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みなさん、こんにちは。この放送は、想いのままに生きてみようラジオということで、小学生の年子男女を育てながら出社ベースのフルタイム会社員をしている私、つるが、日々の思いや気づきを語る番組です。
はい、日曜日の昼でございますね。我が家はですね、今子供たち2人はパパに連れられ、スイミングに行っております。
そんな中ですね、休日の昼下がり、家に一人でいながら、今日のテーマ、母になって後悔している。生まれ変わったら絶対に子供は生まないとは言わないけど、子育て向いていないと思っているということについてお話ししたいと思います。
結構ね、ブラックな回ですよ。ブラックな回です。子育てに疲れているお母さん、お父さん、この話を聞いて共感できる、できない?
子育てにあまり関わってこなかった人からしてみれば、けしからん話しか出てこないと思うんですよ。なおかつ、子育てしていてもけしからんと思う人がいっぱいいるような話をこれからしようと思っているんですよ。
前回ですね、母になって後悔しているという本のタイトルを初めて見たときに、そのタイトル、これ大やけに言語化しきるんだという衝撃を受けたという話をしたんですけれども、それを見てですね、その後本を読んで、いろいろ最近、自分の子育てとか母親感とか子供との関係っていうのをちょっとこうね、ぼーっと考えていたときに、なんかなーって思ってたことをちょっと言語化しようと思って話しています。
これを聞いてね、気分が悪くなる方はそっとね、そんな話聞いて気分が悪くなりそうだなとかね、あの怒りがこみ上げてきそうだなっていう方はそっと閉じていただいたらいいのかなと思います。
本当ね、この母親になるって何なんだっていうね、子育て向いてる向いてない、この夏休みとかずーっと子供と一緒にいて、私子育て向いてないわーって思っていらっしゃる方も結構いるかもしれないんですけど、ずっといたらね、ずっと一緒にいたらね、関係が濃くなれば濃くなるほどなんか疲弊していくっていうのは誰にもあるんですが、
その前提にあるのがね、それが本当にあのちょっとこう自分にだけ子育てがね、のしかかってきてちょっと大変なだけなのかどうかっていうところは、またちょっと別の問題なんですけども、私が自分の中でね、自分のこれまでの感情とかっていうのを整理したときに、
思い立ったのがね、先ほど言った母になって後悔している、生まれ変わったら絶対子供は生まないとは言わないけれども子育て向いてないと思ってるっていう結論に至ったことについてね、あのつらつらと語っていきたいと思います。
さあ、これについてもともと考えるね、あのきっかけになって母になって後悔しているっていうね、あの本があったんですけど、このね、2016年とかにあの日本語で訳が発売になって、で私がこれの本を押したのはだいぶ後になって、2016年はあれか、原書のタイトルで出てて、2022年から日本にね、翻訳されて出版されたの。
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で、私がこの本読んだのは、まあ去年ですっていうところで、でたまにこのね、あのタイトルについての話題ってね、あのネットで見かけたりするんですけども、まあなんかあの本の中身をね、読んでね、それがすごくね、面白かったかというと、私はそんなに面白いと思わなかったですよね。似たような人の話のインタビューがね、何回も何回も出てくるような感じの本なので、
そんなこうあの、読んで面白いかどうかって言ったら、私の中ではそんなに面白くなかった。ただ、この中にこれに、これをね、あの語るに至った女性たちのあの物語って、なんか非常にこう自分にも近しいところがあるなっていうふうに思うなっていうところなんですよ。
で、この本の中でね、あのまずちょっと本についてのあの私のこうね、あの話、あの感想みたいな話そうと思うんですけども、この母になって後悔しているっていうところは、この本を出すにあたってのインタビューを受ける人って、まず作者の方がね、生まれ変わるなら子供はもう絶対生まないっていうふうに言い切れる人を対象にね、あのインタビューを受けてます。
インタビューしてますっていうところだったんですよ。なので、あの話に出てくる人たちはもう本当にね、あの子供、もう生まれ変わるなら自分がこうもう一度、あの若い子と子供、今自分はいて育てているとか、もう子供をね、あの大人になってもう子育てから離れているというふうになっても、もし若い頃にね、戻れるんだったらもうこの子供を産むっていう選択肢しないって言い切れる人たちのインタビュー記事だったんですね。
で、でも全然そんな子供はもう生まない、絶対生まない、絶対生まないっていうふうに言い切れる人であっても、その自分が生んだ子供の人格や存在は否定はしないんですね。
こんな子いなければよかったみたいなね、この子、こんなん、子供のせいで自分の、子供が、子供そのもの、子供の人格がどうかっていうようなことに対しての否定はしてないんですね、ほとんどね。
で、よくよく見てみると、子供を産けた理由っていうのが基本的にみんな外的要因。
女性は子供を産むものという社会尊厳だったりとか、子供を持ちたいというパートナーの希望だとか、結婚してパートナーの家族の要望とかによって子供を産けたと。
で、パートナーたちもわかりやすく、社会が産めというから産んだっていうふうに思っていなくても、この外的要因が内面化してしまった上で子供を産んでみた、産んだ、自分も子供が欲しいんだというふうに思い込んでいた上で子供を産んでみたら、
私は本当は子供が欲しかったわけじゃなかったのかもしれないっていうふうに思い始めた人たちが結構多かったなっていうところが、私のちょっとした印象ではありますね。
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面白いですよね。面白いですか。面白いと思うかな。
で、ここでね、インタビューを受けている人たちって、匿名ならっていう条件付きでインタビューを受けている人たちが基本的なんですよ。
この子供を産んで母になって後悔しているってことが匿名でなければインタビュー受けられない。
自分の実名公表して、私は子供を産んで後悔しているんです。こんなふうに思って、子供を産んでからずっとこんなふうになんか違うなっていうふうに思ってる。
もし戻れるんだったら私絶対子供なんか産みませんっていうことを匿名じゃなければインタビュー受けられない。
実名でこの話をするっていうのにはあまりにもデメリットが多すぎるっていうところがすごいわかるなっていう。
たぶん今の日本でも、そうですね、広く多くのところでの人に見られるところにそんなことをオピラリ実名で言ったら消しからんって言って大炎上しそうなイメージってすごいありますよね。
私も今ね、子供を母になって後悔しているとは言わないけど、子育て向いてないと思いますっていうところを一応公に今発信しようと思ってるんですけど、
まあいかんせんね、私のスタイフのチャンネルを聞いていただいている方はね、すごい限られているので、ちょっと聞いてほしいなと思って語っているわけなんですけれども、
これがね、この拡散性の高いところとかフォロワーさんがそれなりにいる人たちがね、語ったらね、本当に大炎上しそうなんじゃないかなって。
だからこの本のインタビューを受けている女性たちも基本的に匿名だからっていうところで本の語っているというところがあるなっていうふうに思いました。
で、次から私の話にね、行ってみたいと思うんですけれども、私子供を産んでるんですよ、2人。
で、子供を産みたいなっていうふうに思ったのって何でだろうなっていうふうに、ちょっと自分のことを思い出してみたら、
そもそも子供の頃、小学生ぐらいの頃って、大人になっても私子供なんかいらないわってずっと思ってたんですよ。
なんですけれども、何かいつの頃からね、母親があんたは子供を産んで育てる苦労を体験するべきだっていう話をちょいちょい言ってきてたんです。
たぶん母が自分が子育てして大変だと思って、あんたも経験したら私の苦労がわかるんだから、あんたも子供を育てて苦労してみなさいよっていうね、そういう感じだったと思うんですよ。
たぶんそうなんですよ。そんなことを聞いてるとね、子供を産んで育てるべきなんだなぁみたいなことを思うように、いつの間にかそれを内面化していて、うちの母の話もありますし、社会的に女性子供を産むものだっていう無言の空気感ですよ。
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ジェンダーギャプシス、先進国最下位、日本の現状がありますからね。これなんでしょうね、すごくわかりやすく女性のことをね、女性は子供を産むもんだっていうような、産まないとみたいな話って政治家の人とかね、影響力のある人がポロッと言っちゃうと大炎上になりますけれども、
大炎上になっている人たちの発言ね、産み機械発言何年でしたっけね、あれ見てて、すんげーストレートに言うなっていうふうに思ったんですけれども、結構そんなストレートに言わずにもそういうもんだろうという無言の空気感って感じません?私はなんとなくきっとそういうことを感じてたんでしょうね。
で、その上で産んだ後に子供で感じるメリットっていうところにもつながってくるんですけども、母親からの言葉と、社会的にこの子供を産んだ方がいいんじゃない女の人はみたいな、そういった無言の空気感というものがどんどんどんどん自分の内面にも影響してきて、なおかつうちの場合ですね、母が30代後半で病気で手休定期死としてるんですよ。
なんかそれを見ていた私は30代前半のうちに産まないと自分も産めなくなるかっていう恐怖感。産んだったらもう30代前半までに運動かなきゃいけないっていうなんかしよくわかんない脅迫観念があったんですね。
で、その恐怖感から産もうという気持ちが少しでもあるんだったら早い方がいいって言って。早い方がいいって言っても私が学校ですね、就寝まで行って社会に出たのが25の時で、もともとモテる方じゃなかったんで、もう何か相手探さないと早くしないと思って30前に相手決めて30前半で出産したというところなんですよね。
ここまでは出産するまで、本当に何ですかね、この30代前半までに生まないと、今思えばね、私今のところね、子宮が検診とか受けるんですけど、子宮トラウソーは元気だそうです。
とはいえ妹とかは30代半ばで、支給禁止か何かでちょっと手術とかはしてます。なんで夫人家系ね、昔大学の時に住んでたところの近くでちょっと有名な占い師さんというところにね、お友達と一緒に占ってもらいに行った時も、あなた夫人家系弱いから気をつけなさいよっていう風に言われたんですよ。
もうそんなことを言われたら、余計なんか母親のこの30代後半病気っていうところがすごい自分の中でより強化されてしまったっていうところもあると思うんですが、今のところ子宮トラウソーは元気でやっております。
なんですね。私2人目産んだ直後に分娩台の上で出てね、2人目産んだ時はなかなかちょっと巨大地だったので、4000グラム、4000ちょっとで出てきたので、最後なかなか出てこずに、救援と助産師さんがお腹の上でお腹を押して、押して下からは引っ張ってって言って何とか出てきたんですけど、それ終わった後ね、もうね、出産大変です。
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大変じゃないですか。産んだ方はね、みんな大変だと思うんですけど、産んだ後の終わったーっていう、この安堵感終わったーっていうほっとしかげんってすごいものがあるんですけど、もう2人目産んだ直後に、私分娩台の後、これで2人産んでノルマ完了っていう言葉が自然と出てきました。
今でもよく覚えてます。なぜ、ノルマ、あーノルマ、ノルマ完了、ノルマ達成、どっちかってわからないですけど、ノルマをこなしたぞっていうその安堵感が出てきた。
すごいですよね。私の中でね、子供2人産むっていうのはノルマだったらしいですよ。すごいですよね。その後よくたまに思い返す。あの時すごいな、ノルマっていう単語出てくるってね、どんだけ私2人子供産まなきゃいけないんだっていうふうに思い込んでたんだろうっていうふうなところがあるんですよね。
本当にもう不思議なもんですね。これその時に自分の中で子供産むっていうのは、どっかから自分の内発的動機っていうよりも、なんかこの外的要因から子供産みたいっていうふうに思うようになっちゃったんじゃないかなって考える1つのきっかけではあったんですよ。
なんですがね、でも母親になって感じているメリットっていうのも私すごく感じていて、それ何かって言ったら、母になって感じるメリットは母であるっていうことによって女であることを求められなくなったんですよね。
女性っていうのは見切れにして、なるべく男性に可愛がってもらえたりした方がいいんじゃないかっていうような意識が私の中にはありまして、私逆なわけですよ。結構可愛げのない性格していて、男性にもモテないタイプだし顔もそんなに綺麗なわけじゃない。
どちらかというとね、合コンとかに行くとがっかりされるタイプの顔面をしております。それがね、母親になるとお母さんっていうものはある意味女性としての枠から外れるんですよ。小さい子供連れてる人、そういうのが好きな男性の方もいますよ。
そういうところが好きだっていう男性の方もいるかと思うんですけど、一般的にはお母さんになると女性というよりお母さんになるんですね。子供を世話していかに子供を上手に養育しているかっていうね、そっちの方が評価軸になってくるので、私女性としてはすごいコンプレックスの塊だったので、
お母さんというふうになったところで、そこで評価される対象じゃなくなったことにすっごい、もう開放感というか、すっきり感というか、心が軽くなる感があったんですよね。
もうそれはね、小さい子供連れて連れ終わっている間、本当に化粧しなくても、服装なんか適当でも、目の前に抱っこひも抱えてたら全てが許されるみたいなね。いや、そうじゃないかもしれないですけど、私はそんな気持ちでいたんです。それがね、母になって感じるメリット一番でした。
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でも、母親になって感じるメリットが結構大きいのがあったんですよ。それは何かというと、社会の中で一人の人間としてよりも母であることを求められているというふうに感じたというところなんですよ。
社会の中の一人の人間って、社会の中でご実現したり、社会貢献して、何かこの社会の大きく回っている中の一つのポジションを自分でちゃんと持って、何か社会の中の一員であるっていうところよりも、
母としての役割、子供ファースト、子供をいかに上手に適切に養育しているかっていうことに焦点が当てられて評価されているっていうようなところを求められているところが、ここに関してはすごいデメリットを感じましたね。
仕事は産教育給取らせていただいたんですが、その後も時短取らずにフルタイムで戻ってはいるんですけれども、どうしても子供がいない方みたいに残業救出できなかったり、突然子供の体調不良で、特に子供が0歳1歳とかの頃なんか、仕事に出てても突然保育園から電話がかかってくるなんてしょっちゅうなので、
そうなると、母親としての役割で、別に私じゃなくて夫が仕事相対して迎えに行ってもいいんですけど、なんとなく夫婦の役割として基本的には私が迎えに行くと、仕事を休むという風になってました。
もうどうしてもね、仕事、これはここは休めないという時があるときには変わってもらったことが数回あるんですけども、基本的にそういったところで私の仕事もセーブしつつ、なおかつそういったことがあったときに可能にその辺の融通が効くだろうという仕事にね、私もこの結婚前の時に新卒で働いていた結構ね、ハードだった仕事を辞めて、
女性がね、出産、育児中でも働くのが、ぼちぼち一番最初の新卒の時の仕事に比べれば可能であろう、安いであろうというところに転職をしてて、それで子供を産んで育てていたというのがあるんで、先回りマミートラックですよね、完全にね。
なんですけども、そういったね、どっちかというと社会的な地位を求めるとか、そういった社会の中で自分の自己実感をしていくとかっていうところをちょっと脇に置いて、子供のために生活するっていうようなことが何か求められているような、そういうふうにしてた方が体力としては楽なんですよ。
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私なんて元々結構ね、体力ないような人間なので、できる方はフルタイムでバリバリのキャリアウーマンをしながら子供を育ててね、すっごい大変だと思うんですけど、できる人はいると思うんですよ。
実際そうやってやられている方もいるかと思うんですけど、私は新卒で入った会社で、ここでのその時求められているね、年齢が上がっていくとどういうふうな働き方を求められるかっていうところを自分の先輩や上司を見ながら見てたときに、私子育てしながらこのポジションやりきれないな、体力的にっていうふうに思って、
そとくさと転職して結婚したっていうようなところもあるんですけども、そういったところね、母親という役割を自分ができる範囲で、そこに集を置いた仕事っていうふうになると、どうしても会社でのポジションとかっていうところはなかなかついてきづらい。
それによって報酬っていうのもなかなか上がりづらいっていうところは感じていたのが、それがすごい母親にあったところのデメリットとして感じているなっていうようなところなんですね。
そういったところにね、なんかどうもね、もやもやしてるよっていうふうに思うところでございます。
私がね、自分は子育て向いていないと思う理由がね、まだまだあるんですけども、私基本的にね、一般的な子供っていうのはあんまり得意じゃないし、そんな好きじゃないんですよ。
子供が好きっていう女性にね、あんまり共感できないタイプで。母親になって苦労して、それでも子育て大変なんだけど、子供が好きってそれでも言える人とか、朝から夕方までね、夕方まで子供何もめくっちゃにされて大変で、それでも子供が好きって言えるね、保育士や教師の人とかね。
もう子供が好きって、子供と一緒にいて苦労しているにもかかわらず、素直にその子供が好きって言葉が出てくるような人がね、本当に子育て向いている人だろうなっていうふうに思うんですけれども、私はそうでもないというところですね。
あとですね、よく最近女性在宅ワークでね、してて感じるメリットとかね、在宅ワークで仕事しませんか?みたいなママ向けの広告の時に、子供が学校から帰ってきた時に、お帰りって言いたくないですか?お帰りって言いたいから私は在宅ワークを選びました。
とかね、子供が体調不良の時に無理に学校に行かなくてもお家で見てあげられるとかいうところをメリットにあげられている方とか、それがすごくいいですとか良かったことです、そういう風な働き方しませんか?っていうような広告だとか、在宅ワークの人のメリットとかですっごいあげられてるんですけど、私そこに本当に共感できないんですよ。
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私どちらかというと専業主婦だった母親に働きに出ればいいのにって思ってたんですよ。家で毎日子供のことを考えて、もしくは近所の同じくらいの子供を持った主婦仲間とお喋りしてて、そこでなんとかちゃんちのお母さんどうのこんので、なんとかくんちはどうなんだってよ、なんとかちゃんちこの前こうなったんだよみたいな、いわゆる子供中心の生活をしている母親を見て、いやいやいや、働きに出ればいいのにみたいな。
もうちょっと違う世界観で生きてみればいいのにって思って、家帰れば母親はいつもいるんで、私自分で鍵をね、たまに母親が出かけたりしてると鍵を自分で開けるってことがあったんですけど、鍵を開けるのが嬉しくてね、鍵っこの子の方が嬉しかったみたいなところもありました。
でね、きっとそんなことを思ってたんで、きっと自分が在宅ワークになったとしても、子供の帰宅時にお帰りって言えることに私はメリット感じないんですよ。子供は嬉しいかもしれないですよ。でも私は別にそこを特に求めてないんですよね、メリットとして考えてない。
子供が学校行けない日に在宅でよかったって思うというよりも、自分の仕事する時間が減ったとかね、そういう意味では会社員の今とあんまり感情変わらないだろうなっていうふうに。物理的に家にいるから子供が家にいても、別にずっと4,6時中構ってなくても大丈夫っていうところはあるっていうね、物理的に家にいるっていうことで子供が家に安いっていうのは別として、
そこに対してすごくよかったなとか、子供が休みたいとか、家にいたいっていう時に一緒に入れてあげられてよかったなっていうようなところあんま感じないなっていうふうに思ってて、この辺から私ってあんまり子育て向いてないんじゃないかなって本当に思っています。
とはいえね、現実的に子供がいて育ててますと、愛情がないとは言いませんと。憎たらしいこともあるし、鬱陶しいこともたくさんあるんだけど、自分の子供はいとしい存在です。っていうところではあるんですよね。本当に憎たらしいことが面倒くさいことも毎日毎日あるんですよ。
うちの家なんか特にね、ちょっとね、発達に特性があるんで、本当にね、長男に比べるとね、面倒くさいですよ。毎日毎日小学校1年生になってね、あれやりたいこれやりたいって言いながらね、それがダメだったりとかね、自分が思い通りにいかないとね、わーってね、昔事じゃないですけれどもね、ちょいちょいちょいちょいね、いやいやいや、もう勘弁してよって思うことはいっぱいあるんですけども、
そういうところがあった上で、別に子供に愛情がないわけじゃないんです。子供には幸せな人生を生きてほしいと思いますし、そのために自分の労力を差し出さなきゃいけないところがあるんだったら、それは差し出しますよ。
ただ、ただですね、ただそこに自分のエネルギーの多くを差し出すことに喜びを感じるかというと、あんまりそうではない。自分でもやりたいことがいっぱいあるから、自分がやりたいと思ったこともやりたい。それに対して子供にリソースを取られるって、そこに対する葛藤は常にあるわけなんですよね。
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というところで、こんなふうにいろいろ考えながら、今日のテーマ、母親になって後悔している。生まれ変わったら絶対子供は生まないと言わないけど、私は子育てに向いてないなというふうに思っているという話でございました。
そんな話、私が子育てについて語っている違和感を考えつつも、子育て向いてない勢がかとかかえながらも子育てしてますというような、そんな話をこれからもしていけたらいいなと思います。
なんだかんだ話していたら24分にもなりましたよ。本当に子供を可愛いなというふうに素直に言える方、そんな母親だったらいいのになと思いながらも、私は意外とそうじゃなかったので、意外じゃないな、ずっと思ってたな、そうじゃないんだよ、そういう立場じゃなくても明るく発信していきたい。
いやー、愚痴もします。だいたい愚痴でございます。私の人生のモットーは、ネガティブな自分をポジティブに肯定して生きていこうというところで生きておりますので、この放送をここまで聞いていただいた方いらっしゃるのかしら。
一人のアラフォーの二人子供を持った母親が愚痴を、母親としての愚痴をここまで吐き出した、あつらつらした放送をここまで聞いていただいた方がいたら本当にありがとうございます。
イラッとさせてしまったら申し訳ないです。一番最初にも言いましたけどね、イラッとしそうだったらね。ここまで聞いていただいて、そっと閉じてくださいって言ったらあれなんですけども、ここまで聞いていただいた方がいらっしゃったらすごいありがとうございます。
今日は日曜日ね、お昼下がりのこんな時間に子育ての愚痴を、これ子育ての愚痴なのかな、私の普段考えているモヤモヤを吐き出させていただきまして、それを聞いていただいたということで非常にありがとうございます。
ていうところで、もうちょっとしたら子供たち、パパと一緒にね、生徒が帰ってきますので、昼食の準備をしてね、待ちたいと思います。ここまで聞いていただいた方、本当にありがとうございました。明日からも何かしら喋ってるけど、こいつ自分、母親を申いてないなと思っているのにこんなこと喋ってるよと思って、これを聞いていただいた方ね、そんなところのね、
言ってるこの本音と言ってることにギャップもあるけど、まあ頑張ってるんだなと思って聞いていただけるとありがたいです。それではまたごきげんよう、良い日曜日をお過ごしください。それではまた。