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#13 兵士たちの戦後史 戦後日本社会を支えた人びと
2026-07-19 25:08

#13 兵士たちの戦後史 戦後日本社会を支えた人びと

この番組は、書籍編集者が読んで良かったノンフィクション書籍について語るPodcastです。


⭐今回紹介した本

兵士たちの戦後史 戦後日本社会を支えた人びと

https://www.iwanami.co.jp/book/b496865.html


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サマリー

今回のエピソードでは、吉田豊氏の著書「兵士たちの戦後史 戦後日本社会を支えた人びと」が紹介されます。太平洋戦争を経験した兵士たちが、終戦後にどのような社会的な視線に晒され、どのように自身の経験を語り継いでいったのかが掘り下げられます。特に、帰還兵士が冷たい目に遭った背景や、戦記ものが時代と共にどのように変化してきたかが語られます。また、前回の放送で紹介された「たった一人のオリンピック」に関するリスナーからの感想も紹介され、ノンフィクションの表現方法について考察が深められます。

オープニングとぎっくり腰の話
ノンフィクションの隣で第13回です。 めちゃくちゃ暑くなってきましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
私は少し前に、なんとかわかりませんが、ぎっくり腰になってしまって、しばらくのたうちもあるような生活をしていました。
これはまあ私の偏見がだいぶ入ってるんですけれど、もう少し歳のいった10年ぐらいの人がなるものという認識があったんですけれども、
どうも調べてみるとそうではなくて、20代から40代になる人が異常に多いということらしいので、
みなさんもご気をつけください。 本当にちょっとしたことで腰がバキッとなってしまうんですね、あれって。
まあ気をつけようがない部分もあるんですけれど、腰をやられてしまうと何もできないんだなという、当たり前のことに気づかされた1週間ぐらいでしたね。
紹介する書籍「兵士たちの戦後史」について
はい、さてじゃあ今回も本の紹介に入っていきたいと思いますが、 今回ご紹介する本は吉田豊さんの
兵士たちの戦後史。 戦後日本社会を支えた人々。
いわなみ書店からですね。 この本は結構ひょんなことで知ったんですけれど、
少し前に東京ブバイガワラのマルジナリエ書店というところで、 友人と待ち合わせをしたんですけれど、
その時に その書店で買い物をしたらフリーペーパーで
東京外国語大学の 東京外語大出版会というところからフリーペーパーをもらって、
その中で紹介されていたのがこの本だったんですね。 気になる内容だったので、読んでみたらめちゃくちゃ面白かったので、今回ご紹介することにしました。
ざっくりどういう本かというと、兵士たちの戦後史というタイトルにあるように、 兵士たちの話ですね。何の兵士かというと、太平洋戦争で戦った日本の兵士たち。
その人たちが終戦、1945年に戦争が終わって、 その後どう暮らしていったか、どんなふうに考え方、あの戦争は何だったんだろうという考えを持って、
その考えがどう変わって、 どういうふうに記憶に残っていったのかというのをまとめた一冊ですね。
書籍を知ったきっかけと内容の概要
僕自身は平成を生まれ、いわゆるゆとり世代で、 太平洋戦争に関係したことは全くない世代になるんですけれど、
僕の祖父がちょうど1925年生まれ、 終戦の年にちょうど20歳ぐらいの年で、
戦争に参加していた、通信員として中国に行っていた人で、 その話を少し聞いたこともあって、
当時どんなことが起こっていたのかというのは、そういうこともあって興味があったんですね。 この本を読んでいく中でいくつか印象的だったところをご紹介していくと、
帰還兵士への冷たい視線とその背景
まずその戦争が終わって、 海外に出ていた兵士たちが日本に戻ってくると、
いわゆる福音ということを800万人ぐらいしたらしいんですけれど、 この人たちは日本にいた兵士ではない普通の人々から非常に冷たい視線で見られたと。
これがまず意外だったということで、 結構無事で帰ってきたことを家族に喜ばれるっていうイメージがあったんですけれど、
もちろん家族たちは生きて帰ってきた人たちを喜んで迎えたんですけれど、 そうではない人たちが
軍隊全般、兵士全般に対して冷たい目を向けたと。 なんでかというと、それはやっぱり
戦争に負けた責任がある軍人たちを中心にした
軍隊、それから指導者、政治家みたいに対する批判とか、 反発が終戦後に高まったということと、
それから終戦後、
兵士であるとか、 上官であるとかが
軍事物資を持ち逃げしたとか、 そういう事例がいくつかあって、不信感を与えていたということとか、
あと一番大きいのはGHQの占領政策で、 日本が
戦争に負けて酷い目にあっているのは、 軍部、その軍国主義勢力が
天皇とか国民を欺いたんだというようなふうに、 うまい情報を与えて教育をしていったので、
軍全体に対する不信感みたいなものが、 当時の国民の中にあったと。
その辺の事情があって、非常に冷ややかな視線が、 福井の兵、戦争が終わって帰ってきた兵士たちに向けられたということなんですね。
この本は実際にどういう証言があったかとか、 どういう記録があったかというのは非常に広く追っていて、
この福井兵が冷たい視線を浴びたということも、 結構いくつか事例があって、
例えば1947年に福井した航空隊のとある兵士が、
満員列車の中に入ろうとして、お試合になったりして、
そういう時に、お前は兵隊かと。
お前は兵隊が負けたから内地の者まで惨めな思いをさせられるんだ。 この廃山兵野郎がっていうふうに言われたと。
廃山兵っていう言い方が非常に強烈だなと思うんですけれど、
兵士の加害者と被害者の側面
結構この落差がすごいなと思って、戦時中は国のために戦ってくれる兵隊さん、
みんな万歳万歳と言って送り出した兵隊であったと思うんですけれども、 帰ってきたらこういう仕打ちに合わされる。
当然、戦地においては、この兵隊、兵士というのは現地住民であったり、
敵国の兵士に対する加害者であったわけですけれども、
軍人の中でも特に階級が低い可視観と呼ばれる人たちは、
加害者であると同時に、結構被害者の一面もあるのかなというふうに読んでいて感じましたね。
いわゆる赤髪がポンときて、戦地に引っ張り出されて、
めちゃくちゃ劣悪な環境の中で働かされて、
長官からめちゃくちゃ暴力を振るわれて、
ようやく日本に帰れたと思ったら、さっきお話したような冷ややかな目で見られたりとか。
あとは当時日本国内には、朝鮮戦争が起こるまではろくな仕事もなくて、
まともな就任を得るのも大変だったかとか。
あとはいわゆる焼夷軍人ですね。
戦記ものの登場と変遷
その戦争で怪我をした人たち、足を失ったとか手を失ったとか。
この本のまさに表紙にそういう人が写ってるんですけれど、
片手を失って、足を失って義足をしていて、松葉杖をついていてっていう方。
こういう方は結構戦時中は温かく接されたというか、
呉のために戦ってくれた名誉のある人みたいな感じだったそうなんですけれども、
戦後も危ない状況では、さっきお話したような事情もあって、
あんまり敬意を払われなくなったとか、そういうところもあって。
もちろん戦時であったあれこれの加害行為があるという前提は、
あるにせよ、結構気の毒だなと思うような文書もいくつかありましたね。
そうして日本に帰ってきた兵士たちが、少し終戦から時間を置いて、
いわゆる戦記ものと呼ばれる、戦争に行って私はこれこれの経験をしたというような本をだんだん出すようになるんですね。
この辺はかなりこの本の中でも中心的に結構なボリュームを抑えて解説されているところで、
初期の頃に出た戦記ものは、結構位が高い将校とか将官クラスの指揮をとる上官の人たちが書いたものが多くて、
その中には結構、日本軍は惜しくも呼ばれたけれど非常に勇敢に戦いましたみたいな、
日本が結構戦争で断然な目に遭ったのはなぜなのかみたいな視点が結構抜け落ちているものもあったそうなんですけれど、
だんだんといわゆる可視観、現場で働いていたような兵士の書いたものも出てきて、
結構読んでみたいなと思ったのは、柳取光の二刀兵物語っていう小説があるんですけれど、
これは40万部ぐらいでいるペーストセラーになったそうなんですね。映画版もされて。
内容的にも本人が言うように、本人というのは柳取光さん、作者ですね。
軍隊の良いところも悪いところも正直に書いてみたいと思って始めたということで、結構正直ベースのところが書かれてるんじゃないかなという内容ですね。
戦争体験の語りの難しさとタイミング
こういう戦記もの、戦争を体験した人が出した本、出した原稿っていうのは何回かブームというか盛り上がる時期があったそうなんですけれど、
まず一つはやっぱりこの終戦のタイミングですよね。
終戦して、まだ記憶が新しいうちに、私はフィリピンに行ってとかラバウルに行ってとか中国に行ってとか、こんな風な軍隊生活でした、こんな風な戦場でしたっていうことを書く。
これがまあ一つあったんですけれども、ただまあそんな風にものを書いたり語ったりできる人たちばかりでもなくて、
いわゆるトラウマのようなものに非常に苦しめられて、なかなか人に話す気になれないとか、結構ね、これもこの本にいろいろエピソードが出てくるんですけれど、
元兵士たちは、戦争が終わって日本に帰ってきた後も結構悪い夢を見て、戦争に召集される夢を見るとか、
戦場の夢を見て、銃の敵をしてないっていう風に夢の中で思って、
で、夢から覚めて起き上がって、ああ、俺はもう戦争が終わって、あああれは悪い夢だったんだって気づくとか、そういうことが何回もあるとか、
何かそういう強烈な経験、体験を物語るときって、その下中にあるときとか、その直後に語ることが難しい場合があるんだなというのが、これを読んでいて思ったことですね。
ある程度の時間を置いて、本人の中で、まあ時間は傷を癒すじゃないですけれども、何かしらの整理がつくとか、
もしくは、まあ何らかのタイミングで、今語っておくべきタイミングだと本人が感じることがあるとか、そういうことがないとなかなか語れないものがあるんだなというふうに思いましたね。
戦後史の語りのブーム(1980年代、2000年代)
そう、そんなわけで、終戦して直後、まあその戦旗も売れたんですけれども、次のブームっていうのが、1980年頃、これっていうのは、終戦した1945年頃から40年近く経ってるわけですけど、
その頃になると、終戦の頃に20代だった兵士たち、元兵士たちが、ちょうど60歳、官暦になって、まあ定年退職とかして、少し時間の余裕ができるっていうタイミングだったらしいんですね。
で、まあ先ほどお話したような、時間の経過によってようやく自分の中で整理がついてきたとか、いう要素もありますし、まあもちろん定年退職して、時間的にゆっくりができて、まあ自分の人生は何だったのかっていうのを振り返る時間ができたというのもあると思いますし、
あとはそのタイミングでメディア側も、新聞社とかがいろんな人に取材をかけたっていうこともあって、この1980年代にまた戦記もののブームが来るということがあったんだそうなんです。
で、この次の戦争体験を語るっていうブームの、ブームと言っていいのかわからないですけれど、まあそういうもののボリュームが増えた時期として、まあ2000年代があると。
この時期になると、もう戦争に行った元兵士の方にとっては、もうかなり年がいっている状況になって、まあもうあんまりそう長く生きられる年齢でもないと。
で、そうなると自分の人生をやっぱり振り返って、息子たち、孫たちに向かって、ある種の優言ではないですけれども、自分の語りを残しておく必要性というのを強く感じるようになったと。
というので、こういった戦争体験を語るもののボリュームがこの時期また増えたということが書いてあります。
自身の祖父との戦争体験の聞き取り
ここで少し僕の話をしてしまうのですが、この2000年代、2000年代に祖父に小学校の夏休みの宿題かなんかで、戦争の話を聞きに行ったんですよね。
ただ、当時僕は小学生で学年ぐらいだったので、作文用紙1枚ぐらい聞いて終わりの、非常に文量が少ないし浅い内容で、僕の祖父も小学生の宿題だということで、非常に簡潔に、戦争で大変な目に遭ったというようなことを簡潔に語ってくれただけだったんですね。
今回この本を読んで、その兵士たち、元兵士たちがいろんな語りを残しているのを見て、自分も祖父からもうちょっとちゃんと話を聞いておくんだったなと強く思いましたね。
当時、小学生の時はもちろん、ちゃんと聞くっていう能力が自分の側になかったと思うんですけれど、もう少し歳がいったら、いろんな物事とか日本史とか勉強して、もうちょっと解像度とか聞けたと思うので、そこは結構心残りですね。
こういう本を読むと、本当に強くそれは感じますね。
戦争の話を聞くことへの覚悟とタブー
ただ同時に、戦争の話を聞くっていうのは、ある種の覚悟を持って聞かないといけないことだなと思って、やっぱり生半可な話ではないわけですよね。
本人が話したくないと思っているようなこともあるし、すごいタブーに振れるようなこともたくさん出てくるんですね。
この本の中でも、戦場でどうしても食料がなくて、その死体の肉を食ったとか、あとは戦地で人間住民を殺して食料があったとか、女性をレイプしたとか、そういう自分が起こした罪を告白するようなこととかがあったりとか、
あとはその友人が亡くなったりとか、そのトラウマを起こすようなことも当然出てくるわけなので、そこを聞いていくというのは、通り一遍のインタビューとはまた違う難しさ、繊細さが求められる部分なのかなと思いましたね。
現代への教訓と侵略戦争の始まり
冒頭、自分は平成生まれで日本との戦争は経験していない世代だという話をしたんですけれど、現在進行形で世界中で気なくさいことがたくさん起こっていて、今どういう行動をとるべきなのか、自分は政治的な影響力とかほとんどない一般庶民の一人ですけれども、
この本を読んでいると、自分の祖父世代、祖父の更に親世代とかが残してくれた巨大な教訓みたいなものがある気がしていて、もう少しいろいろ詳しくなりたいなと、いろいろ考えたいなと思うような本でしたね。
一つこの本で特にそうなんだと感じたところとしては、日本が太平洋戦争であったことは侵略戦争だったと思うんですけれど、結構自衛の名目で侵略って始まるんだなというのが、この本の中の世論調査であったりとか、そういうところで結構読み取ることができて、
他国に、外国に経済的値段があったりとか軍事的な圧力を受けて、やむを得ず自衛のために戦争するんだということで始まって、またその延長戦上に自衛のためにここの領土を取らないといけないんだとか、自衛のためにこの島を抑えなきゃいけないんだ、この国のここを取らないといけないんだということが起こっていって、
徐々に侵略戦争の様子を呈してくるっていうことが起こり得るんだなというのが一つありましたね。
テーマの重さと今後の考察
テーマが戦争ということで、本の中で出てくるエピソードも悲惨なもの、悲劇的なもの、悲しみに満ちたものが多かったので、楽しく話すというよりは難しいテーマではあったのですが、引き続き読んで考えていきたい部分ではあります。
全体にダウナーな感じになってしまって恐縮だったんですけれども。
前回の放送(たった一人のオリンピック)への感想紹介
では今回はちょっと短いんですが本の紹介はこれくらいにして、前回の12回たった一人のオリンピックについてお便りをいただいているので、そちらを読んでいきたいと思います。
前回ご紹介したたった一人のオリンピックという本は、聞いていない方に向けて簡単にご紹介すると、冒頭競技でオリンピック代表になった選手がいたんですけれども、
当時日本の政治的な理由で、当時のソ連ですね。そのオリンピックを日本がボーイコットして、めちゃくちゃな努力をしてオリンピック代表になったんだけれども、実際にオリンピック本番に出ることはできなかったという方。
その方を調べてまとめたのがフィクションですね。その回についてのお便りをいただいています。読んでいきたいと思います。
シカラさんこんばんは。毎回興味深く拝聴しております。シャープ12たった一人のオリンピックの回を聞きました。
本の内容もさることながら、今回はノンフィクションの根幹に着目し、シカラさんのノンフィクション感を少し垣間見ることができたように思います。
私はスポーツノンフィクションに慣れ親しんでいるわけではないですが、ドキュメンタリー番組の題材にもしやすいように、受け手の感情を特に煽りやすいジャンルだと思います。
23歳から突如オリンピックを目指し、見事ボート競技の日本代表に選ばれたものの、政治的なボイコットにより出場できなかった選手。
これほど受け手の情に訴える格好のエピソードはわかんないと思います。
もし著者が意図的に選手の内面を重んばかった描き方をすれば、理不尽な理由からオリンピックの道を断念せざるを得なかった選手への同情が引けるでしょうし、
その理由が政治的なものであればなおさらでしょう。
ですが、番組内でも指摘されていたように、そこに下手な修飾はなく、事実によって語られたものだけが定義されます。
その選手が現在電気メーカーに勤めていること、そしてもうボートはやっていないという歯切れの良い文章。
私は番組を聞いていただけですが、文章の切れ味の歌と、それによるシカラさんが味わった独語の高揚感はこちらも伝わってきました。
たった一人のオリンピックというタイトルのように、誰のためでもなく自分のためだけにやってきたと語る選手のある種の自己完結性が最後の文章に現れているような気がしました。
次回の配信も期待しております。
スポーツノンフィクションの感情への訴求力
ありがとうございます。嬉しいですね。
これだけのお便りいただけると。
そうですね、私は前回のたった一人のオリンピック、あれはかなり好きなジャンルで、かなり好きな書きぶりのノンフィクションだったので、多分その辺が無意識に出ていたんだと思うんですけれど。
このお便りでもいただいているように、スポーツは見ている人の感情を煽りやすいジャンルだと僕も思います。
サッカーのワールドカップとか今やっていますけれど、あれはある種の国同士の戦争みたいなものだなってたまに僕は思うんですけれど。
人が死なないだけで、どこの国が勝った負けたっていうのは、ダイレクトにその国の人々のプライドとかそういうものに影響しますし。
オリンピックとかも結構その側面があると思うんですよね。
そこに向けて頑張った選手が国の都合のせいで悲劇的な目に遭ったっていうのは、もっともっと受け手の感情を煽れるテーマだなと思うんですけれど。
「たった一人のオリンピック」の抑制された表現
結構そこは前回ご紹介した、たった一人のオリンピックでは、あえて抑えて書いてあって、
その選手が受けた悲劇的な出来事をコトサラに強調して、すごく同情を引くようにするとか、
いかにも本当に哀れな選手だ、みたいな書き方は全くしていない事実が淡々と書いてあるんですよね。
僕はノンフィクションって一口にいってもいろんな書き方があると思うんですけれども、
そういった事実で語るノンフィクションがとても好きなので、
お便りでいただいた通り、その辺りが喋りに出てしまったのかなと思っていますね。
制約が生む文章の切れ味
前回ご紹介したたった一人のオリンピックに関しては、本当に文庫で10ページ、20ページという短い文章だったので、
その文章に収めるために、意図的にできるだけ情報を添い落としていった結果としてああいう文体になったのかなと思うんですけれども、
雑誌か何かに連載していたのかな?
再現なく文章を載せられるわけではないので、どうしても内容を削らないといけなくて、
そういう制約の中でこの時この選手はこういう風に感じたのではないかみたいな、
そういう推測を交えた文章は入れるわけにはいけなかった。
結果としてああいう非常に簡潔で切れ味の良い文章になったのかなと思ったりもしますね。
制約があることは必ずしも悪いことではないんだなというふうに思いますね。
短編小説とかも、ショートショーズとかも、短い中でオチをつけないといけないってなると、
すごいオチが切れ味の良いものになったり、希少点決がはっきりしたりっていうことがあると思うんですけれども、
同じ現象画のフィクションでもあるなと思いますね。
エンディングとメッセージ募集
ということで、もとよりありがとうございました。とても嬉しいです。
では今回はこの辺で終わりたいと思います。
番組の感想や質問、それからこういう本をお勧めだよとか、
本当に短いものでも長いものでも特命でも結構ですのでいただけると嬉しいです。
それではまた次回の放送でお会いしましょう。ありがとうございました。
25:08

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