1. 詩吟日本一による「声を鍛えるラジオ」
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2020-11-30 06:27

第67回:クリスチャンじゃないのにゴスペル歌っていいの?

ようやくですが、ゴスペルについても話していきまーす!
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おはようございます、こんばんは。ゴスペル銀営家のheyheyです。
このチャンネルはですね、詩吟歴もゴスペル歴もない私、heyheyによる声に関する話をですね、好き勝手楽しく喋っていくチャンネルにしております。
まあ別でですね、真面目に詩吟に関する話をチャンネルもやっておりますので、そちらもどうか聞いてみてください。
それでは行きましょう。ゴスペル銀営家のおしゃべり。
今回はですね、まあいつも詩吟ばっかりの話をしていたんで、あのゴスペルの話についてもですね、いよいよしてみようかなと思います。
ということでゴスペルに関する話、クリスチャンじゃないのにゴスペルを歌ってもいいんですかという内容で話していきたいかなと思います。
ゴスペル、まあゴスペルどっちでもアクセントいいんですけれども、これはあの映画ですね、天使にラブソングを。
日本でとても一世風靡をした音楽のスタイルということになります。
賛美歌みたいなものをよりノリノリで歌うような形ですね。
Joy for joy for we are dozy じゃなくてJoy for joy for love we are dozy こんな感じでノリノリに歌っていく。
まあこれがゴスペルになるわけなんですけれども、これがですね、あの日本で歌っている人結構多いんですよね。
多分10万人は絶対超えているはずですね。10から100万人ぐらいあるんじゃないかなと思うんですけれども。
そもそもですね、これあのキリスト教徒のクリスチャンの歌になります。
もう中身がですね、ひたすら神様、ジーザスをもう崇める、賛美する、まあそれこそがゴスペルということなんですね。
まあどんな歌い方でもとにかく内容が神様を賛美していればゴスペルになるという広い定義があるわけなんですけれども、
だからこそですね、それを別にもう神道とか仏教とかそんな日本人である私たちが適当に歌ってもいいのかという話になります。
これはですね、まああのオッケーだよという話、結論としてはオッケーなんですけれど、その理由が3つあります。
1つ目はですね、ゴスペルはですね、歌うこと自体がまあそれ自体が賛美になるということで、別に信仰心があってもなくてもいいんですという話。
そして2つ目は、日本はクリスチャンではない人が多い独特な文化がもう形成されてしまっているということ。
そして3つ目はですね、もうそれならば歌っている時だけクリスチャンになればいいという結論になります。
この3つについてさらさらっと話していこうかなと思います。
まず1つはですね、ゴスペルとは歌うこと自体が賛美になるということなんですけれども、これちゃんと聖書に出てくるんですよ。
たくさん歌えばいいよと思い切って歌えばいいよと、それ自体が神様を賛美していることになるんだからみたいな内容があります。
ここちゃんとスラスラと聖書の何たら何たらって言えればいいんですけれども、
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そういうことでですね、ゴスペルは信者だけに開かれたものじゃないんですね。
もう歌を楽しもうというところから来ているということになります。
そして2つ目、日本はですねクリスチャンじゃない人が多い独特な文化、これが形成されているということですね。
最初に言った通りこの天使にラブソングをという映画からですね、この日本のゴスペル文化が始まったと言っても全然過言じゃないんですね。
だからもうこの映画を見て、うわぁゴスペルってかっこいいな、とりあえず歌ってみたいな、楽しそうだなぁと、そういう風にして始めた人がもうほとんどです。
ゴスペル僕も10年やっているわけなんですけれど、そういう人ばっかりですね。
もちろんその中にもちゃんとしたクリスチャンの方もいます。
でもですね、それとは別で8割9割、9割以上かなぐらいの人はもうクリスチャンじゃない。
そして今もクリスチャンじゃないけれども歌い続けていると。
最近コロナでなかなかできないですけれども、そういう人がいます。
そしてですね、僕が学生の頃からゴスペルやっていたんですけれど、合宿の時にもうここについて、この問題についてたくさん議論したんですね。
もう真面目なサークルだったんで。
だからその時に出た結論がですね、一つはこのゴスペル、ジーザスとかゴッドとかそういうのを大切な人に例えればいいじゃないかっていうのも出たんですよ。
でもですね、そうするとちょっと相手が壮大すぎて偉大すぎて、なんかちょっとピンとこないんですね。
力、名前負けしてしまうということで、その時に出た僕のサークルでの結論が、歌っている時だけクリスチャンになる。
ある意味演じるということですね。演者になるということです。
パフォーマンスにおいてはやはり演じるっていうところがよくわかりやすいかなと思うんで、
歌っている瞬間、その時間だけはクリスチャンになった気持ちでたくさん歌えばいいというのが一番しっくりきたかなと思います。
ということでクリスチャンじゃないのにゴスペル歌ってもいいんですかっていう話なんですけれども、
ゴスペルっていうのは歌うこと自体が賛美になるということ。
そして日本はクリスチャンじゃない人がたくさんいるという独特な文化がもう形成されているということ。
そして3つ目、歌っている時だけクリスチャンになればいいじゃないということでですね、ゴスペルを楽しく歌っていけばいいのかなと思います。
もうなかなかですね、今歌うタイミングないし、これから冬の季節でいつもであれば毎週イベントに出てですね、
クリスマスとか特にピークに達したわけなんですけれども、今年は本当にもう寂しいですね。寂しい。
もっと大勢でガンガン歌いたいんですよ。
こんな感じで外で歌うんですよね。これがすごい楽しくてしょうがない。
多少音がズレてても問題ないんですね。
これの楽しさ、これはこれでもっとやりたいなと思っている次第です。
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ということで本日の内容は以上となります。
ではですね、明日もゴスペルかな、詩人かな、恋かな、好きなテーマについて好き放題話していきたいと思いますので、
引き続きどうか楽しみにしていてください。
それではゴスペル銀絵家のおしゃべり、どうもありがとうございました。
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