アートカフェ・ブルーテラスへようこそ
ここは、八ヶ岳三陸のアートカフェ・ブルーテラス。
今日も、マスター夫婦とゲストの皆さんが、アートと音楽に包まれ、何やらワイワイ楽しそうに盛り上がっていますよ。
この番組は、大きな暮らしができる小さな家。
小沢スタンダード株式会社小沢建築工房の提供でお送りします。
皆さん、こんにちは。ブルーテラスマスターの伊藤です。
今週も、美術の話で一時をともにお過ごしください。
改めまして、こんにちは。
こんにちは。
9月になりました。
なりましたね。
早いですね。
早いですね。
モディリアーニとその妻ジャンヌ・エビュテルヌ
今週も、松浦さん、あやちゃん、フロールさん、よろしくお願いします。
お願いします。
お懲りずに3週目で、ディヴィアンシリーズです。
いや、だんだん面白くなっている。
そんなに作品としてよりも、本人たちの生き様というか、そっちを掘り下げて、作品については、面があるなしとか、そんな話で盛り上がってますよね。
でも、ぜひこれをベースにして、もうちょっと見てやってください。見てやってくださいって言うんですけどね。見るとまた見方が変わるかもしれない。
日本にも作品はたくさんあるんですか。
そうですよね。
さあ、それでね、第1回はね、モンパルナスの映画です。映画について。
そして、モディリアニの娘のジャンヌ・モディリアニが、伝説なきモディリアニという本を出したという話でした。
第2回はモディリアニの肖像画に描かれた、瞳がない、瞳があるという話について、ちょっと触れていきました。
そして、第3回はですね、それぞれの話題なんだけど、ちょっと時間をですね、どんなふうに出会って、そしてどんなことが起きて、亡くなったらどうなったかというところで触れていきたいなと思います。
運命的な出会いと障害
まず出会いはね、21歳の時にモディリアニはパリに来るわけですけども、ジャンヌと出会ったのは1917年。
ずいぶん時間が経っています。美術学校ですね。そこにジャンヌ・エビテルムというお母さんのジャンヌが通っているわけです。
モディリアニはすでにイタリアで美術教育を受けていますから、パリに行ってその学校に時々出入りしていたということです。
映画の中にもね、そんな出入りする場面があってね。
そうするとそこの学校の先生が、来い来いって言って、そこに座れって言ってね、モディリアニを本当に呼び入れて絵を描くというような、そんなような場面があって、そこで実際に2人が出会うような場面もあったんですけど。
実際に亡くなったのが1920年ですから、3年間の間にジャンヌ・モディリアニも生まれて、1歳3ヶ月の時に父親と母親が亡くなるということなんですけども、
その中で、まずモディリアニが32歳です、出会った時にね。
ジャンヌ・エビテルヌが19歳。
さっきも言ったようにパリで10年以上活動していた画家で、でもなかなか売れなかった。
生活も大変だったわけですね。
そうすると年上の女性から、なかなかいい男なので、いろいろ生活の面倒を見てもらう、恋人のような存在でいたわけですけど、
ここで出会うことによって2人が急速に近づく。
映画の中にも出た言葉がね、「君と出会った時から僕の人生が始まったんだ。」
3年間の人生ですね、その先。
そういうセリフにやっぱ弱いんですかね、言われたら。
どうでしょうか。
ちょっと歯が打ってきちゃう。
言ったことないんですか?
言ったことない。
赤ちゃん言われたことある?
ないな。
じゃあ今度松浦さんの奥さんに会ったら聞いてみよう。
まあまあそれはともかく。
まず年齢差が14歳なんですよ。
モデリアにはイタリア出身の売れない画家ですよね。仕事もない。
母親のジャンヌの方は会計士の娘です。
ですから経済的に豊かなんですよ。
あと宗教の関係もありますね。
モデリアにはユダヤ。
宗教というか人種ですね。
ですからユダヤ教。
ジャンヌの方はカトリックです。
当然人種的なことや宗教的なことにおいても、
特にジャンヌの両親は反対するわけです。
ましてや19歳でね。
そういう反対するからされるとやっぱり盛り上がるとよく言いますよね。
療養生活とジャンヌの決断
なんか松浦さん渋い顔してますね。
いやいや確かにそうでしょうね。
両親も困ったんじゃないですか。
そうですよね。だからしばらくは外へ出ないように娘を閉じ込めてた。
なんていうところも映画の中ではよくあります。
実際に閉じ込められていて、
その間にモデリアには体調を崩してニースに行って、
そこで療養生活をするという生活が始まります。
そこに今度はジャンヌが抜け出して、
そしてニースに行ってそこで生活を始めるという。
家でですね。
体調が崩したというのはお酒というよりも血格ですよね。
血格を患っていたということもあるので、そこで療養する。
でもその時に療養する費用とか援助したのは、
それを彼を支えている画賞であり、
また何人かいる女性たちが彼を助けるということで。
なるほど。じゃあ一応そういう人徳があったんですね。
あるんでしょうね。
いろんな人から子供を助けられるね。
でも娘を持つ両親からすると、
本当に血格は病んでいる、貧乏画家、恋人はたくさんいるなんて、
自分の子供の結婚相手としては絶対にあり得ないと思うのは、
すごく真っ当な。
でもそれゆえに多分こういう相手を追ってニースに行っちゃったという結果となって、
最後、結婚生活3年ですか?終わっちゃったという。
悲劇的な結末と娘の誕生
しかも悲劇ですよね。両方とも亡くなっちゃうという。
実際にあったことなんだけど、ドラマの要素全部あるよね。
そうですね。
ファンサム、女性も若くて綺麗、そして貧富の差。
小説というか映画の題材そのものじゃないですか。
本当にすごい。
最後は悲劇。そして亡くなった後に画家は売れ始める。
売れ始めるという。そういうことなんです。
そこに娘のジャンヌ・モデリアーニが生まれるわけです。
1歳で親を亡くすということなんだけど、
でもその時には全く当然1歳だから、これから始まる自分の人生なんていうのは考えられないわけですけど、
全く父親と母親の記憶もなく、母と父は亡くなり、娘は1人イタリアに引き取られ、
それぞれのまた新しい時間が過ぎていくわけです。
死因としては、モデリアーニは血核性髄膜炎ということなんですね。
ジャンヌ・エビテルンは2人目の子供を妊娠していて、飛び降りて自殺してしまった。
だからここの辺のところもお腹に子供がいるんだから、なぜそんなことをしたんだろうかっていうね、
その辺のところもちょっとわからないなっていうところもあります。
埋葬と10年後の和解
でも幽閉されてたんですよね、両親から。
確かに事件が亡くなったと聞いて、すぐ親が連れて行って幽閉してたっていう。
でも親にしてみれば最悪の状況ですよね。
守るために幽閉したんだけど、そのことが今度死に繋がっちゃう。
彼女を追い詰めちゃったってことですよね。
そうしたらこの2人ですけどね、当然亡くなるわけですから埋葬されますね。
その時にやはりジャンヌの両親は結婚するということを全く認めないわけです。
ですからパリ郊外の墓地に埋葬します。
モデリアには友人たちがパリにある墓地に埋葬します。
だから全く違うところに埋葬されるということになる。
とは言いながら10年後に一緒にモデリアに埋葬されている墓地にジャンヌも埋葬されるということになるんですけど、
これはモデリアのイタリアに住んでいるお兄さんがエビテルの家と話し合いをして、
そして埋葬するということを交渉して承諾を得たそうです。
承諾。
これがお墓です。
ご両親も年をとって少し丸くなったんですかね。
もう少し冷静になった。
10年という時間の経過の中で諦めとかきっとあったんでしょうね。
そこまで思いを断ち切るまでの期間が。
モデリアにも絵が売れて有名になって、結局すごい人だったんだって。両親も。
評価っていうのが一つでね。
墓碑銘と娘のルーツへの探求
世間の評価。
売れない画家ではなくて、それが評価されて有名な画家であったと。
やっぱりそこに何か救いがあったのかなって。
自分の娘も見る目があったんだって。
実はと。
そんなことで。
そこにお兄さんの交渉がうまくいったことなんでしょうね。
これお墓の写真ですかね。
そうです。
D.A.の方には栄光に達しようとした時に死によって倒れる。
ジャンの方に究極の犠牲まで貢献した伴侶という言葉が刻まれているという。
美しい言葉ですね。
やっとそこで初めて娘のジャンのモデリアには両親が別々に埋葬されて一緒になったんだ。
そこで両親の存在というのを強く意識したのではないかということなんですね。
10歳、11歳くらいの時に。
そうですね。
でもきっと11歳なりに理不尽さを感じていたんでしょうね。
何でなのって周りに対する理不尽さ。
その部分が実はイタリアで暮らしているので、またパリで暮らしていると。
ましてや母親の方の家で育っていたとしたらまた違う感情が生まれたと。
イタリアにいたということがまたちょっと違ってくるのかな。
でも母親の方にお腹に赤ちゃんがいたということは両家でそれぞれが子供を半分という言い方も変ですけれども
上の子はお父さんの実家で、下の子はお母さんの方で面倒を見るよというつもりがあったのかもしれない。
亡くなる前にね。
母親がね。
それで引き取った。
お父さんの方で自分の息子の忘れがたみだから手元に置いておきたい。
お母さんの方の母親の方はまだお腹の中にいるんだったらこっちの子はこっちで引き取るよという。
なるほどね。それもドラマに。
そこまではまだ冷静にはなれなかったはずですよ。
まだそれに反対でとんでもないことが起きちゃったというところで次の日に亡くなっちゃうわけだから。
次の日に?
あ、幽閉されていた。
幽閉されていたのが次の日に亡くなっちゃったということは。
だからお腹にいた子も一緒に亡くなるわけだから。
お母さんが亡くなるからね。
もし生まれていたらそういうことが起きたかもしれない。
でもその心つもりがあったのかもしれない。生まれたらそういうことを前提に。
そんなこともいろいろあります。
さあ、後半もう少しその辺について触れていきたいなと思います。
10歳の記憶と親の姿
それではフロラさん、今日の音楽をお願いします。
本日の曲はミシナ・サチさんの同国です。
今の曲はミシナ・サチさんの同国でした。
母中から一緒の墓地に埋葬されたという話をしてきました。
その時の周りの人がどんな思いであったのかということも
いろいろ考えてきたわけですけれども。
10歳の頃って皆さん覚えてます?
覚えてますよ。
強く覚えてますよ。
10歳の頃はもう記憶がありますね。
だいたい何回かっていうね。
でも人生の中でずっと例えば親がいるんだけど
その親が一体どんな仕事をしていたかということはわからないよね。
えっ?
私たちがですか?
働いてはいる。
だけどどんな思いでどんな仕事をしていたか
社会的にどんなことをしているかということは
なかなかそこのところは働いているし
お父さんが働いている、お母さんが働いているということはあるんだろうけど。
そうですね。
当時の見え方と大人になってから感じるところはちょっと違うかもしれないですね。
10歳がどんどん広がっていく中で
10歳のいろいろなものっていうのは自分の周りが広がっていくということだから
背景として親っていうのがいるってこともあるんだけど。
だから親も家を出れば別の顔でいるっていうかね。
先生も学校で教えてるけど
家に帰ったら別の顔でいる。
そういうのをなんとなく感じ始めるところですね。
ところがジャム・モディリアーニは11歳の頃は
娘ジャンヌの探求心
父親が有名になっているわけなんですよ。
いないんだけど、モディリアーニのお嬢さんだねっていう
そういうものが一つある。
しかも有名だというか、素晴らしい天才画家の。
素晴らしい天才画家まではそうなんだけど
酒に麻薬に女性に貧困
破綻した生活だったんだよね。
天才で早く亡くなったんだよねっていうのもついてくるわけですよ。
10歳10歳ぐらいからずっとそういうものを色々聞きながら
そして自分も美術の勉強をする。
画家というよりも美術師の研究をしていくわけですね。
嫌いになっちゃいそうですけどね。周りからの。
でも自分のルーツっていったら何なのかっていうことを
知りたいっていう思いっていうのが
娘のジャンルの中には強くあったと思う。
あと絵を見ても変な人が描いた絵とは見えないです。
僕は結構好きなんですけど見えない。
みんなのびのびとしていいじゃないですか。
だからそんな世間で言われてるけど
そんな人がこんな絵描けないだろうって思ったんじゃないですかね。
なんかもっと純粋なものがピュアなものがあったに違いないって。
彼の絵は今我々は100年以上経って見てるわけですよ。
だけど当時の彼の絵は最先端なんですよ。
未だかつて描いたこと何も描いてない。
いろんな絵が生まれてくるんだけど
そういう中で評価を受けてきている。
そしてそこについてくるのは
いろいろな伝説というか噂のようなもの。
でも本当は何なのかという
その辺のところを調べていきたいということが
娘のジャンルの人生の始まりというか
目的になってくるわけなんですね。
どんな人だったのか。本当にそんな人だったんだろうか。
知りたかったんでしょうね。
だからそれは自分自身に出会うためにも
これは調べていきたい。
たぶん自分のルーツですよね。
周りの評価に追従するというよりも
それを真に受けるのではなく
そこに疑問を持つっていう
本当にそうなのかっていう
そのことがすごく彼女の人生において大きな意味があったというのと
子供の頃から意識はしていないんだけれども
客観性と多面性
なんでお父さんとお母さんが一瞬のお墓に今ここでなったんだ
ということと
それだけ父親に対して思いを持てるというのは
彼女がちゃんと育ってきた証。
それは経済的裕福さとか
周りにいる人間の背景とかあると思うんですけど
そうですね。
モデリアニの母親というのは非常に知識のある人で
モデリアニに相当いわゆる哲学的な思考であるとか
そういうものも育っていた。
命の母さんになったかと。
いや、モデリアニのお母さん。
モデリアニのお母さんが育てのお母さんになった。
ですからそういう影響もあると思う。
例えば全く違う人がこういうモデリアニという学科がいる。
じゃあそれを調べてみようといって調べていくのと
自分のルーツでもある父親がどんな人だったのかというと
取り組み方とか関わり方が違ってくるんじゃないですか。
しかも世間の評価と実際に自分が聞く父親像って多分違うんじゃないかと。
例えばモデリアニの若い頃とか子供の頃とか
それを知っている人がそばにいるわけじゃないですか。
要はおばあちゃんという一族。
その人たちから聞く本来の姿とあまりにも乖離していると
本当にそうなのっていうのと
そういう世間に対しての怒りとかきっといろいろあったんじゃないか。
そうだよね。だからこそはっきりさせたい。
自分で調べたい。
それが1958年の映画モンパルナスの日で
世界的にはどんどん広がっていく悲劇の天才モデリアニ。
その背景には酒と麻薬とか女性とかというような貧困であるとか
そういう姿というのはそうじゃないんだ。
本当の姿をというような。
それを発表したいということで
本当にある時を同じくして発表された。
でも多分彼の母親もそう思ったでしょうね。
本来の息子はこんなんじゃないんだって。
その部分ってすごく大きいなと思うんですよ。
そうですね。
ですからそういう点では
ただ時にはこうだからということで
客観性を失っている部分もあるというふうには指摘されています。
現代の研究においてはね。
娘だからこそついついこうじゃない。
感情が入りますよね。身内として。
こうなってほしいというのがざっとなったり。
ですからその辺のところはもう少し客観的に見る必要があるんじゃないかというような
修正も加えられている。
タイムマシン作って過去に戻るしかない。
どの立ち位置かでその人を見るかその人と接するかというのはわからないですよね。
今見ている松浦さんが私たちにとって真実の松浦さんで
うちに書いている松浦さんは知らないから。
それはやっぱり人間はそれぞれ多面性を持っていますからね。
でもやっぱり絵を見る限りね。
やっぱり僕はそんなはちゃめちゃな人じゃないというふうに思いたい。
松浦さん、例えばゴッホとかいろんな人の作品の中にモデリーアーティストの目がない絵があると
モディリアーニの絵と今後の展望
でも目がある方の顔はすごくあったかくてね。
なんか僕好きですよ。
中学生の絵とかおっしゃって。
すごく伸び伸びしててね。
一つ言う。中学生の絵をバカにしてはいけません。
そうですね。
ラジオ3回にわたっていろいろ語ってきました。
実はもう一回やらせてください。
ぜひぜひ。
絵が見なきゃ。
ぜひラジオ機能の皆さんもモンパルランスとDVDもありますし
ひょっとしたらどこかで見れるかもしれないので
ぜひ見る機会があったら見ていただければと思います。
では4回目。
飽きずにお付き合いください。
リアミューストの心の中にある。
次回もアートをめぐるひとときをご一緒に。
マスターの伊藤でした。
この番組は大きな暮らしができる小さな家。
小沢スタンダード株式会社小沢建築工房の提供でお送りしました。