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2012-02-14 09:16

vol.6-1「画家・松井冬子ができるまで」

現在もっとも注目を集める画家のひとりである松井冬子氏。独特の世界観を日本画の技法であらわすことで知られていますが、その幼少期はどんな少女だったのでしょうか?また大学時代は?











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皆さん、こんばんは。本日のラジオ美術館のインタビュアーを務めさせていただきます、早川洋平と申します。
お持ちかねの松井冬子さんのご登場の前に、簡単にお話しさせていただきたいと思います。
松井冬子さん、1974年、静岡県森町出身。2002年、東京芸術大学美術学部、絵画科、日本画専攻を卒業されました。
2007年、同大学大学院美術研究科、博士後期課程美術専攻日本画研究領域修了。
同大学日本画専攻の女性としては、初の博士号取得者となられました。
主に、剣本に岩の絵の具を用いて描く古典的な画法で、女性や花、その幽霊などを描き、内臓や身体器官をモチーフにしつつ、自己分析的に痛み、狂気を絵画で追求していらっしゃいます。
長らくお待たせいたしました、画家の松井ふゆ子さんをお迎えしたいと思います。
こんにちは、松井ふゆ子です。今日はどうぞよろしくお願いいたします。
僕も松井さんと先週もちょっとご挨拶させていただいたんですけども、すごい緊張してるんですか。
そうなんですよ。
実は松井さんも緊張しているということで、年末の皆さん、紅白歌合戦もご覧になったかと思いますが、
数多くのメディアにも出られてて、さぞ緊張することはもうないのかなと思ったんですけども、そうでもない。
もう全然です。もう本当にあがり症で、いつも、今日も2時間ぐらいしか寝れませんでした。
それがちょっと意外な感じなんですけども、ぜひぜひよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
早速なんですけども、ご自身が覚えている最初に描いた絵っていうのはどんなものだったのかな。
たぶんね、結構小さい頃からいろいろ描いていたとは思うんですけど、初めて上手くいったなっていう満足感を得たのが、
確か小学校1年生の時に、かぐや姫も描いたんですね。
十二人絵の着物を重ね入りがいっぱいありますよね。
あれをすごい細かく描いて、色分けもしっかりして、結構完成したなみたいな、傑作だみたいな。
そういう感じの印象があったのが、確かかぐや姫だと思います。
私もえぇって思って普通に聞いてましたけど、落ち着かないと小学校1年生でかぐや姫を描くっていうのは、結構すごいなと思ったんですけど。
そうですかね。
それは小学校の授業で?
いやいや、普通に自宅で趣味で描いてました。
そこにあまり突っ込まれても困ると思うんですけど、それは何か無意識でっていうか、家にそういう何かがあった?
小さい頃から絵を描くことがすごい好きで、もう外で遊ぶのも好きだったんですけど、結構外で遊ぶか、家でずっと絵を描いてるか。
絵を描き始めるともうすごい集中しちゃうので、結構親に怒られましたね。いつまで描いてるのかっていう。
本格的にその画家を志そうって思ったのは、いつ、どんなきっかけで?
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これは小学校3年生か4年生の時に、モナリザの絵を私の小学校の図書室の受付のあたりに、薄暗い図書室の受付にモナリザがかかってたんです。
モナリザって、ルーブル美術館に行くと結構明るくて、またちっちゃくて遠くて人だかりがあってっていう環境で見るじゃないですか。
でも、たぶん私が見たのは全然レプリカなんですけど、展示の仕方としては結構最高の状況で展示されていて、
薄暗い中にモナリザがかかってたわけですね。正しい展示の仕方だったようには思うんですけど、
モナリザがかかっていて、その目の前に廊下があるんですね。
その廊下をこっちからこっちに移動している間も、ずっとモナリザがこっちを見ている、そういうふうに描かれているんですよ。
モナリザはどこに行っても視点が合うように描かれているんですけど、それは後で勉強したことですけど、
その時はやっぱり気持ちが悪いなというふうに思っていたのと、でもすごく美しくて、これが芸術家というものなのかというふうに思って、
それがレオナルド・ダ・ヴィンチで、母に私は芸術家になりたいというふうにはっきりと言った記憶があります。
それはいつ頃?
小学校3年生か4年生かな。
その時お母様は何と?
本人は全く覚えてないんですけど、じゃあ東京芸大に行ったらどうですかっていう感じで。
小学校4年生の時。
実際、東京芸大にもチャレンジされて、残念ながらうっからなくて別のところに行かれたんでしたっけ?
はい、そうです。女子美の短期大学に進学したんですけど、女子美は女子美ですごく楽しくて、
結構芸大の学生の人って本当に真面目で、本当にハイカルチャーを追い求めてるんですよね。
女子美の場合は結構サブカルチャーがものすごく強くて、
漫画、音楽、そういう面白いことに、ファッションであったりとかそういうことにすごく興味があって、
いろんなその文化を吸収できた、すごく楽しめた。
なので女子美の時にいたお友達からはすごく影響を受けてます。
確かな情報かわかんないですけど、噂によるとその時代か何かに、坊主にした時期もあったんですけど。
これは確かな情報でしょうか?取材も。
そうですね。ファッションですよね。
女子美って女子しかいないから振り切れちゃうんですね。やることが。
ファッションもやりすぎっていうぐらいがかっこいいと思われてるので、私もファッションで坊主に。
ある意味別に吹かないわけですよね。
全然。結構私が坊主にしたら、2,3人ぐらい真似してくれて、3人ぐらい坊主にして、坊主が流行った時期があって。
ちょっと想像してしまいましたね。
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そんな中で、当初は日本画ではなかったわけですよね。
そうです。その時は油絵を描いていました。
やはり日本画に惹かれたターニングポイントみたいなのがあったと思うんですけど、それはいつごろどんなところ?
女子美を卒業して、その後4年間浪人するんですね。
最初の2年間ですね。だから高校を卒業して4年間は油絵を学んでいました。
最後の2年間で日本画に変わって東京芸大の日本画に入りました。
日本画に途中で転校するというか、そこは何か人との出会いだったのか、作品との出会いだったのか、そのあたりは?
そうですね。最初の4年間って結構油絵をすごく勉強していて、当時はマークロスコとかタピエスとかいう色面絵画が結構流行ってたんですよ。
要するに抽象的なもの。色だけで、画面一面を2つの色、青と赤だけで色だけで色面で見せるみたいな。
そういう感じの油絵の作品が結構流行っていたんですけど。
結構その時、油絵をおこがましいですけど、勉強しつくしたというか、結構見た、見つくしたっていう気持ちがあって、別のジャンルちょっと見てみようとして。
日本画の本棚とか、いろいろ図書館に行って、いろいろ見ているうちに、長谷川東博の少林寺屏風を見まして、
あの時に衝撃で、これはなんと日本美術すごいぞと、モナリザに匹敵するような素晴らしい絵画が日本にもあったの。
なんで今までスルーしてきたのか、それが逆に疑問で、今までなぜ油絵をやっていたんだろうという気持ちになって、すぐに日本画は可能性があるというふうに感じで動きました。
いろんなところでも取材を拝見していると、日本画は最強だというコメントが出てますけど、やはりそういう印象を持ったんですか。
そうですね、日本画は本当にかっこいいジャンルだと思っています。
なかなかそれ感性的なものなので、うまく説明するのって難しいかもしれないですけど、あえて言語化するとどういうところが日本画っていうのは。
そうですね、薄い紙に薄く描いていくんですけれど、その線一つの集中力というか、油絵って割と絵の具を重ねて、ずっと好きなだけ重ねていくことができるんですけど、
日本画の場合は下地をきっちり作っていって構築していって、一本の線を集中してスーッと描く、その中精神性の高さというか緊張感というか、やっぱりその辺が違いますよね、かっこいいですよね。
今ね、下地って言葉も出てきましたね。後ほど描くということにも少しフォーカスしてお聞きしたいんですけども、一つ日本画をお聞きしてちょっと話したいなと思ったんですけども、もうやり直しは効かない?
基本は効かないんですけど、時々ごまかしたい気がします。
いいインタビュー引き出してしまいましたが。
でも基本は一発勝負ぐらいの意識で当然やってるわけですよね。
もう基本は絶対決めなきゃいけない場所っていうのは朝から緊張して、お部屋中をきれいに掃除して、今日は行くぞっていう気持ちで、絶対にそこは外さないっていう日はありますね。
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あとたまに背景とかで、あ、ちょっと間違っちゃったみたいな時ありますけど、それ以外は。
肝は外せないってことですね。
はい、そこはもう絶対に一発決めで。
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