「大げさ」とは何か?
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。 まずは、おめでとうございます。
ということで今回は、大げさという話をしていきます。 はい、大げさですね。
コミュニケーションにおいて、大げさというのは、大げさに話をしたり、大げさな振る舞いをしたり、
取るに足らないことを拡大解釈して、通常よりも誇張して話すとか、行動すると、そういうことですよね。
大したことがないのに、まるで大事かのように振る舞う人。 別にこのような振る舞いが悪いとダメだと言っているわけじゃなくて、こういう人もいるということですよね。
それがもしかしたらあなたなのかもしれないし、あなたの周りの人なのかもしれない。
ですからこれもまた双方からの見方というところで、大げさである人と大げさだなと思う人、それぞれの考え方ですよね。
大げさに話す人の2つのパターン
それでまず大げさに話をしたり行動したりする人ですね。 これは2つのパターンが考えられます。
1つは、自分自身は大げさだと思っていない、通常の振る舞いをしている、このように思っていると。
もう一方は、あえて大事のように感じてほしいから、自分が思っているよりも、自分というのはその大げさに振る舞っている人ですね。
自分自身が思っているよりも拡大して相手に伝えようとしている。 それは相手にわかってほしいからということ。
あなたが思っているよりこれは大きなことなんですよ、というようなことを伝えるためにあえて大げさに対応すると。
この2つですね。
比重としては、自分自身で気づいていないパターンの方が多いんじゃないかなと思います。
というのも、あえて大げさに相手に伝えることによって、相手にわかってほしいというように伝えたい、その程度ではないんですよと。
あなたがしていること、もしくは起こった現象というものは非常に大きなことなんです。
それはわかっていないようですから、あえて大げさに言いますよというね。
そうしたことを考えた上で話をできる人というのは、相対的に見れば数は少ないですね。
さらにはそうした人というのは、その場面だけ切り抜かずとも、それまでの行動というか、その人自身を見ていれば、今あえてやっているんだなということがわかるような人でもあります。
いわゆる人格者の部類に入る人ですね。
考えて発言をできるということです。
別にこうした人が偉いとか言っているわけじゃなくてね。
いちいち言っておかないとね、偉い偉くないとか良い悪いというのは勘違いしやすいですから言いますけれども、別に偉いとかそういうことではなくて、全体的に見れば数は少ないと。
聞き手側の対応:見極めと受け入れ
もう一方で、この人大げさだなと思うようなことがある場合に、これは先ほどのどちらのパターンであるかというのを見極める必要があります。
あなたが仮に誰かから話を受けたとして、すごい大げさに言っているのはこの人、というようなその大げさに言っている人がどのような人なのか、どのような姿勢で話をしてきているのか。
この人は今自分に分からせようとしているために、悟そうとしているために、あえて大げさにことを言っているんだなと、大したことじゃないと自分は思っているけれども、もしかしたら自分自身が思っている以上に大きなことなのかもしれない。
このパターンであれば、それは素直に受け入れた方がいいですね。
それは言っている相手としては、その人はできた人ですから、隠された上限といいますか、そうしたアドバイスというものは素直に受け入れた方がいいです。
考えをブラッシュアップするというか、そういう考え方もあるんだなと、これは思っていたよりも大げさなんだなというふうに受け入れた方がいいですね。
厄介なのがもう一方の場合、厄介というのは受ける側が厄介だと思う場合ですね。
別に話している側としては気にする人もないんですけれども、この人デフォルト側大げさだなと、そういう人。
これも別にその相手に対してあなたちょっと大げさですから、もうちょっと冷静に話した方がいいですよとか、そういうことを言う必要は全くなくて、それも争いになりますので言う必要はないんですけれども、
大切なのはそれの受け止め方、こうしたパターンがある、大げさに言う人は2つのパターンがあるということを意識をしておかないと、
意図せず感化されてしまうことがあるんですね。流されてしまうということです。別にあえて言っているような人でもない、
普段からデフォルト側大げさな人からなんやかんやという話を受けて、ああそれはそうなのかもしれないというふうにですね、
感情が流されてしまう。自分の内から出た意思ではなくて、その人大げさ、まあ大したことないけれども大げさに言っている人のその意見をそのまま取り込んで、
受け入れてしまうことですね。ここは気をつけておかないと、大したことないことを大したことがあるというような考え方にどんどん変遷していってしまいます。
まあとすると何が起こるかといったら、常にパニック状態みたいな、まあそういう性格へとですね、こうなっていってしまう。
何が問題かもわからないまま、何かが問題であるというように、
怯えながら生活をするという、自発的に起こった感情でもないのにもかかわらず、そうなっていってしまう。
本来大げさであるというようなその感覚は、その自分自身の軸を持っておいて、それで判断すればいいことなんですけれども、
何も考えずにデフォルト側大げさな人からの話を受けていると、その人と同じようになってしまう。
多くの人が、いや別に大したことないことだよというふうに思っていることであっても、いやこれは大事なんですというふうに勘違いをしてしまうんですね。
まあそうなっていってしまうということですね。
大げさの捉え方と相互理解
これは話す側も聞く側もそうですけれども、大げさということはその個人個人が思うことであって、
仮に自分が大げさだと思ったとしても相手はそうは思っていないかもしれない。
その逆もしかり、先ほどのあえて大げさに言うという人の話もありましたけれども、
自分は大げさではないと思っている。けれども実は大事であったというような、そういうケースもあるわけです。
ですから意識をしておきたいのは、大げさに言う人とそれを聞く人がいて、大げさに言う人は2つのパターンがある。
この双方からの考え方、もしくはパターン分けしたところから見ていって、それが真であるのかどうか、本当であるのかどうかというところを
見極めていきましょうということですね。
意図的な大げさの価値と注意点
つまり何が言いたいのかというと、大げさ。
大げさというのはコミュニケーションにおいて、取りに足らないことを大事かのように言う人、もしくはそれを聞く人、この双方がいますと。
それで大げさに言う人のパターン、それは2つパターンがあって、1つはデフォルトが大げさな人、常に大げさな人。
もう一方は、あえて大げさに言う人。
聞く側というのは、それがどちらのパターンで話をしている人なのかということを見極めるということ。
それはなぜなのかといったら、常に大げさである人の話は聞き続ければ続けるほど、その人の考え方に感化をされていってしまう可能性がある。
流されてしまう可能性がある。
これが感化されすぎてしまうと、常に慌てている人、ちょっとしたことでも大げさに振る舞って、大変だ、大変だと言うようになっていくと、
周囲の目も去ることながら、自分自身が生活しづらくなってしまいますよね。
これが行き過ぎると不安障害とか、そういうところが発展していってしまう。
ちょっと何かが起こっただけで、これは大変だと。
それはどこが一番大変ですかと言ったら、その人の心が一番大変ですよということになりますので、これは気をつけておきましょう。感化されないようにということですね。
もう一方の、あえて大げさに言う人。
これはひょっとすると、話を聞く側の人の意識としては大したことがないと思っていることであったとしても、
いやそれは実は大変なことなんですよと、あなたが思っている以上におごとなんです。
肝に銘じておいてくださいということですね。伝えたいがためにあえて言っている可能性がある。
これはその言っている人がどちらのパターンで言っているのかと見極めた上ですけれども、なるべく受け入れた方がいいですね、その考え方は。
というのも、あえてそのような話ができる人というのは、いわゆる人格者の一端である可能性が高いので、
この人はあえて今自分に悟すように伝えるように言ってくれているんだと思うことがあれば、それは素直に受け入れましょうということですね。
重要なのは、話す時も聞く時も、自分自身は大げさで思う、もしくは大げさだとは思わないことであっても、相手の考え方は違うかもしれないという、当たり前のことですけどね。
お互い考えていることが違うから、大げさである大げさでないというような、そういう考え方が発生するというのは自然ですから。
これを考えの一つとして持っておくということですね。
はい。 ありがとうございました。