ルールの存在と認識の違い
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。 まずは、おめでとうございます。ということで今回は、ルールが間違っているという話をしていきます。
はい、ルールが間違っている、ですね。 間違っていることもあるということですね。
ルール、決まりごと、定められたことありますよね。 世の中における全てのルールが合っていると正解であるというように思う人はいないと思います。
どこのどんなルールであれ、少なからずこのルールはちょっとおかしいんじゃないかと、明らかに変でしょうというルールがあると思うんですよ。
どこのというのは、最大単位は地球ですかね、世界中というか。 さすがにこう、宇宙とかまで行くと人間がいないと思うので、そこまでの範囲ではないんですけれども、最大単位は地球で、最小単位は個人。
ルールがあるということは、どこかの誰かが決めたことである、一人とは限らないんですけれども、ただ一人の人がルールを決めるというような、そういう時代ではね、今はないですからね。
会社組織とかになるとね、鶴の一声なんていうようなこともあって、ワンマン経営者、オーナー社長が一人でルールを決めているということもあるかもしれないんですけれども、
おおむね一人ではない。いずれの場合においても、ルールが間違っているということがある。
ルールと人間関係の対立
で、これがコミュニケーションにどう関連するかといったら、そのルールを守る人と守らない人がいますよね。言い換えると、ルールに固執している人とルールに反している人、そのような関係性において、いわゆる馬が合わないというような状況になると思います。
その話をしていく中でね、このルールは大事だから守ろうとか、このルールは状況に合っていないから守る必要ないんじゃないかとか、
一つのルールに対して、もしくは一集団のそのルールに対して、合ってる間違ってるというように思っている人同士が会話をすると、お互いの主張が違うわけですから、必ず争いになりますよね。
言い合いになるというか。ただ、そうしたことが起こるのもまた必然ですよね。
一つのルールに対してそれが合ってる間違ってると判断するのはあくまで主観でしかないので、ある程度の共通の認識はあれど、一つ一つルールを見ていったときに、
私は間違っていると思う。いや、そんなことはない。僕は合っていると思いますよと言うんですね。その意見の不一致が必ず起こる。
そうしたときにお互いに対しての意識というか、相手をどう思うのかということ、自分がこのルールが合っている間違っていると思っているルールに対して相手と違う意見になった。
その相手のことをどう思うかというところで、とりわけそのルールというものに関して言ったら、こだわりがお互いにある。
ですから相手に憎悪を抱くことがあるんですね。もしくはバカにするというか、全然わかってないなこの人というふうに。
わかっているわかってないなんていうのもね、それもあくまでその一個人の考えでしかないので、正解はないんですけど、自分が思っていることが正解だというように認識をして、
そうではない相手、もしくはそうではない人々に向かって憎しみを持つというのはね。
ルールの背景を理解する重要性
ですからもし仮に自分自身がこのルールは間違っていると思ったときに、そのルールはじゃあいつどこで誰が決めたものなのか、
どういった背景において作成されたのか、こうしたことに考えを巡らせてみるということです。
例えば一つのルールができた背景を覗いてみると前例があって、そのルールを定めないとことがスムーズに運ばないからそうしたのか、
もしくはウェル・ツルの一声というようなものすごい権力者が一人で作ったものなのか、
もしくはその時代背景・ニーズに沿って作成せざるを得なかったルールなのか、
なんでこのルールは個人的には間違っていると思うけど、今ルールとして存在しているんだろうということですね、考える。
そこまで考えを巡らせてみると、それに納得するかしないかはあなた次第ではあるんですけれども、
なるほどなとは思えるはずなんですよ。
分かったけど別に自分は納得していない、もしくは納得した。
受け入れるか受け入れないかはそれもまた個人の主観ですから好きにすればいいんですけれども、
分からずにただその表面だけ見て、今直面しているルールというものにだけフォーカスを当てて、
それはもう間違っているからと断罪するような行いをすると視野が狭いと言わざるを得ないですよね。
そうした視野の狭い人同士が一つのルールの話をしてぶつかることがあると関係性も悪くなるというようなことになります。
視野の広さと寛容性
どちらか一方でも視野が広ければ寛容な心で相手を受け入れることができますよね。
そういう主張はあれども、これこれこういう理由があってできたルールなんだな、
じゃあまあね、それもまた一つ仕方ないかというようになりますよね。
小さな枠組みの中のルールであればあるほどどうしても納得いかない、これは絶対に背景を知ったりでも間違っているということであれば、
もうそこから離脱するしかなくなってしまうんですけれども、背景まで考えればおそらく納得ができるんじゃないかなと思います。
そうした考えを常に持っておくということですね。
世の中には間違ったルールがある、その上でその背景は何なのであろうかということですね、考えるということです。
ルールの背景理解の勧め
つまり何が言いたいのかというと、ルールが間違っていることもあるということですね。
どこかの誰かが決めたからこそそのルールというものが存在している。
コミュニケーションにおいて、このルールというものを見たときに、それを正解だと思う人と不正解だと思う人、
合ってる間違ってるという人がいると。
言い方を変えると、固執する人と反している人、このお互いが相入れることはないですよね。
その表面だけ見たらお互いがお互いを憎むというような、そういう状況が生まれてしまう。
ですけれども、ルールというものは必ず何かしらの背景があって、作成されたものであって、
それは組織の代償をいかにに関わらずですね、その背景を考える。
何が起きてこのルールが定められたんだろうと。
そこに納得する、しない、あると思います。
納得できるのであればね、それはそれで視野が広くなったなというような、勉強になったなというようなね、
どうしても納得できないとなったら、それはもうそこから離脱するしかないですね。
直近の行動としてはですね、長期的に見ればどうしても納得できない自分の考え方を徐々に変革していくというような、
そういう行いも選択肢の一つではあります。非常に時間がかかると思いますが。
ルールを変える、または受け入れる
もしくはそのルールを変えに行く。どうしても間違ってる。変えるしかないと。
そういう人たちが国会議員とかになっていくんでしょうけど、国のルールというところで見たらね、
法律という観点で見たら、そういう人たちが議員さんになっていくんでしょうけれども。
こうしたルールというものはね、世界であれ、国であれ、会社であれ、個人であれ、必ず存在しているもの。
それがね、間違っていると思っても、その表面だけを見ずに、その背景まで考えていきましょうということですね。
個人的にはルールが嫌いな人間なんで、ただでも嫌いは嫌いでも、それじゃ生きていかれないから、
その背景を見続けてきた結果ね、こうすれば、それはそれで、存在している理由がわかる、しょうがないかというように思えるようになってきたので、
経験則としてもね、もし何か間違ったルールがあるなと思ったら、その背景を見るということを習慣にするといいと思います。
はい、ありがとうございました。