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第89回:料理写真家・豊田 裕さん ~自分から動けば必ず何かが返ってくる
2026-08-25 1:06:07

第89回:料理写真家・豊田 裕さん ~自分から動けば必ず何かが返ってくる

今回のゲストは、料理写真家の豊田裕さんです。

長年ドイツ・ベルリンを拠点に、レストランやホテル、雑誌などの料理撮影を手がけてきた豊田さん。
2023年には、豊田さんの写真がドイツのグルメ誌『DER FEINSCHMECKER』の表紙を飾りました。
そして現在は福岡に拠点を置き、新しいつながりを広げながら活動されています。

今回は、料理写真家になるまでの道のりや、ドイツでの仕事、料理を撮ることについてお話を伺いました。

 

豊田さんは、私がもう一つ配信している「豚に麻将」のリスナーさんでもあります。
番組で紹介したマテリアルブランド「HiKEI」の博多阪急での催事にも足を運んでくださり、そこで「豚に麻将」のことを伝えてくださったことが、HiKEI・久川誠太朗さんへのインタビューへとつながりました。

感想

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00:09
あさみ
音声収録は初めてですか?
豊田裕さん
ホードキャストですか?
あさみ
とか、音声の取材は?
豊田裕さん
全くないですよ。
あさみ
初ですか?やったー!初!
豊田裕さん
いや、そもそも取材受けるとかないです。
僕は、表に立つ人間じゃないから。
あさみ
そっか、裏方ですもんね。
豊田裕さん
裏方ですから。
一応、あさ会話の3人分聞いたんですよ。
あさみ
おー!ありがとうございます。
豊田裕さん
久川さんとか、ザーッと聞いてみて、 こんな感じなんだねって。
なんかでも、すごい長いんですよね。
2017年って書いてあって、最初。
最初の方、ドイツ人の留学生の人とか。
あさみ
あー、バネッサちゃん!
豊田裕さん
すごいって思って。
あさみ
あれもたまたま知り合って。
なんか、自然に続いていってる感じですね。
豊田裕さん
すごいですね。
いろんな方いるじゃないですか、もうやんカレーの社長さんとか。
あさみ
ご存知ですか?もうやんカレー。東京にいた時に…
豊田裕さん
僕、東京住んでたんで、もうやんカレー大好きだったんですよ。
あさみ
そうなんですか!!
豊田裕さん
久しぶりに名前見たーって思って、びっくりしました。
そうなんです。東京にいたんですよ。
僕、簡単に説明すると、大分で生まれたんですね。
あさみ
ちょっとそこから聞きたい!出身は?
豊田裕さん
大分県大分市で生まれて、18、高校までそこにいて、大学名古屋にいて、
名古屋で4年間過ごした後に、1回大分に1年だけ戻って、
で、そっから東京に8年間っていう形。
あさみ
就職して、東京ですか?
豊田裕さん
就職せずに、写真の専門学校に行こうと思って、でもお金なかったんで、
1回地元帰ってお金貯めようって思って、1年戻って、で、そっからって感じですね。
で、写真の基礎とか技術の下積みとかは、東京の最初の4年、5年ぐらいでやってって感じ。
あさみ
なんかインスタでおじいさまが写真記者だったって。
豊田裕さん
大分の大分合同新聞というローカルの新聞社の写真部の部長さんやってて、
戦前から関わってて、写真部に。
で、戦後ずっとその記者を80年代、たぶん中盤から後半ぐらいまでやってて、
で、その後はリタイアしたんですけど、地元の方とかとすごいいろんな知り合いがいたんで、
そのデゾメ式撮ってとか、何々を撮ってみたいな感じでちょこちょこ出てた。
あさみ
カメラマンとしてずっとおじいさまやってたんですね。
豊田裕さん
けど、自分自身はカメラ、写真に興味が持ったのが大学生になってから。
あさみ
そうなんですか。なんかずっと毎日のように新聞社連れてかれてたみたいな。
豊田裕さん
連れてかれてました。
あさみ
なんかそこで影響を受けたのかなとか。
03:02
豊田裕さん
全く。
あさみ
全くだったんですか。
豊田裕さん
それは単純に結構かわいがられてたんで、
幼稚園がうちの近く、自転車15分ぐらいのところにあって、
そのすぐ近くに新聞社があったんですね。
で、毎日送り迎えをしてもらって、
で、帰るときに必ずじいちゃんと一緒に新聞社に連れててもらって、
じいちゃんが元同僚とかとだべってる横でじーっとつまらんなって思いながら、
あさみ
帰りたいなーみたいな。
豊田裕さん
でも必ずクリームソーダ飲ませてくれるので。
あさみ
ちょっと楽しみですね。
豊田裕さん
それが楽しみで。
あさみ
じゃあカメラはそんなに写真をやっていたおじいさまの影響で自分もとか、
そういうの全然なかったんですね。
豊田裕さん
そうなんです。考えてみたんですけどない。
あさみ
身の回りには一番あったってことですね。
豊田裕さん
ものすごく一般的にあって、なんかよく写真撮ってくれたので、
で、カメラ自体も祖父が持ってたのがあって、あるなって思ってたんですけど、
あんまり自分で撮ろうって思わず。
思ったのは、なんか大学1年ぐらいのときに突然、
あさみ
突然。
豊田裕さん
突然なんか後ろがぼけたような写真が撮りたいっていう発作みたいなのがきて、
普通に写るんですとかの時代で、そういうので撮るとパンフォーカスっていって全部にピントがあっちゃうんですけど、
一眼レフだったら一個のものに焦点を当てて後ろはぼかすよっていうものができるんですよね。
が撮りたいと。
あさみ
急に。
豊田裕さん
はい。
あさみ
え、じゃあそれまではどういう進路を選んでとか。
豊田裕さん
それまで何するとか全く何も決めてなくて普通に文学部でしたね。
あさみ
そうなんですか。
豊田裕さん
文化人類学みたいなこと。
あさみ
そうなんですか。
豊田裕さん
やってましたね。
でもそれもやろうとか思ってなくて、別にやることが何も見つからんし、
理数系じゃない数学とか不得意だったんで、そっちに行ったって感じですね。
あさみ
捨ててったらそれだったみたいな。
豊田裕さん
いや、多分何も考えていなくて。
あさみ
考えていなくて(笑)
豊田裕さん
なくて。
あさみ
やっぱりそういう感じなんですね。
豊田裕さん
そうですね。
で、突然来てヤフオクで何かなぜかクラシックカメラを落として。
で、それがフィルムカメラ、当時フィルムカメラなんでやってみてちょっと感動して、
あ、本当に撮れるんだと思って。
当時インターネットとかがいろいろ発展し始めた頃だったんで、
学校の授業でインターネットの授業があって、大学の授業で。
で、そこで自由に見てよかったんで、そこでカメラの写真の撮り方とかを見て、
なんか結構適当に撮ってたけど、今までイツルンですとかで撮ってたものとは違うものが撮れたんで、
わーって、面白いってなったのを覚えてますね。
06:03
あさみ
じゃあ何かの、誰か写真家にインスピレーションを受けてとかじゃなく、
ふっとなんか、
豊田裕さん
発作が来た。
あさみ
発作が来たみたいな感じなんですね。
豊田裕さん
なんか覚醒したんですかね。
面白ー。で、なんか思い立ってカメラ買ってみたみたいな感じなんですね。
で、そこからどんどん写真に興味が出てきたんで、写真店に行ってみたりとか、
名古屋だったんで、そんなないので、東京まで行って、
そこでまた別のカメラマンさんとかに会って、
あ、この人面白い人だって追ってみたりとかしたり、
名古屋は名古屋で、ちゃんと写真事務所を開いてらっしゃる方がいて、
その人がたぶん一人目の先生なんですけど、
その方のところにちょっと実際に紹介してもらって、
お手伝いをさせてもらったりとか、
ただまあ写真の知識が全然ないんで荷物持ちとかするだけだったんですけど、
まあそのスタジオがあったんで、そこで現場を見て、
あ、こんなことやるんだねっていう。
あさみ
なんか普通に話されてますけど、すごい行動力とスピード感な気がしてるんです。
思い立ってからやってみようって思って、
弟子入りじゃないですけど、そうやって行ったり出会いを作ったりって、
なんかすごいなと思って。
豊田裕さん
バイトしてたそば屋の同僚っていうか、同じアルバイトしてた方に、
20歳ぐらい年上の女性がいて、その話してて、
あ、じゃあ私の友達がカメラマンやってるから行けばいいわよって言われたような気がするんですよ。
実際に行って、
あさみ
じゃあお願いしますって。
豊田裕さん
じゃあお願いしますって言って、
すごい優しい方だったんで、受け入れていただいてって感じです。
あさみ
で、教えてもらいながら。
豊田裕さん
そうですね。
あさみ
じゃあ大学は卒業したけれども、
豊田裕さん
何の就職活動もせず、
写真のことやりたいなと思ったんで、
基礎がないから、じゃあ学校行こうかなと思って。
で、学校行くために一回大分に戻って、
お金を貯めて戻るんですが、
学校自体が入ってみたらあんまり会わず、
3カ月ぐらいで辞めて、
写真のレンタルスタジオっていうのがあるんですけど、
そこにちょうど募集してたんで、そこに入って、
そこのスタジオマンって言うんですが、
そこのスタジオについて、
撮影に来るカメラマンのアシストをする人っていうのがいるんですよ。
それになって2年ぐらい、
何にもできない子だったんで、ボコボコに怒られながら、
2年を過ごし、そこで出会ったまた人がいて、
3人ぐらいいるんですけど、そこのスタジオ出てからは、
その人たちにちょっとロケに連れて行ってもらうっていう形を撮ってましたね。
09:04
あさみ
じゃあ学校で学ぶというよりも、現場で叩き上げられてたみたいな。
豊田裕さん
叩き上げられたっていうか、何にもできなかったんで、
めちゃくちゃいろんな人に怒られてたんですね。
ダメスタジオマンとして。
その後に会社入らないみたいなことを言われまして、
それも後半の2年ぐらいなんですけど、東京の。
そこが広告代理店なんだけど、
料理を専門にしてると。
営業とデザイナーとカメラマンがいて、
そこに頼めば1ストップで全部できちゃいますっていうところだったんですね。
そこに2年いて、毎日毎日料理の写真を撮ってた。
例えばロイヤルホストとか、かつやとか、
お菓子だったらヨックモックさんとか、
そういういろんな外食産業を専門にやってる方で、
タペストリーって言って店の前にかかってたりするじゃないですか。
メニューカードとかあるじゃないですか。
ああいうものの写真を現場に行って撮るっていうようなのをいろんなことをしてて。
あさみ
そりゃそうですよね。あれを撮るカメラマンがいるんですよ。
でもそこで初めて料理の写真を撮る経験というか、
料理カメラマンみたいなお仕事をしたってことですよね。
豊田裕さん
東京のスタジオで出会った人とか、
名古屋の大学の時にこの人すごいなって思ってたカメラマンさんとか、
全員人を撮る方だったんですけど、
僕人撮れんなって思って。
あさみ
そうですか。
豊田裕さん
なんか人撮るの撮れんなって思ってたんですよ。
あさみ
下手だなみたいな感じですか。
豊田裕さん
下手だなってのもあるし、なんか引き出しもないなって。
料理撮ってる方が楽しいなって思って。
で、そっちに行ってみて、やっぱなんか合うねって。
あさみ
楽しさがなんか。
豊田裕さん
なんか楽しさというか合う合わないみたいなのがある。
あさみ
あるんですね。
豊田裕さん
いや多分言われれば撮れるんですよ。
一応プロなので。
なんですけど、自分が最も力を発揮するのは料理なんだなっていうことを。
あさみ
ピンときたみたいな。いいな。
豊田裕さん
それで2年間、そこでほぼ毎日撮ってました。
あさみ
それで東京で働いてた時に、いつドイツに行こうって思い立ったんですか?
豊田裕さん
それが2009年にその会社入って、2012年までいたんですけど、
2011年に東日本大震災があって、僕も撮影現場で被災したんですね。
12:03
豊田裕さん
ラーメン屋さんで被災して、撮影中だったんですけど、自分たちは無事だったけど、
お店自体がちょっとダメージ受けたりとかあって。
その後、一時社会的にもけっこうわちゃわちゃした時期だったと思うんですよ。
その時に、日本にこのままいて大丈夫かなって思って。
日本じゃないところに拠点を持ったりした方が、この先もしかしたらいいんじゃないのかなっていうことをもやもや思ってたんですね。
そういうことを思ってて、その時姉からまだワーホリー使えるから行けばいいんじゃないかなっていうことを言われて、
ワーホリーかと思って調べてみて、行くってことにした。
あさみ
そこで初めて思ったから、別にドイツに思い入れがとか憧れがとかないですよね。
豊田裕さん
ないです。消去法です、それも。
ワーホリーで行くんだ。
じゃあ、だったらヨーロッパ行きたいよね。ヨーロッパなんですけど、ワーホリーってだいたい。
で、行ける国ってのがリストであって、ヨーロッパといえばイギリスかフランスだろうなと思うんですが、
この2カ国は希望者数が多すぎて、抽選になるんですね。
抽選っていうリスク取りたくないなって思って。
あさみ
いけないと年齢的にもギリギリじゃんみたいな。
豊田裕さん
積むから無理だわって思って、じゃあ他どこがあんのって。
そのときにリストに残ってたのがドイツとデンマークだったんですよ。
デンマークの知識がゼロだったんですね。
どこにあるかもわかんないし、何も知らないわって。
ドイツも何も知らないけど、ビールとソーセージとサッカーとグーテンモルゲンの国だと。
あさみ
グーテンモルゲンの国(笑)
豊田裕さん
いける。
あさみ
要素が少ない(笑)だいぶいけると思うまでのハンドルが低いですね(笑)
豊田裕さん
いけるって思って、行って会わなければ帰ってくればよいと。
半年ぐらい準備期間を持って、2012年の5月の末に行ったっていう感じ。
あさみ
やっぱ思い立ってからが早いですよね。
豊田裕さん
って言われるんですよね。
あさみ
そうですよね。話聞いてて早って思いました。
豊田裕さん
ものすごいフットワークが軽いみたいな。
あさみ
スピード感が半端ないって思いました、全ての。
豊田裕さん
全然意識したことないんですけど、そうらしいんですよね。
あさみ
だと思います。早って感想が出てきます。
半年でドイツ語もマスターして?マスターとまでいかないけど…?
豊田裕さん
マスターはできないです。
一応やったんですけど、やっぱり自分で先生もつけずに独学でやってできるわけがなくて。
15:01
豊田裕さん
で、ドイツ語に関しては行ってから、1年半ぐらい語学学校に行って、ちゃんと習うっていう。
それでも全然しゃべれなかったですね、最初の頃。
あさみ
降り立った時のこと覚えてませんか?
豊田裕さん
もちろん覚えてます。
あさみ
どんな感じでしたか?
豊田裕さん
まず、ドイツ語は読めないっていう。
勉強してたけど読めないって思って、出口が読めなかった。
EUに入ると、ウェルカムトゥーEUみたいなのがあって、青い看板に星がEUの数が並んでて、ウェルカムトゥーEUって書いてるんですけど、
遠くに来ちゃったなって思って。
あさみ
どうしようみたいな。
豊田裕さん
もう戻れんなって。
あさみ
ほとんど言葉しゃべれない、読めないみたいな感じから、ワーホリで最初何をやってたんですか?
豊田裕さん
ワーホリは働けるんですよね。
1年間、現地の会社に入ってもいいし、バイトでもいいし、とりあえず働けるっていうビザなので、
知り合いが1人もいないので、言葉もしゃべれない。
とりあえず1ヶ月だけ宿を日本から確保して、そこにいる間に、最初の1週間でバイト先と語学学校と役所関係の手続きを全部バーってやって、
じゃあ行ってみようって。
会わなければ帰ってくればいいやって思ってて、1ヶ月ぐらいで「すんごい会う!」と。
あさみ
そうですか。
豊田裕さん
ものすごく肌に合う。ここにいたいって思って、最初の1ヶ月、2ヶ月でどうやったらビザって伸ばせるのかなってことを考えてました。
あさみ
何が合うんですか?
豊田裕さん
結構考えてたんだけど、わかんないんですよね。感覚的に肌に合うなっていう。
あさみ
面白い。
豊田裕さん
なんか、認めてもらってる感がある。
僕、ベルリンしかちゃんと詳しく知らないんですけど、あなたがやってることを認めますよ、その代わり自分がやってることを認めてねっていう感じを持ってるんですね、感覚というか。
あなたいていい、だから私もいていい、みたいなところがあるので、誰でもいていいっていう空気が心地よかった。
あさみ
たぶんそれはほんと行って体感するものなんでしょうね。
豊田裕さん
どこのにも書いてなかったんです、そんなこと。
あさみ
そうですね、ドイツはこんな国だよみたいにね。
豊田裕さん
書かれてたとしても、たぶんわからないんですよ。
あさみ
面白い、これは体感ですね、経験だ。
18:01
豊田裕さん
行った時期も5月末、6月のはじめだったんで、すごいちょうどいい時期だったんです。
夏がすごく気持ちがよくて、冬が最悪なんですよ、長くて、半年ぐらい暗くて寒いっていう時期が続くんですけど、ちょうどいいときに入れた、最初の3ヶ月入れたので、余計に印象がよかったのかなと。
あさみ
いい環境だなって。
豊田裕さん
いいなって気持ちいいなって。
あさみ
じゃあアルバイトとかしながら食いつなぎつつ、ビザ伸ばしたいなみたいな。
豊田裕さん
ビザ伸ばしたいし、人も知らないからコネクションも広げなきゃいけないし、とはいえドイツ語も英語もしゃべれないから日本人からだって。
あさみ
英語もそんなに?
豊田裕さん
英語もしゃべれんかったですね。
あさみ
勇気ある。
豊田裕さん
たぶんなんも考えてなかった。
あさみ
結構飛び込んだ感じですね。
豊田裕さん
たぶんなんも考えてないですね。
あさみ
じゃあまずは、言葉が通じる日本人いないかなみたいな。
豊田裕さん
そうですね。
最初、ベルリンって首都なので、首都に行けばなんかあるやろうと。
日本と同じに考えて。
行ったらなんもなかったんですよ。仕事もなんもないし。
あさみ
意外と。
豊田裕さん
結構ドイツって地方文献の都市で、産業とかの中心はベルリンっていう首都じゃなくて、ミュンヘンとかフランクフルトにある金融の中心。
ベルリンは政治の中枢なだけで、産業ないくて、あんまりお金もないっていう街だった。
基本的にそんなにお金持ちがいないって言った当時はそういう街だった。今全然違うんですけど。
当然仕事もなかったと。
ドイツ語しゃべれん人間にあるわけがないということで、
じゃあやっぱちゃんとドイツ語しゃべれないとダメだねって思って、そっちに最初降るようにして。
ものすごく難しかったですね。
あさみ
どうやって日本の知り合いとかを増やしてたんですか?
豊田裕さん
最初に手配してた宿っていうところが日本の方が2人で住んでて、
その人から友達のところに行くけど行くって言われて行って、紹介してもらってっていう形で、
だんだんだんだん増やして、語学学校行けばいるので、そこでもちょっと増やして、
バイト先にもいるので、そこからちょっとずつちょっとずつって感じでしたね。
あさみ
お仕事もそういったところから紹介だったりとか。
豊田裕さん
一番最初に行った、紹介してもらった方のパートナーが、
その後ずっと仕事をすることになるレストランのパティシエさんだったっていうのが偶然にもあって、
そういうところとか偶然でっていうのもあったんですけど、
基本的には営業をしてっていう形でした。
21:02
あさみ
でももう期限が迫ってきて、もうビザどうしようみたいになるときが来ますよね。
豊田裕さん
来てましたね。
あさみ
どうしたんですか、それは。
豊田裕さん
バイトを頑張ってしてたっていう感じですかね。
でもどうしようもないんで、しゃべれないし、そんなにしゃべれる、1年でそんなしゃべれるわけがないし、
コネクションがそんなに広げられるわけでもないから、
どうしてたんだろう。
なんとかして食いつないでたっていう記憶しかないですね。
でも最初の4年ぐらい結構しんどかったんですけど、
でもしんどいなっていうのは金銭的に、経済的にしんどいだけで、
それ以外は全くしんどくなかった。
あさみ
むしろ楽しいみたいな。
豊田裕さん
四季が豊かだわって思って。
あさみ
へぇー、そんなんですか。
そこから写真の仕事、ドイツでどうやって広がっていったんですか。
豊田裕さん
最初に会った方が、一番最初に紹介してもらった方のパートナーのパティシェさんっていうのが一番大きかったかな。
その方がベルリンの二つ星のレストランのパティシェさんやってて、
そこの写真をまず最初に撮らせてもらって、
それが行って3週間後ですね。
あさみ
早い、やっぱり早い。
豊田裕さん
それはもう本当に幸運だったんだと思うんですけど。
で、そこはそこで気に入っていただけたんで、その後もずっと最後の年までの仕事をいただいてたんですけど、
それ以外は、それ以外仕事になり始めてたの、たぶん1年後とか、そのぐらいじゃんじゃないかなって思います。
あさみ
なんか営業メールを1300通送ったって言ってましたよね。
豊田裕さん
相当送ったんですけど、ほぼ1%ぐらいしか返ってこない。
あさみ
それでも返ってくるんですね。
豊田裕さん
断りのメールとかで。ほぼ無視で。
1%返ってきても、そのうちの8割9割はお断りするっていう丁寧な方が。
それをずっと分からないんで、とりあえず範囲で打とうって思って。
範囲広く打ってみようって思って最初やってたんですね。
だんだん狭めていって、今もそういうことやってないんですけど、それをやってっていうのをしてました。
たまーに来るのが嬉しかったですね。
たまーに電話が来て「メール見たんだけど、やってくれる?」みたいな。
「うちハンブルクなんだけど」って、えー!出張ー?って。
それでも嬉しかったですね。
あさみ
本当に自力で開拓してったみたいな感じですね。
24:06
豊田裕さん
全体的に人に活かされてたって感じがしますね。
あさみ
知り合いの紹介とかで。
豊田裕さん
助けられまくってて、自分の力じゃ多分ないと思います。
あさみ
どうやってドイツで生きていけるほどになるまでに仕事を安定させてたんですか?
どうやって安定感が出ていったのか、きっかけみたいな。
豊田裕さん
ほんと一歩ずつ積み上げてた感じですよね。
ドイツ語がある程度しゃべれるように、日曜回ぐらいはしゃべれるようになったら、
ちょっとは形を変えられるというか、直接話して営業したりとかもできるようになったんで、
それでちょこちょこやらせてもらうとかもあったような気がするけど、あんまり覚えてない。
あさみ
本当に小さい小さい積み重ねいっぱいみたいな感じで、
大きなこれがあったおかげとかよりも、本当にいっぱいいろんなことがあってみたいな感じですかね。
豊田裕さん
あとは知り合った方がいろんなふうに助けてくださったっていうのもあって、
なんとかなったって感じですね。
あさみ
恵まれていますね。
豊田裕さん
恵まれていましたね、本当に。
あさみ
写真のお仕事って、それこそメニュー表だったり、レストランのホームページの写真撮ってよとか、
そういう感じのお仕事なんですね。
豊田裕さん
そうですね。ウェブが多くて。
ドイツって日本みたいに写真入りのメニューブックがないんですよ。
レストラン行くと文字がどさって書かれてるよ。ポイって渡されて、
それを読み解くというか、今日こんなんなんだ。
で、そこでウェイターさんとかウェイドレスさんと会話をして、
これどういうものなの?みたいなのを聞いて、その会話を楽しむみたいな文化があるので、
まずニーズがないんですよ。
そっか。そもそものニーズがない。
そもそものニーズがないんですが、
2013、4、5ぐらいでインスタグラムっていうのが非常に一般的になってきて、
インスタグラムで発信することがどうもプラスっぽいっていうのが常識になりつつあったので、
そのときにそっち用でとか言う。
あさみ
なるほど。
豊田裕さん
あとウェブサイト用でっていうので。
あさみ
今で言うとSNS運用のお手伝いをしてたみたいな感じになるんでしょうかね。
豊田裕さん
で、ようやくって感じですね。
料理雑誌とかもあるんですけど、まず数がものすごく少ないのと、
2012年に行った段階で、これでいいんかっていうようなものしか、
今は全然そんなことないんですけど、なかったっていうのもあって、
27:00
豊田裕さん
おそらく意識がそんなになかった。
あさみ
日本だとDancyuがあったりとか、イメージ的にいろいろあるなって思いますけど。
豊田裕さん
それを知ってて行ってるから余計に落差があって、
やっぱり国が変わると全然違うんだなと思いました。
あさみ
ニーズがそもそもなかったけど、そういうインターネットとか。
豊田裕さん
だんだん時代的に違う方向からニーズができてきたから、そっち用って感じ。
あさみ
それでどんなところが豊田さんの写真気に入られたんだなみたいな、
自分でこういうとこかなみたいなのあるんですか?
豊田裕さん
僕たぶん、自分自身の写真って結構高級感がある。
写真を撮れるっていうところがあるんですけど、
そういう見た目の美しさっていうのもあるけど、
これもちょっと最近考えたんですけど、結構しゃべるんですよ、撮るときに。
店側の人とか、シェフ側の人とか、どういうのが欲しいのかみたいなのを聞いて、
こういうこと考えてるんだろうなっていうのを頭の中で自分なりに解釈して、
じゃあこういうことでしょっていうのを出していって、
それが気に入られてたのかもしれないな。
言葉できなかったけど、写真っていうのは見せれば理解してくれるじゃないですか。
なので、こういうことを言ってて、こういう料理を出してきてると。
じゃあたぶんこういうふうにやりたいんじゃないのかな、この人は。
じゃあこうでしょっていうのができるようになった?
というかした?っていう感じ。
あさみ
それは喜ばれますよね。
相手のニーズ探って、ピンポイントで、それそれそれみたいなの出されたら、
じゃあまたお願いってなりますよね。
豊田裕さん
なのかなーって仮説、仮説っていうか想像ですけど。
あさみ
他のカメラマンは違う?
豊田裕さん
他の人の現場見たことがないからわからないんですよ。
なので、自分はそうしてたと思うっていう。
あとたぶん、変なアジア人がなんか下手くそなドイツ語をめちゃくちゃ頑張ってしゃべってて、
あさみ
なるほど。
豊田裕さん
なんかしゃべりかけてくると。
それになんかこう、なんですかね、ちっちゃい子が頑張ってるみたいな。
あさみ
ほほえましさみたいな感じの。
豊田裕さん
それもあったんだろうなというのはありますね。
かわいそうとかもあるかもしれないですね。
あさみ
すごいですね。
なんか写真撮るときの苦労とかあるんですか?
なんかソースをかけてる瞬間を撮ったりするじゃないですか。
あれ失敗するともう一回その料理を出し直してもらったりとかあるのかなって思ったんですけど。
30:02
豊田裕さん
失敗は絶対に許されないんで。
失敗しないようにして。
失敗したこともあるんですけど、失敗したら後でなんとか調子に合わせるっていうことをしてましたね。
あさみ
料理のその一番おいしそうな瞬間ってそのときしかないって思うんですよね。
本当にそのかける瞬間とか切った瞬間とかを撮るじゃないですか。
これ怖いなって思いながら見てて、自分がカメラマンだったらって思っちゃいます。
豊田裕さん
何回も一応リハーサルして、このときだったらこのぐらいで撮れる、秒数的にこのぐらいでとか。
あさみ
秒の世界か……!
豊田裕さん
やってっていうことは準備はして、リハーサルもして、その場でもしてみたいなことをやってたけど、それでも失敗するときは失敗するので。
そのときは後でなんとかするっていう形ですね。
あさみ
怖いですね。
豊田裕さん
結構でも東京でその会社でやってるときってもうすぐ撮る。
だれるから料理自体。
だからそれをだれないようにちょっと油塗ったりとか水をかけたりとかそういうのもあったんですけど、
それをできるだけせずにすぐに撮るみたいなのがよかったんですが、
あんまりそういうの気にしてない人がドイツでは多かったなっていう。
だからやっぱりここも美意識とかの違いがあるんだったなと。
あさみ
なんかシェフによってこだわりの違いとかあるものなんですね。
豊田裕さん
みんな違いますね。
あさみ
こういうのにしてくれみたいな。
豊田裕さん
こういうのがいいとか、こういう撮り方のほうがいいとか。
自分はこれがいいと思うんだけど、でもこの人はこれがいいからこうやって見せてあげるとか、
そういうのは多かった。
オーダーメイドができたんでしょうね。
たぶん。
あさみ
なんかやっていくうちにシェフの気持ちとかわかるようになってった感じあるんですか?
豊田裕さん
好みとかわかるかも。
この人はこういうのが好きとか。
あさみ
なんかきっちり撮りたい、高級感というよりも自然な感じがいいなとか好みの違いみたいな。
豊田裕さん
自分自身が飽きだして、こういうふうに撮るのもどうですかみたいなのを出したりとかもするとかもある。
今お話してるのって最初にお話しした12年間ずっと撮ってたレストランさんの話なんですけど、
ずっと撮ってると同じになっちゃうので、
途中でバックグラウンドの背景の紙とか板とかを変えてみたりとか、
それを持っていってこれでやりたいから、これでやってくださいって言って。
あさみ
だんだん提案までいけるように。
豊田裕さん
なかなか変えてくれなかったんですけど、指摘だったんで。
でも言うんならってことでやってくれましたね。
あさみ
積み重ねでお仕事が終わっていった感じですね。
33:02
あさみ
そっからアーティストビザとかに変えていった感じですか?
豊田裕さん
アーティストビザにまずは変えて、アーティストビザって長くて2年しか出ないんで、
それごとに変えて変えてっていう形してたんですけど、
外国人として外国に住むっていうのが初めての経験だったんですよ。
ドイツだったら外国人局っていう、移民局みたいな役所があって、そこに行かなきゃいけないんですね。
ものすごいストレスだったんですよ、ここが。
全員言うと思うんですけど、移民局に行くのが好きな人1人もたぶんいない。
無愛想っていうか、
みんなやっぱり、多分局側の人もいろんな人相手するし、変な人ばっかり来ると思うんですよね。
あさみ
うんざりしてるんでしょうね。
豊田裕さん
なんで、あんまり丁寧に扱われない。
たまーにものすごい神みたいな方がいらっしゃるんですけど、
でもやっぱり行くのがストレスになってたので、
後半は5年かけて、5年間確定申告して、所得税を納めて、税金を納めてっていうことをして、
永住ビザっていうのを申請権が取られるんですね。
で、それにトライして、それトライしたのがちょうどコロナの2020年のときで、
どうもたぶん土作者で取れて、それ以降はもう行かなくて済んでて。
あさみ
じゃあそれまでは苦労があったんですね。
豊田裕さん
もう定期的に嫌になってましたね。
あさみ
帰りたいなんとかもちろんなかったわけですよね。
豊田裕さん
5、6年ぐらいまではなかったんですよ。
で、7年、8年目ぐらいにいつまでおるんかなって逆に思い始めて、
楽しいけどこれどこに行きつくのかなって思って、
考えてたときに10年目ぐらいになったら考えようかなと。
それを霧として帰るとかしたほうがいいのかなとか考えてたらコロナが来て、
物理的に帰れなくなって、それで3年間帰れなかったんですけど。
だから本来はたぶん9年目か10年目ぐらいで帰るっていう決断をしてたかもしれないですね。
この国で老人ホーム入るのかなって。
あさみ
なるほど。
豊田裕さん
骨うずめんのかなって思って、うずめないなって思ったんです。
あさみ
あ、そこで。
それは違うなって?
豊田裕さん
ちょっと違うなって。
言葉がまずやっぱハードルがあったので、言葉そんなに得意じゃないんですよ、外国語が。
で、外国語をしゃべるときに一定のストレスがあったんですね。
36:03
豊田裕さん
頑張らないとしゃべれないっていうのがあって、それ死ぬまで続けるのやだなっていうのがあった。
生活はすごい楽しいし、周りにもいい人たくさんいるけど、人間は弱るものなので、
弱ったときに言語の障壁があるのやだなっていうのが一個の理由ではありますね。
あさみ
ドイツに行ってた期間もいろいろ大変なことが、コロナもありましたけど。
豊田裕さん
コロナもあったし、テロもあったし、戦争もあったし、いろいろありましたよ。
移民の人が押し寄せて社会問題になったりとかいうの。
でもそういうのもちゃんと見れてたのがよかったなって。
新聞とかで、この人たちはこういうふうに考えるんだねとかいうのを見れてたのがよかったかなっていう。
あさみ
なんか日本と全然違う地域がありますね。
豊田裕さん
視点がまったく違うし、考えてることも違うので、
日本にいたら持てなかった視点とか考え方っていうのを、価値観とかをまとめてインストールされたというか、
自然とインストールされたというか、
ジェンダー関係とかもそれはすごい大きいなっていうのはありますね。
あさみ
なんかそれで自分に与えた影響って大きかったものとかありますか?
豊田裕さん
なんか視点が広くなったと思うんですよね。
一方に触れるっていうのがあんまりよくないんだろうなっていうのはわかったかな。
ただドイツも一方に触れてる人いっぱいいるんですけど、
一方に触れた先に出てる態度とか、やってる行動っていうのがこれかっていうのを見れたっていうのがあって、
これはよくないよねって。
極右とか極左っていう人たちがいるんですけど、
どっちも支持はできんわなあこれっていうのを見たりとか。
でもすごい日常茶飯事でやってる国なので、
そういうのを見たりとかして触れる。
この人たちはこういうことを言ってるんだとか。
でもすごく政治的な主張する人もいれば、
例えば自転車乗ってる人の権利をもうちょい拡大しようやつって、
全員が自転車乗って街を練り歩いたりとか、
そういうデモもあったりして。
デモってこういういろんな形があっていいんだとか、
そういうのを見れたし、
いろいろな自由があるんだなという。
自由の形がいろいろあるんだなっていうことを実際に見れたのがよかったかな。
39:04
あさみ
違う国に行ってみようとか考えたりは当時しなかった?
豊田裕さん
あんまり考えなくて、
ドイツにいるんだったらドイツの中をもうちょっとよく見ようって思って、
国外旅行ってほとんどしてなかったんですよ。
ドイツってさっきも言ったように地方文献なので、
もともとちっちゃい国がいっぱいワッて集まって、
一個のドイツって国になってるんですね。
みんなそれぞれに王様がいたんですよ、もともとは。
ちっちゃい国で。
だから全部文化がちょこちょこ違うので、
違う町行くだけでなんかちょっと雰囲気違って楽しいんですよ。
だからそれが楽しくて、
ドイツ国内ばっかり旅行してましたね。
あんまり外に出ておけばよかったなって今になって思うんですけど。
あさみ
せっかく居たし、みたいな。
豊田裕さん
外出たの4カ国ぐらいしかない。
あさみ
それでもドイツだけで十分楽しいみたいな感じなんですね。
豊田裕さん
楽しかった。
スーパー行くの大好きなんですけど、
国内であろうが国外であろうが、
旅行に行ったら必ずそこのスーパーに行く。
長居するっていうことしてるんですけど、
ドイツの場合って地ビールとかが数限りなくあるんですよ。
行ったら必ずスーパー行ってビール売り場行って、
見たことない見たことないこれって言って、
数本買うっていうのがほんと楽しくて。
チーズとかパンとかハムとかでもちょっと形が変わってたりとか、
何なら呼び名も違う国なのでとかあったりして、
そういう違いを見れるのがすごく楽しかった。
日本でそういうことないじゃないですか。
リンゴって言ったら全部リンゴじゃないですか。
そんなこともない。
単語がまず違ったりとか。
あさみ
おもしろいですね。
豊田裕さん
おもしろいなと思って、こんなんないなって。
食はおもしろかったです。
ドイツの料理ってあんまり評判がよくないというか、
パターンがないんですよね。
基本的に茶色いんですよ。
じゃがいもと肉とザワクラウトみたいなものが、
焼いてるか煮てるか揚げてるかの組み合わせの違いみたいな感じなんですよ。
行ったことあります?
あさみ
ドイツは1回ありますね。
豊田裕さん
どちらに?
あさみ
ミュンヘンにも行ったかな。
豊田裕さん
たぶん日本の方が持ってるドイツのイメージって、
ミュンヘンとか南のイメージなんですけど、
真ん中のほうとか北のほうとか東のほうとか、
全然違うんですね。
まず家の木組みとか、家の形からして違ったりとかもあるし、
教会も違うし、
カトリックだったりエヴァンゲリッシュ、
プロテスタントかプロテスタントだったりっていうので違ったりするのがおもしろい。
42:02
あさみ
いやもう十分ですね、そこだけ見ても。
豊田裕さん
それ十分だなって思って、
あちこちあちこちちっちゃい町行って、
ああいいね、きれいだな、やっぱ田舎だよなって思った。
楽しかったですね。
あさみ
いいですね。
お仕事の方面ではスタートアップのお手伝いしたり、レシピ本出されたりとか、
豊田裕さん
あ、今日持ってきましたよ。
あさみ
後でぜひ見せてください。
ドイツ来て3年目ぐらいのインタビューのときに、
いつかレシピ本のお手伝いできたらいいなって書かれてたじゃないですか。
豊田裕さん
したかったんですけど。
あさみ
実現してると思って、それもまた早いと思って。
豊田裕さん
結局仕事として実現しなかったんで、自分で作ったんですよ。
あさみ
そうなんですか。
豊田裕さん
あれは2017年に、
ツイッターをまだやってたときに、
ツイッターがまだツイッターだったときに、
レシピ本作りたいなってつぶやいたんですね、夜。
そしたらドイツにいる日本人の方で、
知らない人たちが、やりたい、やりたいみたいな感じで、
ちょこちょこっとリプをくれて、
6人ぐらいくれたんですよ。
やりましょうって。
あさみ
SNSですね。
豊田裕さん
で、全員全然違う街に住んでたんで、
1月ぐらい後に予定を擦り合わして、
ある人の家に行って合宿をして、
編集やったことがある人、
漫画家さん、イラストを描ける人、
翻訳関係できる人、ホーム関係できる人、
デザイナーみたいな。
あさみ
そろってますね。
豊田裕さん
カメラをやる人、もういいやんと。
あさみ
作れるやんと思う。
豊田裕さん
作れるってことで作って、
テーマとして、
ドイツにある食材、ドイツで買える食材で、
どうやったら日本食って作れるんだろうねっていう。
普通に生活のテーマだったんですよ。
知らん野菜とかいっぱいあって、
これはどうやって食べるんだろう。
大抵ドイツの方はスープにしちゃってるんで、
スープ以外なんかないんかなこれ、
どうやったら食べれるんやろっていうのを考えて、
ずっと長い方とか、
ドイツに在住がずっと長い方に聞いてみると、
意外とこれこういうふうにしたら、
食っぽくなるんだよとかいうのを何個も聞いてたんですよ。
じゃあそれ集めたら、
ドイツにいる日本人だけには価値があるなって。
あさみ
そうですね。
豊田裕さん
あと多分日本食に興味があるドイツ人にも、
価値があるんだろうなと思って、
じゃあ最初に日本語版作って、
うまくいったらドイツ語版作ろうっていうことにして、
46レシピ集めて、
イラストを書いてくださってる方と自分で半分ぐらいに担当して、
45:01
豊田裕さん
うちで料理とスタイリングと撮影を自分でやって、
1ヶ月半ぐらいかけて作りました。
楽しかったです。
あさみ
楽しいでしょうね。
作る作業も好きだったりするんですか?
豊田裕さん
自炊はずっと前からしてた。
あさみ
お料理も好きですよね。
豊田裕さん
大学の時からやってた。
お料理大好きで。
あさみ
インスタ見ても味噌作ってます。
うどんも自分で、ラーメンも売ってますよね。
ポップコーンも自分でやってましたよね。
豊田裕さん
懐かしい。やってた。
あさみ
それも手作りするんだみたいなのをいっぱいされてましたよね。
豊田裕さん
多分海外に出ると、
そこ方向に発達しちゃう人って一定の数いると思うんですよ。
あさみ
そうかも。
豊田裕さん
ないんだ、じゃあ作ろうってなる。
あさみ
ドイツに行ってる方で、
お風呂場で納豆を作り始めた人を知ってます。
なるほど、と思って。
そうなるんですね。
豊田裕さん
なると思います。
納豆も味噌もあったけど、あんまりおいしくないっていう。
あと納豆に至っては高いんで。
あるけど。
2015年近辺から日本食ブームっていうのが来て、
もともと全くなかったんですけど、
日本食材系のスーパーとかも徐々にでき始めて、
今かなりいろいろ手に入るんですよね。
だけど、12年当時とか12年から15年、16年ぐらいまではあんまりなかった。
中国食材とかベトナム食材とかあるんですよ。
その辺はなんとか作れるんですけど、
ちゃんとした和食ってそんな作れんな。
別にちゃんとしてなくていいけど、
家で食べれるような和食作りたいなってなると、
もう自分で作るしかなくて、
じゃあやってみればいいわって思って、
やってみたらできたので、
じゃあこれでいいわって。
あさみ
そのレシピ本はできたと評判はどうだったんですか?
豊田裕さん
なんか良かったみたい。
あさみ
そうなんですね。
豊田裕さん
良かったみたいです。
あさみ
求められてた感じ?
豊田裕さん
なのかなって。
で、今でもなんか1日に1冊ずつぐらい売れてるという。
あさみ
そうですか?
でもすごい。
豊田裕さん
ありがていです。
で、ドイツ語版を出して、
で、日本語版を出してうまくいったんで、
ドイツ語版を出して、
で、ドイツ語版がドイツの方にもちゃんと受け入れられたっぽいので、
5年後ぐらいに続編出したいってことで、
ベジタリアン版、ベジタリアンレシピっていうのを作ろうって作って、
出してっていう形ですね。
あさみ
すごいですね。
ほんとなんか、自分で仕事を作っていく感じ、
なんか生み出してる感じありますね。
豊田裕さん
なんですかね。
48:01
あさみ
あれいいじゃん、あれ作ってみようよみたいな。
豊田裕さん
あるものを使うっていうのと、なければ作るっていうのと。
あさみ
そういう感じでお仕事も順調だったんですか?
豊田裕さん
どうなんでしょうね。
後半は、後半ぐらい、4年目ぐらいを境にして、
普通に生活できるって、
普通になんかお金とか貯められるとか、
思うような状態にはなってきたんですけど、
やっぱそれなりに波はあって、
でもいろんなことさせてもらったかな、
日本の人からの仕事とかもあったりして、
それは楽しかったですね。
あさみ
なんか一番印象に残ってるお仕事とか。
豊田裕さん
スイス行ったことですね。
あさみ
え、依頼があって。
豊田裕さん
スイスのルゼルンっていう湖があるところがあるんですけど、
そこのちょっとまた先に、
ビッツナウっていう、たぶんリゾート地があって、
そこのすごい高級ホテルみたいなところが、
撮ってって。
一泊していいからって。
あさみ
贅沢。
で、けっこう大きく使われました。
それの中の料理写真を撮って。
豊田裕さん
もう撮ってるし、ポートレートとか、
シェフのポートレートとか、
スタッフの写真とかも撮ってって言われて、
あさみ
なるほど。
豊田裕さん
スイス自体がものすごいきれいなんで、
あさみ
いいですね。
豊田裕さん
山ちょっと登れたんですけど、
山に登れる鉄道みたいなのがあって、
それに乗って、どのくらいだろう、
800mぐらいの山だったと思うんですけど、
ものすごいきれいだったんです、それが。
世界ひろーいって。
あさみ
ほんとですね。
豊田裕さん
こんなきれいな景色あんだ。
あさみ
海外で働いてると違う国からも、
仕事依頼が来るって面白いですね。
豊田裕さん
びっくりしましたね。
あさみ
つながってるからな、土地みたいに。
いいですね。
豊田裕さん
そういうこともあったな。
鹿児島の方、
鹿児島の国土城中っていうのが、
ヨーロッパに販路を開きたいからっていうことで、
国土城中の倉本さんが何人か、
7軒か8軒か、みんなでベルリンに来て、
ドイツに来て、
リッツカールトンとかとコラボレーションして、
プロモーションのイベントをしようって、
それを3年続けてたんですね。
その旅に行って、写真撮ったりとか、
ちょっとアテンドしたりとかしてたんですけど、
そのときにちょっと知り合った方が、
鹿児島の方で、
で、鹿児島にその後行って、
で、その後でも、
ああ、鹿児島いいなあ、
51:01
豊田裕さん
こんな綺麗な場所なんだ、
世界広いなあ、
で、その方とは今でもつながってるんで、
来月ぐらいまた行くんで。
あさみ
なんかほんと出会いの幅が広いですね。
豊田裕さん
ほんとに会ってる方が自分を作ったんだと思うんですね。
あさみ
いや、ほんとそうですね。
豊田裕さん
絶対一人じゃ生きていけなかったと思う。
あさみ
逆になんかすごい苦労したこととかありますか?
最初の4年間。
豊田裕さん
でもやっぱ言葉の壁が一番大きいと思いますね。
言葉って、なんかやってって思ったんですけど、
これも多分特質っていうか才能の一つなんだろうな、
得意の人はめちゃくちゃ得意だけど、
得意じゃない人は努力でしかその溝を埋められんやつだな、
そして筋肉と同じで、やめた途端に落ちていく。
今、ドイツ語多分そんなしゃべれなくなってると思います。
あさみ
10年ぐらい住んでたのに。
豊田裕さん
住んでても、読みとか書きはまだ一応できるなっていうのはあるんですけど、
しゃべるっていうのはちょっとまた別のフェーズの能力っぽくて、
しゃべる機会が1秒たりともないので、
福岡だと、日本だと。
それは多分明確に落ちてるんだろうなっていうのは感じます。
街の中で、最近ヨーロッパの方とかの観光客も多いんで、
ドイツ語しゃべってないかなって思って、
あさみ
ちょっとしゃべりたいなみたいな。
豊田裕さん
耳を傍立ててるんですけど、会うんですよ、たまに。
ドイツ語だって思ってしゃべろうと思ったんですけど、なんかけんかしてたんで、
ちょっと近いね。
これ言わんほうがいいかなって思って。
そういうこともあります。
あさみ
言葉の壁ですね。
豊田裕さん
言葉がでかいけど、そこを飛び越えられる人であれば全然やればいいし、
あとは自分から行かないとなんも起こらんなっていうのは感じましたね。
あさみ
でもそれあんまり意識的にやってないというか、
気づいたら自分からやってたみたいな感じに見えます、私からすると。
豊田裕さん
あとやんないと死ぬんで。
あさみ
そうですね。
ハビランスのね、そこは本当に。
もともとそういう特性があるんですかね、自分から。
豊田裕さん
あったんだろうなって振り返って思う感じですね。
最初全然意識ではしてなかったんですけど、
そういう場にポンって置かれたときに、こういうふうに動けるんだって。
全くその意識はなかったんですけど。
先ほどおっしゃっていただいたようにフットワークが、決断が早いとか、
そういうのも全く自分の意識としてはなかったですね。
だからこそこのフリーランスという働き方に自然となっていったのかなみたいな気が。
54:02
豊田裕さん
会社が全く合わなかった。
あさみ
合わなそうって思いましたか。
豊田裕さん
会社が全然合わないわ。
あさみ
会う会社もあるかもしれません。
豊田裕さん
会う会社もあると思うんですよ。
あさみ
でもなんかね、出てきたくなりそうだなって気がします。
なるほどなと思って。
じゃあやっぱり自分でなんかこうやっていくのが好きとかそういう感じなんですかね。
豊田裕さん
なんでしょうね。
ほっといてもなんかやってるし、やりだしたりするところはあるし、
そういう性質というか特質を持ってる感じがあるなって。
あさみ
そうですよね。
豊田裕さん
で、それを自分で気づいてなかったんだなって。
あさみ
無意識にやっちゃってたみたいな感じですよね。
豊田裕さん
たぶんみんな持ってるんだと思うんですよね。
あさみ
みんな気づいてないなんかそういう特質みたいなのを持ってて、
豊田裕さん
ある条件がそろったときに発動するっていう。
あさみ
だと思います。
豊田裕さん
たぶんそういうものなんでしょうね。
あさみ
でもすごくなんかこう運がいいんだろうなっていう感じもします。
豊田裕さん
どうなんですかね。
あさみ
でもそれはもちろん行動も伴ってるけどとかあるけど、
運がいいんだろうなって気が。
なんか持ち前の運の強さみたいなのがありそうっていう感じがしてます。
豊田裕さん
運の強さって言っちゃうと、もう他の人の参考にはならないので、
それ以外で言うと、たぶん普通に自分から動くっていうのがよかったんだろうなって思います。
あと、現地の言葉でしゃべるっていうのもよかったと思います。
英語をみんな通じるけど、英語を絶対に使わずに、
英語でしゃべるって言われても、いや、ドイツ語で言ってくださいって。
あさみ
力強い。
豊田裕さん
しゃべれないですけどね。そこで。
いや、いいです。かたくない。ドイツ語でいいです。
しゃべってくださいっていうことをしてたのもよかったのかもしれない。
わかんないですけど。
あさみ
今後こんな仕事してみたいなとかあるんですか?
豊田裕さん
日本でですか?
あさみ
でもいいです。前そのレシピ本を出したいなみたいな夢があったみたいに、
今度はこんなことをやりたいなみたいな。
豊田裕さん
一応今後はもう日本というか福岡ベースにしようって思っているんですね。
あさみ
なんで福岡に戻ったんですか?
豊田裕さん
実家が置いたで、帰る理由になった一つの理由が、
母と姉が同時に病気とか事故とかで、
そのケアのためにちょっと6週間ぐらい帰る。
本帰国する前に帰ってたんですね。
帰って主婦とか主に夫って書いて主婦やってたりしたんですけど、
今後これが同じようなことがもう一回起こったら絶対無理だわ。
これできんなと思って、
じゃあそろそろこれがしよう時かもなっていう考えたのもあった。
57:03
豊田裕さん
ドイツの服はもう無理かもっていう。
で、その時に置いたら帰ろっかなと思ったんですけど、
置いたらあんま仕事なくて、
じゃあ、置いたに近くて証券が大きいところっていうと福岡だなって。
で、もともと福岡もちょっと住んでみたかったところがあるので、
じゃあ福岡にしようって思って福岡に来たって感じなんですけど、
住んで今1年半ぐらいですけど、
なんか福岡っていうか九州面白いなって。
九州いろんな人がいて、
なんか移住してきた人も地元の人もめちゃくちゃ面白い人多いなということを感じ始めて、
ちょっとできるだけこういう人たちに会いに行ってみようって直接。
で、九州をフィールドにした仕事とか各県とかでできたらいいなっていうのをもんやり考えてはいるんですけど、
それもやっぱりコネクションがないので、
今少しずつ作って、
あさみ
始まってるところですね。
豊田裕さん
で、実際に会いに行くっていうのを加えてるんですね。
インスタとかでフォローするんじゃなくて、
アポとって、ちょっと1回お話聞かせてくださいって言って会いに行って、
っていうことをやっていこうかなと。
今とりあえず熊本と鹿児島でやろうかなと思って、
熊本こないだ行って1人お会いして、そこからまたさらに紹介してもらって、
こないだ1人さらに会ってっていうことしてて、
で、実際に会うほうが多分重要なんだろうなって、時間かかるけど、
時間かかるし、なんだろう、すごい、
言い方あれですけど効率そんなに良くないんですが、
確実性は高いかなって。
あさみ
寄せたいと思います。
豊田裕さん
なので、とりあえず福岡もそんなにコネクションがない状態で入ってきてるから、
コネクションを作んないといけない。また最初から同じことなんですね。
あさみ
同じことのドイツと一緒ですね。
豊田裕さん
コネクション作んなきゃいけないのと、あと仕事も増やさなきゃいけないなっていうのもあって、
シチュエーションが変わっただけでやること同じだから、
あさみ
ほんとですね。
豊田裕さん
で、この国のでも一番の違いは言葉が普通に通じる。
あさみ
あー確かに。ネイティブでしゃべれる。
豊田裕さん
そう。なので、じゃあもう実際会いに行って深くしゃべれるよなと思って、
で、ちょっと会いに行こうキャンペーンを今始めてます。
あさみ
会いに行こうキャンペーン。
例えばでもしお名前言えたらですけど、なんかこう、あれだったら飲食系とかそういうの関係なくですか?
豊田裕さん
もう飲食とか関係なく、デザイナーさんとかデザイナー事務所の方とか、
あとディレクターとかディレクションやってる方とか、
そういう方、ちょこちょこ知り合いができてきて、
その方たちにお話しして、じゃあこういう人会ってみたらっていうのを教えてもらって、
1:00:02
豊田裕さん
わらしべ長者みたいな感じで辿っていくっていう形でやってまして、
で、そういう広告業界の人たちとかが集うイベントとかもたまにあったりするので、
そこに行って、こういう人たちがいる。
まずどういう人たちがいるかもわかってないから、
こういう人たちがいるんだねっていうのを知ってっていう、
そういうイベントでこの間高山活版社さんに会って行ったんですね。
そうですよね。高山活版社さん、でもなんか印刷の仕事とかも一緒にできたらいいなみたいな。
印刷すげえ面白いんだなって思ったりもしました。
あさみ
じゃあ何につながるかわからないけど、今絶賛人脈広げ中みたいな感じですね。
豊田裕さん
そうなんですよね。で、実際に会いに行くっていう。
で、結構会ってくれるなって思って。
みんな優しいって思って。
あさみ
ドイツとはちょっと違う。
豊田裕さん
ドイツとはちょっと違うかもしれないけど。
あさみ
1300通のあれとは違うかもしれない。
豊田裕さん
でも、会ってくれるんだって思ってびっくりしてました。
こんな知らん人に。
あさみ
でもみんな同じようなやり方をしてたから気持ちがわかるとかなんかあるんでしょうかね。
豊田裕さん
なんか直接そのお店とかに営業するよりも、
どこで仕事が生まれてるかっていうのを見て見つけて、
そこに話をした方がいいよっていうことも言われたんで、
そこもやっぱりちょっと違うんだなって。
で、やっぱりさっき言ったように各県本当に面白い人たちばっかりなので、
そういう人たちに一人でも多く会って話聞きたいなっていう。
あさみ
配信してほしいですね。
豊田裕さん
配信。
僕あれなんですよ。
録音されて自分の声聞くの本当に嫌いなんですよ。
あさみ
同じくですよ。
豊田裕さん
本当ですか?
あさみ
私も編集超苦痛です。
豊田裕さん
僕、この本屋聞かないと思うんですよ。
文字起こしで読んでると思う。
あさみ
なるほど。
豊田裕さん
ずっと。
あさみ
なるほど。
豊田裕さん
なんかその、録音された自分の声聞くぐらいだったら裸で外走り回るほうがいい。
あさみ
そっちのほうがつかまるリスクありそうですけど。
豊田裕さん
リスクあるけど。
あさみ
そっちのほうがましなくらい嫌だですね。
豊田裕さん
ましなくらいそんなに苦手なんですよ。
そうだね。
なんで配信しないです。
あさみ
分かりました。
豊田裕さん
文章では書くかもしれないです。
あさみ
ぜひなんか発信してほしいですね。
じゃあほんと九州で今度はいろいろやっていくかもしれないというか。
豊田裕さん
やりたい。
あさみ
どんな仕事になるかはこれからっていう感じですかね。
豊田裕さん
大都市圏に出ることができなくなって、東京とか大阪に行けない病にかかってしまって。
なんで東京離れたかっていうのはもう嫌になったからっていうのはあるんですよ。
満員電車とかが。
あさみ
分かります。
豊田裕さん
東京いらっしゃったんですね。
あさみ
東京です。
1:03:00
豊田裕さん
今でももう無理、東京とか大阪住めないってなってます。
あさみ
同じくです。
豊田裕さん
たまに行くとうううってなって。
あさみ
なりますね。
なんか九州のほんとにその個性がね、それぞれの木にあったりするし、面白いですね。
豊田裕さん
面白いと思いますよ。
だから九州自体もそんなに知らないし、なんなら大分のこともそんな知らないなと思って。
ちょっと本とか読んだほうがいいなと思ってます。
あさみ
でもやっぱり仕事としては自分はカメラマンというかね、写真を撮る人だから、写真を通したお仕事っていう感じですかね。
豊田裕さん
でもいいし、そうじゃなくてもいいかなって。
なんか自分が持ってる能力で人の役に立つみたいなことが。
テーマっていうか、たぶん自分が生きる理由の一つなんじゃろうなと思ってて。
じゃあカメラじゃなくてもいいねっていう。
別の形であってもいいかなと思います。
あさみ
写真にとらわれずなんですね。
豊田裕さん
たぶんこれって写真撮るのって体力のいる仕事なんで、いつかできなくなる。
あさみ
そうなんですか。
豊田裕さん
現場に出るってやっぱ機材とか担いでガンダムみたいになってる状態でどっかに行くって、いずれできなくなるので、
じゃあ別のことでできることを考えてやっといたほうがいいなとは考えております。
それがなんなのかまだわかってないけど、自分ができることの中でそれを考えるかなっていう。
あさみ
きっと自然にいろんな人と会っていくうちに見つかってくるんでしょうね。
豊田裕さん
たぶんそうなんだと思うんですけど。
あさみ
自然にっていう感じで。
豊田裕さん
たぶん。
あさみ
最後にリスナーさんへのメッセージとかあったらいただきたいなと思っているんですけど。
豊田裕さん
特にない。
あさみ
特にない。
豊田裕さん
こういう例があったよっていうことで、これをそういうことあるんだって思うんだったらそれでいいかなって思うし、
へえって、合わないな自分にはって思えばそれでいいと思うし、
こういう一例がありましたという。
サンプルのひとつとして。
受け止めていただければ幸いです。
あさみ
ありがとうございます。
豊田裕さん
これでいいんですかね。
あさみ
すごく面白かったです。
ありがとうございます。
01:06:07

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