1. 内向ゲイと左右と上下(#ヨコタテラジオ)
  2. #077 されたいわけじゃないけ..
2023-10-21 27:42

#077 されたいわけじゃないけどしてもらえたら嬉しい×「共感」について考える×…(リプライ:哲さん)

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Host

・いい匂いしそうな男性に声かけられて混乱した話 ・「あ、共感とかじゃなくて。」展示の図録紹介 ・わかるーと言ってる時の脳内快楽物質

とかとかそんな話 #ヨコタテラジオ 077

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00:06
Z世代っていう世代の呼び方あるじゃないですか。
一説によると、1995年ぐらいから2010年生まれの人をZ世代と呼ぶらしいです。
そうだから、現時点では13歳とか、あとは20代前半ぐらいの人を指してるらしいんですけど、
今のほんとに若者って言われてる人たちかな。
結構、新宿とか渋谷とか、あと大久保とか行くと、
本当に新大久保のあたりとかって土日とかって、Z世代大集合みたいな感じになってて、
雨とかだと人が少なくなるかなと思いきや、傘さしながらみんな歩いてるから本当に道通れないみたいな感じで、
そんなところにお前がどんな用があるんだって感じなんですけど、行くことがあるんですけど、
Z世代だなと思いながら街を歩いてますね。
Z世代のXYZっていう世代の名付けがあってのZだから、
じゃあその次は何なのって思うじゃないですか。
調べてみたら、何だと思いますZの後。
名前はあるんですけど、調べたらアルファ世代らしくて、
だからそっちに移るんだっていう感じなんですけど、
アルファ世代っていうのは、だいたい15年単位ぐらいで世代を区切るみたいで、
だから、2010年から2025年生まれぐらいをアルファ世代と呼ぶ。
その次はβ世代なんかな。
βかよって感じですけど。
だから結構、自分も親戚、親類が子供を産んだりとか、
あとは同級生とか同僚とかが産んだりとかってありますけど、
アルファ世代だなとかいう感じですよね。
その次はβ世代とすると、β世代は2025年以降生まれの人のことを指す。
そんなに世代を分けんなよっていう感じかもしれないけど、
事実として、生まれた年っていうのはもう変わらないから揺るぎない事実なんで、
それで区切るとすると、でもβ世代の人はまだこの世にはいないってことですね。
ただ、あと3年もすれば生まれてくるのかな。
生まれてくるというか、ある程度何割かはアルファベータ世代ですみたいな。
そんなのかもしれませんが、Z世代の次の世代の名前はということでした。
03:00
ということでですね、めちゃめちゃ久しぶりの収録になってしまったのですが、
この番組はですね、いろんな意味でマイノリティ30代内向人間の
仕事や研究の感動、もやもや、共感できるようでしかいない、
そんな思考を発信していきます。
横軸、縦軸、様々な広がりから聞いてくださった方々の生活に
奥行きを開放させていけたら嬉しい。
そんなゆるダウナーコンテンツです。
ということですね、時間がないというのは言い訳なんですけど、
環境が変わって、別に住む場所が変わったとかじゃないんですけど、
仕事の内容とかがちょっと変わったりとかして、
慣れるまでやっぱり私そんなに器用な人間じゃないので、
そこでちょっと慣れるためパワーみたいなのに
そっちに力を注いじゃったので、
あんまりこちらに時間を避けてなかったんですが、
今日も今日の24時、あと十何時間後に締め切りがあるので、
大学のね、それやらなきゃいけないんですけど、
ちょっとここで焦っても仕方ないだろうということで、
一旦収録をしてみようと思ったのと、
やっぱり話さないと旬が過ぎちゃうものとかがやっぱりあるから、
今じゃないと、今話すことに価値があるっていうことがあったりするので、
そういうのに向き合いたいと思って、今撮っています。
今回はお便りじゃないんですけど、
リプライトでいただいてたものに反応しよう反応しようと思っても
1ヶ月以上経ってしまったんですが、
ちょっと撮れたらと思います。
なのでリプライ紹介かな、
ちょっとそれに絡めたお話もしたいと思っています。
早速ですがリプライを紹介するところ、
もう9月12日だから1ヶ月以上前なんですけど、
テツさんですね、テツ括弧G6のテツさんですね。
これは僕がポッドキャストの配信とかじゃなくて、
その配信で共感とかじゃなくてっていう点に行きましたっていうのを
8月の配信でやったんですけど、もう2ヶ月前かな。
そこで図録を現場で売ってなかったんで、
後で通販で買いますみたいな話をして、
それが先月の頭ぐらいに届いたんですね。
それが届いたよっていうのをツイッターで載っけたら、
テツさんが図録気になります。
先日の配信でのここにいない人の明かりっていう展示ですね。
ポッドキャストに似てるかもしれないっていう話、
面白く配置をしました。
06:00
確かにそうかも。
配信者としてお互い言葉という明かりを灯していけたらいいですね。
ということで素敵なリプライをいただいてたんですけども、
テツさんありがとうございます。
そうですね、図録気になるっていうことなんで、
後でお話しできればと思うんですけど、
その前に話しておきたいことっていうか、
自分にとってはアクシデントと言ってもいいようなことが
起きたんですけど、
テツさんといえばっていう話ですね。
つい2、3週間前ぐらいに、
新宿2丁目の音楽イベントに行ったんですよ。
一人で行ったんですね。
夜行性ナイトっていうやつで、
ずっと真夜中でいいのにと、
あと夜シカと、あと夜遊びっていう、
夜をユニット名に持つグループの音楽だけを流しますみたいな感じでやってて、
僕、全部好きなんですけど、
特に夜遊びも好きだし、
全部曲が分かるのは夜遊びかなっていう感じで、
一人で行ったんですけど、
行けば友達誰かいるかなと思って行って、
あの時は何人かいたから一応楽しんでたんですけど、
そしたら、そこでひときわ筋肉死した人がいて、
いるなーっていう感じだったんですよ。
ギリギリ寒いぐらいの日だったから、
僕は長袖で行った気がするんですけど、
長袖の人いると思って、
ああいう肩回り憧れるよね、
肩大事だよねみたいなことを自分で思ってたんですね。
まあ、そういうことって普通に日常的にあるから、
自分の中では。
その後、またフロアではしゃいでたんですけど、
そしたらちょっと時間が経った後に、
さっきの人だと思ったら、
その人がこちらを向こうを見て近づいてくるんですね。
で、隣で止まられて、
ちょっと一礼されてどうもみたいな感じで、
だったんですけど、
自分と関係ないはずの人なんだけどと思ったんですが、
第一声、
音楽かかってるから、
ちょっとお互い声張りながらなんですけど、
もし人違いだったら申し訳ないんですけど、
っていうふうな感じで第一声かけられたんですね。
で、僕もその時点では、
絶対この方は僕に関わりない人なはずだから、
これマジで人違いのやつだと思ったんですよ。
申し訳ないなと思いながら、
人違いですって断らなきゃいけないなって、
その瞬間を持ってて、
09:01
人違いだったら申し訳ないんですけど、
堀部さんですか?って聞かれて、あれ?と思って。
全然、
少なくとも顔は割れてるんだ、
みたいなことは分かって、
その時点でも、どうなっただろうって思ってて、
イベントの入り口とかで、
例えばお金払わせたいとか、
そういうことに注意を受けるのかな、
みたいな感じで、すごい丁寧な感じで、
話が来てくれたので。
そしたら、受付の方もいると思うんですけど、
それが堀部さんですか?って言われて、
はいって答えたら、
G-LOGのテツですって言われて、
テツさんのやられてるポッドキャストの番組ね、
G-LOGって言われて、
さらにめちゃめちゃ混乱したんですけど、
いろいろ情報が多くて、
わざわざ挨拶しに来てくださって、
それ自体はすごい嬉しかったんですけど、
僕の中でのテツさんのイメージと、
全然違ったっていうのもあって、
サムネイルで、
なんとなくシルエットを出されてるんですけど、
その時の髪型と今の髪型が違うっていうのも、
大きいと思うんですけど、
それにしても全然違って、
本当マジで自分には用ない感じの、
関わりがないだろうな、みたいな人に思ってたから、
その人がさ、
想像してみてほしいんですけど、
そういう感じの男性が近づいてくるのをね、
想像していただくと、
めちゃめちゃ混乱するんですよ、想定してないから。
多分ですね、
静かな空間だったら、
声で気づけたと思うんですね、
僕そのテツさんの番組も何時間も聞いてるから、
だけどそういう音楽の場だったから、
お互い声張ってたから、
それでちょっと気づくのが遅れちゃったっていうのもね、
悔しいポイントですね、
先に声で気づきたかったっていうのがある。
そこ初めてお会いできて、
不意打ちではあったんですが、
わざわざ声かけてくださって、
あんま記憶ないんですけど、
どんな話したか、
またお話しましょうねみたいな感じで、
終わられたので、
解説してくださったことは嬉しいし、
お会いできたことも嬉しいんですけど、
めちゃめちゃ混乱しましたっていう話でした。
人違いだったら申し訳ないんですけどって言って、
マジで人違いの場合あるんだと思いましたね、一瞬。
そんな感じで、
テツさんお会いできたんですよっていう話をね、
12:00
言ってくださったんです。
お会いできてよかったですね。
いつもコメントありがとうございますって言えよって思ったけど、
それは多分言ってないと思うので、
この場を借りていつもコメントいただきましてありがとうございました。
お声もおかけいただいて。
逆に僕が逆の差し話だったら、
声かけられなかったと思う。
全然なんか、
逆に僕、別のポッドキャストの方とか見かけたりしたんですけど、
そういう人は、
記憶ないし、
実際そうじゃないと思うんですけど、
いい匂いがしそうな感じの、
オーラがある人には、
知り込みしちゃうみたいなところがあって、
あとは普通にその場で楽しまれてるっていうのがあるので、
そこのタイミングとかはね、
見計らるのがあれだと思うんですけど、
多分その時は逆に僕は、
多分友達といたけど、
その時は話したりしてなくてちょっと離れてた時だったんで、
タイミング見計らってきていただいたんだろうなと思いますが、
ちょっとそこはね、
自分の修行が足りないなと思うところなので、
声かけてくださってありがとうございました。改めまして。
ということでですね、
あと、図録気になりますということでコメントもいただいたので、
鉄さんにね、
ちょっと紹介、どこまでしていいかって感じなんですけど、
そもそも、
教官じゃなくてっていう展示の図録で、
これがタイトルなんですけど、
教官とかじゃなくてっていう展示の説明のところをちょっと読みますね。
教官というのは、
誰かの気持ちや経緯を
理解する力のことです。
優しさや思いやりを生み出す大切な力です。
でも簡単に教官されると、
自分の気持ちを軽く見られたような気がすることもあります。
わかるでしょ?と、
教官を落ち着けられて嫌な気持ちになることもあります。
教官されたくない時、
したくない時もあるのです。
だから、教官をしなくても大丈夫だよというメッセージを込めて、
教官とかじゃなくてという言葉を
皆さんに手渡したいと考えます。
というのが、
教官じゃなくてという展示の趣旨というか、
コンセプトみたいなものらしいですね。
5人のアーティストの方が、
それぞれ展示をされているんですけど、
それぞれの方の、
作品の説明とかほぼ一切なくて、
ずっとタイトルが載っているんですけど、
説明みたいなものはなくて、
唯一あるのは、多分この本じゃないと載っていないのは、
各作家さん、
アーティストさん、クリエイターさんへの
質問があって、それに対しての
15:02
回答、Q&Aみたいなのが、
1ページずつあるという感じなんですね。
僕が気になったというか、
面白いなと思ったのが、
5人の中の3名だけ紹介したいと思います。
山本真希子さんという方ですね。
家の中に巨人の歯があるみたいな、
ぶっ飛んだ展示をされていた方は、
Aの質問ですね。
人間は巨人や植物に共感できますか?
人間以外の存在に共感や理解をできると信じることはできますか?
人間は巨人や植物に共感できますか?
人間以外の存在に共感や理解をできると信じることはできますか?
という質問ね。
山本さんの回答。
2012年に私が感じた巨人は一人ぼっちで泣いていました。
その巨人のことが知りたくて動き続けてきました。
巨人に質問をしても、私が思っていることとは
違う反応が返ってきます。
ほとんどは無反応です。
無反応であることに私が動く意味が隠されているように思います。
植物に触れているとつい
人間と同じような感情を持っていると考えがちですが
私とは全く異なる生き物であると思っておかないと
大変な間違いをしてしまうことがあるなとあるとき気づきました。
大変な間違いをしてしまうことがあるなとあるとき気づきました。
この地球に存在するあらゆるものや生き物はどうしてそこにある、いるのか
あり続けるものとなくなってしまうものが
存在するとはどういうことなのか
巨人、落し物、植物の
3つを手がかりに考え続けています。
きっとゴールなんてありません。
でも私が生きている限り見えない巨人の背中をずっと見続けながら
自分を奮い立たせています。
という感じで
1行目からよく分からないんですけど
でもなんか
巨人っていないじゃないですか。
だけどたぶん山本さんの中にはいて
それがたぶん何らかの
自分の中の行動原理を生み出しているんですよね。
たぶん。
それが原動力になって何か発信して
たぶんそれを見て
よく分からないけど
ここは分かるみたいなのとかがあったりするっていうのが
たぶんこの山本さんの
正直僕も別に見ててどういうことみたいなばっかりだったから
正直分かんないんですけど
全然分かんないことを胸を張って話している感じが
かっこいいなと思ったので
ちょっと紹介しちゃいました。
あとは渡辺さんですね。
渡辺敦史さんっていう
引きこもりの展示やってた人ね。
絵の質問ですね。
共感にできることは何ですか。共感にできないことは何ですか。
ちょっと変わった
18:00
含みのある質問ですけども
渡辺さんの回答が
共感して話を聞こうという呼びかけをどこからともなくいく度も聞いてきた。
でもそれ自体ちょっと矛盾している。
共感って感じることだから
声に落ちることのように気がついたら共感してしまっている状態の方が
真実味がある。
偶然に高い純度で発生した相互共感は
意気投合とでも言うのかな。
でも意識的に行う共感というのは
前提に優しさや善意があると思う。
共感はそれを得る機会が少なかった人の
心の小暴りを緩めることができるかもしれない。
ともあれ、教会の何割分かはいつもきっと
勘違いでできている。気をつけないといけない。
共感は良きことと疑わない人から
分かるよって善意で肩をポンと叩かれても
正直やっとしてしまうこともあるんですよね。
ってことですね。
だから共感をする
姿勢を正して共感しようぜ
みたいな感じで
ちょっと矛盾してるみたいな話ですよね。
雑談とかにも似てるかもしれないですね。
はいじゃあ雑談してくださいみたいな言うと
ちょっとしづらいみたいなさ。
あるかもしれないけど
でも自然発生的にしてたら雑談で2時間
経っちゃったなとかある。
それに近いかもしれないですね。
分かるよと。
共感の何割分かはきっと勘違いでできている。
コミュニケーションの何割分かは
もう全部勘違いじゃないかみたいなことを
森先生も言ってたり森博先生ね。
コミュニケーションはそもそもそういうものじゃないのかな
みたいなことはあるかもしれない。
共感は良きことと疑わない人から分かるよって
善意を叩かれても肩を叩かれても
正直イヤッとしてしまうこともあるんですね。
だから共感が必ずしも
絶対的なゴールかっていうと違うっていう話でしょうか。
最後ね中島かやこさんっていう
僕が一番気に入ったみたいな話を話した
黄色い壁の話ですね。
ちょっとセクシャルマイノリティ的な
分断の意味も持っているみたいな。
その中島さんへの質問が
安全な場所とはどういうところだと思いますか。
対話の場を安全にするには
どうしたらいいですか。対話の場。
中島さんの回答は
僕がすごい好きな回答なんですけど
小学生の頃私はよくイルスをした。
自分の時間を守るためには
この方法しかない気がしていたし
単純に予備輪の音も怖かった。
相手に自分の姿が見えないように
壁の後ろで静かに息をしていたのを覚えている。
21:00
約束の時間に遊びに来た同級生や
いつも野菜を持ってきてくれる近所のおじさんには
バレていたしひどいことをしたなと
今では思う。
対話ってやつは何だかいつも
善人のような顔をしている。確かに素晴らしい面もあるけど
同時に暴力的な面もある。
同じテーブルを囲めば対等に話ができるってわけじゃないのに
何か免罪符のように使ってしまうこともある。
違う経験を持ち
社会的な状況も違う。
権力差だってある。
必要な時は対話にもイルスしたいし
共感の前にその不均衡を思い出したい。
みんなが気楽にイルスできれば
安全な対話の場にも一歩近づくかもしれない。
最初から逃げてるっていうか
そういう選択肢を
基本なんかやっぱり
選択肢が狭まっちゃうってこと自体が
不満というか
ストレスとかの種になるかなとか
不安を生んだりとかってことがあるのかなと思うので
安全な場所っていうのはある意味イルス?
逃げるでもないんだよね。
イルスしてる状態ってさ
息を潜めてるってことはある意味めちゃめちゃ
対象に対しては
こちら側としては気を払ってるじゃないですか。
むししてるとこともまた違うから。
気づかれないようにするっていうことは
ある意味
相手の求めているものとは違うが
正義は正義じゃないかなっていう僕は思う。
なんかそれもそれで
さっきの巨人の話で
巨人は何も無反応なんだけど
であることが1つの私に対しての原動力になるみたいな話があって
信号って0か1か 電子的な信号って0か1かなんですけど
別に1だけに価値があるわけじゃなくて 0 何もない 信号がないっていうことも
意味があるんで ある意味そういう意味での選択肢とか
コミュニケーションみたいなのはあるんじゃないかなっていうのが
そういうのが手が取れるっていうことは ある意味安全な場所であるっていうふうに言えるんじゃないかみたいなので
他の方の回答に比べると 自分の中の腹落ちが結構できたなっていうのが中島さんのことなんですけど
多分中島さんの意図するものとは全然違う気がするんですが
自分の中ではそういうふうに解釈できたっていうところが 面白いなと思ったのです
はい そうっすね なんかね 多分 総合すると人は共感されたいっていうよりも
24:09
共感したいっていう気持ちが強いのかもしれない なんでって書いてわかんないですけど
わかるっていう人 最近言った人もいれば 言われた人もいるかもしれないですけど
わかるって言ってる人たちの みんな気持ちよさそうなんですよね
だから結構その瞬間に快楽物質が出てんのかなみたいなのがあって
そういう意味だとやっぱり人って分かりたいみたいな気持ちを
現実的な感じとして持ってんのかなみたいなのをちょっと思いました
ただ共感されたいわけじゃないみたいなのが矛盾っていうか
だからみんながみんな ウィンウィンにはなれないよね
本当にそうだとしたら
そうですね この図録の紹介はこんな感じになるんですけど
あとは担当の学芸員の方が書いたコメントとか あと俳優とかやられてる
あと多分文章も書かれてると思うんですけど 永井みじかさんっていう人のエッセイも入ってて
それも面白かったので 読み物として面白いものでした
この展示自体は11月5日まで東京でやってるので
よろしかったら行ってみてくださいっていうことでしたね
何が言いたいかというと この番組としては
この番組の中で共感に対してのスタンスっていうところを表明しておくと
やっぱり自分が話してる内容の中で共感あったら嬉しいですよ
嬉しいけど求めるってほど 共感を求めているってほど期待してないっていうのも事実で
あんまり自分が言ってることって共感できないだろうなって思いながら話してるから
でもそれでもいつか誰かに刺さったら やってよかったなって思えるとは思うなと思いながらやってる
そういう意味では共感されたいってわけじゃなくてしてもらいたい
自分がされたいんじゃなくてしてもらいたいっていう話ですね
それはだから属性が同じであることを求めるっていうのではなくて
むしろ属性が違うのにでも分かっちゃうっていうところが尊いのではと思いますね
それは引いては違ったっていいっていうことの肯定にもつながるんじゃないかなと思うので
27:03
そういう感じで今後も共感されないだろう話をどんどん発信していきたいなと思っていますので
そんな感じで今回は終わりたいと思います
ということでいろいろ話が広がりましたが
総合室の鉄さんとお会いできてよかったですということで
コメントもいただけてありがとうございました
ということで今回の配信はこの辺りで終わりにしたいと思います
次いつになるんだろう
では今回はこの辺でありがとうございました
バイバイ
27:42

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