アフターノート・山口市映画館の歴史と展覧会
今、アフターノート・山口市映画館の歴史という展覧会がやっていると同時に、YCAMの中では、遊べる図書館、スペキュラティブライブラリーという、
図書館とついているんだけど、本の貸し出しみたいなことじゃなくて、いろんな人の記憶だったり、思い出だったり、知識みたいなものを
蓄積したり、共有したり、また新しいアイデアにつなげたりということができるような空間も、展覧会として展開していたりします。
その中の、みんなの記憶とかを引き出す装置の一つとして、声のライブラリーという仕組み、システムを会場の中に置いているんですね。
それがどんなことをしてくれるかというと、質問を投げかけてくれる。何かしらこの町の山口市のことであったりとか、その個人の記憶を思い出させるような質問をランダムに投げかけてくれて、
山口市にあってほしいもの何ですか?みたいなね。それが、これに対してこうやって、私たちも今マイク使ってラジオしてるんですけど、
こんな感じでマイクがある空間があるので、それのマイクに向かって答えると、それが自動的に認識されて文字に変換されて印刷される。
その印刷されたものを見て、ちょっと間違いとかもあったりするときあるので、少し赤入れをして、それをどんどん残していくみたいな。
だから過去にこの人はこういう質問に、こういうふうに検討したんだな。こういうふうな赤入れが入ってるから、ここを悩んだりとか、ここを言い淀んだりとかしたのかな、みたいなことが見れるような仕掛けというかシステムがあるんですけど、
ちょっとアフターノートの展覧会会場の近くにも、アフターノート版みたいなのを開けてるんですね。
でそこで、この展覧会を見た後の人に、ぜひ聞きたい。ぜひ思い出してみてほしい。ぜひこうなんか話題として一つちょっと考えてみてほしいっていうことを聞いてるんですけど、
ちょっと今日はこの質問を、こちらのラジオの方でも、もしむらさんとかに聞いていけたらなと思ってるんですけど、
3つ質問があって、最初の一つが、あなたが初めて映画館で見た映画は何ですか?その時の思い出も教えてくださいっていう内容なんですけど、
アーティストトークの中でも触れてたと思うんですけど、改めてちょっとこう、これに答えてもらったり、これに答えた他の人の話を聞いたりみたいな話でもいいんですけど、
ちょっとこう質問1個1個にまつわる話みたいなのがしていけたら面白いかな。そもそもしむらさんが初めて映画館で見た映画って。
これがですね、このアフターノートの展覧会を準備しているときに、映画担当の前原美織さんが、たぶん最初の打ち合わせかな、リアルなときに聞いてくれたんですよね。
その質問がすごい、今でも印象に残ってて。山口氏の映画館の歴史だから、僕の映画の初めて何が見たかって関係ないと思うんだけど、いざ考えるとすっごいいろんなことを思い出したんですよね。
ちなみに僕が覚えているのが、小学校を上がる前に、おばあちゃんとビックリマン、ビックリマンチョコってありますよね。ビックリマンのアニメを見に行ったんですよね。
しかも覚えているのが、内容は一切覚えてないんですよ。本当に気象転結は一切。2回見た?
たぶん同じ日に2回見た記憶は覚えてて、自分から観たいって言ったのか、おばあちゃんが僕が楽しそうにしてたから2回見させてくれたのかわかんないんだけど、2回見た記憶まで覚えてて。
それが確実に初めて見た映画の記憶で、それまでおばあちゃんのことあんまり思い出さなかったのに、その質問されて思い出したときにブワーって、
映画だけじゃなくて、それこそビックリマンの内容を覚えてないくらいだけど、おばあちゃんのこととか、小さかったときのこととかを思い出して、ちょっと泣きそうになったんだよね。
だからこの企画って、すごく街の歴史だったり大きな山口の歴史も振り返りつつ、個人史、個人の記憶を辿らせるような企画なんじゃないかなって思ったんですよね。
そういうトークの中の天末があって、声のライブラリーというシステムの中にさっきの質問を足したっていうのもあるんですけど、
本当に展覧会自体もそうだけど、みんな1個のきっかけで本当に火がついたように鮮明に個人的なことを思い出すんですよね。
なんかその感じがすごく不思議で、全体像としてはすごくクリアな歴史じゃないんだけど、どんどんズームしていけるみたいな、不思議な解像度の高さがありますよね。
一気に解像度が上がっちゃうっていうか、記憶って本当不思議ですよね。眠ってるんだけど、それをいかに引き出すかって、それはこういう質問であったりとか、切り口だと思うんですけど。
それこそ最初に素材って話をしてくれてましたけど、展覧会が。本当にきっかけみたいになってる。
ちなみに山岡さんは初めて映画館で見た映画。
声のライブラリーと質問への回答
これほんとね、人のやつ聞くのが楽しいですね。
面白いですよね。
初めて映画館で見た映画は、いくつかどっちが古いのか分からないんだけど、覚えてる中で多分これなんじゃないかなと思うのは、
昔のトトロも父親と母親と、あと生まれたての弟と一緒に見に行ったことを覚えてます。
それは、自分も映画の内容ってよりかは、その時のトトロめちゃくちゃ人入ってて、ずっと立ち見だったんですよね。
今ないですよね、映画の立ち見。
今思い出してきた。
すごく人がたくさんいて、僕抱きかかえられながら2時間見てたと思ったんですよ。
これ前もね、少しけいなちゃんとかとも話をしたけど、今改めて思い出すと、抱きかかえられてたのは、僕じゃなくて弟だったかもしれない。
僕は人がたくさん並んでる中で、背伸びをしながら何とか前を見ようとしてたかもしれないなって今思い出しました。
すごいですね、映画の中身ってよりかは映画の外見。
本当に自分がどう見てたかが結構はっきり思い出されてくるっていうか、結構これ感動しますね。
失くしちゃったものが出てきたって感じ。嬉しいなって気持ちがします。
素敵な例えだね、失くしちゃったものが出てくる。
自分の中にはあるんだよね、残ってるんだよね。
そうですね。
それを回答するみたいな。回答ってあんまりいい言葉じゃないけど。
そうだな、本当に眠ってたものが奥の方の引き出しの端っこにしまってあったものが、今ほこりかぶって出てきた感じする。嬉しいな。
嬉しい?
嬉しい。
本当に感謝する気持ちというか、その質問をしてくれたマヤさんに感謝したんだけど。
本当、質問ってプレゼントみたいですね。
おもろ。
いいこと言いねえ。
素敵だなあ、なんか。
えー、2本候補があって、私も。
平成狸合戦ポンポコか、ナイトメア・ビフォーア・クリスマスっていうストップモーションのアニメか、どっちかが一番最初。
で、ナイトメア・ビフォーア・クリスマスに関しては、当時、多分字幕しかやってなかった。もしくはそのタイミングで字幕しかなかった。
映画館での初めての映画体験
字幕バージョンしかなかったから、母親が、マナーがいい話じゃないんですけど、これ。
母親がずっと、90分ぐらいの映画だと思うんですけど、横で囁いてくれてたんですよね。漢字が当時読めない。まだ幼稚園とか。
字幕だったんだね。
そう、字幕だった。だから、こういうことになってるよっていうのを、ずっと母親が横で囁き続けてくれていた記憶だけある。
耳ホカホカ鳴りそうな映画だった時。
し、いわゆる映画館に居続けられるタイプ。今はちょっとシネコンってチケット買って、映画館入ったらすぐ出なきゃいけないと思うんだけど。
一回もう上映終わったらね。
昔、ずっと入れたんですよね。同じシアターの中に。で、ずっと同じ映画がリピートで流れてて。
ナイトメア・ビフォーア・クリスマス、一緒にセットになってる映画の短編がなんかあって、短編のむちゃくちゃ途中から入って、
全然話わからんって思いながら見てて、その短編のオチがわかるところまで見て帰った記憶があります。
もう一回すごい中途半端なところで出て帰った記憶があって。
確かに内容っていうより、自分のしてた行動とか行為とか。
体験だよね。
それこそ、なんだろう。なんかすごい母親がそれを言ってくれるのが、なんか妙に嬉しい感じというか。
かまわれてるみたいなことだったかもしれないけど。
なんかすごく充足した気持ち。確かにプレゼントみたいですね。
しかもさ、今3人ともさ、おばあちゃんに連れて行ってもらったとか、お母さんが耳元でずっと支えてくれたとか。
なんかそれこそ映画をプレゼントみたいに最初見たんだなとか。
誰かに愛されてたことを思い出したりしますね。
本当ね。そういう気持ちになるんですよね。
うちらがラッキーだっただけかもしれないけど、わかんないけど。
もちろんね、いろんなことがあると思うけど、なんかすごくこう、わー。
やばい。何とも言えず満たされていた気持ちみたいなものを今思い出したな。
マジマナー悪いって思いますけどね。今からね。
けなちゃんとお母さんの隣のお席の人はこの人とずっと喋ってるなって。
何なんだろうって思ったと思う。本当に今となっては。
でも、明らかにちっちゃい子供がいて。
ちょっと映画としてすごい子供にキャッチーかっていうと、ちょっと怖かったりするような映画なので、それが。
多分、浮いてた。子供いないって思った。
すごい思い出してきた。
子供いねーって思った気がします。
すごいね、思い出すね。
なんかね、周りがいるってのがすごく重要な気がしていて、
これがなんか、自分の家の中で映画とかだとそこまで鮮明に思い出せないんだけど、
映画館に行くって、そこはさ、他のお客さんがいて、社会なんだよね。
他者がいて。
なんかちょっと緊張してたりとか、恥ずかしいとか、なんかそういう、社会の中に飛び込んでる。
分かる?
分かります。多分それでちょっと緊張したんだと思うんですよ。自分が子供がいないことに。
っていう中で、母がずっと囁き続けてくれてることが、絶妙に安心とか。
なんかそれで、充足感っていう言葉が出てきたような気がしますね。
俺もお兄ちゃんだから、周りの人にちゃんと立派なお兄ちゃんだなって思えるように、
ずっと立ちっぱだけど頑張ろうみたいなことを思ってたかもしれないって思い出した。
しかもさ、抱っこされてた気がしてたけど、それは弟だったっていうのはさ、
本当に邪性だけど、抱っこされたかったのかな、本当はとか思うんだよね。
かもね。
なんかそれ想像するとちょっと泣きそうになるというか。
いいよ、泣いても。
すごいよね。映画の話ほとんどしてないのに、映画館の体験の話でこんだけ盛り上がれるって。
弟泣くかもしれないけど、緊張感で弟の方ばっかり見せたのかもしれない。
そうだよね。
それこそジブリって何回も見る経験あるから、その後の記憶でどんどん変わってるかもしれないけど、
最初って本当にそっちが残るんですね。
みんなの聞いてみたいよね。
本当に。たくさん声のライブラリーやってほしいんだよね。
そうですね。
プリントアウトされて見れるっていうのがまたね、アーカイブが見れるんで。
そうですね。記憶が記録になる場所なんですね。
そうですね。記憶が記録になる場所まさにだと思うので、
展覧会への誘い
ちょっと本当にいろんな人のを見るつもりでも、ぜひ展覧会に来たら立ち寄ってほしいですね。
やってほしいですね。
声のライブラリーに入ってる質問が3つ、さっき言ったんですけど、
1つがさっき言った、あなたが映画館で初めて見た映画なんですか?
映画館での思い出を教えてください。
ここは結構ね、一緒になるケースも多いと思うんですよ。分けてはいるんですけど。
もう1個聞いてるのが、あなたの家にずっと捨てられないものはありますか?その理由も教えてくださいっていうもので。
これなんか聞いたことある。
これ一見ね、映画とちょっと関係ないじゃないかみたいなこと、映画館と関係ないじゃないかっていう感じなんですけど、
今回の展覧会、それこそ前回のぐるぐるラジオとかで話したことがかなりここに入ってるんですけど、
なんかすごく今回、いろんな人の捨てなかったもの、取っておいたものに助けられた展覧会だった話がありましたよね。
なんかこう、亡くなったお父様が取っておいたポスターとか、捨てようと思えば捨てることもできたけど、
映画館での思い出
家にあったからこそ今回こういうふうに日の目を見て、それこそ日の目を見たって言ってくださったんですよね。確かにお持ちにくださった方が。
なんかそれすごい印象的で、なんかそういうこう、映画館はちょっと飛び出すかもしれないけど、記憶と記録の話にタッチするような質問、
絶対1個入れたいなっていうことで出てきたのが、ずっと捨てられないものありますか?
これなんかパッと思いつく、ずっと捨てられないものありますか?
前回のね、グルグルラジオのお悩みさんで、僕がね、物が減らないっていう話をして、なんだろうね。
ちなみに志村さんは、本当に何回も活動拠点を変えていて、おそらく普通の人よりいっぱい引っ越しをしているが、
すんごく物が多い。そしてそれが捨てられないっていうことが、ある種悩みであり、でもなんかそれに本当に捨てられるようになりたいんですっていうよりは、
なんでそうなんだろう?みたいなことに興味がある。
そういう目線で家を見るの本当に面白いなと思って。
っていうのと、あとマジで怖くなったっていうのがありますね。
その前のラジオの時にも言ってたんですけど、自分だけの責任じゃない可能性があるっていうふうに、物に対して思ってしまう。
なんかここで私がこれを捨てることが意外とこう、そんなことなかなかないと思うけど、文化の創出につながるんかみたいな。
これちょっとラジオで流してもらうか、ちょっと後で検討したいんですけど。
なるほど。
僕は昔付き合っていた彼女に送った写真のアルバムが、自分用に、彼女と行った場所とか撮影したものとかをネットプリントでアルバムにしてくれるサービスがあって、
彼女用と自分用で2つ作ったんですよ。
自分のやつ捨てられなくて、捨てたほうがいいなって思うんですよ。
なんかそっちの方がかっこいいし、前向きだって思いそうなんだけど、捨てると本当になくなっちゃいそうな気がして、本当にいいのかなとか。
今はないんだけど、でもそれあったことは事実だよなとも思うんですよ。
思い出したい記憶かって言われると分かんないけど、消しちゃっていいんだろうかっていう戸惑いはあるかも。
普通にチューリップとかの写真なんですけど、いろんな風景の写真とかも入ってるんですけど、とかはある。
残り続けるもの
捨てたいけど捨てちゃっていいんだろうかっていう自問自答があるってことですね。
この話を最初に聞いた時は捨てろよの一択だったんですけど、
でもやっぱり人は変化するもので、今回のアフターノートとかのこともあると、
過去幸せだったことを否定する必要もないみたいな気持ちになってくるというか、
過去こういう事実があったことを覚えておくためのアーカイブ。
なんかちょっと以前よりも捨てなよと言えない気持ちになるような感覚はありますね。
捨てた方がかっこいいと思うって本人も言ってるものの。
私正しいと思うの絶対。捨てた方が正しいと思う。
だからこれは撮ってるってことは、みんなには言えないけど、でもそれは捨てられないものとしてある。
逆の話でごめんね。
いいですよ。
捨てて後悔したものが結構あるんだよね。
そうなんだ。
捨てて後悔したもののヒットは、子供の時に描いてた絵。
あれね、残しときゃよかったって。
なんかの時に多分ね、まだ多分アーティストになる前とかだと思うんだけど、
なんかまとめて知り合ったんだよね。
それこそなんか、ダッシュ四駒。
ダッシュ四駒?
ダッシュ四駒だっけ?
ミニ四駆の漫画のキャラクターですね。
ドラゴンボールのキャラクターを描いてる絵とかでさえ、残しとけばよかったなって思って。
それね、なんかね、価値が上がってたはずなんだよね。
自分の中で、そういう原点っていうか。
あれなんで捨てちゃったんだろうっていう後悔はある。
めっちゃわかります。
わかる?
めちゃくちゃわかる、ほんとに。
そういうの残してるのが、例えばアーティストで言ったら大竹新郎さんとか。
子供の時から描いた絵を未だに残して、美術館の古典とかで展示してたりとかして。
それさ、アーティストとして見習いたい態度なんだけど、自分はそれを処分してしまったのがあって。
取り戻せないんですね。
でもなんか一個だけ作文が残ってて。
なんか知らないけど。
作文が多分二年生ぐらいの作文で。
小学校二年生?
二年生ぐらい。
だからお正月に描いた作文で、なんかお正月、なんかね詩みたいなんだよね。
なんか一年が始まりましたって。
で、なんか玉の川がキラキラ光って、その玉の山が綺麗に見えますって。
今年も精一杯頑張りますって書いてて。
なんかね、それはね、すっごいね感動して。
なんでこれ残してんだろうと思って。
それをね額に入れて実家に飾ったんです。
即救済訴訟。
サルベージオ。
サルベージオ。
そこ普通に展示できるんじゃないかなって。
なんかね、子供の頃に描いた絵とか、残したけばよかったなって。
絵とか文章とかね。
文章とか、その時にしか描けなかったから。
ごめんね、なんかちょっと外れた。
いやいやいや、これはね外れた話じゃないと思う、全然。
ものすごく、難しいんですよね。
やっぱ私もすごい、思春期?
やっぱライフステージが変わるタイミングでめっちゃ捨てちゃって。
かっこいいね。
いやいやいや、でもねこれはね本当に取っとけばよかったと思うんですよ。
ハムロックホームズシリーズっていう。
ハムロックホームズシリーズ。
あの私がずっと小学校で、小学校のクラスの中で、一人いるじゃないですか。
クラスの中で漫画連載するやつ。
その人だったの?
その人でした。
作家さん。
回し読み。
回し読みで、なんか紙で漫画みたいな形になるような紙を折って作って。
それでずっと連載していた漫画が、ハムスターとシャーロックホームズを足して、
ハムロックホームズっていうキャラクターをずっと描いてた記憶だけあるんですよ。
で、なくてものとしては。
で私がいくら思い出して描いても、友人がそういう感じじゃなかった。
ビジュアルが違うって言うんですよ。
もっと違う。
もっとなんか、あの頃の限界の画力だけど、あれはあれで可愛かったからなんで取っておかなかったんだっていう風に。
すごく言われて、やっちゃったって思ってるんだよね。
そう。大人になってわかるっていうか、その尊さが。
だからなんか僕もね、よく子供向けのワークショップやらせてもらうんだけど、
なんかね、そこで作ったものとか、親御さんたちが大事そうに持って帰っていきますけど、
なんか残してほしいなって。本当にこの瞬間でしか作れないものってあるから。
そうですね。
だからこう、どうしてもね、山岡さんのそれは恋愛的なことが絡んできてるから、
その、なんかこう、ネクストみたいな感じがちょっとあるけど、
でもやっぱりね、自分が取っておきたいものは取っておいた方がいいんじゃないか?
なんでさ、捨てちゃったんだろう?
なんかやっぱ恥ずかしさもある。
恥ずかしさもある。
だからね、それこそね、上手いか拙いかで言ったらね、上手いものではないから。
だからなんかこう、寝かせ期間に肝があるような感じもあって、
なんか5年後に振り返るのと10年後に振り返るのと15年後に振り返るので、
毎回ちょっと味違うみたいなのがあって、
5年後に振り返った時はまずいって思っちゃったんだよね。
その時に15年後にもっとこれ寝かせたら味出るかもとは思えなかったっていうのが。
なるほど。でも今となっては味が出るんじゃないかって。
見てーって思う。
いやー残しとけばね。
でも記録がないからさ、記憶でいくらでも。
美化してる可能性も全然ある。全然あるんだけど、
なんかそれそのものじゃなくても、私もたまにパラッと出てくるんですよ、絵とか文章とかが。
それ見るとやっぱすごい、こいつそのタイミングでしかできない限界でやってるって思って、
結構リスペクトできるっていうか、他のもってなる。
それで言うと多分ね、俺は子供の頃の絵とか結構残ってるタイプかもしれない。
羨ましい。
田舎に住んでるので物置が大きいんですよね。
確かにストレージの大きさはめっちゃあるんだよね。
団地の弱さだ。
団地の弱さ。ストレージなんだね。
田舎の強さ、団地の弱さですね、これは。
そうだね。でも日記みたいなもんかもね。
日記、俺も捨てらんないな。
数学の勉強してた時のノートとか捨てらんない。
え、うそか。でも確かに今、絵って言ったけど、でも味合いはありそうだわ、確かに。
あの時頑張って勉強してたなとか。
中に書かれてるものっていうよりかは、それを書いてた時の姿勢みたいなものが、
なんか残しておきたいって思ってるかもしれないなって思ったな。
だからなんかあれだよね、記憶を換気させるための装置だよね。
そうですね。本当にきっかけですね。
受験勉強大変だったけど頑張ってたなみたいなね、思い出したいね。
それこそ絶対的な価値なんだよね。他の人から見たら、それは。
すごい、そうだ。本当にそうだ。
自分にとってはすごく価値ある。
そう、他の人から見たらもう役目も終わってるし。
燃やしたらって。
そうか。
なんかこう、ある美術館で、作品って呼べるかどうかはともかくとして、
その人の家にずっと残ってたものを展示するっていう展覧会をやっているところがあって、
それすごい面白かったんですよ、私も見た時にも。
絶対的な価値とアートの視点
でもなんかこう、今改めてその時のこととか思い出すと、
その絶対的な価値を見出す視線がアート的な視線だとしたら、
やっぱりあそこで展示されていたものがアートだったんだなっていうのがすごく。
なんかその時ももちろんアートとして受け止めていたつもりだったんだけど、
なんかより踏み落ちた感じはあったな。
面白いね。
すごい、もしかしたら声のライブラリーとかそのアフターノートを見ること、
そして時間がある方はこの声のライブラリーに答えることで、
本当にわけわかんない記憶の扉が開く可能性もあるし、
愛されていた記憶みたいなのも言ってたし、
でもなんかこう、本当に普段だったらエピソードにもならないような記憶の肌触りとか、
テクスチャーね。
みたいなものとかも思い出せたりするかもしれない。
やっぱりそういう意味で本当に山口氏のためだけのものではなくて、
本当に普遍的なメディア氏。
それは映画館であり、その映画館を享受する自分自身であり、
っていうことが考えられる展覧会なんだなって思いますね。
一個ね、面白いエピソードがあって、
これは本当、こういうラジオの場でしか言えないんだけど、
何日かな、アーティストトークがあった次の日か。
今から26日かな、にアーティストトークを聞いてくださった市民の方、
女性の方なども来てくださって、僕が会場にいて、
それで手渡されたのが、
昨日アーティストトークを聞いて面白かったですって言って、
家に帰って、昔若かった時に、
風と共に去りぬのリバイバルをピカデリ、
今日行きましたけど、ピカデリで見て、パンフレットを買ったんですよ。
パンフレットが何回も家で断捨離したんだけど、
ずっと残して、今も本棚にこのパンフレットがあって、
昨日のトークを聞いて、何かこれにも私の思い出があるから、
展示してもらえませんかって言われたんですよ。
びっくりしちゃって、
この展覧会の醍醐味っていうか、
もちろん展示するスペースは今から作れないんだけど、
市民の方がそう思ってもらえただけでも、
この展覧会って成功してるなと思って、
本当に大事なものだから、預かることも怖いので、
連絡先だけ聞いたんだけど、
展示会場の一番最後に、東天閣っていう、
中華料理屋さんの川端さんが集めてきた、
映画の割引券。入場券じゃなくて割引券。
たくさん大量に印刷された割引券を集めていて、
それを展示してるんだけど、
それこそもうあれは絶対的価値の、
局みたいなもの。
で、その割引券自体に社会的な価値は、
オークションでもあんまり売れないとは思うんですよね。
でも思い出が入ってるから、
差し替えできないんですよ。
もうあれでしか展示できなくて、
それを一堂というか、一部なんですけど、
展示することに意味があって、
それに反応した市民の方が、
これも一緒に並べられるんじゃないかって、
持ってきてくれたのが、本当に感動しちゃって、
伝わったと思って。
本当にきっかけとか。
本当ですね。
展覧会の概念が変わったと思うんですよね、その人にとっても。
すごく貴重なものを展示するのが展覧会。
アーティストが作った特別なものを展示するのが展覧会と思って。
眺めるものだったのか。
自分の記憶が入ったものが展示できるんじゃないかと思ってもらえただけでも、
これはもう初日で。
初日でですもんね、しかもね。
初日でトークを聞いてくださって、次の日に。
すごい。
で、ラボの人とかに相談したら、
マイクプリの人たちすごいなって思うのを、
展示できるスペース作りましょうよって言ってくれて、
この後どうなるかわかんないけど。
それこそ、遊べる図書館もそれと同じ。
今ね、すごいこの話しようかなと思ってて、
遊べる図書館っていう展覧会も一緒にやってるって話をしたんですけど、
そこでまさに、アート作品の貸し借りをする機能みたいなのもあるんですよ。
今夜のライブラリーみたいなのと同じように、
どこでもアート鑑賞ってそのプログラム自体を呼んでるんですけど、
山口市で活動されている作家さんはもちろんなんですけど、
そこで作品を集めるための文言として、
思い出の品って書いてみたんですよね、今回。
それ本当書いたときは、
結構いろんなものが集まればいいな、みたいなニュアンスで書いたんですけど、
今まさに、
絶対的な視点で見つめたときに、
その人にとっての価値があるものっていうものが、
例えばその遊べる図書館に持ってこられて、
とても貴重なものだとやっぱり貸し借りがあるんで、
難しい部分もあると思うんですけど、
やり取りされたり、他の人の手に渡ったり、
渡った先で鑑賞されることで、
何か新しい化学反応が生まれたりっていうことが、
できる場なんですよね。
ちょっとそういう意味でもね、
アート自体の、
ありようみたいなことを改めて考える、
YCAMの冬。
YCAMの冬ってまとめ方がいいのかわからないですけど、
タイミングになりそうですよね。
繋がったんですよね。
一回でやってることと同じやん。
アートっていうものが本当に、
誰かにとって価値があるものが、
触れられない形で展覧されているものじゃなくて、
自分の価値っていうものが結局何なのか。
それが相対的な視点じゃなくて、
絶対的な視点であればあるほど、
それがアートの視点と重なるんですよね。
ちょっとやばい。
面白いね。
絶対的な価値って、
解像度が高ければ高いほど、
他の人にも伝播するなと思ったし、
以前、ふくのりこさんがYCAMに来て、
私もあったかわからないのを講演していただいたときに、
アートっていうのは、
作品じゃないっていう話をしてたんですよね。
アートっていうのは、
作品、要は物。
物である作品と人の間で発生するコミュニケーション。
不思議なコミュニケーションだって話をしていて。
展覧会の意味と価値
不思議なコミュニケーションって言ってたね。
いい表現ですね。
だから、同じ素材だけど、
人によって価値は変わっていく。
だからそのコミュニケーションの仕方は変わっていく。
同じかわばさのチケットを見ても、
人によって、
うわ、昔の人のデザインイケてないって思う人もいるし、
うわー、これ見たなって思う人もいると思う。
そういうそれぞれの絶対的な価値が
引き出されていくっていうのは、
本当に確かにアート、
こういう展覧会ならではだなって思ったな。
絶対的な価値として、
絶対的な視点みたいなものが、
またさらに大きい視点を紡いでいく。
すごいですね。
面白いね。
絶対的っていうと、
もうそこから動かないっていう気もするけど、
でもそれももしかしたら交換していったりとか、
他の人と共感していったりすると、
自分の中で育っていったりする部分あるのかなって思ったな。
逆に動かし得るからこそ怖いものっていう気もするんだよね。
怖いっていうか、
勇気を持たないと持てないものっていう気もするんだよね。
自分はやっぱり変わり続けるから、
そのために自分の中で基準が変わっていくことみたいなのに、
なんか心が追いつけない。
なんかさっき言った、
アフターノート山口市映画館の展覧会
捨てた時は全然味しないと思っていた昔の絵、
今なら味しそうみたいなことでさ、
なんか自分を信じきれないとか、
信じられないみたいなところを、
一個飛び越えられる空間に展覧会の会場がなっているというか、
このYCAMっていう場がなるみたいなのとかっていうのが、
それこそアートの価値というか、
アートセンターの価値みたいなことになり得るのかな、
なんてところまで考えましたね。
しかも作る場所ですね。
絶対的な空間じゃなくて、
どんどん鑑賞者の人たちの手によっても変わり得るっていうのが面白いね。
ほかほかに、
アフターウォークで十分ほかほかだったんですよね、我々は。
でも本当に今温泉にまるで浸かったかのようなほかほかなんですけど、
繰り返しになっちゃうんですけど、
たくさんの人に見ていただきたいし、
見ていただいた時に、
感想っていうよりも自分の中に出てきたもの、湧き上がったもの、
思い起こされたことっていうのを、
いろんな形で伺いたいですよね。
それが展覧会自体の、また価値を作っていくことにもなるし、
そういったことでじわじわと完成していく。
きっと完全な完成はないと思うんですよ、展覧会というもの。
でもじわじわ何かしら蓄積していって、
より価値のあるものになっていくっていう過程なのかなと思うので、
なので改めて情報を共有しますね。
アフターノート山口市映画館の歴史は、
YCAMのスタジオBで行われている展覧会です。
2階に上がってね、左に進むとある部屋。
会期は11月25日にオープンして、来年の3月17日、
これかなり長いんですよ、YCAM的にも。
3月17日日曜日まで開いております。
さっきね、アフターウォークっていうイベントがあったよとか、
アーティストトークしたよって話もあったんですが、
会期中にいろんな関連イベントを予定していて、
それこそ見た感想を話す会だったりとか、
いろんなことできればいいなと思っているので、
詳しくはYCAMのウェブサイトなどをご確認いただければなと思います。
この後もね、いろんな関連映画の上映とかもね、
もうたっぷりプログラムされてますので。
目白押し、ぜひ。
もう何回でも、もう始まって1週間ですけど、
もう3回見た方がいる。
リピーター率の高い展覧会ですね。
何回でも来てほしい展覧会ですね。
いろんな人と、いろんな違う人と来たりするだけでもまた違う。
確かにそうだそうだ、さっきお母さんがとかね、
おばあちゃんがって話もありました。
すごい。
それこそあれ、初めて見る映像っていうか、
映画なのか、まあ映像だよね。
それがもしかしたらアフターノートの可能性だってありますよね。
ああ、そうかもね。
まさにあったんですよ。
さっき高原さんのスタッフの、
新しい家族が生まれたスタッフがいて、
その赤ちゃんにとっては今回のアフターノートが
展覧会の意義と存在に対する価値
生まれて初めての展示だったよっていう。
そういう可能性がすごいたくさん。
もちろんまだ1ヶ月とか2ヶ月の赤ちゃんなので、
何か明瞭なことを覚えてるとかっていうことではまたちょっと違うと思うんですけど、
なんかすごいですね、それこそ入れ子構造っていうか。
僕らも振り返られる存在になるかもしれないですね。
僕がね、おじいちゃんになった時にね、
なんか初めて見た映画とかね、展覧会アフターノートですって言われたら多分ね、
泣く。確実に泣くと思う。
塞い切れないと思う。
本当に皆さん是非足を運んだり、このラジオを聴いて、
また見に行っていただいたりってことがあればなと思います。
なんか物作るってそういう可能性があるなって思いました。
そうですね、物作ったり、展覧会の意義ですよね。
多くの人に開くってことが。
このラジオもね、もしかしたら何年後、50年後とかに。
聞いてました。
まだ味おいしくないと思ってたらどうしよう、私って。
やばい、やばい。
でもそうですね、何かこう、自分っていうものと、
何かその存在に対しての価値みたいなことを、
本当広くあまねく考える機会になりそうですね。
いろんなものを受け取ってきたし、
これからもいろんなものを手渡していくのかもしれませんね。
やばい。もともとは1時間の収録と言っていたんですが、
もう2時間になろうとしております。
放課後、一番長い?もしかして。
そうかもしれない。
放課後だと一番長いかもしれない、これは。
なんなっちゃったかって。
いやでも、あんまりいっぱいカットはせずね、
放課後なので、何かたくさん聞いていただきたいし、
何か聞いて思ったこととか、それこそメールをね、
開放してるので、information.ycom.jpまで、
何か思ったこととか送っていただいても面白いかもしれないですね。
では、ちょっと長くなってしまったので、そろそろ。
どうですか?何か言いそびれたことある?
いや、何かね、こんだけ話させてもらってね、
本当にありがたいし、これで心置きなく千葉に帰れる。
でも何か僕はまだ全然、もっともっと話したいなって思いました。
本当?
何かちょっと食べると、もっとお腹空くみたいな状態になってるかもしれない。
でも何か本当ね、始まってから思ったこととかもすごいたくさんあったんで、
何かね、それ話せてよかったかな。
嬉しい。
何か本当ね、いい企画ですね。
本当に。
自分が、自分で言ってる。
でもそうですね、本当に。
それ思えばめっちゃいいですね。
でも本当展覧会開けてからの、開けてからいるゲスト、
アーティストに聞くっていうのが達成できたなって感じがあって、
そういう意味でもすごい実りあるものになったんじゃないかなと思います。
ちょっとそろそろ締めさせていただきますね。
アフターノート山口市映画館の歴史のアーティスト下村信博さんの紹介
本日のゲストは、アフターノート山口市映画館の歴史のアーティスト、
現代美術作家の下村信博さんでした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。