1. 武将ラジ〜武将について喋るラジオ〜
  2. 第5章「謎に包まれたプリンス..
2025-04-11 25:42

第5章「謎に包まれたプリンス、北条時行って何者❓」

テーマをいただきましたハリートさん(https://x.com/@haliito_emb )誠にありがとうございました😭


じゃがじゃがラジオさんはこちらから

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今回は「逃げ上手の若君」でお馴染みの北条時行で話をしております‼️

よろしければお聴きくださいませ‼️


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サマリー

北条時行という武将の波乱万丈な人生に迫ります。彼は鎌倉幕府の滅亡後、北条家の再興を目指し、三度にわたり鎌倉を奪還しようと戦いますが、最終的には処刑される運命をたどります。北条時行の歴史的背景とその謎を探ります。鎌倉奪還の意義や足利との関係、さらに時行の生涯にまつわる伝説が描かれ、時行がどのように評価されるべきかが考察されます。北条時行に関するエピソードでは、彼の歴史における地位や功績、また彼を描いた作品の魅力を探ります。

00:01
おはよう、こんにちは、こんばんは。武将について喋るラジオ、略して武将ラジオのうっちーです。
この番組では、学生時代に学芸員を目指そうとも考えていた、歴史好きである私、うっちーが、毎月11日、ソロポッドキャストの日に、様々な武将について話をするという番組でございます。どうぞよろしくお願いしま〜す。
この入り初めてさせていただきますけども、武将ラジ今回第5章でございます。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんけども、もともとこの武将ラジは、僕が配信しております別番組、マンラジという漫画について喋るラジオの特別編でございました。
特別編と言いますのも、毎月11日、これはソロポッドキャストの日でございます。
普段一人での配信を主にしているソロポッドキャスターのための日でございまして、この日に様々なソロポッドキャスターが通常配信でも特別配信でも様々な配信をするようという日なんですけども、
マンラジで毎月ソロポッドキャストの日にこの武将ラジを配信しておりました。
ただ、この武将ラジ、マンラジと番組の内容が違いすぎるよということもありましたし、またマンラジの配信の中でゲストを呼びした回なので、前編後編とかで分ける際に、その前編と後編の間にこの武将ラジを挟むこともありました。
また、この11日が僕の別番組であります薬と健康に関するラジオ、クスケンラジオであるとか、漫画についてしゃべるラジオ、マンラジと配信曜日が重なってしまうということもありまして、そこら辺のいろいろ面倒なところもありましたので、いっそ番組を分けちゃった方がいいんじゃないかということは指摘もされておりまして、今回分けさせていただきました。
ということで、僕現在クスケンラジオ、マンラジ、そしてこの武将ラジで合計3本番組配信することになります。
配信スケジュールのこともありまして、武将ラジは月に1回しか配信しない予定ですけども、どうぞよろしくお願いします。
ちなみにこの配信時点で、もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんけども、過去にマンラジの中で配信いたしました武将ラジはこちらの方に移行しました。
第1章の豊臣秀永、第2章の額比、第3章の加藤清政、第4章の植杉謙信、まだ聞いてないよという方、よろしければお聞きくださいませ。
でまた番組、その第1章から第4章まではマンラジのままだったということもありまして、配りなど様々なところで違ったりもしますけども、その点もご容赦いただければ幸いでございます。
今回先日マンラジにおきまして、Xでのスペースを行いました。その際にいただきましたテーマで話をさせていただこうかなと思っております。
北条時うきの誕生と背景
それでは早速ですけども、今回話をさせていただきますタイトルはこちら。謎に包まれたプリンス、北条時幸って何者?
今回話をさせていただきますのは北条時幸という武将でございます。今現在週刊少年ジャンプで連載中の逃げ上手の若気味、それの主人公だよという話をするとピンとくる方もいらっしゃるんじゃないかと思います。
先日マンラジでスペースをさせていただいた際に、ジャガジャガラジオというポッドキャスト番組さん、様々な番組や企画に顔を出されておりまして、ポッドキャスト界を盛り上げていらっしゃるジャガジャガラジオ様、
逃げ坂を家庭料理にできること、ニックさん、ハリートさん、サキちゃんさん、エビのしっぽさんの女性4名でされているポッドキャスト番組ですけども、様々な話題、キュンキュンするような恋愛話であるとか、日々の出来事の話、漫画の話の様々な話題を楽しく明るく好きなものを話す素敵な番組でございます。
その番組様からニックさんとハリートさんがスペース参加いただきました。その際にスペースの中で武将ラジオのテーマとして今回の北条時幸をいただきました。
ハリートさん、漫画好きということもありまして、そこから逃げ坂の若組の北条時幸って何者?ということでテーマをいただきました。誠にありがとうございます。
この北条時幸なんですけども、漫画の代々なるくらいということもありまして、すごい波乱万丈の人生を歩んでおります。
ただ不明点も多いという謎の武将でもございます。そんな北条時幸で今回話をさせていただきます。
ただこの北条時幸がどんな武将だったのか、どんな人生を歩んだのかというのをまず話をさせていただきますと、北条時幸は北条貴時という鎌倉幕府14大執権。
執権というのは本来政治を取りまとめる方とか政治の権力者という認識で聞いていただければなと思います。
この北条貴時という鎌倉幕府の息子として、次男として北条時幸は生まれます。
時幸の生まれとして諸説あるんですけども、時幸が生まれて間もなくの頃から鎌倉幕府と後醍醐天皇の間で戦が起こり始めます。
ただこの戦、初めの頃は北条方の方が有利だったんですけども、ただ途中から北条家の御家人、家来とか部下という意味なんですけども、北条家にとっての部下である足利隆氏が後醍醐天皇の側につきます。
そうしますと、戦況が一変しまして北条側が一気に追い詰められるようになります。
その結果、時幸が4歳だったと言われてるんですけども、4歳の時に鎌倉が足利隆、特に日田義貞という部長に攻め込まれまして壊滅します。
実を鎌倉幕府はこの時に滅亡しました。
鎌倉が崩壊しましたけども、その際に高時の子供2人は敵側からの脱出を囲みます。
兄である国時とその弟時幸は別々の方向で逃げようとなるんですけども、兄の国時は家臣の裏切りによって敵方に引き渡されまして処刑されてしまいます。
そして弟である時幸は何とか逃げのみます。
この鎌倉幕府が滅亡した後、権力を握った後醍醐天皇による政治が行われ始めます。
ただこの時に各地で北条にゆかりのある部署たちが反乱を起こすようになります。
北条にゆかりのある部署たちは言ってしまえば北条の天下であれば良い思いをできた人たちです。
そういった人たちからすると北条が没落したとなりますと自分たちの立場も怪しくなってしまいます。
事実、後醍醐天皇が権力を握った際、政治の中枢からは北条に対して中枢が強かった人々は排除されました。
なので北条にゆかりのある部署たちは政治の世界から排除されるようになりまして、立場としても天から地に落ちたという感じでした。
それを容姿としないで各地で北条にゆかりのある部署たちは反乱を起こすようになります。
反乱を起こして今一度北条の天下に戻そうという風に起こります。
この流れ当然と言えば当然ですけども北条ときゅうぎの身にも降りかかります。
北条が没落したことで立場を奪われた人たちからすると北条ときゅうぎを担い上げることはとても重要でした。
実際ただ反乱を起こすというよりも北条の名前を出すことがとても重要でして
基本的にはもう北条が没落したので後醍醐天皇であるとか足利尊氏のような人たちが権力を握っておりました。
正義とか悪で話をするのは難しいですけども一般的にはもう正義は後醍醐天皇とか足利のものでした。
そんな状態で反乱を起こしたとなりますと反乱を起こした側が賊軍とか悪という風に言われてしまう立場でした。
ただそこで北条の名前を出すことで奪われたものを奪い返すんだ。
もともとは北条の天皇だったんだこれは敵うきだという風に北条の名前を出すことで大義名分のようなものを手に入れたかった。
それもありまして各地で不満のある武将たちは北条の名前を担い上げました。
そして北条時うきという北条家の正当なる秩父というのはもうこれ絶大な力がありましてまさに北条の名を担い上げるには重要な人物でした。
鎌倉奪還への挑戦
なのでその結果時うきは10歳、資料によりますは6歳という若さでまだ幼いながら北条にとっての聖地である鎌倉を奪還するための軍のトップに活躍られます。
この時時うきが6歳いいとか10歳の若さで鎌倉を奪うことこれを中仙台の乱なんて呼ばれるんですけども中仙台の乱。
中は上中下とかの中真ん中というの中に仙台は後先の先に代替わりの代での仙台。
これは世の中として前の代仙台は北条の代だった。まだ足利の世になりきってないという北条と足利のちょうど間ということでその間の中
仙台の乱と言われております。そしてこの北条時うきをトップとした軍は鎌倉を奪還することができます。
ただその後の足利軍の攻撃とかからはとても耐えきれないということもありましてわずか20日余りで奪った鎌倉から逃げることになります。
20日間しか奪えなかったので中仙台の乱ではなく20日仙台の乱なんていうふうに言われたりもします。
この前結局鎌倉を一度奪い返すことができましたけども北条時うきその後足利軍の追撃から逃げ延びることになります。
その後は時うきは本来であれば自分たち北条と敵対していた後醍醐天皇の配下になることになります。
もともとは北条家と後醍醐天皇の間で戦が起こっておりました。そこで北条家の家来であった足利が後醍醐天皇の側についたことで北条は滅亡します。
そのきっかけとなった後醍醐天皇の部下となることを北条時うきは選びます。
と言いますとその頃には後醍醐天皇と足利の間で敵対するようになっておりました。
そういった敵の敵は味方理論もありまして北条時うきは後醍醐天皇の部下となることを選びます。
そして後醍醐天皇の力を借りる形で欧州の名将北間崎昭家と共に足利と戦うようになります。
そして2度目の鎌倉奪還に成功します。
この時の時うきは諸説ありますが10歳から12歳くらいだったなんて言われております。
その後鎌倉奪還後に北畑昭家が遠征軍を率いて京の方へ向かいます。
本格的に足利を戦おうというふうに持っていくんですけどもただこの遠征軍の中で北畑昭家が命を落とします。
それによってこの軍の力も急速に衰えてきましてその結果鎌倉におきましても足利の追撃に勝てないとなりまして
時うきたちは鎌倉から逃げ延びることになります。
この2度目の鎌倉奪還からその後時うきは足利の追撃軍とも逃げ延びましてその後10年以上も絶やしのむことになります。
その結果諸説ありますけども時うきが24歳の時に3度目の鎌倉奪還のチャンスが訪れます。
この頃はもう南北朝時代後醍醐天皇側が南朝南の朝廷と書いて南朝で足利尊氏たちが北朝後醍醐天皇と別の天皇を立てましてそれで争いをしておりました。
ただこの南北朝時代の間で北朝の中で内乱が起こることになります。
北朝中で権力争いとかありまして北朝が乱れる時期があります。
その隙を見て時うきたちは3度目の鎌倉の奪還に成功します。
ただこの後時うきたちは足利との争いに敗れます。
そしてわずか20日前後でまたも鎌倉から逃げ延びることになります。
時うきの最期
そして時うきは3度目の奪還から足利の追撃に1年以上も逃げ延びることになるんだけどもついには捕まってしまいます。
そして時うきは処刑されることになります。
生まれ年諸説ありますけども25歳前後と違和化され時うきはこの世から去ることになります。
といったところが北条時うきの生涯でございます。
北条時うきその時代の権力を持つ足利から3度鎌倉を奪うことができたということ。
人生の大半を費やしてでも鎌倉を奪還しようとしたこと。
まだ4歳とか6歳とか若い頃に故郷である鎌倉から逃げ延びることになりました。
そこから20年もの間鎌倉を奪うために戦い続けたという鎌倉への思いを持った北条時うき。
そういったドラマ性を持っている武将であるかなと思われます。
実際松井雄生先生の逃げ上手の若気味でも時うきは足利からの次を何度も逃げ切ったということを題材にしているとか。
初めて鎌倉を奪い返すために鎌倉吹きについたとき主人公時うきが涙を流しながら故郷を思うシーン。
こういったのはやはり歴史のこととかを勉強していた人間からすると思わず上手いなと。
北条時行きと鎌倉奪還
松井先生やっぱすごいなーっていうのを感じさせられます。
ただ確かにドラマ性はあるけども逃げ上手の若気味以外では北条時うきを題材にした作品ほとんどありません。
なぜ題材にされないのかという話を今回させていただきますけども。
まず鎌倉を奪還ということ。
確かに北条に縁のあるものからすると鎌倉幕府のあった鎌倉は重要な土地であります。
ただ鎌倉幕府が滅亡した後、後醍醐天皇が実家を握っていた時には政治の中心、いわば日本の中心は鎌倉から京の方に移っておりました。
なので北条時うきたちが奪い返した鎌倉はもうすでに以前ほどの輝かしい土地ではなくなっていました。
鎌倉を奪ったからこれで北条の天下になるんだというほどではないです。
確かに北条家と最高を願うのであれば鎌倉という土地は重要ではあるんですけども。
じゃあ鎌倉奪い返しましたとなってもこれで日本がひっくり返そうとなるとそこまででもないという。
そういったふうに異業がいまいちピンとわかりにくいという点があります。
しかもせっかく鎌倉奪ったとなっても奪った後に奪い返されてしまう。
こういったところもあったりして異業がよりわかりにくくなったりもします。
また様々な部長から北条が担ぎ上げられたということでその時代の象徴とするような感じもありますけども。
足利と北条の関係
実際にはやはり正義としては足利が握ってしまっていたという面もありまして
北条家の方が若干賊軍とか反乱軍という言い方にもなってしまいます。
どうしても正義とか悪という話をするのは良くないんですけども。
正義とか悪で見た時に北条の立場ってあんまり良くないんじゃないかというふうに思われます。
でまた北条は足利によって正義を奪われた。
足利は北条の御家人だった。家来の立場だった。
家来が反乱を起こした。いわば下国城とも言えるんですけども。
ここだけ聞くとあれ足利って悪いやつじゃん。自分で主君を裏切るなんて酷いやつじゃないかと思われるかもしれませんけども。
そもそもでよく言う家臣が主君に忠誠を誓う。主君のために命がけで戦うというよく言われる主従関係。
これを美徳とする感覚は江戸時代になってから広まった文化でございます。
江戸時代江戸時代は平和にするために反乱とかを起こさないために徳川家が大名たちに反乱を起こすなよということで大名たちが徳川家に使えることは正しいんだということを広めたかった。
だからこういった主従関係とかを広めたんだと言われたりもしますけどもただこれもちょっと審議が怪しいので置いておきますけども
徳川が広めたかどうか向きにしても江戸時代になってから古典とか農とか花社の様々な文化でこの美しい主従関係。
主君のために戦うんだとか命がけ戦うんだといったこういった主従関係の文化は江戸時代になってから広まりました。
こういった主君のために死ぬのが武士の誉だというそういった話をするのが民衆に受けたんですね。
民衆に受けたからこそ様々な創作物で描かれまして主君のために死ぬ気で働くのが美しいんだというような文化が生まれました。
なのであくまでこういった主君のためにとかいう感覚は江戸時代以降のものです。
それよりも前戦国時代でもやっぱり裏切りとかもありましたしもっと前鎌倉南北省室町時代のところは主君を裏切るというのは別に珍しいことじゃなかったです。
実際日本でも屈指のよくわからない時代応仁の乱を起こしていた頃。応仁の乱の頃なんてもう主君がゴロゴロと揺れ変わります。
なのでこういった主従関係の話とかは当時の感覚としては当てはまらないということもありますし実際条件の良い方に従うなんてのは普通でした。
そういった面からも足利が反乱を起こしましたで法助を滅亡させましたと言っても当時化するとまああるよね。
でむしろしっかりその対策を行っていた法助が悪いよねというふうにもそんな価値観でもありました。
でまたさらになんですけどもじゃあこれ現代の感覚で言ったら足利が悪いやつじゃんと言いたいところであるかもしれませんけども
そもそもで言いますと法助は源氏、源頼朝の源氏ここから政権を奪ったという過去があります。
もともとは鎌倉幕府を作ったのは源頼朝である源氏でございました。でこの源氏から法助家が鎌倉幕府を奪ったという形になっております。
で足利は元々源氏に仕えている武家でした。となれば源氏を滅ぼした法助を源氏に仕えていた足利が滅ぼしたこれこそあだ打ち成功じゃん。
足利が偉いじゃんというふうにも捉えられたりもします。 なのでここらへんの法助が足利に対して反乱を起こすという話
これ深掘りは深掘るほど法助って悪いものじゃないかというふうにもなりまして共感が得られにくい部分だったりもします。
そういったものもありましてここらへんで法助を正しいというふうに描くのが難しかったりもします。
北条時行きの謎
そういった意味でも題材にしにくい話だったりもします。でまた他にも法助時行きが題材にしにくいところ
逆に題材しやすいところでもあるんですけども 法助時行き基本的に謎が多いです
当時のことを書いた資料などでも実際には法助時行きはあんまり登場しないです 鎌倉奪い返しましたまた奪われました
その後どころどころ誰と戦ったといったのはいろいろ残っているんですけどもやっぱりあっさりしたものが多いんですよね
資料が少なすぎてどういう人物だったかをイメージしにくいと言われております。あまりにも謎が多すぎて実は3度目の鎌倉幕府
奪還後は処刑されてなかったんだ逃げのみたんだという説もあったりするんですけども これはこれで信憑性が薄かったりします
と言いますのもしっかりでやっぱり処刑されたっていう文言が残っていることと 時々は3度目の鎌倉奪還後に伊勢まで逃げのみたんだでその後に
法助という名前を捨てて伊勢と名乗るようになったんだという説があったりするんだけども どうしてもここら辺は信憑性が薄い話だったりもします
なんでそんな伊勢まで逃げのみたんだっていう説があるのかという話を触れさせていただきますと 伊勢寺、伊勢氏とか言いますけども
わかりやすく伊勢家という表現させていただきますけどもこの伊勢家は室町時代幕府において名門中の名門でした
黄泉の乱丸の権力争いに敗れまして力を失うことになるんですけどもそれでも伊勢壮瑞、伊勢真九郎という名前でご存知の方もいらっしゃるかもしれませんけども
この伊勢壮瑞が後に関東において兵を起こしました 自らの領土を獲得する日本史上初の戦国大名だと言われたりもしますけども
この伊勢壮瑞は伊勢家の人間でございました この伊勢というのは京都の方とか幕府の方では名門であったんですけども
関東ではいまいち親しみが薄いかなということもあったと言われまして この伊勢壮瑞は後に北条壮雲と名乗ることもあります
ちなみにこの北条壮雲の伊勢真九郎時代からのことを描いた作品で 結城正美先生の真九郎走るという漫画がありますので
そちらもおすすめでございます 本当に日本屈指でわかりにくい鬼の乱が漫画化されておりましてすごいな結城正美先生と思います
実際の頃は様々な署名とかでは伊勢の名前を書いておりましたけども ただ関東で生きていく上では北条を名乗った方がいいだろうということで
北条を名乗ることが多かったと言われるんですけども これはわざわざ伊勢家が北条を名乗るようになったのはもともと伊勢家が北条の繋がりが
あったからじゃないかという説もあります そこから北条時行きが逃げ延びましたので伊勢に逃げ延びて伊勢を名乗るようになったんだ
北条の名をしてたことをやはり悔やんでたんだ先祖は だから伊勢壮瑞は関東に行った時に北条の名を語ったんだというふうにも言われたりもして
おりますけどもでまたちなみになりますけども 北条壮瑞の子でありまして2代目北条家の当主となります
北条宇治綱の性質は北条時行きの子孫だったんじゃないかという可能性があると 言われておりますでまたその宇治綱の子供
3代目北条家当主となる北条宇治康の奥さんは北条家の血を引いていると言われております ここらへんもやっぱり本当にかつて伊勢家
北条と名乗っているもおりますけども伊勢家は北条の血が入っているんだで 北条を復興させたいからこそ
ここまで北条の血にこだわるんだという説もあることはあります ちなみになんですけどもこの伊勢壮瑞が語った北条家
北条孫が関東に来てから北条孫と名乗るようになりましたという北条家ですけども これは後に語った北条家ということで後北条家と言われたりもします
後北条の後前後とかの後という意味の後ですねそれ後北条家 後の北条家ということですね
前の北条家はどうしても鎌倉幕府とかの北条家になるのでその後の北条家ということで 後北条家なんて言われたりもします
でまぁよくあるしね一般的にはこの北条家と後北条家は別座 血は繋がってないなぁなんて言われたりもしますけども
この後北条も実は本当にかつての北条の血を引いていたからこそ 北条の血を復活させることにこだわっていたんじゃないかなんていう説もあったりもします
ここらへんをひっくり返して伊勢家はきっと北条の血を引いているとなると 北条時雨季が伊勢まで逃げ延びてそこで伊勢と語るようになったんじゃないか
だから 北条時雨季は逃げ延びたんじゃないかと言われておりますけども
どうしてもここらへんの話は信憑性が本当薄いです どうしても先ほども触れましたけど時雨季のことを記した資料に処刑されたという旨が書かれている
こともありますしでまた伊勢家確かに室町において名門でした 足利将軍家の養育係を任されていたこともありますし
まさに政治の中層になっている家の一つでした他に細川家とかもありますけども 室町幕府に多大なる影響力を持っていましたけども
そんな力を持っているときに室町幕府に対して 北条の復興とかを働きかけたという記述はないんですよね
もしも本当に伊勢家が北条家の復興を願っていたのであれば まだ伊勢家が没落する前に北条の復興とかの働きがあってもおかしくはないと言われるんですけど
そういった働きがないということでやっぱりまた別物なんじゃないかと言われております でまた北条宗雲が実際に関東で勢力を伸ばしていた時
相模の国現在の神奈川県を領主としておりまして まさに鎌倉もここら辺に入ってくるんですけども
ただ実際北条宗雲が相模の国に入ったと言ってもそこまで鎌倉という地に こだわりがあったという描写もないんですよね
もちろん以前の北条なら語らせていただくのでということでその鎌倉の地を大事にしたんじゃないかということもあったと言われてますけども
ただじゃあ鎌倉を重要拠点にしたかとなるとそういうわけではないと そこまで鎌倉の地に対してこだわりを持っていたという描写はないと言われております
そういったのを含めましてやっぱり異世経 北条と地筋としては別なんだろうなと言われております
なのでそこから北条時々逃げ延びられてないと処刑されてしまったんだと言われております 逃げ場所の若気味松井先生ではどうするかわからないですけども
もしかするとここらへんの時々処刑のあたりを変装明治の仲間がすり替わって代わりに処刑されたというふうに表現変えるのかなというふうにも考えられますし
ここらへんは今後の漫画の展開どうなっていくのかななんてのはやっぱり面白いところだと思います
何にせよなんですけども作品化をするにしても北条時々が行ったことが異様がピンときにくいし
北条時行の評価
その北条の立場ってこの時代の感覚からしてもどうなんだというところがある また記述が少なく活躍がよりわかりにくいということもありまして
どうしても花にかけてしまうところもあります その他にもここらへんの時代として南北朝時代の権力の難しさとかもありまして
同時の作品の題材としては選ばれにくい時代であり そして選ばれにくい部署なんじゃないかなと思われます
ただまあ逃げ場所の若気味はとても面白いです 記述が少ない部署だからこそ自由に描ける部分が多いという解釈も取れます
そういった特徴も利用しまして松井先生とても魅力的な作品に描き上げております ドキュウキの妻ってちょっとはっきりしないこれも記述が少ないからなんですけど
でも子孫は結構いると言われているんですけどもここらへんも あーなるほどね恋愛面でそういうふうに描いてきたっていうのはやっぱりめちゃくちゃ面白いところも
ありますし でまぁかといっても本当当時の情勢とかをしっかり盛り込まれた作品を閉じ込んでいるので
歴史とかが好きな人からもしてもほんとこれうまいよなーっていうところもほんとすごい なぁと思われされます
さすがに漫画ということでもう脚色されている部分も多いんですけども もはやっぱりわかりやすいですしでまた足利隆二という日本史上で最も強く有名な
メンヘラをここまでうまく描いているのは松井先生ほんとすごいと思います こんな足利隆二を描いている作品はないと思いますほんと
ただここらへんの時代逃げ上手の若組の宝女ドキュウキが後代後天皇に仕えていたのが どれだけおかしいことなのかというかどれだけそのすごいことなのかわかり
やすかったりもしますし歴史に興味を持ちやすい作品としても本当によくできている なと思いますので逃げ上手の若組はほんとお勧めございますでまた
包丁時雪にご興味を持たれた方できっと若は生き延びたんだ 異性と名乗っているんだというね
説を信じられている方包丁時雪にご興味を持たれた方は時雪の子孫かもしれない 包丁創運の活躍を描いた先シンクロ走るもぜひともお勧めさせていただきます
といったところが今回紹介させていただきました部署包丁時雪でございました 今回はここまでです
その他の情報
改めましてテーマをいただきましたじゃがじゃがラジオさん特に張り図のなことでございます この番組部署ラジは月に1回毎月11日のそのポッターキャストの日に配信をさせていただく予定
でございます この部署について聞いてみたいのがあればいつでもご連絡を待ち取りますのでどうぞよろしくお願いします
でまた薬や健康について話をするくすけんラジオ漫画についてしゃべるラジオマンラジ という僕の別番組も合わせてどうぞよろしくお願いします
今回も最後まで来ていただきまして誠にありがとうございました
25:42

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