2026-03-09 08:25

100%被害者

あくまでコミュニケーションに関してですが、被害も加害もあるけどないです。どういう考え方で生きていきたいですか?という話です。


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サマリー

コミュニケーションにおいて、100%被害者という状況は客観的にはそう見えることもありますが、根本をたどると存在しないという考え方について解説しています。相手のせいにしても何も変わらず自分が苦しむだけなので、たとえ相手に非があるように見えても、自分にも改善できる点があるかもしれないと考えることが、自分自身を守り、建設的な関係を築く上で重要だと述べています。

「100%被害者」という状況の考察
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。 まずは、おめでとうございます。
ということで今回は、100%被害者という話をしていきます。 はい、100%被害者ですね。
コミュニケーションにおいて、人間関係において、 100%被害者であるというような状況は起こり得るでしょうか、というようなことですね。
あくまでコミュニケーションで言うとというところで、 停車している車と動いている車で事故をしたら、それは当然、動いていない車は100%被害者ですし、
何か大切な人に被害が及んだ時とか、そういうセンシティブな、そういったことはこの内容には含まないですね。
あくまで誰かと誰かがコミュニケーションをとっている、 会話をしていたり動いていたりするときに、
どちらかが100%被害者であるというようなこと、 これがあるでしょうか、ということなんですけれども、
結論から言えば、100%被害者は事実としてはそう見えることもある、 一方で根本をたどるとない、ということなんですね。
「100%被害者」と考えた場合の問題点
どういうよりかは、そのように考えた方があなた自身のためになります。
あなたが誰かとコミュニケーションをとっていて、 あの人のせいだとか、この人のせいだというような、
そういうことで日常を送っていれば、当然私もそういうことを全く思わないといえば、 そんなことはないので、思うときもあります。
そういう状況ってあるじゃないですか。 これこれこうしてと言われたことをやって、うまいこといかなかった、これは言ってきたあの人のせいだとか、
あなたが誰かに、明日こうしてというふうに言ってやらなかった、 それはあの人のせいだ。
こういう指示を出すとか出さないとか、そういうケースに関わらず、 自分は悪くなくて、相手が悪い。
加害者は向こうであって、自分は被害者なんであるというね、 そういうことをこう思ってしまう。
これはもしかしたら、その客観的な事実を基に検証していけば、 確かにあなたは全く悪くなくて、その相手の方が悪かったねというようなことがある。
まあその、それはあるんですけれども、 私は100%被害者なんだなというふうに考えていたら、何も起こらないじゃないですか。
それはなぜかといえば、相手の行動はあなたがどうこう変えれるものではない。
まあ条件、アドバイス、指図、そういったものはできる。 その一端は担えますけれども、最終的にどう動くのか、どう話すのかというのは、 その当人が決めることであって、
自分が被害者であるというような考えの下で、相手をどうこうすることはできない。 それを考えても何も起こらないんですね。
加害者側の視点と相互の認識
これは自分が被害者だと思うからこそ、相手にそのような言い方をするというか、当たり方をする一方で、
仮に被害者、加害者というような関係性があったとして、 加害者側の視点からものを見てみれば、それは相手も当然人間ですから、
加害者側は自分が100%悪いんだというように思っていない可能性が高いわけですよ。 自分にももしかしたら非があるかもしれないけど、相手にもその一端はあるだろうと。
全部自分が悪いわけじゃないんですよということを、おそらく主張したいんですよね。
加害者側の視点から見ると、これはあなたが誰かとの関係性の中で、仮にあなたが加害側に回っていたとしても、おそらく同じように考えをすると思います。
それは誰しもそうであるということなんですよ。 仮に自分が100%被害者だと思ってたとしても、相手から見てもそう。
それはたとえどんな事実であったとしてもですね、いやこれはどう考えても100対0でしょうというような状況であっても、
その通りでは思っていない。 いや事実はそうかもしれないけど、でも私はそうは思いませんというような、その意見のぶつかり合いわけですよ。
被害者意識がもたらす自己への悪影響
特に100%被害者だと思っている側は、自分でどうにもできないことに対して常に何かしら、この場合でいうと被害加害ですから、
イラたちとか不安とか怒りとか、そういう感情を抱えているわけです。 これ何の益もないですよね。何も起こらないことに対して、自分ではどうしようもできないことに対して、
そうしたわだかまりを持っているというのは、何よりも自分自身に毒です。それは。 だからこそこうした考えを持ちそうな時に、自分は100%被害者で相手が全部悪いわという風にですね、
考えそうになった時に、いやいや待って待ってと、そのように考えたら、誰が一番苦しむのかって自分自身の首絞めているだけだという風にですね、気づくことが大事なんですよ。
そう思わないと、簡単なことですからね、その相手のせいにするのは。 コミュニケーション、人間関係であっても、自分は悪くなくて相手のせいで今こうなっているという風に考えるのは簡単なんですよね。
「100%被害者」という考え方からの脱却
それは誰でもできることなんですよ。 もし仮に今あなたが、いや何かしら何かしかのことで、
自分が100%被害者であると思っていることがあったとするならば、これに対しての反応は当然あると思います。
いやそんなことない。詳細を話せば聞けば、それはもう自分は悪くなくて相手が全部悪いというようなことだというのは、誰の目から見ても自明であると。
そうしたこともしかしたらあるかもしれないですね。 ただそれは事実としては確かにあるんですよ。そう見えることもあるんですよ。
そこに固執してたら、再三繰り返しになりますが、自分が苦しいだけですよ。
根本をたどると、それはないんだなというような考え方を持つということです。
それをその相手に直接ぶつけるんでもなしに、自分の考えとして、確かにそういうことはあるかもなと。
8割9割相手が悪かったとしても、1割2割は自分のせいかもしれないなというようなことを持つ。
じゃあその1割2割の自分自身でどうにかできる部分は変えていこうというような、そういうハンターの軸というか、発言だったり行動のコミュニケーションの軸を相手に完全に移さない、そうしたことが必要になってくる。
これを一言に集約すれば、結局は相手のせいにしても何も起こらないからというようなことなんですよね。
自分は100%悪くない被害者だというようなことが起こり得たときに、こうした考え方を活用してみていただくといいんじゃないかなと思います。
「100%被害者」は存在しないという結論
つまり何が言いたいのかというと、100%被害者。
コミュニケーション人間関係でというところでの100%被害者ということです。
それは果たしていると思いますか、いないと思いますかというところ。
これは事実としてはそう見えることもある。
ただその元をたどると、ないと考える。
そもそも今そこにいるのはその当人の判断によってだから。
で、なぜこう考えるのかといえば、それは結局は相手のせいにしても何も起こらない。
被害者、つまり相手のせいにしている側からすると、相手の行動、発言は何も変えることができない。
そこに対してどんな感情を持とうとも何も変わらないですからね。
持つだけ、自分が苦しい。
これは一方で加害者だと思う視点から見ればわかる。
加害者側だとされている人も、自分が100%悪いということを思うケースの方が少なくて、
いやまあ多少なりとも相手のせいもあるだろうと。
お互い相手のせいにしあっていて、いがみ合いが起こって、
コミュニケーションがうまくいかないというようなね、そういうことがありますので。
別にこれを相手に直接伝える必要はないですよ、その該当の人がいたとしても。
自分の中でどう思うかというようなことなんです、考え方ですね。
これを極端に取り過ぎてどっちかに語るのも良くないです。
お互いその場にいる以上、お互いの関係性の中であった以上、どちらにも何がしかの日もあれば害もあるというような、
双方向の関係性なんですよね。
一人で完結していないことに関しては、もう全てがこうなんですよ。
100%どちらかが同行という、加害者被害者というのはないということですね。
これを覚えておくと良いんじゃないかなと思います。
はい、ありがとうございました。
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