花巻市と阿部薫太郎の紹介
はい、では今回のGOOD NEIGHBOR GOOD CULTUREは、花巻市に来ています。
ゲストは、阿部薫太郎さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このGOOD NEIGHBOR GOOD CULTUREでは、遠野市と花巻市に住んでいる方たちにお話をお聞きして、
その方の仕事ですとか、あと暮らしのことについてお聞きしている番組になっております。
はい。
はい、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、阿部さんがまず普段どんなことをしているのかというのは、
軽く自己紹介からスタートできればと思うので、
はい。
その部分から教えていただいていいですか?
今現在は岩手の花巻に戻ってきたんですが、
その全職、全職というか、今もまだ九州ハサミ町の遠矢さんのデザインという、
デザインの仕事をまだ継続でさせていただきます。
はい。ありがとうございます。
はい。
もともとご出身が花巻なんですよね?
そうです。花巻です。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
だから花巻出身で、今は花巻に戻ってきて、
当時期の卸屋さんの中でデザイナーとして働いているみたいな形ですかね?
遠矢という立ち位置というのもちょっと怪しくなってきた時に、
やっぱり自社商品というものがないとということで、
招集された感じになっているんですけれども、
結局メーカーじゃなくて商社の方が情報を得られていて、
その中でいろんなメーカーに発注をして作ってもらって、
自社商品を開発するという立場というか立ち位置で仕事をしています。
はい。ありがとうございます。
なので、僕も安倍さんとは共通の知り合いがいたりだとか、
事前にいろいろテレビにも出演されて、
ミニ番組みたいなのも見させていただいていたんですけれども、
焼き物の学びと海外経験
改めて、何で今安倍さんがこういう仕事をしているか、
みたいなところをぜひお聞きできればと思っています。
そうですね。
小さい時からやっぱり物を作るのが好きだったのでと言いながらも、
物を作って食べていくというのも難しいなと思いつつ、
ずっと学生も長めにしながら、
フラフラというわけではないですけど、海外に行ったりしているときに、
たまたま九州の今まだ働いている豚屋さんの社長、
当時社長、今は会長なんですが、
一緒に仕事をしないかということで誘われて、
今に至るという感じです。
もともと花巻はどこまで花巻だった?
高校卒業まで花巻で。
高校生までは花巻で過ごしていた。
その後実は大学のほうでまた学生というか、
大学のほうの復讐というか助習みたいなことを、
3年ぐらいしているあたりに海外に行きたいなと思って、
バイトするために花巻に1回戻ってきているんです。
今ちょっと有名なのかな、
石戸里屋町にある福祉施設の、
会社名言っていいのかな、
ルンビニエンさんが巻き釜があるということで、
巻き釜をしながら商品開発を、
あそこは自立してパン屋さんとかいろいろあったので、
焼き物でも自立したいなということで誘われて、
2年ぐらいいました。
大学は県内だったんですか?
大学は山形の美術系の大学です。
そこにいてバイトでこっちに戻ってきて、
ルンビニエンさんとかに関わったりはしながら。
バイトじゃないですよ、実はちゃんとハマって、
なのでちょっと、
なのでというわけじゃないですけど、
2年目ぐらいに、2年目じゃないな、
結局焼き物じゃないパーセンテージが多くなってきちゃったので、
もう一回外に出たいなと思って、
そこからタイに行って、
2年目にしてハサミの会長社長に捕まったという方ですけど、
ということで、
だからハサミには17年いたことになります。
なるほど、ありがとうございます。
大学は卒業してからタイ?
卒業して、
すいません、細かく。
卒業して大学院に行かせていただいて、
さらに大学院に行った後にスウェーデンにも行かせていただいて、
その後また戻ってきて、
そしたら山形の大学の副主がいないということで、
2年?3年ぐらい、
助手というか副主というか、
名前ちょっとどっちが正しいのかわからないですけど、
やらさせていただいて、
これで山形に9年行って、
その後、花巻に2年ちょっと。
なるほど、完全に戻ってきて、
タイに2年行って、
2年目で今の会社の現会長とお会いして、
2006年からハサミです。
波佐見焼きのブランド構築
この間スウェーデンに行ったりタイに行ったりというのはずっと焼き物だったんですか?
全て焼き物関係です。
大学もそういう大学?
大学も陶磁器専攻という、
最初はガラスはなくて、
漆と金属工芸とかいろいろやったんですけど、
漆には被れ、金属もアレルギーで、
もう焼き物しか残っていなかったです。
なるほど、そっか。
じゃあどっちかというと最初からそこを専攻したというよりかは、
どんどんどんどんそっちになっていったというか。
とはいえというか、
自分の家の真上に実はカジチョウ焼きというのがあって、
そこのおじいさんに怒られたというか、
おじいさんたぶん大事に囲っていた限度なのかな、
土を大事にビニールシートで被していたところで遊んでいた時に、
すごい怒られた記憶が小さい時を覚えていて、
何で土で遊んじゃダメなのかなというのはあったりはして、
焼き物専攻者とは関係ないと思うんですけど、
何かそういうのも何かあるのかなと思ったり。
そっか、じゃあ結構身近に焼き物があった幼少期も過ごしているというのも、
もしかしたらきっかけになっているかもしれない。
はい。
改めて、かぶれてとか金属のアレルギーでみたいな理由もあったと思うんですけど、
その当時期を勉強しようと思ったとか関わろうと思った理由って、
どんなところにあるんですか。
まあ何でしょうね。
さっき言ったように作るのは好きだったというのもあるのと、
一応自在自在というか、子供でも手でギュッて握ると形になるじゃないですか。
それ自由すぎて本当は、
っていうのと触った感じなのかなとは、
結局人が使うものに変わるっていうところかな。
何か人と関わりができるなという仕事なのかもしれないというところですかね。
焼き物が特に、
日本人は結構日常、毎日もしかしたら触るもののような気もしますので、
そういうものが作れるかもしれないなというのはありましたけどね。
そうですよね。
それぞれどういう器を作っているかにもよるかもしれない。
本当にやっぱり食事の場にはやっぱりすごい身近にあったりだとか、
ちょっと違う使い方でも陶器とかが身の回りにあったりもするので。
金属食器とか漆の食器よりも多分身近な気がしたんですよね。
なるほど。ありがとうございます。
スウェーデンに行ったりタイに行ったりということでしたけど、
それぞれでも器の勉強というか仕事みたいなことをしてた?
スウェーデンに関してはコンストファクという美術学校がありまして、
そこに留学させていただいていて、
それが学校の推薦だったので比較的行きやすく行かさせていただいたんですけど、
その後タイというのは、
ちょっと副施設で働いた時に海外に行きたいなと思って、
日本の国がやってるJICAとかも受けたりしてたんですけど、
なかなか決まらず、試験もちゃんと受けて、
二次試験とか行ったんで、面接まで行ったんですけど決まらず、
あれって思ってた時に、
ハサミ帳を一回見に行ってた時に会った会長が、
海外に行きたいと言ってたなって言われて、
タイの工場があるから行かないかって声かけられて、
行く前からハサミの会長とは付き合いはあったんです。
それでタイの工場に2年いて、
日本の洋食器メーカーの食器作ったりしてました。
本当に当時も時期も日本全国いろんな焼き物があるかなと思ってるんですけど、
その中でもハサミ焼きに関わることになったのは、
その方との出会い?
そうですね、2004年か2003年か2004年に会った時に、
とんでもない谷底ぐらいの売上で困ってて、会社自体がですね。
日本製じゃなくて、実は商社だったので、
海外の商品を仕入れて売ったりしてたんですけど、
2006年に帰ってくるその前の年なのかな。
産地偽装問題、牛肉のっていうので、
ハサミ町っていうのは実はアリタ焼きの壁に隠れて、
アリタっていう名前で商品を売っていって成り立ってたんですけど、
アリタ自体が偽装問題の件もあるから、
ハサミ焼きをアリタ焼きと言うなということになりまして、
当時会長は商業組合の会長みたいなのをやってた前、
ちょっと半分怒った感じになって、
ハサミ焼きを売っていくぞっていうのを言い切った後だったらしく、
ちょっと戻ってこいということで、
ハサミ焼きを売っていくぞっていうのに、
だったらやりますかっていう感じで戻ってきた感じですね。
それまでは一応ハサミ焼きっていう名称とかはあったけど、
そんなにメジャーじゃないっていうか。
もう全部アリタっていうシール貼ってましたから。
どっちかというとアリタとしてPRしてた。
アリタとしてアリタっていうシールを貼ってくれっていう、
中間動員屋さんとか、一番最後のお客さんはそう思ってたみたいです。
なるほど、そういうことか。
むしろその方がやっぱり売れる、ブランドがあって売れるからってことですよね。
アリタ焼きブランドだったんですね、多分。
そうか、じゃあそういう意味では戻ってきてからは、
ハサミ焼きとして売っていくために、
ブランド力をつけていくというか。
はい。ブランド力というか、
ハサミとは何ぞやってみんな考えられる。
ちょっとひねり出すような、何なんだろうっていう、
下請けで細々やってたのがあって、
そのバックグラウンドもあって、
今ちょっと表に出たのもあるのかもしれないですけど。
はい、なるほど。
そういうことで言うと、
本当に今までそういった経緯を全然知らなかったので、
僕も食べるのがすごい好きだったり、
お店に行くのがすごい好きだったりすると、
ハサミ焼きって本当にすごいよく聞くっていうか、
最近は。
はい、ようなイメージがあって。
なのでそこには多分安倍さんとか、
安倍さんの会社の皆さんのいろんな仕事があって、
そうなってるんだろうなと思うんですけど、
その中どういう、結局ハサミ焼きとはどういうことになったのかとか、
どういうふうに今みたいな製品作り、商品作りにつながっていったのかって。
それで言うと、ちょっと歴史の話になるんですけど、
有田っていうのが、
鍋島藩の藩の殿様のために作っていた焼き物から始まっていて、
それ1616年と言われてるんですけど、
それと同時期に、
鍋島藩っていうのは今の佐賀県なんですけど、
波佐見の器文化
ハサミがあるのは長崎県の大村藩っていう藩だったんですけど、
そこの藩の方には庶民の器、
健常品じゃない、
一番有名なのが大阪と京都を結ぶ川で、
川を行き来した時に出すご飯を乗せる器が、
ハサミのクラワンカワンっていうのが、
一番最初に庶民が手にした時期と言われていて、
そういう始まりがあるから、
庶民の器っていうことは、
もう昔からのなんとなくの理解ではあったんですけど、
それをもうちょっとブラッシュアップして、
今の現代に合う、
庶民のって言い方ちょっと申し訳ないんですけど、
カジュアルな器を作っている産地がハサミっていうことになっているはずです。
花巻への帰郷
なるほど。
阿部さんはその意味で器との関わり方で、
デザイナー的な感じなんですか?
そうです。デザイナーという感じなんですが、
実際、デザイナーって仕事、
いろんな取り方があるんですけど、
やっぱり、産地にいないデザイナーだと、
その産地の得意なもの、不得意なものっていうのが見えなかったり、
何が必要で何が必要じゃないかも見えないんですが、
完全に中に入ってやってたので、
どういう作り方でどうすると、
こういう値段になってっていうところまでやっているので、
デザイナーでありながらコーディネートというか、
ちょっとトータルにグランドデザインまでいかないですけど、
そういう仕事をしたつもりではあります。
だからどういう価格で、
使う人たちの手元に渡っていくかみたいなところまでの、
ほんと全て設計、ほんと単純な見た目的なデザインだけじゃなくて、
それらすべてを設計してたってことですもんね。
だからそうすると、どれぐらい長崎にいた期間?
17年いました。
17年ですね。
こちらに今、2拠点ですか?
そうですね。
年間10回から12回は行っているので、
月1回ぐらいのベースで。
あっちに行きつつ、
生活のベースは今、花巻。
岩手、はい、花巻です。
岩手に、花巻に戻ってきた理由みたいなところって聞いてきますか?
もう、できるだけ早く帰ってきたかったんですけど。
そうなんですね。
焼き物をやりながらっていう、
特に自分でろくろ引いて、
自分で売るっていう焼き物じゃなかったので、
なかなか難しいなと思ったんですが、
今、ハサミも少し、
安定まで言わないですけど、
ハサミというか、今勤めている会社も少し、
ちょっと良くなってきたので。
あと、うちの会社は海外に何店舗かなが、
海外の支社とか、
日本にも何個か支社があるので、
私は出張で東京、
九州に行った時も出張で東京に行くことが多かったので、
今の社長にちょっと岩手帰るんですって言った時に、
帰るからって辞めなくていいですからねってさらっと言われて、
こういう立場で仕事をさせていただいています。
なるほど。ありがとうございます。
そういう意味で何で早く帰ってきたかった?
いや、これは何ですかね。
まあ、岩手という、
私は生まれ育ったのは花巻だから、
やっぱり花巻の、何ですかね、
文化というか、いろいろ受けた影響が、
結構他では味わえない影響な気がしていて、
いろんな排出した先人とか、
ちょっと長崎、
ハサミ町よりっていう言い方はあれですけど、
それはそれでいいんですけど、
私が受けた影響を子供にも受けさせたいなと思って、
小学校1年生に上がるタイミングでこっちに帰ってきました。
なるほど。
じゃあ自分が育ってきた経験とか体験とかもあるからこそ、
それはお子さんにもっていう。
そうですね。
あと実家もあるので、
子供に伝える思い
その感じもちっちゃい時に味わわせたいなという。
もう少しその部分具体的にお聞きできたらなと思うんですけど、
安倍さんが改めて感じている花巻の良さ的なものだったり、
どういう部分を子供、お子さんに伝えようとしているのかって。
伝える。
伝えるという言い方はあれですけど、
自分が育った環境と同じ環境によってどう影響、
どう捉えても構わないんですけど、
その状況にしてあげたいという言い方はあれだったんだけど、
そういう状況にしてみたいなと思って、
そうなるとどうなるんだろうという。
焼き物しか作ってないとは言わないですけど、
街じゃなくてこっちの方が、
いろいろ視野が広くなるんじゃないかなという感じでいました。
なるほど。
確かにその部分をグットネイバー、グットカルチャーという番組の中でも、
もちろん今やっぱり東野とか花巻とか高校出るタイミングとかで、
本当によく外に出られる学生さんたちも多いんですけど、
やっぱり今もだし、僕自身も岩手出身なんですけど、
やっぱり東京の方がいっぱい仕事があるんじゃないかとか、
この仕事をするには東京じゃなきゃいけないんじゃないかみたいな、
都市への憧れだったり、都市に行かなきゃみたいな、
何か先入観みたいなものをすごく持っている。
僕自身はすごく未だに持っているんですけど、
でもそうじゃなくて花巻とか東野にも、
こんなにいろんな仕事をしている大人たちがいるっていうのを、
この番組でも紹介できればと思って、
今までいろんな方たちにも話をお聞きしていて、
そういう意味では都市的なところじゃなくて、
むしろ花巻で視野を広げることができるって思いますか?
どうですか?阿部さん。
思いますね。思うんですけど、
結局、私も一回出たからここの良さがわかると思うんで、
一回出ないとわからないところもあるかもしれないですね。
だから一回出たときに戻ってきたとずっと思っていたので、
このタイミングになったんですけど。
あと今言ったように岩手でも関わる人が、
この人って東京にいないのに東京のことをよく知っているとよく言われるんですけど、
私は焼き物で言うと一番の中心地がやっぱりハサミだったり、
ハサミだったんですよね。
だから一番のところにいたので、
そこから作っているものって全部見えてたんですよ。
東京で扱っているカフェのマグカップだ、なんだっていうのは、
東京で使われている焼き物を全部見えてたんで、
なんで知っているのって言われるけど、当たり前のことなんですよ。
だから一番遠きの都の東京にいたという感じですね。
そういう意味では花巻も、
むしろ花巻にいていいというか、花巻だからこそいいみたいな、
どういう要素なのかわからないですけど。
なんですかね。
商業的なのは特にないんですけど、
商業な感じじゃないんですけど、なんですかね。
言葉で言うと商売下手なのとかもまたあれらしい。
なんて言ったらいいんですかね、それすら。
人の感じとかなんですか、それとも土地の風景みたいな。
やっぱり土地でしょうね。
なんかこっち、ゆっくりしてるというか。
でも、これは難しいな。
でもなんか帰ってきたかったんですよ、早めに。
そういう気持ちの部分を聞きできるだけでも、
安倍さんの花巻に対する気持ちというか思いみたいなのが伝わってくるなと思います。
すごいいいですよね。
僕も全然別の話ですけど、
普段京都に住んでらっしゃる方が岩手に来てトークイベントをしてるんですけど、
その方が花巻の駅前のホテルに泊まった時に、
やっぱり花巻の景色を見て、
これは100年に一度は宮沢賢治は生まれるなって、
やっぱり景色を見て思ったってその方は言ってらっしゃって、
もちろん宮沢賢治もすごいんだけど、
どちらかというとお話を想像したくなるとか作りたくなるとか、
考えられるような景色とか風景がこの場所にあるというお話をされていて、
それはすごいよくわかるなというか。
そうですか。
俺もだから言葉で言えないんですけど、
確かに私もちっちゃい時から高校までずっと、
宮沢賢治や高村幸太郎の話が完全にインプットされちゃってるので、
こうっていうのも、言うっていうか、
こうだからっていうのはないんですけど、
寂しいじゃない、
なんだろうな、アイデンティティがちょっと違う感じが、
何なんだろうって言葉では子供にこうとは言いようがないんですけど、
何なんでしょうね、本当に。
なんか基本やっぱりここで育った体験とか経験とか、
現体験みたいなものが結構今の器作りというか、
仕事とかクリエーションみたいなところにつながってる感じしますか?
つながってないようで、どっかあるのかもしれないってしか言いようがないですね。
ちょっと商業寄りな仕事だったりもするもので、
ただ感覚的なところというか、
例えばですけど、
時期の産地なんです、九州の長崎は。
ちょっと真っ白で冷たいんですけど、
東北の人たちって白いものよりたぶんちょっと温かみのある土物の方が好きなんじゃないかとか、
そういうのはなんか感じたりしますね。
こっち帰ってくるともしかしたらそういうものを作るような気も、
自分もまたさらに影響されそうな気もするんですけど、
なんかちょっと売れるものも違うんじゃないかなとか思ったりはしてます。
実際に戻ってきてからの仕事は、戻ってくる前とほとんど変わらない、
もしくは変化して、こっちでも何か、むしろ販売してたりだとか、
こちらのお客さんに注文されたものを作っているとか、そういうのはあるんですか?
今から実はなりそうで、
ちょっと森岡とか大手の企業さんから依頼を受けたりはしているので、
それは九州、ハサミで作るものですけど、そういう依頼は最近多いですね。
だからハサミ焼きのものを作るけど、
基本それをこっちで作るからですか?
いえいえ。
あっちの職人さんたちに?
そうですね。
あっちで、そういうものをつなぐ仕事もありつつ、
もし何か別であればそれは自分でも作れなくはないですけど、
実際はどうだろう。
こっちで作るとなるとまたちょっと話は違うかもしれない。
はいはい、そっかそっか。
すみません、宣伝になっちゃいますが、
来年の6月ぐらいに、
私もデザインの仕事をするときに必要な、
今まで作った商材ってすべてのものを見れるような場所が欲しいなと思っているのと、
プラスでちょっと会社に無理を言って、
すぐここは花巻の大きい公園の隣に物件を買いまして、
そこに今ショールーム兼ショップをやる予定でいます。
来年、今収録しているのは2024年なので、
2025年の6月。
6月あたりです。
消毒機の解体の業が出て。
すごい楽しみですね。
いいですね。
今日は収録させてもらっていますが、
ここはどちらかというと工房?
そうですね、工房ですね。
工房になるんですね。
でも今のところ何もないので、
地域文化と生活
目の前にあるこういうものは九州から送られてきてもらって、
ちょっと不具合があるとか、
これに新商品を足すって時に、
こうやって見て考えなきゃいけないので、
送ってもらわないと見れない状況ですけど、
場所ってショールームがあると全部手元にあるので。
そうか、プロダクトを並べておけるから。
いいですね、楽しみです。
ありがとうございます。
あとはもう少し仕事とは別に、
生活的な部分もお聞きできたらと思うんですけど、
どんなことして遊んでいるかというか。
そうですね、遊んでいる。
まだというか、
帰ってきてまだ3年は経ってますけど、
近隣に行っていないところがあるから、
土日行ったり。
子供のあれもあって、
今雪降りだしたら雪で遊んだりですね。
九州じゃやれなかったことも結構あります。
今からですね、スキーとかもあるだろうし。
基本お子さんと過ごしていることが多い。
そうですね、土日は間違いなくしますね。
平日だと、
岩手でできた友達たちと何か、
平日、でも平日、
平日あんまり皆さん仕事をしているから、
夕方から集まってちょっと話したりですよね。
そんなぐらいですかね。
そうですよね。
多分僕も共通の知り合いがいるっていうのは、
多分その中でよく写真、
安倍さんが写っているのを見たりとか、
みんな飲んでいる感じとかかな。
そうですね。
焼き物も手機とか結構あるもんで、
手機を作ってこれで飲んだり。
いいですね。楽しそうですね、確かに。
そういうのも花巻の場所は、
ショールーム兼、実は1階と2階あって、
2階がショップで、
1階はガランといろんなワークショップとか、
いろんなことができるような場所にする予定で、
だから何でもできるという、
フリースペースというとあれですけど、
すごくいろんなことができる、
ピロティーみたいな空間にする予定ですので、
何かができればなと思います。
将来の展望
いいですね、確かに。
それこそ安倍さんが小さい時に、
土で遊んでて怒られたみたいなことが、
むしろ怒られる、
変な遊び方しては怒られるのかもしれないけど、
みんなが土に触れたりだとか、
むしろ何かをそこで作れたりみたいなのができたりすると楽しそうですね。
ありがとうございます。
ちょっと重なる部分もあるんですけど、
もし何か今後の展望みたいなのがあればお聞きできればと思っていて。
今言ったぐらいですかね。
その、
テンポができるんで、
何ですかね、
あんまり細かいこと言うと多分、
例えば花巻いんぎょうとかあるんですけど、
何かやられてる方もいるから、
そういうワークショップとかするのって、
言うの良いのか悪いのか分からないなと思って、
難しいなと思ってました。
でも本当に、
俺型を作るのがメインの仕事、
メインじゃない、
デザインしつつ、
原型とかも自分で作るんですよ。
だから型は作れてて、
実は昔ですけど、
花巻、
ルンビニさんで働くときに、
帰ってきた2年間の間に、
市役所か商工会か何かの依頼で、
花っぴっていう、
何かキャラクターの土いんぎょうの型作ってて、
作ったことがあって、
それとかあると子供とかも、
簡単に花巻いんぎょうとか、
そういうワークショップもできるなと思ってたんです。
いいですね。
確かに何か昔っていうか、
僕もあんまり昔っていうほうがあれなんですけど、
何かそのほうが、
企業とかがよくノベルティとかで、
焼き物とか芋のとかすごい作ってたイメージがあって、
何かああいうときのもののほうが、
面白そうなものがいっぱいありそうですよね。
確かに。
本当に何かやれればいいなと思って。
他の人の商売の邪魔はしないぐらいで。
はいはいはい。
というぐらいかな。
やれれば。
ちょっと探り入れてからじゃないとやれないかと。
そうか。
じゃあそういう意味では本当に他の皆さんと、
どちらかというとあんまり何か邪魔したり、
競い合うっていうよりかは、
本当に一緒になってできるとか。
そうです。
それが東北らしい、そんなような。
西のほうは関係ないですからね。
声がでかい人が。
はいはい。
なんか東北ってそういうとこありますね。
俺もそういうふうにもうなっちゃってるのかなと思う。
あんまりこうクルクルしてしまうというか。
いやよくわかります確かに。
自分の我が道だけ進んでいくと、
気づいたら人が離れてそうな感覚がありますもんね。
そう。西はそうじゃないです。
声がでかい人たち。
なるほど。
やっぱりそういう文化の違いも。
全然違います。
まして西の端ですしね。
こっちも東の端って端だけど。
商売のところですね。
すごい。
でもなんかそういう意味では本当にこう、
別の場所のものに携わりながら、
なんかその岩手花巻で仕事してるって、
なんかすごい本当に面白い働き方だなと思って。
もうだから助かっているというか。
あといいのはたまたまですけど、
花巻空港と福岡がつながっているっていうのは、
すごく楽です。
そうですよね。
あれが一回なくなったんですよ。
あ、そっか。
今あるから。
すごい助かってます。
だから花巻空港までここからだと、
たぶん10分、15分とかですよね。
そうです。
もうバスに乗るかぐらいの間隔で行けるんで。
そうですよね。
福岡も近いですよね。
福岡も近い。
空港から町場まで近いから。
すごい近い。
だから楽なんですよね。
それだけ合ってた。
本当ですね。
確かに。
全然。
意外と東京行くより早いですもんね。
1時間半ぐらいで行けるから。
なるほど。
ありがとうございます。
はい。
じゃあ今日の収録はここまでになります。
今回は安倍君太郎さんに出演していただきました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。