1. バルたんのマイク(プロスポーツ運営の舞台裏)
  2. #30 【ゲスト:山下泰弘キャプ..
2025-03-04 35:32

#30 【ゲスト:山下泰弘キャプテン】実は超安定志向!?激動の時代に積み重ねたプロ選手のキャリアを紐解く(前編)

30回目にして初の選手ゲスト回!佐賀バルーナーズの山下キャプテンにお越し頂きました!

また、こちらも初の試みで、オンライン公開収録として一部リスナーにも質問投稿できる形でご参加頂いております。

※収録日:2025年2月18日実業団からBリーグクラブ3チームと、たくさんの経験を重ねて来た山下選手のキャリアや、チームごとのリーダーシップの形など興味深い話満載です。ぜひお楽しみください!


★今回の内容

・地元で無敵だった学生時代

・実は迷っていた社会人の選択

・佐賀バルーナーズまでの軌跡


番組のご感想や内容のご質問も大歓迎です!

★お便りフォーム

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://forms.gle/QKn2cjdCrW4SzRsT9⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

#バルマイク でのSNS投稿もお待ちしてます。


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BリーグB1所属のプロバスケットボールクラブ『佐賀バルーナーズ』のフロントスタッフ2人が、プロスポーツの魅力や面白さを現場のリアルを通じてお届けする番組です。(クラブのマスコット『バルたん』の心の声かも…!?)


佐賀バルーナーズの公式サイトはこちら

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://ballooners.jp/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


🏀シーズン中(10月~5月)は月2回ほど不定期配信中!

サマリー

今回のエピソードでは、山下泰弘キャプテンのキャリアやリーダーシップ、彼の超安定思考について深く掘り下げます。特に、プロ選手としての挑戦とその裏にある思考を明らかにし、彼の人柄やバルタンのマイクにおける新たな試みも紹介します。山下泰弘キャプテンは、明治大学での安定したキャリアを目指しつつ、バスケットボールの道を選択した経緯を語ります。また、彼のプロ選手としてのキャリアや東京ブレイブサンダースでの経験にも触れ、安定志向とプロスポーツの世界とのギャップについて考察します。山下泰弘キャプテンは、プロ選手としてのキャリアを通じての安定志向とその葛藤について語り、東芝からの移籍や地元福岡での挑戦、Bリーグでの新たな環境への適応が中心テーマとなります。さらに、山下泰弘キャプテンは自身のプロ選手としてのキャリアを振り返りつつ、バスケットボールチームの運営やチームワークの重要性について語ります。特に福岡や島根での経験を通じて、環境の変化や地域との関係性がチームの成功にどう影響を与えるかを探ります。

選手会の設立と特別ゲスト
いよいよ、選手会ができましたね。
ずっとやりたくて、ためにためてきましたけど、ようやくできましたね。
なんとですね、今回が第30回。
お、すごい。ここまで。
すごいね、30回続いてる。
素晴らしい。
そう、ちょっとね、毎週は今できなくはなってますけど、ちゃんとコツコツ積み上げて。
そうですね、30回ってね、何ヶ月ですか、今?
確かにね、どれくらいだろう?
30回の特別ゲストとして山下選手に来ていただいたと。
そうです。今回は山下キャプテンに来ていただきまして、
バルタンのマイクの公開収録という形で、
前もちょっと説明させてもらったバルーナーズ・ダオの特典として
たくさんね、フォークもかかったりしてくれた方向けに出させてもらったんですけれど、
それもなんか初めてでしょ?
初めてだったし、これ大丈夫かなというか、
普段は音声だけ撮ってますけど、公開収録だったんで、
映像もね、見せしながら。
しかもライブで編集なし。
映像も初めてだし、生放送も初めてだしみたいな感じで。
なかなか挑戦しましたけど。
しかも選手に質問してくれたら、ダイレクトでお答えするよっていうのも合わせてやったので。
ダオのメンバーの方からいろいろ質問をいただいて、それもその場ですぐ返す。
どれくらい質問が来るかも分からないし、どんな質問が来るかも分からないし。
なかなかね、選手に答えづらいやつもあるんじゃないかと思いましたけど、
結構逆にいい質問来てくれたね。
本当ですね。面白かったです。
山下選手がこんな人となりになんのって、僕らもちょっと予想外な感じでやりましたもんね。
じっくり、どうですか?
前後編合わせて1時間半、2時間ぐらい?
2時間弱ぐらい。
選手のことをそんなに深掘りしまくるってなかなかないと思うんで。
しかもオフコースですからね。
すごい面白い回になったと思います。
そうですね。山下選手のキャプテンシー、リーダーシップのところもいろいろ来ましたね。
そうですね。リーダーシップのところと、後は面白かったのは、超安定思考。
山下選手の成長とリーダーシップ
超安定思考ね。
プロ選手なのに超安定思考っていう相反する。
意外とキャリア見てくると、結構チャレンジしてるような思いきや裏側がそんな考えだったんだよね。
それがすごい面白かったです。
まさに舞台裏見れたかなというところだったので、早速皆さんお越しいただきましょうか。
じゃあ行きましょう。
バルタンのマイク!
音声オンにしました。
聞こえてるよ。
おお、そういう感じね。
今こういう感じで。
謝罪会見みたいな。
ちょっとこれを真ん中に置こうかな。
皆さんこんにちは、聞こえてますかね?
聞こえてそうですね。
すごい。
よかった。
これ何か告知してるんですか?
DAOの中で。
DAOの中でトークンとかをたくさん使ったり、ゲットしてくれたりしてくれた人が、グレードがA、B、Cみたいな。
B上の皆さん向けの特典として。
そうなんですね。
いわゆるこういうWEB3業界では、ASK ME ANYTHINGでAMAイベントとかやったりするんですけど。
全然わかんなかった。
ちなみに僕も全然知らなかった。
AMA企画の参加権というので、一旦これさせてもらいます。
すごい。
本当に初めてなので、まず今つながるところが心配だったんですけど、第一ハードルクリアしました。
ここ電波来るんですね。
電波来てますね。聞こえてそうなので。
一応、事前にもし質問とかあったら、全然チャット打ってくださいって話もさせてもらってるので。
今日はDAOの人たちが味方っていう話はしてるので、
山下選手結構いろいろ切り込んだ話もしてるので。
できるかな?
知れないんですが、早速始めていきたいと思います。
改めて、今日はなんとですね、初の選手ゲスト、山下キャプテンです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
どうですか?こういうラジオ的なことってやったりすることはありますか?
やったことないですね。個人的にインスタライブみたいなのを数年前に。
コロナの時とか流行った時に何回かやったくらいですかね。
やっぱりチーム内でもおしゃべり上手として定評があるような気がします。
いや、俺本当にしゃべれないですよ。全然。本当にしゃべれないですよ。
定評があるからキャスティングした。
そうなんです。プレッシャーじゃないですか。
まずはここでの公開出力というのをさせてもらいますけど、実際に世に出る時はめちゃくちゃ良い具合に編集する。
編集の力に。
安心してしゃべってもらえたらと思います。
山下選手、バルナーズファンの方はもちろんご存知の方多いと思うんですけれども、
初めて聞いていただける方のために簡単に紹介させていただくとですね、
山下選手は今、佐賀バルナーズでキャプテンを務めていただいていて、
コート上ではチームの心臓としてプレーしながら、リーダーとしてもチームを支えている存在でございます。
今日はですね、バスケットの話もなんですけれど、
やっぱりバルタンのマイク、プロスポーツの舞台裏をお届けするという番組なので、
山下選手がどんな考えを持って選手という仕事だったり、そこを取り組んでいるのかというところと、
山下選手が今キャプテンをやっているというところもあって、コート上のリーダーシップだったり、
会社の中でいろんなリーダーシップがあったりするので、その辺のリーダーシップについての話とかもしていければと思っております。
高校時代とその影響
山下選手、改めて簡単にどんな人柄かも含めて自己紹介をいただきたいと思います。
どんな人柄か、そうですね。
自分は基本的には冷静に物事を考えるタイプかなというふうに思っていて、
あんまり感情的になって話すというよりかは、冷静にいろいろ分析して、こうだよねというのを考えてやっていますね。
まさに思っている通りです。
ありがとうございます。
チリチリさん、山下選手の印象とかあったりしますか?
冷静さは確かにそうなんですけど、一番はミヤさんをいじっている印象。
ミヤさんをいじれるのは山下選手くらいしかない。
そういうふうによくチームメイトにも言われますね。
ミヤさんとは昔、東芝時代で一緒にプレイしていて、
本当に自分の兄貴的存在でずっと僕を教育していただいている。
でも結構付き合い的には長い?
そうですね、相当長いですね。
自分が本当に入社した時からいるので、そこからミヤさんがチーム変わってもずっと連絡は取っていたので、
ずっと仲良くさせてもらっています。
すごいですね。
まさにその辺ですね。一番最初は東芝から始まったってあると思うんですけど、
せっかくなんで前半後半で2本分くらいの形を取れたらと思うので、
前半はキャリアのところを深掘りさせていただいて、
後半のところで考え方とかそんな話をできればと思います。
まず高校は福岡大堀高校で、
あれ今年優勝した?
優勝しましたね。
めちゃくちゃ強豪校というところから、大学が明治大学。
お話しいただいた宮永ヘッドコースと一緒だった東芝ブレイブさんたちから、
ライジング前半の福岡、島根、佐賀という感じで、
結構一つ一ついろんなエピソードがあると思うんですけど。
そうですね。
まずは一番最初は高校時代から。
高校時代はインターハイ、ウィンターカップがもちろん高校の中でも全国なので活躍されていたと思うんですけど、
どんな高校時代でしたか?
大堀高校というのはすごくバスケットは有名な名門校であり、
そして男子校なんですよね。
だから高校に入って男子校という衝撃をまず受けました。
もちろん知ってましたけど、
本当にいざクラスを見ると男しかいないなというのは感じましたし、
バスケットに関してはやっぱり中学校がピークじゃないかというくらい、
中学校が一番活躍した記憶があるんですけど、
その自信に満ち溢れて大堀に行ったんですけど、
初めて1対1で敵わない先輩とかがいて、
すごいなというのをすごく感じました。
やっぱりそうなんですね。
大堀高校とか行く人って絶対各地の最強クラスが集まっているじゃないですか。
そうですね。本当に1対1が絶対負けないという自信はあったんですけど、
その先輩に関しては何もできなかったという衝撃的な。
その選手もプロになられた?
その選手はプロにはなっていないですね。
当時はやっぱりまだ、僕らBリーグできたのが自分が30歳なので、
その先輩はやっぱりもうアレでしたので。
当時はまだできなかったので。
そういう実業などでは結構活躍されていた?
そうですね。やっぱり大学とかすごく活躍されて。
ちなみに出身はどちら?
福岡の北九州ですね。
なるほど。じゃあもうまさに福岡なんでそこを目指してということですね。
そうですね。
いや、でもあれですよ。
言っていい?
言ってください。
まず大堀は候補にあったんですけど、
本当は当時僕ら中学校でジュニアオールスターで優勝したんですよ。
その時のメンバーで大堀じゃない高校に行こうという話を最初にしていたんです。
裏話が何か分からないですけど。
当時やっぱり大堀は強いというのがあって、
逆に僕らが優勝した中学生、生意気な中学生たちが
違うところに行って大堀を倒そうぜみたいな。
それかっこいいですね。
じゃあ山下選手だけ裏切った?
いや、そういうことじゃないですよ。
山下選手と一緒に行きましたけど。
優勝したメンバーの5,6年くらいで
いろんな高校に殴り込みじゃないですけど
試合させてくださいって言って勝負とか言ってたんですよね。
すごい。
自分たち売り込みがてら試合させてくださいって言って回ったんですよ。
やっぱり5,6人いたんで
5,6人一緒に取ってくれる高校がなかったんですよ。
こんなことを。
それもあってっていうのもありますね。
すごい高校に殴り込みじゃないですか。
殴り込みじゃないですよ。
高校に行くと表現が悪くなる。
道場破りじゃないですけど
行こうぜって。
黒子のバスケの時代もみんなバラバラ行ってたもんね。
そうですね。ちょっと生意気でした。
いやーすごい。
でも実際大堀に入ってからは順当に活躍されてたんですか?
順当ではないですけど
自分高校で膝と腰が結構悪くて
ジャンパーズニーとか室外人体とかちょっとやってて
それであまり思うような活躍はできなかったですね。
そうなんですね。
高校時代はあまり100点満点ではなかった?
個人的にはやっぱり全然やりきれてないなっていうのはありましたね。
なるほど。
その流れで明治大学に進み。
そうですね。
これも話すのが難しいですけど
聞きたいですね。
高校で膝と腰が悪かったので
バスケットできるかなっていうのはちょっとあったんですよ。
なので本当に変な話。
明治大学の方からお話いただいた時に
明治大学ってすごい良い大学じゃないですか。
僕は勉強できないですよ。全然。
明治大学での選択
勉強できない中、明治大学行けるの?ってなって
ちょっと行くか。
明治行っとけば就職できるかなっていうのがあったんですよ。
大事なキャリアですよこれでも。
山下さん最高です。
僕結構安定志向で
勉強できない分うまくいい会社入れないかなみたいな。
当時先輩たちからも話聞いてて
明治行っとけばそういうコネクションじゃないですけど
そういうのがあるんじゃないかっていうのもあって
じゃあバスケットも頑張れて
就職ももしかしたらいいとこ行けるかもしれないっていうので
明治いいなっていう話があった。
そう思いますよね普通に学生のときは。
これライブで発信して大丈夫ですかね。
みんな味方っすよね。
当時はBリーグもないから
バスケで飯食っていくっていう選択肢が
たぶんそもそもほぼないですよね。
当時やっぱプロがなかったので
だいたいみんな一部の大学行って
実業団ですね。
東芝もそうですけど
実業団のとこ行くというのが
バスケットうまい人たちのコースではあったと思うんですけど
その中で当時はやっぱ
それが次のあるは社会人バスケのほうで
いい企業に入って
バスケットをしながらお仕事するっていうのを
目指すところがあったので。
なるほど。
大学の中ではどんなバスケしていたんですか。
これがねまたね。
難しいですけどね。
大学が明治で当時二部の大学で
自分が入った時が
コーチとかも
塚本さんはいたんですけど
当時はその
専属ではなかったんですよ。
なのでやっぱ練習行っても
もう学生だけでやるみたいな
当時のレベルというか環境だったので
もちろんプロもないですし
みんなバスケットに対するモチベーションというのは
低かったのは事実かもしれないですね。
塚本さんってあれですよね。
NBAとかに大会されて
今はもう明治だよ。
そっかそっか。
そういう環境だとしてもそこまで。
そうですね。
だったのでみんなやっぱり
バスケットを大学でやりきって
就職するっていうところを
目標としてやってた感じでしたね。
当時は。
プロ選手としての道
そうですよね。
なんかちょっとその
拝見させてもらった記事の中でも
そもそもバスケに進むか
なんかあれですよね。
なんか第一志望で内定を
実はもらっていながら。
大学の次ですか。
九州のほうの企業ですけど。
本当僕ずっと大学行ってから
ずっと福岡地元に帰りたくて
ずっと九州で九州でっていうのを
思いはすごくあったんですよ。
そこで大学入りながら
いろんな先輩たちのアドバイスも
聞きながら
九州のほうの企業を受けてたり
しましたね。
がありながら
安定志向の山下選手が
やっぱりバスケの道に
行くってことでしたね。
そうですね。
やっぱりその
これも話していいんですかね。
本当にちょっと
ありがたいことに
東京ブレイブサンダースのほうから
オファーいただいたときに
生意気にも2回ぐらい
こういうことありました。
九州のほうの企業が先に
話し合ったし
僕は九州に帰りたい
というところみたいな。
ずいぶんヤンチャしてますね。
でもそれでも熱心に
誘っていただいて
自分の心が揺らいで
高校大学と満足いくように
バスケットできなかったので
バスケットのトップのほうで
もう1回ちょっと
頑張ってみたいな
という気持ちに
やっぱり火がついて
そこで決めました。
すごいな。
本当にこういうキャリアで
バスケのプロというか
仕事が始まっても
これだけ長く続けられてる
っていうことですかね。
本当に運ですね、僕は。
本当に運が良かったと思いますね。
本当に自分より
全然バスケット上手くても
やっぱり何かしらの理由で
引退された方も
いっぱいいますし
自分は本当に
運が良かったなと思います。
でもそれでも九州に帰りたくても
最終的にその東芝を選んだ
理由みたいなのがあるんですか。
これもまた安定志向の山下が
安定志向の山下が考えたのは
当時のトップリーグのJBLですね。
JBLの企業チームで
唯一東芝だけが
バスケットボールと社会経験
日本人制ず全員が
社員契約だったんです。
プロ契約がいなくて
全員社員で
引退後もそこに残れますと
そこで仕事ができます
という話だったので
すごく魅力的で
自分に似合うなと思って
めちゃめちゃ言って
そうなの
そうなの
安定志向って
すごいな
こういう安定志向的な話というか
思って出したりしてます?
どうですか
あんまりしてないんじゃないかな
最近あんまりこういう機会
なかったんで
ちょっと忘れてるだけ
あんまりしてない
安定志向です僕
すごい金銭です
それだけで
もう面白いです
ありがとうございました
またちょっと進んでいきましょうか
それで実際に東芝に入られて
ここまで今
安定安定という話で来てますけど
実際やっぱり
バスケットボールは
だいぶ凶暴じゃないですか
大変な中に入っていくことになると思うんですけど
どんな感じでバスケを取り組みましたか?
当時はやっぱり
言うでもバスケットに
自分の中で
多少の自信はあったんですけど
当時はブレイブサンダースというチームが
また当時
自分のプレースタイルと真逆で
もうリフェンスができないとダメだな
リフェンスをしないといけない
僕はもうたくさんドリブルついて
自分が点取りたい
アシストしたいっていうタイプだったんですけど
そんな関係ない
リフェンスをやれって言われて
そこでリフェンスを
塚田さんが練習させられました
もともとあれですよね
そのスタイルの
オフェンシブな山下選手を
熱心に誘われたっていうことではなかったんですか?
いや
そのはずで
自分もそのつもりだったんですけど
言ったらリフェンスだ
おかげでリフェンスを覚えることによって
自分の中でも
一つ二つステップアップできたかな
っていうのがあるんですけど
なのでその時の
それこそ宮永さんですよね
リフェンスがあの人めちゃくちゃ上手くて
最初ボール運べなかったんですよ
なるほど
チームの練習とかで
すごいんですよあの人
上手くなったんですよ
宮永さんは
入った時にはもう
選手としてやられて
全然宮永さんは知らなかったですけどね
当時その
インターネットとかもあんまなかったので
ほんと僕
バスケットにあんま興味なかったんですよ
興味なかったんですよ
自分やるのは好きですけど
人の見たりするのはいらなかったんで
全然その
ネットもないですし
他のチームとか先輩
上の人たちのカテゴリーとか
全然見てこなかったので
2校目の先輩の台場にしか知らなかった
3校目以上はもう全然知らないんで
宮永さんも正直全然わからなかったですよ
なんだこの人っていう感じで
学生体的には有名そう
そうなんですよ
っていうところからでした
ちなみに今もそうなんですか
NBA見たりとか
僕ね
全く見ないですよNBA
なのでよくね
いろんなところで
NBAの話
バスケット選手だからって言って
されるんですけど
全くわかりません
マジで勘弁して
マジで僕のNBAの話は知らない
さっきもこのポッドキャストの話で
結構NBA選手ね
誰誰か知ってますねとかも
結構もしかして
そうなんですか
そうなんですよ
誰誰に
全然知らない
全然知らない
全く知らない
なのでハイライトぐらい見るんですけど
名前覚えられないんで
全然
大丈夫ですかこれ楽しいですかみんな
大丈夫ですか
怒ってる?怒ってない?
楽しいかどうか教えてください
リアクション欲しいです
リアクション欲しいですね
怖いですね確かに
拍手
怖いな
後で怒られそうやな
ぜひぜひ
一旦話の区切りで
皆さんのコメント拾って
ってしようと思うので
どんどん書いてください
そうですね
東芝の中で
実業団ってことは
社員ってことは
仕事もされてる
そうですそうです
当時そうですね
工場だったので
8時に出勤して
12時まで
しっかり4時間働いて
1時間のお昼休みがあって
1時半から
ウェイトトレーニングがあって
3時15分からチーム練習
毎日やったんです
学校の部活みたいですね
でも本当そうですね
部活みたいな
なのでやっぱり
ファミリー感が
強いのかなって
いうのがありますね
社員って
どんな仕事されるんですか
工場でですね
これそうですね
言っていいですか
僕の部署は
安全管理担当だったので
工場の安全を守ってました
本当今でも有名な
シナイム選手だったり
チンジ選手とか
そういった選手も
しっかり作業劇で
頑張ってましたね
いいですね
じゃあそっちのまた
別のユニフォームになる
そうですね
実際どうですか
その時の生活というか
バスケやりながらのスタイルと
プロになってからのスタイルと
感覚全然違うものですか
やっぱりそうですね
全然違いますね
ただやっぱり
東芝での社会経験っていうのは
すごく自分の中でも
生きてると思いますし
やっぱり東芝で入社して
最初の1ヶ月とか
ちゃんと新入社員と一緒に
研修とかもあるので
そういったのは
すごく勉強になりましたし
職場の人たちとの付き合い方とか
すごく学ばさせていただきました
名刺の渡し方とか
もちろんそういうのも
しっかり研修でやりました
ちなみにあれですか
今そういった
実業団じゃなくて
Bリーグに入る選手って
そういう研修っぽいことが
あったりするんですか
Bリーグの中では
プロ選手のキャリアと安定志向
新人研修とかありますけど
バスケットとかで
すごい
でもあれですね
選手も結構皆さんと
同じように
そういうところを
やったりもしてて
そうですね
そういうのは本当に
勉強になりました
本当に
ちょっと短いに感じやすいですね
話聞けると
そうですね
宮永さんもやっぱり
そういう期間が
自分も成長させてくれたって
言ってたんで
そうですね
でもね
緩い話これ大丈夫ですよね
宮永さんね
あれですよ
東芝も年数が経つと
悠久が溜まるんですよ
悠久が溜まって
職場によっては
やっぱり悠久が
取りやすい職場がたくさんあって
なので
たまに
同日同日試合で
中5日あると
水曜日がだいたい
バスケットは休みなんですよね
その時1日勤務しないといけないんですよ
なのでやっぱり
年数が経っている人たちは
やっぱりそこで
悠久をしっかり使って
しっかりやすい
というのができているんでね
あんまりその
1日勤務の時の午後に
宮永さんを会社で
見たくない
コンディションはね
宮永さん選手は
そこまではいかなかったんですか
最後らへんは
僕もすごく温かい職場だったので
要所要所で取らせて
自分の場合は
当時はルーキーだったので
職場の方が
すごく理解があったので
ほんと試合に出れない時期とか
仕事しなくていいから
体育館行って
シュート打ってきなさい
ということも
言っていただいたり
とかもありましたね
いいですね逆にそっかもう
職場としては
うちの会社のチームだから
という感じで
そういう応援の寄附が
できたり
そうですねほんと職場の方
たくさんの人
応援していただいて
ほんと嬉しいですね
今でもね
駆けつけてくれたりとか
あるんですよ
で30ぐらいまで
そうですね
そうですね
2016年まで東芝にいて
そこで結構
一個また大きい手伝って
そうですね
もうほんとその
東芝入って
大学の先輩だったり
いろんな方と話す時に
安定志向の山下は
アドバイスを受けた時に
やっぱりもう
バスケット3年とか
5年でやめなさいと
そこで引退して
サラリーマン人生の方が長いから
仕事早く覚えなさい
っていうアドバイスが
ずっとあったんです
なのでもうほんと
3年とか5年とかで
引退しようかなみたい
でもう早く仕事を覚えて
サラリーマンとして
出世というか
仕事頑張っていった方が
いいのかなっていうのも
結構あったんです
へー
地元福岡での挑戦
じゃあ実際そういうキャリアを
選ばれる選手というか
方も結構いらっしゃる
そうですね
東島の場合は
毎年ルーキーが入ってくるので
そこでやっぱ
何年か経って
試合に出れなくなると
そっちの方がいいんじゃないか
っていう話もあったりとか
しまして
なるほど
その中で
安定志向だったはずなのに
はい
そうなんですよ
大きな決断をしたってことですよね
そうなんですよ
ちょっと聞きたいですね
これはですね
でもほんと
東島で最後
29歳30歳の年かな
そこで
優勝できたんですよね
そのリーグで
優勝して
ああ引退かなって思った時に
Bリーグができるとなって
そしてしかも
地元の福岡からのオファーがあって
すごくワクワクしちゃったんですよ
ずっといつかは
地元でプレイしたいっていうのがあって
でも当時は
リーグが分かれてたりして
なかなかそういうことがなかった中で
Bリーグができる一つになる
地元からのオファーが
これちょっと楽しみ
もともと九州に帰りたいっていうのがあったし
東島にいる時も
ずっと引退したら
九州車に飛ばしてくれって
お願いって言ってたんですけど
この時は拠点はどこなんですか
東島時代は神奈川です
神奈川
その川崎とか
そうですね
それは九州かつ
確かに湧いてましたもんね
バスケ界のその
2016年当時
当時ライジング福岡的には
一気にB3からB1昇格
狙ってやりたいんだっていう
思いのオファーがあって
それに賛同する選手たちが
集まるっていう話になった時に
めちゃくちゃ面白いなと思って
一つやっぱり
東島時代に
優勝を経験させていただいたので
それの経験を何とか
地元に行かせたら
いいんじゃないかっていうのを
いろいろマッチして
これも地元でやってみよう
っていう気持ちになりました
しかもあれなんですよね
この時にまさに
大堀の好きなチームメイトとか
あれですか
殴り込みを中学の時
一緒にしてたメンバーとか
集まったみたいな
そうですね
大堀のお包みとか
ちいちいさんちょっと話したんですけど
僕当時そこまで見てなかったんですけど
めちゃくちゃ強かったらしいです
僕はその時
BDの開幕の時に
広島にいたんで
2年目かな
BDの2年目の時に
福岡がB2に上がってきて
その時とんでもない強さで
BDを1年で駆け上げて
僕らもギリギリというか
他の強いチームもたくさんあって
当時は秋田もいましたし
秋田と福岡で
その時紹介をしたのかな
最後ファイトでございました
実際どうですか
結構大きい決断して
ライジング行って
実際バスケやって
心境とかがどんな感じだったんですか
ここで初めて
完璧なプロキャリアがスタート
バスケットだけの生活が
始まるっていうので
ワクワクもしますし
ただ思い描いていたプロとは
違うくて
当時は環境とかも
まだまだ良くなかったですし
練習会場も
毎日違うところでやったりとか
毎回車の運転が
30分から1時間かけて
練習会場に向かうとか
そういった苦労もたくさんありました
トップの優勝したチームから
入るとB3ですもんね
そうですね
キャプテンとしての役割
全然変わりますもんね
そうですね
そこも含めて覚悟があって
行ったっていうのもあるんですけど
いざ体感してみると
いろいろ
その分楽しみっていうか
モチベーションっていうのもありましたし
B3とか
やっぱりどうしても
B1とかに比べると
注目度も低いじゃないですか
それが逆に自分らのモチベーションになって
ここから駆け上がるんだ
っていう気持ちでやってました
今振り返ってみると
良い決断したなっていう感じですか
そうですね
当時集まったメンバーと
よく話すんですけど
やっぱりキャリアの中で
あの時相当楽しかったね
っていう話は
よくみんなとします
結構難しいですよね
やっぱり
普通のビジネスマンとか
社会人の人も
会社に残ってれば
安定した経営があるけど
挑戦したいみたいな気持ちと
この葛藤みたいな
リアルな話でいうと
給料面のこととか
そうですね
やっぱりありますね
超安定派会社から
超ベンチャーに
いいことですよね
結構難しいですよね
やりがいはありますもんね
実際この時はもうあれですか
結婚されたり
もうはい
結婚したのは僕
東芝入社1年目なんで
結構家族とも
一緒に悩んだりする感じですか
そうですね
子供がまだ小さかったので
まだタイミング的に
いけるかっていうところがあったので
地元ですし
そこは大丈夫かなっていう感じ
なるほど
そうですね
ちょっとそういった
駆け上がる年がありながら
またその福岡で
ってなったところから
次のチームにまた
移るタイミングが来て
この辺もどれくらい
効いていいか
そうですね
ここもまたね
ちょっといろんな
問題というか
いろいろな
いろいろな
ことがありました
いろいろありましたけど
でもやっぱり
地元でずっとやりたかったっていう
当時はねやっぱ
気持ちありましたし
ただそれが
そうはいかなくなった時に
安定志向の山下が考えたのは
次は妻の実家の
妻じゃないかと
たまたま
たまたまじゃないですけど
縁とタイミングですね
それがあって
島根の方からオファーいただいて
決断したということですね
ちょうど娘も
小学校に上がるタイミングだったので
ちょっとこれが
ラストかなっていう気持ちで
時期を決断しました
なるほど
ちなみに島根に
行ったタイミングは
何歳ぐらいの時
6年前ですよね
そうですね
なので
2010
32ぐらいですね
そうか
22歳ぐらい
まだまだプレイヤーとしても
全然勝負するぞというところで
同じプロチームでも
チーム変わると全然変わるもんですから
チームの方針とか
そうですねやっぱ
方針雰囲気だったり
やり方だったり
考え方だったり
っていうのはやっぱ
違った部分がありましたね
この辺りで初めて
あれですかねキャプテン
いや福岡の時に
確か
確かですね
3年間
しっかりキャプテンさせていただいて
そうなんですね
なるほど
島根も確か1年目
キャプテンしたはずですね
すごいなじゃあもう
キャプテン出てるんですね
いやでも本当にこれ
みんな間違ってて
僕キャプテンじゃないですよ
本当にね
そういうキャラじゃなかったんですけどね
たまたます
ちょっと聞きたいですねでも
ライジングの時のキャプテンの
どんなこと意識してたかとか
また変わることで
どう変わったかとか
そうですね
でも本当
自分の中で学びもあったんですけど
福岡での経験とチームワーク
ライジングの時のキャプテンっていうと
東芝で7年間プレーさせてもらって
でやっぱ
日本一も3回ですかね
経験させてもらって
ある程度やってきた
プライドというか
自信というか
そういうのを持って
福岡に行って
でやっぱ
その7年間
自分の大学卒業しての
キャリアの生活をスタートした時に
そこが全てだったんですよね
バスケットにおいての
これが
自分の中で正解だと
オフェンスもディフェンスも
守り方だったり
考え方だったり
バスケットに対して
このケースはこう守るとか
これが絶対正しい
って思って
福岡行ったんですよ
で福岡行ったら
福岡行ったらで
やっぱりみんな
チアとか集まってきて
各々やってきたことが違うんですよね
なるほど
なのですっごいバラバラだったんですよ
だからその
みんな正解だと思うんですけど
まとめる人がいなかったんですよ
一つにならなかったっていうのは
最初の方ありました
みんな主張することが
間違ってないけど
じゃあどれにするのっていう状態です
めちゃめちゃわかる
そうね
まさに会社
それをどうやって
一つにしていくんですか
なので最初は僕も
理解してくれない人たちが
なんでだと思ってたんですよ
これに決まってんじゃんみたいな
このケースはこれしかないじゃん
みたいなのはあったんですけど
いや
俺ら前のチームはこうしてた
ああしてた
なんでそうするのっていうところで
全然最初の方はまとまりがなかったですね
ただその
結局
いいメンバーというか
実績ある選手たちは揃ってくれたので
それでもこの力で
こじ開けるというか
力技でなんとか
P3とか
時は
いけてたのかなっていうのは
ありました
多少ちょっと俺のスタイルが違っても
でも結局これで点取っちゃえば
結果出してしまえばっていうので
なんとかやってたんですけど
なのでなんとなく
ギクシャ来る
なんか言うんですけど
なんとなくバスケットに置いたような
みたいなのは
感じてた選手は多かったのかな
っていうのはありました
面白かったですね
それって逆にそれも正解かもしれないじゃないですか
ここで尖ってるものを
それで突き進んでいく
ある程度の全体の方向で決めていけば
でもまとめた方がいい場合もあるじゃないですか
バスケのチームだとどっちが多いんですか
福岡時代に関しては
2年目ですね
2年目に関しては
その正解の方ですよね
みんなでガッていこうっていう感じで
バラバラだけど
いけっていうところで
逆にそれでまとまろう
って感じになりました
そうですよね
形としていいかもしれないけど
やらされながら
モチベーション上がらずやってる選手とか
結局どっちの方がパワー出るのってありますよね
いくら話し合っても解決しないですよ
みんな自分の話ですから
そうなんですよ
曲げないですよ
島根での挑戦と地域との関わり
いやー面白いな
あとでバルーナーズはそれどんな感じに
ライジングは結構そういう形で
勢いのタイミングがあって
いざシマネ
そうですね
だいぶ時間もいい具合になってきたので
シマネの話したら
一回前半をお伺いしましょうか
シマネはどんなスタイルだったんですか?
シマネも
自分が入った時はやっぱり
それこそシマネの方も
あまり環境がよろしくはなかったところは
あったと思うんですけど
でもバンダイナムコの方が
急に参画していただいて
そこからチームが急に盛り上がっていったっていうのがありますね
山下選手とバンダイナムコさんが
同じくらいのタイミングですか?
同じくらいのタイミングですよ
数ヶ月違いくらいの感じだったと思います
どういうことも全然知らなくて
バスケットは7月1日からスタートですけど
その後に話があった感じですね
前後が違うからわからないかもしれないですけど
やっぱり環境変わりそうですよね
それだけのビッグスポンサーを作っていってくると
そうですね
まあそうかな
やはり急に体感ができた
そういうのはないですけど
必要なところっていうのが
どんどん補充されていくっていうのはありましたね
島根ではどういう価値の目指し方とか
どういうプレーをみんなにしていこうという感じだったんですか?
そうですね
島根でも僕も今までの経験を活かして
チームをまとめつつ
いいチームを作りたいっていうのもありましたし
やっぱりサイジングの時もそうですけど
プロキャリアスタートすることによって
地域だったり
自分だけがいいじゃなくて
チームもそうだしフロントもそうだし
地域の皆さんも一緒に
盛り上がっていかないといけないっていうのを
学んだところでもあったので
しっかり盛り上げていきたいなって気持ちはありました
ただ島根の時ちょうどコロナの時期でもあり
イベントとかでファンの皆さんと
触れ合う機会がほとんどなかったっていうのは
ちょっとすごく残念なところではあったです
なるほど
聞きたいことどんどん出てきちゃうんですけれど
ちょっと一旦前半ここまでして
軽く休憩入れてからまた後半は
バルーナーズプラス
いろいろな考え方のところを聞いていければと思います
まずはバルーナーズにたどり着くまでの
キャリアを含めながら
この話を聞かせていただきましたが
どうですかこういう話をするのって
どんな気持ちですか
怖いです
結構怖いですよね
本当に
僕も怖くなってきた
大丈夫
ライブですもんね
ありがとうございます
結局タイトルコールしなかったので
後半タイトルコールから始めましょうか
これ女装ということで
一旦お越しになりたいと思います
35:32

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