1. 絶望カフカの何者かになりたいラジオ
  2. #11 初めて箱根駅伝を走った時..
2024-01-01 20:37

#11 初めて箱根駅伝を走った時の話

初めて箱根駅伝を走った時/あの時どんな気持ちだったのか/苦い思い出
#箱根駅伝
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絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望は仕事の夢を見て起きる時です。 さて皆様、明けましておめでとうございます。
1月1日ですね。 どんなお正月をお過ごしでしょうか。
というか、お正月にこのラジオをお聴きくださり本当にありがとうございます。 私はこの収録している時点は
2024年1月1日の朝8時なんですけれども、この後入院屋駅伝が8時半から始まりますので、
その駅伝が楽しみだなぁと思っているところです。 というわけで今回はですね、入院屋駅伝ではなくて箱根駅伝の話をしてみようかなと思っています。
箱根駅伝、まあ知らない方はいないと思うんですが、 ちょっと簡単にご紹介していきたいと思います。
箱根駅伝は東京読売新聞社前をスタートして、箱根の足の甲をゴールとする大路、極間。
そして福郷極間はその逆ですね。 足の甲から読売新聞社前の合計10区間を競う
学生長距離会の最長の駅伝競争と言われています。 最も長い駅伝ですね。合計で217.1キロを走る駅伝です。
だいたい1区間20キロぐらい 1時間ぐらい走っている形ですね。
そして通常校っていうのは関東の大学のうち全会大会でシード権を獲得した上位10校と10月に行われた予選会を通過した10校。
そして予選会で惜しくも通らなかった大学のうち 各大学で1名選抜されて作られる関東学生連合というチーム
その合計21チームが出場します。 まあもう箱根駅伝といえばお正月の風物詩となっていて
箱根駅伝の平均の視聴率が だいたいオーロが27%
フクロが29%と呼ばれているもうお化けコンテンツですよね。
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まあその人気は年々増しているような気がしています。
箱根駅伝に関するグッズですよね。 まあ関連本だったりその各大学の応援グッズみたいなのもどんどん売られるようになってきている気がしますし
沿道の応援の方もどんどん増えているような気もします。 まあコロナの時に一時期
沿道での応援を禁止した回がありまして その時はさすがに沿道の応援はもう地元の方だけではあったんですけれども
まあ箱根の人気は衰え知らずといったところですよね。 まあ前置きが長くなったんですが今回はですね
僕が初めて箱根駅伝を走った時のお話をしていきたいとおもいます。 まあ初めて走ったのは大学2年生の時です。
まあちょっと見張りを塞ぐために若干ぼやかしながらお話していきたいと思います。
まあ初めて走った時どんな気持ちで走ったのか 走り終わってどんな気持ちになったのか
まあ10年以上前のことなんですけど 10年経って振り返られる部分っていうのもあるかもしれないなぁと思って話していきます。
まあちょっと遡ってですね 箱根駅での1ヶ月前からチームの状況がどうだったのかっていうのを話していきますね。
まず12月の初めぐらいどんな雰囲気だったのかっていうのは まあチーム全体がですねちょっとあんまり良くない状況ではあったんですよね。
それは当時のチームの大エースである とある4年生の先輩がいらっしゃって仮にその4年生をAさんとして
純エースの3年生の先輩がいて そのBさんと仮にいますがそのAさんとBさんがですね
ちょっと調子が良くないと 本来
大エースと純エースの2人の先輩が 調子が良くてチームを引っ張っていくっていう雰囲気だったら良かったんですけど
そのお二人ともちょっと出場すら危ういという怪我を抱えていたんですよね。 まあその状態を見ながら僕はもう自分は
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やるしかないというような気持ちで練習に励んでいました。 僕自身はその時点でチーム5、6番手ぐらいだったのかな。
10人出場できますからもう出場することは確定だろうと自分の中では思っていて 出場するだけではなくてチームに勢いを与えられる走りをいかにするか
ということを まあ考えながら練習してました
まあ今考えるとちょっと焦りの気持ちもあったなぁと思っています そしていざ直前になって
その大エースである4年生のAさんがもう出場できないということがチーム全員に 言われたんですよね
Aさん自身もずっとストイックに その箱根駅でに向けてやられたのを見ていましたし
悔しいだろうなぁという気持ちはありつつでも チームのみんなに対しては明るく
こう最後までなんか自分が卑屈な
感じっていうのを見せずにやられてたんですよね なんかそれもわかってなお
頑張らなければっていう気持ちになったんですよね そして準エースの3年生のBさんは
もう走るしかない強行するっていうことで 山の極を
託されたんですよね まあ山の極といえば最長区間ですしチームの順位が大きく入れ替わる区間なので
まあ最も重要な区間とも言えるんですがそこに そのBさんが行くとというかBさんが行くしかないっていうチーム状況だったんです
よね そして迎えた1月2日
箱根駅店当日 僕は福路の旧区を任されたので1月3日に走る予定になっていて
その走る前日は 東京のホテルに泊まっていました
そこで
オーロの 先輩の走りを見ながら
備えるっていう状態だったんですよね なんでチームメイトと最後に会ったの1月1日で1月2日はそのエンドで応援とかは
しないんですよね そして
オーロ テレビで見てどうだったのかっていうとその調子が悪い
悪いと言っていた準エースの3年生のBさんが 極で大ブレーキをしてしまうんですね
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それを僕はホテルのテレビで見ていたと どこか行けるんじゃないかと思いつつテレビを見ながら
ああやっぱりかという思いもあり で僕はそのBさんを
まあ先輩方の中で一番仲良くさせてもらっていた先輩だったので なんと声をかけていいやらと
まあ当時メールで何もこう連絡ができず その翌日を迎えるわけですけど
チーム全体もねなんかやっぱり動揺しているなっていうのはみんな思うわけです サポートに回ってくれる人も
なんだろうなどこかちょっと 表情が硬いというかいけるよみたいな感じで言ってくれるんだけど
みんなどっか硬いままだったなぁっていう気がしています そして実は僕自身にもちょっとしたアクシデントがありまして
前日の調整練習で実はちょっと足に違和感もあったんですよね でもなんかそういう状況だったっていうこともあって
誰にもそれは言うことはできなかったんですよね
その ちょっと不安も抱えたまま
迎えた当日どうだったのかっていうのをこれからお話ししていきたいとおもいます チーム全体が動揺を隠しきれない中
ロックの山下りを走った先輩がですね すごい高層を見せてくれたんですよね
その先輩っていうのは正直そんなに力がある先輩ではなかったんですけれども なんだろうな
やっぱ自分の実力以上の走りをしてくれて なんかそこでチーム全体がこう
やれるんだ俺たちはまだやれるんだっていう気持ちになった だから本当にその先輩に救われたなぁという気がしています
まあなんですが僕は9区を走ってウォーミングアップをしている時に まあだいたい監督から
電話がかかってきて 今どこの順位で前とは何秒差でこういう走りをしろっていうような
指示が来るんですけれども 僕が走る9区の前のランナー8区の選手が
まあブレーキを今していると ブレーキっていうのはまあ失速をしているということを伝えてきて
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まあ平常心で頑張れみたいな ちょっとざっくりした指示ですね監督も動揺してるじゃんって
なんかそこでちょっと我に返ったなんですよね そして9区のランナーっていうのは
あの最終操作に渡す区間でもありまして そこの区間っていうのはトップのランナーから20分経つと
10区のランナーは白タスキをつけて強制的にスタートをさせられるっていうルール があるんですね
白タスキって皆さんご存知ですか だいたいそのタスキっていうのは各大学ごとにオリジナルのタスキをつないでいるんですけれども
もしその強制的に 10区のランナーが時間が間に合わないからって一斉スタートした時のタスキっていうのは真っ白の何にも書かれていないタスキを持たされてスタートするんです
でその白タスキになるのは袋だけなんですけど まあ交通規制の関係でそういうルールが設けられているんですね
そしてその8区のランナーがブレーキしてるっていうのを聞いた時に 白タスキが頭によぎったんですよね
トップのランナーとだいたい20分ぐらいになってしまう だから白タスキになるかどうかの瀬戸際だなっていうふうに頭によぎったんですよね
その時にもう自分の役割は母校のこのタスキをつなぐだけだっていうふうにもうなんか吹っ切れたような気がしました
まあだいたいその時のトップのランナーと同じぐらいのタイムで走れば計算上は母校のタスキを10区のランナーにつなげるなっていうふうに僕は計算をしたんですよね
そしてタスキを受け取って走りいたしました もう頭の中は
もうこのタスキをつなぐだけそしてリズムを刻んで そのまま走り切るだけと思っていました
まあ結果どうだったんだろうと 思われると思いますが
まずその8区のランナーからもうボロボロになりながらタスキを受け取った瞬間
もう本当にやるだけだなって思いました その走り出してからもう遠藤の応援がとてつもなかったんですよね
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今まで経験したことのないような声援
もう聞き取れないぐらいに声援がすごくて
走り終わった後に左側の耳だけが ちょっとおかしいと思うぐらい声援を聞きながら走り続けた20キロでした
そして 実際走りはどうだったのかっていうと
まあ10キロ過ぎですかね まあ足に違和感があるっていうお話もしたんですが
右足が痙攣をし始めたんですよね 痙攣をすると力が入らなくなるので
力強く前を追うとすると なんかこう転倒してしまうんじゃないかっていうちょっと不安がある状態になって
しまったんですよね それでも
扇動してくれる白映えを見ながら ただただリズムを刻むだけだっていうふうに思考を切り替えて
もう淡々と淡々とリズムを刻む それだけに意識を集中して走りました
でもどこか頭の中ではこの助けをつなぐんだっていう気持ちがあったんですよね
でも前のランナーは全然見えないと それでも
まあ もうとにかくやるだけだっていう気持ちで走り続けました
そして10区のランナーが待つ中継所に
残り 400メートルぐらいかななって
ちょうど前のランナーが 待っているランナーが見える
中継所まで来た時に もう誰もそこにはいないんですよね
つまりもう白たすきを持って 各大学のランナーがスタートしてしまっている状況が見えたんですよね
それが残り 150メートルぐらいかな
まあそれを見た瞬間に 自分に対する怒りが湧いてきて
もう それでも猛ダッシュをするしかないっていう
気持ちになりました で最後スパートをして
こう仲間が僕を抱えてくれてゴールをするっていう
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まあそういう 苦い箱根駅店の思い出でした
まあねあの時はどうすればよかったんだろうなぁって 思うんですけど
やっぱりこの先輩 AさんとBさんにちょっとチーム全体として頼りすぎていたなぁと思うんですよね
それがチーム全体の満身としてあったんじゃないかなと思っていて
エースである AさんとBさんに
頼らないチームづくり それ以外のメンバーがもっと
そうですね箱根駅でに向けて真剣に 意識を持って取り組んでいたら
何か違ったのかなぁって思います でも個人としても僕は結構そういう意識は持っていたし
今から考えて何ができただろうっていうのは なかなかね難しいところではあるなぁとは思いますけどね
まあただ 焦って
焦りすぎていたなっていう気持ちはありますね もっと平常心でやるべきことを淡々とやれば
もっと結果は違っていたかもしれないと思ったりしました まあというわけで今回は初めて箱根駅伝を走った時のお話をしてみました
どうだろう面白かったかな 面白かったという方は
あの面白かったと言っていただけると とても励みになります
過去の話はあまりしないようにしようかなと思ってたんですけど まあこれぐらいにして
もうちょっと 他の話をね今後はしていきたいと2024年はしていきたいなと思います
というわけで 今回は初めて箱根駅伝を走った時のお話をしてみました
最後までお聞きくださりありがとうございました ではまた
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