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第29回 【研究者雑談コラボ企画】越キョウ創的対話クエスト④ 浜道凱也さん×待井長敏さん(後編)
2026-05-15 57:00

第29回 【研究者雑談コラボ企画】越キョウ創的対話クエスト④ 浜道凱也さん×待井長敏さん(後編)

【研究者雑談】越キョウ創的対話クエストは、それぞれのプロフィールからAIに出してもらった接点をキッカケに行う異分野交流です。第4回は⁠昆虫の群れ行動の研究をしている浜道さん⁠と、⁠進化の多様化を研究しながら、異分野交流の探究も行っている待井さん⁠です。


今回は長編のため、前後編の2回に分けてお届けします。


異分野交流に興味のある方は、X(旧Twitter)の ⁠@kanaW104⁠ までご連絡ください。

https://x.com/kanaW104


感想

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サマリー

このエピソードでは、浜道凱也さんと待井長敏さんが異分野交流の意義と難しさについて深く掘り下げています。多様な分野の研究者が集まることの価値、そしてそれがもたらす対話の可能性について議論が交わされます。特に、分野間の「ちょうど良い距離感」や、異分野交流を通じて自身の研究動機を再確認することの重要性が語られます。また、異分野交流のメリットを分かりやすく伝えるための「売り文句」の必要性や、参加者を惹きつけるための「同調」効果についても考察されます。さらに、研究分野における「統合」の概念と、多様性との関係性、そして個々の研究対象の固有性を尊重することの意義についても議論が展開されます。最終的には、異分野交流は単なる情報交換ではなく、互いを尊重し、熱意を持って対話を続けることで、新たな発見や深い理解につながるという結論に至ります。このプロセス自体が生命の本質である多様性を探求することにつながるのではないか、という示唆に富む議論が繰り広げられました。 議論は、異分野交流の「売り文句」や参加者を惹きつける方法から始まり、研究者同士の対話における「共通性」と「差異」のバランス、そして「統合」という概念の難しさへと進みます。浜道さんは、自身の研究である昆虫の行動と都市化やストレスといったテーマとの統合の可能性に触れ、多様性の中に共通の仕組みを見出すことの面白さを語ります。待井さんは、多様性そのものが生物の本質であり、それを一般化しようとすることへの疑問を呈し、個々の固有性を探求することの重要性を強調します。最終的に、異分野交流は、互いの探求心を尊重し、熱意を持って対話を続けることで、単なる情報交換を超えた価値を生み出すという結論に至り、そのプロセス自体が生命の多様性を理解する鍵となる可能性が示唆されました。

異分野交流における多様性と対話の意義
ウイルスが感染しにくい方が有利になっている。 だから、免疫系は対応が……
何のコメントになったんでしたっけ?
いや、ウイルス…なんだっけ?
え、なんかその、社会に対しての議論とかってあるんですか? その浜道さんのその多様性の研究室とかで。
多様性、良き社会、なんか多分。
多分社会側だと、きっとその台湾の踊り男子とかが、なんか多元的社会、プルーラリック、多様な社会みたいなこととか。
いろいろ多分オットな話題だと思うんですけど、社会における多様性みたいなもの。
そういうのが、その多様性研究室に仕入れられてきた時に、なんかどういう議論とかされるんですか?
うちはあんま普段はしないですけど、先生も含めてみんな関心はすごくありますよね。
その社会の多様性、最近はどうでしょう、ジェンダー多様性ですかね、一番こう話に上がってくるとすれば。
それはなんかたまに話したりはしますよね。
研究と絡めているというよりかは、研究やっていくうちに、そういうのに興味を持つようになったという感じかもしれない。
さっきのこの、どうぞ。
あ、ごめんね。なんか異分野交流の話ともつながってくると思っていて、
なんかその分野の多様性というか、ここにいる人たちの多様性みたいなものが、
どういう対話につながり得るのか、なんかそういうところも、
例えば全然違う分野が、僕と機械工学の人と芸術の人が話すのと、
今回みたいに割と近目の人たちで話すの。
そういうなんかインプットの多様性とアウトプットの多様性みたいな、
そういうのもあんのかなって聞いてきました。
でもやっぱそこも難しいよね。
深掘っていけばいくほど学問としては進むのかもしれないけど、
多様性がなくなっていくっていうのも、まあ異様によってはできるよね。
なんかそうです、あんまりなんか爆弾発現かもしれない。
さっき爆弾あったから。
大丈夫。
最適な多様性ってあるのかなとか思ったりします。
まあなおから異分野交流とかすると考え、
異分野交流で話すのは別にそんな爆弾発現ってないですけど、
どの程度まで異分野な人と交流するのがいいのかみたいな話かもしれないですけどね。
なんかそのあまりにも違いすぎる分野の交流と少し違うところの分野の交流で、
すべてをアウトプットで考えるっていうのは良くないですけど、
一番生産性とか考えたときに、
どこまで違うところがいいのかとかってあるのかなと思っているんですよね。
要は多様性の無しありだったらきっと自分はありの方がいいって絶対的に信じてはいるんです。
その連続値にしたときに最適な値ってあるのかなっていう。
このぐらい違う人たちで交流するのが一番いい。
そこがおそらく我々とパチーさんたちの違いなのかなと思って。
今回一回もしゃべらなかったですけど、
実はシステム行動学研究会ってやってるんですけど、
自分たちのこの活動っていうのはあくまで行動学っていう中で、
多様な人たちを集めてみんなでっていうことなんですよね。
みんなで議論しようとかそういう考えなんですけど、
最適な多様性の探求と交流の距離感
その中にも自分は最近考えていることもあって、
要は行動学っていうとめちゃめちゃ広いので、
どこまでをマグチョコ広げて交流するのがいいのか。
もうどんどんどんどん多様なら多様なほどいいのか。
最近悩んでいるところではあるんですよね。
なんか考えてることあれば聞きたいなと思って。
なんか今聞いて思ったのは、たぶん研究としてのアウトプットを、
全然違う人と話すと、
自分はなんでそもそも生物行動に興味持ってたっけとか、
多分行動学の人たちで話してると、
そもそもなんで行動学に自分は興味持ってたかとか、
でもそれも気づくっていうかなんだろう、
自分の動機とか存在を問われ、問いやすくなるのかな、
全然違う人としゃべるとってなんとなく思ってる。
一方で行動学と話す、
世界に近い領域の人たちと話すと、
シンプルに行動学における研究アウトプットを出すために、
どう回収できるかみたいな。
目的なんですかね。
目的に応じたものがあるっていう感じなんですかね。
それこそだから、もちろん自分もなんですよ。
私は行動生態学なんで、生態学の人とすごく近いんですよ。
ごめんなさい。
30分前です。
ごめんなさい。
なんか、群衆生態学とか、
全然行動ではないんですけど、生態学の話、
自分で聞くの大好きで、
聞くと結構いろいろインスピレーションとか沸きますし、
いろんな発見もあったり、交流もあったりと、
多いんですよね。
だから一概に必ずしも行動学に絞るのが最適とは思ってもないですけど、
そういうところ、かといってどこまでも広げていいのかって、
どうやって考えればいいんだろうなっていうのを最近思うところで、
ただ目的が、その目的にあったものを、
いやでもわかんないですよね。
そんなものを。
でもやっぱ目的をたとえ仮に設定したとしても、
それを超えたところに、
異文や交流とかが価値ってあると思うんですよね。
例えば一旦この対話で、論文書きましょうってなったとしても、
てか論文を書くために相談しましょうっていう話だったとしても、
そこを超えて余りあったところの何かっていうのが、
やっぱ一番特に異文や、遠ければ遠い方がそういう価値なのかなって。
確かにですね。
でも異文やじゃなくても別に、起こせそうな気もするよね。
さっきなんか自分の動機とか問われるって、
別に近い人と話してても問おうと思えば問えるし。
でもさ何を伝えるかって、
写し鏡じゃないけどさ、この人にはこの前提がないからこういう説明をしなきゃとかさ、
その流度はだいぶ変わってくるよね。
どこまでの前提を共有してるかっていう。
それを自分は最近推し売りとしてやっていきたいなって、
今のとみさん黙ってますけど。
思ってて。
自分と違う分野の人にその意義をやっぱ伝える、
分かりやすく伝えるっていうのが、
私たちの研究会にとっての一番分かりやすいメリットになるのかなって。
でもやっぱり参加者、我々の研究会の話になっちゃうんですけど、
参加者にとってやっぱその異文や交流のメリットを分かりやすく伝えることが大事だと
最近は思っていて。
いろいろ昔から課題ですけど、
ダイバーシティー&インプレッション&イクイティーですか、最近は。
インプレッションを達成したときの要因が本当にダイバーシティーなのかも分からないし、
どう達成したのかもよく分からないから、
いまいちダイバーシティーの意義を感じづらいみたいな。
そういうところがあって、異文や交流も同じ話で、
異文やとの対話を通じて何を得たのかがあまりパッとしないと、
我々みたいに興味ある人はいいんですけど、
そういった興味ない人を引き入れる上では、
分かりやすくここに来るといいことあるよ、みたいなのが欲しいなと最近ずっと思って、
なんかどうかなっていう、分かりやすく伝えるっていうのもいいですよねっていう。
分かりやすく伝える、分かりやすく伝えるための練習になるよっていう場の提供っていうことですか?
まあそうですよね、論文とか書くときもそうですけど、一般向けにこう。
この他の自分の前提知識が他の人にどれだけ共有されてるのかっていうのを認識する機械っていうこと?
僕は結構それは逆にこう開示的なところがあって、
つまり何だろうな、場所による機械によると思うんですけど、
結局、より一般の人たち、一般の人たちというか研究をやってない人たちに対してと接する場っていうのは、
多分そっちの方がそっちのメリットを考えて、考えて交流するべき案件かなと思ってて、
それ以外、それ以上に例えば研究会やる、研究者同士のってなったときには、
多分そっちよりも、何というか、
互いに共通している部分を見つけて、その共通性とか際に立脚して、
なんか新しく、例えばその、同じようなシステムかと思うんですけど、それは。
いわゆる僕が扱っているもののシステムと、他の人が扱っているもののシステム、
っていうのが、なんかこう共通しているものがあったときに、
それって僕で言うとこうなんだよねって、今日のお話でも結構多かったと思うんですけど、
その、何というか、現象とか、そういう、何ですかね、その関係性、
これとこれのものの関係性とかっていうのは、僕らの分野で言うとこういうことだよねっていう風に置き換えて、
それは例えば研究者、研究会とかだと、いわゆる同じ技術、
例えば僕が画像解析のこういう手法が、実はそちらも使えるよねとか、
いう話になってくると思うんですよね。
だから何というか、どれぐらいシステムが共通していて、
かつどれくらい違うのかっていう、なんかそのシステムの、何て言うんですかね、
どれくらい同じでどれくらい違うのかレベルのいい塩梅を見つけるのがいいのかななんて思っている。
なんか話がまとまらないんですけど、はい。
異分野交流の価値と「売り文句」の必要性
感触に似た感じ。
アウトリーチ活動、説明の。
それはない、ないっていうと、
例えば異分野交流の一つの意義というかのでよく語られることとして、
その異分野のマップを作るみたいな話があるんですね。
例えば、ここの中だと、
二人の浜道さんと野富さんの研究がどう、
例えばグラフみたいなものを書いたとして、
僕よりは近くて、阿部くんはさらに遠くに点があって、
それぞれのテーマがどう繋がっているのかっていうのが、
その全体像を理解できるように。
もっと広い分野だと、例えば、
僕と看護学とか、僕と情報科学とか、
そういうのがどういうふうに繋がっているか。
それが分かれば、そっちを通じて社会に何か返せるものがあるかもしれないし、
逆にこっちの分野でなかったことっていうのを、
こっちの分野ではこうしているから、
それにはこういう解決策もあるんじゃないかっていう、
共同っぽい感じの話になったりするんですね。
そういう分野マップを作ろうみたいな話もあるけど、
僕は個人としてはそこら辺はあんまり納得感はなくて、
もちろんそれって目的を作りすぎちゃっているような気がして、
分野マップを作るんだったら、じゃあなんでこの話をする方がいいのかとか、
例えば論文を引っ張ってきて、
例えば自分で本を読んだって分野マップで作れるし、
論文を引っ張ってきて、それを関係性で繋げれば、
分野マップっぽいのもできるかもしれないし、
それが自分にどう返ってくるかとか、
自分がこの会話なり会を通じてどう楽しめるかとか、
そういうことにどちらかというと重きを置きたいなっていつも思ってるんですよね。
だからよく僕が思うのは、
指輪交流ってこういう理由があるよね。
こういう楽しさがあるよねって。
楽しさっていうかこういう利点があるよねって言った時に、
じゃあそれなんで本を読むのでは得られないものなのって。
例えばこの時間論文を読んでた方がいいかもしれないのに、
なんでこう対応するのかっていうところに結構僕はよく考えていて、
そこに何か答えられるものが欲しいなっていう風にいつも思っているという感じなんですよね。
だからセレンディティー性じゃないかもしれないけど、
なんか偶然話が繋がるとか、
それ自体に何か楽しみを覚えられるとか、
そういうことも大事なのかなって思っているというのはただそれだけだと思います。
もうなんかその通りだなって皆さんも思って。
自分がでも今最近探してるのは売り文句みたいなものがしてるんですよ。
そうだよね。
なんか来た人には楽しかったとか思ってもらえればきっと、
もちろんそれぞれ得るものがあっていいと思いますし、
今じゃなくても参加していくうちにとかでもいいと思うんですけど、
じゃあその参加しようっていくために何を売り文句にすればいいかなってすごい。
そうだよな。
そこをなんかさっきの野本美さんの意見ももちろん分かるんですよ。
めちゃくちゃ分かりますし、うちはめちゃ話し合ってるのであれなんですけど。
それを全く参加したことない人に説明して、
それは言ってみたいねってなるかって言われたらなかなか難しいというか、
その認識として文章で見ても感じずらいよなとか思っていて。
本当にその通り。
何を売り文句、そうなんですよ、売り文句として。
占い。
前その越境とか交流的な場にお気づきの研究みたいな話紹介した?
初期参入層とリピッター層っていうのが基本的にはいて、
初期参入層っていうのはおおむねそういう交流事業をやっている運営の人が友人だったとか、
あるいは学校の反強制的なカリキュラムで参加せざるを得なかったみたいなので参加してくる人たちと、
あとはリピッター層としては実際に参加してみて、
自分にとって良い経験ができた。
それは説明力が上がったとか、
シンプルに自分の課題に対して新しい視点が得られたという成功体験があるから参加できたっていう、
初期参入とリピッター層がいて、
たぶん参加して1回か2回参加してくれたら、
たぶん体験をちゃんと設計していればリピッター層になってくれる。
初期参入はどういうリモンクトがいいかっていう話として、
羽生さんの話を捉えた時に、
説明する力が尽きますっていうのは、
ちょっとカリキュラム的すぎるよなと思って、
そこの説明したい、欲望に焚き尽きられた人しかやっぱそれだとこれなくなる。
なった時にやっぱりその人の探求が進むとか、
だから説明する力がつくことによって探求が進みますっていうところからいくのか、
シンプルにさっきの乙女さんが言ったシステム、
なんか抽象的なところでのアナロジー取って、やっぱ面白い会話ができますっていう、
そこの面白みを何か前も化粧品のたといでしたかもしれないですけど、
やっぱ至強品みたいなミニマムな小さな成功体験を届ける何かを。
なんかそれで言うと、これ同調なのかなって俺は思ってるんですけど、
前回僕らがやった研究会は数百人集まったんですよね。
それって何で集まったかっていう考えてみると、
多分初期参入、初期の登録してくれた人の人数をもう常に僕ら出してたんですよ。
何人現在登録してますみたいな。
それを見て結構人が集まってるぞ、なんかすごい研究会だぞみたいなものが伝わってったんじゃないかなっていう。
で、後、講演者もすごい人数入れたんですね。
そしたら自分の分野で、この先生、自分の分野の先生がいる。
で、他にたくさん人がやっている。
で、同調して参加していくっていう、
あれ多分売りモンク以上に同調が結構あったのかなと思ってました。
確かに。
ちょっと話ずれたんで申し訳ないんですけど。
分野間の壁と可視化の重要性
マーケティングっぽい。
マーケティングの話っぽいですね。
同調する。
その同調って何なんすか。
同調。
同調だから。
いやいやいや、安心感。
なんかなーとか思ったりはしますけどね。
でもそれこそインフルエンサー。
なんか揺さぶる人を持ってこれないかも。
我々がある種のインフルエンサーなのかもしれない。
我々というか、質戦行動学会を立ち上げた浜道さん、
ドトドイさんがある種のインフルエンサーなのかもしれないけど、
そこをインフルエンスしにくいってことなのかな、やっぱり。
異文や交流っていうのは性質として。
うーん、そういうことですよね。
でも、それはなぜだ。
メリットが分かりにくいっていう。
ふわっとしている。
なるほど。
研究もだから、
例えば生物愛が強い人とかいるんですよ、生態学だと。
魚大好きみたいな。
魚の研究会とかにしか行かないですみたいな。
それはニッチなところ、専門的なところだけ参加すればいいかなみたいな。
そういう人も結構いるんですよね。
本当に心の底からそう思ってる人はもう多分諦めるしかないですけど、
研究やってるとそういう人も結構いるんだなと思いますね。
なんかちょっと関係ないかもしれないですけど、
例えば、僕ら異文や交流何回もやってますけど、
その会だと数学系の人とか物理学系の人ってあんま来ないんですよ。
だいたい文系の人とか、あと生物学。
バイオが毎回多いってこと?
そう、バイオがだいたい一番多くて。
へー。
そういうのって数学とか、
それなんでかっていうのはわかんない。
ぶっちゃけ答えはないんですけど、
そういうのも関係あるのかな。
自分の分野が揺さぶられにくいっていうか、
例えば生物学の人の話を聞いたところで、
俺の数学の研究は進まねーぜみたいな、
そういうのとかってあんのかな。
個人プレイが多い、そんなイメージはないですけどね。
数学とか物理学の論文はあんま知らないんであれですけど。
でも明らかに少ないんですよね。
暗帳とかが多いですからね。
どうかもしれない。
僕は一つは、ビジュアライゼーション、
可視化はやっぱ大事だと思います。
さっき工藤さんもちょこっとコメントしてくださってましたけど、
例えばこういう、別になんていうのかな、
嘘でもいいとは言いませんけど、
パッとなんか過ごそうみたいなものを出す。
これに関わってみたいかもみたいな、
そういう可視化?
例えば、この対話のネットワークを作ろうっていうのも今やってるんですけど、
ネットワーク、納豚さんがこの前出してたみたいな、
ワードクラウドでもいいんですけど、
ああいう、なんか訴えかけてくるもの。
例えば納豚さんのワードクラウドの中にシクリットって言葉あったら、
俺絶対行くと思うんですよね。
そうなんですよね。
自分と共通項があるのかどうかっていうのが不明確だと、
結構自分が受動的になっちゃうかなっていう、
でも自分が能動的に参加できる回なのかっていうのは、
多分そういうとこで判断してるんじゃないかなと思うんですよね。
確かに。
やっぱ可視化は、
いい感じの可視化って最近大事だよなって、なんとなく思って。
僕は今回の研究会で、
お金のスラックで共有したマップを参加者からキーワード集めて、
それをマッピングしてっていうのをホームページに載せて、
みんなに可視化させようと思ってるんですけど、
全部反映してしまうとあまりにも量が多すぎて、
それもなんか良くないのかなとかも考えてはいるんですよね。
確かに。
ちょっと悩みとしてある。
システム行動学会設立の経緯と「統合」の探求
その異文役割やろうと思ったきっかけって何ですか。
誰に対して。
ノートメットのシステム行動学会の中で。
何でやろうとしたか。
やろうぜってなった。
僕らのいわゆる、立ち上げたのは僕と山内くんて、
もう一人のしろと一緒に二人で最初に作ったのそうなんですけど、
そのときに話してたのが、いわゆる行動学って、
行動に関する研究ってたくさんあるんですよ。
でも、どこの学会でもそれがメインにはならないというか、
行動の○○に関してフォーカス。
行動の○○に関してフォーカスっていうのが、
いろんな学会の一部にあるみたいな。
顕在されていて、行動を理解しよう。
で、いろんな手法が集まりますよ。
いろんな研究が集まりますよっていう、
行動中心のいろんな行動の研究をまとめたような学会っていうのが、
日本だとなく、
世界的にも実は結構それが問題されてるところもあるらしいんですけど、
日本にはなかったので、
これは束ねるしかないねということで、
試しにいろんな人を呼んでやってみたら、
すごく需要があったっていう話でした。
統合を、
格論化していったものを統合するっていう。
そうですね、再び統合する。
レプコやな。
いや、なんか統合って、
統合ってもうやっぱり異分野交流の、異分野交流というか異分野、
まあ、越境とかそっちのほうになるのか、
まあ僕はそこら辺はまかしくないですけど、
統合するって何なんだろうなって結構ずっと悩んでる。
僕は自分の研究ではできるだけいろんな手法を使って、
それらが同じ結論を導くようになったら、
美しいストーリーやなってなんとなく思ってるんですけど、
ゲノメでもタンパクでもRNAでも、
まあなんなら行動でも、
全部理屈がつく、
てか綺麗に同じ結果になったら、
それはそれらの手法が統合されて、
一つの大きな結論を導くっていう。
例えば、でも、
それって結局物語が一つ物語れるかっていうことだと思うんですよね。
その研究員に関して言えば、
僕の手法の統合に関して。
でも必ずしもそれだけじゃないやり方が、
まあいろいろある気がしていて、
例えば、アリで分かったこととハイで分かったことと、
シクリットで分かったことと、
人間社会で分かったことが統合されるって、
どういうことなんだろうと思ったりしましたね。
難しいですよね、本当に。
一般性とかも結構大事に重要視されますけど、
自分もそれを重視して研究してますけど、
じゃあそれこそインフルエンサーに言ってますけど、
ハイで言った話が人間社会に適応できるかって言われたら、
当然できないわけで。
できるところもあると思ってはいますけど、
そんな自分の研究結果そのものを、
引用することができなくて。
でも逆に言うと、
だから統合できなかったら意味ないのかっていうのもすごい思っていて。
そうですよね。
だからシクリットで分かったことが人の社会に通用しなかったら、
シクリットで分かったこと意味ないんですかって。
それも違うなと思っていて。
その観点で歴史性みたいなのを最近調べたりしてるんですけど、
固有性っていうか、
そういう歴史をシクリットが辿ってきた進化の歴史自体を解き明かすことに、
何か意味を置きたいっていう、
そういう気持ちもあったりして。
そんな感じです。
統合した事例って何かあるんですかね。
行動学の中で、進化論でもいいんですけど、
これは統合されたなみたいな、
統合感満載の結果ってあるんですか。
最近うちの研究室のチャットで盛り上がってたのは、
都市化のテーマにして研究してるんですけど、
都市化の統合を誰かしてくれっていう話をしてて、
種によって結果真逆になったりするんですよ。
都市にいる人たちの方が、
より社交的になるとか、
大胆になるとかあるんですけど、
それが種によって逆になったりして、
結局じゃあ都市化って何なのって、
都市化はどういう統合をすればいいのか、
誰かが結論出してくれみたいな話を、
こういう話で盛り上がってて、
歯がちっちゃくなる、
それはみんな共通だとかいう話はしてました。
統合できてないんですけど、
そういうことはでも。
その統合でいうと、実は僕の研究は、
僕の研究の話ちょっとだけすると、
昆虫が明るいところに集まるって、
行動があるじゃないですか。
暗いところに引き寄せられていく、
っていう行動もあるんですね。
それを僕が研究してたら、
すごくストレスがあるような状況の時に、
そういう行動が引き起こされるみたいな、
結論が得られたわけです。
それをやってると、
大胆と言っていいかわかんないけど、
環境の影響を受けにくいような種と、
環境を受けやすいような種がいて、
よく見てみると、
行動範囲が広く、
周りの環境の変動の影響を受けにくいやつの方が、
あんまりストレスっぽい行動しなくなった。
僕のただシンプルな接近行動っていうところが、
川内くんがやってるような、
都市化とストレス云々みたいなものに、
統合されそうだなと、
今思ってるところがあって、
だから、いわゆる、
繰り返しになっちゃうけど、
ただ接近する行動、
これ何なんだろうって調べてて、
全然都市化と関係ないじゃないですか。
でも調べていくと、
1つに繋がったなと、
いうところが最近あって、
これは1個の統合なんですかね。
ファクター、デカファクターが、
格論同士を結びつける。
そうですね。
ストレスっていうものが、
僕はストレス行動学みたいなもの立ち上げたいんですけど、
でもストレスって言えばデカファクターが、
全然違うところを結びつけてっていう、
例はありましたね、最近。
それで言うと、
多様性と一般性のジレンマ、そして生命の本質
めちゃくちゃシンプルな話ですけど、
多様性はあったほうがいいみたいな話で、
すごいいろんなところで共通してるのかなと思います。
このリブや氷もそうですけど、
人も含めて、生物も含めて、
種多様性、種内多様性も、
必ずしも全部が全部プラスに働かないですけど、
基本的にはあったほうがいいみたいな、
ざっくりとした統合だったらあるのかなとか、
ちょっと思ったりはします。
僕がそれで結構思うのが、
多様性があることと統合できることって、
逆のベクトルな気がしていて、
どんどん生物が多様化していくごとに、
統合できる情報ってなくなっていくというか、
だからそれって、
僕これかなり自分の中心的な、
一番知りたいことの一つなんですけど、
多様性と一般性。
一般性があるものを何か言えたら、
統合されていってる。
例えばストレスでいろんな現象を語れたら、
ストレスっていうものにいろいろ統合されてます。
っていうことなんですけど、
それって多様性と反していて、
多様性って生物の本質だよなって、
僕は思うのに、
それを追い求めれば追い求めるほど、
一般的なものってなくなっていって、
何なんだろうみたいな。
そういうふうに思っちゃう。
すごくめちゃめちゃランダムな多様に見えるけど、
でも一つの仕組みはシステムの上に乗っかっている、
多様性っていうところなのかなと思いますけどね。
自分もそう。
そっちが逆に面白いのかな。
めっちゃ一見すると、
すごいランダムで何もなさそうな、
共通点がなさそうなところに、
何かこう、
共通のものがあったときに、
すごいなってなる。
面白いなって思うかなって自分は思う。
自分はそこに面白さを感じるというか。
多様さの秩序みたいな。
そうなんですよね。
だから、
なんていうのかな。
でも生物において、
全部を説明できるものってほぼないというか、
それこそ自然選択とか、
そういうのに含まれちゃうのかもしれないけど、
それを追い求めることって、
生物の理解なのかなって。
僕は逆に、
個別性とか、
シクリットのことを知るっていう、
別にシクリットじゃなくてもいいけど、
その生き物の多様性について、
それって答えてるのかなっていう。
酸素を吸ってるって言われても、
多様であるってところに、
生物の本質があるはずなのに、
それをくくろうとしてくるものって、
僕にとって生物の理解じゃないんじゃないかって、
思っている節が。
たとえば、シュレリンガーの生命とは何か。
もうちょっとで抜きます。
シュレリンガーのあれとか、
生命とは何かっていう本とかあると思うんですけど、
あれでエントロピーが増大していくのが、
生物の本質なのであるみたいな。
言ってるけど、
それでくくったら、そうかもしれないけど、
それって生物の理解なのかなみたいな。
だから多様であるってことが生物なのに、
それをくくることって何なんだろうみたいな、
そういう行き通りがあります。
ということで、僕は一旦移動するので、
対話におけるメンタル、配慮、そして熱意
携帯の方で続きを聞きます。
入り直すってことね。
でも松井君とちょくちょく話してるけど、
やっぱり哲学とか仮説とか、
そこら辺の話をもっと深掘らないとねっていうことを
よく言ってて、
松井君前に言ってたことの
松井君図での僕が
復唱するだけで復唱できるかわかんない。
歴史とか固有にあった、
固有性とかさっき言ってましたけど、
各個体のシクリットが主観的に感じている現象とか
そういったものを
それを一般的なものとか共通項とかに
くくらずして何かを語れないか
みたいなことを
悶々としてるって話をしてました。
統合があるから
多様さがあるっていうか
そういう気もしますけど、そもそも本質として
生き物の多様さだったら
生き物っていう共通点があって
その中に多様さがある気がして
統合するっていうのは
普遍的なものを見つけて
その上でどうして理論に乗っからない部分があるんだろう
そういったところに視点を向けられるところが
今考えただけで
あれですけど
そういう可能性もあるのかな
確かに
認識論?脳科学とか
感性とかそういうものを
研究してる人の話聞いたとき
感動とかもやっぱ
共感と驚きのちょうど
いい塩梅のところに感動があるっていう
共感っていうのは既存のものへの
アクセスで
それに対して新しい新規性があるから
驚きがあるから感動があるんだとか
多分そもそも
何だっけ
統合情報理論っていうか
常に脳みそは予測してるっていうじゃないですか
その予測誤差で学習しているっていう
話が
やっぱりあって
予測と違うから学習するって
何だっけ
これ余談なんですけど
まあその
脳科学研究してる人の方が当然詳しいと思うんですけど
やっぱりその予測
ちなみに人間のドーパミンが一番出るのって予測
予測外の報酬が
だからギャンブルとかそうだと思うんですけど
予測外の報酬が出たときに
一番
ドーパミンが出るとか
そういう既存
既存
さっきのマチークの話を
どう回収すればいい
そうだよな
多様性って何なんだろうっていうのがやっぱり
僕が知りたいことなんだなって毎回思うんだけど
微分野考慮でもそうだけど
この場があること自体がやっぱり大事で
それを統合しようと無理やりするっていう
アウトプットを生むっていうことにも繋がるかもしれないけど
それって何か損なってんだよなっていつも思うんだよね
多様であるってある評価軸を導入して
そこにおいて分散があるっていうことなどって
各固有があるってただただ多様なものがただ開けてるって
認識の枠組みとか評価軸を導入しないとさ
多様であることを認識できない
くねえって普通に思うんだけど
まあ確かに
ただカオスなだけだと別に
それに面白さを感じる人もいるかもしれないですけど
一般理論規則があった上で
何であるのにこんなに多様なんだろう
スクリプトで言えば普通そんな主文化しないはずなのに
そんな主文化してるんだろう
普通そんなに主文化しないっていう一般則があるからこそ
面白いかなって
分析してる
いろいろ対話の理論とか書いてる人がいて
ドッソフスキーの本って一人一人の
罪と罰ぐらいから一人が
多分普通の本だと一人がせいぜい喋って
四五行とかその鍵カッコで
そのぐらいの量だと思うんですけど
ドッソフスキーの本って1ページとか2ページとか
めちゃくちゃボーッと喋って
それで二人目がそこに噛み合ってるのか噛み合ってないのかよくわからない
発言をボーッとするみたいなけど
それがなんとなくとして成り立ってて
一個の作品として出来上がっている
ドッソフスキー自身の作者の姿勢とかもそんなにいれず
その登場人物にとにかく極力
ドッソフスキーの意図とか
そしてその登場人物に話したりしていて
もう少しよくわかんないこと言ってるかもしれないですけど
続けさせてみると
一方で異分野小売とかすると
例えばAI研究者と多分野の研究者と話すときに
だいたい手段と目的の関係で語られちゃうことが多いです
AIうちの分野だとこういう風に使えそうだなとか
そういう相手の探求を道具化して
交流されてしまうようなこととかが結構比較的多かったりして
そうじゃなくてさっきポリフォニーって言ったんですけど
一人一人とにかくウォロウロウロって喋って
一人もウォロウロウロって喋って
いい感じ探求のパッションが対等にその場に吐き出されて
手段と目的が道具化されない関係性として立ち会われるような
やり方ってないんだろうかみたいなことを話してたりします
つまり探求と探求の関係性
良い関係のあり方って何だろうみたいなこと
例えばギブアンドテイクとか
多分そういう目的で言うと
道具的に使えてしまうようなものを持つ近い人なのかな
持つ人同士だと結構そういうことが起きるのであれば
道具的な使用も何も起きなさそうな
めちゃめちゃかけ離れてる人との交流が
そういう意味での交流にはいいよねっていうことなのかなと
話を聞いてたんですけど
でもそうすると話が合わないという現象が起きそうな気がして
つまり言語が違うというんですかね
面白さの軸とかが全然違ったりとか
そもそもどうしてフォーカスにズレがあることを
お互い認識できないまま全然話が合わないなーってなる気がするんですよね
だから今ズレって言いましたけど
この分野とこの分野はそもそもこういうズレがあるから
こういうズレを元に話しましょうねっていうガイドラインがあると話せるかもしれないけど
単に寄せ集めていくと全然話が合わんできないって
終わりそうな気がするなって聞いてて思ってました
そこのガイドラインってどう設計する
さっき僕がバフチン話してると言って非常にしんどいわけです
絶対街行くんとかメンバーとか話してるといい感じに話が繋がってくるんですよね
今僕がさっき話した内容非常にぎこちない感じでだいぶしんどい
でもさっきのそれをもう一回バフチンの議論戻すと
しんどさとか関わらずオラーって喋って
こっちもオラーって喋る
でそれを続けていくとそのうち
一個の作品が立ち上がってくるんじゃないか説みたいな
そう続ける強靭なメンタルが互いにあって戦争し続けられるかってことですね
戦争というか
戦争じゃないですもん
黙々とただ互いに踊ってるだけみたいな
踊ってるかそういうことですよね
でもその在り方が生命っぽいんじゃないかという時も
異分野交流の継続と関係性の構築
自分の
これより
街行くんどうぞ
ちょっと響いてるけど大丈夫ですか
全然聞こえてる
メンタルを育成するっていうのがやっぱ我々の仕事なんだよ
長谷川真理子の前公演聞いた時言ってたけどやっぱ
結局はずれたものを
ずれたというか違う
宇宙人と会話してると思ったものが
その対話の中でどんどんつながっていくっていう
それ自体にやっぱり異弁や考慮の意義が一つあって
そのメンタルがやっぱ大事なんじゃない
メンタルの育成をどうするか
個人の
心理的安全性みたいな話とか
直々組織論とかファシリテーションとか対話の話とか出てくるけど
そんなんじゃねえよみたいな気もするんだよ
そんな
分かる分かる
熱が足りてないもんね
例えば熱を持って何かのきっかけで
強制的にお互い踊りなさいとやるじゃないですか
それをその場では何かがあるかもしれないけど
続かないんですよね
その先に持ち帰れるものだったり
持続的にそれを続けたり
もう一回じゃあ踊りましょうね
いついつにつって
集まれない気がしてて
それがなんか難しそうだなと思うところかな
そのガイドライン最初踊るじゃないですか
でもガイドライン次第では
乗っかれるかもしれない
タップダンス踊ってる人はこういうことを
ヒストリーに基づいてこうやってますよ
フラワーメーカーやってる人はこういうもんですよみたいな
ガイドラインが知識があればいいの?
ちなみになんかその
自分はメンタル持ってない側の人間
あれなんですけど
僕もないですみんなないです
こっちに何も配慮せずにバーって喋ってきたら
自分は普通にそいつと喋りたくないなと思います
なんか配慮してくれたらありがたいんです
いろいろ分かりやすく噛み砕いてくれてるな
っていう配慮が伝わればいいんですけど
それマジでなしにずっと話されたら
こいつと合わないかもしれない
僕の喋り方は配慮パーセントでどれくらいありました?
めちゃくちゃあるとは思ってますよ
それは全然言ってるわけじゃないです
だから配慮が
配慮あることは伝わる必要があるかもしれない
マジでこっちのお気持ち完全無で
規範を押し付けられたり
それはしんどい
そこ結構でも大事じゃないですかね
人なんでやっぱり不快不愉快
愉快不愉快が絶対あると思うので
そこを性性愛とか使ってうまく噛み合わせられないか
っていうのも結構我々のコンセプトの一つではあるんだよな
社会性ですかその配慮は
そう思ってますね
それ遺伝で決まってる
自然主義かもしれないですね
社会性の獲得は
でも配慮
配慮しすぎたら
あるあるな予測可能な話に回収されていっちゃうわけですよね
そこに
抜け出す感じも必要なわけじゃないですか
しんどくても話し切るみたいな
よく言う話で単純化して説明すると面白さが伝わらない
結局単純化しすぎちゃってつまんなきこえるみたいな
トレードオフは絶対あるとは思うんですけど
でもやっぱり
配慮
尊敬
なんでしょう
伝えたいっていう真摯な気持ちがあるかどうかなんですかね
自分の分野面白いだろうすごいだろうって話されるとうわってなりますけど
自分の分野のこと知ってほしいって思ってる人は聞いてあげたいなって思いますね
そこを何言うとわからないですけど
多分それはそれでなんかきっと
組織論とかそういう信頼トラストみたいな研究領域があるらしくて
とかさっき言った心理的安全性とか
全人格全人生みたいな
多分そういう話になるんだろうなと思う
駆動さんどう思いますか
異分野交流の意義と手触り感のある理解
ブーブー
ブーバーし
まあ確かにあのなんていうかお互いリスペクトがないと辛いっていうのはすごく超分かる
ただなんかそれだけこうなんかなんていうのは対話をしようっていう風になっていればなんていうのかな
多分全然違う人でもなんか同じ話題について喋っていれば
むしろ違えば違うほど差が出て面白いんじゃないかなっていうのは個人的には思ってる感じ
うん同じ業界の人と喋ってもまあ
知ってるみたいなのとか多いから
まあそれよりはね考え方そのものが変わった人と喋ると
おもろいかなぁと思っています
その駆動さんが
なんか自分のこと全然伝わらないようなコミュニティに特攻して
しんどい思いしたみたいなことったり
ありますか
多分それはもう対話の形になれないと多分辛いと思う
うん
ぼちぼち
そうですよねぼちぼち
自分も帰らないと
僕もいた場所を追われて廊下で話してるし
いやでもすごい楽しかったですねやっぱり
いやー
なんか嬉しいなんかやっぱ異分野交流をしようって思ってる人がいるっていうことがそもそも嬉しいです
うん
やっぱそういう話とか学会とかでも聞きますけど
いろんな人がなんかもっと皆さん交流しましょうみたいなのを聞くだけでも
あーいいなーって
こういうのがあったって言ったらいいなーみたいな
ずっと声預け続けるのも大事なのかなと思います
そういう面でこの活動を続けられてるのは本当にすごいなって思います
いやいやなんか
こんなクズクズな会に来てもらってありがとうございます
二人とも忙しいのに
いやいや
いやでもなんかこう話す機会ってやっぱ
俺はずっと持ち続けたいなって思ってるんですよね
この誰とでも
やっぱ大事ですよね本当に
うん
のーとみさんもありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございました
いや大事なのかな異分野交流って
いやーそれなんだよね
ほんまに大事なのかな
いやだから俺は論文を読むことより大事にしたいんだよ
まあ論文読むことももちろん大事なんだけど
それとは違う意味での価値を持ちたい
なんか論文読むってグーグルマップ見るみたいな感じだけど
対話ってなんか実際に歩いて
道端にこうある草を見たり建物見たり
建物というか
まあなんかそこでしか味わえない空気感とか
発見ってあると思うんで
いやマップやっぱ教室海外行きたいよねみたいな
そういう話なんじゃないですかね
いやもうめっちゃ素晴らしすぎる
いやもう本当にそうですよね
自分で調べてなんか理解しただけだと
自分はなんか理解したって覚えなくて
やっぱ専門家に聞いてなんかこういろいろ
言われたらなんか初めてこう
ああ俺分かってたんだみたいな
間違ってたんだみたいな
疑い深いんで
スクリート最近勉強してたんですよ
あそうなんですか
いやいや別にスクリート勉強したかったわけではないんですけど
なんかたまたま本読んだらスクリートの話出てきたんですけど
おーうれしい
読んでもなんか
まあなんか一回松井さんに聞いてみるかなみたいな
いやいやぜひぜひめっちゃ聞いてほしいですよ
本当にして
答えられるか分かんないけど
今回ちょっと主題と違ったんだあれですけど
いやいやいや
そんなこと考えながら本読んでたりしてたんで
やっぱなんかそういうのでもいいんだよな
そういうのもなんか人がいるから
なんか愛着がわくというか
なんか概念が概念じゃなくて
手触り感のあるものになるというか
そういうのも本当に大事だと思うんだけど
僕はそういう感じです
阿部くん最後に締めてください
締めの言葉は用意してないんですけど
なんかどう編集するのか
本当にポッドキャストに公開するのか
分かんないですが
僕も編集せっかくだったらやっぱり
宣伝もしてもらって
公開したいので
僕も編集に関わらせてください
ぜひ
じゃあ一旦締めます
ありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございました楽しかったです
分野交流や越境体験に興味があるという方は
ぜひ概要欄にあるURLから
コンタクトいただけますと幸いです
57:00

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