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#32「私たちが描く保育のかたち」
2026-04-28 35:43

#32「私たちが描く保育のかたち」

いよいよ最終回。

このシリーズでは、「30年前と変わらない保育業界」から始まり、現場の課題、改革、保護者や地域との関係、そしてAI時代の保育について考えてきました。

過去を振り返り、現在を見つめ、未来を想像してきた私たちが、最後に描く保育のかたちはどのようなものでしょうか。


▼ホスト

近藤敏矢(社会福祉法人みなみ福祉会理事長)

安藤武司(こども環境アドバイザー)


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サマリー

本シリーズ最終回では、保育業界の現状と未来について議論する。少子化による園児減少や、保護者と保育現場の感覚のずれ、学校教育における主体性の欠如といった課題が指摘される。AIやDXの活用による保育の効率化・質の向上、そして保育園だけでなく地域社会全体で子育てを支える体制の構築が提言される。最終的に、保育の本質は子どもの育ちを支え、未来を育む営みであり、その責任を保育業界全体で担っていくことの重要性が強調される。

保育業界の現状と課題
あなたは保育園にどんなイメージを持っていますか? 笑顔の先生、元気な子どもたち。でもその裏側には、球体依然とした経営と見えない苦労があります。
実は多くの保育園は30年前とほとんど変わっていません。 人手不足、紙と電話の業務、親の不安。
AIが保育園を変えるでは、元NTTエンジニアで30年の経営者である私、近藤が、子ども環境アドバイザーの安藤さんと一緒に、AIとDXで保育園をどう変えたかを語ります。
テクノロジーは温かさを奪うのではなく、支えるもの。 未来の保育に本当に必要なこととは、保育園を変える。今こそその時です。
こんにちは。社会福祉法人南福祉会の近藤です。
こんにちは。子ども環境アドバイザーの安藤です。
よろしくお願いします。
楽しい時間をずっと過ごさせてもらって、本当に時間をとっていただいてありがたいなと思っておりますが、いよいよ今回が最終回ということで、このシリーズでは30年前と変わらない保育業界という振り返りから始まって、現場の課題、改革、保護者や地域との関係、そしてAI時代の保育について、いろいろと横道にもそれながら。
好き勝手話をしながら、とても楽しい時間を過ごしながら考えてきたつもりです。
過去を振り返り現在を見つめ、そして未来を想像してきたという私たちのおしゃべりなんですけど、最後に描く保育の形っていうのはどんなもので締めくくることができるのかなということを考えてみたりします。
未来を語り始めた時点で、私たちの想像、予想、妄想でしかないかもしれませんけど、そういったものを共有できるといいかなと思っています。
じゃあ私たちはどんな保育園を未来に残したいのかというテーマをまずお題として挙げてみると、どんな感じになるのか。
そもそも保育園という今の制度の形を残したいのかっていうところから話は始まるのかもしれないんですけど、
施設を残すのかどうかという話と、その施設が残ってなかったとしても、
未来、ずっと先の話として、子どもが生まれてくる以上、子育てや保育というものが消えることはないでしょう。
そうすると未来の子育て、子育てと保育の違いは何かという話もまた出てくるんですけど、
その定義も時代とともに変わっていく可能性も十分予想しながら、
未来の保育というのはどんな感じになるのか、そんな感じで話ができるといいのかなと思うんですが、
まず保育園という施設、そこには類似施設として幼稚園というのがありますよね。
現時点でもいろんな状況があると思うんです。
現時点を振り返り、まず直近の近未来どうなりそうだというところを皆さんにお伝えをすると、
一つ方向性として、そこの方向はもう逃げれないんだな、外せないんだなという共有ができるのかなと思うんですけど、
そのあたりは今の現状としてどんなふうに見られていますか。
2026年です。
ここ2年ぐらいで、常に国が人口がこうなるだろうというところよりも、
はるかに15年間20年間前倒しで子どもの数が減ってきてしまっていると。
少子化の進行スピードの速さですね。
生きているといって、その煽りなのかまだよくわからないんですけど、
本当に施設によってお子さんが集まっている縁と、
集まっている縁と集まっていない縁が結構明確になって別れてきたなという感じで、私は感じています。
怖いですね。勝ち組負け組っていう。
まあそうは言いたくないんですけど、でもそうなっている。
ちょっとやはりそこで思ったのは、保護者の人たちの感覚の、
今の保護者の人たちが持っている感覚と、
もう50年近く保育園をやられている施設の感覚にちょっと正直やっぱりズレがあるかなっていう気はしていて。
私はそこはずっと感じています。
今まではごまかされてたんですよね。子どもたくさんいたから。
そうなんですよ。
それがもう本当に出たなって感じでいます。
これは小学校の先生がちょうど3月の末、もう明日から4月ですっていう直前で、
小学校の先生、中学校の現場の教員の方々と話をしたときに、
お母さんたち、お父さんたちがいろんな不安を抱えてるんだけど、
最近よく耳にするのが、私たちが学んできたことと、学んできたこととすでに違うことを学校は言い出してると。
私たちそういうことを言う人っていうのは、ある程度プチ成功を積み重ねてきた。
お父さんお母さんからすると、自分たちがやってきたことが間違いだったんだろうか。
本当に先生たち、学校が言うように、そういう育ちの環境に我が子を送り出したら、
幸せになれるんだろうかっていう、そういう素朴な疑問を投げかけてくるんだと。
そこをもう少し具体的な例を挙げることはできますか。可能な範囲で。
否定されてしまうこと。昔教えられたけど、今それダメなんだよって言われるような事項っていうのは何か具体例を。問題のない範囲で。
保育のあり方と未来への展望
子供の探求学習っていうところに、正しく、まず教室に入ると先生黒板があって、そこに向かって正しく座るっていうことができることが前提。
でも今はですね、名古屋でもありますけど、要は少人数のグループで学び合いをしているわけですから、授業中に歩き回ることもOKじゃないですか。
あの子たちは大人になった時に、社会性はきちっと育まれてるんだろうかっていう疑問が、例えば。
そこで無料で開催していただいているセミナー。
工藤雄一先生をはじめとした、先進的な取り組みや知見を持った方々のセミナーだとか、事業の事例なんかを見ると、本当に昔の判断基準で言ったら完全に学級崩壊を起こしてるよねっていうクラスが、
でも子どもたちの一人一人の会話を聞くと、とても深い学びを探求していってる。それは本当に衝撃的な内容だったんですよね、私にとっても。
そういう学びの姿がある一方で、先日拝見をしたとある学校の卒業式や入学式、そんなシーズンにこの収録をやっているところなんですけど、
びっくりしたっていうのが、十前からそうなんですけど、卒業式で卒業生が団長で、校長先生から少々受け取る。受け取った後に回り右をして団長から会場の方を向くという流れができている。
その時に、下げる右足の上げるかかとの角度まで統一されているっていうのは、これって主体的な学びなんだろうかと思ったりはするんですよね。
入学式は入学式で、当然行けないわけじゃないんですけど、司会の先生がいらっしゃって、司会通りに式辞を進めていくわけですよ。
今から入学式を始めます。会会の時ですって言うと、司会の先生が退いて、教頭先生が立ち上がり、マイクまで行って、今から入学式を始めますって。さっき聞いたと思いながら。きちんと言わなきゃいけないんですよね。
教頭先生が席に戻って座るまでのを待ってから、また次の進行に入っていくというのを見ていて、これは子どもたちのための入学式になっているのか。
学校のルールを押し付けるための球体前とした、私たちの幼い頃の詰め込み型の学校教育を再現するための儀式なのかどうなんだろうと思いながら、疑問を感じたりしたんですよね。
そのやり方が全て間違いだということを言うつもりはないんですし、おそらくそこの学校が悪いわけではないし、多くの学校がいまだにそういうやり方をやっているのは多分事実で。
そうじゃないやり方をやっている学校がごく少数あったとしても、そこに一切主体的な新たな取り組みをやることの問題はないのかとか、
じゃあその問題を防ぐためのより効率的な、学校の教員もものすごく忙しくてタイムリソースが全然ない中で、より効率的にやろうとすると、そういった運営側からの既定路線で、だって練習もせずに入学式やるじゃないっていうと、そうやらざるを得ない社会的な環境ももちろんあるだろうなと思いながら。
それで子どもたちが退場する時の曲はトトロの散歩だったりするんですよね。何年前?調べたらもう40年ぐらい前なんですよね。38年だったかな、先日調べたら。
正直保護者の方も、保護者の方が生まれる前のものを、今入学する6歳児、新入学の1年生の退場の曲にふさわしいとして書ける感性はどうなんだろうと思ったりするのって、どうなんだろうな。
もうちょっとバージョンアップをしていくっていう、今学校の運営に対してすごく批判的な感じに聞こえるかもしれませんけど、それはそのまま全部保育園でも同じ話なんですよ。
入園式もそうですし、卒園式も。卒園式も本当にあれは子どもたちのための会になってるんだろうかっていうことを、今うちの法人内でもそれぞれの施設長に問いかけながら、すぐ帰ろって言ってるわけではなくて、
どういう意味合いのもとでやってるのかっていうのを、保育理念から説明できるように明確化しろって、それが前例当衆で保護者からのクレームを受け付けないための、だって去年も同じことをやったもんですからっていう言い方でやるんだったらそこはちょっと考えようよっていう話をしているんですよね。
そういうことをやっていかないと、保育園っていうものが未来に残る価値がなくなっていくのかなっていう気もするんですよね。
そうですね。本当に、お父さんたちっていうものはその時代を生きている人たちであり、過去の遺物の中で経営をしている保育園学校というものは、あんまり正直見向きもされなくなってきたという最初の話ですね。
生徒としての幼稚園VS保育園みたいなところでいくと、幼稚園さんはどんどん少なくなっていって、その一方で保育園がバカみたいに数が増えたっていう時代が保育園落ちた日本史でのあの象徴的な時代だったと思うんですけど、その傾向はどんな感じになってるんですかね。
まずやっぱりその幼稚園も保育園もそうですけど長時間化っていうのはやはりもう本当にすごい勢いでいるんですよね。ここをもう少し考えていかないといけないタイミングに来てるのかなと正直思っています。
かなりその育休とか産休育休を取りやすい時代にもなってきたし、前回も話した誰でも通園制度のようなもの、あれで十分だとは思いませんけれども、そういった制度も増えてきたりとかしている中でいくと、生徒としてはやっぱり変わってきている。
それをすべて保育園がそのまま今までの通りのやり方でですね長時間化していくとか、なんかやらないといけないかというのはちょっとそれはどうなのかなと思うところが正直あります。そうではなくてもう少し短い時間でいいようなところに行かないと、逆に言うとそれだけ働かないといけないっていう社会があって、それっていうことは、
これがここに経済合理性の話をしちゃうとあれなんですけど、社会、要は稼ぐ力のない国だっていうことにもつながるのかなと思うので、やはり働く時間が短くなって、保育時間も短くなっていくっていうのが将来的には理想なのかなという気はしていますね。
働く時間が短くて生産性を上げるって言ったら、多分機械化、自動化っていうものが必須になってくるんだろうなと思いますし、そうは言っても働くっていうことは一つ人間の過ごし方として、
それが必ずしも会社に従属をした働き方っていうものでなくても、自立した趣味的なもの、趣味的な活動、例えばアートボランティアをやるだとか、お金につながらないものでも様々な生き方をしていくっていうのは、
それはある意味、仕事と趣味との境界線をなくすっていう活動っていうのは多分広がっていくんだろうな。
仕事をしていないイコール全て消費活動だっていうことではなく、そこの中でもクリエイティブなことをやっていくと思うと、お金が稼げなくてもそれは一つ社会的な使命を帯びた仕事っていうことにはなるんだろうな。
そうすると仕事の時間を減らすっていうことがどういう意味を持つのかっていうのはまた別だとは思うんですけど、仕事をしているから選択肢は保育園しかないっていうところからは脱していけれるといいのかなっていうのは私がずっと話をしているところで、
そこを保育園の依存から離れてしまうと今度保育園側経営が厳しくなって私はご飯が食べれなくなってしまうわけなんですけど、
そこのところを保育園の運営事業者側の都合を押し付けるのではなくて、本来社会が子育ての責任を持たないといけないよねっていう原点に立ち返って、
税金に基づいた保育施設っていうのが社会の子育ての唯一の甲斐になるようなことを、社会が保育園っていう箱の中に子育てを依存し続けるっていう状態は少しでも脱することができるといいんじゃないのかなという思いを私は強くしているんです。
そうするとAIっていうのがどういうふうに子育てに関わっていって、保育っていうものが今後社会の中でどういう形になっていくのかっていったものをどのような未来像を想像しますかっていうとどんな感じになっていくんですかね。
一つの在り方としては、前回の時に保育士が保育という文化の発信基地だ。
それの前の時に、保育というものの価値、子育ての方法だとか、そういったものの地域社会に対しての教育であり発信でありコーディネートであり調整であり、
そういった機関としての保育士の位置づけっていうのを安藤さんがご指摘いただいた。そういったものに引っ張られた文化的価値の高い保育を社会、地域社会が担うことができる。
そんな保育の展開が各地で行われていくような社会になっていく。つまり子育てや保育っていうのを今まで社会から奪い続けてきた保育園という言い方をすると人によってはお叱りを受けるかもしれませんけど、そういった部分っていうのは
なかったとは言えないでしょっていう思いは私は持っていて、社会が本来になわなければ、地域社会が担わなければいけなかったところを保育園が一手に引き受けることで、地域社会の責任や子育ての時間を保育園が奪い続けてきた。
その奪い続けてきた子育ての時間を社会に押し戻す。押し戻してみんなで子育てをやろうよっていう。それも子供が適当に遊んでればいいだろうっていうことではなくて、歴史的な価値を踏まえた上での文化的な価値の高い保育が提供できる。
日本だけではなく世界、どこの国でも同じように子供たちが豊かな時間が送ることができるような、そんな社会になっていくと、そこは大きな可能性だったり明るい未来が待ってるんじゃないのかなと思ったりはするんですよね。どんな感じですかね。
本当に押し返すっていう言葉はちょっときついかなと思うんですけれども、でも実際奪ってきてしまった側面はあると思うんですよね。
そうですよね。
当然そういったものが必要な方も当然いるんですけれども、本来であればやはり大人も自立をしていかないといけないという話があったときに、突き放すっていう意味じゃなくて、まずは自立にバウンスをする。
その中で当然全てを何か手を差し伸べるのではなくて、一歩ずつ新しいことが自分でできるようになっていくっていうところに、そういう時間をゆっくりとかけながら向き合っていくような施設にもう一回行かないと、
今サービスっていう中であれもやりますこれもやります、先ほど言った長時間というところもあれもやりますこれもやりますということで、ちょっと奪ってきたところにもあるかなと思いますね。
なので全てやりますっていうのではなくて、それぞれでやってくださいっていう図式は、消防署が全部火を消すっていうのではなくて、地域の消防団の人たちが防火活動なり初期消火を重ねていって大きな火災にならないようにしていく。
大きな病院が全て治療を行うのではなくて、小さな診療所でそれぞれ未病につなげていく。
ちっちゃな病についてはそれぞれのところで治せる範囲で治していって、どうしてもダメな時に総合病院の大きなところで治療をするという。
保育園版もちょっと見てもらいたいんだわっていう時に保育園という最後の砦のところに来るのではなくて、その手前のところで地域の子育てサークルだったり、会社内でのお互い様での子育て、お子さんの見守りだったり、
そういったことを行いながら、それぞれのところで質の高い子供の最適な目指したい充の姿というとかなり専門的な言い方になるかもしれませんけど、
小学校以降の教育を見据えた保育の目指すべき姿のところにみんなが寄り添って質高くいけれるといいのかなと思ったりはする。
それが保育の今後の社会の価値観になっていくのかな。
だから保育がなかったらこの社会はどうなってしまうのかっていうことはやっぱりありえなくて、子供が生まれる以上保育がなくなるっていうことはありえない。
ただ保育の担い手が保育園だけだよっていうことを継続してはいけないんではないのかな。
他って言うと保育園がずっと独占し続けるっていうリスクもあるとは思うんですけど、そこを何とか皆さんに還元していく、お渡ししていく、戻していくっていうことが必要になるんじゃないのかな。
そうするとそんな未来像が子供たちの育つ環境として残せれるといいのかなという気がするんですよね。
AI時代の保育と保育士の価値
そんな未来になるとどんな子供たちの生活になっていくんでしょうね。
子供たちっていうか、聞いてて思ったのは大人たちがもっと豊かさを感じるのかなっていう。
例えば愛着形成なんていう話があるかと思うんですけど、あれってやはり、例えば先生から何々ちゃんをお迎えに行ったときに、何々ちゃん今日こんなんでこんなんでこんなんでしたよって聞いて、
ああよかったとお母さん思うかもわからないんですけど、でもそれってそうではなくて、目の前に何々ちゃんのその姿を自分同時にそこで味わうことができることによって、感じ方が全く違うものが出てくると思うんですよね。
それこそ感情であったりとか、そういったものがですね、保育というものがちょっと地域に戻されるということであれば、それを享受することができる大人たちが増えるということで、感情が安らぐっていうか、癒しを感じる人たちも増えるんじゃないかなって。
本当にずっと今日話を聞いてて思ったのが、たまたま何年か前に、ちょっと前回と続け、暗い話になっちゃうんですけど、お母さんを事故で亡くされた保育園の園長先生がいて、本当に数日続けて現場復帰をされたんですね。
突然な事故だったんですけど、その悲しみ、その時にお伺いした時に、やはり子供たちと一緒にいると、簡単に言うと気が紛れるっていう言い方をされたかわからないんですけど、でもそれって癒しとしてはすごく良質なんだろうな、この人にとってみればっていうふうに思ったんですよね。
多分痛み、その時の悲しみとかの痛みは、そこでしかひょっとして癒せなかったかもわからない。酒を飲んで癒す人もいるかもわからないけど、そんな素敵な癒しとしての空間がそこにあったんだなっていう、そんな話を今ちょっと思い出したんですね。
そうですね。そういう素敵な空間が保育園だっていうことを、社会としてもう一度見直してほしいということと、子供がいるっていうのは、どれほど地域にとって活気のある、生まれてくる素敵なことなのかっていう、子育ての魅力っていうのを、もう一度社会に再認識してもらうことは、多分とても大切なことだなと思っています。
そして最初に言われた、安藤さんの言われた適切な表現じゃないかもしれないけど、勝ち組負け組がどんどん広がってきてるっていうのは、とても大切な注視しなければいけない事象で、それの結果として負け組は将来的には資金が当然成り立たなくなるので、消滅していくわけなんですよ。
そうすると、それの結果というわけではないですけど、学校教育側は、小学校の党配合を次々と行い、過疎地においては、小学校に通うために車で30分通わないといけないっていう。
そうすると、学校から車で30分離れた地域っていうのは、学校時間に子供が全くいない地域になっていく。それを保育園でも同じようにやるんですかっていうことになると思うんですよね。
なおかつ、0歳児、1歳児、2歳児、そんな子供たちを車に乗せて毎日通勤させるなんて、そんな過酷なことはできないですよね。
私たちは、今命があって、事業としてですよ。事業として力があって、新たなことができる間に、地域に対して子育て力を強化をするっていうのかな。
保持をするっていうのかな。そういったことの活動っていうのは、多分とても大切で、自分たちがいなくなってもその後適切に行われるような社会環境、地域環境を構築するっていうのは、これはもう会社でも同じですよね。
部長さんでも社長さんでも自分がいなくなった後でも、公認の者たちが全て回してくれる。俗人化をすることなく業務を回すっていうのが責任である行動だとすると、私たち保育園もいずれは事業が立ち行かなくなるかもしれない。
その時に地域の人が困らない状態は何っていうのを常に問い続けながら行動を行っていくっていうのは多分大事なんだろうなということを思い描いたりをしています。
未来の未来っていう話でいくと、何か元々今回が締めということでいくと、AIが保育園を変えるっていう話で、ちょっとそこに触れたいなと思ったんですけど、やはり今、生きづらさを感じている大人も子どももいっぱいいるって話の中でいくと、
あれのままの自分でひょっとしたらいられないのかなっていう、そのぐらいみんなにスペース、自分自身の中に心にスペースがないっていうか、そういうところに来てしまってるんだろうかなっていうふうに個人的には思っているので、
保育園っていう入養時期にありのままの自分を十分に体験できる、経験できるような環境がそこにあり、当然子どもが減っていく中でいくと地域の人たちとの交流も含めてそれが培われ、
それがこんな素敵なことなんだっていうのが地域の人にそれが滲み出ていくっていうのがあるといいな、だからそれがその地域の人たちが当たり前の自分、ありのままの自分っていうものをきちっと生きられるっていうことが、よりAIと共存していく一つの光なのかなっていう感じではちょっといいよ。
このポッドキャストのテーマであるAIが保育園を変えるっていうことについて、もう一度振り返ってみると今話をしていた未来の保育っていうのはひょっとするとAIが保育園を変えたさらに先の未来の話をしているのかな。
というのは、AIが保育園を変えるのはもっと手前のより近い近未来の話で、そこは労働者としての保育士不足がより深刻になってもAIが保育園の保育を支えていって保育園の継続を支援していく未来はあるのかな。
でもその先としては、それでも保育園が回らなくなった時にも地域社会として子育てはきちんと責任を持ってやってもらう必要がありますよね。
そこに私たちはつなげていかなければいけないんじゃないでしょうかっていう提言になるぐらいな感じではどうかなと。そういう意味では私たち今保育業界としてAIをどれぐらい認識し活用し未来像を描いているかをもう一度振り返る必要がある。
将来的な保育の姿じゃなしにAIが保育園を変えてしまう時期っていうのは実はもうすぐ目の前に来てるのかもしれない。
といったことを本当に近未来への継承としてその時に私たち人間としての保育士の価値観は何か人間の保育の価値はどこにあるのかっていったことを考えていただくきっかけにこのポッドキャストの内容がなると嬉しいなと思ったりはするんですけど。
そこまで願うのはちょっと大きすぎるでしょうか。また皆さんいろんなところでこんなネタをきっかけに話をしていただけると嬉しいなと思っています。
なんか効率性だとか合理性っていったところだけで語ることはできない温度感だとか関係での保育のあり方とか社会との関係性といったものは多分とても大切なんだろうな。
そこの中でAIと人間は何が違ってAIには何が任せられて人間はどこに責任を持たなければいけないのかそんな話も繰り返し語ってきたつもりであります。
子どもを育てる社会というのが次の世代にもずっと引き継がれるそんな覚悟を持ちそのための使命を果たすのが実は保育園なのではないのかといった提言が私たちのこのポッドキャストのまとめになるのかなと思っています。
このシリーズでは保育園の過去そして現在の課題を見つめてそして未来の創造妄想と言っていいのかもしれませんけどそんな話をしてきました。
制度や技術がどれぐらい変わっても子どもの育ちを支えるっていうことの重要さは何も変わらないはずです。
子どもは社会の未来であり希望です。
保育は未来を育てる営みであることに変わりはありません。
そしてその未来を作る中心となるのは私たち一人一人保育業界はその責任を重い責任として持っているはずです。
その使命を今しっかりと果たしながら未来につなげていけるといいかなと思っています。
ここまでお聞きいただき本当にありがとうございました。
またこんな話を一緒に語り合える場があるといいなと思っております。
どこか研修だとか語り合う場だとかそんな機会があってお前たち話面白かったからもう一回話をしようよと声をかけていただけると幸いです。
またどこかでお会いできることを楽しみにしています。
以上社会福祉法人南福祉会の近藤と子ども環境アドバイザーの安藤でした。ありがとうございました。
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