🔶原爆投下の日と戦時下のお寺が背負った歴史
8月6日の広島、8月9日の長崎への原子爆弾投下、そして8月15日の終戦の日を迎えるにあたり、戦争と平和について改めて深く見つめ直します。第二次世界大戦において、日本全体で約310万人もの尊い命が失われました。
当時、全国のお寺も「金属回収令(金属類回収令)」によって梵鐘(ぼんしょう)や仏具の拠出を強要されました。浄土真宗本願寺派においても、梵鐘があったお寺のおよそ9割が供出に応じ、その多くは二度と戻ってくることはありませんでした。さらに、教団自体が当時の国家体制の中で戦争に協力・加担してしまったという重い反省の歴史があります。過去のあやまちを深く省み、二度と惨禍を繰り返さないために平和を求め続けることこそ、現代のお寺や仏教徒に課せられた大切な責務です。
🔶ガルトゥング博士が説く「三つの暴力」と積極的平和
現代社会における「平和」について考える際、平和学の父と呼ばれるノルウェーの学者ヨハン・ガルトゥング(Johan Galtung)博士(2024年没)の提唱した概念が大きな示唆を与えてくれます。博士は、単に国と国との戦争(直接的暴力)がない状態を「消極的平和」と呼び、それだけでは十分ではないと指摘しました。
ガルトゥング博士は、社会の暴力性を以下の三つに分類しています。
- 直接的暴力:戦争やテロ、暴行など、心身に直接危害を加える行為。
- 構造的暴力:社会の仕組みや貧困、差別により、本来助かるはずの命が失われたり人権が侵害されたりする状態。
- 文化的暴力:宗教や思想、伝統、道徳などが、直接的暴力や構造的暴力を正当化・合理化してしまうこと。
戦争が終結していても、不当な差別や激しい貧困、不平等が放置されているならば、それは真の平和とは言えません。これら「三つの暴力」を取り除き、環境問題の克服や人権の尊重、飢餓の解消といった「人間の安全保障」が満たされた状態を「積極的平和」と呼びます。こうした意識が社会の当たり前(伝統・慣習)として根付いた状態こそが、私たちが目指すべき「平和文化」なのです。
🔶『ダンマパダ』の言葉と「怨親平等」の心
完璧な平和文化の構築は一見すると遠い道のりに思えますが、2500年前に説かれたお釈迦さまの言葉の中に、その根本となる智慧が見出されます。最古の仏典の一つである『ダンマパダ(法句経)』において、お釈迦さまは次のように語られています。
「実にこの世においては、怨みに報ゆるに怨みをもってしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みを捨ててこそやむ。これは永遠の真理である。」
仏教には「怨親平等(おんしんびょうどう)」という教えがあります。これは、自らに害を加える「怨敵(おんてき)」であっても、自らに親しい「親しい者」であっても、そこに境界線を引かず、等しく慈悲の心で向き合う姿勢を指します。「やられたらやり返す」「恨みには恨みで報いる」という連鎖の中にいる限り、争いや戦争が止むことは絶対にありません。
ガルトゥング博士が目指した平和の究極も、まさに相手を恨まず、報復の連鎖を自ら断ち切るこの精神に通じています。相手を憎む心を離れ、他者への深い理解と慈悲を持つことこそが、真の平和へと踏み出す第一歩となるのです。
🔶今週のまとめ
【1】8月6日・9日の原爆投下や終戦の日を前に、戦時中の「金属回収令」による梵鐘の供出や、戦争に加担してしまった教団の反省を振り返り、平和への思いを新たにします。
【2】平和学の父ヨハン・ガルトゥング博士は、単に戦争がない状態(消極的平和)だけでなく、社会構造や文化に潜む暴力までを取り除いた「積極的平和」の重要性を提唱しました。
【3】貧困や医療格差といった「構造的暴力」や、それを正当化する「文化的暴力」を無くし、人間の安全保障や人権が守られる「平和文化」を築くことが求められています。
【4】お釈迦さまは『ダンマパダ(法句経)』において「怨みに報ゆるに怨みをもってしたならば、ついに怨みのやむことがない」と説き、報復の連鎖を断つ永遠の真理を示されました。
【5】敵味方の隔てを越えて等しく向き合う「怨親平等」の精神こそが、争いが絶えない現代社会において真の平和を実現するための揺るぎない礎となります。
次回テーマは「いのちのご縁(お盆のお話)」です。
どうぞお楽しみに。
お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。
お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。
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