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こんばんは、そろそろ東京ネイティブ水上優です。
ミラです。
今日は、私が話したいかなって思った話題なんですけど、
あのちょっとそれ開いてもらっていいですか?
ちゃんと話して。
はい、どうぞ。
あのー、【ナミビアの砂漠】っていう映画を最近見まして、
で、実はその後鳥取に行って、
山中さんの監督のトークをね、聞いたんですけど、
山中さんの記事で、記事の中で語られている言葉で、
ああそうだなって私は思ったことがあって、それがこれなんですけど、
他人は思ったように動いてくれないものですよね。
社会的な場面では相手のことを操作できないとみんなわかっているのに、
恋人関係や親子関係のように閉じられた親密な関係になると、
相手が言うことを聞くだろうと思いがちなところがあると思います。
って書いてあるところがあって、まさにそうだなと思って、
私、最近それのことをずっと考えてて、
最近というか、まあ1年前ぐらいからかな?
前に失恋というかお別れした人がいて、
その時多分これが問題だったんだろうなって思ったんです。
この山中監督のコメントと同じようなことが。
自分が恋人関係に陥った人のことをコントロールできると思っていたりとかしたんじゃないかな。
山中さんが書かれているように、社会的な場面では相手のことを操作できないし、
むしろ操作というか、自分の意見を尊重してほしいとか、
自分の意見に賛同してほしいとか思ったら説得しなきゃいけないじゃないですか。
なんかすごく言葉を尽くして説明したりとか、
そもそも説明を聞いてくれるように画をセットしたりとか、
そういういろんな努力をみんなしていて、それで社会的関係って結ぶんだと思うんですけど、
それって普通にみんなやってることだと思うんですけど、
それが山中さんおっしゃるように、恋人関係みたいなところに入ったりとか、
家族っていうところを自明のものとして認識している人たちの間にはなくなっちゃうんですよね、そういう努力が。
こういうことを言わなくてもわかってくれるだろうとか、
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説明しなくても自分の求める方向に動いてくれるだろうとか、
そういうふうに思ってやってしまうってことってあるなぁと思ったんですよね。
みなさんどう思います?この話を聞いて。
私もそう思います。
仕事とかってさ、話を聞いてもらうための努力が本当にたくさん、
多くの職種そこまでじゃないけど営業の人とか本当そうだよね。
もう話を聞いてもらう、スタートラインに立つまでにすごい努力してたりとか、
社内でも寝回しみたいなこと。
仕事ですごい順調立ててとか、突っ込みどころなくして準備してやっと話すみたいなことあるから、
でも途端に親密な関係、なんかの関係でくくったら急にそうでなくなる。
よね。
一種、境界が、自己の境界が曖昧な、相手と自分が常に一体みたいな感覚になっちゃうのかな。
でもそれはその人と結びついた二人のそれぞれの人によるような気もするけど、
僕は今のところ人に制御される側かなっていう気がしてるけど、
なんとなくね、なんか制御されてるなって思う。
コントロールしよう、僕は相手をコントロールしようっていう気はないけど、
でも全くしてないってこともないでしょ。多分誰しもが。
それは強弱はあるけどさ、仕事の面でもそうだよね。
なんか不機嫌そうな上司とかってさ、部下のことコントロールしようとしてるよね。
でもそうか。自分が今、苛づいてるのが何かわかって当然みたいな上司もいるだろうなって思うけど、
家庭の中でそれもやっちゃうよね。
06:13
どうですか、外視された。
一年間考察をされてるっていうお話でしたから、
なんでそういうことが起こるんだろうとか。
なんで起こるのかはちょっとわかんないんですけど、
まあ期待が大きいのかなっていうのは。
そうだね、確かに。
期待か。
例えば社会的な関係を取り結ぶときに色々説得したり説明したりするときって、
ちょっとは期待してると思うんです。
相手が何か話を聞いてくれるかなとか、何かちょっとでもわかってくれるかなと思って話すんだけど、
でもすごく期待してるわけではないですよね。100%理解してくれると思って。
そうだね。
なんかレクチャーしたりとか、100%理解してくれると思って上司が部下に教えたりとかって、
まあそういう人もいるけど、そういう人って大体問題起こすけど、そうではないじゃないですか。
まあ言っても結局3割ぐらいしか伝わらないんだろうなと思いつつも、
でもまあその3割を確実に伝えるために頑張るみたいなことを会社とか公のコミュニケーションとかでは結構みんなやってると思うんですけど、
最低これはわかってみたいなところを頑張って伝えるとか。
頑張って伝えるところってやってるけど、
なんか親子関係とか恋人関係みたいなところに入ると、
なんかその親子関係もそうだと思うけど、
自分のことを全てわかってくれる存在だろうという期待とか、
10言ったら100わかるんじゃないかって勘違いしたりとかする。
で、それってその相手が理解し得るだろうという期待が強くあるからそういう風になるのかなっていうのは思ってますね。
それさ、なんかこう肩書きというか、我々は家族、我々は恋人同士っていう、なんだろう、恋人同士になりましょうっていうお約束を交わした途端期待が生まれる。
09:10
期待が大きくなる。それまでの環境よりも急に大きくなる。
そのくくりになった途端みたいな感じがするなっていうのと、
我々は子供の頃から基本的な家庭生活の中で生まれ育ってきて、
で、自分で恋人を見つけてとかだと思うんだけど、
さっきあったように家庭で親子だから親だからわかってくれるみたいなのあるけど、
親だけどちゃんと伝わってないっていう経験って知ってると思うんだよね。
知ってるけど、わかってるっていう期待をなくせないのかなって思った。
だって成功体験があるから恋人にもそれを求めてるんだったら自然だけど、
たぶん成功体験なんてあんまり、本当に幼児期の一時的な、
もう本当にマズローの最下層の欲求が親が感じ取ってくれたぐらいしか成功体験なんかないんじゃないかなっていう気がしちゃうよね。
どれだけ失敗を重ねてもその期待をやめることができないのかな私たちはっていう。
たまに成功するんだろうけど、
普通だったらもうちょっと諦めてもいいはずなのにずっと期待しちゃうなって自分を顧みて思うし、
だからこそ他人に期待しないみたいなノウハウというか、
そういう本が世の中にあふれてるのはそういうことなのかなって。
そうだね、そんな気がしますね。
あとはなんか僕は親におく、僕のことを親は理解してないだろうなと思うんだよね。
多分ずっと前から理解してないけど、でも多分信頼はしてくれてるから僕がやったことに対してなんかこっちやりたいって言ったら
多分じゃあそっちがいいんだろうねってなるなってくれてたような気がする。
まあその親の常識から飛び出してなければだけど。
でもそれも期待が、結果うまくやるだろうっていう期待があるのかもしれない。
12:04
ん?どっち側に?
親の方にね。
まあね、わかんないね、でも期待って捨てられないね。
まあ捨てられてもいいと思うけどね、期待ないと関係性作ろうって思えないし。
そうね、関心と一体だよね。
愛とか、愛の反対は無関心みたいな風におっしゃった方もいるけど。
そうそうそう、やっぱ期待がないとね、っていうのはありますよね。
ゆうくんがその未然の失恋した時にそういうお話、
まあそうだったんだろうなって思うのは、
どうしてってかその、なんだろう、なんだっけ、
相手に恋人とかの閉じた親密な関係になると
相手が言うことを聞くだろうっていう。
まああとは自分が何かした行動を肯定してくれる、
当然肯定するだろうみたいなのがやっぱりあったと思うってこと?
そうだね、当然肯定するというよりも、
そうだね、そうだと思う、そうだと思う、
つまりなんか喜ぶことが何かっていうこととか、
そういう合意形成みたいなことをしなくなっていく?
そうそうそうそう、そうすればどんどん独りよがりになるよね。
そうだね、友人関係でもそういうこと起こるんだろうけど、
なんだろうな、友人って複数だけど、恋人って基本的に複数ではないし、
親子とかもそうかな、
そういうここに山中監督が書いておるように本当に親密、
関係の対何っていうこの線がすごく限られた関係性においては
特に強く出るってことなのかな、これが。
そう閉じられたって書いてあるけど。
だからポリアモリーみたいなことしてる人だとまだ違うんだろうけど、
ポリアモリー。
その複数の人と恋愛的な状態を持つみたいなこととか、
15:01
あと親子関係でも各家族とかじゃない場合とかは比較的開かれているかもしれないけど、
いろいろ他にもいるみたいな親的な人が同時多発的に。
そうすると多分もうちょっと開かれる関係になる気がするけど、
一対一に陥ることが多いとやっぱり閉じていくよね。
恋人同士っていうのもこれまでの社会ではもちろんその先に夫婦って形があって、
そもそも恋人同士を経ないで夫婦になる人もたくさんいて、
それには結局夫婦っていうのは家族ってものに組み込まれてて、
家族が各家族じゃなくて、
たくさんの人が合わさった関係性の中の家族に夫婦があるっていう状況だと、
もしかしたら、もちろんあっただろうけど、
結構現代的な問題というか現象なのかな。
な気がするね。
だから現代的かちょっとわかんないけど、
少数小さな限定された閉じた関係性においてできる。
閉じてないぐらい。
過変的だって互いに感じているとか認識しているとか合意している関係だとあんまり起きない。
だから恋人関係とかも本当は過変的じゃん。
いつどこでどっちかの心が変わるかわからないけど、
何の契約も結んでないし。
別に契約結んだとしても契約が不履行になることって全然あり得るじゃん。
別にそれは同じぐらいの確率であることじゃん。契約結ぶ前後でも。
だけどそういうふうに思ってしまう。
この人の気持ちは変わらないし、私の気持ちは変わらないっていうふうに、
要は信じてしまうってことだよね。
そういうことが生じるとやっぱり盲信的な状態に入るんだと思う。
信じてないといけないっていう気もするし、
もし信じてないような言動をすると関係が壊れちゃうような気もするよね。
そういうある種の権力関係、権力構造みたいなものを使ってコントロールしていくっていう方向に行くよね。
18:09
モラハラ的な人がね。
でもそうじゃなくあるためにはどうしたらいいんだろう。
もちろんその当時、可変的な関係にしましょうっていうのもちょっと解決策としてどうなんだろう。
だと認識しましょうというか。
だからここは2人の努力によって維持しないといけない。
そうじゃないとこの状態っていうのは続かないんですよっていうことをちゃんとお互いが認識し合う。
これは固まって閉じた関係、固定された関係性じゃないんですよ本当はっていうことを自覚できてるかどうかなのかな。
そうだね、そうだね、そうだと思います。
相手に気を使うというか、会社の人、ビジネスの相手に説明するように気持ちを伝えたりとか、自分がやろうとしていることの意図を伝えたりとかっていう行動が必要なのかな。
プラクティカルにはそういう解決法になるかなと思いますし。
もう一個は私は実はこれはあまり自分で言うけど信用してない部分、信用っていうかそこまでたどり着いてないところではあるけど、
もう一個上のフェーズで何かを合意するっていうことだね。
それは人によっては愛と呼んだりするものだと思います。
もう一つ上のフェーズ?
上っていう言い方も変かもしれないけど、抽象的って言ってもいいかもしれないし、
人知恵を超えたって言ってもいいと思うんですけど、
愛的なものを互いに見え出すことができたって合意できたら、
さっき言ってたみたいな、交渉するとか、相手をコントロールするとか、
どちらか権力的に優位に立つとかっていう話ではなくなって、
なってくる可能性があって、可能性の問題なんですけど。
21:05
それをそこに到達するというか達成している状態と、
この関係が固定的で永遠のものだって妄信するのとの違いが当事者に認識できるのかな。
ちょっとそれはわかんないけど。
と思った。
愛を妄信するっていう場合って全然あり得ると思うんですけど。
でもなんかわかるよ。
愛、工事の目標というか、
もう少し高い位置で合意しているというか。
しかもそれは能動的ってことなんですね。
互いに愛に近づこうとして動いている状態ってことだと思うんですけど、
どちらかがどちらかから何かを受け取るとかじゃなくて。
っていう状態に達するっていうことも一つあり得るのかなって思っていて。
愛を原動力に多分行動したことなくて、
そこに存在としてあるから一緒に住んだりとか、
そこに存在としているから恋愛関係になったりとかっていうことはあるけど、
愛するかどうかっていうのはそこまでマターじゃない。
そこまで問題ではないっていうことを多分認識できたから共感したんだけど、
っていうのが一つと、
私がそれを聞いて思ったのは、
今まで自分のもっと違う欲望を愛というものに勝手に変換してたなって思って、
例えば寂しいとか、一緒にいたいとか、
こういうことしてほしいとか、こういうことしてあげたいとか、
してあげたいとかの方がわかりやすいかもしれないけど、
そういったことを愛の発露だとか、
愛が足りないとか、
愛ゆえにこうしてるとか、
愛がないからこうしてくれないとか、
そういう欲望が履行されないことを、
欲望自体を愛っていう言葉に都合よく変換してた。
のかなーっていうふうに気づいて、
それをしてしまうと、
24:00
しかもそれは多分結構間買い物の愛だし、
それをしてしまうともっと悪いのは、
自分の欲望が何だったかが見えなくなる。
愛という重症的なものに変換してしまうことによって、
本当は自分は何が求めていたのかみたいなことに、
気づけなくなってしまうっていうところがあるなーっていうのを、
そこで感じましたね。
私もナミビアの砂漠見たんですけど、
パートナーと。
そうね、愛がない。
愛が描かれてない。
振り返れば。
でも聞いてて思ったんだけど、
愛に対する考察が僕が足りてない。
愛についてちゃんと考えたことがないなって思った。
まあ、あんまり普段出会わないと思いますよ。
愛については。
なんかね、
愛に考えたけど、
もうなんかわからなくて、
愛が。
ダークマターみたいな感じ、それこそ。
愛が、
周辺の物理現象から、
ここにあるんだろう、
何かわかんない、みたいなのが、
愛に僕の感覚的に近くって、
愛そのものは観測できないんだよね。
例えば、僕が、
ここに愛が今あったんじゃないかって思う瞬間は、
話が本当に違うかもしれないんだけど、
ちょっと共有したいんだけど、
ご飯作ってて、
盛り付けた後に、
ちょっと見栄えのいい方を相手に出したりとか、
を、
あ、こっち向こうにしとこってなったりとか、
こっちの食器の方が新しいから向こうにしておこうとか、
を、
やった時に、
ここに愛が今あったんじゃないかっていう気がするんだよね。
でも、
愛が何なのかを、
なんか、僕が思ってる愛とゆうくんが言ってる愛が、
違う側面というか、
愛って何だろうって今またなった。
愛って結構ね、便利な言葉だから難しいと思う。
27:02
山中監督がおっしゃってる愛っていう、
その愛はどの愛、どの愛というか、
何なんだろうとも思うし。
その時、質問した人が言ってたのは、
多くの映画っていうのは、
愛でも友情でもいいんだけど、
そういったものが、
この関係性においてあるよねっていうので、
を占めることが多い。
愛のある生活に、
二人は向かうんだねとか、
その社会は向かうんだねとか、
なんか、やっぱり愛が大事だったねとか、
なんかそういった感じの結論で終わっていく映画って多い。
とか、愛ゆえの行動だったねとかね。
けど、
ああ、愛してたんだねって終わっていく。
とか、愛があるから大丈夫だねとかさ、
そういう感じのやっぱり含意がある、
終わり方になる映画って多いけど、
とか、愛が不足してたんだねとか、
分かるとかそういう話だと思うんだけど、
でもここでは、
そもそもそれが描かれていない。
し、それが最後まで描かれない。
まま終わる。
だから、
特殊だって話をしてたんだ。
意図的に、
主人公が、
さっきゆうくんが、
なんだろうな、
愛があるっていうか、
その場にいるから愛するっていうか、
愛するっていうか、
一緒にいるというかさ、
っていうのが主人公の生き方っぽいな、
この描かれている生き方ってそういうことだなって思う。
一緒に、
悪く言えば利用してるみたいに見えるかもしれないけど、
でも利用されている相手の男性とかが、
愛があるかって言うと、
なんだろうな、
そういう、
愛があるような、
あっちは愛してるのに、
みたいな映画描き方もしてないよね。
そうすると途端に悪情を取り巻く物語みたいになってくるんだろうけど、
確かに言われてみると、
そうだなって思う。
どっちにも、
女性からも男性に対して愛が向けられてない、
愛が向けられてないというか、
愛ゆえの行動だっていう演出がされてないけど、
逆もそうだから、
愛がない、
愛を描かないってことに成功してるというか、
っていうのを今、
思いましたね。
どっちかが愛を向けた瞬間、
どっちかからの愛を描いたとか、
愛を観客に感じ取らせてあったら、
30:00
どっちかが悪い物語になっちゃうのかなって、
悪情の話だったりとか、
悪い男に捕まった女の話、
みたいな風になっちゃうんだろうなって思った。
そうだね、そうだね。
まあ、そうなんですよ。
でも、
そうは感じなかったってことは、
つまり愛を描いてないからなのかなっていう、
ちょっと僕は愛を感じ、
愛についての触れ合い、
創作に対しての触れ合いとか、
愛に対する考えがあんまり深まってないせいか、
そういう風に、
考え、
考えていくと確かに愛が描かれてないなっていう風に思った。
そう、あとなんか山中さんのトークの中で、
質問、フロアからの質問で、
山中さんの映画では、
家庭に問題があるような女の子が主人公になることが多いですけど、
それは何でですか?みたいな質問があって、
なんか、自分がもし家族愛みたいなことをテーマに
映画を作るようになってたら、
それってすごいことです。
すごいことなんだと思います、みたいな。
自分が家族愛を取り出したらってこと?
そう、てかそういうことを描くことができるのならば、
とんでもないことだと思うっていう。
自分にはできないから。
そう、できないっていう。
できる人は、できる人はてかできるのはとんでもないことだ。
そうそうそうそう。
っていう話をしてて。
だから多分なんだろうな、
まあそうだよね、経験しなかったことって、
映画が難しいっていうのはあると思うけど、
まあまだ27歳とか。
そんな監督さん若いんだっけ?
28歳とかだから、
まあ今後だから経験するかもしれないけど、
っていう話はあるよねっていうことは。
愛の話、難しい。
33:27
何が?
なんかまだ自分の言葉にできないな。
この歳になっても愛は、
愛というか、
なんかね、この山中さんの文章以上に
考えが深まらないんだよね、不思議なと。
なんでだろう。
なんか、例えばこういうことあるよねとか。
だからあんまりそういうことしたことないから。
したことないからなのかな。
したことないってことないっていう自覚はあるんだけど、
そういうことかな。
相手が言うことを聞くだろうと思ったことあんまないんじゃない?
あ、僕が?
そうかもね。
別に言うこと聞かなくてもいいって思ってる方が多いかな。
あ、僕の言うことなんか聞かないでっていうのもあるよね。
あーそっちね。
なんか僕全部なんか、
あーなんだろう。
僕に何かすることが人生の目的になるのはやめてみたいなのはあるし、
そうだね、それはあるよね。
相手が言うことを聞くだろうと思っているか。
思ってるかな。
分かんないよ。
言うこと聞かせて聞きすぎたせいでこうなってるのかもしれない、僕は。
まあ。
言うことを聞かせてきたがゆえにそれに無自覚なのかもしれないよね。
まあその可能性はあるよね。
いや別に言うこと聞かなくていいよっていう態度を取ってるんだけど、
36:03
それを相手が気にして言うことを聞かせてるかもしれないね。
っていうこともあるのかもしれないし。
でもそれをでもなんだろうな、強く自覚で、なんか強くその、
まあやっぱりでもそこまで思いがちなことはあると思います。
そうですね、なんだけど。
それによってそういう傾向があっても、
みんなほら、みんな毎日がん細胞生まれてるけどとかさ、
だけどそれが病気になるのはまた違うでしょ。
その傾向があってもそれが本当に病気として現れるのはちょっと、
それが強まった時だったりするからさ。
みんなそういう傾向がある。
山中さんがおっしゃるように、
親密な関係になって相手が言うことを聞くだろうと思いがちなところがある。
まあそういう傾向が人間にはある。
それはそうだなと。
でもそれが本当に病というか問題になるのっていうのは、
何だろう、
誰、常に問題になるわけじゃないかなっていう気がするね。
まあそうでしょうね。それはそうだと思う。
で、問題になる、その2人だから問題になることもあるし、
そうじゃないこともあるし、この家庭だから問題になったりとか、
問題ってことなんだろうね。
この、何だろうな、みんなこの毒素は持ってて、
それをどう付き合っていくか、
これを無くすことはできないし、
無くすための、
この傾向が一定濃度を超えないように自分、
実践するってことしかできないのかな。
それこそ確かに愛とか、もしくはもっと高次元の目標みたいなものに2人が注目している、
そこを介して繋がっている。
それも愛なのかもっと壮大な目標みたいな、
もので繋がっている一つの運命共同体みたいな、
お互いの横で繋がっているというか、その高次の目標と自分、相手が繋がっているみたいな、
そういう関係性だったらそういうことは起きないのかもしれない、
39:03
って思った。
でもナミビアの砂漠はね、
もうちょっと、
そうね、ゆうくんから、
ゆうくんの中でもっと消化して奥に教えてほしいなって思った。
なんか、
何ですか?
すごい映像とかがね、
いいなっていうか、
心に何だろうな、
なんか変、違和感というかね、
思うところがいっぱいあったんだけど、
結果こう、
なんか、
自分、あのもの、
この山中さんの文章と同じように、
あの映画をもっと考えて考えて、
自分の内面に、
で、
うちに、
混ぜて、
糧にしてみたいなところに、
なんかまだ行かないんだよね。
山中さんのこの文章と同じように、
そうだな、
これが正しそうだと思います、
っていう感じ。
あの物語、
全然消化してないなって、
今思ってる。
この前、日曜日に見たんだけど。
映画館の人が言ってて面白かったのは、
なんかこの山中さんのデビュー作と、
この最新作を2つ流してたらしいんだけど、
1週間かけて。
デビュー作の方は、
面白かったですっていう人がほとんど見てね。
なんか青春映画なんだけど、
高校生の。
なんかそれが、
あの、
まあそのナミビアの砂漠的なちょっと、
ねじれみたいなのもあったり、
友情とか愛とかがあるようでないみたいなことは一緒なんだけど、
なんか作りとしては、
面白かったですってみんな言えるような感じの映画になっていて、
でもなんか今回のこの作品は、
もう人によって全然バラバラな、
感想を教えてくれるのが面白い。
なるほど。
めっちゃわかりました、泣きましたみたいな人から、
意味わかんなかったですっていう人から、
面白かったですって人もいれば、
なるほどね。
これずっと見させられて辛かったみたいな人もいて、
42:02
とかなんか何も言わずに帰る人とかもいて、
結構みんなバラバラな反応をするのが、
こんなにバラバラになる映画ってあんまりない。
なるほどね、いやそうだね。
面白かったってその映画家の人は言ってました。
いや、そうだね。
僕がなんかわかんなかった、
何ですかね、みたいな感じ。
なんか一つ一つのポイント、
なんか印象に残るところはあるんだけど、
相対としてどう自分の内面に取り込んでいいかわかんない、まだね。
でもなんかナミビアの砂漠っていうタイトルと、
途中の砂漠の映像とか見て、
僕が思ったのは、
なんかナミビア、砂漠の映像を見る、
オアシスの映像を見るの流行ったってよくあるでしょ、そういうの。
でも、なんか僕がそれで思ったのは、
どっちが面白いというか、
どっちが変なことしてるかわかんないね、みたいな。
ナミビアの砂漠と、
このこっちの現代の日本の、東京での暮らしというか、
こういう現実、
どっちが変なんだろうというか、
なんかナミビアの砂漠を見てるけど、
そっちの方がまともじゃないというか、
あれ面白いというか不思議な光景というか、
非現実だなって見てると思うんだけど、
よっぽど我々の方が変なことしてるんじゃないかなっていう気が
途中してて、
それがタイトルの意味かどうかは、
全然多分わかんないんだけど、
なんかそんな風に思ったかな。
見てどうでした?っていうのはあんまり聞いてないよね、結局。
映画?
だから私結局2回見たんですよ。
東京で1回見たのと、
ドットリ行ってトーク聞いた後に、
トーク聞くとさ、
いろいろこのシーンはこういう風に考えて作りましたとか言ってくれるから、
もう1回見ようと思って見たんですね。
で、1回目見た時は、
その時も主人公のカナにすごく共感するなって思って見て、
でもなんか途中ちょっと間延びするみたいなところがあって、
住宅地歩く、枝を持って話したりとかさ、
45:06
ホンダが出張から帰ってくる前なんだけど、
世田谷の細い道がある住宅地のカナが、
サンダルで歩くシーンがあるんだけど、
なんかあの辺とかすごく間延びしてて、
このまま続くんだったらやばいなとか言ったりしたけど、
実はあれは意図的にああやって作ってたらしくて、
全部詰め込みすぎると大変だから、
1回休憩して振り返る時間を作ってほしいっていうので、
入れたらしいってことをそのトークの時に聞いたんだけど、
そういうのを思いつつ、
全編通して眠くなったりとか、
わかんねえなみたいなところとかほとんどなくて、
全てのシーンの意味が伝わってくる映画っていう意味で、
なんかすごい波長があったなっていう感じがあって、
私の総評というか、
これ山中さんにも言ったんだけど、
私が言った感想としては、
オーロラのような映画だったなって、
というのは、私の好きな東米アンソンの言葉で、
オーロラってなんだか安心するんだよね。
それはここにあるのかないのかわからないからっていうセリフがあるんだけど、
オーロラって常に形が変わってて、
掴みどころがないじゃん。
しかも空の後ろ側には星があったりとかして、
その手前にあることがわかるんだけど、
それが本当にそこに存在するのかわかんない。
でもそういう曖昧な存在だからこそ、
安心ができる。
そういう曖昧な存在がこの世にあるっていうのが、
源泉に現れているからこそ安心できるっていう感覚って、
私は結構あるなと思っていて、
それがあの映画から感じたっていう話をした。
だから私の、
それに似たことを山中さんもおっしゃってて、
人間は曖昧で矛盾してて、
そのことを描きたかったってことをおっしゃってて、
だから普通に物語とかを描こうとすると、
一貫した事故みたいなのがあって、
48:02
しかもそれがキャラクターに付与されていて、
そのキャラクターはそのキャラクターの
常識から外れない行動を常にする。
だから見やすい。何が起こるかわかる。
そこに何か理由みたいなものが全部あるっていう風に思うけど、
でもこの映画では、
男たちは基本そういう感じあるけど、
自分たちの規範から離れない感じあるけど、
カナとか、
基本カナだけなのかな?
あんまり特許しもないことするじゃん。
ブラックボックスな感じする。
何でこの人このことを報道したんだろうとかって、
一見わからないようなこととかをする。
しかもそれってすごく曖昧なバランスとか、
絶妙なバランスの上でそうなっているところが描かれていて、
こういう風に世界を見る人いるんだなと思って、
安心したっていうのが私の感想でした。
こういう風に世界を見る人がいるっていうことに、
こういう映画があることに。
私と同じように、
曖昧さをキャッチしている人がいる。
しかもそれが表現として存在しているってことが、
結構ありがたいな。
彼が何を考えているかわからないみたいなのに、
人間らしさを感じるのはあったな、感じたなとは思う。
さっき言ってた、間延びしている感じの、みたいなのがあったでしょ。
あのシーンが不気味に感じて、
確かに今、糸を聞くと、
あそこは逆に何かの意味があるというわけじゃなくて、
時間を置いているっていうことなんだろうと思うけど、
他のシーンもそうだけどさ、
カメラが急に誰かの視点みたいになるようなところが、
ちょっとあったような気がしてて。
ズームインする。
基本的にこの世にない視点をカメラがずっと撮っている。
映画、一人称のものも、
51:02
シーンとかもで撮った映画とかもあると思うけど、
あの映画は基本的にこの世に存在しない視点を我々に見せているんだけど、
急にカメラの目線に意思があるみたいに動きをしているような感じがして、
自分がそこにいて見ているみたいな、
自分が意思で目線を動かしているわけじゃないから、
誰かの視点なんだけど、
盗撮みたいな、
みたいなカメラの動きをしているところがあったような気がして、
それがすごい不気味に感じていた。
ちょっとさっき話したけど、
インスタレーションアートの映像みたいな。
他にもいくつかズームしたとかあったけど、
そういうのすっごい怖い。
怖いなって思う。
この映画なんかこう不気味にさせるって思ってた。
だからどっちかというかみたいな安心感というよりかは、
不気味だなって方が強かったかもしれない。
でもそれ結構ね、
そのトーク、鳥取のトークは、
撮影の人も一緒に出てたのよ。
カメラ、カメラマンというか、
映像を撮る人だね。
で、
そう、だからその人はかなり計算してあれを撮ってた。
そうなんだ。
っていうことが分かったね。
だから意図的に違和感を感じた。
急になんかカメラの持ってる意味が違うなみたいな感じがすると、
たまたま撮れちゃったやつを繋いだ?みたいな風に思いそうな感じなんだよね。
え、何今の?
今だけなんか、
カナを目で追っかけてるおじさんの目線じゃない?みたいなさ、
そういう感じがちょっとなんかするんだよね、一瞬。
なるほどね。
なんかそういうのがポンポンポンってあって、
すごいなんか、
そういうのがあったのもあって、
なんかこう、不気味だなって思う点が結構あったな。
なるほどね。
そう、そういうのがあったみたいです。
なんかいろいろ専門用語言ってたけど、
で、徹底的に、
さっきそういう違和感みたいなのが作られてたのはなんか最後のシーンらしくて、
私言われるまで気づかなかったんだけど、
最後さあの、ぐるぐるって回るじゃん。
54:02
なんかプロレスの技みたいなのを。
あ、乱闘みたいな?
そうそう、乱闘の時にカメラがぐるぐるって回って、
なんかあの、キャンプラホイの後だね。
キャンプラホイをした後に、
なんかこうぐるぐるって回って、
キャンプラホイがぐるぐる回ったところで乱闘してて、
林にこう回されて、
カナの視点がぐるぐる回るとかあったじゃん。
あのシーンの後から、
部屋が全部変わってるんだよね、左右。
そうなの?
左右。
鏡張りみたいな感じで。
で、何でかっていうと、
2つ続いた部屋を借りれるスタジオだったらしいで、
ずっと最初、その時まで撮影してたのは角部屋の方で、
出窓が付いてて、
出窓似合うのが洗濯物干してたりしてたじゃん、室内に。
私、そうね、だから、
カナが引っ越してきたばっかの時さ、
布団の中で半裸の状態で起き上がった目線の先にあったのは、
その出窓だったよね。
でも、実はよく見ると、
ぐるぐる回った後のシーンでは出窓なくなってるの。
ずっと隣の部屋に。
それは角部屋じゃない方の部屋に、
全部同じものを同じように置いたから。
私、なんか違和感はあったんだけど、最後のシーン。
そうだね、わかる。
なんか違和感あったけど、何が違うのかわかんなくて、
そこで初めて分かったんだけど。
それはさ、リビングとリビングは対になってるのかな?
そう、対になってる。
っていうこと?だから、完全に出窓があったようなベッドとか、
寝床の部屋が反対に行ってるってことね。
だからカメラが一番反対側になってる。
あー、なるほど。
あ、そうだね。
ハンバーグ食べてるとこおかしいもんね。
そうだわ。
ハンバーグ食べてるとこおかしいわ。
そう。
そうだわ。
っていうことなんだって。
なんかと思ったけど、
そっか、そうだね。
ハンバーグ食べてるとこおかしいね。
反対だわ。
えー、すごい。
それでだからその状況が完全に変わった?
うん。
っていうところをまあ表現したらしいんだけど。
それは何の、もう、作中そこで切り、
その、転換、
単純にその、
あー、喧嘩やめよ。
っていうことじゃなくて、もっと大きな流れでそこで変わったっていうこと?
そうそうそう。だからあそこから新しい関係性が始まるっていうことを示唆している。
57:01
新しい人生が。
だからハッピーエンドにしたいっていうのがあったらしくて。
あー、そうなんだ。
そう。で、だからあれは山中さんが今ハッピーエンドの表現なんだよね。
なるほど。
あそこから完全に違う世界がスタートしていく。
出物がない部屋の世界が。
うん。
それだけ映画だからできることだよね。
そうだね。
表現として嘘をつくという。
すごいそれ、映画的だよね。
そうだね。
この話聞いてそれ見て。
いや、なんかね、
まあ最後幸せな感じがしたのは確かにあるよね。
うん。
あの状況下で冷凍したハンバーグが出てくるんだ。
なんか生活を感じるよね。
なんて言ってたかな。
全然描けないんだけどさ、
カナがさ、林にさ、罵る時にさ、
ブルジョアって言った?
なんか言ってた気がする。
言ってたよね。
あれすごい気になってさ、一瞬プチブルって言ったかと思ってさ、
プチブルジョアってさ、
なんかどういう教養?
プチブルって言ったかな?
言ってないよなと思ってすごい気になっちゃったんだよね。
ブルジョアって言ったのかな?
ブルジョアとは言った気がする。
なんかベッドのとこで上乗りになった時と。
なんかもういいって出てく時に。
あ、そっちか。
実家があるからいいよな。
そうそうそうそう。
だから小金持ちみたいなニュアンスだった気がするから、
ブルジョアっていうかなんか、
なんかミニ、ミニ、小金持ちみたいな意味合いで言った感じ?
だからすっげー金持ちだって言ってるわけじゃなくてみたいな。
一瞬プチブルかな?みたいなさ。
それは自分が勝手に変換したんでしょ。
プチブルってそんなこと言わないよなみたいな。
ショーブルジョアってことだよね、プチブルジョアって。
あなたの認識としてはそうだったんですか?
すごい林の実家のポジションでそうだなって思ったから、
そうなんだけど。
なんかすごい気になっちゃったけど言ってないか。
それは言ってないと思うけど。
さすがに言ったらちょっと不思議かなと思って。
不思議すぎる。
でもハッピーエンドだったんだね。
そうみたいな。
それでちょっと安心した。
ハッピーエンドだって明示されてる気がしなかったから。
でも最後になんか、
1:00:04
なんかお母さんが出てきたでしょ?
中国の。
面話でね。
なんかあれで、
2人なんか前に進んだような感じがしたんだよね。
なんかお父さんがちょっとあんまり、
あんまり関係があれなのかなって感じしたけど。
で、林もそこに加わってさ。
中国語のいびきいたりしてた。
そうそうそう。
でもなんかずっと裏切られてきた感じだね。
あの映画は。
みんなやっぱりね、
カナが頭おかしい女だって思って見てても、
幸せになってほしいって見るんだよね。
やっぱり観客って多分。
僕は少なくともそう見てたんだけどさ。
だけどまた感触を起こして林と乱闘するでしょ?
ちょっとしたことで。
それが何回か繰り返されるでしょ?
最後のあの和やかな空気を信じられなくなってくる。
なんかもう。
あとなんかその前のデビュー作を見て、
本人も言ってたんだけど、
山中さんの方針というかやり方として、
早めに切るっていうことをするよね。
早めに切る。
シーンを。
だから普通だったらもう数十秒伸ばすところを手前で切る。
だからこのお芝居とかこの動きって、
例えば階段を下っていくシーンとか、
一番最初の町田のところであるんだけど、
普通の映画だったら降り切るところまで取ったりもするんだけど、
確か15段ぐらい降りたところで切ってるんだよね。
で切ってキツイんじのシーンってワープしたみたいな感じになってて。
最後のシーンも何か河合さんが言おうとしてるところのちょっと前で終わってる。
だからそういう不穏な感じがさせるっていうのがあるのかなーってちょっと思った。
その先に思ったのと違う言葉があるかもしれないという不穏さ。
そうだね。
カナはなごやかな空気を壊す存在みたいなとこあるからさ、劇中。
そうだね。それがあるかもしれない。
びっくり。最後のシーンが反転して。
その話だけでもびっくりだよ。
何か確かに変なんだよなって。
1:03:00
何か変なんだよなってなるよね。
確かに何か違うとこだなみたいな。何かあるなってのは確かにあったけど、
反転してるんだ。確かに。
おかしいもんね。あの方向の絵おかしいもんね。ほんとだね。
もうそんな精神的余裕がなかったね。最後やっぱり。
もう林とカナが心配で。
心配で心配で。
やっぱね。もうカナはもう思っても。林も林なんだけどさ。
僕が林だったらもう捨ててるわって思うからね。
もうそうでしょ。もうついてけないわってなるもん。
林自身も言ってたけどさ。もう無理無理無理みたいなさ。
僕も無理無理無理ってなってたもん。
でも何回も。
実際ほら一時期実家帰ってたじゃん。一瞬。
精神科医の人と会ってる時とかいなかったし。
でも林がまだいるでしょ。ずっと結局。
二人すごい仲良い時もあるじゃん。
なんか幸せになってくれば。
なんかカナにはこの人がいるなってかさ。
この人もいなくなったらカナどうなるんだろうみたいなさ。
思う。だよね。
まぁ林が原因なとこもあるかもしれないけど。
最後もう気が気じゃなかったのね。
いつ終わるか分かんないし。
青木のパートナーはあと一つ言ってたのがね。
街だってああいうところだよっていうのと
まだ林とカナでハンバーグの食べ方が違うっていうのはすごい。
あともう一つは今思い出したのがさ。
カウンセラーがイラつきすぎてイライラしたって言ってた。
カウンセラーの態度に?
カウンセラーの話し方にイライラした。
あの人はいつもあるじゃん。
あの人って誰?
あの女優さん。
あ、そうなの?
カウンセラーっぽいなという気がするけど。
カナさんはどうしてそう思ったんですか?みたいなさ。
ちょっと棒読みっぽい感じね。
イライラしたって言ってた。
1:06:00
でも意外とカナはイライラしてなかった。
そうだね。
なんかちょっと解釈によってとか相手の精神状態ではバカにしてるというか
質問に質問重ねてくんなよみたいになるけど
カナはそうじゃなかったよね。
それは精神科医の人にも言ってたけど
自分を知りたいというのがあるからだと思うよ。
それを助けてくれる人じゃん。
そうだね。
そうだなと思った。
自分のことを知りたいし
自分のことを引き出してくれる人だってことなのかなってね。
食事には断られたけど。
そうだよね。断らないとダメだよ。
大変だ。危険だから。
危険だよね。
カウンセラーって大変な仕事だなって思ったね。
命がけで。
カウンセラーになる人も結構いろいろ抱えてるのかもなっていう気もするし
いろんな人を抱えてる人と適切に保っていくのって大変だなって
こういうことって実際あるんだろうなって思うと
ちょっとドキッとしたね、あの場面。
カウンセラーの人をご飯に誘うシーン。
あるよ。
ほんとに。
監督さんもいろんな人にヒアリングとかしたよみたいな話をしてたでしょ。
実際にああいう経験があるカウンセラーさんとかもいたのかもしれないしね。
取材した中には。
そう思うと結構いろいろ考えてるな、あの映画について。
考えることいっぱいある映画でしたね。
なんか軸がもっと違うところに軸があると思ってた。
それこそ東京女子図鑑とか
あの子は貴族みたいな軸があって
あるのかなと思う。
でも確かに田舎から東京に出てきた人たちで
あの子は貴族とか東京女子図鑑よりもさらに
階級的に下な存在。
高校卒業したかどうかで上京してきて
とりあえず専門的な何かがなくても働ける場所みたいな感じ。
そういう女性っていうキャラクターだったかもしれないけど
あんまそこは絶対
他に考えることがたくさんありすぎて
そこにあんま注目が途中からいかなかったけど
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最初の出だしぐらいはそういう軸の持った映画なのかなって思ってた。
あと結構ネットとかの情報で見ると
脱毛サロンで働いているみたいな
若い女性みたいながいろいろとあってみたいな話しか出てこないからさ
そういう感じかなって思ってたら違った。
全然違った。
途中からもう忘れてた。そんなことなかった。
あの不気味なカメラみたいなのは結構
そういう余談みたいなのをぶっ飛ばしてくれたかもしれない。
そうだと思う。あれ素晴らしかった。
素晴らしかったかどうかわかんないんだけど
すごいなとは思うけど
なんかちょっと強烈だったな。怖いなと思っちゃった。
でもそれこそが映画じゃないとできないことだった。
そうだね。
小説だったらさ、ああいうことできないじゃん。
できないしね。そうだね。
そうだね。確かに。
わかんない。僕あんま映画見ない。映画に詳しくないけど
よくあることなのかな。あんま見たことないなと思った。
急にカメラの目が誰かの意思がある目みたいに感じるというか
怖いなって。急になんかおじさんが目で追ってるのか
なんか誰かがじーっと見てるみたいに感じるっていうか
怖っ。
まあそうね。だからこれなんか
まあそうね。意図せずナミビアの砂漠界になりましたね。
そうだね。まあそういう記事からだもんね。
そっかでも元々はそこだけ、そこナミビアの砂漠が主ではなかった。
なかったつもりだったけど。つもりだったけど。
でもまあそうなりましたね。
まあ結果的に。どこいった。
そうだね。この記事ね。そうそうそう。
ということでまあもう多分これが公開される頃には
ナミビアの砂漠は劇場ではやってないかもだけど
まあ配信とかね、ソフトとかでは見れるかもしれないので
ご興味ある方はぜひご覧になってみてください。
だいぶネタバレしてたからネタバレ注意って書いてる方がいいかもね。
1:12:00
そうだね。ネタバレもネタバレだね。
でもまともなストーリー語ってないけどね。
そうね。まあ大丈夫だと思うけどね。これ聞いた後見たとしても
すごい新鮮なものとして見えると思うけど。
それぐらい威力がある魅力的な映画だとは思う。
最後のシーンの件はちょっと聞かない方がいいかな。
そうだね。それはちょっと聞かない。やっぱネタバレ注意かな。
ということでしていきたいと思います。ではでは。ではでは。