00:01
うがんばーうがんばーのたまんごです。 水上です。
みらです。 今日はですね、あの
子供の頃どんなごっこ遊びをしていたかっていう話を聞きたいんですけど あのオーバー・ザ・サンっていう有名なポッドキャストがあって
ジェンスーさんと堀美香さんっていう
あのオーバーさんとお呼びして良いのかなののやってる ポッドキャストで私は結構よく聞いてるんですけどその中で堀美香さんが
子供の頃 毒ダミの葉っぱをすりつぶしたり
して遊んだりとか 葬式ごっこをして遊んでたっていう話が出てきて
虫の死骸を拾ってきて埋葬して 家から線香とロウソク持ってきて
虫の葬式をして あとお団子をお供えしてその後みんなでお団子を分けて食べる
で虫のことを思って 残念だったねーって言って泣くっていう
遊びをしてたらしいの秋田で 堀美香さん秋田出身なんだけど
でジェンスーさんは東京出身だからそんなことしたことないっていう話をしてて でもなんかすごいなんかその話聞いた時葬式ごっこ
っていうのがやっぱり リアリティあるなぁと思って
そうだねそうやって子供って多分大人になっていく そうそうだね大人のやることを学んでいくんだなって思って
特に田舎だと葬式っていうのがすごく重要じゃない 社会的な
そう 結節点としてね
葬式によって どこからどこまでが親族なのかっていうのが再認識されるし
葬式を誰が行うのかっていうことによってその家の当主というものが内外に示し合わされたりとか
するしでしかもそのさっきその堀美香さんがお団子を分け合うみたいなこと言ってたけど そのお供え物として集められたお菓子が再分配されて
みんなが家に持って帰って食べることによって葬式における 再分配
富野再分配と 経済的な循環みたいなものが起きているっていうのを
子供は見ていて
ごっこ遊びとして パフォーマンスしてるわけじゃないですか
だからなんかそういうことってどんなことしてたかなっていうのを
なるほどね 思い出したくて
確かに 今回のテーマにしました
さすがにね葬式ごっこはした覚えはないけど
03:05
でも私はね鳥の雛が落ちたなんかで埋葬した記憶はある
ある 葬式した気がする
なんか3人ぐらいあともう1人女の子がいたと思うけど
あれでしょ小学校から川の堤防に向かうところじゃないの
そうそう
の木の下じゃない
よく未だにあそこを通ると思い出す
私も思い出す
ピーちゃんの墓みたいな
あーそうそうそうだよ
木管を作った気がするんだけど
木管まで作ったっけ
なんか木の川みたいなのに書いて建てたと思う
そう建てたね
覚えてる
確かに
確かにあれもごっこじゃん
埋葬ごっこだったと思うよ
別に生前のピーちゃんは知らないしね
知らない
まあそう死んでた時しか知らないんだけど
確かにそうだねあれはそうだね
だから子供ってやるなと思ってさ
まあママごとがごっことは最たるものだよね
ママごとね
お母さんごっこだよねあれは
そうだね
家族ごっこと言ってもいいのかな
だからごっこってすごい
なんだろうな
再現みたいなことだと思うんだけどさ
家庭のそれはママごとの場合は
それってやっぱことすごく幼少の頃だよね
葬式ってなるとより社会性が
こう進んなんか発達が進んでるよね
そう思うと
それができるっていう
その何か保持者を弔うっていうことがさ
しかも社会的に弔う
社会的にそう
自分とこの死んだ人ってだけじゃなくて
何人かいる中でどう弔うかって話だからね
でなんか一定のそのルールというかさ
土に埋めたりとか
何かそこで一人ずつ手を合わすとか
ごっこ
なんか不思議なごっこしたことある他に
ごっこね
なんかいろいろしてたと思うんだけどね
なんかになりきるみたいなことは
やってたと思うんだよな
でもゆうくんとさ
仲良くなった頃じゃないけどさ
一つこう自分と近いなと思ったのはさ
ママごとの時に何役やったかっていう
06:01
話を子供の頃にした覚えがあって
この人自分と近いなみたいな
僕大体ね
まあ体のこともあって
ペット子供だったんだけど
もう一つ能動的に選ぶ役はね
おばあちゃんだったので
笑
肺役を決められた大体に子供かペットなの
子供役にさせられたってことね
ちっちゃいからね体が
自分で選ぶとおばあちゃん
なるほどね
で私は何て言ってたか
あなたお母さんって言ってたよ
そうそうそう
お母さん役やること多かった思い出した
しかもね
なんか僕言った小学校の途中からでしょ
そう確かミラーさんが
3年時からだから
小学校転校してきたんだよね
その時に話してた他の子も
ユウくんはお母さんみたいな認識があったんだよね確か
そうそうなんかね定番だった
すごいよね
もうやっぱあれよねだから
この人といえばこの人みたいなね
お母さんといえばね私みたいな
それって結構さ僕のおばあちゃんもさ
でもそんなおばあちゃん歴
おばあちゃん回数多くないと思うんだよね
おばあちゃん役をやった回数で
そこってさゴッコなんだけど
ゴッコはさっきからさ
何かの再現みたいなさ
話を
そこでさ
なんてか
通常の規範を飛び越えたゴッコが行われてるわけじゃない
すごいなと思うそれは
なるほどね見た目は男性っぽいのに
老女だったりお母さんだったり役をするってことね
それはねなんかビビッときた覚えあるね昔
すごいね
子供の時にビビッときた
この人は
私でもね思い出してきたけど
そのお母さん役をしてたとかした時とかは
なんかやってる最中はすごい楽しいんだけど
やるってことに恥ずかしかった気がする
あそう
恥ずかしいなって思ってた気がする
小学生の時とか
そうね
なんでだったのかな
ちょっと思い出せないけどそこ
いやなんかねママゴトがちょっと恥ずかしい
ママゴトがやってること自体だってこと
もあったかなちょっと
09:03
いやでもな
でもそれはねママゴト自体のあれじゃなくて
もう一個は
なんか健全な男子たちは
なんかチャンバラみたいなことしたりとかするんだよね
ママゴトもするんだけど
そうそうしてる人もいたよね
なんかそれはそのなんかどっちも
でもそれしかしない
ママゴトしない男の子たちとか
ママゴトと
こうどっちも行き来できる子とかいるんだけど
僕はもうチャンバラはしたくない子供だったから
なんかそういうのもあって
なんかママゴトすることで居場所はあるんだけど
なんかこうなんだろうね
そういうのもあったから
ママゴト自体の問題じゃないこともあったかなって
今思うと
私もチャンバラはしない感じで
ママゴトか
えっとね
砂場でなんか作るみたいなことをしていた気がする
僕も一番は
そう砂場でなんか作る
積み木でなんか作る系が好きだった
そうだよね
ユンさんとはね
僕の実家の裏の砂を掘り起こして
うちの基礎を
そうおばあちゃんに怒られてる
ダム作ってたもんね
うちの基礎の下で
二人で
永遠に土掘り返して
土掘り返してね
洪水起こしたりしてたよね
人為的にね
ホースで水ね引っ張ってきて
よくやってた
あれはキズニンよくやってたよね
結構ずっとやってたよ
酸移植とかもやってたよね
人目につかない
塀と家の間みたいなところでね
そこがやっぱりちょっと
あんまりやりすぎると良くないなってなって
近所の三角公園のところでもやるようになって
そこは水道があってね
そこは本当に砂場だから
水が結構吸収しやすくて
あんまりやりがいないんだよね
うちの掘ったら粘土質というか
溜まるんだよね
水がちゃんとね
確かに砂場はね
溜まってくれないからね
洪水が起こらないんだよね
洪水起こすのが大事だから
土手を作って
どこが決壊するのかっていうのを
シミュレーションする遊びしてたからね
それやってたのもさ
12:00
川が身近だったのもあるかな
あるんだろうね
あれは地水ごっこだね
ですよね
僕はもともと隣の小学校だったけど
その後の小学校の方が
川についての注意喚起はすごく多かった気がする
そうだね
もう流れてるからね
流れてるし
私たちが小学校の間も
2回ぐらい洪水になってたよね
前の隣の小学校住んでる頃に
うちの祖父母が
僕がその後住む家に住んでた祖父母が
意地的にちょっと来たこともあって
避難してね
1年生か2年生の頃に
本当に水害が目と鼻の先にある町なんですよね
確かに
ママごとのことはね
私は
だから恥ずかしいみたいな気持ちが強くなって
今までこう記憶から隠蔽してたことに
今気づいた
あーそうかも
ありがとう
いやいやいや
でも今話してて思った
多分そういう存在が
ママごとしない男子たちの存在みたいなのを
勝手に
なんかもしかしたら
その時に言われた可能性もあるけど
そうだよね
なんか男なのに
とかね
ママごとしてるなよ的なね
なんかでもそればっかりやって
言われた可能性もあるし
なんかこう
なんかその
ぼんやりとその存在というかね
なんか
あった気がするね
僕いまだにね
覚えてるんだけどさ
出し物
保育園の出し物で
先生が
センタイモノか
鬼のパンツってあったの知らない?
歌
鬼のパンツが
フニクリフニクラの曲でね
そうか
あったあった
それの出し物
センタイモノかそれの出し物
どっちがいいみたいなのを
男の子たちに聞いたことがあって
僕だけ鬼のパンツがいいって言ったのを
いまだに覚えてるんだよね
その時の写真があって
なんかみんなビニールで作った
センタイモノの格好と
なんかお面みたいなのしてるんだけど
全然嬉しくなかった思いはある
嬉しくなさそうな顔してる
そうなんか
無気力みたいな
あそうか
なんかそういうのなんか昔から
好きじゃなかったんだろうなって
でも確かには写真に
私がお母さん役をやってる写真
出てるあるんだよね
そうなんだ
あるあるなんか保育園の写真かなんかでも
ごっこ遊びと思い出した
15:03
僕ね小学校の時はあれを好きだった
オークごっこしてた家で
オークごっこ
どんなごっこ
でもね子供もお互い一人っ子だからさ
家で一人しかないから
一人で妄想なんだけど
ごっこっていうか妄想遊びだねあれはね
オークすごい好きだったんだよね
子供の時
なんかドラマやってたのかな
小池英子さんとか出てた
藤原の立花さん
あったあった藤原の立花さん
オーク花の乱
その前もあったかな
なんかシリーズだから
あれでだからさ
タオルケットとかをさ
何枚も重ねるの
十二一重的ななんかそういうやつ
うちはなんか打ち掛けみたいなのを作って
だからまずあれよね
あの普通にこう
要は普通の和装とか留め袖みたいな感じで
こう着けて
その後後ろにこうでかい
もっと大きな布で打ち掛けをみたいな
なるほど
すごいやってた
一人で一人の部屋でやってたんだね
で冷め冷めと泣いてみた
泣いてみたり
でもなんかその毛布を長い服みたいに
着るみたいなのを私もやってた気がする
でもオークをインスパイアされてない気がするんだよな
何にインスパイアされてたんだろうその時は
なんかでもそれこそ十二一重とかだったのかもしれない
私はなんかアサドラかタイガかで
まあ今年もね
浸る君がやってるけど
なんか私たちが子供の時も
源氏物語とかのアサドラかタイガがやってたんだよ
結構それ私結構強烈に覚えてて
源氏物語だったと思うんだけど
でそれで多分十二一重っぽいものを
なんかやってた気がする
いややってると思った
やって思い出した今思い出してきた
なんかソファーみたいなのに
自分の後ろの布を垂らすっていうのが出た
上級
だからあれだよね
女房たちがさ
あの廊下で
布を
あれをやってた
思い出した
義者がちょっと覗くみたいな
布がね
合わせをさ
毛を覗かせるやつ
すごい
やってたら思い出した
そうなんだよね
やっぱそうやってたなーと思ってさ
18:04
なんかでももっとさ
その葬式ごっこみたいなごっこもね
あると思うんだよね
なんか思い出せそうなんだけど
なんか出てこないな
やっぱ孫と
ずっと葬式ぐらいかもしんない
結婚式っていうかあんまやっと覚えないかもしんない
結婚式ごっこ
あーなんかやってる子もいたよね
そういうこと
なんか結婚式の経験がなさすぎるのか
なんか結婚式よりも葬式の方が
しっくり確かに来るかもしんないな
なんだろうね
死ぬ人の方が多いからかない
田舎だから
まあそうだね
絶対葬式は経験してるよね
そうだね
結婚式ってない人もいるけど
あとあれかな
僕らさ
あの小学校の中でも割と古い
なんだろうな
まあ進行
なんだろうな
優先とか聞いてたでしょ
聞いてない家もいっぱいあるじゃない
そうだね
葬式の話題しょっちゅうあったでしょ
子供の時
今もか
庁民会館でなんとかさん
まあ義みたいな
なんとか会の方は
何時までに庁民会館にご参集ください
みたいなさ
くるくる
あるでしょ
葬式は身近だった気がするなと思うし
葬式で
そうだね
ゆうくんがさっき言うに
葬式で分けられたものが
家に運び込まれてくるよね
あの祖父母とか
父母が出た葬式の
おでん返しなり
まあよりもお菓子とか
いっぱい家に来てたね
来てたよ
なんかよくわからない
口の中がパサッと
すごい乾燥するビスケット
ビスケット
マリーみたいなやつ
あーあるね
あるよね
あるね
あとあのココア
ココナッツサブレ
ココナッツサブレ
確かに
なんとかバウンみたいなやつとか
あるある
それ結構当たりじゃない
なんとかバウンみたいな
当たり
当たりじゃない
あのハズレは雷おこしだよ
そうだね
そうだね
雷おこし
うわーハズレだね
ハズレだよね子供にとって
全然美味しい
あもう好きじゃない
甘くないもん
あと謎のあの寒天ゼリーみたいなのも
ちょっと慣れてた
あーおこしそれ好きかも
好きだった
なんかね透明な
硬いやつ
綺麗キラキラしてて綺麗だから
見てる分には私好きなんだけど
味あんま
美味しくはない
って思った記憶ある
お風呂後に詰まるやつ
そうそうそうそう
なんかでもなんかね
21:02
見た目先行だったのかなもう
いや見た目は好きあれ
好き
あると好きだった
あでもねゴッコ遊びでね
最近見たのが
まあ元日に地震があったじゃないですか
でそれでに関連する記事で
まあ以前の東日本大震災の時とかも
まあ津波が起きたとかの絵を描いたりとか
ゴッコその緊急地震速報とかの
あー訓練みたいな
が津波ですとか言っちゃう子がいるんだって
で実は僕ね
石川の方で起こったけどさ
ちょうど実家に帰ってて
4日に北陸審査幹線東京に帰ってきた時に
金沢から出た電車の中にいたら
隣の家族のお子さんが
緊急地震速報の真似をしてたので
結構上手だったんだけど
なんかいっぱい聞いたんだろうなと思って
でもその記事読むと
そういうのって止めちゃいけない
もうやらせてあげて
それで消化してる子供は
理解してる
理解を助けてになるから
止めないで
ただまあ
よかったね避難できてとか
そういう結末に誘導してあげるのはいいと思います
みんながあったんだけどさ
なんかそういうごっこ遊び
何かの再現ってことで
やっぱ消化する
社会性を身につけるっていうのもそうだし
自分の中で子供は消化するっていうのは
ごっこ遊びですごく大事なことなのかなって
いやそうだと思う
思ったね今回
そうだね
なんかしかもそのなんだろうな
感情とかさ
悲しみとか恐れとかって
なんかすごくごく固有なものだっていうふうに
みんな思ってるけど
実はそれもすごく社会的に構成されていることで
だからその葬式に行って悲しむみたいなこととかも
ああそうね
なんかなんか別に自然にそうなるわけじゃない
自然にってか何かその何何何か繰り返し
やっぱりそういう場面を見てるからこそ悲しくなれたりする
可能性って結構あるなって
私はいつもいつもというか
なんかのエチオピアで
あの儀礼的な木っていうのに直面したことを
いつもこの時こういう時に思い出すんだけど
24:02
あの
まあ有名なんだけどその儀礼的な木っていうのは
葬式とかがあった家の門をくぐった瞬間に
長門のお客さんたちが
号泣し出すっていう
でその門をまたぐ直前まですごい笑って楽しそうなのに
門をくぐった瞬間に泣き出すのね
で本当にもう悲しみの渦の中に入るっていう
のを私も一緒に体験したことだったんだけど
なんかそれってすごくやっぱ社会的な心態を感じるというか
その繰り返し繰り返し多分子供の時は何かわけわかんないけど
大人たちがしてるわーくらいの感じで
見たりとか聞いたりとかやってるうちに
自分も多分そういう風になっていく
葬式になると号泣するみたいなことが
体がそうなっていくんだろうなーって思って
だからまさにそのさっきの緊急地震速報を真似したりとか
葬式ごっこしたりとか
ママゴトもそうだよね
ママゴトをすることによって
そのなんか家族の役割みたいなものを
自分の中に落とし込んでいったりとか
そこで生まれる感情みたいなのを
体で覚え込ませていくというか
そうだねなんか言葉と感情とかを
言葉ってなんか身体的な経験とかがないと
理解できないんじゃないかっていう
なんかの議論があるらしいのね
最近読んだ本に書いてあったけど
記号設置問題だったかな
AIなんかコンピューターは本質的に
言葉を理解できているのかみたいな
話とかから
もっとよりこう赤いとはとか甘いとはっていう
結局こう連想ゲームみたいに
甘いがわかんないからこうでとか
やっていくと結構堂々巡りみたいになっちゃうから
本当にコンピューターっていうのは
言葉を理解できるんだろうかみたいな話だったんだけど
やっぱその
子供のごっこ遊びって結構そうなのかもしれない
この
食べるとかこう自分の身体でさ
経験できることってごっこしないのかもしれない
27:02
もっとだからだんだん発達度合いが高まると
抽象的な社会的なこと概念とかをごっこで
身体的な経験と言葉を紐づかせるためにって言うと言い過ぎだけど
ことで葬式ってものを理解する
家族ってものを理解するためにごっこっていうのがあるのかな
そうかもしれないね
それが身体系
そうそうそれがだから口に出してやるとか
実際その何ていうか動作というか行為としてやるっていうのが
重要なんだと思う
結構だってほらママごととかでもさ
ご飯作って出すみたいなことをやったりとか
それをみんなが食べて食器を返すみたいなことをやったりしてたわけじゃん
掃除するとか
それはやっぱ身体を動かすっていうのが絶対くっついてるわけじゃない
確かに
そういう
そうだからなんか
2つ前の回でたぶん
おみくじ
おみくじの結果をどうすればいいかわからないっていう
みらさんのお一個の話で
どうすればいいかみたいな話をしたけど
それなんか身体的に訓練して繰り返し繰り返し行ってきたことに対しては
たぶんどうすればいいって話出てこないと思うんだよ
さっき言ってたみたいに
葬式というか死んだ人を伴うときには
土に埋めて墓標を立てて
線香をつけて
ろうそくを立てて
みんなで悲しむみたいなことを
もう何回も何回もやってるから
どうすればいいとか思わないんだと思う
人が死んだからといってどうすればいいみたいにならない
ように助けてるんだよね
そういう繰り返し繰り返しのリチュアルというか
儀式が身体で覚え込ませてることによって
いざそれが起きた時にどうすればいいかを
身体が知ってるんだよ
なんだけど
その身体で覚え込ませるみたいなことが
あんまりやってないような
そうだね
もの
それはお一個くんの場合だと
おみくじみたいな偶然の出来事とか
何か信仰に触れるみたいな出来事に触れた時に
身体をどう動かしていけばいいのかとか
30:00
身体の変化みたいなものを
どう自分で捉えていけばいいのかみたいなのを
あまりやってないと
どうしようって混乱するのかもしれないよね
なんかこう社会がさ
村から飛び出て広がって
かつその分なんか
濃度が薄まっているというかさ
個々の家族の中でしかさ
葬式とか家族とか今出てきたごっこも
そうなんだけどさ
なんかもっと昔の私たちの村には
もっと多様なごっこがあったんじゃないかな
という気もしてて
でそのごっこで
かなり社会生活の多くの部分が
得得できたの
体得できたかもしれない
でも今もう情報とか
いろんな選択肢も多様になって
なんかもう発散してるから
もうごっこじゃ学べない
ごっこがなくなっちゃったことって
たくさんあるのかなって
なんかそう
だからいろんな人が迷う
どうしたらいいですかって
なるのはそういう感じ
そうだね
そうだからそういうふうな
似たような状況において
動いてる体っていうのを
観察する機会がいっぱいあったんだけど
かつてはね
観察する機会もあったし
自分でそれをやってみる
復唱してみたりとか
反復してみる機会もいっぱいあったけど
それが失われてる場面が多いのかもね
最初の大童さんの秋田では
総指揮ごっこやってたけど
東京で生まれ育ったジェンスさんは
やってないみたいなのも
そういうこともあるのかなって
あともう一つ思い出したのは
最近ツイッターで見た
バンド玉桜と北野たけしが
日本人が腰の位置が高くなってしまったから
ある固有のものを失ったと語っているんじゃないか
みたいな解釈してる人のツイートがあって
バンド玉桜とか
歌舞伎とかの人だから
多分その動きが変化してるって話だと思うんだけど
身体の
それも結構今の話と近い気がしていて
椅子で生活をするから足が伸びてるって話だと思うんだけど
それによって失われたのって
身体的な外見的な特徴だけではなくて
33:02
しゃがんだり正座したりする
しかもそれに伴って
しゃがんで物を運ぶ時にはどう身体を動かせばいいのかとか
そういうのも忘れていってるから
こういうのを床で畳で生活する時に
持っていた感覚みたいなものとか
持っていた状況認知能力みたいなものとかも
多分失われてるっていう話なのかな
そうだね
なんか古い作法をする機会が多かったけど
やっぱね現代人はきついの
まず足伸びるとね
うんこ座りができません
和式が使えない
それと同じ作法が尊虚だね
もうね
厳密な意味で尊虚を儀式中続けることは
ほぼ不可能くらい
もうみんなそうなってる
そう
もう何らかの工夫が必要やっぱり
教えてもらったけど
ちょっとかかとを上げるとかね
いやーでもすごいなってもうね
ここ何百年たらずか
わかんないけど
まあ100年ちょっとかな
人間の身体って変化して
ちょっと昔のことができなくなったりとかして
多分その時に得てた
そうね言葉と理解するためには
体の経験が必要だとすると
体が変わったってことは
その時に言葉というのは考えとかだからさ
昔の人が持ってた感覚というか
言葉とか考えみたいなとは
とは違ってくるよね
なんか体の変化みたいなの
あんまり頓着しないのかもしれない
この我々は
なんかそういうふうに教育されてんじゃん
なんか言語化しろみたいなあるでしょ
36:04
それって正しいなと思うことも
ないんだけどさ
言語って完璧じゃないし
やっぱ同じ身体的経験する
っていうことがよりこう
何深い理解につながるっていうことが
やっぱりあるんだろうなっていうのを
ちょっと最近その本読んだのと
リモートワークをもう数年続けて
いろいろとこういいとこ悪いとことか
考えるとそうだなって思う
いやほんとそうだと思う私も
なんか
前は昔仕事は全然
みんなそうだけどね
オフィスにいたりとか
身体的な接触があったから
身体を同じ空間で共有して
何かをする反復するとか
ほんと繰り返し繰り返し
体を動かしていく
っていうことがやっぱりすごく
広がって重要なんだよね
なんか最近身体的経験に
植えてるなと思って
なんかこのままリモートで仕事してて
いいんだろうかみたいな思ってくるもんね
いやほんとそうだよ
私もほんと嫌だもん
Zoomとか
なんかいいとこいっぱいあるし
今急にさ
身体動かして通勤しろって言われても
結構困るんだけど
でもなんかそこは
なんかサボっちゃいけないんじゃないかなっていうか
いやほんとそうだよ
って思ったりもする
大事だよ
何の話?これ
いやでも結構この3回はね
いい感じ?
まとめるとすると
身体っていう話と
あと偶発性にどう向き合うか
それはやっぱり身体的に向き合う必要があるっていう
お話と
あとやっぱり身体に降りていくってことは
ある種身体の
第2回
一つ前の話だと
身体の感覚とか
身体のセンスというか
感じる力みたいなのを強めていくって話だから
そうやって結局は美学につながるというか
その人の
大事にしている価値観みたいなものは
39:02
やっぱり身体的なものから多分生まれてると思うから
そこにつながっていくんじゃないかな
と思いますね
身体的経験をしましょう
身体的経験ね
身体的経験をしましょう
大事です
ということで
ガンバガンバのたまごでは
皆さんからのお便りお待ちしてますので
こういう身体的な経験したよとか
こういう身体的経験を
私と皆さんにしてほしいとか
そういうお便りをお待ちしております
じゃあ皆さん
さよなら