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はい、始まりました。【ケアラジ】です。【ケアラジ】は、仕事・家事・育児・勉強など、日々忙しい現代社会のスピードを少し緩め、
ケアの支援から様々な論点を考察するラジオとなっております。
はい、ということで、前回に引き続いて、【若者支援の日英比較】を読むということで、話を進めていこうかなと思いますが、
この本は、今、多分、定峡大学にいらっしゃる井上絵馬さんという方が書いた本で、
若者支援のこれまでであるとか、イギリスでのユースワークの実践とかを踏まえて、
日本の若者支援施策がどう作られてきたのかというところを、本当に非常に丁寧に書かれた本だなと思っています。
前回、この本の面白いところで言うと、社会関係資本から若者支援を見てみようという立て付けなんですね。
それがちょっと面白いなというか、居場所の実践というところにも非常に関連が深いというか、社会関係資本という考え方ですね。
なので、全然まとまっていなくて、全くうまく話せないと思うんですが、
今日はダラダラと喋っていけたらいいのかなと思っていますが、
若者支援というのは、イギリスにおいても若者の自立というところとは切っても離せないというか、切り離せないことでですね。
シャヴァリエという人が、成人権の意向というのはやっぱり経済的に自立すること、収入を持ち家族に頼らないことというふうに定義をしているそうなんですが、
やっぱりそういう自立というところが念頭において、国家の施策というのは多分作られていっていて、
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福祉国家が若者自立に介入する方法は2つあるというところで、まずは収入への援助ですね、経済的な自立を助けるということと、
あとは教育から職業への移行を容易化すること、この2つが介入の方法としてあるということが書かれていますが、
これ僕のちょっとメモで、どこの制度がどうということが書かれてなくて、なんですけど、
多分ヨーロッパでは、日本だと本当に18歳になっちゃうと、いろんな制度、児童福祉法から切り離されて、
一部自立援助ホームとか児童養護施設というのは20歳前後まで伸ばすことができるというか、
きっとそれも伸びていく方向になっていくんじゃないかなと思うんですけど、
というのもやっぱり、世界的にも移行期、若者が教育から職業へ移行していくといったときに、
移行期が長期化しているというのは言われていることなので、
その社会的給付を受け取れる年齢を高く設定されていたりとか、
不要義務を一定の年齢まで制限するかどうかとか、
親の収入に関わらず奨学金を給付する制度であるとか、
収入面の援助というシステムとか制度がどう作られているかということも一個大事な点なのかなというところが書かれていました。
日本だとね、やっぱりその社会的給付というのが、
社会手当とかって言いますけど、
拠出していなくても受け取れるお金だったりとかいうところですね。
の設定によって移行期をどう捉えているかというのも、
多分捉え方が変わってくるのかなということだと思いますね。
ちょっとまとまりなく話していますが、
そういう介入方法として収入への援助という考え方もあるよということは捉えておいたほうがいいのかなと思います。
日本の特徴で言うと、
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この給付制度がないということですよね。
若者は本当に多様な課題を抱えていてて、
本当に多様なのかはちょっと分からないですけど、
ここも一個ちょっと議論があるなと思います。
本当に若者を抱えている課題って多様なのかというと、
何をもって多様ってみんな言ってるんだろうってやっぱりちょっと思うところもあって、
そんなこの日本という国において、
どっちかというと一個の相談機関で見てるからっていうのもあるんですけど、
なんかそんな多様ですかっていう気が僕はしてて、
ただ変数がいくつかあるので、
例えば家庭の状況とかで本人が持っている税削性だったりとか、
その他例えば借金を抱えてしまったとか、
何でしょう、そんな他にも何個か挙げるとして、
その変数の組み合わせによって確かに抱えている困難のバリエーションというのが出てくるんですけど、
なんかそれをもって多様だ、多様だってここまで課題が多様だって言われてるのには、
ちょっと僕は疑問を呈しているっていう感じですね。
なんかまあまあ絶対固有の支援っていう風になっていくのはそりゃそうなんですけど、
なんでここまで多様っていう風にみんな言うんだろうなっていうのはちょっと僕は疑問というか、
単純にお金を渡して解決する問題でないっていうのは確かなので、
とはいえなんか多様っていう一言で片付けてませんかっていう気がしますね。
なんかいろんな手を尽くさないといけないと思っていて、
その若者支援っていうのが、とはいえいたずらに若者の時間浪費するっていうのはもったいないので、
抱えている課題が明確にあるんであればやっぱりそれを早く解決してあげた方がいいだろうし、
若者をエンパワーして自分の力で生きていけるようにしていっていくのが支援だと思っているので、
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何でしょう、手をかけないといけないといっても、
なんかだらだら時間をかけるっていうことでもないんですけど、
なんか多様、若者の問題が多様化してるっていうことに関してはそうなのかなと思いますね。
ちょっと繰り返しになりますけど、
なんかこう多様っていうワードが本当に一人歩きしてるなっていう気はしますね。
そんな多様、多様というかバリエーションがあるけど、
なんかね、僕はずっと違和感がありますね。
この多様性っていう言葉に関して、
この日本でここまで使われるのは、
単純に輸入されてる言葉な気がしますね。
海外だとわかるんですよ、ダイワシティとかっていって、
移民の問題があったり、
やっぱり人種の問題っていうのもかなり根強いものがあって、
今、特にアメリカとかヨーロッパもそうですけど、
いろんな経済が立ち行かなくなってきて、
いわゆるこれまでは優位に立っているとされていた白人の中でも、
やっぱり弱い立場の人が出てきて、
そういう人たちがナショナリズムというか右翼、右傾化していく、
ナショナリズムがまた再度復興してきてるみたいな流れを見たときに、
やっぱり再度多様性だとかダイバーシティだということで、
その辺のコンフリクトを解消していって、
っていうのが政治課題として当然上がってくるっていうのはわかるんですけど、
日本においてあんまり多様性って言葉を使わない方がいいんじゃないかなと僕は思っていますね。
なんか課題をぼやかしてしまう、
なんかそういうワードとして使われてる気がしてならないっていうか、
多様だって言っときゃ済むみたいな、
なんかそんなワードになってしまってる気がしますね。
なので、僕自身はそんなに多様というか原因は何個かに絞られるんじゃないかなと思っていて、
なので、それは中間圏が没落して、
これまであったような地域コミュニティだとか、相互扶助のシステムがやっぱり壊れてしまっている。
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本当に家族がもうむき出しの状態で、
その社会に対応していく必要があるっていうことが結構大きな問題の一つとしてあって、
あとは労働環境が、これも多様化してるわけではないと思っていて、
あとはやっぱり多様化というか、やっぱり非正規化の方が問題だろうと思うんですけどね。
働き方が多様になっているかというと、そんなこともないでしょうし、
むしろ球体依然としたものがずっと続いてて、
大企業主義ですよね、言ったら。
普通にみんな多様な働き方してるわけじゃ全然なくて、
大企業病みたいなものがずっと日本では続いていて、
生産性が上がらない雇用の流動性というのも担保されてないですし、
一つの企業で何十年って長く働き続けられるような仕組みがあって、
そこに企業がそういう、何でしょう、社会保障的なものになっていたという背景があるので、
制度が全部そこに紐づいているということですよね。
日本の税制とかも全部そうですよね。
本当に意味ない議論ばっかりしてる気がしちゃいますよね。
大企業病なんですよねっていうことが根幹な気がするんですけどね。
消費税とかも、なんで消費増税があったりとか、
この物価高であってもそういう税制を変えられないかって、
多分これはやっぱり経団連とか財政界の移行ですよね。
大企業というのはだいたい輸出企業が多いので、
輸出企業というのは消費税の缶付金というのを受けられるんですよね。
大企業は税率が上がった方がお得になるっていうのがちょっとあったりして、
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だから消費税っていうものがなかなか減税にはならないだろうと僕は思っているんですが、
そういう議論は誰もしないですよねというか、
なんかうやむやにしちゃいますよね。
だってそうじゃんって思うんですけどね。
そういうのもあって、大企業を守るために要は非正規労働がこれだけ増えて、
給料はダンピングされて、若者の収入というのはめちゃくちゃ低いわけですよね。
給料の平均所得額というのは400万を超えているように見えるんですけど、
中央値でいうと数十年前から比べて100万円ぐらい下がっているので、
なんかやっぱり普通に騙されてますよねっていう統計とかメディアとか、
だから多様化した課題に何とか対応しないといけないとかっていうのは
単純に騙されてるだけなんじゃないかなっていう、
ちょっと変なYouTuberみたいな話になってきましたけど、
別に陰謀論を言いたいわけじゃなく、
実は課題はシンプルでなんじゃないかなって、
それを多様性っていう言葉で何かくるんでうやむやにするんじゃなくて、
いろいろもちろん課題はあるでしょうけれども、
これが課題ですっていうふうに言っていかないと
一向に社会っていうのは良くなっていかないと思うので、
ちょっと話がかなり脱線しましたが、そんなことを思ってますね。
なので若者の課題ってその移行期の課題っていうのはあるんですけど、
それはやっぱり中間圏が没落して相互扶助がなくなっているというところと、
大企業中心できた社会制度なので、
要は雇用されないと補償が脆弱になってしまうっていうことが、
若者の移行期を本当に既存しているっていうふうに言うことができるんじゃないかなと、
これは僕の見立てですけども、
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働いてもしんどいわけですよ。
中央値100万円ぐらい足下がってるので、
数十年前に比べると、
労働環境も悪いわけですし、
なんか非効率なことやってるけど、
これをやらされるのかとかね、若者からしたら。
日本においてあんまり多様性を、
多様、多様って言うんじゃなくて、
これが課題ですよねって単純に言っていかないといけないなと、
思ってますが、
ちょっと話が変わって、
変わってというか、僕は勝手に脱線したんですが、
日本もそうなんですけど、
たぶん就労支援っていうところに、
施策が一気に偏った施策が始まったっていうのがね、
日本の就労支援じゃない、
日本の若者支援施策の特徴だなというふうに思っているし、
この本にも書いてあるというところで、
とはいえ、日本のサポステの施策は結構面白いと思っているんですね。
というのも、
結構地域地域に支援団体っていうのがあって、
本当に引きこもりであるとか、
不投稿支援をしていたような団体さんが多くて、
その2006年かな、サポステが始まったときに、
そういう団体がそこに参入してきたりとか、
サポステ事業の起こりを機にNPOを作ったとか、
何でしょう、そういう経緯もあったりして、
本当に多様な団体が若者支援施策に参入してきたっていうのは、
ちょっと面白い点かなと思いますね。
とはいえ、その支援者、今言ったように不投稿であるとか、
フリースクール事業が母体だったりとか、
そういう団体が多かったんで、
就労支援の実績が重点評価されるっていうことに、
割と現場の支援者は葛藤を抱えているっていうことも書いてあって、
これもおっしゃる通りだなと思いますね。
その後に、若者の社会参画っていうものの形態を
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整理した人がいて、ファーロングという人の理論では、
まず若者社会参画っていうのは、
統制っていうものが最初だったみたいですね。
統制から始まって社会化、インフォーマル教育、
ユースワークだと思います。
インフォーマル教育で市民権という、
この4段階あるそうです。
社会参画のさせ方というか、
そういう考えが変わってきている、
変遷があるっていうことですね。
最初の統制っていうのは、
若者は統制すべき存在だっていうことですよね。
日本も多分そうだと思うんですよね。
産業と若者の支援っていうのは、
結構密接に紐づいていると思うんですが、
日本だと1970年代ぐらいですね。
勤労制少年の支援が始まったというところです。
これは日本もどんどん高度成長期で年化していって、
要は田舎から都市に出てくるわけですよね。
そういう子たちを、要はコントロールしないといけない。
何か事件を起こしてしまうとか、
という発想で最初は始まったと。
これは統制と言えると思います、日本でも。
そこからですね、社会化とかインフォーマル教育
というふうに変わっていくんですが、
4日時間をちゃんと建設的に使って、
社会のリーダーに育てようみたいな。
ちゃんと社会の担い手にしようみたいなのが社会化だと思います。
そこからですね、
ちょっとこのフレイレという人の影響を大きく受けていると思うんですが、
若者のこの自信を育てようみたいなふうに
ちょっと変わってきた。
ユースワークみたいなものが多分起こってきたのかなと思います。
4日時間を建設的に使おうということですね。
そこからさらに進んだものが市民権モデルというもので、
主体性を持っていくわけですね。
持たせようということなんですけど。
市民権モデルというのは若者の保険サービス、
社会的サービスへのアクセスを容易にすることで、
社会への統合または再統合を目指すということですね。
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統制しようというよりかは、
自立性をちゃんと育てていって、
主体性を育てた上で、
そういう保険サービス、社会的サービスへのアクセシビリティを高めると。
ということで、
いろんな平たく言うと、
再チャレンジがしやすい社会にするということだと思うんですけどね。
ということで、
若者の社会参画というものは一定層の理論化されているということですね。
なるほど、なるほどという感じで読んでいます。
で、あとは何か言えることがあるとしたら、
確かにそうだよなと思ったんですよね。
統制するような社会参画の考え方というのもあるよなとか、
学校教育とかはまさにそうだと思います。
ルールを守れるようにとかね。
でもそこになかなか従順になれなかったりとか、
特性助身大学を果たしようがないとか言われちゃうわけなんですけどね。
それはもう発想が統制だと思うんですよ。
そうじゃない教育も、学校教育も出てきているとはいえ、
僕は本当に統制っぽいなと思っています。
じゃないと、こんな不登校の子出てこないですよねと思うので、
本当に学校の在り方は問い直していく必要があるなと思います。
実は不登校じゃなくてもしんどい子もたくさんいると思うので、
不登校を減らすというよりかは、
何のために教育があるのかというのをちゃんとラジカルに発想していかないと、
もう本当に学校の先生も大変ですしということを思っています。
この統制から社会化、ニフォーマル教育、市民権モデルという流れは捉えておくと、
社会が見えてくるかなというふうに思いましたが、
一方でこの主体性ってとこですよね。
これをどう、最終的な市民権モデルというのは、
若者が主体的になっているという想定なので、
保険サービスとか社会サービスのアクセシビリティを高めておけば、
多分若者は自動的にもう一回そういう制度とかサービスを使って、
再び社会に参画していこうということなんですが、
これはもう一個考える視点があると思って、
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これ僕の持論というか、今の若者の課題として僕が思っているのは、
困り事がないというのが新たな困り事だという話をよくしていて、
困り事がないという困り事ってよく言っているんですけど、
昔は何かできないこととかが多分にあったんですよね。
その有限性って言っていいのかわかんないですけど、
何をやろうにしても時間だったりとか物理的な距離だったりとかで、
何か困るわけですよね、若者っていうのは。
それを乗り越えるために何とか何とか頑張ろうであるとか、
抑圧されているので、何かそういうものをバネにして、
何くその根性で、そういうものを跳ねのけてっていうのが
ある種のモチベーションでもあったと思うんですよね。
抑圧の時代だったんで、例えば僕とかだとサッカー部入ってたんですけど、
3年がめちゃくちゃ厳しくてみたいな、1年生は玉拾いみたいな、
本当まだそんな時代だったんで、
抑圧からいかに解放されるかっていうのが行動の厳選になっていたわけなんですが、
今かなり社会がフラット化してきて、そういうヒエラルキーがない、
ある種自発性がないとなかなか難しい時代になってきた中で、
どう行動の厳選を作っていくかっていうのを考えとかないと、
結構厳しいと思ってはいます。
だから日本でいうと、本当に制度とそういう国民の感情的な部分っていうのが
まだまだ乖離してるんですけど、何か価値観としては、
そういうみんな自由だよねとか、みんなやりたいことやるのがいいですよねみたいな、
やっぱりかなりリベラル化してるというか、なので、
そんな中で自分っていうものを確立して、
エージェンシーとかって言いますけど、自分で計画を立てて行動していくっていう厳選を
どう作っていくかっていうのは本当課題だと思います。
なのでその意欲を支援するみたいな多分、時代になっていくと思います。
そういうこともあってね、多分、旅行時間を建設に使おうとか、
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そういうユースワークっていう重要性が、ユースワークの重要性っていうのを増していくと思うんですけどね。
とはいえみんな欲張らされずにフリーダムな時代になったら、人間は幸せになるかというと、
そんなことはないんですよね。
フロムが自由からの闘争っていう本も書いてますけど、
だから日本っていうのは本当チクハクですよね。
ある種自由からの闘争状態になってるっていう、
若者が抱えてる心理的なしんどさもある一方で、
なんとか自分をモチベートして頑張って働いていこうっていう若者への支援制度もない。
働くしかないっていう感じなので、
ラットレースのように働いとかないとまともに生きることもできないし、
とはいえそんな風に馬車馬みたいに働いてると、
こんな自由な世界なのに何やってるんですかみたいな声がYouTubeから聞こえてくるわけですよね。
だからこの非常に抑圧の時代のとか大企業最優先の社会制度と、
一方で思想的にはリベラルでフラットな時代の思想だけが入ってきているので、
本当若者っていうのはその2つに引き裂かれる状態にあるのかなと思いますね。
なので本当にその理想事故と現実事故の差っていうのが、
人間の苦しみだっていう風に心理学ではロジャーズとかが言ってるわけですけど、
本当に制度と世の中の価値観っていうものに引き裂かれてるっていうのが、
若者の今の本当苦しさの一つだなと思います。
なのでね、難しいですね。
そういうリベラルな思想をやっぱり支えるための社会制度、
それは給付だったりとか、もしかしたらスウェーデンとかデンマークみたいなアクティベーションプログラムが
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一個の形としてあるのかもしれないですけどね。難しいんですね。
リベラルな自由な社会が決して人間にとって幸せじゃないっていうところを正面切って議論できるか、
このSNSの時代に、ソーシャルメディアの時代に正面切って議論できるかっていうと、
それはちょっと僕も宣戦強強として歩むところがあるというか、
怖いですよね。自由が良くないっていう言明をするっていうのは、
SNS時代にはちょっと怖いですよね。とはいえ僕、自由が毒にもなると思ってるので、
ある程度アクティベーションプログラムっていうのは、
ある種プログラムをこなさないと社会給付が受けられないよっていうことだと思うんで、
それが制度化されている。もちろんそれを自立が強制されているっていう見方をすることができるし、
一方で自由にされても人間ってそんな動けるもんじゃないですよね。
動ける人もいるし、みんながみんなフラットな自由な社会で幸せになれるわけではないっていう、
むしろそれってメリット暮らしというか能力主義社会の到来ではあるので、
結構それって怖くないですかと思うんですよね。
みんな自由だし、例えばあと30年40年して本当にみんなフラットにいろんな教育資源とかにアクセスできるようになったとしたら、
それはそれでちょっと地獄だなとか思ったりするんですよね。
なのでそれをちょっと振り子のように揺れていくんだとは思うんですけど、
その抑圧の時代と今はちょっとそこから脱却してフラットな時代になっていくと、
多分ちょっとやっぱり抑圧遅れみたいな風になっていくと思うんですよね。
とはいえね、日本はさっき言ったみたいに、
発想とか言説とか思想っていうのは非常にリペラルでフラットなものになってるけど、
こと現実社会ですよね。
会社とか社会制度を見ていくと非常に球体然としてて、
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大企業主義の非正規労働者がもう4割を超えてくる。
で、若者の給料はもうかなり100万円近く昔と比べると下がっていると。
これは中央値が下がってるってことですけど、
要は格差が広がってるってことですね。
平均収入はそんなに下がってないんですけど、
中央値が下がってるってことは格差が広がってるとも言えると思うので、
という本当に生きづらい、若者が生きづらい社会だなというふうに思いました。
なので、この本でもね、
党政から社会一家インフォーマル教育市民権モデルというふうに
社会三角のあり方変わっていくよと書いてるんですが、
僕視点ではやっぱり何を、これ人生のと言ってもいいかもしれないですね。
行動の厳選にしていくかというところは考えとかないと、
フラットな社会が到来したけど、みんな本当に苦しい、
それこそ鬱になっちゃったりとかね、動けないとかになっちゃうんじゃないかなと思いますね。
なので本当に慎重に議論を進めないといけないとは思いますね。
で、最後にその社会関係資本というところに触れていきたいと思いますが、
このリンっていう方の定義を井上さんは持ってきててですね。
このリンの社会関係資本の定義を言うと、
目的的行為によってアクセス動員される社会構造に埋め込まれた資源というのが社会関係資本だそうです。
ちょっと難しいですけど、社会構造に埋め込まれた資源が社会関係資本だそうです。
この定義はいいかなと思いますが、学術的な定義だと思うんですけど、
そこにアクセスするための行為として、この整理が結構面白いなと思ったんですけど、
同類的相互行為というのと異質的相互行為という2つの種類があると言われてるんですよね。
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人と人との関係性みたいなところで言うと、同類的相互行為なので、
自分たちと似たような人とのコミュニティみたいなものだと思います。
異質的相互行為というのは、やっぱり自分たちと違うからこそ資源になると思うんですけど、
それはそういう人たちとの相互行為という2種類に分類されるということなんですね。
その同類的相互行為というのは、資源の維持ですね。
所有権の維持だったりとか、自分の感情を理解してもらうとか、今の自分を維持していくということに関しては非常に有効に働くというのが同類的相互行為なんですけど、
ただ、それだけだとちょっとコミュニティは危ういと思うんですよね。
自分たちが知っていることでしか対応できないので、
じゃあ実はこんなことやりたいとかなったときにその知識がなかったとしたら、
その資源は維持できるんですけど、自分たちのコミュニティは維持できるんですけど、
資源を新たに獲得するということに関しては見返りが小さいですよね、その同類的相互行為というのが。
なのでそのときには異質的相互行為というものを通して資源を獲得していく必要があるんですけど、
とはいえやっぱりそうしたときに個人の持つ交際権を乗り越えることに多大な努力が必要になるというのが異質的相互行為の特徴なんですね。
っていうのが社会関係司法の理論として整理されているっていうのが、
僕は改めて言語化されたなと思って、その若者支援の中の実践とリンクしたというかですね、
いわゆる若者というふうに言ってますけど、
例えば一人の若者が僕がやってるサポステの相談窓口に来ました。
これ自体も実は異質的相互行為の一つだと思うんですよね。
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自分以外の相談機関の力を借りるっていうのはまさに異質的相互行為だと思うんですけど、
で、とはいえ、
自分の持つ交際権を乗り越えることに多大な努力が必要なので、
かなりハードル高いわけですよね。
なので、僕たちはどんなことを普段してるかというと、
これはもういわゆる対人援助論みたいなところになってきて、
ラポールを形成するとか、よく言いますけど、信頼関係を作っていくわけですよね。
で、そのときもどうなんでしょうね。
とにかくその人があるがままにお話できるみたいなことが非常に大事だなと思ってて、
ここは自分でいていい場所なんだみたいなのを、
なんていうか、僕たち相談援助職とか団体っていうのはいろんな場の持ち方があるので、
例えば何かターゲットアプローチ的に家族会とかそうかもしれないんですけど、
不登校とか引きこもりのお子さんを持つ親御さんが集まっている場所ですよみたいな風にしていくと、
同類的相互行為として今の自分をちゃんと認められるとか、今の自分でいいんだというところで
安心して安定して過ごすことができるっていうのは非常にメリットがあるなと思うんですけど、
一方で、これを若者に置き換えたときに、ここに多分居場所の意義みたいなものがあってですね、
今のままの、例えば引きこもりだとしましょう。
引きこもりの自分のままでもいられるっていうのが、そういう同類的相互行為の場としての居場所が非常に有効に機能すると。
言って今の自分のままでいいんだとか、本当にメンタルしんどかったけど、
自分だけじゃないっていうことで安定した、安定するっていうことは非常にメリットが多分そこで得られると。
僕とか相談事業をメインにする事業所っていうのは、そういう場を作ってもいいんですけど、
持ってないことが多いので、それを個々面談のスキルによって、
そういう場を、一対一の場でもそういう場を作るというところで言ってちょっと安心してもらうっていうところがあるんですけど、
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ここが今居場所の限界とされてるところに近いと思うんですけど、
じゃあそこから意識相互行為、自分とちょっと異質なところから力を、資源を持ってくるっていうときに、
じゃあどうしたらいいんだっていうところで、ここの議論がやっぱりこれからなされるべきところなんだろうなと思います。
とにかく居場所をね、どんどんどんどん。
居場所ってその、質的相互行為を行う場も居場所と含んでしまって僕はいいんじゃないかなと思うんですけど、
これまではどっちかというと道理的相互行為を行う、ちょっとこれ学術用語なのですごい議論がややこしいように見えるんですけど、
自分たちと同じような人と過ごす場と考えてもらったらいいと思うんですけど、
そこがイコール居場所っていう風にされてきたんですけど、就労支援もそうですけど、
結局人がうまく生きていこうと思ったときに、自分たちとちょっと違うところから異質なところにつながっていくっていうのは最終必要なんですよね。
やっぱり自立ってことを考えたときに、自分たちと価値観の違う人たちとの共同っていうのは必要になってくると。
それは働くっていうことしかり、なのでそこをどうデザインしていくかっていうところが居場所の次のステップかなということを、
このリンの社会関係資本の定義を元に考えましたね。
ちょっと本当脈絡もなくしゃべってますが、なんですよ。
なので僕の今考えてる感じとか実践で言うと、第一段階としてやっぱり同類的相互行為として、
僕たちがやってるような相談機関につながってもらって、本当安心安全に過ごしてもらって、
普段思ってる思いとか吐き出してもらってっていうところが来たら、第二段階として相談機関っていうのはネットワークを有しているので、
ネットワークを持ってない居場所って危険なんですよねっていうのはすごい思いますね。
閉じ込めてしまう可能性があるってことなので、その人自身を。
社会が未来英語変わらなかったらいいんですけど、社会っていうのはどんどん変わっていくわけですし、
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なんかその人の可能性を閉じてしまうっていうこともあるし、
なのでネットワークを通じて若者のその異質的相互行為っていうのを支援するっていうのが、
一つの居場所がやらなくていいと思うんですけど、
何だろう、必要な機能としては絶対あると思うんですよね。
僕が今サポートしてやってる集中訓練っていうちょっと行々しいプログラム、名前のプログラムがあるんですけど、
そこは今10人ちょっとの若者が集まってチームビルディングをしたりとか、
何か作業を通じて仲間になっていくっていう感じなんですけど、
これはまさにこう異質的相互行為をデザインしてるんですよね。
そういうのをデザインしてたんだなって僕今今年5年目で感じてるところなんですけど、
やっと原稿化ができたなと思っていて、そうなんですよ。
全然価値観も違うし、過ごしてきた環境が違えば年齢も違うし、趣味も違うしっていう若者が10人集まるので、
本当個性が、言ってしまったらすごい個性がある子たちなんですけど、
そういう子たちが集まって、最初は本当にギスギスしてとか、本当距離が遠いしっていう感じなんですけど、
すごい違いっていうものが2ヶ月ぐらいすると浮き彫りになってくるんですよね。
あの人はああいうことできるけど僕はこういうのはできないなとか、
逆にあの人はできないことだけど僕は全然問題なくできるなとか、
っていう他者との関係の中でその違いっていうものが明確になってくる。
で、その違いを生かし合って何か一つのことを達成するみたいなものを9月10月とやっていくんですね。
で、それを毎日毎日言語化して振り返りをしていくっていうプログラムなんですけど、
で、最終その9月10月で得たそのなんか俺ってこんな感じだなみたいなものを持って2週間ぐらい職場体験に行くんですけど、
うん、まあなんか、
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まあ異質的相互行為って全然自分たちのコミュニティの外の資源を獲得するっていう意味で多分使われてると思うんですけど、
まあそのなんかもう1個異質的相互行為の意義があるとしたら、
全然違う人とつながる中で自分の中の異質性みたいなものを再認識できるというか、
他者と交わることで俺ってこんな感じかなと思ってたものが再構築されて新しい資源が自分の中にも見つかるということが起きるんですよね。
はい、だから人の力を借りるっていうこともすごい学んでほしいし、
自分の頭だけで考えないよとか、人の力ちゃんと借りるんだよとか、
何かワークをするたびに声をかけて、
学校の勉強じゃないんだからカンニングしてもいいんだよとか、
ほんとそういうことからごまごま伝えてるんですけど、
カンニングしていいよとか、もっとしゃべっていいよとか、コミュニケーションしてねとか、
そういうことで自分以外のリソースを使うっていうこともプログラムの中ではやってるんですけど、
一方で自分の中の隠れたリソースに気づいていくみたいな効果もあるんですよね。
なんか僕こういうこと意外とできるっすみたいなことで、
そういう資源開発をしていく。
資源開発って言っちゃうとすごいビジネスライクな感じするかもしれないんですけど、
それでさらにその資源を使っていれば人間って働いていくと思うんですよね。
働いていくことで、
なんか自分ってこの社会にいてていいんだなとか感じられたりとかね、
そんなことを僕は日々実践してるんですけども、
こんなことが改めて整理されたなと思いますね、この本を読んで。
さあ、長々話して全くまとまりはないんですが、
まあまあこの若者支援の日英比較っていうものを通して色々整理されたなっていう気がしますね。
若者の在り方ってやっぱり本当に社会自体の在り方を示してるってことですよね。
なのでどんどん発想としては自由にフラットになってるんですが、
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社会の制度だったりとかね、学校教育もそうですけど、
っていうものが本当に旧時代のもの、ヒエラルキーを維持するために作られてる制度なので、
そこに言及していかないといけないと思います。
若者の課題というものは繰り返しになりますけど、
この中間系が崩壊していて、
前回も言ったことですけど経験の分断といって、
やっぱり自分と同時期に類似した問題を抱えた人が見つけられないということで、
非常に孤独・孤立というものが深まっているという感じですね。
その中でもちろんユースワーク的なことを、
それは余暇支援みたいなとこですよね。
余暇をうまく使って自発性とか自分がやりたいことを見つけていくっていう風な方向にしていくのはいいんですけど、
なかなかそういう実は自由なプログラム、強制されないものって、
そこにモチベーションを持って参加する人って実はあんまりいないと思っていてて、今の日本で。
っていうのは学校教育っていうのがもうリンクしてないので、
やっぱり全体、ユースワークっていうのも日本においては社会教育の復興みたいな文脈もあったりするので、
とはいえ若者側からしたらそこのフォーマルなものとインフォーマルなものを分かれてるのはいいけど、
ちゃんと連動してよって思いますよね。
学校教育はダメだとか、最近もありましたけどね、
フリースクールを否定するような人が議会に、何か師匠でしたっけ、いたりとか、
何かそういう話じゃなくて、ちゃんと統合して議論してくれよと思うんですよね。
なのでそういうフラットな議論の場を作ることの方が大事かなと思うんですけど、
何でしょう、このソーシャルメディアの時代にどうやってそういう言論空間を作っていくかっていうところが、
何か難しいなと思いつつも、でもやっぱりSNSでそれをやらない方がいいなと思いますね。
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やっぱりフィジカルがちゃんと存在する場というか、ラジオとかいいなと思うんですよね。
僕もちょっと今日めっちゃぐだってますけど、このまま配信してやろうと思っていて、
何かそういうフィジカルをちゃんと介在させることで、
人間の攻撃性みたいなものにちゃんとブレーキをかけるっていうか、
じゃないと多分言論の場って成り立たないと思うんで、
何か本当に論破したらOKみたいなのって、本当人を深く傷つけちゃう可能性があるので、
何かあれを良しとするのはダメだと思うんですよね。
某、ひろゆきとか成田さんでしたっけ、何かすごい子供っぽいなと思うんですよね。
何か小学生がいろんな知識を身につけて喋ってるだけみたいなふうにすごい見えちゃってて、
あれを良しとするんじゃなくて、ああいう人は別にああいう人でいいと思うんですけど、
ちゃんとこっちはこっちで、本当に社会のことをコミットして話して、
大人たちの言論空間みたいなものも何か作っていかないと、
何か本当のこと言えないなみたいな気がしますね。
ということで、非常に長くなりましたが、取手出しで途中何かわけわからない、
僕自身も何喋ろうとかって考えながら話したので全然まとまりはないんですが、
1個思考の痕跡みたいなものとして配信していこうと、そのまま配信しようと思ってますので、
次回以降また対談も取っていきたいなとか思いつつ、
今回は若者支援の日へ比較シリーズはこの2回目で終わろうと思います。
そんなとこかな。ではまたお会いしましょう。
ありがとうございました。