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2024-03-05 43:51

vol.060「私たちはおじさんについてなぜ語り合うのか?❷」 康太郎雑技団チャンネル

まっさんとごうさんとCOTAの三人で語る「おじさん」について。世の中の「おじさん」について三人それぞれの考察を交えながら、語る回。「おじさん」何度か語ってきましたがまた違う側面が見えたような気がする。

サマリー

康太郎雑技団チャンネルでは、テーマとして「つくる」を取り上げ、おじさんについて話し合われています。おじさんは変化を嫌い、自分が犠牲を払ってきたことを誇りに思っている人が多いようです。また、日本の労働市場の流動性の無さとおじさんの関連性にも言及されています。おじさんの存在や役割について語られ、なぜおじさんについて語られるのかについて考えられています。おじさんについて話し合う中で、なぜおじさんについて話すのか、敬うことや学ぶ姿勢の大切さについて深く考えられています。

おじさんの特徴と誇り
康太郎雑技団チャンネル始まりました。このチャンネルは、つくるをテーマに空間と時間を共にした仲間がそれぞれが持つ発行させた技を対応を通して、さらに次のつくるを実現する番組です。
康太郎雑技団チャンネル始まりました。このチャンネルは、つくるをテーマに空間と時間を共にした仲間がそれぞれが持つ発行させた技を通して、さらに次のつくるを実現する番組です。
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おじさん
おじさん
おじさん
おじさん
おじさんの特徴ですか。
はい。
えっと、そうですね、なんか、自分の考えとか思想みたいなのが、何か他のものに触れたときに変わり得ると思ってない感じの人。
思ってない?
思ってない。なんか、俺が正しいって思ってる人。
あー。
で、まぁある一定の年齢以上ですね。かつ。
あー、なるほど。
あの、いやなんつーかこう、なんだろうな、僕、最近ちょっと前かな、なんか渋谷を歩いてたんですよ。
はい。
歩道ですよ。
歩道。
歩道。
はい。
歩いてたら、前から自転車に乗ってきたおじさんが来たんですよ。
はいはいはい。
もう、すごい結構スピードで来たんですよ。
はい。
だからなんか、だいぶ前、だいぶ距離あるところからチリンチリンシーンって鳴らしてきたんですよね。
でもう、はい、おじさーんって思って、僕そのときに。
めっちゃわかるな、それ。
その、なんていうか、あの、お前がどけっていうことなんですよね、たぶん。
あー。
俺が走ってるからと。で、たぶん、僕とそのおじさんが逆の立場になったときに、おじさんそれされたらたぶん切れると思うんですよ、たぶん。
うんうんうんうんうん。
なんか、そういうの、そういう感じ?うまく言えないですけど、そもそも。
なるほど。
はい。
なんかね、そういうのがおじさんかなって思って、自分は気をつけようと思ってますけど。
それって、
はい。
その、もうちょっと、こう、イメージを共有するっていう意味でいくと、
ええ。
その、俺のためにこの道はあるんだから、君はどきなさいよチリンチリンみたいな、そんな感じですか?
そうですね、拡大解釈するとそんな感じですよね、その。
なんか、なんつうんですかね、その一瞬一瞬の判断が、
俺はこう思ってるから始まるから、なんか、まあいいんですけど、別に。
うんうん。
なんつうのかな。
その、あ、俺が間違ってるかもっていうことの可能性に開かれてないんですよ、なんか。
あー、なるほど。
そういうのを見ると、おじさんっていうか、嫌だなって思います。
うーん。
うん。ですね。
全然知らないのに。
うん。
ツッコんでくるみたいな。
そう、なんか、すごいなんかもう、なんなら既に切れてますからね、もうチリンチリンの時点でな。
チリンチリンの時点でね。
いろいろお前の方が間違ってんだぞって思う。
そうそう、道路交通法違反すけどね、もう。
もうそうなんだ。
そう。
いろいろダメだぞって思ってるんですけど、まあ、流しますけどね、それは。
変化を受け入れるか受け入れないか
ちょっとじゃあ一旦、一旦、ちょっとマスさんの気になるおじさんを聞いてみますかね。
気になるおじさん。
はい。
うかつくおじさんでもいいですけど。
やっぱりゴーさんと似てるんですけど、変化に気づかないとか、変化に気づいててもしたくないとかっていうことかなと思いますね。
うん。
やっぱり、こう、これまで蓄積してきたものが壊れてしまうことに、例えば恐怖を感じているということもあるだろうし。
うん。
おそらくなんですけど、それに対して多大な、何だろう、犠牲を、自分の犠牲を払ってきたんだろうから、もうそれに対して、何ですか、利益を享受させてくれよっていうマインドが動いてそうだなって。
うん。
確かに。
うん。
なんか、やっぱりその、こう、一回就職したらなかなかそこから辞めないっていう、その日本の労働市場の流動性の無さと密接な関連性がある気がしていて。
うん。
ある程度同じ会社で頑張って中間管理職になったらひたすらすりつぶされるような思いをしながらも、それを働き続けて、それなりのポジションになってくると、今度はもう頑張ったんだから、その対価を得させてくれよっていうことで。
もちろん変化しちゃったら、その対価支払われなくなっちゃうんで、変化しないし、これまでその、あの、同じこと言ってますけど、犠牲を払ったんだから、もう対価受け取らせてくれよっていうマインドが動いてそうだなって。
うん。なんかあれですかね、そういう、その、おじさんが、おじさんじゃなかった時は、その、そういうおじさんがいたんでしょうね。
うん、そうそうそう思います。そう、本当に。そう思う。多分連綿と繋がってるんだと思うんです。
うん。
おじさんになろうとしている人は、すでにおじさんになっている人から、あの、吸い潰されるような思いをしていて、で、させられていて、自分がおじさんになったらこんな自分もそれをするっていう。
うん。
循環が起こってしまってる気がする。
そうですね。受け継がれしおじさん。
受け継がれしおじさん。
受け継がれしおじさん、俺。
なんか、その話で言うと、多分この3人で言うと、僕が一番年齢としては上で、今の話がめちゃくちゃこう、フィットするというか、あの、
いわゆる、学校卒業して初めて入った会社で、理不尽な扱いを受けてきて、ここを我慢すれば、じゃあ僕らの天下だと思ったら、今度は時代が変わっちゃって、下から突き上げられてるみたいな。
うんうんうん。
あれ?僕らは何も享受されてないんじゃないの?みたいな。
うん。
なんですよ。で、ともすればちょっと上の世代は、バブルという恩恵を受けていて、で、僕らはバブルの恩恵を受けてなくて、おいおいおいみたいな感じを考え方をしようと思えばできるんです。
まあするんですよ、多分。多くは多分そっちなんですけど。
でもさっきマスさんが言ったように、変化を受け止めるか受け止められないかって言ったところが、実はポイントなのかなって思っていて、
まあ変化しようが変化しまいが個人の自由だと思うんですよね。
うんうん。
でも、変化しないと、変化できないと、今の社会の構造だと、完全には受け入れられないと思うが、何て言ったらいいのかな。
僕なんかそこがちょっと微妙だなと思っていて、そこにこう固執するおじさんもいれば、柔軟にこう変化していくおじさんもいるような気がしていて、そこがなんかセンスのような、センスを問われているような気がしてます。
うん。
それはしてるんですよね。
うん。
うん。
ですね。
うんうん。
なるほど。
なんか、悲哀に満ちてますね、ちょっとおじさん。
そうそうそうそう。
悲哀に満ちてる。
そう、悲哀に満ちてる。
なんか僕、さっき自分で、日本の労働市場の流動性の無さと密接に関連付いていると思うっていう、言いながら思うのは、このおじさんという概念って、
X軸とY軸みたいに考えた時に、例えばまず時間軸によっては、この概念はなかったのかっていう問いがあるのと、つまりこれまでの時代の中でおじさん的な存在でなかったのか、いたのかっていうのが気になるのと、
あとは横の軸で、これは日本だけなのか、それとも海外もあるのかっていうのは気になるところではある。
確かに。
例えば、労働市場の流動性がむちゃくちゃありまくる国で、こういうおじさん的な人は存在するのかっていう問いはちょっと浮かんだりするし、時代も関連するのかなって。
たださっき河田さんが言ってた、その変化を受け入れる人もいれば受け入れない人もいる。
これは多分、時代、どの時代もあったと思う。
そして、オールはナッシングじゃないし、地ではないものも、やっぱり往々にして変化を受け入れなかった人たちは放下されていっていると思う。
なるほど。
歴史上。
最初の方の質問で、おじさんは日本だけなのか、そうではないのかみたいな話の問いに対しては、
これはもう全然根拠も何もないって僕の何なる主観なんですけど、
やっぱり、日本って高度経済成長でグインって伸びてきた国であることは間違いないです。
そこは戦後、敗戦国となってしまった日本が急成長、ものすごい速さで復興を遂げたっていうところがあると思うので、
その中で、やっぱりこう、みんなで右になれ!みたいな感じで、
右になれ!って感じで、同じ目標に向かっていった象徴がサラリーマンだと思うんですよね。
それがさっきちょっとこの収録の前に見た映画のサラリーマンっていう映画の最初に出てくるのが、工場でみんなで並んで歩いてるとか並んで走ってるみたいなところの映画、
象徴として出てきたのがまさにそれで、それが日本以外の国でそういう映像があったのかっていうと、
中国とかではあったのかもしれないけれども、日本というところが成長したモデルとしてあったので、
日本よりも前にそういうところがあったのかっていうと、どうなんだろうと思ったりはしたんですよね。
関連性はありそうですよね。
高度経済成長の時って、ある種やることは決まっていて、
そのやることは決まっていることをいかに効率的にこなすかっていうことが大事だった時代で、
それさえこなせればどんどん成長するっていう話だっただろうから、あんま変化っていうか、変化を嫌いますね、むしろ。
変化があっちゃいけないっていうか。
それはそれで正解だったんだろうけど、その直後に変化が、大きい変化がむちゃくちゃスピーディーに来る時代になってしまって、
余計に難しいんでしょうね、このギャップが。
変化に弱いってことなんですかね、おじさんは。
変化に弱いし、変化はしたくないとも思っている。
したくないのか。
ではないかって。
怖いのか、変化が。
そう、怖い。
なんで怖いのかっていうところがポイントだろうなと思ってて、
一個はさっき僕が思ってるって言った、これまでの蓄積が壊れちゃうからっていう、
それなりに自分、それなりに犠牲を払ってきたんだっていうことかなって、
一個はあるのかなって思ってて。
そうですね、あのあれですね、犠牲とかっていう言葉も使いますよね、おじさん。
犠牲と肯定的な捉え方
これを犠牲にしてきてまでやってきたんだっていうことを割と誇りに思うじゃないですか。
でも、犠牲って結構強い言葉ですよね。
いやー、強い。
犠牲なの?っていうか、犠牲にしなくたっていいじゃんっていうか、
なんかそういうのもあると思うんで。
でもなんか、犠牲にしてきたことがやっぱり誇り高くて、
そこに対するその外圧というか変化がやっぱり恐怖だと思うんですけど、
変化するのは僕もっていうか、怖いですけど、人は多分。
構えます。
勢力いりますからね。
今の大さんの話を聞いて思ったのは、犠牲にしてきたんだよ、俺はみたいなところを、
ある意味美徳としているサラリーマンもいるんじゃないか、しんばしあたりみたいな。
いますよ。
しんばしあたり。
なんかね、そこで整理をつけるのはつけやすいだけであって、
そこで戦ってもいないし、なんかそういうのはあるんじゃないかなみたいな。
そう整理しちゃえば自分って救われるかもみたいなのはあるかなって思ったりとかするんですよ。
いやー、それはマジでありますよね。
多分なんですけど、自己否定って難しいというか、できないと思うんですよ、人間って。
例えばですけど、20年頑張ってきましたっていうことに対して否定されたら、
もう自分の20年何だったんだっけになっちゃうから、
肯定せざるを得ないじゃないですか。
多分これって別に年齢関係なくやってることだと思ってて、
いろいろあったけどこれも何か意味はあるよねっていう言い回しってよくすると思うんですけど、
それはまさにそうで、やっぱり何事も肯定的に捉えないと人間がやってられなくなっちゃうから、
それが関連しているのは大いにあると思うんです。
犠牲に、多分最初は自分がやろうと思って、美徳だから自分を犠牲にするなんて思ってなくて、
おじさんの存在とリスク
どっちかっていうとそうしないといけないからっていう義務感に駆られてやってるんだろうけど、
それを時間を重ねると、自分で肯定してあげないと自分が成り立たなくなっちゃうから、
美徳としてすり替えるっていうのは起こっている気がする。
そうですね。
結果的にそうなってるってことですかね。
今俺これ犠牲にしてるって思ってないんですかね。
振り返った時にそれを肯定しないといけないから、
何か理屈をつけるためにあれを犠牲にしたみたいな言い方になるんですかね。
最中ってことですよね。
事後は自分を肯定せざるを得ないからってなっちゃうと思うんですけど、
最中はまた別のロジックな気がしてて、
多分義務感に駆られて自分を犠牲にしてるんですけど、
じゃあ辞めればいいじゃん、他のとこ行けばいいじゃんって言ったところで、
結構難しいのは多分シンプルに怖いっていうのがあると思う。
僕もキャリアチェンジしたことあるんですけど、怖かったですやっぱり。
それまで作ってきた看板を捨てるっていう、
また裸一環になるってマジかっていう恐怖感あったし、
それは言ってわかるんで恐怖もあるだろうし、
あとは仕事で言うとやっぱりそこから辞めて、
自分一人になってポータブルスキルあるんだっけみたいなのはある気がするんですよね。
何が言いたいかって言うと、よくは会社の看板があるじゃん、
それで捨てるのっていう話が出ると思うんですけど、
自分一人で立脚するっていうのが結構難しい印象を持ってるんじゃないかなって思ったりして。
そこに所属してるから守られてる感みたいな、
なんか一種の村に所属してるから自分は安全だみたいなとか、
そういうのもありそうだなって思って。
だから仕方なくみたいな。
所属。
所属か。
今、所属とか貴族みたいなところから離れるのありだよねっていう時代じゃないですか。
何でも自分一人で、一人でっていうかフリーランスとかもできるじゃないですか。
そういう変化もありますよね。
あるある、めちゃくちゃある。
所属か、所属、貴族。
今ゴーさん言ってくれたフリーランスみたいな話も、
結構フリーランスっていいなって言われる対象だと思ってるんですよ。
これは何でかっていうと、
おそらくしがらみがないっていう捉え方を多くの人が知ってるからだと思うんですよね。
だから自分が何か犠牲に払うことがない。
好きなことをやって仕事して政権を立てられてるっていうイメージで語られることが多い気がしてて。
だからフリーランスできる人って羨ましがられる気がするんですよね。
そうですね。
そうか、犠牲にしないからか。
多分フリーランスしてる人ってあんまおじさん、この概念としてのおじさんあんまいない気がするんですよ。
ポータブルなスキルを持ってる。
変化に強い。
っていうか変化を好んでる人が多い気がする。
どっちかっていうと。
確かに。
だからかっこよく映るんですよね。やっぱり。
それが故に。
なるほどね。面白いな。
変化。
変化したいんですよ。多分おじさん。
所属からしがらみから逃げたいし、変化もしたいんだけど、できないもどかしさを抱えてて。
飲みに行っちゃうんですよ。ネクタイ頭に巻いちゃうんですよ。
いろいろ辛いんですよね。おじさんもね。
本当そうだと思う。やれるもんならやりたいんだと思う。最初は。
やれるもんならやりたいんだけど、やれないから困ってて。
やれないから自分の犠牲をたくさん払ってきて。
ある程度経っちゃったら、肯定せざるを得ないっていう状況になるっていう話な気がする。
なんか今の話を聞いてて思ったのは、どこの時点から切り替わったのかわからないけれども、
昔は組織とかチームとか村でもなんでもいいんですけど、
そこに属している、属するために自分がどうパフォーマンスをするかみたいな。
このたくさんの集団の中に自分が所属させてもらい続けるために、
僕は踊り回すみたいな感じで、こうなんか、受けを狙うみたいなのはあったんだけれども、
どこかのタイミングで、そのポータブルスキルってさっき話してましたよね、増さんが。
そこの方がなんか時代的に優位みたいな感じになってて、
で、その組織に所属していることに価値、重みを感じてた人間からすると、
いつの間に変わったの?みたいな。ポータブルスキル、えーみたいな。
っていう、どのタイミングから変わったんだろうかみたいなのは、ちょっと最近興味があるところなんですよね。
時代の変化とポータブルスキル
で、わかりやすいのが、コロナのあれで大きくチェンジしたっていうのはわかるんですけど、
なんとなくそうではなくて、もっと前からなんとなくそういうのって動き始めてたんじゃないかなっていうのは、
ちょっと感じてるところでもありますね。
うん。コロナの前だと思いますよ。僕がだってキャリアチェンジしたのはコロナの前ですけど、
コロナの前の時点で、既にポータブルスキルを持たないといけないって思ってキャリアチェンジしてるんで、
なるほど。
コロナの前でやることは間違いないと思う。
うん。
けど、小田さんのその問いは本当に面白いなって思いますね。いつからなんでしょうね。
うーん、なんかどっかで何かがあって、こう少しずつ変わっていったのかなみたいな。
へー。
で、そもそも就寝雇用っていう考え方から、こう転職っていう考え方があって、今、
転職当たり前の世界になってるじゃないですか。
うん。
それは少しずつゆっくりかもしれないけど、なんかこう変わってってるのは、それが変化というものなのかもしれないけれども、
うん。
面白いなって思うんですよね。
うん。
そっか。
あれですよね、そのスキルはポータブルである必要なかったってことですよね。前の時代は。
そうですよね。
あー、そうそうそうそう。
なんかその、自分が所属してるところで発揮できてればよかったんですよね、そのスキルをね。
うん。
だからそれを。
そうです、そうです。
いかに最大限100%を発揮するかを考えてればよかったということですよね。
うん。
で、なんかおかしかったのは、その組織の中で、あの、その、
企業の成長のために役立つスキルもあれば、
うん。
ダンスするスキルっていうのも必要だったのがあって。
うんうん。
その組織の中では。盛り上げるとか雰囲気をつけるとか。
うんうん。
で、そこがなんか、こう、よりシビアに見られるようになっていった時代になってるのかなって思ったりしますね。
うん。
うん。
なんか、切ないな、なんか。
切ない?
切ないな。
ね、やっぱ商業無常ですよね、ほんとに。
商業無常ですよね、ほんと常にならんってやつですよね、もう。
そう、ほんとに。変わらないものは変化だけですよ、ほんとに。
うん。
確かにね。
うん。
高度経済成長の、さっき小田さんがその、小田さんの上の世代が逃げ切ったみたいな話をおっしゃってたじゃないですか。
逃げ切ったっておっしゃってますもんね。僕何人か聞いたことあるもん。
そう。
逃げ切ったっていう表現で。
うん。
そうそう。
逃げ切ったの定義も、なんか、何なんだろうって思ったりしますけどね。
そうですね。
逃げ切ったとは何ぞや、みたいな感じで。
確かに。
要は苦労せずに、なんか楽して、みたいな。
果たしてそれが本当なのか、みたいなところは思ったりもする部分は。
多分逃げ切ったんじゃなくて、追い抜かれたんでしょ。
なるほど。
その人たちは、追い抜かれたんですよ。で、いないだけなんです、周りに。
で、逃げ切れなかった世代は、連れてかれてるんですよね。
引っ張られてるみたいな。
そっか。
うーん。
感じじゃないですか。逃げ切れないですよ、変化からは。
個人攻撃と構造的問題
うーん。
近いね。
面白いですね。
やべえ、なんか偉そうな言い方したのに。
違うな。
大丈夫ですよ。
え?
いやいやいや。
言えないから大丈夫ですよ。
いやいやいや。
ははははは。
キターンって感じだった、今。
そっか、なるほどな。
だいぶ、想定通り、おじさんの話から、社会課題の話に広がって面白かった。
ははははは。
そうですね。
さすが、想定通り。
想定通り。
いやね、僕ちょっと前までは、おじさんに対して、なんでやねんっていう気持ちを持ってたんですよね。
なんでそう考えちゃうの、そういう風に考えてるから、社会がいい方向に行かないんだよって思ったりしてたんですよね。
というのも、往々にして、日本の社会を動かしてるのが、おじさんなのではないかっていう考えを持ってたからなんですけど。
ただ、その、今日話してきた内容を持って、最近の僕は思うのが、一定の共感というか、逆の立場だったら、僕が向こうの立場だったら、そう考えても仕方ないっていうか、そう考えちゃうかもな、
という考えは最近持ちました。
いやー、わかります。
仕方がないというか、個人が悪いわけじゃないっていう、構造的な問題の産物だなって。
うんうん。
なるほど。
そう思います。
うん。
もともとはそういうところですよね。もともと構造的問題だったんだけど、
なんかそれが、個人個人に知らぬ間にインストールされ、そういう振る舞いを個人でもしてしまうようになって、それが今、代謝されてるみたいなことですよね。
うん、そうです。
批判する側も批判する側で、構造を捉えることってやっぱり難しいから、個人攻撃した方がよっぽど楽だし簡単なんで。
だからおじさんって言葉が生まれておじさんを攻撃するのかもしれないですね。本当はその裏に構造があるはずなんだけど。
そう、なんかそれは僕もちょっと思ってて、なんか、おじさんを一般化しつつあるじゃないですか、今、なんていうか。
うんうん。
一般化する危険性常にあるじゃないですか。最近、ハラスメントとか、そういうのも、あとなんだろう、ブラックですよねとか、ブラック企業とか、だんだん一般化されてきて、
なんかそう言っときゃいいみたいな、裏にある構造的問題には触れずに、
あーそっちか、なるほど。
カワハラですよねとか、セクハラですよみたいな、もちろんそれ問題としてある一方で、一般化する危険性って、
あるある。
常にありますよね、そのバック作っちゃうとか。
うんうん。
なんか、そこでこう変なバイアスがかかって、本当は個別性を大事にしたいじゃないですか、その人と人。
うんうん。
その個別性がどんどん失われていって、バイアスかかって、でなんかこう切り捨てていかれるというか、まあ、
斜視される何かがあって、で、それに傷つく人が今度出てきますよ。
うんうん。
その、おじさん今いろいろ傷ついてる人増えてると思うんですよ。
うんうん。
なんか、そうです、松田さんが言ってるのをすごく共感するんですけど、なんか、
このままおじさん一般化していったらちょっとまた別の問題出てくるぞみたいな気がします。
うんうん。
まあ、おじさんが言ってるんですけどね。
本当そう。
まあもう、もっと分断は起こってますよね。
起こってますよね。
既に分断は起こっていると思う。
うん。
で、これまたね、あれなんですよね、おじさんはね、発信ができないから、さらに立場が弱いわけですよね。
確かに。
で、たぶんね、心の中で相当くすぶってると思うんですよ。
言いたいことはあるんだけど、本当は。
けど、その、まあ、おじさんを批判する側はやっぱり時代に乗ってるし、正しいことを言ってるから批判もなかなかできない。
たぶん批判すると炎上するんですよね、おじさんは。
うん、確かに。
だからね、言えないんですよね。
そうだなあ。
おじさんについて語ることの意味
ただ、そこを言えるようにしないと、構造がいつまで経っても浮かび上がってこなくて、永久に問題は解決されないっていう話だった気がしてます。
ちょっと際どい話するんですけど、例えば森元総理の問題発言あったじゃないですか。
あの時に炎上しましたけど、やっぱ、ああいった問題も、もちろん批判されるようなことは言ってるんだけども、
あの年代の方が、なぜそういうことを言うことに至ったかっていうことの構造があるはずなと思ってて、時代背景しかりなんなりっていう。
そこを理解しないといけないと思うし、たぶんね、僕、これ単純な僕の予想ですけど、いまだに森元総理だったり、あの辺りの年代の方は何が悪かったのか実は分かってないんじゃないかなと思うんですよね。
ただ批判されてるから、もう言わんとこって思っちゃってるぐらいだと思ってて。
だから言わんとこになるから、何か変化が起こった時にまた対応できなくて炎上するんですよね。本質は分かってないから。
お互いだからダメなんですね。歩み寄りがないですよね。
でも歩み寄らないと、郷さんが言ってた通りなんですけど、遮蔵した何かが分かんないと、本質が浮かび、構造がこみ割ってこないから解決ならないんですよね。
確かにそうですね。そもそも解決しようとすら思ってないじゃないですか。
そうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそ
全然前に進まないっていう構造が浮かび上がってこない
そうですね、おじさんの誕生にさかのぼって時代廃絶
おじさんの誕生に、そうそうそう
古典ラジオみたいな話つくね
はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ
これからも変わっていくじゃないですか
どんどん変化も早いじゃないですか
僕らも変化がわからない状況にもちろんなるわけです
すでになってると思うんですけど
何かしらわかってないと思うんですけど
だから自分がややもずと批判される立場になっていくときに
やっぱ教えてもらえないと自分も学べないから
結構自分ごとですよね
うん、自分ごと
そういうの大切
そうなんですよね
どう教えてもらうか
変化していくからね
こっちがまず歩み寄ることですよね
うん、そうですね
今の時代にというか
確かにそれで言うとまず一つはやっぱ
ゴーさんの言う通り歩み寄るのがこちらからって話だと思うんですけど
やっぱ教えをこうっていうことだけは
何歳になっても大事にしないといけない気がしてて
日本ってやっぱ授業の思想が色濃いから
年を上がっていくことに年齢で上限みたいな概念があるじゃないですか
これはちょっと一旦を脇に置かないといけない気がする
そうじゃないと学びを阻害する気がする
それは自分から学びを育うこともできなくなっちゃうし
若い人が年上の人に教えることもできなくなっちゃうから
全体としてね
重教出てきたな
出てきた
そうですよ、だからやっぱり年上を敬わないといけないって思ってるんで
もうデフォルトで
何か敬ってくれって多分思ってるかもしれないし
自分ももしかしたら
あると思う
何か教えてくれるなっていう何かがあるかもしれない
ほっそり調べちゃうみたいな
あるかもしれないですよね
あるある
ある
なるほど
年上を敬うことの素敵さも多分あると思うんですよ
例えばおじいちゃんとおばあちゃんを敬うみたいなとかって
素敵な話だと思ってて
バスの中でおじいちゃんとおばあちゃんに席を譲ったらありがとうって言われるみたいな
こういうのって美しい話だと思うんですよね
これは僕は残ってていいと思うんですけど
一方でその年上を敬うんだろ
席譲れや
っていうこれはまたちょっと間違った方向に進んでる気がしてて
これむずいっすよね
これもうむずいんだけど
あるでも
敬うことと学ぶ姿勢の大切さ
本当の美徳ってなんだっけみたいなところが失われてて
結果だけ残ってるというか形だけ残ってるみたいなのもまた問題かもしれない
本当の美徳でーす
確かにな深いね
やっぱりその人
一般化より個別化みたいなことなのかなと僕は思ってたんですけど
やっぱりその人と向き合うというか
うん
でも一般化も大事なんですよね大事なんですけど
その人が今どう感じてるかとか
どうして欲しいのかなとか
なんかそこにやっぱり耳を傾ける姿勢というか
そうなのかな
確かにな確かにそうだな
相手を敬うもだからその結果として席譲ることの方にフォーカス当たっちゃってるけど
実はそうじゃなくて
その気持ちを
相手のことを重んぱかることの方が実は美徳なんすよねきっとね
そっちに本当はフォーカス当たってるべきなんだけど
結果の方だけいっちゃってる
残っちゃってるんでしょうねきっと
ですね
それをきっかけに行動に移すことは大切だと思うんですよね
その結果
席を譲るっていくと
まず行動できるじゃないですか
それで
言葉が生まれるのでそれは大事だと思うんですよね
その次のステップとしてやっぱり
本当は何が必要
何をこの人は欲してるのかなっていうところから始まって席譲ろうっていう風になると
なんかいいのかなって思うんですけど
できてないですけどね自分に
むずいな
むずいっすよ
このおじさんおじさん話が意外と広がったっていう
いい話
どこ行ったの
どこ行ったの
じゃあちょっとこう時間もそろそろなんでここで一旦
振り切っていいですか
はい
はい
はい
相変わらずのぶつ切りですいませんが
このあたりで終了したいなという風に思います
どうもありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございました
43:51

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