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2024-09-11 27:30

小川達大さんとザッソウ第2回|非合理だけど合理的(#135)

ザッソウラジオは、ソニックガーデンの代表・倉貫義人と仲山考材の仲山進也が、2人の友だちをゲストにお招きし、ゆるーくおしゃべりするポッドキャストです。

2024年9月のゲストは、株式会社コーポレイト ディレクション(CDI)の代表取締役、小川 達大(おがわ たつひろ)さんです。

第2回は、小川さんのザッソウからスタート。「自分」という存在の枠、境界線について考えます。そこから話が広がって、プロレスとキャプテン翼の共通点へ・・・

★今回のザッソウ★

どこまでが自分?/腸内環境のふしぎ/非合理だけど合理的なこと/合宿をやる意味/ガンダムなのかエヴァなのかウルトラマンなのか/すり合わせの対象/相撲とプロレスとキャプテン翼/ぶつかって分かることがある


★ザッソウのおとも★

小川さんご紹介の本

『ハイブリッド・ヒューマンたち 人と機械の接合の前線から』

みすず書房

著者 ハリー・パーカー

訳者 川野太郎

https://www.msz.co.jp/book/detail/09718/

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サマリー

ポッドキャストでは、非合理的な行動が中長期的に見て合理的である可能性について議論されています。特に、五林達弘さんの経験を通じて、都定制度や合宿の意義に焦点を当て、企業文化や自己認識の重要性が考察されています。このエピソードでは、合理性と不合理性というテーマに基づき、日本的な発想や思考の独自性が考察されます。また、組織やチームにおけるコミュニケーションと関係性の重要性が、自転車や過去のプロジェクトの例を使って議論されています。このエピソードでは、非合理的な状況における合理性について考察し、プロレスと相撲の違いや、チューニングを通じて新しいものが生まれるプロセスが論じられています。また、プロジェクトの序盤でのトラブルの重要性や、師弟関係におけるぶつかり合いの意義についても触れられています。

非合理の重要性
スピーカー 2
倉抜きです。中山です。ザッソウラジオは、倉抜きと学長こと中山さんで、僕たちの知り合いをゲストにお呼びして、雑な相談の雑草をしながら、威力をしゃべりしていくポッドキャストです。
2024年9月のゲストは、株式会社コーポレートディレクション代表取締役小川達弘さんです。第2回目となります。よろしくお願いします。
スピーカー 1
お願いします。小川です。
スピーカー 2
第1回は、小川さんのところのコーポレートディレクションさんが都定制度を採用しているということで、僕らがここ最近3年ぐらい都定制度を始めて試行錯誤している中、もう20年近く都定制度を続けてこられているということで、非常に参考になる話を、
僕が知りたくて聞く話になりましたが、第2回は方向性を変えまして、ザソラジオらしく小川さんからの雑な相談をお受けしようかなと思っております。
何かありますか。
はい、ありがとうございます。
スピーカー 1
この3人で話してみたいなと思ったトピックってことなんですけど、今たまたま読んでる本で、ハイブリッドヒューマン達っていう本があって、
これはアメリカの元軍人で、戦争で両足を失った人が自分の義足をつけるようになって、自分の生活がどう変わってきたかみたいなのをつらつらと書いてるっていう本なんですね。
その本によると、その義足っていうテクノロジーというのはローマ時代からずっとあったものらしく、かなり人間とそのテクノロジーっていう関係は長いんです。
で、本の中で自分という存在、自分の体とそのテクノロジーで作られた義足というものが、全然別の物質として認識される瞬間と、
まるで一体になって自分の体の一部かのように認識されていて、その義足の先っぽが自分の体の先っぽであるっていう感覚になる瞬間もあるみたいなのが、ほんとちょっとしたことで動くんですね。
足をつけるソケットの部分のちょっとした怪我があると、そのずれてる部分というか接合面がめちゃくちゃ認識されて、
膝から先がもう完全に物化するんですけど、めちゃくちゃ調子いいときはもう完全に一体化していてみたいな。
そういう人間と機械の関係とか、体と精神の関係とか、そういうものが行ったり来たりしながらずっと語られているのが超面白くて。
こういうテーマってひょっとしたらお二人って日々考えていらっしゃることの中に含まれてるんじゃないかなと思って、ちょっと投げ込んでみたっていう感じです。
小川さんは、今のこの本のどこが一番興味ポイントなんですか。
人間の体とか心ってどこまでなんだろうなとか、自分と他者の線引きってどこなんだろうなってすごい面白いテーマだなと思ってるんですね。
例えば僕らって日々生活してる中で、本をたくさん読んだりとか、いろんなメディアを自分のパソコンに保存したりとかして、
そうやって自分の脳みそを外部化して生きてるとすると、本棚も含め自分だなーとかって思う瞬間もあるし、
とかってなると、自分ってどこまでが自分なのかなってすごい面白い問いだなと普段から思うっていう感じですかね。
典型的というか、日々の生活で言うとパソコンのキーボードって、ブラインドタッチしてる時はキーボードも含め自分になっており、
スピーカー 2
直接パソコンに入力してる感覚になるんですけど、急にあのショートカット機なんだっけなーと思うと、この目の前のキーボードが言うこと聞かない物質に変わるじゃないですか。
スピーカー 1
それでちょっとした瞬間にこの線引きが変わるって、なんか人間って面白いなと思うっていうことなんですけど。
なるほど。それ、なんか機械?機械だと今の話になるけど、人でも同じような感じなのかもしれないなって今思いながら。
あーそうですよね。
スピーカー 3
自分の言うことを思い通りに動く人は、なんか拡張自我の中に含まれて、
なんか思ったことと違うことを言ってくる奴は、なんか他人みたいな、他人っていうか、拡張自我の範囲に含まれない。
あと、前回のリトル師匠がいるっていう話も、どこまでが自分なのかみたいな。
リトル師匠と対話をして判断をする時に。
師匠と自分の関係というか、全体という部分がどうなのかとかね。
スピーカー 1
そうなんです。自分と他者みたいなことで言うと、数学の研究家の森田正男さんが時々講演とかでおっしゃるんですけど、
人間という体があったときに、その真ん中には口から喉までの腸っていうのがあって、
でもこの中っていうのは、理科で習った通り自分の外部なんであるっていう。
その外部の中に大量の菌が住んでいて、実は自分の最も中身だと思ってるものがそもそも外部だし、
外部に他者がめちゃくちゃ住んでるっていう。でも腸内環境によって、自分の体調って明らかに変わるし、
一説にはそれ自体が思考を考えてるんじゃないかみたいな話もあったりするじゃないですか。
実は外部にコントロールされてるんじゃないかみたいな話まで行けば行くしっていう。
中と外とか自分と他人って思った以上にファジーだし、ずっともやもや考えちゃう話ですね。
スピーカー 2
自分で決めてることも、これ自分で本当に決めてんのかなみたいな。
人類は小麦に支配されているみたいな。
合理性の再考
スピーカー 2
小麦が繁殖しやすいように人類が動かされてる。
小麦を育ててるって思ってたら、小麦の方に人類がコントロールされてるみたいな話とか。
実は自分で決めたと思ってても、外部環境とかによって決めさせられてる可能性があるって。
でも別にそれが本人にとって幸せだったらそれでいいのかみたいなのもありますよね。
スピーカー 1
そうなんですよね。
なんで僕がこういうのに興味湧くかっていうのの理由の一つとしては、
コーポレット・ディレクション・CDIって日本で生まれたコンサル会社でっていうことでずっとやっており、
日本から育まれたものの考え方とか、それが経営の考え方とか、組織の動かし方とか、
そういうものがアメリカで生まれたものとは別のアングルで、
だからこそ見出せるものがあるんじゃないかなみたいなのはずっと思っちゃうんですよね。
そうやって、自己認識とか個人主義がどれぐらいとか、
そういうものがめちゃくちゃ投影されるんだろうなと思うんですよね。
そういうテーマっぽいなあと思うと、ちょっと覗いてみたくなるっていうのが常にある感じがあります。
スピーカー 2
確かに前回の話、都定制度の話、コンサル会社とシステム開発の会社っていう、
一般的に考えたらもうちょっと合理性の高い育成とか採用とか思想なのに、
いわゆる職人とか都定制度を取ってるって、
多分外資のコンサル会社だとそんなこと絶対しない気がするのは、
スピーカー 1
これは日本初だからなのかみたいなのは、そのへんにつながってるところがあるのかなと思って。
あると思います。
短期的な合理性とかではなく、短期的には非合理なことをやるのが、
中期的には合理的になるみたいなので、きっとあるなと思っていて、
むしろそういうところにその会社の思想みたいなのが宿る気がするので、
そういうものをちゃんと味わって、面白がれるような、
スピーカー 2
そういうビジネスの世の中になってたら、もっともっといいんじゃないかなと思いますけどね。
西洋的な部分と東洋的な部分の違いなのか、中長期で見るのか短期で見るのか。
ちょうどこの間、僕が会社で合宿をよくやるっていう話で、
合宿をテーマにFacebookに投稿して、
前回、どっかで雑誌ラジオに出ていた本庄さんにコメントもらったんですけど、
合宿をやると、会社としては短期的には経済合理性全然ない。
その時間、仕事をしたほうがよいし、交通費、宿泊費かけて合宿するのかみたいな。
日常から離れたことを会社の仲間とやるのも合宿として言うんだけど、
短期的には合理性ないけど、中長期で見たら意味があるからやってるんだけど、
中長期意味があると思ってやったら、逆に意味が薄れる可能性があるんじゃないか。
そもそも短期的に意味がないってことではなく、
合宿自体が短期的にも本当に意味があるっていうロジックが作れたらいいですね、みたいな話をしていて。
コンプレッサーさんでも、短期的にはそんなにある意味がないかもしれないけど、
中長期で意味があるって言ってたことが、実は短期的にも意味があるんじゃないっていう話って、
それを表現できたら、それこそ日本初でやってることの言語化ってできるのかもしれないというか。
それを日本初という表現ではなく、こういう物差しなのか、
何らかの合理性があるから都定制度もやってるのか、
スピーカー 1
マネジングディレクターによる採用もやってるのかみたいな。
スピーカー 2
それが言えたら、最強だなと思って。
スピーカー 1
そりゃめっちゃそうですよね。
自己認識と企業文化
スピーカー 1
中長期的なところの理由づけを、現段階で全て言語化できるって、そんなわけないじゃんっていう。
スピーカー 2
そう、そんなわけない。
なんかいいことあるよねって思うからやってるみたいなのも結構多いですもんね。
でも、いつかなんかいいことあるからなーと思ってやるというよりは、
スピーカー 1
今それやること、経済効率はないけど今やることにも意味があると思ってやってる部分も多々あるなっていう。
確かになー、それ言葉にできるとめっちゃいいですよね。
スピーカー 2
そうなんですよ。
でも合宿も結局楽しいからやってるところが実はあって、
合宿だからな、今はちょっとお金かかっても合宿やっとこうって思ってやってるわけじゃなくて、
合宿やること自体が楽しいからまずやってるみたいなところが、
それ自体に価値を見出せたら、
いや、実は中長期とか言い訳にすぎないところがあるっていうか、
短期的に意味がないことをやるときに、これは中長期で意味があるからっていう風に、
合理性と日本的発想
スピーカー 2
わざわざ言い訳的に使う必要がなく、
スピーカー 1
シンプルにこれやることいいことだなって言えた方が、
スピーカー 2
世の中いっぱいありそうだなと思っていて、
それがその視点としては、
それは日本的な発想なのか、
他者と自分の合一性を持つ日本の考え方なのか、
何かしらが多分あるのかもしれないなって。
スピーカー 1
確かに確かに。
今聞いて思い出したのが、
何年か前にノートに松茎っていう短い文章書いて、
そこで紹介したのが和志田清和さんって哲学者なのかな、がおっしゃってたことで、
ビジネスの世界ってプロジェクトとかプロスペクトとか、
プロなんとかってproって説得語がつく言葉がめちゃくちゃ登場するよねっていうことをおっしゃっていて、
このproっていう説得語って、
未来から逆算して、そこに向かっていくみたいなニュアンスが生まれてるらしいんですね。
結局そういう言葉を多用するビジネスの世界って、
未来は予測可能だし、
そこからバックキャストすればそこに向かっていけるよねっていう、
未来の不確実性をむしろ排除する方が正しくてっていう。
でもそれって本当に面白い世の中になるのかなみたいな問いかけが本ではされていて。
確かにめっちゃそうだなと思うのに。
きっとさっきの西洋東洋みたいなので言うと、合理的に未来は予測可能で、
そこに向かって最短を走っていくのがいいことだよねって、
かなり西洋の合理主義的な何かが反映されてるんだろうなと思って。
チームビルディングと試行錯誤
スピーカー 1
でもそうじゃない考え方って経営では結構あると思うし、
特に農作物を育てるみたいな感覚で経営をする、
なんとか耕すとかっていう言葉を使うのはそうだと思うんですけど、
それってめちゃくちゃ不確実性の中で、
なんとなくいろんなものをやっとくといいかねをやりまくるっていう営みじゃないですか。
スピーカー 2
それかなり違うなーとかって思うんですよね。
それでもあれじゃない?またザ・ソラジオの共通言語である。
スピーカー 3
エレクシュレーションとコーズエーションの話。
スピーカー 1
でもそういうことだと思います。
スピーカー 3
まさにそうですね。
ちょっと僕今話を聞きながら、
ずっと最初の機械と人間、自分と自分以外みたいな話を考えてて、
何でも僕チームビルディング眼鏡で見てしまう壁が身についているので、
チームの成長ステージって言ってるやつがあって、
いわゆるタッグマンモデルみたいなやつを、
ちょっと自分なりにアレッジをして使ってるやつなんですけど、
義足が自分と同じように一体として感じられるっていうのって、
やっぱりすり合わせがあって、いろいろ使ってみる中で、
コントロール、試行錯誤しながら、
ちゃんと思い通りに動くようなチューニングが進んでいったことで、
自分と一体化したものになるみたいなのって、
まさにチームビルディングの、
僕がグループからチームに変わるためには、
ストーミング機、第二ステージとしてのすり合わせ、試行錯誤、
人間の場合だと集団的試行錯誤って言ったりとかするんですけど、
お互いにフィードバックを返し合ってすり合わせていって、
合うようにチューニングを合わせられれば、
自分たちってこうやって動くと、
いい感じに動けるよねっていうのが見つかるっていうのが、
スピーカー 1
チームになれたっていう状態っていうふうに考えてるんですけど。
スピーカー 3
なので、何の仕事をするチームかによって、
チームの状態って変わるので、
すり合わせ終わった仕事をやるときは、
チームとして動けるんだけど、
新しいチャレンジをするときは、まだすり合わせが終わってないので、
また自分と疑測みたいな関係性から始まる、
みたいなことが起こるな。
スピーカー 1
めちゃくちゃ面白いな。
今思い出したのが、プロジェクトリーダーとプロジェクトチームの関係だとか、
あるいは経営者と会社の関係っていうのって、
コンサルタントとクライアントの関係
スピーカー 1
ガンダムなのか、エヴァンゲリオンなのか、
ウルトラマンなのかって、それぞれあるなと思って。
ウルトラマンだと単位がそもそもでかくなってウルトラマンになっていて、
エヴァンゲリオンだと乗ってる人と外っていうのが、
シンクロしてる状態じゃないですか。
ガンダムはただ機械に乗ってるだけっていう。
だとしたときに、そこの一体感というか、
同一性っていうのがかなりバリエーションがあって、
とかっていうので見ると、それぞれの見方ができるなって、
昔思ったことがあるんですよね。
スピーカー 3
めっちゃ考える。
スピーカー 1
超高モードになってますね。
スピーカー 2
超高モードになってしまった。
いいやつですね。雑草時間。
スピーカー 1
さっきのすり合わせをたくさんするっていうのは、
ただコミュニケーション量が多ければいいのか、
もう1個別の時空がありますよねみたいなのをどう理解するといいんですか。
スピーカー 3
くらなきさんとか、僕らよく自転車乗れるようになるときに例えるんですけど、
チームも同じだなと思ってるんですけど、
補助輪外すときに練習をして、
全体のバランスが整うと乗れるようになるじゃないですか。
それまで練習が必要で、
あれがすり合わせが進んでるっていうか、
チューニングが進んでる。
スピーカー 1
その場合って、チームメンバーの方から
いいサプライズがあることっていうのを
どう位置づけるといいかなっていうのを今ふと思って、
人によって1個のプロジェクトチームがあったときに、
一番いい状態って、5人のチームだとすると、
自分が5人いて、それが一番いいんです。
それが一番シンクロされてる状態なので。
それが実現不能なので、そこまでのぶどまりというか、
どんだけ引き上げることができるかっていうのが勝負ですよねっていうパターンもあれば、
自分が5人いてもしょうがないじゃんっていう。
違う人間が5人いるからいいじゃん。
それは自分の考えの外からもいろんな動きやアイデアが出るのでっていう。
この2パターンが大きくてあるなと思ったときに、
さっきの自転車の例で言うと、
スピーカー 3
自転車は意外な行動を自分に起こしてこないじゃないですか。
スピーカー 1
とかっていうのをどう位置づけると、
より理解が深まるのかなと思いながら聞いたんですけど。
スピーカー 3
そうですね。
なので、自転車って物なわけですけど、
日本人って対人、人に対してすり合わせをするっていうのが苦手で、
逆に物に対してすり合わせをするのは、
根気よく成功するまでコツコツ実験を繰り返すみたいな。
要はプロジェクトXみたいなのに出てくる製品開発した話とかって、
大仏ストーミングを超えた話だと思っていて。
だけど人間に対しては、
要は自分、何か思ってないようなことを言ってくる相手に対しては、
めっちゃ弱くなるとこあるよなって思っていて。
なので、多分それは怖かったり不安だったりするんでしょうね、きっと。
それが心理的安全ではないっていうことだと思うんですけど。
なので、また普通の話になっちゃうけど、
心理的安全性がある関係性において、
思ってることを言い合えると、
お互い別にびっくりすることも少なくなっていって、
そういう選択肢もあんのねみたいな、
自分が見えてない選択肢を言ってくれる人みたいな関係性に。
例えば僕とくらいの人だったら、
僕プログラミングとか全くわからないので、
僕の一人で考えた選択肢の中には、
プログラミングすりゃいいじゃんみたいな選択肢は出てこないけど、
2人でやったらこれでできるよみたいなことが起こるのが、
スピーカー 1
チームの意味だよなというか。
スピーカー 3
あとだから、リーダーとメンバーみたいなところで、
スピーカー 1
メンバーが思いもよらないことを言ってきたみたいな状態とかって、
スピーカー 3
もしそのアイディアを採用したら、
主導権が自分から失われるみたいなのとか、
その人いなくなったら、
そのやり方続けられないけど、
その時どうしようみたいな、
スピーカー 1
そんな感じですかね。
スピーカー 3
関係性について、あれこれ、思い悩みすぎなんですかね。
スピーカー 1
その壁を越えた後は、
スピーカー 3
すごいさらに関係性が深くなるんですよ。
スピーカー 1
この壁を高く感じすぎてるから、
越える前でも止まっちゃって、
いい擦り合わせのチームが作れないみたいなことになるんですか。
スピーカー 3
そう、それはありますよね。
スピーカー 1
面白いな。
うちじゃないんですけど、
あるコンサル会社さんが、
企業再生の案件とかでコンサルティングで入る時って、
コンサルタントとクライアント企業側って、
敵対関係になったりしがちなんですけど、
一番最初にとりあえず相撲を取るっていう、
スピーカー 3
本当かどうかわかんないですけど、
スピーカー 1
受け止められるみたいな、
そういうのがあるっていう。
体を使うっていうのも擦り合わせにおいて大事なのかなと思って。
スピーカー 3
楽天のお店出してる店長さん、ある店長さんが、
楽天側はECコンサルタントっていうのが、
スピーカー 1
アポート担当なんですけど、
スピーカー 3
ECCって言われてるんですけど、
プロレスと相撲の違い
スピーカー 3
店舗とECCはプロレスが必要だって、
同じようなこと言ってて。
でも、相撲とプロレスの違いとしては、
プロレスって相手の技を出させて受けるっていうのが、
一つの型としてあるので、
普通の対戦型の競技だと、
いかに相手の技を出させないようにするかみたいな、
今それこそオリンピックで柔道、
この前やってましたけど、
外国人選手の柔道って相手の技を出させないように、
腕突っ張って技出させないようにするみたいな雰囲気なのに、
それがプロレスっぽくない感じですよね。
なるほど。
あとキャプテン翼とかもそうだと思ってて、
翼君って相手の良さを出させた上で、
そこを上回っていくみたいな。
スピーカー 1
確かに確かに。
ポイントですよね。
翼君が相手が必殺技を出そうとするときに、
急に邪魔して出させなかったら、
ちょうどわけわかんないですよね。
面白くないです。
スピーカー 3
そうなんですよ。
なので、技を受け合って、
だったらさ、みたいな擦り合わせが、
チューニングが行われて新しいものが生まれる。
それがテンポとECCがうまくいくときなんだよって、
その店長さんは他の店長さんに説明してくれるし、
何なら新人のECCコンサルタントにも、
そうやって教えてくれるので、
さっきの自分たちとは何かみたいな話で言うと、
楽天社員よりも全然テンポさんの方が楽天のことを教えてくれるんですよ。
楽天の新人社員に。
スピーカー 1
面白いな。
スピーカー 3
そういうの面白いし、
拡張都定制度だなっていう感じがします。
スピーカー 1
うんうん。
そうですよね。
スピーカー 2
そのトルも、さっきのプロレスも、
やっぱり一回ぶつからないと、
多分距離感探ってるうちは、
固定制度だったり、プロジェクトうまくいくところもうまくいかない。
ストーミングいかないってやつじゃないかなっていう感じはしていて、
確かに僕も昔、プロジェクトマネージャーの達人みたいな、
前職の先輩から、
プロジェクトの序盤のうちにプロジェクトトラブル起きたほうがいいとかって言われていて、
終盤でトラブル起きると大変だけど、
序盤でトラブル起きるとリカバリできるけど、
でも一回その時にトラブル起きてるから、
みんなでごちゃごちゃしてるっていう、
なんでわざわざトラブル起こすねんと思ってましたけど、
でもそういうところはあるんだろうなみたいな。
ストーミングのためには、
距離感測ってるとストーミングが起きないし、
都定制度も、
ぶつかりからちゃんとリトルウォーやカーター、リトル師匠面とかが入ってくるのは、
ぶつかるって結構大事なのかみたいな。
スピーカー 1
確かにそうですね。
スピーカー 3
それこそそこで師匠との擦り合わせみたいなのがあった人とない人だと、
リトル師匠の存在自体が違いますよね。
師匠が言ってたことはそのままできるけど、
師匠もこんなこと、こんなシチュエーションになったことないよなみたいな時に、
師匠だったらどうするのかなって考えた時に、
やっぱ師匠とぶつかった弟子だったら考えようがあるけど、
ぶつかったことない弟子だと考えられない気がする。
スピーカー 1
確かに確かに。
スピーカー 2
で多分それがぶつかっちゃうのがもう良しとするのか、
多分これが上司と部下って言っちゃうと、
ぶつかると問題が起きちゃうから、
僕らはだからあえて明治的に親方と弟子っていうふうにいうことで、
親方もぶつかっていくことを起因しないというか、
避けずにぶつけられるように整えようみたいなところがあったのかなっていう感じですね。
スピーカー 1
そうですよね。やっぱり親方とか師匠っていうと乱暴なことがあっても、
それは含まれてるよねっていう感じありますもんね。
スピーカー 2
それ踏まえて受け止めてねっていうことを弟子側には伝えられるというか。
プロジェクトにおけるぶつかり合い
スピーカー 1
そうですよね。
スピーカー 2
いやー面白くなってきましたね。
スピーカー 3
面白い。めっちゃ考えさせられる。
スピーカー 2
これ収録時間は伸びてますけど、
シンキングタイム長いので多分良いぐらいの時間だと思いますが。
はい、ということで続きは第3回でいきたいと思います。
今週はこの辺でありがとうございました。
27:30

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