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誰もが知っている名物アナウンサーは、「電リク」番組から登場した。【格付けチェックのナレーターと振り返るラジオ史①】
2026-09-18 27:21

誰もが知っている名物アナウンサーは、「電リク」番組から登場した。【格付けチェックのナレーターと振り返るラジオ史①】

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◼︎ 今回の内容 「電リク」番組を知っているか? 二本指で「エアチェック」をしていた時代 松山千春は地元のラジオから火がついた 洋楽は福岡が強かった時代 70年代の深夜ラジオ 山下達郎さんが残す海外FMのスタイル 城達也さんの『ジェットストリーム』の思い出 70年代の電リクから考えるラジオの現在◼︎ 番組紹介身近にある様々なシチュエーションから「一流の声」を徹底解剖し、 あなたの声を「一生モノの財産」に変えるためのPodcast番組です。◼︎ 番組へのお便り、木村さんへの質問はこちらからhttps://forms.gle/UrvArxpn4gPuaWhZ9◼︎ パーソナリティ木村匡也 1965年生まれ。福岡県出身。 1991年に上京し、「進め!電波少年」を皮切りに、 バラエティ番組のナレーションを主戦場として活躍する。 現在はバラエティ番組のナレーションだけに留まらず、 声優、俳優としても幅広く活動し、 2021年10月からは『ナレータープロ養成塾』を開校し、講師としてこれまで多数のプロのナレーターやアナウンサーに指導している。 今まで数多くの大人気バラエティ番組やラジオ番組に出演。 レギュラー番組のナレーター実績は50本以上。 ナレーションを担当した主な番組: 『芸能人格付けチェック』(ABCテレビ)/『ちびまる子ちゃん』(FNS系, 2代目)/『有吉の夏休み』(フジテレビ)/『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ) /『進め!電波少年』(日本テレビ)/『どっちの料理ショー』(読売テレビ)/『クイズ$ミリオネア』(フジテレビ) /『VVV6』(フジテレビ)/『がっちりマンデー!!』(TBSテレビ) /『さんま・玉緒のお年玉 あんたの夢をかなえたろかスペシャル』(TBSテレビ)

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サマリー

1970年代に盛んだった電話リクエスト番組と、当時のラジオが持っていた音楽発信力を振り返る。レコードが高価だったため、リクエスト番組やFM放送は新曲を聴く場となり、松山千春やチューリップなどが地域のラジオから注目を集めた。福岡では洋楽ロックの放送が盛んで、クイーンやチープトリックの来日公演にもつながる熱気があったという。深夜放送、山下達郎や小林克也のFM的な音楽番組、城達也の『ジェットストリーム』への憧れも語られる。最後に、現在は楽曲の権利や事務所の制約で、昔のような電話リクエスト番組は成立しにくいと説明する。

1970年代の電話リクエストとエアチェック
一流の声を科学するラジオ。
今日はね、ラジオの歴史というのはね、ちょっと私が語るのもおこがましいですけども、ラジオは101年の歴史がありますから、私が知っているのは、まあそのうちの数十年ですけど、ちょっとね、今時ない話をしたいなあっていうんで。
今日はね、1970年代、1970年代というと昭和70年代、45年から55年までが70年代なんだけど、その時ね、本当にこう、流星を誇ったラジオ番組って、音楽のリクエスト番組っていうのはものすごく流行りまして。
リクエスト番組。
そうなんですよ。もう懐かしい言葉だけど、電話リクエスト、略して電力っていうね、時間があって。で、なんでこういう番組が流行ったかっていうと、当時やっぱりレコードがね、高価だったんですよ。
高すぎた。
そうそうそうそう。で、やっぱちょっとね、1枚2000円近くするLPをパッと買うのってちょっと厳しいじゃない。
そうするとラジオでリクエストして、ちょっと聴いてみて、あ、この曲なら買ってみたいなっていう、そういうサンプル的なショーケース的な意味合いもあったのね。
後のさ、FM曲、FMっていうのはそれこそ1970年ぐらいからスタートするんですけど、丸々1枚LPかけてくれる番組とかあったのよ。
へえ。
そうすると、それを録音することはエアチェックって昔言ってたんだけど。
エアチェック。
これなんで日本語かっていうと、こうやって録音ボタンと再生ボタンをギュッて一緒に押すとラジカセが録音が始まるわけよ。
へえ。
だから録音するときねって言って、私ぐらいの60前後ぐらいの人間が2本指でビュッてやってるときは、赤いボタンと青いボタンを一緒にギュッて押すとこれが録音って言うんだ。
へえ。
古いね。
で、そういう音楽のショーケース的なものもあったし、あとやっぱりね、当時ラジオの力がまだまだあったんですよ。
ラジオから広がった音楽と地域のスター
テレビよりも。
テレビの方がもちろん商業的な効果はもちろんすごいんですけど、ラジオにはまだまだすごい力があって、人気アナウンサー、そういうのは大体ラジオの一番人気番組をやってる人がその局の人気アナウンサーだったわけ。
これちょっと法律的な話すると、テレビ局っていうのはテレビ局とAMラジオ局を持つことは法律的にOKだったんですよ。
これ最近改定されて、FM局も持てるようにとか、FMにもつながるラジオを発信できるようになりましたけど、例えば東京で言うとTBSテレビっていうのはTBSラジオと一緒の会社がやってて、
大阪だとMBSっていう毎日放送系のテレビ局と毎日放送のMBSラジオっていうのがあったりとか、そういうことはできたんですけど、FMは持てなかったんですよ。
だから、例えばTBSの一番人気のあるアナウンサーがTBSの一番人気のあるラジオをやってる人だったわけね。
だからこれ典型例が久米博さんですよ。久米さんっていうのはそこから出てきてる人なんで、だから彼はニュースステーションでも本当にテレビの一大黄金期を作り上げたんだけど、お亡くなりになる間ずっと長いことテレビやめちゃって、ラジオなんですけどっていう番組をずっとやってらっしゃったでしょ。
久米さんはTBS出身の、それから全国のテレビ局をかなり人気者として扱われるようになっていきますけど、うちの師匠、美濃文太。私は美濃文太の弟子なんですよ。
美濃文太って。美濃さんは文化放送っていうテレビ局がないところにラジオのアナウンサーとして入社したわけですが、その後いろいろ一旦ラジオアナウンサーをやめたんだけど、テレビの人気者として本当にギネスブックに乗るほどの大スターになりましたけど、という方とか。
これはいわゆる関東エリアの人なんだけど、本当に全国に、たとえば私の出身の福岡県なら、福岡の松井真一さんという方がいたりとか、名古屋では、ちょっと新しいけど、坪井範雄さんという有名な方がいたりとか、北海道は北海道でとか、いろいろいると思うんですよ。
その各局の人気者たちが、ラジオ局の曲穴だったりすると、一番人気のある電力番組を担当させられてたんですね。これは本当に、当時私もそうだったけど、音楽を発信する力って。
たとえばなんだけど、チューリップっていうバンドがね、たまたま私と同じ福岡県の出身なんだけど、やっぱりラジオから火がついていくんですよ。いろんなところ、そういう経験をしたミュージシャンっていっぱいいると思うけど、たとえば松山千春さんって北海道の人なんだけれども、その北海道のラジオ局から火がついていって、
特に千春さんのファンの人たちはみんなよく知ってるけど、有名なラジオのディレクターの方が千春さんの歌に惚れ込んじゃって、君は絶対デビューした方がいいって言って、会社から給料前借りまでしてくれて。そんな方がいらっしゃったんですよ。名物ディレクターとか名物プロデューサーっていう方がいらっしゃるわけで。
それでいろんな音楽をかけたりして、たとえばあるアーティストは名古屋のあたりで火がついて有名になっていくとかいうことがあって、フォークソングで有名な神田川なんていう曲、あれも確か名古屋あたりから火がついたんじゃなかったかな。そういう地域地域に面白い流れがあって、それがとてもローカルで聴いてると楽しかったわけですよ。
もうこれ本当に私の個人的な自分の見えてる世界なんですけど、その1973年ぐらいかな、もう私すでに6歳か7歳から深夜放送を聞いてた。もうね、マセガキなのよ。今なんかドパガキっていう。
ドパガキって怒られてるけど、私も当時ちっちゃいトランジスタラジオを親からもらって、それをずっと聞いてた記憶があったんで、本当にね小学校に上がる前ぐらいから深夜放送を聞いてたぐらいなんですよ。悪いガキでしょ。
本当にねラジオを聞いてて驚いたのが、まだ小学校の低学年ですよ。なんだこれはって思うような曲が聞こえてきたのがクイーンです。ボエーミアンラプソディを聞いた時、今まで聴いてたロックとか、その頃ハードロックっていうのがちょっと始まったりとかしてて、レッドツェペリンとか。
特に福岡ってね、そういう洋楽のロックミュージシャンをものすごく地域のDJの人がバンバンオンエアするんで、日本10弾コンサートがなぜか福岡からスタートしたりしてたんですよ。
カルロス・サンタナーってギタリスト知らないかもしれないけど、1回目最初、板付け空港って、今は福岡空港って名前変わったんですけど、福岡の板付け空港に次回は飛行機でやってきたんだよ。もう2弾でえーと思ったけど、思いながら、いや福岡ってそういうとこだよなってみんな勝手に誤解してたところがある。音楽好きだもんな俺らと思って。
洋楽の拠点が福岡なの?
クイーンもだから宮殿記念体育館でライブあったんですよ。ご存知ないかもしれないけど、チープトリックっていうアメリカの4人組がいるんですけど、彼らも宮殿記念体育館でライブがあったときに、福岡のKBC九州アサヒ放送のスターアナウンサー、松井真一さんという人が、そのチープトリックの曲いっぱいかけてたんで、ボーカルのロビン・ザンダーからアンコールのときに、松井上がってこいって言って一緒に。
上がって、ラジオ局のアナウンサーとチープトリックが鳥をとって歌うたってたとか、そんなことがあったんですよ。それぐらい音楽を発信する力っていうのはラジオの方が強かったかなっていう感じで。
だから一時期ね、これちょっと記憶がある人まだ世代的に多いかもしれないけど、1990年代の初頭ぐらいに東京にFM局がドバーって開局したんですよ。もともとFM横浜はあったんだけど、90年代に入ってJウェーブができたり、ナックファイブができたり、ベイFMができたり、FM富士ができたり、関西もだからFM802ができたり、神戸にKISS FMができたりとか、
いろんな放送局ができて、今まで都道府県に1局しかなかったFM局っていうのがものすごいできて、その時に一番求められたのがバイリンガルDJなの。もうね、たくさんの人が出てきて音楽を紹介していく。いわゆるミュージックプログラムっていうのがたくさん流行ったわけね。
私アメリカから帰ってきたばっかりだったから、ついに日本にもこういう時代が来たか。アメリカ人って本当に朝起きたらすぐ音楽かけてずーっと無音が耐えられないみたいな。
ドパガティーじゃないですよ。
トークラジオってアメリカではすごい嫌われてたわけよ。ミュージックステーションこそがかっこいいところで。ジングルっていわゆる曲と曲の間に放送局のステッカーみたいなのがあるじゃん。
TBSだったら、TBSラジオとか、JOQR文化放送ですとか、あれジングルって言うんだけど、あそこが向こうだったらさ、The Best Music Station in LAとかさ、We'regonna bring you old music, no talkとかさ。
ノートークがかっこいいね。
そういうミュージックステーションをだいたい聴けばさ、ほんの1ミリずらしたら次の放送局、ちょっとずらしたけど放送局がどんどん変わっていって、特にLAなんかはさ、ロックステーション、70年代のロックステーション、80年代のロックステーション、そして今度はメキシコからスペイン語の放送局、オーラ、アミーゴー、We're gonna bring you the latest music!
深夜放送と若者文化
これ英語だけど。もう音楽付けになっちゃうだけですよ。私今聞いただけだけど、ブラジルの方がもっとひどいって聞いたけど、確かにサンバとか好きだからさ、やっぱり音楽性というか、常にビートが鳴ってるんでしょうね、あの人たちは。だからああいうリオのカーニバルとかできるんでしょうね。
なるほど。
青春を謳歌してる若者たちとか学生たちの開放区が深夜のラジオにあったんだよね。
そうですね。今も周りに続いてますけどね。
それがやっぱり、本当にさっき言ったようにコンテンツとしては土曜日日曜日のお昼帯がものすごく一番人気があるというか一番お金がかかっているラジオのワイド番組だとするじゃない。そういう番組は本当にトップの久米さんみたいな方がやってるんだけど、その深夜の枠っていうのは誰だかわかんないミュージシャンとかコメディアンであるとか落語家さんであるとか、
いろんなちょっとまだ世間には出てないんだけど若い人の気持ちがよくわかる。ちょうど少し年上のお兄さんお姉さんみたいなそういう目線で喋ってくれる人がすごいモテ生やされたんだよね。
落合恵子さんなんてねものすごく当時レモンちゃんって言ってたかな。すごい流行って。でも私たちはねそれは東京は素敵だねとか思わない。我々がやっぱり直撃された深夜放送は昇福天鶴子さん。鶴子のオールナイトニッポンってのはもう本当に面白くてね。テレビより面白いと思ったもんやっぱり。
お色気たっぷりなんで。これもねラジオのなんかさ、ラジオの壁として残ってるよね。大沢優里のUUWideでもさ、お色気対象とか言ってなんかこう夫婦にまつわるどうでもいいなんかちょっと色っぽい話とかさ、なんかねお友達の旦那さんになったら私のパンティー置いてきちゃったとかさ、なんかそういう話がもうすごいね昼間からおっさんおばさんが坂道夫さんとかいっぱいあれがさ盛り上がってるんだけど。
まあそういうあの1970年代独特のやっぱりあの盛り上がりを見せてたのはリクエスト番組電力番組って言われるね。まあ今でもねおそらくあの2時間番組の中で1曲2曲曲がかかったりとかそういうことはあるかもしれないけど、違うよ2時間全部ずーっとリクエストずーっとリクエストが。
それは昔のあのなんかいわゆる胸をときめかせたリクエスト番組でね。私たちは子供だったからリクエスト番組始まったら電話を取ってクククってこうやって、まあオペレーターさんが今ねショッピングみたいに何人もあんなに何百人もいなくてほとんど数名だと思うけどオペレーターさんにもなかなか届かないのにあの1回だけ電話かけたらねそれを
アナウンサーにつないでいいですかって言われてもう胸がもうドキドキになっちゃうね。そのちょっとねその時のラジオ番組の正確な名前がちょっとね記憶にないんでもうあんまりちょっと言いながらなんですけど九州のリクエスト番組だったんだけど私が何をリクエストしたかはねすごく覚えてて
シュリエイコさんっていう方ねもう亡くなっちゃったんだけどもうすごいねパンチ力のあるもうボーカリストでシュリエイコさんっていう方のジェット最終便という曲。はいもう誰も誰もついてこれません。という曲は私初めてリクエストした曲なんだけどあの隣でねあの私がドキドキしながらアナウンサーと電話で喋ってる時にうちの兄とかあの母親とか他の曲にしなさいよとか
まあチューリップの銀の指輪に変えてもらえよって。いやだって言ってそれであのシュリエイコさんのジェット最終便をかけてもらったら電話終わった後にちょっとうちの中で賢悪なムードが流れてくだらない。
まあでも後にあの私がそのローカルの福岡県福岡県でフリーのディスクジョッキーになった時に九州浅木放送さんKBCラジオの一番人気があったリクエスト番組のあの今週のポップスベスト10って言うんですけど今週のポップスベスト10の3代目の私DJとかパーソナリティにしてもらったんですよ。
さっき申し上げたそのトップ中のトップの曲穴しかなれなかったの。私は部外者で初めてなったんですごい期待されてたのにあのすぐ辞めて東京に行っちゃったからあの野郎って思われてるのかもしれないなと。
山下達郎と海外FMのスタイル
ただこれは今はねあの今なら日本のラジオってやっぱりこうなんかこう語り合うというかあのいろんな個性的な人が出てきてねああでもないこうでもないとか言ってる方が確かに聞いてて面白いなと思うんですよ。
だけどねずっとやっぱりミュージックステーションというものをみんな憧れてたわけよ。例えばだけど山下達郎さんってなんであんなに売れてるかというとまさにあの人は一人FM曲みたいな感じのレコードを作ってるわけですよ。
もうありえない量のレコードを持っていらっしゃって。
それでいわゆるおそらく日本語で歌ってるけど多分これ英語だったらアメリカのFMでかかってそうなオシャレな曲じゃないみたいな曲をいっぱい作ってるわけね。
で実際達郎さんのレコードの中で小林克也さんが途中でDJ入れてまさにFM曲仕立てに作ったようなアルバムとか結構あったはずですよ。
だから当時私たちねあのハワイにみんな海外旅行とかで行ったらさハワイのさFM曲を録音してくる。ウォークマンで当時ねそのこのいわゆるステレオヘッドホンとかウォークマンと言われてるものに録音機能がついについたんでその向こうに行って向こうのFM曲を長いテープに録音して帰ってきて
例えばこうブティックとかでこうかかってるとうわぁオシャレって思ってさなんてオシャレなんだとかみんな思ってたぐらいに海外のFM曲っていうのすごい注目してたわけ。
で今でもある放送局だけどハワイのねKIKIっていう放送局があるんですよ。でそこにね鎌サミコングさんという方がいらっしゃってまだお元気だと思うんだけど
Hi this is KAMASAMI KONG bringing you the best inmusic right here on KIKIっていうね。で最後にstay tunedってか言いたいじゃん。
言いたくないこれ。これFMDJとかになったらさhey stay tuned we'll giveyou the best in music entertainmentってか言いたいじゃん。
言いたいですねこれは。
だから多分ね達郎さんとかが作ってた彼の頭の中にあったその多分ね達郎さんとかは小さい頃からFENを聴いてたんでしょうからFENで聴いてたようなそのベスト10番組みたいな構成とかが絶対頭の中にあって
ああいうかっこいいものを日本文化に移し変えたものを作ろうとした努力の跡がよく見えますもんね。
だから本当に小林克也さんとかもうめちゃくちゃ憧れましたね。でちょうど我々の頃ぐらいにあの我々が中学とかあのなった頃に
えっとねその時ねシリアポールさんという女性のDJがあのやってる音楽番組があったんですよ。
でその番組があのサントリーさんがやってるサウンドマーケットっていう番組だったんです。で主役は主役ってか喋ってるのはシリアポールさんなんですよ。
だけど間のジングルで出てくる克也さんが
This program is brought to you by Suntory
これがかっこよくてさこれを
私聞いたことありますそれ。
でだんだん小林克也さんという方が有名になっていってテレビに出てきたとき
えーこんな感じの人なの?と思ってごめんなさい克也さんごめんなさい。えーこんな感じの人だったの?と思って。
で克也さんはその後どんどんどんどん人気になってさあの笑っていいとも田森さんの笑っていいともに
テレフォンショッキングとかで出てくるようになったらさ
結構小林克也さんってファンキーなおじさんなんですよ。
あのソウルミュージックとかファンクミュージックをかけてねえーいめーんとか言うよね。
そういうかっこいいおじさんだったんですけど
もうね最初にやっぱ顔見たときはねびっくりしたんですけどその笑っていいともに出たときね克也さんがね
あのチラッと言ってたセリフがまだ頭に残ってるんだけどあの田森さんがあの英語しかできないですか?って言ったら
いやちょっとフランス語をやったことありますねって言ってねあのなんかこうバラバラっとこうフランス語
ジュシージャポネぐらいな感じのことを言ってあそれもうまかったんです。
ねえあでもフランス語もできるんですねってまあまあ英語こんだけできますからねって言って
そうかーって英語って頑張って勉強したら小林克也さんまでは行かないにしてもそのちょっとかかとのところぐらいにつながるぐらいまで行けるんだと思って
よっしゃ勉強しようと思ったのね。
だから日本人ってこんなに英語上手になるんだってねえ
いまだにさやっぱりあの日本語におけるその洋楽DJを紹介するって
BFMで言うとまだ小林克也さんが出てくるじゃん
小林克也さんこれなんだっけえっと80歳になった記念で何十時間か連続放送やられたりとか
やっぱり相変わらずラジオ音楽番組というと小林克也なんですよね
でほらあのそれはさベストヒットUSAという番組がこれはテレビですけどベストヒットUSA小林克也です
今日のベストヒットUSAはLAから最新の音楽をというかあのもうテレビとラジオの相乗効果に我々もうすっかりやられちゃってるんだ
城達也と『ジェットストリーム』
まあそういうわけで私たち自身としては世代としてはそのしゃべり手が面白かった時代
それは鶴子さんのオールナイトニッポンであったりそしてやっぱり激しくやっぱり魂を掴まれたのはたけしさんねビートたけしさんのオールナイトニッポンとか
もうちょっと戻るけど金ちゃん萩本金一さんこれが面白かったのラジオが面白かった
この金ちゃんの大ブームの次にやっぱりでかかったのがたけしさんちょっと時系列が逆になっちゃったけど
という話をお話が上手いDJはああいう人だなでもやっぱり私の気持ちとしては渋い声だなって小林克也さんがやっぱり憧れ中の憧れだし
オーソドックスな日本語を綺麗な日本語を喋るのは城達也先生ね
そしてねもう一方これはあのTBSでよく声を出された和歌山玄蔵さんというかもう本当にかっこいい声で声優でもいらっしゃったので
いろんな吹き替えとかも洋画の吹き替えとかやってらっしゃったんですが和歌山玄蔵先生の声がもう本当に素晴らしくてですね
このお三人なんか本当にいい声でしかもラジオで憧れた方々だったかな
これがさ後に伏線回収していくんですよ
例えば城達也さんものすごく子供の頃から憧れててジェットストリームという番組をやってらっしゃったんですけど
これ実はねあのFM局の一番古い番組でもあるんですよ
現在ね福山マサールさんがやってらっしゃる番組だけどスタートしたのもFM放送と同時に始まってるんですよ
これは最初FM東京じゃなくて東京FMじゃなくてFM東海
名古屋にあった放送局の実験放送から続いている番組なんです
こんな長いことやってる番組ってあの番組だけですね
でその初代パイロットパーソナリティは城達也先生って方で
私自身は実はその東京FM主催の全国のDJコンテストで優勝してデビューしたんで
番組持たせてもらったのも東京FMが早いわけ
で東京FMに来たら今日ねあの城達也先生の官歴祝いがあってるからご挨拶しに行こうかって言って
その年入社した新入社員FM東京の新入社員と一緒に城達也先生の前にご挨拶に行って
いやー君たちは若くていいねーって言われた
もうその声の良さにもうね倒れそうになって
とてもじゃないけどこんな風になれない
手術かなんか受けないとこんな声になれない
もうね激しく感動してるんですけど激しくショックを受けたのを覚えていますね
先生に会った時が先生が60歳でもう結構官歴すぎてちょっと経たれてね天国に行かれちゃったんで残念だったんですけど
その私が当時22、23のガキだった私が今官歴ですからね時代は巡ると
子供の頃だからすごい憧れてたものが20年とか30年経って自分の元にブーメランが帰ってくるというか
だからそういう意味で70年代のラジオに少し育ててもらったかなという記憶はよくありますね
70年代のこの電力から始まる
電力もう一回やってもらいたいですねああいう電話リクエストコーナーとかでね
現代のラジオと電リクの難しさ
今は本当にね厳しくなっちゃったんで例えばどっかのラジオ局ね
私がゲストで出る時によく言われるんですけどなんかかけたい曲ありますかって言って
じゃあこの曲とこの曲かけてくださいとちょっとそれがかけられるかどうか確認を取ってきますと言われるんですよ
ありますねこんなことは昔なかったです
ラジオ局がかけてくれるって言うんだったらもうレコード会社とか芸能事務所はそれは万々歳で
ぜひかけてくれって言ったけど今この放送局でこのアーティストの曲かけちゃダメっていう
いっぱいありますからね
この事務所の楽曲はうちの放送局では使えませんとか言うのいっぱいありますからね
だから今ラジオ局の力が音楽の権利持ってる人たちの方が強くなっちゃったということですね
だから今となってはもうちょっとなかなか成立しづらいですね
懐かしい70年代の電力番組もう一回やってみたいな
ということで今回は木村さんのラジオしおひもとから70年代のところを主に掘り下げてまいりました
ということでありがとうございました
27:21

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