詩吟大会への参加と新たな視点
おはようございます。詩吟YouTuberのheyheyです。本日2本目なんですが、制約があるからこそ、詩吟は輝くということで、最近、詩吟の大会に出てきてですね、結構自分の中で腑に落ちた話があるので、それを言語化していきたいと思います。
昨日か、2月23日に、詩吟の大会の第1次予選がありました。予選は3次まであって、それがうまくいったら全国決勝に行くというところです。
3次予選なんで、何もミスらなければ100%通るという、正直どうでもいい大会っちゃどうでもいい大会なんですけれども、無事ミスすることなくやれたので、問題なく通過したというところです。
ただですね、最近ちょっと詩吟に対して悩んでいたところもあったんですけれども、何が起点だったのかな。詩吟はですね、自分の出番2分しかないんですよね。1分半から2分しかなくて。
だからいろんな準備をしてきてですね、コストも時間も支払って大会に来たわけだけでも、この2分失敗したらもうおしまいというところなんですね。どんなスポーツとかでも一緒ですけど、フィギュアスケートとかもこの4分とか8分とか、そのあたりで失敗したらおしまいっていうのはあるんで、このスポーツ選手のを見ているとですね、ちょっと気持ちがわからなくはないなと思います。
制約が芸術を輝かせる
ちょっと前まではですね、こういうたった2分で終わることが理不尽だなぁと思っていたんですよね。何か報われないなぁみたいな気持ちがあったんですけれども、ちょっと視点が変わって、制約があるからこそ、こういう伝統芸能というか芸術というものは輝くんだなっていう風に何か見方が変わったんですよ。
それが一番自分の中でしっくり苦し、突き詰めていく、なんか指針みたいな形になったんですよね。制約があるからこそ輝いていく。この2分しか時間がないですね。かつその自分の声でしか見せられないんですよ。
伴奏が自分で好きに変えられるわけではなくてですね、決まった伴奏、決まった漢詩があって、それをいかに自分で表現するか、手を動かしたり踊ったりとかしながらやるわけではなくて、本当に声だけなんです。本当に声だけ。ある意味、潔いぐらいに制約が強い世界なんですよね。
逆に言えば、制約があるからこそ、じゃあその中でどれだけのことが表現できるのかっていう風に考えざるを得ないんですよね。そうなった場合にもっともっとこの声の細かいところに気が向くようになって、この詩吟という芸術がもっともっと美しいものになっていくという、そういうところに気づいたんですね。
だから今は大会に向けて本当に細かいところいっぱい気をつけているんですよ。本当に普通の人が、何も知らない人が聞いたら、なんか違うの?ここ変わった?とかですね。多分そういうレベルのところを山ほど今意識して練習して大会に臨んだりしているわけなんですけど、それがですね、その方向性がやっぱりそれで価値があるんだな、それが意味があるんだなっていうふうに思えたことはやっぱり嬉しい発見ですね。
制約の中での探求と成長
こんなニッチなところを気にしていて、何か意味あるんだろうか?この活動に、この練習に何か価値があるんだろうか?いろいろ考えるんですけれども、そうやって制約の中でもっともっと突き詰めて突き詰めて、この高みに至っていく。
そうやっていくとですね、次第に声も練り上げられた声というものも、もっともっとまだまだ上に行ける余地があるんだなぁとか、そういう気づきがあったりしたんですね。この制約の中だからこそ芸術は輝くという視点が本当に気づけてよかったなというお話でした。誰かの参考になれば幸いです。バイバイ。