ミホミュージアムはあれ、宗教、新自衆明界ですよね。
新自衆明界っていう、今もあるのかどうかよくわからないんですが、そこの創業者って言ったら怒るな、怒られるな。
それを新自衆明界を建てた人が美術コレクターで、美術コレクターのコレクションを集めた場所だと。
茂木ですよね、あれ。山の中に埋め込まれたもので、建築っていうのが面白くて。
特に古代仏教っていうのは、山の上だとか非常に人が行きにくいところにお寺を作るという傾向があり、それを模して作ってるんですね、あれ。ミュージアムって。
だからすっごいよくわからないところに山くり抜いて作ってるっていう、面白い。
しがらきじゃない、甲がしがらきっていうのがあって、展示物がものすごく有名というより、建築で非常に有名みたいですね。
面白い場所って言いづらいんですけどね。
誰が建てたんだ、あれ。設計は、でもよくわからないですね。アイ・エム・ペイっていう人らしいですね。
日本人の設計家ではないという。
でもどうなの、しがっていう言葉が出たら、しがは、あ、ど忘れした。しがで有名な建築家。
しがで有名な建築家。
外国人です。しが、あ、出てきた。完全にど忘れした。
ボーリズ。
ボーリズですね。ボーリズ建築が非常に有名ですし、このあたりだったら漢学ボーリズじゃないですかね。
堂手小学院でしたっけ。漢学でしたっけ。
漢学だったような気がします。
ボーリズ建築って日本の関西に非常に集まっていますので、そういうの回ってみるっていうの面白そうですね。
そうですね。堀先生の知識がふんだんに出てきそうな知識ですね。
いやー、もともと僕すごい建築が好きで、いろいろ見て回ってたので、建築に関してはいろいろ話ができると思いますが。
湖南女子もですよね。
よくぞ、ありがとうございます。湖南女子というと、今もう文化財になってるんですけども、村野東吾さんっていう建築家が建てています。
村野東吾さんですね。僕と生まれが同じ北九州市なので、北九州に結構建築があったんですけども。
結構ね、やっぱりもう古くなって潰されているとかっていう状況ですが、湖南女子はちゃんと文化財という形で残してくれているので非常にありがたい。
例えば田代さんとかで、もしかしたら見たことがあるかもしれないというのが、宝貝家のプリンスホテル。京都の。
地下鉄というか、北に上がる列車の終着点ですね。地下鉄の宝貝家。
あそこにコンベンションセンターとかあると思いますけど、横にあるプリンスが村野東吾作品です。
あーそうなんですね。ちょっとまたいつか行く機会があれば。
もう日本の建築家としてはかなりの数を立てている人だと思います。
本当に湖南女子がこの前、日本の大学建築八線かなんかに選ばれてましたね。
しかも湖南女子って基本入れないので、建築を見たいという人が入れないっていう。
他の大学って結構入れるんですね。
確かに。
だけどやっぱり女子大って入れないから、見たいが見れない大学という風になってます。
最近の興味関心でいくと、場作りというか、人が集まってお互いに刺激し合って何かが生まれるみたいな。
そういうのは興味があるんで、建築とかアートだったりとか。
興味湧いているのはその辺も影響しているかなって気がしますね。
確かにアートとか建築とか、全面的にアートと言われるものなんですけど、究極なくてもいいものなんですよね。
だけどなくていいものというのが人生においてすごく力を持つっていうのが非常に僕はいつも面白いなという風に捉えつつ。
今も多分やってると思いますけど、美の巨人たちっていう番組をずっと見てたんです。
最近も全く見なくなったんですけども。
一つの作品あるいは一つの作家を追いかけていく。
あとは何でも鑑定団がそれに対して値段をつけるっていう番組でやってて。
あとはNHKが美の壺っていうのをやってて。
大体この3つぐらいが非常にアートの説明をしてて。
あとYouTubeだともう本当先月かな。
なくなった山戸五郎さんの大人の教養というYouTubeチャンネルがそのあたりを非常によくやってたので。
そういうのを好んで見ている人たちというのは美術家ではなく美術が好きな人たちってやつですね。
だから美術を作る人と美術が好きな人たちっていうのは基本的に違うカテゴリーにいて。
僕なんかも完全に美術が好きな人のカテゴリーである。
かといって美術展はしょっちゅう行くか。
例えば今大阪市でフェルメル展やってますけど全然行こうと思わないってやつですね。
時計とかグッズとか好きなのは美術的な観点で好きって感じなんですか?
僕はクラフトマンシップが好きなんですね。
なので出来上がったものではなくて作る工程が好きなんですよ。
だから時計とか靴とかっていうのを作っている人の手がどれだけ入っているかというものが好き。
建築もちょっとその部分はあるんですけども。
このキャンティレバーってビヨーンと張り出した。
例えば廊下とかどういう風に作ってるんだろうとか。
そういう構造の仕組みとかを見ていこうとするのが好きかもしれませんね。
これ美しいなーではというよりはこの屋根の板金どうやって上手に曲げてるんだろうとか。
そういったことに興味があります。
映画とか漫画とか好きっていうのはそれとはまたちょっと違った観点って感じなんですか?
あとは物語でしょうね。
そのクラフトマンシップっていうと究極は作る時の物語なので。
設計から作品作りっていう一つの物語を読みともうとこうとすると。
だから美術品を収集してその美術品をめでるっていう感覚はあまりないんですよ。
その美術品の裏にある物語が好きです。
コレクションしたいとはまた違う。知りたいって感じなんですかね。
そうですね。
そのブランドが持っているアイデンティティだとか
そのブランドが似たようなものを作っててもこことここが違うとかっていう
微妙な差だとかっていうのを見たりしています。
だから靴すごいいっぱい持ってるんですけど
靴一つ一つの名前を全部理解していて
これがどういうラストでいつの時代に作られたか
そういう情報はほとんどあまり考えないんですよね。
そういうのものすごい詳しい人たちってやっぱりいるんですけども
例えばその靴を作った時にどういう心情で作ったとか
そっちの方が好きです。
じゃあ結構作家の精神性というか
生い立ちとかそういうのが気になるって感じですか?
そうですね。バックグラウンドは割と好きです。
またこれが、例えば僕村上春樹とか宮城谷正道とか
非常にいいと思うんですよね
ただ僕らってインドっていう印象がめちゃくちゃ強くて
例えば筋肉症状態って番組知ってます?
知ってます
日本インド化計画とかですね
それが全部伝わらなくなっちゃう
日本バーラト化計画ってなって
インドってもちろん別紙的な意味があるから
すごくその人たちが嫌だという国民の気持ちを知りつつ
短くてスペルも短くて非常にいいんですよね
確かに
だから我々はインドがいいんですけど
ただバーラトになったら我々はそれを受け入れなきゃいけないし
例えば最近国名を呼び方をちゃんと国際統一したのがジョージアですよね
元々グルジアって呼んでたんですけども
ジョージアに変えたりだとか
あとちょこちょこどっかあるのかな
例えばチェコソルバキアがチェコとソルバキアに分かれたりだとか
そういったのはいろいろあると思うんですけども
古くからある国が突然完全に読み方を変えるっていうのは
こんだけ大きい国だったら初めてでしょうね
そうですよね
現代人からすると結構国ってかっこたるもので
あんまり変わらないようなイメージ持ちがちですけど
それも近年のことで今後も変わり得るところではあるんです
なので名前の付け方が別紙的な名前の世界ってやっぱりちょこちょこあるんですね
パッと思いつくのがロシアだとかあっちの方の人たちの民族ってスラブ人っていうわけですね
ヨーロッパっていろいろな民族がいると思いますけど
代表的なのがゲルマン人とラテン人とスラブ人がいるんだと
スラブの語源はスレイブなので奴隷なんですよね
奴隷民族っていう風な名前になってくるから
多分本当は嫌なはずなんですよ
だからそういったのを少しずつ変えていきたいとかっていうこともあるでしょうし
ちょっと似たようなところで言うと
日本の言葉の中でも例えば殺すとかそういった言葉をできるだけ使いたくない
そうなってくると結構日常の中に殺すっていう言葉が
例えばダブルプレイとかって日本語で書くと二殺とかって書くんですよね
そういう将棋の言葉だとか野球の言葉とかにそういうのがものすごく入ってて
それを表記しちゃいけないってなったらすごく困るんですよね
だから名詞一つを変えるのはいいと思うんですけど
漢字を使っちゃいけないってのは結構きついなと
例えば名詞を使っちゃいけないってことで言うと
僕が理学療法士になった時っていうのは地方症って言ってたわけですよ
それがいつの間にか認知症っていう言葉になったし
あとは分裂病って言ってたのが防護失調症に変わりましたし
そういったいろいろ名前が変化していくっていうこと自体がすごくあるんですね
最初認知症っていう言葉がついた時僕は個人的にはすごい反発してたんですよね
なぜかって言ったら不認証
妊娠ができないから不認証
認知ができる認知症じゃないですかだったら
認知症なんですよ普通は
認知症って言われて認知が認知がってみんな言うようになって
あれは名前としては僕は良くないなぁとは思いました
防護失調症は逆に良かったと思うんですね
別に分裂してるわけじゃないので
確かにだんだんまた医療に入ってきましたね
そういう言葉の定義というか言葉というところですね
ぜひ今日知っておいてほしいのはバーラトですよっていう
すみませんまだ僕がいっぱい喋ったのでどうぞ
国際的な話と建築みたいなところで構造の話とか
そこも医療と通じてくるとかあるんですか
もともと僕がすごく構造に興味を持ったことがあるのが
自分が家を建てるまでに建築家の勉強会とかよく行ってたんですね
建築って一生いわゆるデザインをする建築家と
構造をやる建築家って簡単に言ったら大きく2つに分けられるんですよ
もちろん専門はいっぱいさらにあると思いますけど
必ず構造計算っていうのを出して
構造計算が通らないと家って建てれないんですね
構造計算っていうのはどの部材をどこにどういう風に配置することによって
どれぐらいの自信だとかどれぐらいの強度に耐えれるっていう計算があるんだと
昔はそれを結構手計算でやってたけど
今から20年近く前に東大のすごい優秀な建築家の人が
自分でそれの構造計算の要は人工知能で作って
ここに何パイの何の柱を入れたらどれぐらい耐えれるとかっていうのをやってたんですね
これって理学療法に使えるじゃんと思って
患者さんに対する過重量でどれぐらいのところにどういう負担がかかってとかっていう
実際に理学療法の中ではそれは全然実装されてないので
あの時にその人たちからいろいろ聞いて僕が実装しとけばよかったって今思ってます
なるほどでも最近も理学療法推論とかでもオントロジー的な発想とか
全然違う分野から応用できるとこ探すみたいなとこも結構面白そうな気がしますし
そういうとこから興味関心を広げておくと積み上がってくるみたいなCMもできそうなと思いましたね
僕からすると今のダシロさんの話ってすごく当たり前なんですね
つまり多分野に対して非常に意識を向けて
多分野からいろいろ学ぶっていうことを僕は当たり前にやってきたんですけど
チャッピーといろいろやり取りするとあんまりそんなことしないって言うんですね
多分野っていうものに対して興味を持つってすごいエネルギーがいるんですよ
そこからやり直さなきゃいけないので
建築をやるために相当建築の本は読んだんですよ
ただそこに構造計算に対する本とか
どういうふうにそのCADを使って図面を引くとかそういうことはやっていないんですけど
そもそも建築とは何かみたいな文献とかいっぱい読んだんですね
それで建築っていうものに対してすごく興味を持って
実際家を建てるのに建築に関する論文3本書いたんですね
だから一つのことに対して非常に手を伸ばしたいタイプである
でもそういうことは普通しないんだっていうこと
普通をどこに定義付けるかによりますけれども
みんなもっといろんなのに興味を持てばいいのにと思ってます
もともと地の巨人的な人とかで多分野またがるのが当たり前というか
そういう時代もあったとは思うんですけど
だんだん学問が細分化されすぎて資格取るならここを学びましょうとか
科学も分断というかその学問が体系化されてるのが一般的になりすぎたから
他分野に触れづらくなってるのかなみたいな気がします
そこはだからあえて批判的に言うと体系化された学問って僕ほとんどないじゃんっていうのが
僕のいろいろなものを見た結果なんですね
体系化しようとしているのが学問であって
体系化できている学問って相当少ないなというふうに
例えば哲学って何ですかと言われて
共通定理を持っている人たちってほとんどいないと思うんですよね
理学療法って何ですかと聞かれると
おそらくほとんどの人が法律の話をするんだと
だけど法律ではない理学療法の目的だとか手段だとかっていうのを説明してっていうと
途端にできなくなる人たちが多いんですね
だから構造化定式化されてるかと言われると割とされていない
それを暗黙のうちにやってると思い込んでる人たちが多すぎるっていうのが
僕のある種の全体的に関する批判です
そうですよね
自分も大学院とかだと科学的に考えていたことが多かったですけど
でも考えていけばいくほど一つの分野だけだとわからなくて
結局過去学んだこととか他のところに広げていかないと
わかんないこともあるなっていう感じだったんで
深掘っていけば自然とそうなるなっていう感覚は自分にとってはあるんですけど
だからよくいろいろな人が
これだから全体に対する文句を言ってるわけじゃないんですけども
いろんな人がいろんなところで抗議をしていると
例えば理学療法に関する人が
例えばTKA述語の抗議をしていると
だけどTKAについてめちゃめちゃ詳しく説明しなければ
その話って成り立たないんじゃないとかって僕思っちゃうわけですよ
だけどTKAとしてもう受け渡されたものの述語の話をして
それに対して変形性膝関節症は?って話をするんですね
TKAは変形性膝関節症ではありませんっていうのが僕の主張なんですね
だってもうないんだもん
要は歯を抜いた後に虫歯って言ってるような感じがあって
そのあたりにを説明とかしてて
違和感持たないのかなといつも思ったりするんですよね
我々は手術もしてないんだから
なんでそこについてすごく詳しく言ってるんだろうっていう
その辺がだから自分たちが関われるところとか
線引きをしっかりした方がいいのかなとは思いますし
前半だとかなり幅広い話もありましたけど
そういうの知ってるからこそ
自分たちはここみたいなことを見えるかもしれないんで
両方必要だろうなと思いますね
なのでフォーカスをインアウトする能力っていうのが
非常に重要であるというところ
いつもこの話の中でもいう座標ですよね
座標っていうのを1軸で見てるのか2軸で見てるのか3軸で見てるかっていう
その違いというのは
自分の中で常に意識しておかなきゃいけないよなと思ったりはします
そういうのが前回の探究学習とかの話だと
若いうちからそういうことをやっておくと
そういうのがしやすくなるっていうところですかね
と思いますよと思いますというのが
ちょうどたまたまピボットで
海外の教育に関する説明をしてたんですね
結局日本っていうのはどちらかというと
非常に強いリテラシー教育をやって
手計算で微分積分を解けるような能力を身につけていくんだと
そうではなくてアメリカとかがそれがいいというわけじゃないですよ
アメリカとかはもう電卓使って授業を計算させて
いわゆる解き方というもの自体の考え方を教えていくということになりますし
あとは自分が何ができるということ自体
そして何をやってきたかというのをものすごい固めていかないと
大学に入れないらしくなってしまいます
日本はどんな人でも決められたテストを受けたら入れるという
教育のあり方にどちらがいいというのは分からないが
違うことをやってきていると
実際に日本の教育がいいという人ももちろんいるだろうけども
失われた30年間というのに国家が発展していないというものは
そういった教育の部分というのは絶対影響しているんだろうなと思ったりはするんですよね
教育というもの自体はちゃんと考えて変えていかなきゃいけないよな
というのを常々思ったりはしています
前半もいろいろ話してきましたけど