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2024-10-12 06:49

6分_新しいことを知るのは良いことか?

知る事は良いとこか

ネットでFIREを知ったらそこに行きたくなる
無知は力、ジョージオーウェン1984
江戸時代の一生の新しい情報は今の時代の1日の新聞くらい

#知ること #1984 #FIRE #江戸時代
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おはようございます、ずっきーです。楽しんでたらなんとかなった理系3児パパの頭の中ラジオを今日もやっていきたいと思います。
今日お話する内容は、新しいことを知ることは良いことなのか本当に良いことなのかと思ったので、3つほど着目点を上げてお話していきたいと思います。
まず、新しいことを知ることが良いことかと思ったのは、インターネットがあると色んな良い人の生活とか、こんな生活もあるんだって知れちゃうんですよね。
これが良いことなのかな?逆に人を苦しめてないかな?ってふわっと思いました。
具体的には今、ファイヤーとかですね、フィナンシャルインデペンデント、ディタイアーリー、経済的に自立して早くディタイアしようよみたいな考え方とか知ったら、そんな仕事なんてしたくないじゃないですか。
1日8時間10時間とかでほとんど時間なくて土日も潰したりすることもあってみたいな。
それがお金を貯めたら仕事を辞めて好きなことをやっていけるって、そんなの知っちゃったらそこを叶えたいに決まってるじゃないかよっていう。
しかも今インターネットで実際にファイヤーしてる人ですね、出会ったりとか具体的に話を聞いたりしたら、ここにいたりてーって言って私は思いましたね。
それって今までの普通に働いてた道から変えなくちゃいけない、どうすれば変えられるんだろう?復業しようかとかね。
普通に道歩いてればいいじゃんって思うんですけど、明るい光みたいに見ちゃうと憧れ持っちゃう。
そこに至れればいいですけどね、知っちゃうとね、いいなーってなんでこんなことしてるんだろうって思えてしまう。
まずここらへんがスタートですね。
ここらへんに関連して、これも関連するなと思った2つ目の話で、無知は力、知らないことは力であるっていう言葉が、昔のSF小説ですね、ジョージ・オウェンさんの1984って言葉に出てきて、
その小説の中で無知は力である、戦争は平和であるっていう、逆説的な言葉を話しつつも納得させてくれるようなストーリーであるんですけど、
その中であるのは無知は力であって、知らないことは力である情報統制を上の方がして、分かりやすい情報、限られた情報っていうのを国民に巻いて、
それによって国民は盲目的に同じ作業を繰り返すことができて、それで幸せを得ることができる、情報統制の世界ですね、ディストピアなんても言いますが、
そこはそんな住みたくはないとこですけど、その無知は力っていうのが、あれなんか本当かもしれないなって思わせてくれるストーリー展開がその小説にはあって、
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主人公も社会に疑問を持って進んでいくジャーナリズムある人が主人公であるんですけど、あれなんかそんな知らん方が良くないみたいなことがあるんですね。
具体的には街歩いててたまに砲撃が飛んでくる、大砲がドカーンって飛んできて、バコーンって建物が爆発して、またB国が攻めてきたぞって言って、早く戦争終結せねばっていう、
その大砲が飛んでくるみたいなシーンがあるんですけど、これが戦争が起きている体っていうところに理由をつけるんですけど、
主人公はいろいろ背景を探っていくと、あれこの大砲って飛ばしたのってB国じゃなくてウチじゃね?自分の国から自分に撃ってんじゃね?っていうのが分かってきて、
なぜそんなことをしてるかって言ったら、戦争しているという大義名分があると、国民の方向性をつけやすいから、この戦争、国民の命を奪う、この戦争を無くすためにっていうね、
そういうのを知っていくんですけど、知っちゃうと、なんかいろいろ知りたくなっちゃうっていうのはあるよなーっていうのをちょっと感じさせる小説ですね。
ジョージ・オウメンさんの1984か。
新しいことは知ることかの3つ目のお話としては、昔か、江戸時代ですね、人は幸せだったかどうかってのはそんなに分からないですけど、
江戸時代の人の一生の情報の更新量、結構早かったのが60ぐらいかな?ではなくなったと思うんですが、
江戸時代の人の一人の人の一生の間の新しい情報っていうのはだいたい新聞ぐらい?新聞1日分ぐらいだ、どうやって計算したかわからないですが、
松尾豊さんの記事だったかな?なんか見たことがあって、本当に一生のうちに新しいこと、新しい変化っていうのは新聞ぐらい?
主にやっぱり周りの人ですね、家族の結婚とか出産とか、誰かが亡くなったとか、そういう情報とか、あとは初月をとかか、そういう毎年決まったこととかばっかりで、
大きく技術が変わった、テクノロジーが変わったなんてのがなく、本当に変化は少ない時代だった。
多分それでも幸せにやってたと思うんですけどね、なんか楽しみ見つけたりとか、さっきで初月をとかね、そういう初物を楽しんだりある。
それに比べて今の時代だとめちゃくちゃ情報が多すぎる、変化もどんどんしていきますしね、AIとかツイッター見てるだけでも、私情報集めるの好きな方でも、
AI情報とかアホみたいにいっぱい出てきすぎて、もう追いつけないですよね、人のキャパ、容量超えてるなーってくらいの情報きますね。
慌ただしいです。
っていう3つのお話を話しました。感想はあるかな。
新しく知ることは本当に良いことなのかなーっていうので、ネットで憧れる光みたいなの見ちゃうとね、もう普通の生活しにくくなっちゃうんですね。
あと2つ目は、無知は力、知らないことこそ原動力になるんじゃないのかっていう話はあると思います。
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3つ目、江戸時代、昔の人、200年前くらいの人とかは、本当に新しい情報ってなくても、それなりに幸せになってただろうし、
今みたいにポンポンポンポン新しい情報を知りすぎても、そんな良いことないんじゃないのかなーって感じですね。
新しい情報は追っていくんでしょうけど、本当に知らなくても良いことってあるだろうし、
程々に止めておく。情報を集めるのを止めておくっていうのも1つの手かなーなんて思いました。
今日はこんなところですね。お聞きいただきどうもありがとうございました。
良い一日を。
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