ザッソウラジオは、ソニックガーデンの代表・倉貫義人と仲山考材の仲山進也が、2人の友だちをゲストにお招きし、ゆるーくおしゃべりするポッドキャストです。
ザッソウとは「雑な相談」のこと。毎月、さまざまなゲストとザッソウしています。
◈
3月のゲストは、おもちゃクリエイターの高橋晋平さんです。
今年の抱負は「優しくなること」と話す高橋さん。
でも「優しい」って、どういうことなのでしょう?
それぞれがイメージする「優しい」について、ザッソウしました。
◈
[今回のザッソウ]
会社名の由来/「ウサギさんがいらっしゃいました」/優しいってなんだろう/自分のために、優しくなりたい/遊びのためなら行動が変わる/「生産性があってはならない」/遊戯とゆとり/ハンドルの「あそび」を英語で言うと?/小学生となわとびで競う
◈
[高橋さんの新しい本]
2月22日に、高橋さんの新刊「1日1アイデア 1分で読めて、悩みの種が片付いていく」(KADOKAWA)が発売されました!
◈
\おたよりフォーム/
ザッソウラジオでは、リスナーの皆さまからのメッセージをお待ちしています。ポッドキャストの感想や倉貫&がくちょへ聞いてみたいこと、下記リンクのフォームからお気軽にどうぞ。
[おたよりはこちらから↓]
https://forms.gle/vry2F9eaL3BMDqfo9
感想ツイートのハッシュタグは、#ザッソウラジオ でお願いします。
---
ザッソウラジオは、毎週水曜日のAMに更新しています。
次回の更新を、どうぞお楽しみに☺
◈ザッソウラジオ公式Twitter
https://twitter.com/zassou_radio
◈ザッソウラジオ公式サイト
00:07
くらぬきです。中山です。ザッソウラジオは、くらぬきと学長こと中山さんで、僕たちの知り合いをゲストにお呼びして、雑な相談の雑草をしながら、ゆるくおしゃべりしていくポッドキャストです。
ザッソウラジオ3月のゲストは、おもちゃクリエイターの高橋晋平さんです。第2回目となります。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
今、あの、晋平ちゃんの会社名がウサギだという話を楽屋で知ってて、今までトラとか、トラリーマンのトラとか猫とかが来たんですけど、ウサギが来たのは初めてだねっていう。
いろんな動物が来てるんですね。
動物が来てますけど。
よかった、初めて。
今年の江戸、今年の江戸の人に年始一発目に会って、演技が良かったんです。
演技。
なんでウサギなんですか?
まあ、いろいろ聞かれると思うんですけど。
死ぬほど聞かれたと思うけど。
そうですね。
あの、まあ、可愛がられるかなと思って。
最初、僕は相方と2人で、アメリカ人のハーフの8歳年下のトーマスって名前の子と2人で会社を創業したんですけど、会社名決めなきゃねということで、お互いに案を持ち寄って、
見た中でそのトーマスが書いてきたやつの中の一つってカタカナでウサギっていうのがあって、これしかないと。
なんといういい名前なんだと。
僕もいろいろ考えていたんですけど、もうそのカタカナのウサギ見た瞬間に、自分が書いてたその横文字の格好良さそうなやつとか、あとちょっとひねった日本語っぽいやつとか、全部もう、あの恥ずかしく思えてくるぐらい、いい名前だなって思って。
いや、本当にもうこの名前、うちの会社創業8年半ぐらいなんですけど、今。
うちの会社で作ったものの中で一番いいものがクリエイター。
会社名が。
会社名が、これ最高傑作だと思ってて、まだこれは超えてないと思ってるんですけど、やっぱりなんか、例えば最初にその元々いた会社のバンダイグループさんとか、
03:00
もうすごい辞めた直後からお世話になって、最初の数年はもうバンダイグループさんに行かせていただいたみたいな感じの仕事をしてたんですけど、やっぱ最初ドキドキするわけですよ。
外の人間になってそこに会社に打ち合わせに行くって言って、受付行ってその会社名と名前書いて、あて先書いてみたいな。
で、通されて打ち合わせするときに、前の先輩とかが、いやさっきフロアに受付から電話かかってきて、何々さん、うさぎさんがいらっしゃいましたって言われて、フロアでめっちゃ受けてたんだよみたいな。
で、っていうことがすごいいろんなところ、他の会社でも起きて。
いやー、起きますね。確かに会社名で言いますもんね。
それはもちろんそこまで計算してなかったんですけど、あ、そっかフロアでうさぎさんいらっしゃいましたになるんだみたいな。
そして笑ってもらえるんだって。
そうそうそうそう。
1回目のときの話ですね。
あーそうですね、そう。それで、まあやっぱり、うさぎって名乗ってるやつって、悪くはなさそうというか。
確かに。
うちの子供たちにも、そこの部分はモテて、パパの会社うさぎなんだよねみたいな。
やっぱ子供が最初にね、好きになる動物の代表みたいなもんだってうさぎ。
そんな感じです。
なるほど、面白い。そんなに深い意味があるわけじゃなかったのが面白かった。
意味もなかった。
そう、で、なんかちょっとその流れじゃないですけど、これ雑草ラジオなんで、お二人に雑に相談したいなって今日思ってたことがあって、
さっきうさぎ可愛がられるっぽいみたいな、そんなことを言いましたけど、なんか僕今年の抱負が、優しくなりたいっていう、人に優しくしようっていう抱負を立ててまして、
見た感じでも優しそうなふうに見えますけど。
そう、自分もそう自己評価してたんですよ、長年。優しい人だよな自分ってって思ってたんですけど、
去年ちょっと、ある仕事で、なんか行ったらすごく意地悪をいっぱい言ってくるような人と会いたいすることがあって、
で、僕もすごいストレスを受けて、でまぁ、なんかその人に対してこう、結構やり返すかのような意地悪を言い返すっていうことがあったんですよね。
06:00
で、それすごい反省して、いやそれはなんか言わなくてもよかったというか、
僕、言ったらカーネギンの人を動かすみたいな、どんな悪いことをしちゃう人でも理由はあるし、それを批判してもいいことは一つもないのだっていうのを、いや本当にそうだなって思って、
そういう本を読んだり、いやまさにそうだと思っていながら、やっぱりそれってやるの難しいんだと思って、
もう感情で失敗をして、なんか意地悪に対しては意地悪を言い返して、なんかこう気持ちよくなっちゃうみたいな、っていうのは去年あって、それですごく反省して優しくなりたいと思って、
でもね、その優しいってなんだろうってこう、それで考え始めたんですよ、改めて、やっぱ結構難しい話だなと思いまして、優しさもいろいろあるし、
その人とか場面によって違うじゃないですか、何が優しいかって、そう、だからお二人って優しいのかなって聞いてみたかったんですけど、
どう思います?ご自身は、自分は優しいと思いますか?
くやのきさんどうですか?
優しさとは何かみたいなところがあるので、でも優しくは僕は、自己評価としては優しくないですね、
コミュニケーションにおいてはできるだけ丁寧にしたいと思ってるけど、優しいかどうかを気にしたことはあんましなかったので、
気にしたことがないってことは多分優しくないんじゃないかなっていうか、
当然、不要意に相手を傷つけたいとも思わないし、ソフトに接してられたらソフトに接した方がいいなと思ってるけど、
でも、いろんなことに優しくありたいとか優しくしたいとか、優しい人で見られたいとかは、そこまで強くないから優しくないのかなっていう感じですけど、
学長はどうですか?
僕、一番最初に出した本に優しい漁師っていう話を書きまして、
へー。
あなたは漁師です。近所に新米の人が漁師になるんだって言って引っ越してきました。
でもなんか遠巻きに眺めていると、全然魚取れなくてめっちゃ困っています。
なので、その人のためになるようななんか、ヘルプをしてあげようと思いました。
さて、何をしますか?みたいな話なんですけど、
09:03
でね、選択肢その1は魚をあげるっていうのがありますよね。
で、選択肢その2は釣り方を具体的に教えてあげる。
このポイントいってこういう仕掛けでやるとこんな魚釣れるよみたいなのを教えてあげる。
3番、その他みたいな話なんですけど。
その他、気になるなぁ。
魚あげるとね、またちょうだいって言いにくる。
依存な人を生み出してしまう可能性が高いので嫌じゃないですか。
2番とか良さそうなんですけど、この環境変化の激しいご時世、
具体的な釣り方を教えても、そのうちその魚がそこにいなくなったみたいなこととか起こるじゃないですか。
海水温の変動でとかっていって生態系が変わっていったりとかするから、
そうするとあのやり方で釣れなくなったんで他の教えてくださいってまた来られたら、
魚あげてるのとあんま変わんないなっていうことになります。
なので、僕のおすすめは3番で釣り方が編み出せるようになる魚の観察の仕方とかを
教えてあげられるといいかなって思ってますみたいな話なんですけど。
それが一番本当の意味で優しいんじゃないかなって思うのですが、
実際にそういうふうに3番でやったとすると、たぶんヘチって言われる可能性が高いっていう。
でしょうね。
そうなんですよ。これがね、ここがやっぱ僕もミソだと思ってて、優しいとは思われないと思うんです。
いじわるだなぁ中山さんはみたいに思われるんだけど、
だけどやっぱり優しさはまあ、一つは相手に幸せになってほしいって心から思えるのは一つ優しさの条件だなって思ったんですよ。
僕はさっきの自分が優しくなりたいと思って優しさを考えるにつけも、やっぱり自分は全然優しくないなってどんどん気づいて
言ったというか、まあそう思えてしょうがなくなってしまった。
だけど、なんかそうそう全ての人の幸せを心から願うなんてことが難しくって。
それで仮に嫌われても本当にその人が幸せになるならば、それが優しいのか?
まあちょっと分かんない、それは正解か分かんないけど、とか思ってた。
中山さんはもう今常にそのような考え方で生きていられてるってことですかね?
12:07
伝わらない、伝わらない優しさを、分かんないですけど。
でもどうなんですか?それで言うと、もう誰にでも幸せになってほしいって思えます?
誰に、誰にでも、まああの、そうね、はい、
誰にでもな、誰にでもってのはどうなんだろうな、
ストレングスファインダーで方眼再開だったので、
誰でもじゃなくてそういうのを、なるほどって思ってくれる人に幸せになってもらえればいいかなっていうのはありますけど、
全然優しくないですね、だからね。
僕そこら辺考えてて一つ思ったのが、
とはいえやっぱり自分がそれの専門家だとか、例えば中山さん言ったらチームビルディングとか、
あるいはなんかその周辺で言ったら最近だと心理的安全性を学んでいますでもいいし、
まあそれの専門家なんですでもいいけど、
やっぱ肩書きを名乗ることってやっぱ人を作っていくなって僕はすごく思って、
もうちょっと心理的安全なんてものとはもうほど遠いような、
あの、なんかゴリゴリのちょっと怖い会社のちょっとエラめの人みたいな、
方がそう心理的安全性ってすごく言い出すようになって、
この人が心理的安全って言ってどうなるんだって思ってたけど、
やっぱり言えば、やっぱ変わってくるよね、ちょっととは思って、
まあさすがに心理的安全性は大事なんだって言いながらなんか、
それをめちゃくちゃにはしないというか、
だからなんか宣言する力すごいなとか、
その職業の人が、あのちょっと第一回でも言ったみたいに、
それを完璧にできるっていうこととは違うんだけど、
だから僕は優しい、
なんだろうな、優しさの専門家みたいなことは、
そんなもん、あれがあるかわかんないけど、
優しさを研究してますみたいなことを一つ言うだけで、
すぐに慣れないけど、ツッコミどころも満載だけど、
やっぱり優しくなろうとすることができるのかなって思ったりしました。
でもさっきの学長の話で、優しさ、誰に対して優しいのかみたいな話でいくなら、
でもやっぱりその身近な人の方が、
僕は優しいか優しくないかっていうと、
多分その社員とかには結構厳しいと思うんですね。
15:02
厳しいんだけど、厳しく、
なんかこう物を持ってきてとか提案があったときに、
言い方は厳しくないけど、
求めるクオリティとかやろうとしていることには、
結構厳しく指導というかレビューしたりする。
けどそれはそうした方が絶対に良いと思っているというか、
結果として良いものができたら、
本人にとって満足にいくし、成長もできるし、
本人のためにもなると思うから厳しくする。
これが本当の優しさかみたいな話の、
さっきのツリーの話だとしたら、
僕は割と本当に外の方からそういう相談を受けたときとかに、
本当にどうでもいいときは、
めちゃくちゃ優しいです、表面的に。
めちゃくちゃ優しく、いいですね、それ最高ですねって言って、
何の指摘も何もせずに、
満足してもらう。
どっちが優しいのかみたいな話ですね。
寛容と不寛容の話ですね。
寛容と優しさは別にイコールではないっていうね。
すっごいわかりますね。
そもそも心理的安全性っていうね、言葉自体が厳しいことを言える状態、
関係性のことを言ったりもするわけで。
どうでもいいっていうことですよね。
表面的な優しさは。
そうですよね。
そんな中、
さらに考えていくと、
自分の親に対しての優しさとかってなってくると、
また意味合いは変わってきて、
仮に自分の理屈で考えて、
親の健康とか、
暮らしとか、そのためになるだろうと思って、
それもっとこうした方がいいよみたいなことを言うのは優しさかで言うと、
もう好きなようにやらせてほしいって思う部分があると思って、
僕はもう自分の親を叱るなんていう、そんな関係性のタイミングじゃないし、
もう結局だから相手との関係に寄ってくるんだと、この優しさという意味は。
だから、その人の仕事力が上がって、
生き抜けるようになっていくだろうと思って、
やったとして、本当にその人幸せを願ってたとしても、それが大きなお世話になることもあるかもしれない。
まあ、難しいんですけど、
そうだな、優しくできるというか、人の役に立つ正しい優しさを、
18:03
できるようになりたいってわけでもなく、やっぱり自分が、
結局は自分のために、嫌なドス黒い気持ちになりたくないから、
人に優しくすることで嬉しくなりたいなって一番思ってるのかもしれないなと思って、
じゃあそれってどっちなんだろうって。
それは優しいのかと。
これはグルグルして、僕が不快なと思うけど、
そんな中、僕の今年の抱負は優しくなりたいと。
じゃああれですね、新しく1日1優しさっていう番組を立ち上げて。
僧侶みたいな。
こういう優しいことをしましたっていう。
確かにね、やっぱり番組をやるっていうのはね、
やっぱ変わっていきますよね。
変わっていきますよね。
僕も毎日1日1アイデアを放送するんで、
さっきネタには困らないって1回目の時喋っちゃいましたけど、
やっぱりアンテナのあれが強くなりましたよね。
キャッチ力みたいな。
分かる分かる。
そうそう。
メモを取る臨戦態勢が強まったというか、
あれさっきなんかあれ言おうと思ったんだけど、
あれなんだっけってもう3秒後には忘れてる。
なんかその番組ネタに、みたいなことで考えてると、
やっぱ見つけるし、書くし、みたいなのが、
普段の本業のおもちゃ開発のネタとかだと、
そこまで本気でメモれないことが、
もう趣味や遊びと言って過言ではない、
ボイシーっていう。
そのためのことの方がやっぱりよっぽど一生懸命見つけられる。
遊びのこと専門で仕事してますけど、
これが遊びの力かって改めて思った。
なるほど。
遊びのためなら、こうやって行動が変わるんだ、
意識が変わるんだ、みたいに思いましたね。
誰も得しないのにね、その試合でやったところで。
そうそうそうなんですよ、本当に。
自分のためで、誰かしらが、
僕が自分の喜びのためにやってるのを聞いて、
1人でも2人でもなんかすごくいい話聞いて、
今度やってみようって思ってくれたら、
それは嬉しいですけど、
結局一番のお客さんは自分っていうか、
もう自分のためだけにやってる趣味だなって思いますね。
経済合理性はない、ないっていうかね、
ほぼない、近いというか。
21:03
何のためにやるのかみたいな。
何のためがないのがある意味趣味なのか、
遊びなのかみたいな。
目的というよりやってることがもう目的になってるんで。
そうなんですよ。
なんかその、遊びと人間っていう本を書いた、
ロゼ・カイオアっていう人、
その本の中で遊びっていうものを定義してるんですけど、
その定義の項目がいくつかあって、
その中の一つに、
生産性があってはならないって書いてあるんですよ。
で、それは割とみんな、
この一つの条件は遊びの条件として、
どうなのだろうというのは、
結構意見が分かれるところとされてて、
僕も現代の遊びって、
生産性がくっついてるから、
より遊びが楽しいっていうことって、
もう多々あると思うんですよね。
仕事は遊びと考えると、
それが楽しいからってあるんだけど、
そっか、そもそも遊びの定義っていうのは、
生産性がないことなんだみたいなのって、
すごい奥深くて、
今、くらぬきさんがおっしゃったみたいに、
でもやっぱりそれって、
もしかしたらそうなのかもなって、
このボイシーに急に、
それで儲けようとか、
毎日ちゃんといいことを言おうとか、
良質なコンテンツにって思った瞬間に、
続かなくなると思うんですよ。
あっという間に。
だから、
遊んでるからこそ続いてて、
それで誰かが多分喜んでいる。
生産性が、
生産性を出さなければって思った瞬間に、
遊びではなくなるっていうことなんですかね。
そうそうそう。
そうですね。
多分そうで、
だからそれを、
そんな昔の時代に言ってたのかもしれないと思うと、
すごいなって思うんですけど、
ちょっとそこは読み解き方次第だけど。
そうですね。
生産性を出すってなったら、
生産性を求めるってことになるので、
生産性を求めるって言った瞬間に、
計測が始まり、
計測が始まると、
無駄なことをやれなくなるので、
無駄なことをやらないってなったら、
最低限のハードルで良くなるみたいなことが起きる。
けど、
趣味は、
底抜けに時間かけたいやつとかもあるし、
謎に食えてあげるために、
やりきるみたいな。
本の構成とかも、
時間内にやろうとかではない、
満足とかでやるみたいな。
それが趣味遊びの領域になるので、
それがどんどんなくなってっちゃうって、
余裕がなくなるって、
結局隙間がなくなるので、
24:01
隙間のこと遊びって昔から言うので、
遊びがないって感じになるっていう。
本当そうなんですよ。
遊びっていう言葉の意味を大きく分けると、
遊戯とゆとりですね。
そのゆとりっていうのは、
本当にすごい大事な要素で、
ハンドルの遊びっていう言葉が一番有名だと思うんですけど、
A単語でハンドルの遊びのことって、
プレイって言うんですよね。
一緒なんですよ。
一緒なんだ。
日本語では遊びだし、
向こうのハンドルの遊びのことはプレイっていう。
向こうにとっても遊びだってことね。
そう。
面白いですよね。
面白いですね。
ゆとりが遊びになってるっていう。
そうなんですよ。
だから目標とかも、
だいたい数値目標って、
会社は売り上げとか利益っていう意味のある目標だけど、
やっぱ意味のない目標に向かっているときに、
成果が出てしまったりするってよくあると思って、
僕1年前ぐらいから縄跳びが趣味になって、
僕運動超大嫌いな人間なんですけど、
娘の友達が縄跳びを、
3分51秒前跳びを跳び続けたっていう話が、
僕らの住んでいる町で噂が駆け巡った。
小学2年生の子が、
女の子が3分51秒跳んだよみたいな。
3分51って長くない?みたいな。
僕も娘が縄跳び練習してるときに、
ちょっと跳んでみようと思ったんですよ。
もう何十年ぶりか分かんないけど。
跳んだら30秒でめっちゃ息切れと動機して、
これ3分51って何?みたいな。
でもなんかちょっと面白かったんで、
やってみようって。
娘にもカッコつけたかったし、
パパは大人の男だから、
4分いくわみたいな。
絶対にやってやるみたいな、4分を。
それを自慢するためだけに跳んでて、
普通運動って健康のためとか、
筋力をよく強めるみたいな。
理由があるけど、
それがどうなってるかよく分かんないけど、
とにかく4分っていう無意味な数字のために、
飛び続けたら、
3、4ヶ月ぐらいでいけたんですよね。
4分飛んじゃって。
でもびっくりして、最初の30秒であれだったのに、
4分いけたわって言って、
27:02
むっちゃそれで自慢したんですけど、
子どもたち、小学生たちに、
もう俺は4分飛んだぞみたいな。
って言ったんですけど、
それで体が良くなったかどうかは分かんないけど、
30秒しか飛べてなかったのが、
4分飛べるようになってるから、
変わってると。
でもそれは求めてないっていう。
だからあれが体を強くするために縄を飛び始めてたら、
今1年やめたでしょうね。
2日3日でやめたでしょうね。
これが遊びとかゲームの力だなみたいな、
エピソード1個。
エピソード1個身をもって手に入れることができました。
面白いけど、もう20分と、もうとっくに過ぎてるので。
まだ遊びの話ちょっとしたいな。
じゃあちょっとまだ続けて、
休憩した後また第3回も、
遊びとプレイの話をしましょう。
ということで第2回はこの辺で。
また来週。
さようなら。
28:25
コメント
スクロール