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2023-05-15 37:45

vol.001「文学的とは何か?」 康太郎雑技団チャンネル

今回のテーマは「文学的とは何か?」えりさんとあまのっちさんという文学にある種?おぼれてる先輩方?に文学とは縁遠いCOTAの3人が自由気ままに語りあいます。入りのとこでCOTA緊張しすぎて大切な「的」わすれてるし(笑)

00:07
平泉達也
はい、みなさんこんにちは。今回初めてですけど、このフライヤーという本の予約サイトの中にブックキャンプというセミナーがあるんですけど、そこに集った仲間でスタートしてみたいなと思っている康太郎雑技団チャンネルへようこそという感じでいきたいなというふうに思います。
よろしくお願いします。
本日はですね、その中でえりさんとあまのっちさんに来ていただきました。どうぞよろしくお願いします。
えり
よろしくお願いします。
平泉達也
お願いします。
平泉達也
ということで、自分の自己紹介忘れてました。コータと申します。よろしくお願いします。
平泉達也
パチパチパチパチ。
平泉達也
パチパチ。じゃあ、あまのっちさん簡単に自己紹介よろしくお願いします。
平泉達也
はい、あまのっちです。よろしくお願いします。
平泉達也
えりさん、大丈夫です。えりさんお願いします。
えり
よろしくお願いします。
平泉達也
今日はですね、テーマは何についてみんなで語り合おうかということなんですけれども、文学的とは何かということで、今回お二人から僕がちょっと聞き役になってですね、お話をいろいろと聞きたいなというふうに思っています。
よろしくお願いします。
平泉達也
文学的とは何か。文学的とは何か。
そもそも僕が今回お二人に声をかけたというのは、いろいろとフライヤーのブックキャンプを通してですね、いろいろな創造者たちの集団なんですけれど、
特にお二人は書くとかですね、物語を作るみたいなことが結構お得意なのかな、好きなのかなみたいなふうに思ってるんですけども、そんな中ですね、文学的とはっていうふうに言われて、思い出すことって言ったらどんなことがあるのかなっていうのをちょっと聞いてみたいなと思うんですけれど、まずあまのっちさんどうですか。
えり
そうですね、今ご紹介いただいた通り、文章を書くのはすごく好きなんですけれども、ただ書いているだけじゃなくて、
平泉達也
誰かに向けてというか外に向けて表現をしようと思ったときに、いつの頃からか文学的でありたいなあみたいなことをなんとなく自分で思うようになってきて、
ただ文学的とはっていうのを問われたときには、まだ答えられない自分がいるというか、なんとなく具体的にこれは文学的だなあ、これは文学的じゃないなあみたいなのは感じるときはあるんですけど、
03:19
平泉達也
それを言葉にするっていうのがまだできていないので、なんか今日そういったところをなんとなく見えてきたらいいのかなあみたいなことをちょっと思ったりしてますね。
平泉達也
なるほど、はっきりしていない部分もあったりとかするとかですか。
平泉達也
うん、そうですね。
平泉達也
えりさんはどうですか。
えり
私ももともとは本を読むことが好きで、特に書くということに対しては何もしていなかったんですけど、あるきっかけがあって仲間うちの同人誌に文章を書くようになったんですね。
それがきっかけで書くことに対するハードルが毎回あるにはあるんですけど、だんだん昔よりはちょっと下がってきたかなあみたいな。
小学生のときに例えば読書感想文コンクールとかありますよね、夏休みの宿題とか、ああいうのが全然興味なかったんですよ、子供の頃。
大人になってからちょっとだんだん興味が出てきたなあっていうようなところで、書くっていうことも最近取り組んでるっていう感じですね。
あと大学のときに文学部にいたんですけど、文学ってなんだろうみたいなことをそのもの自体をあまり深掘りして考えたことって自分の中にはあんまりなかったんじゃないかと思ってて、
だからさっきの天口さんの文学的じゃないなとか文学的だなみたいな、なんか自分の中の感覚はあるけれども、それを言語化するとなるとどうなのかなっていうのは同じようにちょっとまだはっきりしてないかもしれないと思いながらさっきの天口さんの話を聞いてました。
平泉達也
なるほど、ここは文学ほど遠い人間なんですけど、大学のときの彼女が文学部にいて、その彼女の名前がえりさんっていう人だったんですよ。
何かの縁なんですけどね、回り回ってくるんだなみたいな感じだったんですけど、やっぱり僕なんかでいうとどちらかというと、文学をどう楽しめばいいかわからないみたいなところがあったりするんですけど、文学と文学的みたいなところの文明があるんですけど、文学をお二人で何と言うか、
どう楽しまれているのかなみたいなところがちょっと聞いてみたいなと思うんですけど、そのあたりどうですか?
06:05
えり
私はもう完全に読むのが楽しいっていうのはあるんですけどね、第一に。
表現するとか自分が小説書くっていうよりかは、もうなんかすでに存在しているものをひたすら読むことが楽しいっていうのもあるんですけど、ただその中で感想とかをちゃんと書き残しとかないと、自分が読んだっていう血肉にはならないような気がしてるんですよね。
そういうことでも、読んだら書こうみたいな、多分10%ぐらいしかできてないんじゃないかと思うんですけど、なるべく読んだ感想とかを残したいなみたいなふうに思ってるんですけどね。
文学ってなんか多分いろいろ詩とか俳句とか入ってきたりすると思うんですけど、小説とあとはまあちょっと評論っぽいようなものとかも好きで読むことが多いかなと思います。
平泉達也
浜内さんどうですか。
ちょっと、その時はあまり文学とか文学的とかも考えてなかったかなっていう気がしてて、それでいうと漫画とかと似ているのかなっていう気がしてて、
あまりその、この文体とか文がいいとかっていうよりは、その起承転結の部分を楽しんでたのかなっていう気はするんですけど、
本当ここ4,5年、やっぱ自分でこう文章を書こうと思って書き始めてからは、どっちかっていうとその詩とか、
まあその小説でも、この文章が美しいなみたいな、表現の美しさみたいな方に惹かれるようになって、
だからその後はあんまりSFだとかミステリーだとか、そういうものは全然読まなくなってしまって、
なんか小説読んでも、この一行に出会うために俺はこの小説を読んだんだみたいな方に惹かれるようになっていったっていう。
09:01
平泉達也
なのでその30代までの自分とその今の自分を追い求めているものの違いっていうのは、まさに文学的っていうことなのかなみたいなことをちょっと今思っていて。
えり
なんか天の地さんは完全にこう読み手から作り手に変わりつつあるんじゃないかっていうことを今のお話から感じたんですけど。
平泉達也
そうなのかな。確かに作りたいっていうふうに思ってるのかな。
その物語っていうところと表現っていうと、今の山口さんの話からすると表現っていうところに途中でスライドチェンジじゃないけどあったんですよねきっと。
そこは明確にここだ!みたいなのがあったりしたんですか?
明確にここ。でもやっぱりコロナに入ってからやっぱりSNSとか、あとノートとか、なんかそういう表現媒体があるっていうことに遅ればせながら気づいて、
何か他人が見えるところに文章を出してみようっていうふうに思った時からなんかそれが始まってる気がして。
なんかよくわかんないけど、自分はなんかこう大きなストーリーを描くよりも一行の美しい文章を作りたいみたいな、なんかそういう気がしている。
えりさんも物語が表現家みたいなところでいうと、いろいろ書かれてたり、僕もいただきましたけどトルソーっていうものを書かれてたりとかしますけど、
その今の山口さんの話を受けてどういうふうに感じられたりとかしますか?
えり
多分、山口さんと私の方向性が全然違うっていうことがわかってすでに面白いんですけど、
なんだろう、その一文の美しさを追求するっていうよりかは、書くこととか読むことによって、
自分がどうなのかみたいなところの追求、追求っていうとちょっとかっこいい感じになっちゃいますけど、
自分って誰なんだろうみたいな部分を考えていくっていうことが多分やりたくて、
読む場合も書く場合も、多分そこに中心軸があるような気がしてますね。
だからトルソーっていう雑誌に何か書くっていう場合でも、小説とか詩とかをあまり書いてみたい気持ちはありながらも、
12:05
えり
まだ書いたことはなくて、どっちかというと旅行記だったり、あとは書評っていうか、
本を読んで自分はこう読んだみたいな、そういう文章ばっかり書いてるんですね。
なので、わりと自己探求的な部分が強いのかなって思います。
ただ、山口さんが美しい一文って言ってるのも自己探求だと思うんですけど、
自分の中の美しいっていう感じるものが何かみたいなところになってくると思うので、
最終的には同じような感じに行き着くのかもしれないんですけど、
そこまでの道のりがちょっと違いそうだなみたいな感想です。
山の登り方が違うみたいな話ですか。
平泉達也
そうそう。
えり
僕、よく文字一つ一つをちょっと見極めたい癖みたいのがあって、
平泉達也
文学的っていう話じゃないですか、今回。
文を学ぶ、敵は敵だから○○のみたいな感じの部分があって、
明確に文学っていうふうに定義しなくてもいいなと思いながら、
そこから派生する、得られるものっていうようなところで行くと、
今のお二人の話を聞くと、
何か自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
自分の中の美しい一文、
かたや物語みたいなところを通して 自己探求が行われているのかなって思ったりもしたんですけど
そのあたりはどんな感覚的なところでいく? どういう感じなんですか?
えり
そうだと思います。
私は自己探求しているし、したい。
自己探求したいからなんかいろいろ読んでるみたいなところはある。
平泉達也
偏り割りつつもある。
えり
どうなんですかね。
文学ってそもそも何かみたいな話も この3人のチャットの中であったと思うんですけど
調べたりされました?
特にしてない?
平泉達也
僕できてない。
15:01
平泉達也
ちょっとアンテナ張ってたんで
これだっていうよりはそういうこともあるかっていうのは ちょっとアンテナに引っかかった部分はあるけど
どういうことですか?
結局文学はやっぱり言葉を使った芸術だと
絵画とかいろんな表現の仕方があるうちの一つなので
おそらく誰かがそれは芸術だと言って これは芸術的な文章だと言えば
それはもう文学なんだろうなっていう感じが
僕の中では結構腹落ちしたというか
言葉を使った芸術ですか?
ちょうど昨日、日経新聞の記事で
詩歌教養っていう若松英介さんが今担当している文章があって
そこで岡本太郎がフランスでピカソの絵に出会った時のことが書いてあるんだけども
絵にインスピレーションを受けて
これだっていうふうに感じた
ピカソの絵を見てちょっと涙が止まらなくて
そこから自分が絵を描き出したっていうことが書いてあって
若松さんは若松さんで文章が書けなくなった時期に
ある時、よくわからずに美術館に駆け込む
何かに取り憑かれたかのように美術館に駆け込んだ時に
自分の心は渇いてたんだっていうことに気がついたみたいなことが書いてあって
何か文章を書くっていうことと絵を書くっていうことって
つながってるのかなみたいな
それを選んだ時にもしかしたら同じことなのかなっていうふうに感じて
表現の仕方が違うだけでどっちも芸術なのかなっていうふうにちょっと思った
昨日、僕ちょっとある学べの場に行ってたんですけど
今の話でいうと絵を書く、文章を書くっていうのも
時代的なあれは置いといて
18:00
平泉達也
手を動かすみたいなところにつながってるような気がするんですよね
手を動かすことによって思考がやっぱり働いたりとか
さっきの自己探求みたいな話ありましたけど
それがどんどんどんどん深まるような気がして
身体も含めた感覚みたいなところにもつながっていくような話なのかなと思っていて
今の話もすごく面白いなと思ったりして
文章を書くっていうのと絵を書くっていうのは
僕は全く分離して考えてたんで
すごい新鮮でしたね、今の話は
えり
確かに甲太さんはブックキャンプの課題でも
絵を書くっていうのはされてましたよね
平泉達也
私たちが文を書いてる一方で甲太さんは絵を書いてるみたいなことが起きてましたよね
そうでした
文章なんて絶対書かないとは言わないけど
書けないと思ってて
すごく僕は文章を書くことに対してのハードルがあるのかもしれないです
昔からのコンプレックスもあるし苦手意識もあるんですけど
文字を書くっていうことに対してはすごく苦手で
ビジネス文章とかって結構
フォーマットがあったりとかマニュアルとかがあるから
そういうのにすごく頼りがちになっているので
多分そういう意味だと自分自身はそこにはないんだと思うんですね
でもお二人は自分自身を文字で表現しているような気がしていて
そこに多分探求っていうエッセンスがあるのかなって
今話を聞きながら思い出しながらちょっと話しました
えり
確かにでもパイが絵を描くっていうこと
私は逆に絵を描くことが
これちょっと脱線するんですけど
子供の時絵を描くのがすごい大好きだったんですよ
文は書いてなかったくせに
今絵ってあんまり描かないっていうか
今度この間色鉛筆買ってスケッチブックみたいなやつに書いてみたけど
何枚かで挫折したんで続いてないんですけど
なんかそこの断絶って何なんですかね
でもやってることって別にそんなに
そんなにかけ離れすぎている
同じ芸術とかっていうふりにさっきの天内さんの話で
そんなに壁を作らなくてもいいのかもしれないのになって思うのに
でもなんか違って感じられる理由って何なのかなって思ったりします
21:03
平泉達也
絵を描くのって特別なことなんですかね
そうじゃないような話
えり
絵も文もそうですよね
平泉達也
例えばいいじゃんみたいな
えり
そういう話を私たちブックキャンプでやってたりするんですけど
確かに
平泉達也
何かあるんですよね
得意不得意なのか
そうですね
えり
得意不得意とか好き嫌いとか
なんかそういうレベルなのかもしれないですけどねもしかして
こっちの方が好きだからこっち選んでるぐらいの
考えるとこの違いはあっていいし
っていう気もしますよね
平泉達也
ちょっと話戻しますけど
文学的とは何かみたいなふうに
使われたときにそういう問いを立てられたときに
文学的とは何か
お二人はどういうふうに答え説明回答しようっていうのが
意外と難しい
文学的って言うと
えり
美意識の方に触れてるような気がするんですけど
美意識っぽい感じになっていくような気がする
やっぱ美しさ
って答えちゃうんだよな
平泉達也
そうなってくると人それぞれになってくる
ただおそらく
書いてる本人が美しいと思ってないと
多分成り立たないから
ちなみに天の地さんに質問で
美しい文章って
例えば誰のとかどんなっていうの
明確にあったりしますか
えり
ペンキンであった美しい文章とかってあります?
難しい質問かもなんですけど
難しいけど
ちょうど
平泉達也
ペンキンであった美しい文章ってありますか?
えり
ペンキンであった美しい文章ってありますか?
平泉達也
難しいけど
ちょうど
えりさんからトルソを
もらって
読んでて
えり
ちょっとえりさんの文章でいいなと思ったとこが
平泉達也
ドキドキ
2021年のやつでね
岡本カノコさんの
24:01
平泉達也
カノコのはいはい
カノコの意識再生命の輝きっていう
はいはい
これで
女の筆から生まれる女こそは生きている
書いた文章が
一本あって
えり
確かに私が書きましたそれを
平泉達也
これいいね
ありがとうございます
なんかでもやっぱり
その人からなんか
にじみ出てきたというか
そういう文章にやっぱり惹かれる
なんか見たことある文章とかじゃなくて
なんかえりさんが書いた文章なんだなとか
そういうものに美しさとか感動とか
あとなんか
ちょっといまはやりな言葉で
僕の中でのいまはやりな言葉で言うと
漏れ出してるっていう
えり
漏れ出してる
平泉達也
感情が漏れ出してるみたいな
なんかそこにちょっと引かれちゃうっていう
えり
なるほどね
なんかいまの一文でいくと
平泉達也
その
えり
岡本神子のその作品
混沌身分っていう小説短編小説に対してのエッセイを書いた
中の一つなんですけど
なんか私やっぱりその女性が書いた
小説の場合
はその女性がすごい生き生きしてると思うんですけど
男の人が書いた女性って違和感を感じることが多いんですよ
平泉達也
なるほど
えり
例えば
夏目漱石とかすごい好きなんですけど
漱石となく女性がすごくこう
魅力的に感じるかって言われると
そうでもない
あまりそう感じないっていうのがあって
どうしてもなんかその男性側から見た女性っていう風にしか見えなくて
あれなんですけど
その岡本神子の小説読んだ時は
すごいもうその主人公の
小発っていう女の子が
実在してる人物かのように感じたんですよ
それで多分その一文が出てきたんですけど
だからやっぱりそこにはなんか自分のその小説を
読んだ時の感想っていうか感覚が
反映されてると思うので
やっぱりそのために書いてんだな自分っていうのを今の
尚乙さんのおっぱで
なんか改めて認識したっていうところがありますね
平泉達也
尚乙さんが美しいと言ってその文章の部分があるわけじゃないですか
それはえりさんからすると
美しく書いてやろうっていう風に
思って書いたわけじゃないですよねきっと
えり
書いてないですね
27:00
平泉達也
でもそれがなんかこうどういう風に生まれたのかっていうのは
書き手と受け手の今の2人の関係性でいうと
書き手の思いもちょっと握ってみたいなみたいな
えり
書き手の思いですか
平泉達也
そうですその時にこう
どうしてそういう文章が生まれたのかみたいな
えり
そうですねやっぱりそのさっき言ったみたいに
男性が書いてる男性の作家が書いてる女性が
私にはちょっと違和感を感じるっていうことが多くて
さっきは夏目漱石の例を出しましたけど
村上春樹が書く女性とかも私にとっては
そんな人いないだろうみたいな
気がするんですよ
だからなんか
小本寛子に限らず女性が書いた女性っていうのが
物語の中では生き生きしてるなっていうことを
より強くその小説から読み取ったんですよね
それで出てきた
ただ美しく
もうこう書いてやれみたいな感じの
多分力は入ってる気がするんですよ
男が書いた女と女が書いた女は違うぜみたいな
そういう肩に力入ってる感じの一部ではあると思うんですけど
それを確かに漏れ出てるっていうのはあるかもしれない
美しいとは自分は思ってなかったので
そう言われてちょっと照れくさいのと
でもそこは確かに力を込めて書いたやつだなっていうのを
見透かされた気がして
穴口さんって思いました
平泉達也
いいね
でもそれねやっぱり
美しさって何だろうな
単純にこう
綺麗な花を見て美しいとか
綺麗な景色を見て美しいっていうのとはちょっと違って
今まさにえりさんが言ったみたいな
その人が生きてる感じっていうか
生々しく生きてるのが見える方がやっぱり美しく感じるし
なんか冷たさとかっていうよりは
暑さみたいなものを感じる方が
自分としては美しいって感じる
やっぱその表現の仕方も何だろうな
いろんな書き方があると思うし
女の筆からっていう
筆っていう書き方とかも別に筆じゃなくて文章でもよかった
文字とか言葉とかでもよかったと思うんだけど
筆書いたりとか
生きている
生き生きとしているとかでもよかったんだけど
生きているっていう風に生きてるところとか
なんかそのシンプルにこう
30:01
平泉達也
書いてる一部がすごいなっていう風に思って
なんかやっぱりその
人それぞれに美しさの感じ方って違うと思うんだけど
僕はなんかそれを美しい
一言で言えば美しい
えり
さっきからニューニューは止まらないんですけど
ありがとうございます
平泉達也
でもこうある意味その文学的っていうところの
的でいうと芸術的な
芸術に近い話があって
芸術の定義もこの3人でまだしてないんだけれども
なんかそれぞれが受け止める形は違っていて
芸術から得られるような力強さみたいな
漏れ
何でしたっけ?
さっきの濱野さんが言ってたキーワードは
漏れ出る
みたいなところが
パワーみたいなところと
なんかある意味共感するみたいなところがあるのかもしれないですね
えり
ありますよね絶対
やっぱりそういう
その岡本カノコ特集でいくと
濱野さんまだ読んでないかもしれないですけど
浪儀賞っていう岡本カノコの作品に対して
文学講座が開かれて
それの参加者のやりとりをディスカッションしてるっていう
ものがまとまっているやつがあるんですねその中に
そこで言われているのが
テーマっていうか
ファッションっていう言葉が出てくるんですけど
平泉達也
情熱
えり
ファッション情熱っていうのがあるんですけど
やっぱりその
ファッションがないと表現はできないと思うんですよ
だからそれは絵にしろ文にしろ
立体的な造形にしろ
もしかして仕事もそうかもしれないですけど
なんかそういう情熱がないとやっぱり
漏れ出るってことはないし
外側になんか表現しようっていう
ところにもつながらないと思うので
そこはあるんじゃないですかね一つ
軸として
平泉達也
要素として
ファッションあるな
今の話はやっぱり作り手から
滲み出てくる漏れ出てくる
ファッション熱量みたいなところが
やっぱりこう
今のような熱量大切だよとか
ファッション必要だよじゃなくて
自動的に出てくるというか
発動されるみたいなところが
それぞれ出てくるんですかね
33:01
平泉達也
それによって美しさみたいなところがつながってくるんですかね
なんか多分
自分の中で漏れ出るものがないと
外に出そうと思わないんじゃないかな
っていう気がしてて
それをやっぱり表現しようとするから
やっぱり表現されたものは
自ずと漏れ出てるんじゃないかなっていう
えり
私も同意ですそれは
平泉達也
なるほど
そこはあれですよね
手法はどうでもよくて
それぞれの個性がそこには働いて
ある人は文字とか文章とかで表現するし
ある人は絵を描いたりとか
サービス作ったりとかっていうところで
それを形にしていくってことなんですね
えり
そうだと思います
仕事ってビジネスとか仕事って
ちょっとその芸術とは
全然違うものだと思うんですけど
一般的に
でもなんかその要素
なんとか的っていうあれでいくと
この人の仕事の仕方文学的だなみたいな
すごいアーティスティックな人だなみたいな
なんかその仕事の仕方が
とか思う時ってないですか
平泉達也
どうですか私だけ
えり
いやいや分かる分かる分かる気がする
なんかそういうのもあるからね
平泉達也
ちょっと面白いと思うんですけどね
仕事ってこう
処理とか合わせにいくみたいなところが多い中で
そのアーティスティックっていうのは
なんかやっぱりすごい力を感じるし
その先のこうなんかこう
深さだったり広さだったり
みたいなところを感じたりしますよね
えり
しますね
平泉達也
あると思う
すげーなんか面白い
えり
なんか思いのほうがすごい面白いですねこの話
平泉達也
面白い面白い確か思ってるところと
ちょっと違う方向に行ってるけど
文学的
文学的とは何かって
面白いでもこれ
このままずっと話してると
永遠に終わらなさそうなので
一旦ちょっとそろそろ
切ろうかなと思うんですけど
なんか言い足りないこととかありますか
これ多分永遠に話してると思いますよ
多分2時間くらい話してると思いますよ
えり
私は大丈夫
いろんな人の文学的に対する
こういうのが文学的なんじゃないかみたいなことか
最近感じた
美しい表現をこうだったとか
そういうのをいっぱい聞きたいですね
確かに
平泉達也
そうですね
そうですね
何か言い残したことないですか
36:01
平泉達也
言い残したこと
最初の方で言った
自己探求の話でいくと
やっぱり自分にしか表現できない
自分にしか表現できない
一文っていうのを
死ぬまで書き残したい
すごい素敵な話
そう思ってます
えり
なるほど
天のっちさんをトルソーに誘いましたからね
平泉達也
えり
来てくださいよってこの間ね
平泉達也
レベル高いね
すごいな
えり
キラクラ文章でも全く
雑誌なので
いろんなのがあったほうがよくて
固いやつばっかりだと
読者が疲れるから
エッセイがあったほうがいいし
小説とか詩があったほうがいいし
いろんなのが
欲しいと思ってるので
天のっちさんも
こうたさんももしかしていずれか
文学的なビジネス書だったっていう
ビジネス書の感想でもいいんで
平泉達也
確かに
えり
何でもいい
平泉達也
第0回なのか第1回なのか
わかんないですけど
一旦お時間きましたので
締めたいなと思います
どうもありがとうございました
えり
ありがとうございました
平泉達也
ありがとうございました
37:45

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