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【心に涼風を】──蝉の声に映る命の無常と今を精一杯生きる教え
2026-07-22 08:59

【心に涼風を】──蝉の声に映る命の無常と今を精一杯生きる教え

🔶二十四節気「大暑」と土用の丑の日の由来

一年の中で最も暑さが厳しくなる二十四節気の「大暑(たいしょ)」を迎え、厳しい酷暑が続いています。この時期の風物詩といえば「土用の丑の日」の鰻(うなぎ)ですが、夏場に鰻を食べる風習は江戸時代、夏場に売上が落ちて困っていた鰻屋から相談を受けた蘭学者の平賀源内が、「本日 土用丑の日」という貼り紙を店先に掲げさせたところ大繁盛したことが始まりとされています。

こうした猛暑の中、仏嚴寺の前住職である祖父・高千穂将史(まさふみ)が昭和60年(1985年)頃に遺したコラム「心に涼風を」に触れながら、現代を生きる私たちの命のあり方について見つめ直します。


🔶松尾芭蕉の句「やがて死ぬ 景色は見えず 蝉の声」の二つの味わい

かつてお寺で配布していたコラムには、境内で激しく鳴く蝉(セミ)と、江戸時代の俳人・松尾芭蕉が詠んだ句「やがて死ぬ 景色は見えず 蝉の声」を通じた二つの深い味わいが記されていました。

一つ目は「わずか1週間の儚い命であることも知らず、のんきに浮かれてただワシワシと鳴いていることよ」という自省の味わいです。将史元住職は「自分も時折、『お前さん、もう長い命ではないのだよ。何を呆けて暮らしているのか』と自分自身に問いかけている」と述べています。

二つ目は「やがて死にゆく運命であることを知りながらも、蝉は今の今を力の限り命を歌い上げていることよ」という感銘の味わいです。儚い命だからこそ、投げやりになるのではなく「今日の1日を精一杯生きねばならない」という教えを、蝉の声が私たちに届けてくれています。


🔶時代が変わっても変わらない「命の無常」

昭和60年当時、境内に蝉取りに来る子どもたちの姿が減り、室内遊びや塾へと環境が変化していった様子がコラムに綴られていました。現代ではさらに環境が変わり、気温が35度を超える猛暑日には蝉すら鳴かなくなるような酷暑の時代を迎えています。

しかし、2500年前のお釈迦さまの時代から、昭和、そして現代に至るまで、科学技術が発達し平均寿命が延びたとしても、決して変わらない事実があります。それは「人間は必ず命を終えていく(無常)」という命のあり様です。どれほど時代や環境が移り変わろうとも、私たちは限られた時間の中で生かされているという根本的な真理は変わりません。


🔶お寺という「心のオアシス」と地域のハブ

かつてのお寺は、境内が子どもたちの格好の遊び場であり、地域の人々が自然と集うコミュニティの拠点(ハブ)でした。江戸時代には、お寺の軒先でお坊さんとお侍さんが酒を酌み交わして語り合うような、極めて身近で開かれた空間でした。

「お寺は敷居が高い」と感じられがちな現代ですが、決してそんなことはありません。都市の喧騒や猛暑の中でふと立ち寄り、冷たいお茶を飲みながら心を静め、句やみ教えに触れて「心の涼風」を感じていただくような、地域のオアシスとして気軽にお参りしていただくことが本来のお寺の姿です。


🔶今週のまとめ

【1】二十四節気の「大暑」や「土用の丑の日」など夏の節目を迎える中、前住職のコラムを通じて「心に涼風」を届ける命の対話が展開されました。

【2】松尾芭蕉の句「やがて死ぬ 景色は見えず 蝉の声」には、自らの無常を忘れて呆けて生きる自己への戒めと、有限の命を精一杯生き抜く姿という二つの味わいがあります。

【3】昭和60年頃と現代では子どもたちの過ごし方や気候環境が変化しましたが、「人は必ず命を終えていく」という仏教の説く無常の理(ことわり)は変わりません。

【4】昔のお寺は子どもたちの遊び場や地域の交流拠点であり、現代においても敷居が高い場所ではなく、誰でも気軽に心を調えられる空間です。

【5】慌ただしい日々の中で一息つき、自分自身の命の限界と向き合いながら「今日の1日を精一杯生きる」ことの大切さを学ぶことが、心に確かな涼風をもたらします。


次回テーマは「仏教とハワイ」です。

どうぞお楽しみに。


お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。

お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

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