努力と選択の考察
絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
好きなエネルギーは太陽光、です。
さて、今回はですね、努力は必ず報われるとは限らない、というお話をしていきたいなと思っております。
その前に、ここ2,3回スタイフで試験頑張りますというお話をさせていただいたんですが、
先週末に無事試験は終わりまして、無事なのかわからないんですが終わりまして、
自己採点も実は終わりまして、結果どうだったかというとですね、
ギリギリ受かっているか落ちているか微妙なラインです。
なので2月の合格発表までですね、ちょっとドキドキしながら待ちたいなと思っております。
というわけで今回は全然別の話をしていきたいなと思っています。
それが冒頭にお話した努力は必ず報われるのか、という問いに対して、
僕自身がどういうふうに考えているか、というお話ですね。
皆さんはどう思いますか?努力は報われると思いますか?
これって、僕自身が身を置いていたスポーツ界ではですね、
比較的努力は報われるんだから、努力しようぜっていう雰囲気が強くありますし、
実際にそういう言葉を投げかけられたこともあります。
でも、僕は結論から言うと報われるとは限らないと思っているし、
シーナ・アイエンガーの著作
努力ってそもそも何?っていうふうに考えているんですよね。
ちょっと面倒くさいやつですよね。
それは従々承知の上でですね。
じゃあ努力って何なんだろうってことを考えた時に、
僕自身が暫定的に今のところ思っている結論としてはですね、
ただの選択なんじゃないの?って思うんですよね。
そんなお話をとある本、一冊の本を取り上げてお話ししていきたいなと思っています。
ではその本というのはシーナ・アイエンガーさんが書かれた
選択の科学という本ですね。
まず先にこの本のざっと紹介をしていきたいなと思っているんですが、
シーナ・アイエンガーさんという女性の方が書かれた本なんですが、
彼女は幼い時に目の病気になってしまって、
今全毛の状態で大学の先生をされておられます。
専門は社会心理学。
選択、チュージングの専門として講義をされたり研究をされたりしていて、
この選択の科学という本はコロンビア大学の講義を元に書かれた、
それを文章化した本になっているんですよね。
その内容としては選択の重要性だったり影響力について
深く掘り下げて考えられていたり、
選択が多すぎることの弊害を指摘されたりしています。
あとは大変有名なジャムの実験もこの本の中で書かれていますね。
24種類のジャムを置いた時と6種類のジャムを置いた時、
どちらが売上が高かったか。
結果的には6種類の少ない選択肢の方が人の購買欲をかきたてることができた。
だから多すぎる選択肢は必ずしも良いとは限らない。
そんなことが書かれていたりするんですよね。
僕が努力は報われるとは限らないに通ずるところで、
一番印象に残っているのが最終章で、
人生とは選択と偶然と運命の三元連立方程式であると書かれた章なんですよね。
それがどういう意味かっていうのを僕自身ずっとぐるぐると考え続けています。
なんですけれども、暫定的に今現在自分が考えていることとしてはですね、
努力っていうのは全て選択の連続、選択の集合体なのではないかなっていう風に考えていたりするんですよね。
偶然と運命の影響
僕はどうしても元アスレートなのでスポーツに置き換えて考えてしまうんですけれども、
スポーツの世界で努力と言われているもののほぼ99%はやっぱり選択なんですよね。
で、それは何かっていうと、コンディションを整えるために早く寝るという選択であって、
練習に向かって準備をするという選択であって、
1日の中の限られた意志力の大多数の大きな配分をその練習、トレーニングに向けるという選択であって、
集中をするという選択であって、みたいなことを考えると、
世の中で努力と言われているものは選択なんだろうなと思うし、
その選択が正しいか正しくないかによってパフォーマンスが決まってくる。
僕自身はアスレートの晩年に向かうにあたって、
努力という言葉よりも選択という言葉に重きを置くようになっていきました。
そしてスポーツの世界では残酷ではありつつ、やっぱり偶然の変数があったり、
あるいは持って生まれたギフトの運命の側面が掛け合わさって、
最終的なパフォーマンスというのは生まれていきます。
つまり何が言いたいかというと、勝負の運みたいなものもあれば、
巡り合わせ、トレーナーだったりコーチにどうやって巡り合うかみたいなことって偶然だったりするんですよね。
そういった変数があったり、才能がある選手がそんなに正しい選択をしなくても高いパフォーマンスを出してしまう。
そういうことってあるじゃないですか。
それを改めて構造として選択と偶然と運命の掛け合わせなのであると言われたことによってですね、
僕自身はですね、ものすごく腑に落ちたんですよね。
だからこそアンコントローラブルな偶然や運命に頼るのではなくて、
アンコントローラブルな偶然や運命に頼るのではなくて、コントローラブルな選択、
つまり自分自身にとって、それも今の自分自身にとっていかに正しい選択をしていくか、
そこに注力できるようになったんですよね。
それが当時、アスリートだった時の僕の重要な指針になったというか、深いマインドセットになっていったんですよね。
その偶然と選択と運命という構造が僕の中に刻み込まれたという感覚がすごくありました。
と同時にどんなに努力をしても報われるとは限らないんだよな。
なぜなら偶然と運命があるからという、ある種悲観的に見るような、客観的に見るような視点というのも僕の中に刻み込まれてしまったんですよね。
これはなぜ働いていると本が読めなくなるのかという著者の三宅嘉穂さんがおっしゃっていたことなんですけれど、
良い本というのはその人にとって良い影響だけでもなくて悪い影響を与えるような、そういう本なんですっていうことをおっしゃっていて、
まさに選択の科学は僕にとってそういう本なんですよね。
それは努力というものはある種選択に置き換わるのであって、正しい選択をすることによって高いパフォーマンスを出すことができるという再認識をしたと同時にですね、
選択だけではなくて運命と偶然が掛け合わさったものがパフォーマンスに最終的になっていく。
その構造も同時に腹に落ちてしまったんですよね。
だからこそ努力は報われるのかという問いに対しては、いやそんなことはないとはっきりと断言する自分が今はいます。
でもそこで重要なのがですね、その例えば自分にとってもそうですし、
例えば誰かが成功した、他者が成功したものに対して何か自分に置き換わるようなエッセンスがないだろうかってことを考えるときにですね、
それは選択が良かったからその人が成功したのか、偶然成功したのか、あるいはその人の才能センスのような領域で成功したのか。
例えばこういう化粧水を使ったから肌が綺麗になりましたみたいな、まあよくあるような販売手法ってあるじゃないですか。
でもその人にとっては遺伝子レベルでもともと肌が綺麗な人なのかもしれないし、たまたまその化粧品とその人がマッチしただけなのかもしれない。
なんかそういうふうに考えると選択、偶然、運命。
それってどれがその人にとって良かったのかっていうのは見るのは大事なのかなとも思うし、
ある種定量的にも見れることなのかなって思うんですよね。
例えば選択の力は10あって、でも偶然の力が100あったとしたら、いくら選択を頑張ったとしても偶然にはかなわない。
なんかそこを一歩引いた目で見て、じゃあパフォーマンスを高くするためにいかに選択を高めるのか。
なんかそれが大事なのかなって思ったりします。
まあちょっとうまく言語ができていなかったかもしれませんが、努力は必ず報われるのかという問いに対しては、僕自身としては、
はい、NOと言いたい。でも選択、正しい選択はし続けていきたい。
そんなふうに思ったりしますね。はい。
というわけで今回は以上になります。最後までお聞きくださりありがとうございました。
ありがとうございました。ではまた。