写真や子供の写真よりも、自分だけの写真の方がいいねが少ないっていう、
なんか事実の裏をすごい自分で考えてしまって、しんどかったりしたんですよね。
なんか子育てしてるママなのに、主役は子供なのに、
自分をメインに写真を撮って、インスタに上げるっていう行為が、
ママとしてふさわしくないんじゃないかっていう、
なんか後ろ指さされてるんじゃないかっていう感覚。
なんだろう、子供も子供ですごく大切だし、自分にとってかけがえのない存在なんだけれども、
私も自分の人生の中で、主役としてもっともっと前に出たい。
自分のことも優先したいっていう気持ちが、
そういう写真なんかを通じてどんどん前に出てきたんです。
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これってコロナ禍での変化とかよりも、
多分もともと自分の中に眠っていた気持ちが前に出てきただけなんだと思うんです。
だけどそうやって自分のことを優先しようとしたりとか、
自分が前に出ていこうとするっていうのは、
さっきも言ったけど、ママとして失格だし、
私はママとしてそれは欠陥品なんだなってすごく思い続けてきたんです。
だけどなんだろう、ちょっとずつそこの気持ちがほぐれてきて、
私、育児苦手なんですとか、こうやって発信とかで話すようにしたりとか、
育児に対するコンプレックスみたいな気持ちを、
自分でそれじゃダメだよねじゃなくて、
そういう自分もいるよねとか受け入れるようになっていって、
ちょっとずつ楽になってきたような気がするんです。
ポケモンスタンプラリーのリールをあげたんですけど、
あれって本当に等身大で、
もちろん2人の子供と共有できることそのものがめちゃくちゃ楽しいんだけれども、
私もスタンプを押している様子を息子たちが撮ってくれたりとか、
途中で新宿東口のラウドボーンのスタンプを押しに行ったから、
ルミネースと近いから大好きなお店の店員さんいたら嬉しいなと思って、
一緒に行ってみたらあえてめちゃくちゃ嬉しくて、
そういうのを長男・次男と共有できたりとか、
そもそもあのスタンプラリーって子供たちがやりたいってやったもんじゃなくて、
私がやりたいからやろうってすごく嫌がる長男を、
なんとかなだめすかし解き伏せて説得し、
連れ出したスタンプラリーなんですよ。
だけど、子供たち優先して自分のやりたいこと我慢するっていうよりかは、
自分が楽しいっていうものもどうしたら子供たちと共有できるかなって色々考えながら、
自分の楽しみに巻き込んでいくっていう視点もあってもいいんじゃないかなって思うんです。
だからね、私の人生は私が主役だって思ってもいいと思うんですよ。
ママであろうと、どんな役割や肩書きを持っていようと。
で、その私らしさとか、どんな役割、肩書きのどんな瞬間の自分でも、
輝いている自分でいられる、全力で一生懸命楽しんで生きてるっていう、
なんかね、その許可の入り口が一つファッションになったりするんじゃないかなって思ったりもするんです。
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だからね、あのスタンプラリーのリールも自分が主役になって映るシーンがあったりとか、
好きなお店に連れてっちゃうシーンがあったりとか、
ルミネでおしゃれに小学生男児連れてご飯食べたりとか、
私の世界に大好きな人を巻き込むっていうのも、
一つ面白くてありな視点なんじゃないかなって思います。
最後に、36個コンプリートしたいママなんですって入れたんだけれども、
私自身は全部ゴールしてみたいなって、
それは子どもたちと一緒じゃないかもしれないけど、
そういう自分の気持ちが存在することも認めてあげていいんじゃないかなって思うんです。
36個なんて叶わないし、ママだし身動き取れないし、
っていうのは私は違うかなって思ったりします。
そうやって捉えて生きていくことが、
私はママとしての自分でも楽しいし、
そうじゃない自分としてでも楽しい。
どんな瞬間の自分も全力で楽しんで生きていきたいなって思ったので、
今日はそんな話をしてみました。
ちょっと言葉まとまらない部分もありましたが、
何か感じてもらえると嬉しいです。
では、今日もご視聴ありがとうございました。