風呂の焚きつけの薪の話
子どものころの七つの話①
風呂の焚き付けの焚き木の話③ 水木ゆう
私が小学校に上がる前まで住んでいた家の風呂は、 焚き木で焚いていたことを覚えている。
風呂の外に焚き口があって、そこに焚き木を入れて火を焚き、お湯を沸かしていた。
何しろ幼い頃のことなので、詳細は覚えていないが、 ガスや、もちろん現在のように自動の湯沸かし器で焚いたのではなかった。
今になって気になるのは、 風呂を焚くための焚き木はどうやって調達していたのか、
ということだ。 そのことを先日母に聞いてみた。
母は肺癌の手術を二度にわたって受けたばかりで、 右肺も左肺もその一部を切除した。
寄生するたびに話を聞いてやるが、 とにかく自分の病気の話ばかりして、
自分がいかにつらい大変な思いをしたのかを、 息子、
私だが、に聞いてもらいたい様子だった。 私は自分でも自覚しているが、決して良い息子ではなく、
これまで心配ばかりかけさせてきたので、 せめて今は母の話を聞いてやりたいと思うのだが、
再現のない母の肺癌の話はうんざりしてしまうことがあるのが正直なところだ。
肺癌の話が一段落ついたときに、昔の風呂の話を聞いてみた。 特に焚き木の話だ。
焚き木で風呂を焚いてたよね。 うん。
外に焚口があって、そこに焚き木をくべて焚いてたよね。 うん。
焚き木はどうやって調達してたの? 親父が巻割りしてた姿なんて見たことないけど。
私の父は十年前に亡くなっている。 もらってた。
誰から? 地主から。聞けばこういうことだったらしい。
高校の教師をしていた父は、まだ若い頃に頑張って家を建てることにした。
とはいえ土地まで買う資金はなかったらしく、土地を借りていわゆる上物だけを建てた。
私はその家で生まれた。 本当は近くの病院だが。
家が建っていたのは大きな川の堤防の下で、背後には山が迫っていた。
低い山だが、それでも幼い私にはそびえ立っているように思え、夕方には早々と日が沈むのがいやだった。
その山か、あるいはその続きの山なのか。 とにかく地主は山も所有していて木こりの仕事もしていた。
農家なのだが、農作業のほかにも山に木を植えたり切り出したり山仕事もしていた。
山は手入れをしないと荒れる。 下借りしたり陥伐するのだが、
そのたびに焚き木や焚き付けが大量にできる。
それを時々束にして母にくれたらしい。 母はまだ二十代中頃のういういしい新妻で、
近所の人から何かと親切にしてもらったと少し自慢そうに言った。 家の軒下には大量の焚き木がいつも積んであって、
古いものから風呂の焚き付けに使う。 新しい生木は湿っていて燃えにくいからだ。
時々私も焚き付けを手伝った。 藁でくくった焚き木の束をほどくと、中からいろいろな生き物が出てきた。
一番多いのはクモ、 それからミノムシ、
カマキリの卵が生みつけられていることもあった。 春先でちょうど孵化のタイミングとあったのだろう。
束の間から大量のミニカマキリが湧いて出てきたときには驚いた。 たぶん三百匹くらいはいただろう。
焚き木をほどいた私の腕やら胸やら顔やらにわらわらと這いのぼってきて、 藁の果ては髪の毛の中に入り込んだり、
鼻の穴に潜り込んだりしてきたのでくしゃみが止まらなくて困った。 他にもトカゲやらヘビやら、
モズや山柄の巣が出てくることもあった。 巣の中には卵や孵化したての赤裸のヒナがいて、
それをヘビが丸のみにしようとしていることもあった。 子供の頃の七つの話。
川に流された妹の話
2 川に流された妹の話。
家の前には大きな川が流れていて、 家は堤防の下に立っていた。
今でこそその川は上流にダムができて、 水流はちょろちょろと少なくなってしまい、
しかも生活排水が周辺から流れ込むものだから ドブ川のようになってしまったが、
私が子供の頃はとうとうと青黒い水が流れる立派な川だった。
しかし今から書く妹が流された話はその川のことではない。 川の堤防の下に立っている私の家の前に小さな溶水炉のような川が流れていた。
これは多分堤防を作るときに大川の支流を残してうまく生活溶水として使えるように整備したものだろう。
幅が1メートルくらいで石垣を積んで縁が崩れないようにしてあった。 ところどころに石垣をえぐって石段が作られていて、
そこで洗濯をしたり水を汲んだりできるようになっていた。 小さな川とはいえ水はしっかりと流れていて、
深さは多分3、40センチはあったろう。 私はよくその川に裸足で入ってカワニナやトンボのヤゴを捕まえたりして遊んでいた。
妹は私と4歳離れていて、それは多分私が5歳くらいの時だったから、まだ歩き始めて間もない頃の事件だった。
私がその川べりで遊んでいると、突然母が聞いたこともないような悲鳴を上げた。 何事かと見ると
「モトコが!」と川の減りで半狂乱になっている。
慌てて駆けつけると確かに私の妹が川に沈んで仰向きになったまま流されている。 水面下に見える妹の顔は何事もないかのように目も口も開いたまま空を見上げている。
母が川べりに這いつくばって妹を水の下から引っ張り上げようとしたが、妹の体は川をまたぐ小さな橋の下にくぐり入ってしまった。
騒ぎを聞きつけてたまたま近くにいた私の叔父、 つまり母の弟が駆けつけてきた。
叔父は二十歳すぎの頑健な若者でさすがに機敏だった。 そのままずぶりと川に飛び込むと流れの中に立って橋の下から出てきた妹の体をすぐにざっぷりと引っ張り上げた。
大量の水しぶきを撒き散らしながら妹は川べりへ引き上げられた。 妹は息をしていなかった。
意識があるのかどうか、たっぷりと水を飲んでいることは間違いない。 叔父が妹の足首をつかんで逆さまにぶら下げた。
そして上下に振りながら背中をバンバンと叩き始めた。 すぐに妹の口から大量の水が吐き出され、
やがてせき込みながら弱々しい鳴き声が聞こえてきた。
ああよかった、生き返ったんだなと私は思った。 その事件は私にも衝撃的で、特に目と口を開いたまま仰向けに流されていく妹の顔は印象的だった。
そして数日後、私も川に流されてみることにした。 大川で赤ん坊の頃から遊んでいたせいで私は水遊びが好きだった。
水が怖いということもない。 石段から川に入ると息を止めて流れに体を乗せてみた。
流れは意外に早く私の体はあっという間に運ばれていった。 顔を上げると目の前に黒く口を開けた暗巨の入り口が見えた。
そういえば川は私の家の前から少し行ったところで暗巨の中へと消えていて、 その先がどこに繋がっているのか知らないのだった。
慌てて川から出ようとしたが水流は強く立ち上がることができなかった。 私はそのまま真っ暗な暗巨の中へと飲み込まれてしまった。
その後のことの記憶は未だにない。
父と釣りに出かけた話
子供の頃の7つの話 3
父と釣りに出かけた話 子供の頃に住んでいた家の前にはタイガが流れていて
それは堤防でせきとめられているのだが 昔の名残だろう
堤防の外側にも小さな支流や沼のようなものがたくさんあった 家の近所にも池というか沼というか水たまりのようなものがあって
それはどんぶと呼ばれていた 魚釣りに最適な水場だった
高校の教員をしていた父は休みの日になるとよく私を連れてどんぶに魚釣りに出かけた ホンダの下部に乗り
私は後ろの荷台ではなく父の前の股の間にハンドルにしがみつくようにしてまたがって二人乗りで出かけた
釣り道具はおもちゃのような竹竿と簡単な仕掛け 餌はその辺の畑をほじくって捕まえたミミツ
どんぶにつくと二人並んでどんぶの縁にしゃがみ 草むらの切れ目から竿を出して釣りを始める
釣りといっても釣れるのはほとんどがちっぽけな船で たまに早かナマズが釣れることもあった
ナマズが釣れると大変でナマズはエラのところにトゲみたいなギザギザしたものがあって うっかりすると指を切ったりけがをする
そしてナマズは仕掛けを深く飲み込んでしまう癖があるので針を外すのも難しい そういう時は仕掛けを諦めて糸を切らなければならない
その日は釣りを始めても当たりが全くなく 数時間が経っても浮きはピクリとも動かなかった
よく晴れた暑い日だったように思う 父も私もだれ始めていてもうそろそろ家に帰ろうかと考えていた
そして実際に帰るために父が腰を浮かしかけた時 いきなり浮きがシュポッと水中に消えた
父が慌てて竿を取り思い切りしゃくり上げた 竿がグンとしなり糸がさらに引き込まれた
おう おう
えけえぞ
父が興奮気味に叫び竿をさらに立てて獲物を引き寄せようとした しかし全く獲物は上がってこず糸を切られないように
父は鈍部のヘリを草をバサバサ蹴倒しながら右往左往した どのくらい経ったろうか
私には数十分にも思えたが なんとか糸を切られないように騙しすかしのやりとりがあったと
獲物がようやくこちらに近づいてきた 父が一際大きく竿をしゃくり上げると
いきなり鈍部の中にチャブンと踏み込んでいった 水中に両腕を突っ込み獲物を捕えてザバー
とすくい上げた 大きな魚が岸へと投げ上げられた
見たところ1メートルはあろうかという鯉だった しばらくピチピチと跳ねていたがすぐにおとなしくなった
父はその日いつものように 銀魚すくいのちっぽけなビニール袋しか持ってきていなかった
それを鯉の口にかぶせ株の荷台に鯉をくくりつけて家路についた その巨大鯉はしばらく私の家の小さな池で悠々と泳いでいたが
台風で堤防が決壊してあたり一帯が浸水した時 流れていっていなくなってしまった
今頃どこでどうしているのだろう 生きていればもう50歳以上だが
なんとなくまだ生きてそのあたりを仕切っているような気がしている 子供の頃の7つの話
ミミズの話
4 水の話
私がもう少し大きくなって 父とではなく一人で釣りに出かけるようになった頃の話だ
多分小学校の高学年 5年生か6年生だったと思う
父と釣りに行くときはその辺の畑をほじくり返して取った ドバミミズを持っていったが
一人で行くときは調価を上げるためにミミズの品質にこだわった 私の釣りの狙いは船で近所の河川や沼にはエラブナではなく
マブナしかいなかった そしてマブナはシマミミズが最高の釣り餌なのだった
私はシマミミズが大量に取れる場所を知っていた それは祖父が経営する自動車修理工場の裏手にある牛舎の脇で
牛の糞を堆肥にするために大量に積み上げてあった かなりの匂いだったが
よく近所から苦情が出なかったものだ いや出ていたのかもしれない
臭さもなんのその 良質の釣り餌確保のためなら牛の糞の匂いなど何でもなかった
牛糞の山を少し掘るとシマミミズがぎっしりと絡み合うようにうごめいていて ものの数分で持参した味の素の空き缶がいっぱいになった
ツヤツヤと太った最高のシマミミズで私はそれで何百匹マグナを釣ったことか知れない 中学3年生くらいの頃授業が退屈で体育の時間にサボって学校を抜け出したことがある
その際誰もいなくなった教室の女性との机の中から弁当箱を盗み出して 学校の外で食べてしまった
まだ昼休み前の時間だったのだ 空っぽになった弁当箱に私は何を思ったのか
牛舎の脇に行き例のシマミミズをたくさん詰め込んで蓋をし ハンカチでしっかりとくるんで女性との机の中に戻しておいた
その後どうなったか 今だと完全な犯罪行為であり
当時でもそうか 私は少年院送りになっていたことだろう