素材メーカーではなく日産を選んだ理由
キャリアのハナシ、パーソナリティのkandaです。 町で働く何の変哲もない社会人を捕まえて、その人生を根掘り葉掘り聞いていく、キャリアエンターテイメント番組です。
ニッサン自動車に入社された感じですかね。 なぜニッサン自動車を選んだのかというところをお聞きしてもいいですかね。
結局、就職に向けて工場見学ツアーみたいなのって、4年生ぐらいになるとあるわけですよね。
だいたいこの学科だと、素材メーカーがほとんどなんですよ。化繊維メーカー。 どこ行ってもね、
まず工場の所在地が偏比なところで、 工場の中があんまり花々しくないっていうか、本当に化学反応装置とかずらずら並んでるようなところなんで。
配管がいっぱいあるイメージですね。 どこともバイクがくねくね回ったところなんですよね。反応等々と言われてもなんかピンとこないところがあって。
あとは食堂なんか行ってもね、工場の食堂なんで。 行っちゃ悪いけど、刑務所ですか?みたいな感じが多くて。
そんなところにこれから就職するのか、あんまり素材メーカー。 当時、海外の素材メーカーも力づけてきてる時期だったんで、
国内ってどうかすると、金を投資してもらえないっていう状況だったりもするんですよね。
だからあんまりね、素材メーカーあんまり良くないなーっていうふうに思って。
で、ちょうどこの頃って、想像できます?まだね、1トル180円以上あって、200いくらだったんですよ。
あとまだ、そうか、エンドルペックが解除されて。
そう。それまで固定、過去は360円の固定。
360円、そうですね。エンドルペック時代がありましたね。
そう。それで、この当時は220円とか200円ぐらいで落ち着いてたんですよ。
だから、輸入でいろんなものを買うのが不利だった時代は国内で作ったほうが良かったんですけど、
だんだんだんだん強くなっていくと、海外にどんどんいろんな生産がシフトして、
特に素材系なんかが真っ先に外行っちゃったっていう感じがあってね。
そうですね。プラントアクスしやすい。
そうです。そうすると自動車がだんだんだんだんアメリカ市場とかを接近し始める時期で、
ちょっと歯ぶりも良かったんですよね。
両者関係良いなと思って。
で、元が家が神奈川ですから、関東経典に帰ってきたいなと思ったら、
選べる場所は日産鉄筒ぐらいしかなくて。
なるほど、なるほど。
で、日産でって考えると機械系の会社でっていうと、
化学屋は必要とされるかっていうと、逆に機械屋さんには山ほど応募くるけど、
化学屋さんはそうこないんですね。
でも振り返ってみると自動車って、
自動車から金属だけ覗いたら何が残るって言うと、
結構人の目に触れるような部分って言うので、
樹脂とかプラスチックとか、金属以外のものが多いんですよね。
そう考えると、いろんなところで活躍の場があって、
自分の職場に化学出身者のエンジニアって何人かいるんです。
だから化学屋さんってね、ちょっと金属屋さんと違う目線で、
現象とか物質を見ることができるんで、
それは強みになってますね。
はいはいはい、そうですよね。
その、素材自体の特性みたいなの。
そうです、そうです。
似てますもんね。
そうです。
それであれですね、だから神奈川に日本車がある日産を選んだっていう感じですかね。
そうですね、その時はまだ銀座だったんですけど。
あ、そうか。
いずれにせよ工場とか開発拠点とかが、
ほとんど神奈川近辺に集まっていて、
あとは工場って言っても、栃木工場が一番遠かった。
まだ言い訳なかった。
そうなんですね。
エンジンとかも。
そう、エンジンも横浜ですよね。
で、トランスミッションとかの関係が一部、吉原って、
今はもうジャトコさんに売っ払っちゃった感じですけども。
あー、あそこですね。
えっと、静岡の。
そうです。
富士あたりのとこですね。
そうですそうです。
どこに行かされても、ざま工場もどこ行っても何とかなるなっていう、そういう。
当時一番遠かったのは九州ですね。
はいはい、やっぱ九州が一番遠かったですね。
九州つっても福岡県だからまあいいかというふうに思って、
一番ガッツするのはここかなというふうに思って。
なるほど。
それで日産を選ばれた感じですね。
はい。
どうでした、日産入ってみて、新入社員。
新卒で入られたんですもんね。
そうですね、新卒です。
周りの同期の皆さんとかどうでした?
やっぱあれですよね。
などたる大学を出た人たちが結構同期にいっぱいいたので。
はいはいはい。
だからいや、その時はちょっと多少ね、
この人たちの私よりあったほうがいいんだろうなとかっていうのは思いました。
九州大学でもだいぶ上のほうですけど、それでもやっぱあれですか。
関東近辺にいる人たちって情報感度が高かったりするじゃないですか。
そういうのやっぱあるんですね。
多少ありますよ。
だからやっぱ地方の大学と東京、関東圏にいた人たちっていうのはちょっと違う。
特に関東圏の会社で関東圏の学生はなじみがいいと思うので。
そうなんですね。
だから関西の大学出た人たちってやっぱ関西の文化に引きずってくるじゃないですか。
はいはい。多少なりありますよね。
そうそうそう。
そういうところでなんか違和感を感じたりっていうのに近いような違和感を多少は僕は持ってましたね。
ただ半分関東人だからその辺のインパクトは少し弱められてたとは思いますけど。
大学の6年間だけですもんね、九州大学。
そうですね。
そうですね。そうなんだ。
限定車B1と樹脂部品の開発
で、仕事自体はどんな感じでスタートしたんですかね。
スタートはね、印象深い車。
B1って知ってます?黄色くてちっちゃい車なんですけど。
はいはい。
その当時、パイクカー。とんがった車。
マーチベースで作ったパイクカーです。
はいはいはいはい。
これがね、業界で初めての少量の量販車っていうコンセプトで、1万台限定で作ります。
1万台っていうとその当時としてはもうべらぼうに小さな生産ロッドなんですよ。
そうですよね。かけられるコストも結構。
そうなんです。で、いかにだからそれで。
その当時パイクカーっていうジャンルはなかったので、
プライスはそこそこ自由につけられたんですけども、
でもまともにね、前と同じ作り方してて、
プライスつけたらとんでもなく200万とか超えるぞっていうふうに言われてたんですよね。
マーチが100万円切って売ってる時代に、
1リッターの車が200万とかいってていくらなんでもって話になったらしい。
で、どうやって安く作るかっていう話の中で先輩方が考えだしたのが、
プレスの金型を減らさなきゃダメですよねっていう話。
で、プレスでたかつくのはフェンダーとそれからバンパー周りっていう、
フロントエプロン、リアエプロンつってましたけども、
そこをプレスでやめられねえかと。
プレスやめて何で作るんだって言ったら、樹脂でって話になって、
樹脂に目つけたのは、インジェクションだと一発でその形が出てくるんですね、
一つの金型から。
プレスは平らなのを切って、曲げて、膨らましてとかって、
だいたい3、4型は最低必要になるんですけれども、
一発で出るぞと。
新人として始めたCAEシミュレーション
でもじゃあ樹脂にできないで、うわーって言ったら、
当初のバンパーなんかを見てもらうと、
塗装したバンパーってあんまり艶が出ないっていうんで、
鉄板に対して品質感が劣るっていうのが問題になって。
見た目の問題。
鉄板並みの塗装ができるプラスチックを開発するっていうのが、
この時の一番最初に与えられた。
途中までもうプラスチックの開発ができてたんで、
形自体は。
そうですそうです。評価するっていうのと、
あとはプラスチックの物性をいかに上手に使って、
形状にするかっていうところが自分が与えられた。
その後ろの、いかに材料物性を形状にフィットさせるんだっていうところで、
CAEシミュレーションを使えって言われていて、
その当時誰もやってなかった、
キーボードアレルギーがいっぱいの人たちの先輩方の中でね、
キーボードに一番アレルギーないのは新人だろうって当てられたのが原因ですね。
お前若いからできるだろうみたいな感じで。
そうですそうです。
私のイメージだと1995年にそれこそWindows95とかが出始めてるので、
割と普及してると思うんですけど、
80年代の、旧代の時はパソコンとかも使ってらっしゃったんですね。
ごくごく先進的なオタクが、
NEC-9801…いや98じゃない、あの頃は88とかぐらいですかね。
まだプロピーディスクで起動しているような時代のパソコンオタクっていうのが数名いたぐらいで。
そうですね、パソコンもそんなないですもんね。
パソコンというか、コンピューターはあるけどパーソナルコンピューターはない。
ないですよね。
なんかホストコンピューターにつながったターミナルというレベルのものしかなかったですね。
そうですよね。
じゃあそれを使ってCAEをやろうって感じですね。
大学の時、卒論とか修論の時代はそろそろワープロが出だしたって。
ワープロは使ってたんで、キーボードはある程度馴染みがあった。
はいはい、インターフェースは大丈夫ですって感じですね。
そうですね。
はい、なるほどなるほど。
それでそうかCAEをやってって感じなんですね。
これは苦労したことあります?そのシミュレーションソフトを。
えーっとね、いやシミュレーションって答え出してくれるんでしょって。
うんうんうん。
だから生産すると答え出るのに、なんでそんなに時間かけて苦労してるんですかっていう人がいましたね。
あー、やってない人が。
そうそうそうそう。
実際はいろんな条件を与えたりとか、それこそ図面を起こしてちゃんとやんないと計算できないですもんね。
そう、だから結局あれって単なる計算ソフトウェアだから、
何らか間違ってても正しくても、何かデータ入れれば何か答えが出てくるっていう。
はい。
その答えが本当に現実と合ってんのかっていうところを確かめないと、
そうすると正しい答えを出すためには、
インプットはこういうことを気をつけて入れなきゃいけないぞっていうところが、
はいはいはい。
分からないと使い物にならんのですけど、
はいはい。
そういう感覚がない人が一部にいたのが、
で、そこで苦労してるんですよ、みんなエンジニアはっていうのは。
分かってもらえなかった。
そうですね。
そうなんですよね。
リアルな空間と計算したところとかあるそのロジックが、
実際物作ったら合わないみたいなのが本当にいっぱいあるから、
そこにみんなエンジニア苦労してますよね。
だからシミュレーションでこんな結果出たけど本当かっていうのがやってる人間中の間ではみんないるっていう。
はいはい。
そうですよね。
ある意味だから仕事増えてるって増えてるんですよね。
実験とシミュレーションを併用する開発
シミュレーションもして実機も観測して、でその結果を比較してみたいなことをしてるんで。
そうなんです。
だからシミュレーション。
そうなんです。
シミュレーション技術開発って言ってたんですけども、
シミュレーションができるようにするための技術を開発してるんですよって言って、
はいはい。
その最中は実験もやらなきゃいけないしシミュレーションもやらなきゃいけない。
まさにパラです。
パラでやらないとそうですよね。
でも最終的な狙いはそれによって一部実験でしか確認できないって言ってたやつをシミュレーションで代替して、
絞り込んでいって最後の確認だけ実験でやるよっていう風に持っていくと。
はいはい。
試作品ってだいたいあの当時で市販している価格の最低10倍のコストがかかる。
それはあの実験でしか確認できなかった時代なんで、
高い試作車作ってはバンバン実験してバンバン衝突でぶつけて潰せるみたいなことをやってたんで。
そうですよね。
時間もかかりますしね、一回作って、金型作ってとかやると。
金型は作ってたら間に合わないんで、だいたい試作品は試作工法で作ってて、
ただこんな形、この形のこの部分こう変えてくださいって伝えるだけでも、
パソコンとか通信がない時代なんで。
確かに。
ポンチ絵描いてファックス送って、
電話してみたいな。
電話してって。
どうしてもでかい変更がある時にはCADデータで出さなきゃいけないんですけど、
CADデータをデータで送る手段なんて通信にはないので、
オープンリールテープ、カセットテープのケースか負け物みたいなテープに記録して、
それを自分で持っていける人は自分で持って行ってたし、
各地についてはバイク特急便についてあって、
バイクの後ろに積んでもらって、
どこどこの誰かに届けてっていうこともやったりしましたね。
そういう時代だったんですね。
そうです。出来上がったものをまた持ってきてもらうのに時間かかって、
なんか変更が出ると最低3週間ぐらいはかかるよっていうのは。
やり取りだけで大変ですね、確かにこの時期は。
サプライヤーへの出向と現場での検証
だからこの当時は早くても新車、
新型の何々を作るぞって宣言が出てから、
4年はかけないと新型にならないって感じでした。
でもそう聞くと、発表したからか。
でも今の日産あんま変わんないっちゃ変わんないっすよね。
そう。だから今の日産ってのはハードウェアとか、
もう人の手に触れる、物理的に手にすることができる部分は、
もうどんどん短い時間でできるようになってるんですけど、
多分ハードウェアの開発と確認。
そこがね。
多分ユニットになってると思うんですよね。
そうですよね。難しいですね。
その後、シミュレーションソフトの導入、
日産で一通り入れられるようになった感じなんですかね。
そうですね。
それを今度メーカーの方に展開するっていうので出稿されてる感じですかね。
結局、サフライアの部品が同じスピードでできないと、
結局日産は車になりませんっていう話だったんで。
大手の外装部品メーカーに一通り3年ほど出稿して、
現地のインジニアに、こうやってこうするといいぜっていう話と。
僕としてはその時期に、こういうインプットで、
こういうアウトプットが出て、正しいのか正しくないのかっていうのを、
工場がすぐそばにあったんで、すぐ確かめられるっていう。
あとは現場の整形エンジニアかと話ができて、
自分なりの力をつけるいい機械ではありましたね。
結構やっぱりメーカーの方がものを作るじゃないですか。
熟練者がシミュレーションを受け入れた瞬間
なんで結構あれですかね、このシミュレーションソフト導入するにしても、
身になるって言ってあれですけど、
やってる実感はメーカーの方がやっぱあるんですかね。
どうですかね、その辺。
ものづくりの検証っていうサイクルは早いですよね。
作れるものもちっちゃくなるし、
常に横でトライアンドエラーをできる設備も持っているので、
早かったですね。
ただ問題はね、向こうにも抵抗勢力がいたんですよ。
従来からのエンジニアの一部は、
シミュレーションって俺らの仕事を奪うもんだっていう風に思ってる人が一部いたんですけど、
でも良かったのは一番年長者の人が、
探求心がすごい強い人だったんで、
俺こういうこと考えてどっちか判断つかなくて困ってるんだよねっていう話から、
いやそれシミュレーションかけたらある程度知見が得られますよって言ったところから、
シミュレーションっていうのは自分の疑問を解いてくれる道具の一つなんだっていう認識を変えてくれたんですよ。
そこから協力関係ができたんですよ。
エピソードとしてね、
いっぺんある不具合出してる部品があって、
その部品の対策どうしようかって、
その老練なエンジニアが、
俺だったらこれやるのがベストだと思うっていう案をかけてみたんですね、シミュレーション。
こっちはシミュレーションプラス、
品質工学、実験計画とかである、
あれを使って最適解はこうだって出してみたんですよ。
どっちが勝ったかって言ったらシミュレーションが勝ったんですね。
そっから、
これは使えるって自分の道具の一つ、武器の一つにできるってそのエンジニアが思ってくれて、
そこからね、いろんな相談とかトライアンドエラーが始まりだしたっていうのが、あれは良かったですね。
新しい技術を取り入れ続ける成長
いいですよね。どうしても新しい技術とか出てくると、
そういう勢力って言ってあれですけど、今までのやり方を踏襲しようとする人もいますけど。
たぶん今までのやり方が一番いいという新たなやり方の良さを経験できなかったから、
じゃあそっちの方がいいじゃんと思えないんだろうなと思いますけどね。
そうですよね。
比較がまずできてないですもんね、使わないことには。
両連になってくると、その人を超えるような存在っていうのもなかなか出てこないじゃないですか。
そうなんですね。相当今まで熟練してるんで、結構そこを突破するのって難しいですね。
だから同じ道を辿ってきた後輩は多分追い抜けないと思うんですけど、
こんなふうに違う技術で横から入ってきた技術っていうのを異物とみなすか、
もしくは新しいものとして見てみようと思うかっていうそういうところの差じゃないかなと思うんですけどね。
そうですよね。だいたい最初の方ってうまくいかないんですよね。
そこを突破できて、さらに今までのやり方を超えられるまでは割と逆風ですよね。
そうですね。それはそう申します。これは面白いエピソードとしていろんな人に伝えたい内容ですね。
なんかあれですね、その教訓じゃないですか、やっぱり年取っても新しいことを取り入れていくっていう教訓でもあります。
別のコミュラボとか石川さんの流れを通じて、ここ1年くらいかかなり外の会社の方々と付き合えるようになってきて、
その中の講演の一つで聞いたんですけど、ドラッガーさんっているじゃないですか、マネジメントの人ですね。
あの人の関係の著書にそういうことを謳われてるらしくて、結局経験を積むってこと自体は成長なんだけど、
新しいことを入れていかないと成長が幸るっていうようなことを言ってましたよね。
前近戦のようにどんどん成長のスピードが鈍化していって水平になって、
自分の強みを作っちゃうと、その外に出ようとしないとそこで成長が止まっちゃうって言って、
人生長いんだから残りの期間そんな劣化した状態で過ごすんですかみたいなこと言われてて、
そこから途中新しいものを入れてそこからさらに成長するっていうことを、そういうネタを見つけていかないと人間ってどんどん劣化しますよっていう風に言ってましたね。
だからそういう意味で、この会社生活を振り返るとプラスチックから途中から金属に変わるんですけども、
それで劣化しないそういう新たなアイテムをもらえるっていうチャンスだったのかなっていう風に思いますね。
そうですね、確かに確かに。