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エセラジが始まったので
2025-05-03 28:15

エセラジが始まったので

最終回です。#ノンちゃん雲に乗る の #読書感想文 note→https://note.com/astast/n/nbc774c50c22e 聞いてくださりありがとうございました!

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00:05
4月12日にエッセンシャルラジオのメンバーの方々が、しばらくエッセンシャルラジオをお休みしますとポストされて、
それを受けて、じゃあエッセラジオでもやろうかなって、私もポストしまして、思いつきでポストしたんですけど、
その日の帰り道、車の中で収録をして、その日の夕方にはそれを配信して始めた番組、このアスチャンネルなんですけれども、
その日の夜に、4月12日の夜にエッセンシャルラジオのメンバーの方から収録に参加しませんかっていうDMをいただいておりました。
その収録をすでにさせていただきました。
もともと、じゃあ自分でやろうかなって思ったのは、今までもいくつかのポッドキャストが終わっていくのを見て、
あるいは配信を止まるのを見て、寂しいな、まだかなってばっかり言ってたんですけど、
もうそういう誰かの行動による一揆、自由するのはやめて、だから自分で動いてみようかなって思った、というのが初発端になるんですが、
エッセンシャルラジオ何ヶ月お休みになるのか、あるいはそのまま終わってしまうんじゃないかっていうのも覚悟していたんですけれども、
その収録参加しませんかって言っていただけたことで、
ずっとじゃないんだ、思ったより早くは始まるんだっていうことで、ものすごくほっとしたところがありました。
だからこそ、短い期間だしと思って毎日配信が続けられていたところもあります。
多分、明日始まるんだろうっていう心配の中でだったら、どっかでくじけてもうやめてたかもしれないですね。
本日、5月3日土曜日の日にエッセンシャルラジオ、私が参加させていただいた番組の方が配信される予定だっていうことを教えてもらいましたので、
これが最後の収録になります。
1回目の配信でお伝えした通り、エッセンシャルラジオが始まるまでっていうところの番組になりますので、これが最後の収録になります。
実は、配信を始めて5日目、4月17日になるんですが、
エッセンシャルラジオのパーソナリティのイカロスさんに、この番組を見つけていただいておりまして、DMをいただいておりました。
本当はエッセンシャルラジオが再開した日に、
これで終わりました、実はポッドキャスト始めていたんですが、
今日で終わりになります、みたいなポストとともに番組のリンクを貼って拡散するつもりだったんですけれども、
03:00
まさかのご本人様というか、この番組を始める発端となった番組のご本人様に見つけてもらえるなんてって、ものすごく嬉しかったです。
ちょっと話がずれるんですけど、そういう人も多いかもしれないんですが、私は親に褒めてもらったことがなかったんですよ。
何をやっても大したことないとか、これぐらいでというふうに言われたんですが、100点取ってきても褒められたことはなかったです。
一番悔しかったのが、私運動が全部不得意なんですが、小学校5年生の時の担任になった先生が、すごく熱心に運動の苦手を克服することを手伝ってくれた先生でした。
それまで泳げなかったプールも25m泳げるようになったし、飛び箱も一切飛べなかったのが、5段だか6段だかポンと飛べるようになったし、
側転とか坂上りなんかもできるようになったんですよ。
それまではできないって思い込んでただけだったのかもしれないんですが、その先生にいろんな体の動かし方とか、本当はやりゃできるんだっていうことを教えてもらったところがあります。
誰でもやる気になれば練習すればできるんですかねって、その先生に言ったら、そんなことないよ、できない人もいるよって言ってくれたのも、ある意味リアルで支えになっていて、人にはできることできないことがあるっていうことはその通りだなと思います。
できるようになったことの中に、マラソン大会が得意になったっていうのがあります。
私はどんなに頑張ってもできなかったことに団体競技っていうのがありまして、バスケとかバレーボールとか、みんなでやる競技は本当にとことん苦手でございました。
マラソン大会だと自分が頑張って永遠に孤独に走っていれば、いつか終わるっていうことに気づいて、自分に一番得意なのはマラソン大会なんじゃないかと思ったんですよ。
11月半ばの一番風の強い寒い時期になぜか自分の小学校はマラソン大会っていうのが毎年あって、時代が時代なんでブルマ履かされて、すげー寒いのに、強風の中1.5キロぐらいですかね走らされるんですよ。
それでいつもビリの方だったんですけど、その年は20位以内に入れたんです、練習の間。
最終的に大会の時は20位だったんですが、20位に入ると20位って書いてある紙がもらえたんですよ。
画用紙にマジックで20って書いてあるだけなんですけど、それが嬉しくて嬉しくて、それ以下の人はみんな何ももらえないで終わるんですよ。
初めてそれがもらえてやったって思ったんですけども、しかもちょうど校庭を出て町内を一周するんですけれど、自分の家の前を通るんですよね。
06:11
近所の人が道端に並んで待ってて、がんばれがんばれってやってくれるんですけど、うちの親はですね、スナックで働いてたりしたので、昼間寝てるんで、まず出てこないんですが、なぜかその年は出てきてたんですよね。
珍しく近所のお母さん方と固まって、普段そういう人との交流を取らない親だったので、珍しいって思って遠くから見えた時に、
お母さんが日の下に出てるっていうのと、お母さん方と一緒になって喋ってるっていうのと、私を待っててくれたんだっていうので嬉しくて、ニコニコ笑いながら走って親のそばを通過したんですね。
それがうちの親は面白くなかったらしくて、帰ってきて、お母さん20位取ったよって紙を見せたら、そんなの何にも偉くねえって怒られました。
後ろにいたタエちゃんはって言われたんですけど、近所にタエちゃんっていう子もいて、そのタエちゃんのお母さんも一緒になって応援しててくれたみたいなんですが、
私の後ろにそのタエちゃんがですね、必死な顔で追いつこうとして、泣きそうな顔で走ってたらしいんです。
なのに私はニコニコして走っていたと。一生懸命走りもせずに20位を取ったって何にも偉くないって言われたんです。
それに対してタエちゃんは、あんなに泣きそうな顔になりながらも一生懸命走って、紙をもらえなかったとしてもどんなに偉いか、お前にはわからないのかと。
ものすごく理不尽だなと思いましたね。
もう一つ話がずれるんですけれども、私そういうような親ではありましたが、大人になってからあまりその親には接することがなくなった代わりに、
祖母の家にはすごく行くようになりまして、祖母はとっくに亡くなっているんですけど、そこの家を継いだおばとおじがいまして、
おばとおじに会いたくて行っていたんですよ。血がつながっているので、そういうつながりを遠慮させたくなかったというか、
親類が一人もいないっていうのがさすがに寂しくて、その関係を途切れさせたくなかったんですよね。
おじはですね、私が小さい頃から、あすは本名じゃないですけど、あすだとすると、あすあすあすあすって犬みたいに私を呼んだりするおじさんでした。
あとおばはですね、誕生日未だにLINEをくれたりします。
ただですね、一度そのおばに褒めてもらいたくて、職場で表彰されるんですけども、
あと盾をもらったりとか、記念の何かしらとかが贈呈されるんですけども、それであるとき大きな賞を取ったときに持って行って、
09:02
こんなのもらったよって言って、田舎の家ですから部屋の上の方にですね、子供の頃にいとこが描いた絵とか、
もらった賞状とかがいまだに額縁に並べて飾ってあるんですよね。
私はそこに飾ってほしかったんですけれども、おばは大事なものなんだから持って帰りなさいって言ったんですよ。
すごくショックで、私も子供のように扱ってほしかったっていうか、大人になってアホみたいなんですけれども、それを飾ってほしかったって言ったんですが、
やっぱり母ではないから、別の子の家なので持って帰りなさいって当たり前だと思うんですけれども、
やっぱりおじおばは母、父ではないんだなっていうところで、ちょっとしょんぼりしたっていうようなことがありました。
話が戻るんですが、エッセンシャルラジオのイカロスさんは、私がこの20日ぐらい配信していたエピソード一つ一つに、
わざわざ丁寧なコメントをくださっていて、まるでおじが見てくれてるような気持ちでした。
そういう慈愛の心みたいなものをイカロスさんは、私にだけというわけではなくて、どなたにも向けていて、
いろんな方の配信に対してものすごく丁寧なコメントをされてますし、
昔のですね、ポッドキャストを私、いろんな人の方の昔のをさらってコツコツ聞いてるんですけれども、
イカロスさんのお便りが不意に出てくるのを聞くと、すべてにおいてものすごく優しいお手紙をされていて、
あとすごく謙虚な姿勢でいらっしゃるのが見えて、すごい敬意な方だなというふうに感じています。
イカロスさんに見つけていただいた1週間後ぐらいに、他数名の方にも見つけていただきまして、
スポティファイの方にもコメントをくださったりしていました。嬉しかったです。
それでもひっそりとして拡散せずにしていたのは、拡散することでもっと頑張ろうとか、
コメントをいただくことでかっこつけてしまうような気がしたからでして、
本音の自分の言葉を出したかったので、終わるまではひっそりとやっていたかったんです。
なので、ちょっとあえて公にはしていなかったんですけれども、これが最後になるのでちょっとほっとしています。
スポティファイで聞いてくれた方もいらっしゃいますが、そもそもスタンドFMっていうアプリの方で初めまして、
そちらの方で毎回いいねつけてくれた方とかいてすごく嬉しかったです。
無言の肯定、わざわざ何か言葉をなくても、そうやって肯定の姿勢を見せてくれるということがこんなに嬉しいんだなというふうに思いました。
12:12
考えて話すということで、今まで使っていなかった脳のどこかが動くようになって、今までより前向きになったような感じがあります。
最後にこの番組を始めるにあたって、このことには絶対触れたいなって思ってたことがあったので、それに触れて最後にしたいと思います。
私、子供の頃から休み時間に図書館に行く系の子供でした。
そこで見つけたのんちゃん雲に乗るっていう本がものすごく好きで、今でも手に入れて、もうボロボロですけれども、所有しています。
基本的に本は読み終わったら売ってしまう方で、あとできるだけ買わないようにしてて、わざわざ図書館のそばに引っ越してきたりしてるんですけれど、
最近はもう図書館に行くことも少なくなってきて、買っては売ってっていうことを繰り返していますが、
のんちゃん雲に乗るに関しては手放す気はないです。
この本は石井桃子さんっていう熊野プーさんを訳した方が書いた本です。
すごい古い戦後に書かれた本だと思います。
書かれている内容は戦前のまだ穏やかだった日本のある片田舎に引っ越してきた女の子のお話になります。
病気で片田舎に引っ越してきた女の子なんですが、ある日起きたらお兄ちゃんとお母さんがその女の子のんちゃんに黙って東京に出かけてしまったということで、
それでぶつけて泣きながら歩いていたら間違って川に落ちた、池に落ちた。
弁天池に落ちるんですけれども、そこから物語が始まります。
落ちた先が雲の上だったっていうお話なんですけれども、水に映っている雲を見ていたら落ちた先がその雲の向こう側だった。
その雲の上におじいさんが乗っていて、のんちゃんを熊手で引き寄せて雲に乗せてくれるんです。
そうするとその雲の上に多分あの世との境目っていうことなんだと思うんですけれども、心傷ついた大人がたくさん乗っているんです。
実はそこに長吉くんっていうのんちゃんと同級生の男の子も乗っていました。
これも後々、なるほどって思うんですけれども、何か心傷ついたことがあったから乗っているわけなんですが、
のんちゃんはおじいさんがものすごく優しいので、その膝に乗って嬉しいなって思っていたら、向こう側に長吉がいたので面白くないんですが、
15:02
二人とも心傷ついてこの船の上に乗っている、雲の上に乗っているんですよね。
子供が乗ってくることが珍しいので、今までは長吉の話を聞いてたんだけども、
先にじゃあちょっとのんちゃんの話も聞かせてよっていう風で、おじいさんがのんちゃんの反省機を聞かせろとせがむんです。
そうするとのんちゃんはすごく優等生な子なので、得意になって自分の優等生っぷりを話すんです。
しかし話せば話すほどおじいさんがいい顔をしないんですね。それは良くないなーって言ったりするんです。
のんちゃんは自分がとてもいい子で、それに対してお兄ちゃんはとても悪い子だっていうことを何度も話します。
長吉の話も出したりするんですが、のんちゃんが嫌がることを意思を投げたりして、嫌だって言ってるのにやめないとかですね。
お兄ちゃんは宿題もしないで一緒に遊んだりして、悪い子だみたいなことを言うんですけど、
おじいさんはお兄ちゃんの気持ちになってみる気はないかって言うんですよ。
病気になった妹のために同級生と離れて、東京に住んでたんだけれども田舎に引っ越してきてしまって、
たまにしか会えなくなった友達に会いに今日は行ったはずなんですよね。
東京に連れて行くとのんちゃんの病気が悪化するから黙ってたぶん行ったんだろうとか、
宿題もしないでって言うけれども、お父さんの膝に乗って甘えるのんちゃんを見て、
一人で2階に行って宿題なんかする気になれると思うかとか、そういうことを話すんですけど。
そういうふうなひれ伏す心っていうのが大切で、優等生である人ほどそういう心を持たない、持てないんだよねっていうことをおじいさんは言いたいんだと思います。
そういうことを聞いているうちにのんちゃんはだんだんお兄ちゃんに会いたくなって帰りたいって言うんですが、
おじいちゃんはただでは返せないと急に試験が始まります。
のんちゃんの場合はお前は今から嘘をつけと、一つでいいから何か嘘をついてごらんって言うんですけど、
のんちゃんは優等生なんで嘘なんかつけませんって頑張るんです。
だったら帰れないよっていうことなんですが、のんちゃんはでもつけないって頑張って、
なんでつけないんだっておじいさんが聞きます。
お父さんがついちゃダメだって言ったのかって。
そうするとのんちゃんは誰も言いやしない、自分が嫌なんだって言って、
その叫んだ瞬間に雲がぐらぐら揺れて、みんなが落ちそうになってしまうんですよ。
18:02
なのでこんな危ない子は乗せておけないっていうことで試験には失敗したけれども、
この子はさっさと家に送り返さなきゃいけないっていうことで、
おじいさんが慌てて家に帰します。
私このことについて自分が思ったことをノートにまとめて書いているんですが、
わりとその記事が人気で、自分の書いたノートのうちの上位10位ぐらいに常に入っていて、
それがとても嬉しいので、その内容をちょっとここで朗読させていただきたいと思います。
ちょっと一部はしょりますけれども、よかったら聞いていただければと思います。
このお話のことを子供の頃の私は羨ましく読んでいました。
雲の上で優しいおじいさんに甘える様子をいいなぁと思っていたのです。
先日探し物をしていたらこの本が出てきたので読み返しました。
すると当時とは全く違う感想を持ちました。
もう1ヶ月ほど前のことなのに、のんちゃんの誰もいいやしない自分が嫌なんだというシーンが頭から離れません。
自分が優秀であると思うほど人に対してかがむことができないということ。
なぜ優秀な人間であるべきだと思っているのかということ。
どんなに優しい家族に囲まれていても心に寂しさを抱えて大きくなるのはなぜだろうかということをずっと考えていました。
ここから私の考えたことです。
私は惨めな子供時代だったと思います。
いつも唸られてみなりは汚く臭くなった服を着てボサボサの頭のまま手にはいつも赤切れができていました。
虫歯だらけでガリガリで笑うことなんかありませんでした。
そういう自分を取り消したくて大きくなってから必死で勉強をしました。
みじめなままの大人にはなりたくないと思ったからです。
中学校にはいけず独学で高校へ入学しました。
それから奨学金で大学に行きました。
そしてアルバイトでなんとか暮らせていました。
そしてそのつもりなくではありますけれども就職をして普通の生活にたどり着きました。
いつでも頭にあったのはだから私はあいつらよりはましだという気持ちでした。
あいつらとは誰かといえば自分を生んだ親であり会ったこともない世界中の人たちのことです。
みじめな自分を認めたら生きていけないと思っていました。
愛情をもらえなかった私のことは隠さなければいけないと思って生きてきました。
認めることは敗北を意味するからです。
自視する勇気も持てなかった私は敗北を選ぶこともできず、世間に勝ち続けるしかなかったのです。
21:04
病気をしても人に言えませんでした。
どんなに痛くても辛くてもそれが人にばれれば負けてしまうと思いました。
あんなみじめな場所にいることを認めてはならない。
それが私の思うここにいてはいけないという感情の限定かもしれません。
海や草原や木の下や川のそばや空がよく見える場所にいると体にあたる風と草木や風のにおい、
虫や鳥や川の音に耳を傾けているだけの時間に触れることができます。
とても心地よくて自分の体の存在を忘れそうになります。
そういう時負けるとかみじめだとかいうことは関係がなくなります。
もっと正しく言うと負けだとかみじめだとかいうことが消えてなくなるわけではなくて
みじめであったことは事実だがそんなことはこの心地よさに関係がないという感覚です。
それがここにいていいという感覚なような気がしています。
そういう感覚に慣れたことが人生で4度あります。
たった4度だけです。
その一つが前回書いた青春18切符でたまたまたどり着いた駅の待合室での体験でした。
それ以外はいつでもここにいていいと思っているのか
つまりみじめであるな、みじめだとばれるなの声が弱まるか強まるかでしかありません。
これらの禁止事項が常に私を追いかけてきている感覚です。
私はこの感覚に追い立てられてここまでやってきました。
おかげで経済的な不安がなく暮らせるようにはなりました。
だけどもう疲れてしまいました。
みじめであることを認めてもいいから休みたいと思いました。
そうするとみじめであっても何にも変わらないのではないかと思い足りました。
みじめであってはならないと誰も言いやしない。
みじめが嫌なのは私だからです。
誰も言いやしない、自分が嫌なんだっていうのんちゃんのセリフがずっと心の中にあります。
のんちゃんはそのあの世とこの世の境目で本来ならばあの世に行かなければいけなかったんですが
それを覆すほどの大きな信念を持っておじいさんを生と死の審判を覆したことになります。
24:04
私は自分の存在が悪いと思っています。
でもそれは誰も言ってはいなくて自分がそう思っているんです。
原因がどうとして今そう思っているのは私なんです。
みんな何かしらの信念を
たぶん一時には雲の上のことわりのようなものも覆すぐらいの強い信念を持っていると思います。
それはいい働きをすることも多いと思うんですけど
悪い働きをすることもあると思います。
そうすると疲れてしまって
休みたくなるんだと思うんですが
休めない。
信念が強いから。
それがわかったので
そのバランスを取ろうとして生きてるんだなぁみんなっていう風に最近は思うようになりました。
程々に
陰と陽のバランスをとって
生きようとしている
全くストレスのない世界っていうのはないと思うので
必ず
2つは相反するものだと思うんですけど
その触れ幅が私は誰よりも強いんじゃないかなと思っています。
たぶんそんなに
人が経験していないことをしてきた可能性があって
人が感じないような恐怖とか絶望とか
なんかもうこれはひれ伏すしかないみたいな
自然の摂理みたいなものを
大げさかもしれませんが
体験して
そこからぐるんと反対側にある
ただの平穏がどんなに幸せなことかっていうことを
人よりも大げさに感じてるんじゃないかなって思うんですよね。
その陰と陽の触れ幅の真ん中あたりにいれば
暮らしやすいんじゃないかなって思うんです。
多くの人がそこに生きてるんじゃないかなって思うんですよ。
あとすごい陽の方に触れてる人もいるんだろうと思うんですが
それでも時には陰の方に触れることもあって
みんなバランスを取ろうとして生きてるんだろうなって思うんです。
これからもそのバランス取りが上手なヤジロベイみたいな
生き方ができたらいいなって思います。
触れるのはもうしょうがないので
多少その触れ幅を小さくできるとしても
バイクに乗ってる時の感覚のような
あとスノーボードとかする人だと分かると思うんですけど
あと運動、スポーツをする人だと分かるんじゃないかなって思うんですけど
27:04
自分の体の体感でバランスを取って
うまく操れた時ってすごい楽しいと思うんですけど
そのうまく操る感じ、バランスを取る感じで
これからも生きていけたらいいなっていう風に思っています。
じゃあアスチャンネルを聞いてくださって本当にありがとうございました。
感想をスポッティファイのコメントや
スタンドFMのコメント欄にいただけたり
DMをいただけたりしたら嬉しいです。
あとヒカロスさんが
ハッシュタグを一生懸命考えようとしてくれたんですけど
アスチャンネルがすでに存在していましたので
アスCHってどうかなと思いました。
ハッシュタグアスCH、アスはカタカナ、CHは英語の小文字で
アスチャンネルって読めるかなと思ったので
もしよかったらアスCH、アスチャンネルで
感想をいただけたらとっても嬉しいです。
本当にありがとうございました。
じゃあねさよなら
28:15

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