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アスチャンネルのアスです。 最近、自分がSNSに写真をアップするようになってから、
割といろんな人の写真を興味を持って見るようになりました。 県外とか遠いところの
実景っていうのを見るたびに、いいなぁ、行きたいなぁって思うけど、遠いなぁって思ったり、 あと
自分がいいなぁって思う景色って 山の頂上だったりするので、そういうところに機材を持っていて、これだけの写真を撮るっていうのは
知識も体力もいるし、相当な経験と、あとタイミングを分かっていっている人たちだから、自分が興味本位でさっと行って、さっと撮れるみたいなものではないよなぁっていうふうに思っています。
でも、そのSNS見てると、自分の住んでいる地域の割と側で素敵な写真を撮っている人っていうのをたくさん見つけることができます。
昨日見ていたら、割と近所で紫陽花が咲いている神社の写真を撮っている人を見ました。
親切に場所、住所も載せてくださっていたので、早速そこに行って写真を撮ってきました。
こういう、とりあえず今できることとか、行ける場所に行くみたいなことが積み重なっていって、
いつか本気で取り組んでいたら、いいなって思っている広大な写真というのが撮れるようになるのかなとかって夢見たりしています。
考えてみたら、バイクもそうだったんですよ。自分には乗れないよなぁ、ゆう乗り物危ないしなぁとかって思っていたんだけれども、
免許を通って取って、バイクを買って練習して乗っていれば、今みたいに自由にいろんなところに行けるようになっていて、
免許を取る前の自分は、そういうふうにできるとは思っていなかったので、やっぱり段階を踏んで重ねていけば、到達できないことはないように思っています。
行った場所なんですけれども、自分の家からだいたい1時間ちょっと車で走ったところだったんですが、
急に思えたって言ったから、時間も時間でお昼真っ只中にたどり着いて、
久しぶりの雨が止んだ快晴みたいな日だったので、やたら天気が良くて25度ぐらいの気温だったんですが、
昨日まで雨が降っていて、18度、16度とかそのあたりの気温からの急な快晴25度が結構体にきつくて、
暑いし蚊との戦いみたいな、蚊に襲われまくって、
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ファインダー覗いて静止してると腕に蚊が集まってくるので、それと戦いながら写真を撮っていました。
暑かったので、そんなに時間いなかったんですけど、
撮り終わって、車に追って、カメラから3枚か4枚ぐらいWi-Fiで飛ばして、スマホに映して、
その場で何枚かを現像と言って、撮ったデータに自分で色をつけて写真に起こすみたいなことをささっとやったんですけど、
それを見たらあまりにも写真が美しく見えて、すごい胸が痛くなったんですよ。
自分で撮っておいてよく言うって思うかもしれないんですけど、
本当に美しく見えて、こんなに美しいものをその日思い立って動いて見に来なかったら見れなかったんだと思ったら、
すごく儚く思ったというか、それで胸が痛くなりました。
たまたまの雨上がりのその日の天気で、その日しか見れない状態だったと思うんです。
そういうたまたま今綺麗みたいなものとか、自分の心境とかで美しく見えるものが世界中に多分無数にそこら中にあるはずなのに、
ずっと時間を浪費して見ようとして来なかったなぁとかっていうことも考えました。
この間なんか水族館に行ったんですけど、そこでも同じことを思いまして、
なんとなく自分が子供の頃に行ってた水族館の暗いイメージっていうのがあって、
ジメジメしててなんか湿気臭くて暗い感じの水族館のイメージしかなかったんですけど、
新しくなった水族館は全然イメージが違くて、前にも行ったんだけど、そこまで素敵に思わないまま。
カメラを持ってこの間行ってみたら、とても美しくてびっくりしたんですよ。
魚の動きとか、鱗がキラキラするのとか綺麗だったし、
入ってすぐのところに大きな水槽がある水族館なんですけど、大体そうなのかな。
その水槽が太陽光を取り入れてて、多分天井が突き抜けてるんだと思います、大水槽が。
直接その日の天気によって太陽の光が水槽に入ってきて、中でそれを見れるっていうような作りになっているはずなんですけど、
そこのガラスを掃除しているダイバーさんがその日いたんですけど、
その人から出る気泡が美しくて、なんて綺麗なんだって。
その気泡がキラキラって上に上がっていくところに太陽光が当たってるのが、すっごい綺麗に見えたり、
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魚側から上を見るっていうのが、私はしたことがないので、
水の中から上を見上げた時の太陽の見え方ってどんななんだろうとかっていうのを想像するしかないんだけど、
その掃除をしている人とか魚とかはそれを日常的に見てるのかと思って、
私はそれを見れないというか、自分が見てない時にもその場にある美しさを全部が見れないんだみたいな感じ。
それがアジサイの写真を見た時に、こんな美しいものがあるのに、みたいな切なさに似ていて、
もったいないなというか、できるだけ全部見たいなというか、いうふうに思ったんです。
うまく言えないな。
私はよく山の写真を見るのも好きなんですけど、
なので、いろんな山で写真を撮っている人をフォローしていてよく見ているんですけど、
そういった景色もじゃあ行こうって言って撮れるものじゃなくて、
日頃から登っていて天気の悪い日もあればいい日もあれば、
風が強い日もあればそうでもない日があったり、
大雨や雪の中を行ったりすることもあったりすると思うんですけど、
あと季節が違うからこの花が咲いている時とか、
木が老いしげって、葉っぱが老いしげっていて景色がそうさほど見えない時とか、
高いところに行けば行くほど木がなくなっていって、
岩と砂利と砂だけのところとか、
そういうところに誰でもが行けるわけじゃなくて、日頃から登山している人じゃないと行けないし、
ましてやそこに機材をわざわざ重いものを増やして登って行って撮る体力っていうのはすごいものだし、
雪の中ってなると普通に行けることではないし、
あと今クマ問題があるからいろんな対処が必要だし、
そういう誰でも撮れるわけじゃないみたいな写真を撮ったりしている人たちって、
私たちが見れない綺麗な瞬間を知っているんだって思うと、
すごい羨ましくて尊敬します。
いつかそういうふうになれたらいいのにって思ったりします。
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話を聞くこと、つながること、そして適切な支援を得ること、この3つが大事だと考えます。
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家族、友人、同僚、先生、あなたにできる小さな一歩が命を救います。
眠れない夜、孤独が深まるとき、一人で抱え込まないで、周囲の人とつながってください。
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そのアジサイの写真を撮ったときに、またこの切ないというか、
いいなって思っている気持ちが淡過に結びつきました。
この間も棚畑の話から、伊達正宗が読んだ棚畑に関する短歌っていうのをいくつか紹介したんですけど、
アジサイも何かそういうのありそうと思って調べたら、
和歌山牧水さんっていう方、近代佳人だそうなんですけど、
の俳句が、短歌が目につきました。
宮沢賢治と同じぐらいの時代に生きた人です。
すごい有名なんでしょうが、私は本当に物を知らないので、今日知りました。
ちょっと読みます。
アジサイのその水色の悲しみの、滴る夕べ、カナカナの泣く。
アジサイのその水色の悲しみの、滴る夕べ、カナカナの泣く。
めちゃくちゃ綺麗な言葉だと思って、これ。
アジサイのその水色の悲しみの。
素晴らしいと思って、どういう意味かなっていうのを調べていたら、
少女が女性へ移り変わる過程を描いているってあって、
あ、そうなんだと思って。
アジサイの花びらの色が雨の酸性とかアルカリの雨の性質で色が変わっていく様子と、
人の成長を重ねたものという風に訳しているのと、
あと失恋を描いたものであるっていう風に書いているページもあったりしました。
そうなんだと思って。
そういうのではなくて、どちらかというと人生感を歌っているのかなと感じたんですけど、
いろんな読み解き方があるのかもしれないんですけど、
かなかなの泣くっていうところも余裕を残しててすごくわかるってなったんですけど、
いい歌だなと思って。
自分がアジサイの写真を見て切ないって思ったっていう言葉を説明するのに、
冒頭からすでに10分経過してるんですけど、
この人はたった2行でエモさを表現してて、
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すげーって思いました。
だからタンカってすごいなと思って。
もう一個読みます。
すごいと思って。
まさにそうそうと思いました。
自分の心の中の寂しさが消える場所を求めているっていうことを言ってるんだと思うんですけど、
どこまで行けば自分のこの寂しい気持ちってなくなるのみたいな、
いやなくならないみたいなことを言ってると思うんですけど、
この人どういう人なんだろうと思って調べたら、
知ってる方は聞き流していただきたいんですけど、
旅をしていろんなところでこう読んだ人だそうで、
日本各地に歌詞があるそうです。
宮沢賢治と一緒に岩手県に日も経っているところもあるそうで、
あ、そうなんだと思いました。
その日の一つが今読んだイクヤマカワってやつなんですけど、
この方すごい酒豪だったそうで、
お酒のことを歌ったくも有名だそうです。
亡くなる前日も1300mlのお酒を飲んだそうで、
翌朝も100cc飲んで、それで亡くなっていったそうでして、
相当だなと思いました。
亡くなる数日前に医師から検証を進められたけれども、
到底不可能って言って苦笑していたというふうに
Wikipediaに書いてありました。
亡くなった大きな原因はやはり観光編だったそうで、
その後のお酒を飲むという行為も
寂しさをどこか紛らわせたくてっていうのも
あったのかなというふうに推測します。
今回のこの配信のテーマにしている
アスチャンネル2の配信テーマが
寂しさの向こう側にあるものを話したいなって思っていたので、
ちょうどそういう単価じゃんって思ったんですよ。
このイクヤマカワ越え去りゆかば
寂しさの果てなん国ぞ今日も旅ゆく
まさにと思いました。
誰しもこの謎の寂しさと戦ってるんだなって思うんですね。
自分は結構幼少期の老いたちのせいで
この寂しさが消えないって思ってたんですけど、
人の話聞いてるとそうでもなくて
みんな寂しいみたいなに見えます。
いやそうじゃないよっていう人もいると思うんですけど、
多くの人が寂しいような気がする。
その寂しさって脳のバグだみたいなことも
以前読んだ文献に書いてあったんです。
人間が進化していくときに脳の方が
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バグを起こしたまま進化してるというか
ついていけてないというか
人間の生き方の文化に脳がついてきてないから
まだ群れを成してないと
命が危ないっていう風に認識をしているから
実際は私も一人で生活して一人で生きているので
群れを成さなくても
今の社会だったらこうやって生きていけるんですけど
それだと危ないっていう風に脳が判断して
人を求めるようになってる説があると思うんです。
そう考えてると
バグにはバグで対応すればいいみたいな考えがあって
それで私は天文台に行くのが好きなんですけど
全体を宇宙で捉えると
全部がサマツに思える時があります。
それをずっと維持できたら生きやすいんですけど
実際は目の前にある視覚情報の方がでかくて
引っ張られてしまうから
私はずっと悩んでるんですけど
今はあんまり人と関わることがない給食中だから
だから自分でコントロールできる範囲で暮らせていて
割と楽です。
ずっとこうならいいのにと思うけど
そうもいかないのは承知してるんですが
バグにはバグで対応の具体的な方法なんですけど
自分は宇宙を想像します。
謎のダークマター
まだ宇宙学者も分かっていない
謎の銀河の中心部にある大きな重力に引っ張られて
銀河がぐるぐる渦を巻いているわけなんですけど
私はその銀河を俯瞰して遠くから眺めているのを想像します。
自分もやはりその引力に引っ張られて
移動してはいるんだけれども
別にそれが楽だから
引っ張りながら移動しながら
銀河の動きを見ている状態です。
たまに小学生が近づいてきたりして
ちょっとそっちの引力に引っ張られることがあったり
近づかれたりしてくっついているのが
心地よく感じたりするタイミングもあるんですけれども
それはずっとじゃなくて
また各々その惑星たちのタイミングで離れていく。
ずっと一緒っていうのはなくて
それぞれがそれぞれの形の重さと
素質・性質によって
謎のダークマターに引っ張られて
タイミングを持ってまたそっちの引っ張りに
強く引かれて戻っていくような感じ。
考えると
抗う必要はなくて
あなたが円があって一瞬近づいたものとか
遠ざかっていくタイミングとかを
へーって見ているだけだったら
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すごい気が楽なんです。
というかそういうものなのでは
とかっていうふうに思ったりしています。
それをそうであるというふうに確信を持って
どんな視覚情報にも
惑わされないで生きていけば楽なんだけど
そうもいかないんですよね。
だから目から入ってくる情報って
美しい、儚いとかって
素晴らしいって感動することも多いんだけど
その逆もあるというか
それが邪魔してくるということもあって
なんか目ってすげーってしみじみ思います。
じゃあまた。