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2024-03-25 14:52

読書ラジオ『火口のふたり』白石一文

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⭐︎本紹介
火口のふたり (河出文庫 し 22-1) https://amzn.asia/d/70UeK9V
(配信の冒頭部分は本の説明文・あらすじを読み上げています。)

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こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを、音声配信しています。
今日は、白石一文さんの『火口のふたり』という本について話してみようと思います。
結婚式を控えて、いとこのケンジと久しぶりに再会した直子。 しかし彼は、かつて快楽のすべてを教わった直子の初めての男でもあった。
挙式までの5日間、理性と体に刻まれた記憶の狭間で、再び過去へと戻っていく二人。
出口の見えないいとこ同士の行き着く先は、 恋愛小説の名手、白石一文が描く『極限の愛』という
白石一文さんの本は、他に読んだことがないですね、私はね。
1958年、福岡県生まれ、早稲田大学政治・経済学部卒業。 文芸春秋の勤務を経て、2000年に一瞬の光でデビュー。
2009年、この胸に深々と突き刺さる矢を抜けで、山本修吾郎賞。 おお、すごいタイトルですね。
2010年、他ならぬ人へ。 で、直木賞を受賞。
著書に、翼、幻影の星、海峡、彼が通る不思議な構想、私も。 神秘、愛なんて嘘、など足す。
すごい、愛なんて嘘。 恋愛小説の名手ということですね。
この過去の二人は映画化もされたんじゃないかと思いますね。
あのー、あれだっけ? 安藤桜さんの旦那さん。
根本タスクさんか。 この俳優さんいいですよね。
すごく大好きです。 映画もちょっと見てみたいなと思いますね。
過去の二人はですね、ケンジと直木のいとこ同士の恋愛なのかな、お話ですね。
直木は結婚を控えていて、その直木の結婚式に出るために帰ってきたケンジ。
このケンジがですね、結構ダメ男というか、落ちるところまで落ちかけている男でですね、
結構いいところの会社に勤めていたんだが、何かしらの出来事があって、その会社を辞めて独立起業したところに、
東日本大震災が起きて、起業したての霊災企業は本当にもう、
生き残りに苦心するような借金借金の状況で、もうこれ以上借り入れが難しいという状況にまで落ち込んでいる。
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そしてその何かしらの事件のおかげために、妻、子供と別居離婚して一人暮らした。
いうことで、もう何も守るものもないし、あんまり希望もないし、ただ惰性で生きてしまっているというケンジですね。
一方、直子は30代の真ん中かな。
子給禁止があって、もう子供を産むなら今しかない、みたいな状況の中で結婚をしようとしている。
かつて二人は、すごく自堕落な性生活を送った二人だったんですよね。
前半に、過去の記憶というかですね、どんなことをしたかとか書いてあるんですけれども、
とても純愛とは言い難いような、結構自堕落な性行為をしてきた二人ですね。
ケンジが言うセリフというか、ケンジがこういうことを言うんですけれども、それがすごくこのケンジを表しているようで面白かったですね。
大概のことに不真面目でも男女の色恋だけは真面目が良いと思っている人間と、
色々なことに真面目でも男女の色恋だけは不真面目で構わないと思っている人。
この世間には2種類の人間がいると思う。
俺自身はどちらかといえば後者に属していた。
色んなことに真面目なんだけど、色恋だけは不真面目で構わないと思っている。
自分のことをそんな風に言うんですよね。
で、その女の、女関係の失敗でこの人は露天の人生を歩んでいくことになるんですけれども。
そしてそんなケンジは、なおことはここ十数年、絶縁関係にあったわけですよね。
なおこと絶縁関係に入るきっかけとしては、ケンジの結婚があったわけですけれども。
ただかつて関係を結んでいた時期は、ろくになおこのことなど観察していなかった。
当時の俺たちはお互いがお互いにとって同意でもなる聖奴隷のような存在だったのだということで。
恋愛ではないですよね。お互いの体を欲していたということで、それが再開してその後の5日間。
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本当にね、時間があればセックスばかりするという。
結婚前の女の人がよくそんなことするなという感じなんですけれども。
この2人どこへ向かっていこうとしているのかっていうのがね、読んでいくうちに本当に
どうするんだろうっていう思いで読んでいきました。
下校の2人というのはですね、そんな2人がお互いを聖奴隷と思っていたような時代に、
ヌード写真を撮るというのも2人の楽しみの一つだったんですね。
その寄生してきて、なおこが結婚する前の5日間、すごく2人でやりまくっている中で、
なおこが昔のヌード写真を持ってきて、私この写真が一番好きなんだっていうんですね。
それは俺となおこが素っ裸で抱き合っている、なんてことはない普通の写真なんですけれども、
何が好きだというと、
なおこは、この写真は2人で一緒に富士山の下校に吸い込まれようとしているところなんだよ。
そんなこと言うんです。俺は心霊内科に通っていたこともあって、その薬の影響か過去の記憶かはっきり思い出せないことがある。
なおこにそう言われても、それが何だったのかっていうのがよく思い出せない。
なおこが説明するには、ベッドの背後に写っている写真、大きな写真のポスターですね。
これは富士山のポスターで、その下校を捉えた、すごく希少な写真なんだって言うんですね。
富士山の下校付近は乱気流の倉屈と言われていて、そんな過酷な状況の中、ヘリに乗って写真撮るってすごく難しいんですが、
ケンジの先輩がそういった写真を撮って、それをプレゼントしてくれた写真なんだ。
そうだった、ここに写っている富士山の写真は俺のお気に入りだったんだ。
それで一緒に過去に吸い込まれようとしているという言葉の意味を相変わらずわからない。
それをなおこは、この日、夜中にケンちゃんからいきなり呼び出されて部屋に行ってみたら、ケンちゃんすっかり出来上がってて、私の顔見るなり一緒に死のう、一緒に死のうってすごいうるさかったんだよと。
それでしばらくベッドで抱っこしてあげて、ようやくケンちゃんも正気が戻ってきたから、だったら一緒にこのまま抱き合って、あの富士山の過酷に吸い込まれちゃおうよって私が言ったの。
そしたらケンちゃん今度はノリノリになっちゃって、それめちゃくちゃ面白いよとか言って、結局こんな風に二人で記念写真まで撮っちゃったんだよっていう思い出を話すわけです。
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この過酷の二人っていうタイトルはですね、この富士山の過酷付近ランキルの倉窟で、まさにそんなところにいたら吸い込まれるかもしれない、まあその切な状況にいる二人を表現しているようでもありますよね。
このギリギリのところで留まっていることを楽しむ二人。落ちてしまっても構わないと思いながら、そこに留まり続けている。
ただ、そこから別の場所に動こうとはしない、そのギリギリを楽しんでいるというか、そこから離れられずにいる二人。
時間が経って、ケンジが結婚生活をして十数年、二人の時間は止まったんですが、再会した途端、急にまたその時計の針が動き出してしまう二人。そしてまた過酷に立つ、そんな話ですね。
そして最後の方にですね、まあもうほとんど私たちは想像できないというか、こんなことが起きるのかという事件が最後の方に起きていきます。
それはまさに私たちが経験した東日本大震災だとか、それ以外の震災だったりコロナ、もう今何が起こるかわからない時代と言われて久しいですよね。
何十年か前だったら、戦争も終わってこれからどんどん平和になってみんなが豊かになっていくんじゃないかと、みんななんとなく思っていた時代があったと思うんですけど、今はそうじゃないということもみんな気づき始めている。
何が起こるかわからない。突然未知のウイルスがやってくることもあれば、大きな地震で一切のことが失われてしまう世界もある。
この二人だけじゃなくて、私たちもそんな足元ぐらぐらの世界にいるのかもしれないですよね。
そしてこの小説でもまたそういう大きな出来事が起ころうとしている。そんな過去にいる二人はどういうふうに最後を迎えようとするのか、みたいなことが最後を書かれていてですね。
ちょっと自分のことに置き換えてみると、この二人が幸せなようにも感じてしまう、そんな変な感覚を覚えるラストでしたね。
ただですね、ケンジは自分でも言った通り、色恋に関しては不真面目っていうことで、こういう人と一緒にいると本当になんとかズルズル沼に落ちていきますよね。
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山本タスクさんが演じる役って結構沼感があるなぁと思って、本当こういう人にはリアルな世界では出会わないようにしないといけないなぁなんて思うんですけれど、一緒にいて生きていきたくなる人の方がいいですよね。
一緒にいて死のうよなんて言っちゃう人とズブズブっと言っちゃうと危険だなぁと思います。
ただ、二人はいとこであるということもあって、いろんな秘密を共有した二人だったと思うんですよね。
それが成立してしまった。それを別れた後、ケンジは別の人とそういったことを再現しようとしたのかもしれないですけど、うまくいかないわけですよね。
それが自分の生活の基盤というものを崩すきっかけになってしまったということだなぁと思います。
ただ、人間ってそこまで理性的に動けるわけじゃなくて、時にはこういうイロコにのめり込んでいって、グラグラしてしまって、どうにでもなれっていうその、
なっちゃった後じゃなくて、どうにかなるかもしれないって思ってる時が一番幸せというか、脳も麻痺していて気持ちいいのかもしれない。
そういった時間を一番共有できる相手がケンジとナオコ。双方にとってそういう二人だったということで、制度例という表現もしてましたけれども、そんな二人なんだろうなというふうに思いました。
今、私は結構安全な場所にいて、こんな河口にはいないわけなんで、河口にいる二人を読んでも、自分の身が脅かされるような危険は感じないんですけれども、まさに河口付近にいる人がこれを読んでしまうとちょっと辛いのかなと。
そんなスリルを味わうことが存分にできる小説だったなというふうに思います。ということで今日は白石和文さんの河口の二人という本について話してみました。
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ではでは。
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