1. あそびやさんの「不登校はギフトでしかない!」
  2. #29 3年生を送る会を観に行った
2026-03-06 15:42

#29 3年生を送る会を観に行った

下の子は中学3年生。昨日は3年生を送る会みたいのがあって、学校に行ってきました。

#あそびやさん
#不登校はギフトでしかない
#不登校
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サマリー

中学校の「3年生を送る会」に参加した筆者が、上の子の不登校の経験を思い出し、当初は複雑な気持ちを抱きつつも、子供たちが自分の道を探すプロセスを肯定的に捉え直す。合唱の感動を通して「今ここ」を生きることの大切さを実感し、体調を崩した娘に寄り添うことで、赤ちゃんの頃と同じように「抱きしめる」ことの力を再認識する。

中学校の「3年生を送る会」への参加
はい、みなさんこんにちは。ちょっと変わった造形教室あそびやさんをやっています、ばばさくらです。 最近では造形教室だけじゃなくて、不登校はギフトでしかないっていうお話をしています。
今日はですね、私下の子が中学3年生なんですけども、中学校で3年生を送る会みたいな行事があったので、学校に行ってきました。
その話をしたいなと思うんですけども、前にもお話ししてますけども、上の子がいて、
中学校時代ほとんど教室に行かなかったんですけど、上の子がいるからね、本来だったらこの行事を見るのは2回目のはずなんだけども、初めて見に行きました。
その会の内容としては、1年生、2年生が合唱をしたり、3年生に対して送る言葉を発表したりして、それに対して3年生も合唱の発表があったり、
1年生、2年生に送る言葉があったりして、そういう会でした。 そのね、合唱がもう本当に素敵で、
過去の経験と現在の感情の葛藤
1年生も2年生も素敵だったけど、3年生がまたね、格段に上手でね、なんていうのかな、
あの、こう、
ハートがね、揺さぶられるようなね、 素敵な合唱だったんですけども、
それをね、見ていて、本当に感動したのに、なんかね、どこかで、
でも、あの、なんか喜んじゃいけない、 みたいな気持ちがあってね。それはなんでかっていうと、
上野子の時には、上野子はね、
子供の道と自身の感情の受容
3年生になって、特に教室に1回も行ってなかったし、 だから行事もね、全く参加してなくて、
で、そういう時に、そういう中で、こういう行事があるたびに、なんて言うんだろう、
まあ、 私はね、本人の好きにすればいいよって言いながらも、まあ心のどこかで、
なんか置いてきぼりを食ってるような、
とか、なんだろう、 ああ、こういう、
参加できない子がいても、行事は普通に行われるんだなーって、 ちょっと寂しいような気持ちを出したりとか、
そういうのが、まあ、やっぱり、どっかにあって、 だから、昨日のその行事も、
実際に参加できてない子がいるのは知ってたし、
そもそも、もう学校に来れてない子がいるのも知ってたし、
あとは、別室でね、過ごしている子たちは参加してなくて、 まあ、体育館のね、入り口のところから見てたりはしたけども、
そういう子たちがいるっていうのも、私は知っているから、 なんか、両手話に感動したとか言って、
言う気持ちになれなかったっていうか、
感動の本質と「今ここ」の意識
なんか、そうやって喜んじゃいけないような、そんな気持ちがして、
なんかね、最初、もやもやしたんですけど、 だけどね、その時に、
なんて言うんだろう、 あっ、違うなーって思って、
最初、もやもやしながら、 自分でもどういうふうに考えたらいいのかなーって、
もやもやしてたんですけど、 でも途中でね、なんかふと気づいて、
なんて言うんだろう、 じゃあ、私が昨日の行事を見て、
本当はどう思ったかっていうことを考えてみたら、
その4年前ですけど、息子の時には、
そういう行事に参加できない息子を見ながら、
さっき言ったみたいに、置いてきぶり食ってるような、
娘への寄り添いと赤ちゃんの頃の感覚
そういう気持ちになって、 なんか悲しい気持ちになってたけど、
でも、今の私は、それが、
結局、なんていうのかな、 行事に参加できたとかできないかったとか、
そんなレベルのことじゃなくて、
その全てが、その一つ一つ全てが、
息子が自分の道を探すための通過点だったっていうことを、
もう振り返って知っているから、
だから、よく考えてみれば、
まとめ
なんて言うんだろう、
4年前のことを思い出した時に、 心が痛む部分ってもう実はなくて、
だから、なんて言うんだろう、
心が痛んだような気がしたけど、 一瞬、昔のことを思い出して、
心が痛んだような気がしたけども、
そうでもないっていうか、
全然もう痛まない自分がいるんだなっていうことに 逆に気づいたんですよ。
だから、目の前の合唱に感動したら、
私は感動すればいいし、
そして、昨日参加できなかった子たちに対して、
いやいやいや、これもね、
全てがこの1日1日、全てが、
なんて言うんだろう、
未来につながっている自分の道を探すプロセスで、
今は大変かもしれないけども、
必ずそれが自分らしい道を見つけるための プロセスだっていうことを私は知っている。
だから、そんな行人に出れたとか出れないとかで、
一喜一憂することではないっていうのを、 もう私は知っているから、
実際に自分の感情を味わってみると、
ただひたすら懐かしいっていう感情だった。
だからね、なんて言うんだろう、
ちゃんと自分の心を自分で感じて確認するって すごい大事だなって気づいて、
過去の息子がかわいそうだった、 過去の自分がつらかったみたいに、
勝手に自分で自分のことを決めている部分があったけど、
いやいやいや、ちゃんと自分の感情を感じたこと、 感情を確かめてみたら、
いやいやいや、全然そんな傷になってないわっていうことに気づいて、
すごく晴れやかな気持ちになったというか、
その感じ方が変わった、
その合唱をやってくれた子たちに対しても、
いやー素晴らしかった、ありがとうって、 素直に思っていいんだなって思ったし、
そこに参加できなかった子に対しても、
つらいよねっていうことは、
分からないですよ、本人たちが本当にどれくらいのつらいつらくないなのかっていうのは、
私の想像でしかないわけだから、
実際のところも分からないのに、つらいよねみたいに言ってるんじゃなくて、
私はそれが未来へつながっている、
この1日1日が確実に自分らしい未来への道につながっているって知ってる。
だからそんな勝手に心を痛めたりしないで、
エールを送るというか、そういう気持ちに慣れたことで、
すごく嬉しい気持ちで、
昨日は帰ってきました。
で、帰ってから、
じゃあ、
合唱とかそういうのを見たときに、
この感動するっていうのは何なんだろうってまた考えてて、
本番は本当に素晴らしいけども、
だけどそこに至るまでのプロセスって、
結構揉めたりとか、練習もやだったりとか、
ありますよね。
練習の段階から素晴らしいっていう、
素晴らしいばっかりじゃなくて、
練習時間で揉めたりとか、
いろいろありますよね。
で、そういう、
いろんななんだろう、
美しいだけじゃない時間を経て、
で、その本番があって、
私たちは本番しか見てないから、
わー素晴らしいね、だけども、
その裏にあるみんなの苦労とか、
そういうものを何も知らずに、
両手放しで素晴らしいでいいんだろうかみたいに、
何が感動なんだろうって、
何を私は受け取ったんだろうって、
思ってたんですけども、
それがね、さっきね、急に分かった気がして、
それって私にとってですよ、
皆さんにとっては分かんないけど、
私にとってはいつも毎日忙しい中で、
何て言うんだろう、
先のことを心配したり、
過去のことを振り返ったり、
なかなか今この瞬間に意識がピタッと合っていることってなくて、
だけどああいう例えば合唱みたいに、
ものすごいエネルギーで届けてくれると、
今ここにいられる、
今この瞬間本当に楽しむっていう時間を作ってくれるっていうのかな、
それがやっぱり大きいのかなって思って、
人間の幸せの原点って、
それかもって今ここにいるってこと?
歌うのが好きだったり、歌を聴くのが好きだったり、
それもそういうことなのかなって思うし、
子供がいろいろ感動させてくれることっていうのは、
今ここにある意識が、
今ここに一緒に生きてるっていうか、
ここに、この瞬間にちゃんと自分の意識があるっていうことが素晴らしいのかなって、
みんな違うかもしれないけど、
私はそんなふうに思いました。
そしたらね、
娘は疲れちゃったのかわかんないんですけど、
今日になってね、
高熱を出して寝込んでいるんですけどもね、
どうしてあげたら楽になるかなって思って、
今までだったら、
例えば、
こういうビタミン剤を飲ませてみようとか、
水分補給、レモネードを作ってあげようかなとか、
そういうことを一生懸命やってたんですけども、
昨日の今日だったのでね、
まず、それもするけど、
水分補給とかそういうことももちろんするんだけども、
今ここにあることっていうことをちょっと思い出してみようって思って、
とにかく横に居る。
居て感じる。
今どういう状態なのかを感じる。
私が感じるっていうことをやってみました。
それは、なんか久しぶりの感覚で、
子供たちが赤ちゃんの時には風邪ひいたりするとね、
抱いてると治るって私は思っていて、
それは本当で、
具合が悪いとね、
ずっとあの抱っこ紐で、
当時はスリングって言って、
横抱きで抱く抱っこ紐がみんなよく使ってて、
それで体にピタッとくっつけて、
ずっと抱いてて、
抱いてると治るんですよね。
もう薬なんか全然いらなくて、
だからそれが、
そういう感覚、
大きくなるとね、だんだん忘れちゃうけど、
でもなんかそれを思い出して、
手を当ててね、
ただ横に居るっていうことをしてみたらね、
なんかもうそれだけで、
なんて言うんだろう、泣けてきちゃうっていうか、
幸せっていうのは変だけど、
今ここにあるってこういうことだって思って、
それを思い出させてくれて、
ありがとうっていう気持ちになりました。
そしたらなんかスーッとね、
眠ったのでね、
少し楽になっているといいなって思ったんですけどね、
なんかこう赤ちゃんの時に、
抱いてるとスーッと眠るっていうそういう感覚、
あーこんなに大きくなっても、
同じことが起こるんだなーって思いながら、
見てました。
まあ今日はちょっと話があっちこっち行きましたけども、
そんな話でした。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
じゃあね、バイバイ。
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