東京市麹町区、現在の千代田区五番町に生まれた女性解放運動家がいます。
平塚らいてう(ひらつか・らいちょう)。
今年、没後50年を迎える彼女は、今から100年以上も前に「家制度」に反対し、事実婚を選びました。
夫婦別姓の先駆者とも言われています。
おととし、公開された『らいてう戦後日記』の中の一節。
1950年4月13日の記述には、
「平和問題、講和問題について、婦人の総意を代表する声明を国内及び国外に、今こそしなければならない瞬間だとこの数日しきりに思い悩む。」
と書かれています。
明治時代末期、良妻賢母こそが女性に求められ、家庭を守ることが主たる仕事であり、女性に参政権は認められていませんでした。
裕福な家庭に生まれ、恵まれた環境に育ったらいてうでしたが、早くからそんな風潮に激しく疑問を抱き、古今東西の本をひもとき見識を拡げ、女性が生きる道を模索したのです。
今から110年前に彼女が中心になって創刊した、女性による女性のための文芸誌『青鞜』の序文に、らいてうは、こう書きしるしました。
「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他によって生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である」。
この『青鞜』という雑誌では、イプセンの戯曲『人形の家』の大特集を組んだり、「現代家庭婦人の悩み」という企画で、「家庭婦人にも労働の対価が支払われてもよいのではないか、その権利は十分あるはずだ」という文章を発表しました。
真っすぐな性格ゆえ、心中事件を起こしたり、父から勘当されてしまうなど、その人生は騒動と共にありますが、彼女は、一度もブレることなく、女性のために闘い続けたのです。
大正時代から昭和にかけ、女性の権利獲得に奔走した活動家・平塚らいてうが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
平塚らいてう(ひらつか・らいちょう)。
今年、没後50年を迎える彼女は、今から100年以上も前に「家制度」に反対し、事実婚を選びました。
夫婦別姓の先駆者とも言われています。
おととし、公開された『らいてう戦後日記』の中の一節。
1950年4月13日の記述には、
「平和問題、講和問題について、婦人の総意を代表する声明を国内及び国外に、今こそしなければならない瞬間だとこの数日しきりに思い悩む。」
と書かれています。
明治時代末期、良妻賢母こそが女性に求められ、家庭を守ることが主たる仕事であり、女性に参政権は認められていませんでした。
裕福な家庭に生まれ、恵まれた環境に育ったらいてうでしたが、早くからそんな風潮に激しく疑問を抱き、古今東西の本をひもとき見識を拡げ、女性が生きる道を模索したのです。
今から110年前に彼女が中心になって創刊した、女性による女性のための文芸誌『青鞜』の序文に、らいてうは、こう書きしるしました。
「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他によって生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である」。
この『青鞜』という雑誌では、イプセンの戯曲『人形の家』の大特集を組んだり、「現代家庭婦人の悩み」という企画で、「家庭婦人にも労働の対価が支払われてもよいのではないか、その権利は十分あるはずだ」という文章を発表しました。
真っすぐな性格ゆえ、心中事件を起こしたり、父から勘当されてしまうなど、その人生は騒動と共にありますが、彼女は、一度もブレることなく、女性のために闘い続けたのです。
大正時代から昭和にかけ、女性の権利獲得に奔走した活動家・平塚らいてうが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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