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おはようございます。
yamottyのゼロトピック、略してゼロトピを、 第3回目を放送したいと思います。
今回のゼロトピックなんですけど、 トピックを考えないと話せないので、
トピックを考えてみました。
今回何話そうかなっていうので、
1回ね、フリーアジェンダーの中で、 僕が結構力説したんだけど、
録音ボタンが押されてなかったっていう、 幻の回があって、
ちょっとその時の内容を話そうかなと思います。
テーマが、命の有限さを知ってるかどうか、 みたいなもので、
結構意思決定というか、
その後の人生ってガラッと変わるよねっていう、 そういうお話になります。
どういうことかっていうと、 僕の老いたちに関わるんですけど、
僕は青森県の弘前市っていう、 桜の名所で知られるすごい田舎町ですね。
田舎町で生まれ育って、 高校まで弘前市で育ちました。
その後、大学受験をして、
仙台の国立大学の東北大学っていう大学に入って、
そこで工学部の科学バイオ工学科っていう学科に所属しながら、
アメフト部に行ってアメフトずっとしてました。
22歳ぐらいまでそういう生活をしてて、
普通の大学生ですね。体育会計の普通の大学生の生活をしてて、
そこから最後に大学院に行くんですよ。
大学院に行って応用科学専攻みたいなところで、
科学バイオというよりは、
もうちょっと材料寄りの研究をするような研究室に入って、
リチウムイオン電池の極材の劣化していくようなプロセスを動画で撮ろうっていう、
そういう研究をしてて、正直受け身でそのテーマも決まってるし、
自分で何かをやりたくてそれをやってるっていうよりは、
友達が多かったら研究室に行くみたいな、
すごい謎の意思決定をして、その研究室に入ったっていう。
アメフタは自分の意思でやってたんですけど、
基本的に人生を左右するようなものに対して、
自律的に決めてる部分も多少はあれど、
わりと受け身の部分とか環境に流されるみたいな部分がすごい多かったっていうのが、
自分の23、4歳ぐらいまでだったんですね。
だけどそういう自分をガラッと価値観を変えてくれるようなイベントがあって、
それが2011年の3月11日にあった東日本大震災だったんです。
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仙台っていう場所に住んでいたので、
当然ものすごい大きな揺れで震度8の揺れに襲われたっていうのと、
当時付き合ってた彼女の家の引っ越しの作業を手伝ってて、
僕が棚を押さえてたんですけど、
その瞬間に地震が来て、棚に押しつぶされそうになって、
あ、死ぬんだなみたいな。
そして揺れの中で2人でベッドに何とか命から飛び乗って、
揺れが治まるまで待ってたんですけど、
本当に天井が落ちてきて死ぬんだろうなっていうぐらい、
その瞬間ですごい長い時間のように感じられたんですね。
揺れ自体は1分もなかったのかなと思うんですけども、
本当に10分とか20分くらい揺れてたんじゃないかなっていう、
時間がかかるような体験があって、
その後ってどうしたらいいかわからないで、
みんなマンションの前にバーって出てくるんですよ。
街中見てもその次の瞬間、出た瞬間から電気が全部止まって、
信号がつかなくなってるんですよね。
みんな混乱状態です。
非常電源があるコンビニとかだけ電気がついてたりしたんですけど、
ちょっとするとみんなこれってよくわからないけど、
とんでもないことが起きたってことに気づき始めてると。
コンビニに入って食料を勝手に持ってって確保するみたいな人が、
普通に出てたりとか、お金払わないで。
知ってて、日本じゃないような感覚に襲われたんですよね。
実は宮城仙台の中で僕は妹も大学に行ってて、
妹生きてるのかっていうので電話したけど、
携帯電話もつながんなくて、やばいと思って、
とりあえず妹の家まで歩いていこうって言って、
彼女と二人で歩いて行って、いないわってなって、
どうしようどうしようと、
死んじゃったかもしれないみたいなパニックになったんですね。
結局合流することがたまたまできて、
一緒に避難所に行くんですけど、
その避難所に行ってから皆さんもご存知の通り津波が襲ってきて、
我々がいたのは当時は市街地なので、
津波の影響はギリギリ及んでないようなエリアだったんですけど、
僕が大学1年生の時に住んでたマンションとかは流されちゃったりとか、
あとは連絡がつかないんでその時はわからなかったんですけど、
よく髪を切ってもらってた友人、
昔のマンションの近くで髪をずっと切ってもらってたんで、
流されて亡くなったりみたいなのを後から知ったりして、
その避難所で迎えた夜もアビー休館というか、
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一晩中津波のサイレンがずっと流れ続けていて、
ドゥッドゥッドゥッドゥッっていう緊急地震速報も流れてて、
誰かが持ってきたラジオで、
今今どこどこで何メートルの何がです、
避難してくださいみたいなのがずっと流れてる。
当然寝れないので、赤ちゃんとかも子連れのご家族とかもいて、
赤ちゃんを抱いたお父さんがずっと一晩中慰めてるというか、
一回も座らずに、いつでも逃げれるようにずっと立ったまま慰めてるみたいなのを
畳で見ながら横でおばあちゃんずっと泣いてるとか、
そういう、何ですかね、
自分たちもしかしたら次の瞬間には流されて死んじゃうとか、
何か起きて死んじゃうみたいな危機感を強烈に経験したのが3月11日。
もちろん1日は終わらなくて、その後も余診とかも含めて、
1週間、3日くらいかな、その避難所で暮らしてたので、
僕はPTSDみたいな病気にかかったっぽくて、
1週間一通もできないみたいなことが起きたんですね。
そういう経験があって、もろもろって当然落ち着くんですけど、
落ち着いた後に自分ってこのままでいいのかなっていうのを
すごいよく考えるようになりました。
っていうのは、要はもう地震で死んだと思ったし、
津波が来て明日流されるかもしれないっていうすごい恐怖に襲われるんです。
その後はもう、明日死ぬかもしれないし、
自分がいつ死ぬかっていうのは基本的にコントロールできない。
かつ、自分ってもう1回死んだような体験をしたっていうことから、
とにかく何かを考えるとか決めるっていう時に、
自分がしたかったこととか、自分がこうしたいって思ったことを
我慢しているような余裕なんかないんだっていうのを、
その経験から通列に学んだんですよね。
それがあって、命の有限さとか不確実性っていうのを
文字にすると簡単なんですけど、
今まで知る良しもなかったようなものを体に叩き込まれたことで、
後に就職とかして社会に出てくるんですけど、
社会に出た後も通説的に良しとされているものを疑うとか、
あとは自分って何のために生きているのか、
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意味なんかないんですけど、
結構そうやって個人が見出すものだなっていうふうに思ったので、
かつできることって少ないじゃないですか。
できることを広げたいとか、
社会にああいう時に影響を及ぼせた企業とか個人がいたと思うんですけど、
そういう時にちゃんとポジティブな影響を及ぼせるような人になりたいとか、
そういう意思も同時に芽生えてきて、
それを達成するためにどうしたらいいのかっていうのを、
基本的には完全に逆算で考えるように、
その時からコロッとスイッチが変わったっていう、
そういう話です。
ちょっと話すと思うんだけど、
かなり今の自分にとってはポジティブだなと思ってて、
その経験があったからかなかったからかわからないですけど、
今こうやって企業をして、会社を起こして、
まだまだ小さいので、
今回はコロナショックとかでも自分が何かできるかというとほとんど何もできない。
自分の事業を粛々とやる。
それによって社会に何か小さくてもいいから、
確実に喜ばれるものとか助けになるものを起こしていこうっていうぐらいのフェーズだと思うんですけど、
いつか僕がもし長生きすることになったら、
このから先また大きなブラックスワンみたいなものに襲われる可能性はあると思うので、
その時にちゃんと世の中を、
目立たなくていいんで支えているものを作りたいなと思って、
今こうやって事業やったり経営を学んで、
一生懸命頑張ってっていうそんなところになります。
ということで、重い話をしたので、
最後に柔らかい話をして終わりたいなと思うんですけど、
好きな漫画のタイトルを1個言って終わります。
四つ葉と。