ウイルスが感染しにくい方が有利になっている。 だから、免疫系は対応が……
何のコメントになったんでしたっけ?
いや、ウイルス…なんだっけ?
え、なんかその、社会に対しての議論とかってあるんですか? その浜道さんのその多様性の研究室とかで。
多様性、良き社会、なんか多分。
多分社会側だと、きっとその台湾の踊り男子とかが、なんか多元的社会、プルーラリック、多様な社会みたいなこととか。
いろいろ多分オットな話題だと思うんですけど、社会における多様性みたいなもの。
そういうのが、その多様性研究室に仕入れられてきた時に、なんかどういう議論とかされるんですか?
うちはあんま普段はしないですけど、先生も含めてみんな関心はすごくありますよね。
その社会の多様性、最近はどうでしょう、ジェンダー多様性ですかね、一番こう話に上がってくるとすれば。
それはなんかたまに話したりはしますよね。
研究と絡めているというよりかは、研究やっていくうちに、そういうのに興味を持つようになったという感じかもしれない。
さっきのこの、どうぞ。
あ、ごめんね。なんか異分野交流の話ともつながってくると思っていて、
なんかその分野の多様性というか、ここにいる人たちの多様性みたいなものが、
どういう対話につながり得るのか、なんかそういうところも、
例えば全然違う分野が、僕と機械工学の人と芸術の人が話すのと、
今回みたいに割と近目の人たちで話すの。
そういうなんかインプットの多様性とアウトプットの多様性みたいな、
そういうのもあんのかなって聞いてきました。
でもやっぱそこも難しいよね。
深掘っていけばいくほど学問としては進むのかもしれないけど、
多様性がなくなっていくっていうのも、まあ異様によってはできるよね。
なんかそうです、あんまりなんか爆弾発現かもしれない。
さっき爆弾あったから。
大丈夫。
最適な多様性ってあるのかなとか思ったりします。
まあなおから異分野交流とかすると考え、
異分野交流で話すのは別にそんな爆弾発現ってないですけど、
どの程度まで異分野な人と交流するのがいいのかみたいな話かもしれないですけどね。
なんかそのあまりにも違いすぎる分野の交流と少し違うところの分野の交流で、
すべてをアウトプットで考えるっていうのは良くないですけど、
一番生産性とか考えたときに、
どこまで違うところがいいのかとかってあるのかなと思っているんですよね。
要は多様性の無しありだったらきっと自分はありの方がいいって絶対的に信じてはいるんです。
その連続値にしたときに最適な値ってあるのかなっていう。
このぐらい違う人たちで交流するのが一番いい。
そこがおそらく我々とパチーさんたちの違いなのかなと思って。
今回一回もしゃべらなかったですけど、
実はシステム行動学研究会ってやってるんですけど、
自分たちのこの活動っていうのはあくまで行動学っていう中で、
多様な人たちを集めてみんなでっていうことなんですよね。
みんなで議論しようとかそういう考えなんですけど、
その中にも自分は最近考えていることもあって、
要は行動学っていうとめちゃめちゃ広いので、
どこまでをマグチョコ広げて交流するのがいいのか。
もうどんどんどんどん多様なら多様なほどいいのか。
最近悩んでいるところではあるんですよね。
なんか考えてることあれば聞きたいなと思って。
なんか今聞いて思ったのは、たぶん研究としてのアウトプットを、
全然違う人と話すと、
自分はなんでそもそも生物行動に興味持ってたっけとか、
多分行動学の人たちで話してると、
そもそもなんで行動学に自分は興味持ってたかとか、
でもそれも気づくっていうかなんだろう、
自分の動機とか存在を問われ、問いやすくなるのかな、
全然違う人としゃべるとってなんとなく思ってる。
一方で行動学と話す、
世界に近い領域の人たちと話すと、
シンプルに行動学における研究アウトプットを出すために、
どう回収できるかみたいな。
目的なんですかね。
目的に応じたものがあるっていう感じなんですかね。
それこそだから、もちろん自分もなんですよ。
私は行動生態学なんで、生態学の人とすごく近いんですよ。
ごめんなさい。
30分前です。
ごめんなさい。
なんか、群衆生態学とか、
全然行動ではないんですけど、生態学の話、
自分で聞くの大好きで、
聞くと結構いろいろインスピレーションとか沸きますし、
いろんな発見もあったり、交流もあったりと、
多いんですよね。
だから一概に必ずしも行動学に絞るのが最適とは思ってもないですけど、
そういうところ、かといってどこまでも広げていいのかって、
どうやって考えればいいんだろうなっていうのを最近思うところで、
ただ目的が、その目的にあったものを、
いやでもわかんないですよね。
そんなものを。
でもやっぱ目的をたとえ仮に設定したとしても、
それを超えたところに、
異文や交流とかが価値ってあると思うんですよね。
例えば一旦この対話で、論文書きましょうってなったとしても、
てか論文を書くために相談しましょうっていう話だったとしても、
そこを超えて余りあったところの何かっていうのが、
やっぱ一番特に異文や、遠ければ遠い方がそういう価値なのかなって。
確かにですね。
でも異文やじゃなくても別に、起こせそうな気もするよね。
さっきなんか自分の動機とか問われるって、
別に近い人と話してても問おうと思えば問えるし。
でもさ何を伝えるかって、
写し鏡じゃないけどさ、この人にはこの前提がないからこういう説明をしなきゃとかさ、
その流度はだいぶ変わってくるよね。
どこまでの前提を共有してるかっていう。
それを自分は最近推し売りとしてやっていきたいなって、
今のとみさん黙ってますけど。
思ってて。
自分と違う分野の人にその意義をやっぱ伝える、
分かりやすく伝えるっていうのが、
私たちの研究会にとっての一番分かりやすいメリットになるのかなって。
でもやっぱり参加者、我々の研究会の話になっちゃうんですけど、
参加者にとってやっぱその異文や交流のメリットを分かりやすく伝えることが大事だと
最近は思っていて。
いろいろ昔から課題ですけど、
ダイバーシティー&インプレッション&イクイティーですか、最近は。
インプレッションを達成したときの要因が本当にダイバーシティーなのかも分からないし、
どう達成したのかもよく分からないから、
いまいちダイバーシティーの意義を感じづらいみたいな。
そういうところがあって、異文や交流も同じ話で、
異文やとの対話を通じて何を得たのかがあまりパッとしないと、
我々みたいに興味ある人はいいんですけど、
そういった興味ない人を引き入れる上では、
分かりやすくここに来るといいことあるよ、みたいなのが欲しいなと最近ずっと思って、
なんかどうかなっていう、分かりやすく伝えるっていうのもいいですよねっていう。
分かりやすく伝える、分かりやすく伝えるための練習になるよっていう場の提供っていうことですか?
まあそうですよね、論文とか書くときもそうですけど、一般向けにこう。
この他の自分の前提知識が他の人にどれだけ共有されてるのかっていうのを認識する機械っていうこと?
僕は結構それは逆にこう開示的なところがあって、
つまり何だろうな、場所による機械によると思うんですけど、
結局、より一般の人たち、一般の人たちというか研究をやってない人たちに対してと接する場っていうのは、
多分そっちの方がそっちのメリットを考えて、考えて交流するべき案件かなと思ってて、
それ以外、それ以上に例えば研究会やる、研究者同士のってなったときには、
多分そっちよりも、何というか、
互いに共通している部分を見つけて、その共通性とか際に立脚して、
なんか新しく、例えばその、同じようなシステムかと思うんですけど、それは。
いわゆる僕が扱っているもののシステムと、他の人が扱っているもののシステム、
っていうのが、なんかこう共通しているものがあったときに、
それって僕で言うとこうなんだよねって、今日のお話でも結構多かったと思うんですけど、
その、何というか、現象とか、そういう、何ですかね、その関係性、
これとこれのものの関係性とかっていうのは、僕らの分野で言うとこういうことだよねっていう風に置き換えて、
それは例えば研究者、研究会とかだと、いわゆる同じ技術、
例えば僕が画像解析のこういう手法が、実はそちらも使えるよねとか、
いう話になってくると思うんですよね。
だから何というか、どれぐらいシステムが共通していて、
かつどれくらい違うのかっていう、なんかそのシステムの、何て言うんですかね、
どれくらい同じでどれくらい違うのかレベルのいい塩梅を見つけるのがいいのかななんて思っている。
なんか話がまとまらないんですけど、はい。
感触に似た感じ。
アウトリーチ活動、説明の。
それはない、ないっていうと、
例えば異分野交流の一つの意義というかのでよく語られることとして、
その異分野のマップを作るみたいな話があるんですね。
例えば、ここの中だと、
二人の浜道さんと野富さんの研究がどう、
例えばグラフみたいなものを書いたとして、
僕よりは近くて、阿部くんはさらに遠くに点があって、
それぞれのテーマがどう繋がっているのかっていうのが、
その全体像を理解できるように。
もっと広い分野だと、例えば、
僕と看護学とか、僕と情報科学とか、
そういうのがどういうふうに繋がっているか。
それが分かれば、そっちを通じて社会に何か返せるものがあるかもしれないし、
逆にこっちの分野でなかったことっていうのを、
こっちの分野ではこうしているから、
それにはこういう解決策もあるんじゃないかっていう、
共同っぽい感じの話になったりするんですね。
そういう分野マップを作ろうみたいな話もあるけど、
僕は個人としてはそこら辺はあんまり納得感はなくて、
もちろんそれって目的を作りすぎちゃっているような気がして、
分野マップを作るんだったら、じゃあなんでこの話をする方がいいのかとか、
例えば論文を引っ張ってきて、
例えば自分で本を読んだって分野マップで作れるし、
論文を引っ張ってきて、それを関係性で繋げれば、
分野マップっぽいのもできるかもしれないし、
それが自分にどう返ってくるかとか、
自分がこの会話なり会を通じてどう楽しめるかとか、
そういうことにどちらかというと重きを置きたいなっていつも思ってるんですよね。
だからよく僕が思うのは、
指輪交流ってこういう理由があるよね。
こういう楽しさがあるよねって。
楽しさっていうかこういう利点があるよねって言った時に、
じゃあそれなんで本を読むのでは得られないものなのって。
例えばこの時間論文を読んでた方がいいかもしれないのに、
なんでこう対応するのかっていうところに結構僕はよく考えていて、
そこに何か答えられるものが欲しいなっていう風にいつも思っているという感じなんですよね。
だからセレンディティー性じゃないかもしれないけど、
なんか偶然話が繋がるとか、
それ自体に何か楽しみを覚えられるとか、
そういうことも大事なのかなって思っているというのはただそれだけだと思います。
もうなんかその通りだなって皆さんも思って。
自分がでも今最近探してるのは売り文句みたいなものがしてるんですよ。
そうだよね。
なんか来た人には楽しかったとか思ってもらえればきっと、
もちろんそれぞれ得るものがあっていいと思いますし、
今じゃなくても参加していくうちにとかでもいいと思うんですけど、
じゃあその参加しようっていくために何を売り文句にすればいいかなってすごい。
そうだよな。
そこをなんかさっきの野本美さんの意見ももちろん分かるんですよ。
めちゃくちゃ分かりますし、うちはめちゃ話し合ってるのであれなんですけど。
それを全く参加したことない人に説明して、
それは言ってみたいねってなるかって言われたらなかなか難しいというか、
その認識として文章で見ても感じずらいよなとか思っていて。
本当にその通り。
何を売り文句、そうなんですよ、売り文句として。
占い。
前その越境とか交流的な場にお気づきの研究みたいな話紹介した?
初期参入層とリピッター層っていうのが基本的にはいて、
初期参入層っていうのはおおむねそういう交流事業をやっている運営の人が友人だったとか、
あるいは学校の反強制的なカリキュラムで参加せざるを得なかったみたいなので参加してくる人たちと、
あとはリピッター層としては実際に参加してみて、
自分にとって良い経験ができた。
それは説明力が上がったとか、
シンプルに自分の課題に対して新しい視点が得られたという成功体験があるから参加できたっていう、
初期参入とリピッター層がいて、
たぶん参加して1回か2回参加してくれたら、
たぶん体験をちゃんと設計していればリピッター層になってくれる。
初期参入はどういうリモンクトがいいかっていう話として、
羽生さんの話を捉えた時に、
説明する力が尽きますっていうのは、
ちょっとカリキュラム的すぎるよなと思って、
そこの説明したい、欲望に焚き尽きられた人しかやっぱそれだとこれなくなる。
なった時にやっぱりその人の探求が進むとか、
だから説明する力がつくことによって探求が進みますっていうところからいくのか、
シンプルにさっきの乙女さんが言ったシステム、
なんか抽象的なところでのアナロジー取って、やっぱ面白い会話ができますっていう、
そこの面白みを何か前も化粧品のたといでしたかもしれないですけど、
やっぱ至強品みたいなミニマムな小さな成功体験を届ける何かを。
なんかそれで言うと、これ同調なのかなって俺は思ってるんですけど、
前回僕らがやった研究会は数百人集まったんですよね。
それって何で集まったかっていう考えてみると、
多分初期参入、初期の登録してくれた人の人数をもう常に僕ら出してたんですよ。
何人現在登録してますみたいな。
それを見て結構人が集まってるぞ、なんかすごい研究会だぞみたいなものが伝わってったんじゃないかなっていう。
で、後、講演者もすごい人数入れたんですね。
そしたら自分の分野で、この先生、自分の分野の先生がいる。
で、他にたくさん人がやっている。
で、同調して参加していくっていう、
あれ多分売りモンク以上に同調が結構あったのかなと思ってました。
確かに。
ちょっと話ずれたんで申し訳ないんですけど。
携帯の方で続きを聞きます。
入り直すってことね。
でも松井君とちょくちょく話してるけど、
やっぱり哲学とか仮説とか、
そこら辺の話をもっと深掘らないとねっていうことを
よく言ってて、
松井君前に言ってたことの
松井君図での僕が
復唱するだけで復唱できるかわかんない。
歴史とか固有にあった、
固有性とかさっき言ってましたけど、
各個体のシクリットが主観的に感じている現象とか
そういったものを
それを一般的なものとか共通項とかに
くくらずして何かを語れないか
みたいなことを
悶々としてるって話をしてました。
統合があるから
多様さがあるっていうか
そういう気もしますけど、そもそも本質として
生き物の多様さだったら
生き物っていう共通点があって
その中に多様さがある気がして
統合するっていうのは
普遍的なものを見つけて
その上でどうして理論に乗っからない部分があるんだろう
そういったところに視点を向けられるところが
今考えただけで
あれですけど
そういう可能性もあるのかな
確かに
認識論?脳科学とか
感性とかそういうものを
研究してる人の話聞いたとき
感動とかもやっぱ
共感と驚きのちょうど
いい塩梅のところに感動があるっていう
共感っていうのは既存のものへの
アクセスで
それに対して新しい新規性があるから
驚きがあるから感動があるんだとか
多分そもそも
何だっけ
統合情報理論っていうか
常に脳みそは予測してるっていうじゃないですか
その予測誤差で学習しているっていう
話が
やっぱりあって
予測と違うから学習するって
何だっけ
これ余談なんですけど
まあその
脳科学研究してる人の方が当然詳しいと思うんですけど
やっぱりその予測
ちなみに人間のドーパミンが一番出るのって予測
予測外の報酬が
だからギャンブルとかそうだと思うんですけど
予測外の報酬が出たときに
一番
ドーパミンが出るとか
そういう既存
既存
さっきのマチークの話を
どう回収すればいい
そうだよな
多様性って何なんだろうっていうのがやっぱり
僕が知りたいことなんだなって毎回思うんだけど
微分野考慮でもそうだけど
この場があること自体がやっぱり大事で
それを統合しようと無理やりするっていう
アウトプットを生むっていうことにも繋がるかもしれないけど
それって何か損なってんだよなっていつも思うんだよね
多様であるってある評価軸を導入して
そこにおいて分散があるっていうことなどって
各固有があるってただただ多様なものがただ開けてるって
認識の枠組みとか評価軸を導入しないとさ
多様であることを認識できない
くねえって普通に思うんだけど
まあ確かに
ただカオスなだけだと別に
それに面白さを感じる人もいるかもしれないですけど
一般理論規則があった上で
何であるのにこんなに多様なんだろう
スクリプトで言えば普通そんな主文化しないはずなのに
そんな主文化してるんだろう
普通そんなに主文化しないっていう一般則があるからこそ
面白いかなって
分析してる
いろいろ対話の理論とか書いてる人がいて
ドッソフスキーの本って一人一人の
罪と罰ぐらいから一人が
多分普通の本だと一人がせいぜい喋って
四五行とかその鍵カッコで
そのぐらいの量だと思うんですけど
ドッソフスキーの本って1ページとか2ページとか
めちゃくちゃボーッと喋って
それで二人目がそこに噛み合ってるのか噛み合ってないのかよくわからない
発言をボーッとするみたいなけど
それがなんとなくとして成り立ってて
一個の作品として出来上がっている
ドッソフスキー自身の作者の姿勢とかもそんなにいれず
その登場人物にとにかく極力
ドッソフスキーの意図とか
そしてその登場人物に話したりしていて
もう少しよくわかんないこと言ってるかもしれないですけど
続けさせてみると
一方で異分野小売とかすると
例えばAI研究者と多分野の研究者と話すときに
だいたい手段と目的の関係で語られちゃうことが多いです
AIうちの分野だとこういう風に使えそうだなとか
そういう相手の探求を道具化して
交流されてしまうようなこととかが結構比較的多かったりして
そうじゃなくてさっきポリフォニーって言ったんですけど
一人一人とにかくウォロウロウロって喋って
一人もウォロウロウロって喋って
いい感じ探求のパッションが対等にその場に吐き出されて
手段と目的が道具化されない関係性として立ち会われるような
やり方ってないんだろうかみたいなことを話してたりします
つまり探求と探求の関係性
良い関係のあり方って何だろうみたいなこと
例えばギブアンドテイクとか
多分そういう目的で言うと
道具的に使えてしまうようなものを持つ近い人なのかな
持つ人同士だと結構そういうことが起きるのであれば
道具的な使用も何も起きなさそうな
めちゃめちゃかけ離れてる人との交流が
そういう意味での交流にはいいよねっていうことなのかなと
話を聞いてたんですけど
でもそうすると話が合わないという現象が起きそうな気がして
つまり言語が違うというんですかね
面白さの軸とかが全然違ったりとか
そもそもどうしてフォーカスにズレがあることを
お互い認識できないまま全然話が合わないなーってなる気がするんですよね
だから今ズレって言いましたけど
この分野とこの分野はそもそもこういうズレがあるから
こういうズレを元に話しましょうねっていうガイドラインがあると話せるかもしれないけど
単に寄せ集めていくと全然話が合わんできないって
終わりそうな気がするなって聞いてて思ってました
そこのガイドラインってどう設計する
さっき僕がバフチン話してると言って非常にしんどいわけです
絶対街行くんとかメンバーとか話してるといい感じに話が繋がってくるんですよね
今僕がさっき話した内容非常にぎこちない感じでだいぶしんどい
でもさっきのそれをもう一回バフチンの議論戻すと
しんどさとか関わらずオラーって喋って
こっちもオラーって喋る
でそれを続けていくとそのうち
一個の作品が立ち上がってくるんじゃないか説みたいな
そう続ける強靭なメンタルが互いにあって戦争し続けられるかってことですね
戦争というか
戦争じゃないですもん
黙々とただ互いに踊ってるだけみたいな
踊ってるかそういうことですよね
でもその在り方が生命っぽいんじゃないかという時も